戦国期の火縄銃についての疑問Cの@

異風筒の呼び名が多い割りに、火縄銃の部品名についての異名が少ない。
「照門・照星・銃口・銃床・さく杖」については中国での部品名であり、江戸期になってから使われ始めたもので近世初期には用いられてはおらず、「鉄砲伝来」とは関係ない部品名である。
火縄銃が進歩・発達すれば当然部品点数も増え部品名も増えてくるが、「続々と渡来した」ならば外国語の部品名が付けられていてもおかしくない。
江戸期に入り、数多くの「流派・砲術師」があらわれてバリエーションのある銃が造られ「口伝・秘伝書」で部品名を伝えているが、部品名を漢字に当てはめ直したとしても、なぜ「秘事」にしてはあまりにも共通の部品名を使い、異名が少ないのだろうか。
「カルカ」についてはカタカナで書かれおり、その意味はポルトガル語の歯科道具「calcador」(和名のエキスプローラー・エキスカベーター)に相当するものと思ったが?
また、「火縄銃」の呼称は、何時ごろ、誰が、何と区別するために言い始めたのだろうか?