戦国期の火縄銃についての疑問DのG
>続きです。

鉄炮記の古文書は3通残っています。
@文之玄昌自筆本の南浦文集の内。
鹿児島大学附属図書館コレクション・玉里文庫(島津久光及び玉里島津家の旧蔵書)・天の部・南浦文集・第1冊に書かれています。
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/collection/handle/123456789/45186  (図書ID:0110030001)
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/cgi-bin/prec_img_disp.cgi?ts_id=0110030001&start_pos=1&lang_mode=J
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/contents/prch/0110030001/10000019.jpg
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/contents/prch/0110030001/10000020.jpg
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/contents/prch/0110030001/10000021.jpg
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/contents/prch/0110030001/10000022.jpg

A文之玄昌の鉄炮記写者或は伊地知季安による半紙写本。
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/collection/handle/123456789/44243 (図書ID:0100600001)
末文に「慶長十一年丙午重九之節種子島左近大夫将監藤原久時」と書き入れあり。

B1667年に上妻隆直が編纂した『種子島家譜』の内。
末文に「慶長十一年丙午重九之節種子島左近大夫 平久時」と書き入れあり。
鉄炮記とほぼ同様の記述となっている。

鉄炮記(代種子島久時公)は、16代種子島久時が文之玄昌に代作させたもので、著者は、島津家の学僧・禅僧であるため、代作文が多く残っています(南浦文集内に)。
そのためか火縄銃そのものについてはよく知らず、当時の日本での鉄砲に関する種子島以外の逸話・寓話をも含めた文章ではないだろうか。
その内容は、嶋を愛する気持ちのこもったとても良い文章だと思いますが、種子島の名前と種子島時尭の鉄砲に関する美徳を絡ませて、多禰島から種子島、肥後氏から種子島氏への変化の正統性を示すためのものではなかろうか。