伊達政宗では小田原城を落とすのは無理だな。
東北の偏狭の地で兵をかき集めたとしても当時で何万集まるだろうか?
上杉景勝と組めば可能かもしれないが、かつての関東管領上杉謙信をもってしても
落とせなかった小田原城。ましてや東北から長い遠征をして兵糧がもつとは思えん。
北条氏政の対秀吉の様に篭城されれば、東北政権のみの正宗の軍事・経済力では不可能。
あの頃は秀吉の経済力をもってやっと落城できたのみで、当時小田原城を落とせたのは秀吉のみだろ。
関東北条五代は民や兵の結束力も固く、力攻めや計略で落ちる城ではない。
当然ではあるが、京に近ければ近いほど人口も多く、その戦略や計略、軍事的にも政治的にも権力争いは熾烈となる。
京では熾烈過ぎた故に多少離れた地の信長や義元、信玄などが軍事力をつけて入っていくという形となった。
それに正宗がいかに才覚があろうと、地理的条件やチャンスに恵まれなければ天下を掌握するのは無理。
家康でも本能寺までは三河と駿河の一部で留まっていたわけで、人生常に右肩上がりになるとは限らないし、
ましてや秀吉に至っては本能寺以前は大名でもなかったわけだ。
逆に言えば、東北だからかこそ正宗はあそこまで版図拡大できたという見方ができる。
どちらにしても上杉・北条以西は激戦区となっていく為、他大名の干渉とか入るのは確実で、その駆け引きが正宗にできたかどうかということだ。