>>334 様、記述の飛躍や説明不足については、「朝鮮王朝實録」の解明途中なのですみません。
しかし言えることは、「朝鮮は日本のことを恐れている割には、日本のことを知らないし、知ろうとしない」、「中国から火器・火薬について習ったが、その後の改良・進歩が遅い」である。
日本を恐れるあまり火薬製造法を極秘にし、自国の技術伝承さえ危うくなっていて、「朝鮮王朝實録」の記述から日本の鉄砲について知るべきことは少ないと思える。
1449年2月以降、朝鮮への献上(献土)はほとんど無くなり、日本人は私貿易でも硫黄なども扱っており、焔硝は禁制品ではなくその精製法も知っていた。(火薬についての製法は中国より知っていたが性能は不明)
定宗元年(1399年)6月1日「日本國使詣闕 賜酒食日旣夕令軍器監張火戲以視之倭驚曰此非人力所爲乃天神使之然也」で驚き、その原料の硫黄などを献上していれば、中国より情報を得ようとするのは当然だと思える。
今までの「朝鮮王朝實録」による「倭寇による鉄砲伝来説」は状況証拠であり、確証ではない。
「鉄砲伝来」について、中国(明)史料を解明しないと真実は出てこないのかも知れない。

その他、
@「鉛丸」の記述は、宣祖26年(1593年) 1月 11日「提督鼓諸軍薄城賊伏於陴中亂用鉛丸湯水大石滾下拒之」からであった。
A「鉄砲」の定義についてははっきりしていないが、これも「伝来」といえるのかな。
世宗卽位年(1418年)8月14日「對馬島敬差官李藝啓 火(桶)碗口唯以銅鐵鑄造而銅鐵我國所不産因此火(桶)碗口未易鑄造臣至對馬島於賊倭處得中國所鑄水鐵火(桶)碗口以來請以水鐵鑄火(桶)碗口分置諸州鎭命軍器監試之」