「日本に鉄砲を伝えたのは倭寇」説の疑問@

倭寇伝来説は、宇田川武久さんが「戦国日本と世界」に『「鉄砲伝来」再検討』として昭和61年に論文発表されたのが最初だと思われる。
本文85ページ『鉄砲伝来の経路』で
『「鉄砲記」は鉄砲の普及について、種子島を基点に全国へ広まったと説明している。そうしたルートもたしかに鉄砲伝来の経路のひとつと考えてもよいが、真倭の出身地や王直の活動範囲と日本との深い関係、
それにいま述べた朝鮮国王から明政府への報告書の内容などから、ポルトガル人が日本に鉄砲を伝えたとするより、大方は倭寇が伝えたとみなすほうが至極妥当だとおもう。
倭寇は禁制品の硝石や硫黄を重要な交易品としたが、ときには鉄砲も取り扱ったに相違ない。』としており、
倭寇説の根拠は、「ポルトガル人説よりも至極妥当であり、だから鉄砲(マラッカタイプ)も取り扱ったに相違ない」である。

須川薫雄さんは、「宇田川教授のポルトガル人でなく倭寇が日本に鉄砲を伝えたと言う説には現実性も具体性もない。」としている。
http://www.日本の武器兵器.jp/hinawajyu/denrai/index.htm

私は、「火縄銃は、日本の独創性によって生まれ、発達した」とする考え方なので、矛盾の多い倭寇説を論考し、その後自説を展開したい。