戦国期の火縄銃についての疑問Aの@

>>317
解りやすい文章が書かれており、同感です。
同じく、朝鮮の役中の文禄2年の小早川隆景軍5千の火器装備記録も、200丁のうち2.5匁筒は155丁で78%の装備率となっており、それ以前の一般的な銃の口径は小さい可能性があります。
鍋島直茂軍(鍋島家文書)の火器装備記録については、未確認なので不明です。
竹束については、竹の種類や太さ、油抜き処理の有無によって結果も異なると思います。

小早川隆景軍の火器装備記録に、塩硝、硫黄、薬、鉛、玉の記載が有り、戦場で玉薬製造をしていた様に思いますが、権現山城と同じく火縄が見えないのが疑問です。(小早川文書の原典未確認)
火縄銃には火縄は必要不可欠の品なので、澤田平さんは「火縄は竹や檜・麻・木綿などを素材にして作られるが、地方によってはその土地特有の植物繊維が用いられることがある。・・・・・軍用には木綿の火縄が用いられる。」と本に記載されています。
未記載の炭のように現地調達できる品物なので未記載なのか、それとも記載漏れなのか、はたまた、要らないのか。
その他、権現山城では鉄砲15丁に合薬1500放、玉3200なので1丁当りの玉薬も少なく、戦国時代の「三段撃ち」や「つるべ撃ち」、「早撃ち」については疑問があります。
「できる」と「使える」とで大きな違いがあり、貴重品なので練習も十分にできなかったと思います。