戦国期の火縄銃についての疑問D

宇田川武久(元国立歴史民俗博物館教授)さんは、「真説 鉄砲伝来」で、「鉄炮記」を『そもそもこの書物は、伝来とされる年から約六十年後、・・・・・それほど史料的価値が高いとはいえないものである』として、「倭寇説」を組み立てている。

伊川健二(大阪大学・大学院文学研究科・文化動態論専攻)さんは、「鉄砲伝来の史料と論点(上・下)」で、「鉄炮記」を信頼に足る史料と結論づけ、ポルトガル伝来説を採用している。
その『おわりに』(下・P32)では、
『じつは筆者は、歴史研究者にとって、鉄砲伝来というテーマは、労多くして実り少ない論点であると考えている。・・・・・
しかも、この問題は、本来、文献のみで解釈されるべきものではない点は、前号以来しばしば触れているとおりであり、技術面での考察をあわせるのであれば、さらに複雑化することはいうまでもない。』
と書いている。
ttp://igawa200.hp.infoseek.co.jp/pdf/teppo-1.pdf
ttp://igawa200.hp.infoseek.co.jp/pdf/teppo-2.pdf

太田牛一の「信長公記」は、豊臣家滅亡後に軍記の執筆に専念し、慶長15年(1610年)に書き上げ、小瀬甫庵はその「信長公記」を元にして、翌年、「信長記」を書き上げている。
『甫庵の「信長記」は「偽り多し、3つのうち本当のことは1つ」(大久保彦左衛門の三河物語)と当時の人からも非難されている』とのこと。
ttp://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/ukon09.html

『これは裏を返せば、原本となった牛一の「信長公記」についてもそのまま信じては駄目だと言うことにもつながる』は、正しい。
ttp://www.geocities.jp/syutendoji28110/mitsuhide04.htm

由緒・由来書、伝記について、どこまで信用してよいものか。古文書・手紙にしても、偽物や意図して書いた物もあるし、秘伝書については、「トンデモ本」の範疇に入る物もある。