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▼火縄銃について語ろう▲

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/23(水) 22:56:37ID:MMPKGKDM
実際にはどのくらいの威力があったのか?
どのように運用されていたのか?
各大名家の武将ごとの火縄銃の所持率は?
はたして鉄砲隊として一纏めにして運用できたのか?
などなど。
0002名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/23(水) 23:30:08ID:rhW9ASHj
雨天時射撃不可。下向けると玉落ちます
0003名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/24(木) 00:33:12ID:eituSkpb
今の日本では考えられませんが戦国時代は火縄銃を量産しまくったので世界でトップクラスの保有国でした。
0004名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/24(木) 00:53:01ID:l993IK9N
現存している火縄銃は慶長以後のもので、戦国時代のものは皆無。
よって、江戸時代のものがほとんどな現存火縄銃を考古学的根拠に
戦国時代の火縄銃を云々する歴史家のバカさ加減にあきれる件について。
0005名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/24(木) 14:05:57ID:FQE7hT0K
騎馬隊すら否定されてる今
騎馬鉄砲は完全妄想ですか?
0006名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/24(木) 15:41:33ID:Jfsi7gzN
いや騎馬鉄砲隊は伊達家文書以外にも他家でもでてくるから実在かと
0007名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/24(木) 19:17:23ID:FQE7hT0K
騎馬隊が否定されて騎馬鉄砲隊が肯定されるのはミラクルすぎるよ〜
0008名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 22:52:49ID:Hy4W0Rxr
そもそも騎馬隊を否定していることがおかしい。
騎乗突撃は日本の騎馬隊では難しかったあるいはできなかった。というべき。

実戦での効果はともかく、世界に騎乗突撃の例がないわけでもない。
トーナメントの語源を調べれば明らか。

もちろん、騎乗突撃は不可能でも、機動力を生かした騎馬隊は日本にもあった。
ないというなら鎌倉武士の立つ瀬がない。
そして流鏑馬があるのだから騎馬鉄砲隊は不思議ではない。
西洋にもあり、これを竜騎兵という。
0009名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 23:29:42ID:S61rJ8Sz
後の手放し自転車走行である。
0010名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 23:59:12ID:2twwhMUk
さすがに騎馬鉄砲隊はどうかと思う
よく知らんが江戸時代の伊達家の軍制にはないよね?
少なくても幕末にはいなかった気がする
何より当時の銃の性能じゃ役に立たなそうだし
0011名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 01:57:57ID:I+a9M3QZ
ああ、竜騎兵ってdragoonのことね?
でもあれって、確か火縄銃じゃなくてマスケット銃の時代じゃなかったっけ?
それに、騎射ではなくて、下馬して撃ってたというのをどっかで読んだ気はする。

まあ、実際古代の遊牧民もそうだし
源平のころの武士も貴社には長けていたらしいけど。
その伝統を受け継いだやぶさめもなかなかの命中率だし。
だけど、弓矢はともかくとして、
火縄銃(というか、先込め式の銃)で騎射は難しいんじゃない?
ひょっとしたら、訓練次第では騎射が出来る奴が何人かいたとしても、
まあ、ありえないというほどでもない気もするけど、
部隊を組めるほど熟達した精鋭がそろうかどうかは・・・
0012名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 03:07:57ID:WrrrJHE7
騎馬隊否定と言うのは騎馬武者を否定してるんじゃなくて
騎馬のみで編成された部隊の存在がないと言う事だよ
騎馬鉄砲と言っても一発撃ったらその後どうするのかと言うのが疑問だな
司馬小説の覇王の家だかで
史実かどうかしらんが本多忠勝が騎馬に鉄砲足軽乗せて移動し
敵部隊に近寄ったら馬を繋いで徒歩で近づいて鉄砲攻撃する
と言う戦術が書かれていたがあれなら納得いくけど
0013名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 12:51:05ID:uhW4J2cL
馬ってものすごく臆病な生き物だけど、
そんな爆音を頭上でならして大丈夫だったの?
0014名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 13:10:05ID:k6tZ4usz
まあ、訓練しないで撃ったら落馬して自分が死にそうだが
訓練すれば大丈夫かと
近代戦では機関銃の段幕や砲撃の中で騎兵隊や伝令が走りまわってたし
0015名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 13:52:08ID:3lTMm8/O
一発撃ったら終わりだろー。
弾込めながら敵軍に突進はないと思うよ。
0016名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 14:30:04ID:K3f0wRuI
一発打つと馬に乗って後方に下がり、装弾して移動、発砲という動作を数隊に分けて繰り返す
0017名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/29(火) 00:00:33ID:qL3iosKH
一発撃ったら、槍なり刀なりに持ち変える、とか何かで読んだことがある。
突撃直前に一斉射→戦列が崩れたところに突入、見たいな感じだったような。
0018名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/29(火) 00:26:14ID:hrRV0m8Z
それ騎馬と組合せる意味あるの…?
普通に鉄砲隊が撃った後に突入すればいいと思うけど
武器持ち替えてる時間無駄になるし…
0019名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 13:34:02ID:kjuyS6JO
これと似た戦法は,同時代のヨーロッパにあるので興味深いな。
カラコール戦法という。
歩兵の火力増強によって意味の薄れた騎兵の,新たな戦法として採用された。
前に出てピストル発射,交替,別の隊が前に出て発砲…を繰り返す。
ただ,それほど効果はなかった。
17世紀中頃,三十年戦争の時にスウェーデンのグスタフ・アドルフが,騎兵に対する抜刀突撃を騎兵の主な役割としたことで廃れた。
0020名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 08:08:42ID:gfnJJj3u
http://www.rekihaku.ac.jp/events/forum/index.html
0021名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 08:11:34ID:gfnJJj3u

>>20

第55回 「歴史のなかの鉄炮伝来−種子島から戊辰戦争まで−」

0022名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 20:06:21ID:bcvau+8h
火縄銃の有効射程距離が50メートルそこそこなら速射に優れる弓矢の方が実戦においては役にたったのではないでしょうか。
0023名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 20:14:18ID:kIICDcRx
それでも鉄砲が重要視されて普及していたというのは事実なんで弓より有効だったのでしょう。
0024名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 02:23:45ID:27/P35yw
以前、NHK教育でやってた番組で、
一番多い負傷が、矢傷。鉄砲はその次で、この二つで40%くらいだったと記憶している。
その次が、投石。槍、と続いて、その下に刀傷。

戦場で間合いの差、というのがどれだけ重要化という話なんだが、
よくよく考えてみると、
矢傷が一番多いのには納得するだけの理由はある。

確かに鉄砲よりは射程、威力、使いやすさ(素人でも使える、という意味)、ともに劣るが、
コスト、速射性、扱いやすさ(メンテ性や重量、天候に左右される、という観点)では火縄銃に勝る。
何より、忘れがちなのは、
鉄砲が普及したからといって、それがすなわち、弓矢が武器としてすたれたわけではない、
ということだ。
火縄銃より威力で劣る、というが、火縄銃の普及で矢の殺傷能力が落ちた、というようなことはもちろんないわけで。
もちろん火縄銃が普及したのは事実だが、
弓とどちらが有効とかそういう優劣の問題はシチュエーションに左右される問題で、
むしろ、
弓と、火縄銃とは、「飛び道具」として、刀槍と比較されるべきではないか?
鉄砲の普及によって、矢傷が少なくなるよりは、むしろ、刀による負傷が少なくなった
0025名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 02:43:59ID:RdLabwdb
鉄砲は人も馬も脅かすからね。
味方を鼓舞するし。
今と違って鉛むき出しだから威力の割に殺傷力も高いだろう。
0026名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 03:12:49ID:NetnAEvk
弓の方が射程は長いけど鉄砲の方が命中率は高いだろうと思う
鉄砲の普及で戦死者数もかなり増えたし
改良を重ねて威力も精度も増し大坂の陣の頃には鉄砲がメインになっていた
0027名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 03:37:39ID:RIT2GUkM
まぁ騎馬隊よりは使えただろうな。
0028名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 03:56:01ID:7kXmvERP
>>24
他の板でもその鈴木氏のネタは話題になってたけど、戦傷と戦死の違いも考慮に入れなければならない。
この時代、鉄砲が普及したことで武具に変化が見られたことも事実。
鉄砲の普及率の上昇と反比例して弓の数が軍役に於いて減っているのも事実。
これらの事実を踏まえて導き出される結論は「戦場で鉄砲が重きをなしていた」こと、
「戦場の様相が一変した」ということ。
決してシチュエーションで評価が分かれたという単純なものではないだろう。
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 04:48:40ID:X0uZ/u0o
火縄銃の実戦における運用・威力などが何で最近になって
いきなり「新発見」されるのだろうかね

旧日本軍はこういうのは研究調査してこなかったのかな
多くの実戦経験からフィードバックできる当時の軍人たちも
信長の三段撃ち、武田騎馬軍団とか疑問なく史実として受け止めていたの??
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 01:37:49ID:o0s3tWpm
今現在の技術があったとして、当時日本国内で手に入る材料でどの程度良質な銃ができるのかな?
0031名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 03:30:41ID:g/bb+YxW
アルケブス銃の一種であるはずの火縄銃が流行ったのは
マスケット銃がでかすぎて扱いづらかったのが影響しているんだろうかね
0032名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 04:56:52ID:G7nGAV3x
「鉄砲、持ち込んだのは中国人?」歴博で企画展
国立歴史民俗博物館(千葉・佐倉)は、「歴史のなかの鉄砲伝来」(10月3日〜11月26日)と題する
企画展を開き、16世紀の砲術秘伝書や明治時代の米国製短銃など約300点を紹介。
ポルトガル人が種子島に持ち込んだとされる鉄砲が、実は倭寇(わこう)のジャンク船が伝えたという
新説も披露。火縄銃の発射機構を示したCGや当時の鉄砲の威力を試した実射実験結果など
興味深い研究成果も報告される。11月4日には火縄銃の実射演武を行う。

http://www.jiji.com/jc/c?g=ent2_tpc&k=2006090300060
0033名無しさん2006/09/09(土) 15:41:07ID:blSu6Vp7
火縄銃がなかったら、信長は天下をとれてなかったし、武田家は滅亡していなかった。
0034名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/17(日) 11:37:26ID:Engzz7XY

一匁玉 口径 約 8.5mm 堺
二匁玉 口径 約 11.5mm 堺、国友
五匁玉 口径 約 14.8mm 堺、国友
六匁玉 口径 約 16.1mm 種子島
十匁玉 口径 約 18.5mm 一般的な戦国の鉄砲
三十匁 口径 約 27.5mm 紀伊、雑賀(諸説あり)
百匁玉 口径 約 39.5mm 所謂大筒

有効射程距離 約100M 〜 200M
(銃身や火薬量により射程、威力等は千差万別)

「匁」は銃口の直径でなく、弾丸の重量。
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 13:01:54ID:NNITEhsZ
最大射程500m位
有効射程200m位だが
弓矢と違い鉛玉は見えないのが強み
50m位なら厚さ3mmの鉄板を貫通する威力。
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 13:22:04ID:LfarzBHX
保存会の爺さんの話じゃ、意外に命中精度が高いそうな
若い時に使ってた、38式歩兵銃より狙いやすいって
なんでも、バネの関係で引き金が軽いとか…
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