ここでの鉄砲の定義は「鉄製の、鍛造による、マッチロックのマスケット銃」で良いかと。
明国が製造していた歩兵銃は、青銅製の鋳造砲を単に携行可能な大きさにスケールダウンさせただけのものにすぎず、
心棒に鉄板をかずら巻きにして作るマスケット銃とは威力も製法も根本的に異なります。
応仁の乱の時に早くも火砲が使われていたという話などもありますが、
たとえそれが事実だとしても直接的に火縄銃の参考になるものではなかったでしょう。