戦国期の火縄銃についての疑問@の@

16世紀、西洋・倭寇の鳥銃(火縄銃)は、8分の鉛弾(直径8ミリ、3g)を1匁(3.8g)の黒色火薬で飛ばしたようです。
当時の比率では、1:1.3と黒色火薬の方が多く、現在の高性能な黒色火薬での比率では、小さくなっていると思います。
鉄砲の実用化は、鉛弾を飛ばすことのできる、燃焼速度の速い粒状火薬が開発されたことによると思います。
しかし、「黒色火薬はその粒子の大きさ、形状等により、又集合密度によって燃焼速度が異なることが解っている」ので、一定の大きさ・形状の粒状火薬を作成することは困難な作業であったと思います。
特に、集合密度を高めなければ鉄砲薬にならず、硝石、硫黄、木炭の三味を混ぜ、強い圧縮工程が必要です。
また、装藥は容量で計り(重量ではない)、装藥をし易くするために角を取るなどの工夫があったと思うが、粒状火薬の取り扱いには(その時の発射条件や黒色火薬の乾燥具合などに合った)、難しい面もあったと思われます。