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戦国大名の経済力

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 19:17:52ID:Erco/VI7
田舎大名の大内なんかが1番経済力を持っていたなんてうそ臭い
戦国大名の経済力について資料を持っている人は詳しく教えてくれ
0712人間七七四年2008/07/20(日) 15:09:39ID:8QKmF5rU
>>711
当たり前のように感じていた
政府が交換を保証するって
画期的なことだったんですね
0713人間七七四年2008/07/20(日) 15:18:16ID:MEiSH2FM
こうして歴史を知ることで
我々は先人たちの苦労と智恵に有り難みを覚えるのであった。
0714人間七七四年2008/07/21(月) 00:47:49ID:OOwZN2h0
>>710
客観的な真贋のライン引きがされてないから100人中60人がおkおkって言ってく
れる銭より、100人中95人がおkおkって言ってくれる銭のが価値があるのは当然
だろ


つか日銀は政府機関じゃないから
日本赤十字と同列
0715人間七七四年2008/07/21(月) 01:05:37ID:UGv1OeJy
政府機関じゃないけど
完全民間機構といえるかというとそうでも無いという
総裁は政府+国会が選ぶしな
0716人間七七四年2008/07/21(月) 04:22:59ID:OOwZN2h0
民間って誰が言った?
日本赤十字と同列の認可法人まで書かないと共通項見えない?
政府の銀行≠政府が経営する銀行
政府の銀行=政府を取引相手にする銀行
大株主が政府だから当然の如く権威の後ろ楯は政府だが、日本唯一の発行銀行であ
る以上、政府機関では断じてない
官に近い法人
0717人間七七四年2008/07/21(月) 08:38:06ID:EKorK2Zu
どうでもいい
0718人間七七四年2008/07/29(火) 17:10:32ID:pQvDkx5f
>>710
例えば金の純度が100%の金貨と、50%しか含まれない金貨を「両方同じ値段
ですよ」って言われても納得いかないでしょ?

50%の方を同じ価値のものとして流通させるには、国がその価値を保証してやる
必要がある。現代のような高度に経済が発達して国の信用度も高い時代ならば
ただの紙切れでも貨幣として流通させることができるけど、当時は国というもの
にそれほどの信用はなかった。
0719人間七七四年2008/07/29(火) 17:18:14ID:4tVGHuEd
お金の形をしていても中身は物々交換だからね
純度が半分なら価値も半分
0720人間七七四年2008/07/29(火) 19:49:31ID:AARMxq1A
江戸前期の勘定奉行萩原だっけかな、貨幣悪鋳で白石に有名にされた。
あいつが「そもそも貨幣なんかは瓦でもよいのだ」と言ったが
これが政府の保障なんだよな。

まあ輸入した銭に頼っている戦国時代じゃあできない発想だ。
てか金本位とかドル本位とか現代まで貨幣の価値の裏づけが欲しいというのをみると
戦国時代が異常じゃなくて萩原の斬新な思想が異質なのかもな。
0721人間七七四年2008/07/30(水) 17:17:56ID:GyLX0QZz
>>718
てことは貨幣の製造コストを減らすために
金の比率を下げたらインフレになるってことですね?
昔の時代の商人にいまのアルミ硬貨を流通させようとしても
「金がつかわれてないから受け取らない」とか言われそうだな。
0722人間七七四年2008/07/30(水) 17:44:50ID:cfUR4bJS
世界中に例が満ち溢れているぜ >金の含有率減らしてインフレ
0723人間七七四年2008/07/30(水) 19:16:46ID:pOBVsXvh
なんで経済学講義スレになってんだよw
0724人間七七四年2008/07/30(水) 23:22:28ID:Xlyb8CGO
ロレンスの罠
0725人間七七四年2008/07/31(木) 00:40:23ID:/QBxp6N6
>>721
金の含有率減らしたからインフレ、というよりは、含有率減らした改鋳で市場の貨幣量が増えたからインフレ、
今でも「予算足りないからお札刷っちゃおうよ」ってすればインフレはくるし。
だから貨幣の素材はあんま関係ないと思う。

室町時代は 銭は勘合貿易で日本に入ってきてたんだけど、実は日本国王の取引(朝貢)しか銭は手に入らなかった。
(他の船の商取引は物々交換と明が決めてた)
それ故、銭のコントロールを将軍が出来たのだけど、戦国時代に入るとその慣習が破れて市場の銭が増えて
崩壊したんじゃないかなぁ…
0726人間七七四年2008/07/31(木) 06:58:49ID:jw//jvDN
>>721
アルミは電解精錬で作るので、当時は単離されていません
もし、当時にアルミを持っていったら、貴金属の扱いを受けたかもしれません
0727人間七七四年2008/07/31(木) 07:59:41ID:U7sD6EKN
200年位前には金と同価値くらいだったからねぇ
0728人間七七四年2008/08/03(日) 14:18:30ID:rSgKZV/p
大河の「黄金の日日」で茶器のオークションみたいことを秀吉が催した描写があるけど、
戦国時代に美術品や工芸品や茶道具などのオークションて、本当にあったのかな?

経済力と少しズレた話しだけど…気になる。
0729人間七七四年2008/08/06(水) 18:51:06ID:heyff3jM
そういえば信長の野望では当たり前のように
茶器が宝物扱いされているよな
0730人間七七四年2008/08/06(水) 19:56:39ID:bgceu/AM
そりゃ、信長に渡すのが嫌なあまり
茶釜に火薬詰めて自爆する武将がいるくらいだし
0731人間七七四年2008/08/07(木) 09:12:27ID:WMKVcqcu
現代の価値観からすると単なる粗悪品でしかないものが
信長・秀吉などがこれはいい物と言うとあっという間にプレミアム品に
0732人間七七四年2008/08/08(金) 00:06:28ID:1Iolb5Ey
ミノがこれはいい物と言うとあっという間にプレミアム品に
0733人間七七四年2008/08/08(金) 01:54:41ID:AVz5W1uK
はだかの王様みたいなものね
0734人間七七四年2008/08/08(金) 03:27:32ID:aHMLI2qq
呂宋壷なんて元をただせば痰壷
0735人間七七四年2008/08/09(土) 09:05:09ID:3n9QU4nC
壷の価値は何に使われたかではないよ
0736人間七七四年2008/08/19(火) 15:47:25ID:C1BoHsUI
それの価値が上がるのが不思議
0737人間七七四年2008/08/21(木) 01:04:26ID:ySDxplEB
欲しがる人がいれば、石だって高価になる。
0738人間七七四年2008/09/01(月) 15:36:43ID:GteRPVEN
それはそうだけどね。
0739人間七七四年2008/09/01(月) 15:43:25ID:JSFWahmg
そういえば江戸時代は奇石コレクションが流行ったらしいね
※あくまで「奇石」であって宝石ではない
おそらく中国の文人趣味の影響だと思うが。

現代でも極たまに『鑑定団』でスペシャルコーナーが組まれるが、
石ハァハァだけは理解できない・・・
0740人間七七四年2008/09/02(火) 00:18:35ID:ZdHZnvqs
石をラッピングしペットとして出荷して、
億万長者になった奴がいるのはアメリカだっけ?
0741人間七七四年2008/09/04(木) 22:12:17ID:XMDQur1e
石の話を見聞きすると「無能の人」(つげ義春)が思い浮かんでしまう。
0742人間七七四年2008/09/11(木) 17:08:37ID:wfiWtsMD
石で実際儲けた人もいたのかな?
0743人間七七四年2008/09/12(金) 15:06:00ID:tl2/vhTr
石屋って職業あるんだからそれなりに儲かるんだろう。
0744人間七七四年2008/09/24(水) 15:14:20ID:mdmLsuUA
確かにそれはそうだ。
0745人間七七四年2008/10/01(水) 14:49:44ID:3lDHh/Xi
戦国期は石屋の商売は盛んだったんだろか?
0746人間七七四年2008/10/01(水) 18:45:55ID:MYu/8xSl
清正みたいにチョンの石工を攫ってくるやつがいるんだからそれなりなんじゃね?
0747人間七七四年2008/10/01(水) 19:28:59ID:aHhfoP60
今では禁止されてるが、少し前まで長良川で丸石拾ってきて売る商売があった
今でも長良川の丸石は人気があるが入手手段が限定されていてそこそこの値で取り引きされている
0748人間七七四年2008/10/01(水) 19:56:00ID:1Nr9mGrF
石垣に使われてる様々な石(地蔵とか色々)からして当時の石不足はわかるね。
少なくとも良い商売になったろう。
0749人間七七四年2008/10/01(水) 20:26:14ID:goulzAc5
石不足というよりは経費と期間の問題でしょう。
他の城の石垣や櫓などを転用するのは経費削減や期間短縮に有効ですから。


0750人間七七四年2008/10/01(水) 21:11:10ID:hSOW49Bi
利根川の河原に転がるたくさんの石ころにも持ち主が存在していて
遊びにきて勝手にいじると怒られるから触るなと昔、言われた事がある。
0751人間七七四年2008/10/05(日) 08:45:40ID:aNpljaWt
金融危機 勝ち負けの構図

勝ち逃げ(強烈な取立てと慎重な融資で勝ち抜く企業)
中国銀行(本店 岡山市)

生き残り組(金融危機の中、他社を買いに回る勝ち組企業)
バンカメ ゴールドマン・サックス ロイズ ワコビア JPモルガン シティグループ

様子見組(現状、動きがない)
ドイツ銀行 JA バークレイズ(リーマン買収?) ゆうちょ銀行 クレディ・スイス UBS(身売り組に転落?)

身売り組(他社に合併されて何とか生き残り)
ベア・スターンズ メリルリンチ HBOS ワシントン・ミューチュアル モルガン・スタンレー

国有化組(国有化されギリギリセーフ)
AIG

倒産組(さようなら。あなたのことは忘れない)
リーマンブラザーズ 大韓民国
0752人間七七四年2008/10/05(日) 22:42:07ID:84V14ckD
0753人間七七四年2008/10/15(水) 14:31:05ID:YK0OFypP
>>750 え?何の話だい?
0754人間七七四年2008/10/15(水) 20:58:35ID:vY6bKSqQ
石の価値の話だろ
0755人間七七四年2008/10/24(金) 15:06:46ID:7SSzieig
価値有りって話だね。
0756たけのすけ2008/10/25(土) 19:22:52ID:9PMGylNy
銭不足っていうけど、銭の鋳造は、そんなに大変だったのかな?
原料の銅がない?技術がない?信長や秀吉あたりが、鐚銭集めて
鋳造すればいいと思うんだけど。表に天下不部、裏に天象10年とかにして。
0757人間七七四年2008/10/25(土) 19:37:36ID:cRF+tvZF
>>756
技術がなかった
特に大量に流通させるだけの量産技術が

後はそれを保証する政治基盤
0758人間七七四年2008/10/26(日) 09:29:47ID:6P8RNxYE
貨幣の信用は、それ自体の質とと、それに政権による裏づけのいづれかもしくは両方で決まる。

信長は天下統一しつつあっただけで、天下統一したわけではないから厳しいところはある。
秀吉がやらなかったのは、経済に疎いとしか。
幕府はまさに、銭の鋳造をさっさとやっちゃうわけだからな。
0759人間七七四年2008/10/26(日) 17:02:22ID:CcAbvnJ5
宋銭が流通したのも貨幣価値に信頼があったからね。
秀吉の金のあり方は経済ではなく見栄で決まるよね。


0760人間七七四年2008/10/26(日) 20:41:24ID:e6fma1J6
まあ秀吉は商売はわかっても経済はわかんねって感じだ
0761人間七七四年2008/10/26(日) 22:07:44ID:E3scPPFM
慶長通宝と駿河版の銅活字が鋳造されたのがほぼ同時期
このころに量産は難しいが、銅の精密な鋳造が可能になったと思われる
それ以前は金銀が限界だったんでしょうな
0762人間七七四年2008/11/04(火) 15:03:57ID:co1zhZ+F
銅の鋳造が一番難しいんだ
0763人間七七四年2008/11/04(火) 22:31:17ID:vWPBcFxZ
銅は金や銀よりも融点高い、ちなみに鉄はさらに高い
0764人間七七四年2008/11/08(土) 15:53:37ID:bOQn7ESz
>>756
当時(室町戦国時代)の日本では私鋳銭が存在していました。
つまり”銭を作る技術”は存在しています。

祇園社の銅細工師が検非違使に新銭(私鋳)の疑いで逮捕の記録(祇園社記1343)があり、
発掘でも京都市内の室町の住居跡から、”□和□宝”の鋳型が見つかってます。
また傍証になりますが、江戸幕府で銭を鋳造していた鳴海氏の由緒書には、
「足利義持公に永楽銭鋳造を命じられた由緒ある家柄」と書かれています。
そして銭の材料になる銅地金自体、日本が明に輸出していますので、国内に質の良い材料は豊富でした。

で、「なぜ自国貨幣が作られなかったか」については単純に「幕府に信用がなかった」だけ、かと。

当時”明銭”は額面(含有銅)以上の価値で流通し、また埋蔵金で見つかるされる銭の大部分が宋銭です。
「悪貨は良貨を駆逐する」の言葉通り、蓄財された輸入銭に対し、
私鋳銭(日本製)は市場流通の”悪貨”の部分を担ったと思われます。

つまり、自国で自前の通貨をつくっても、国民がそれを信用しなかったので、
わざわざ将軍が”明の貨幣を真似て銭を作る”状況になったのでしょう。
0765人間七七四年2008/11/09(日) 20:33:08ID:eUgxsmMF
>>764
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_09.htm
基本的に質的にも見劣りがある
0766人間七七四年2008/11/09(日) 23:32:42ID:reRFq9+L
京都の五味の市行けば私鋳銭手ごろに買えるよ。
明らかに薄くて質が悪いのがそう。本物も安いけどね。
0767人間七七四年2008/11/09(日) 23:39:16ID:vta37CtK
>>765
おいらは、中国銭経済は200年あまり続いているので、
室町戦国初期の銭納の時代は高品質(見分けがつかない)私鋳銭がかなりの量存在した、と思いますよ。

京都の銅細工の技術は主力輸出品”奈良刀”の飾りなどにも見られるように、中国製品と遜色はないものでした。
また捕縛の記録から自由気ままに私鋳することは出来なかったようですし、
私鋳には何らかの権威者が関わっていた可能性も大きいと思います。
そのような公の私鋳ならば、その質は相当のものであったはずです。

また、16世紀半ばに税が銭納から物納に変わった理由が多量の悪貨が氾濫したためなので、
この時期に日本各地で活発な私鋳が行われたのではないかと。
(当時安芸の国の小早川家でも私鋳していた様子があります)
中央の権威が一時期消滅(つまり戦国時代)に日本各地で様々な私鋳が行われた結果が”質の悪い”私鋳銭なら、
それまで室町幕府はしっかり私鋳銭の質の管理していたのでしょうし、
「将軍命令の銭鋳造」という話もそこらに関わることかもしれません。

そこで貨幣の信用に幕府の権威ではなく”中国”を持ち出したところに
室町時代の特色が出ているのかもしれませんね。
0768人間七七四年2008/11/10(月) 22:35:37ID:k7sUYbz0
それは事実でしょうが、当時の日本に大量生産する技術と資本がなかったのも事実かと
特に応仁の乱以降は技術の断絶・劣化は間違いなくあったでしょうし
0769人間七七四年2008/11/20(木) 15:45:54ID:LAaqX+q7
よくわからない部分も多いという事か。
0770人間七七四年2008/12/01(月) 15:11:03ID:hk9a/Un9
銅銭一つでも深いんですね
0771人間七七四年2008/12/03(水) 14:14:17ID:Pnb0C5SZ
主要都市の人口

西暦  平安京  山口  博多  堺  大坂
1350年 150,000
1400年 150,000 40,000
1450年 150,000 35,000 50,000
1500年 40,000 35,000 30,000 30,000 25-26,000
1550年 100,000 60,000 17,000 60,000
1575年 300,000 90,000 35,000 75,000 100,000

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
0772人間七七四年2008/12/04(木) 18:08:23ID:jZhxl0Tq
>>768
戦国時代の私鋳銭には二種類あったんじゃないかと。

まず 将軍家のつくる”公の私鋳銭”
鎌倉時代末から室町初期にかけて、銭飢餓(ぜにけかち)という言葉がつかわれたように、
市場に銭が払底した時代もありましたが、足利義満以降、
勘合貿易(これ以外には多量に明銭を手に入れる手段はありません)
により将軍家が明銭供給元になってからはある程度経済的に安定した時代が続きました。

で、将軍家が輸入したのは一文銭のみ、高額貨幣はまったくしていません。
一文銭と高額貨幣には含有銅に違いがあり、将軍家は”均一な品質の銅貨”を多量に必要としたのです。
そして一文銭含有銅の価値は額面の3割程度しかありません。

つまり、室町時代の明銭=将軍家の放出銭、というわけで、
当時の明銭は、そのものの銅価値や明の保証ではなく”将軍家放出の銭”という信用価値で流通したわけです。

で、将軍家支配下の都に明銭鋳造の遺跡が残っているのは、
若干の”水増し”を将軍家自身でやってたんじゃないかなぁ……と。
これがおいらの考えてる”公の私鋳銭”です。
これは、将軍家が明銭の流通を管理、つまり日本の経済を把握していた結果だとは思うのですが。
0773人間七七四年2008/12/04(木) 18:23:16ID:jZhxl0Tq
…つづき……

もう一つは 宋銭などの”法律違反な私鋳銭”
実際市場の主流だった宋銭は将軍家以外の貿易でも日本国内に流れ込んできました。
(台湾に向かった貿易船が銭を全部集めたので、台湾市場での銭が払底した、なんて話も)
銭の流通形態は、紐を穴に通した形で行われていて、私鋳銭はそれを水増しする形だったようです。

このような私鋳銭は鎌倉時代から隠れて多量に作られていたらしく、
たとえば鎌倉の大仏建立に寄付された銭を溶かして使用したとか、
本当に価値があるならソレで銅地金買った方が良いだろ、と思うような事例が見られます。
おいらはコレは品質の悪い私鋳銭の処分に近いのじゃないか、と……

まぁ、検非違使の取り締まりの例もあるように、一番生産力のある都での私鋳は禁止され、
地方も守護の目が光っていたわけで、その私鋳の規制はなされていたと思います。
ま、守護自身が私鋳したかどうか、はわかりませんが……
赤松家が幕府布告の座の権利保護を無視し国内商人を保護した例もありますから、まぁ……


で、なぜ銭経済崩壊は、将軍家による銭管理体制が崩壊したんじゃないかと。

戦国大名が守護の勢力を浸食することにより幕府のタガがなくなり、一地方豪族でも私鋳を始めるようになります。
しかも制限無く多量に生産し多量に使います。
たとえば小早川家の例では私鋳銭を銭一本の三割程度も混ぜていたようです。

現在残る”質の悪い私鋳銭”の多くが、この時代の産物じゃないかと思います。
0774人間七七四年2008/12/08(月) 15:32:47ID:JuLabz7O
随分くわしくありがとう
0775人間七七四年2008/12/13(土) 15:48:31ID:VCvU9ynn
江戸期に繋がる金銀銭の貨幣制度をつくったのは秀吉?
0776人間七七四年2008/12/14(日) 05:04:17ID:35aRDM3X
>>775
徳川幕府
秀吉は金銀銭の交換比率を定めていない
0777人間七七四年2008/12/17(水) 12:53:39ID:zYOMP6hT
金銀が貨幣として流通していない時分に、
何千・何万貫もの銭で物資を調達したりした時に、
それらの巨額の銭をどうやって運搬してたんかな?。
…そもそも、それほどの巨額な銭を調達する事が出来たんかいな?。
0778人間七七四年2008/12/17(水) 14:42:25ID:nD8ccZ92
為替の原型がある
0779人間七七四年2008/12/17(水) 23:25:13ID:ZCAJqvtS
鎌倉時代から為替があるな。
手数料かかるけど証文だけで済む。

持ち運びの問題ではなく銭不足で高額取引が出来なくなった室町後期は
東国では金、西国では米が代わりになってる。
0780人間七七四年2008/12/18(木) 03:45:14ID:DioOYYAX
それは銭不足というより、銭の価値を保証する幕府の権力低下も踏まえた、
銭の信用度の低下によるものじゃなかったっけ?>>779
0781人間七七四年2008/12/18(木) 04:19:58ID:rIM2lLSA
 明からの銭の供給の停止と、貫高制から石高制への移行って時期が大体一致してるんだよね。
 供給が止まれば必然的に銭の信用度も落ちる。(磨耗や損傷で鐚銭化する)

 東国ではそれでも貫高制が維持されたのは、米の輸送が陸路に限られていたので
輸送費で足が出てしまうため、銭の方が目減りせずにすんだかららしい。

 一方西国は瀬戸内海運が発達していたせいで安い輸送費で米が輸送できたので、石高制に。
 15世紀から輸入された明銭は西国では嫌われていて、
 宋銭は14世紀で供給が止まっているので磨耗や損傷で失われてゆき流通量が少なかったらしい。

 16世紀後半になると、西国では米遣いから銀遣いへ移行(大口決済が銀へ変わる。)
 米で決済するより、目減りが少ないのが魅力。
 東国では金が使われる。

こんな感じ?
0782人間七七四年2008/12/18(木) 10:22:26ID:qHdcP0IQ
豊臣秀吉や徳川家康は、米相場の価格操作でしこたま儲けたそうだが、
その当時に、それほどの全国規模の巨大な?米市場(江戸時代の堂島のような米市場)があったんですか?。
0783人間七七四年2008/12/18(木) 14:15:36ID:XMbzPyLc
>>781
銭から現物に移行してるよ >東国
関東では永禄年間に深刻な選銭問題が発生してそれまでの経済体制がほぼ崩壊してしまって維持されていない。
この手の事を検証しやすい北条で例を挙げれば、
永禄七年の反銭の米納を認めたのを皮切りに数年内にすべての税に現物納を認めている。
0784人間七七四年2008/12/18(木) 22:42:53ID:KzmBL4cw
>>780
そもそも幕府は銭の価値を保証していない。
基本的には中国で通貨となっているというのが信用であり、
西国で言えばアジア圏で貿易に使えるというのが信用。
だから、明が銀の流入で銅銭経済が崩壊し、特に新しい永楽銭の信用が
なくなったため、西国ではより古い貨幣、洪武銭や宋銭などを良銭と
見なしたわけだ。

>>781
強いて言えば、東国では時期的に新しく、流通量の多かった永楽銭を
良銭と見なしていて、比較的多量の銭が確保できたという事が大きい。
それでも最後まで銭による納税を維持した北条家でも最後は物納に切り替えた。
(なお、納税時期の直前に農民がこぞって米を売るため米価が下がり、納税のために
より多くの米を売るはめになるという、農民の生活を保護するためという事もある)

同時期に西国は永楽銭を悪銭と見なして古い貨幣を重宝したため、
良銭の絶対量が圧倒的に不足していた。
0785人間七七四年2008/12/18(木) 23:15:12ID:2goK0b+Z
江戸初期では銀の紙入とか成熟したっぽい流通の仕方をしてたから、
戦国時代から西国では銀が高額貨幣として流通していたと思っていたが違うんだね。
まあ、各銀山の銀の質が全然違うから難しかったのかな。
07867802008/12/18(木) 23:31:30ID:DioOYYAX
>>784
なるほど、勉強になった
そうか、明への銀の流入かぁ、なるほどねー

ついでに大内が結構大量に銅銭を輸入してたのは、どう影響あったんだろうか?
でも誰かの論文で、輸入量はさほど多くないと言う指摘もあったようだけど・・・
0787人間七七四年2008/12/18(木) 23:41:24ID:oV1Nv+AS
もちろん、秤量貨幣としては使われていたよ。
銀の重さが何グラムだからこれだけの価値ってね。金も同じ。
でも明の貨幣経済を崩壊させるほどの銀が日本から輸出されたってのは、
なんだか不思議な気分だね。

日本で初めて、刻印された額面通りの価値がある計数貨幣を作ったのは、
武田信玄だろう。領内の秤を統一して、その秤を基準に、金貨を規定の重さで
鋳造する。額面と重さが一致しているから、いちいち計量せずに使える。
単純な話だけど、他に誰も成し得ていない。
しかも、単位が1両=4分=16朱=32朱中=64糸目=128小糸目=256小糸目中で、
当時の金の価値が1両あたり3〜4貫とすると、かなりの小額までカバーしている。
銅銭不足を、金貨で補ったということなのだろう。
0788人間七七四年2008/12/19(金) 00:08:02ID:glm2gws2
>>787
ただ、銀の重さを量るのも当時は難しいんだよね。
石見銀山の銀の含有量は90パーセント以上だけど、他はもっと低かったり。
江戸時代以降は均質になっていったからいいんだが。

まあ、銭も計数貨幣なので、金の計数貨幣という話なら多分そうだろうね。
0789人間七七四年2008/12/19(金) 14:55:39ID:u+aGWaK+
織田信長は、武田信玄が甲州金を鋳造して
領国内に流通させたように、
金銀で貨幣を鋳造して領国内に流通させなかったのでしょうか?
0790人間七七四年2008/12/19(金) 16:59:09ID:S6R1tLZG
鉱山資源って今も昔も大切だね。
金鉱脈から金を産出する場合1tの鉱石から0.3〜10gと鉱山によって
まばららしいが、3g取れる鉱山は超優良。鉱石1t取るには普通の土
も取らないと行けないから超大変。

因みに携帯電話1tから取れる金は300gはある。その他にも携帯はレア
メタルの宝庫。日本は分離分解する技術はあるのだが、なぜか中国に
そのまま大量に流れてるらしい。
0791人間七七四年2008/12/19(金) 17:04:37ID:S6R1tLZG
>>789
結局、金銀で貨幣を鋳造する事よりそれを流通させる流通経路の確保
こそが重要で、信長の軍事行動を見ていけば非常に上手く流通拠点を
確保している。武田も必要に上野に拘ったのは上野が日本海と関東を
結ぶ貴重な陸の流通拠点だったから。後年駿河に侵攻したのも流通経
路の確保の為だね。
0792人間七七四年2008/12/19(金) 18:09:48ID:u+aGWaK+
>>790 日本の金山の金鉱石は、
外国の金山の金鉱石に比べてかなり優良(金鉱石に含まれている金がかなり?多い)だったそうだ。
0793にゃんこ2008/12/19(金) 21:14:26ID:f99iQoy+
791>

流通経路重視なら
1,伊勢
2,美濃
3,近江

となるはずだが、実際は

1,三河(松平の妨害で挫折)
2,美濃
3,伊勢

だったのだが。
0794人間七七四年2008/12/19(金) 21:57:57ID:4mr2n0pr
>>739
人間、生命力と好奇心に溢れているときは人間に興味を持つ。
少し疲れると、人間よりは単純な動物に興味を持つ。
さらに疲れてくると、動かないが育ちはする植物に興味が移り、
もっと疲れてくると、石や器など動きも成長もしないものに手を出すようになる。

おまいさん、まだまだ生命力がたっぷり残っているんだな。ウラヤシス。
0795人間七七四年2008/12/19(金) 22:04:36ID:k4i3tUVM
>>788
銭は一枚が一銭というだけで、例えば5と書いてあれば五銭、10と書いてあれば
十銭という使われ方はしないので、計数貨幣ともちょっと違うかと?

>>789
信長は京都で永楽銭を良銭にしようとしたり(当時の京都では真逆)、どうやら貨幣政策には
疎そうですな。

>>791
貨幣は所詮は媒体でしかないから、大事なのは人と物の流通やけどね。
それは信長はよく理解していたと思う。
0796人間七七四年2008/12/23(火) 05:10:28ID:SQt12CWO
>>786
日本の銀の流入が明の経済を変えた、というのもちょっと微妙な話かも?
銀というのは元々大陸の交易通貨(モンゴルとか元とか)でした。

明では当初、銅銭=紙幣の二本立て経済だったんですが、
そこに日本が一文銭ばっかり多量に買い占めたものだから
中国国内の銭の交換レートが乱高下して経済大混乱、
たまらず銀=紙幣に移行した結果、銅銭を作ることをやめちゃったから
日本の銭もどんどん”びた銭”ばっかりに……
…とみる説もありますよ。

ちなみに清の時代に”銭”は復活したんですが
その国内生産量は少なく日本の寛永通宝(鉄銭)が輸入され、
室町時代とは逆の状況になってますね。
0797人間七七四年2008/12/23(火) 12:42:40ID:xmAuVV1D
日本は貨幣が欲しくて、ちょうど西日本には腐るほど銀があったから、
どんどん交換。明は銀びたしになって銀経済に移行。貨幣の価値暴落。
日本でも貨幣の信用失墜。

石見銀山恐るべし。サブプライム級だな。
0798人間七七四年2008/12/23(火) 17:28:41ID:BO6s0ZsR
石見銀山を保有していた毛利家と、
豊臣政権下で最大の石高を所有していた徳川家と比べたら、
何となく毛利家の方が金を持ってそうな気がする…。

…徳川家は、最大の石高を所有しているが、
その実、関東の土地は痩せていて、米の生産に適した土地が少なかったし、優良な鉱山等も無かったと思うが、
毛利家は、米の生産に適した土地が結構有りそうだし、
石見銀山等の優良な鉱山を所有し、
交易でも結構稼いでそうだから、
徳川家より金は有りそうに見える…。
0799人間七七四年2008/12/23(火) 18:02:49ID:vffLpkC4
田と畑の収穫量を合計したのが石高なんで、農業生産力はほぼ石高通りと
見て良いと思うのだが。
0800人間七七四年2008/12/23(火) 21:56:38ID:KPps0NgH
米雑穀類の農業生産力は石高通りだとしても金はあったんだろうな
石見銀山とたたら鉄とあとは赤間が関・美保関・厳島・鞆津からの運常金
尼子の本拠を数年がかりで包囲、大友との10年以上の筑前豊前攻防、
本願寺側面援護、織田羽柴方面軍と尼子復興軍との攻防、四国征伐への従軍、
九州征伐への従軍、広島城築城、2度にわたる朝鮮出兵
これだけやってなお関ヶ原前夜に数万動員、どさくさに紛れて伊予征伐しようとする

0801人間七七四年2008/12/25(木) 18:37:24ID:RkYW8zdB
残念ながら毛利は秀次や家康から大金借りまくってたから
0802人間七七四年2008/12/25(木) 20:43:20ID:79l/5ufn
毛利家のやりくりとして、家臣から借金して新領で返すという
自転車操業が、特徴として挙げられてたような気がスル。
0803人間七七四年2008/12/26(金) 14:07:03ID:xfenYw8f
北条の税制は
村高-控除分=税でいいんだっけ?
(村高-控除分)×税率=税だっけ?
0804人間七七四年2008/12/26(金) 15:05:05ID:62tAo2vR
(村高×税率)-控除分=税 じゃないか?
0805人間七七四年2008/12/26(金) 15:59:58ID:xfenYw8f
仰るとおり、
(村高-控除分)×税率=税
よりは
(村高×税率)-控除分=税
のほうがただしいっぽい。ありがとう。


でも、それで北条の税収を計算してたんだけど、全然上手くいかない。
反銭+懸銭+棟別銭=税らしい。
反銭・懸銭は
畠貫高×6%=懸銭
田貫高×8%=反銭
ということだけど、なんだか少なすぎる気がする。
棟別税=(狭義の)棟別銭35文+正木棟別銭20文。
一軒あたり55文。仮に一人暮らしで二反の田を耕している人がいるとする。
北条では一反あたり500文の貫高だから二反で一貫。
税は一貫の八%だから80文。で、計135文。
一反あたりの米が取れる量は一応一石といわれてる。
(ただし、この時代はもっと多いかも。)
で、米の値段だが、安めに見積もっても一石1200文。(関東は物価高)
135÷2400×100で5.6%と異常に低い税率がでてくる。

これに夫役とかもかかるんだろうけど、いくらなんでも安すぎるなあと。
もしかして、田一反あたり500文が税なんじゃない?と思ったのよ。
0806人間七七四年2008/12/26(金) 17:46:23ID:fpOQFjr/
織田信長は、あれだけ同時多発的に地方攻略を目指して
天下統一事業を推進していったが、
統一戦争と同時に、
領国内のインフラ整備や国力の充実、軍備の充実等に力を注がなければならないから、
普通の戦国大名とは桁違いの費用が掛かったと思われるが、
彼が領国経営等の経費の補填に苦慮した事は無かったの?
0807人間七七四年2008/12/26(金) 19:02:05ID:j5i3BO2a
>>801
そんな話は初めて聞いた。どこから得た情報なのかな?
0808人間七七四年2008/12/26(金) 19:31:02ID:AKYRcff/
>>805
後北条は、永楽銭本位制(選銭して永楽銭の価値を今までより高く設定)ひいて、
それを元に貫高決めたから、税の銭は”永楽銭表記”じゃないかなぁ。

その米の取引値段の銭はびた銭じゃないかなぁ、調べてないので想像だけど……
0809人間七七四年2008/12/26(金) 20:22:56ID:UoKw2k16
確か1反500文は年貢高だったかと。
つまり、500文が年貢
反銭はたしか田畑を耕作すための税だったような。
これら合計で四公六民というそれまでで最低税率になったという話だったような気が

記憶があやふやですまぬ
0810人間七七四年2008/12/26(金) 22:09:08ID:xfenYw8f
>>808
一石一貫が基本的な相場だね。
一石1250文が元亀年間の京だと思うんだけど、こちらも選銭が起こってデフレの時期。
恐らく805の割り算の分母はこれより大きくなる事はあっても小さくなる事は少ないと思う。
ただ、こっちも関東の物価を知ってるわけじゃないので間違いはあるかもしれない。

>>809
それなら納得できる。
反銭+懸銭+棟別銭=税ってのが間違いなのかなぁ。
0811人間七七四年2008/12/27(土) 00:00:15ID:5igIWPaZ
>>805
>もしかして、田一反あたり500文が税なんじゃない?と思ったのよ。

その通り。で、プラスアルファとして段銭、懸銭、棟別銭があります。
一応領内の基本的な米の売値が定められていて、ちょっと詳細は忘れてしまったが、
以前、実質税率を計算してみたところ、結局収穫の4〜5割程度という結論になった。
ただ関東は二毛作可能だからマシ。その分は純収入になるから。

上杉家(越後は雪のため二毛作できない)は一反を700文で評価してたとか
聞いたことがある。

>>806
単純に言えば、商人から巻き上げた。例えば上洛直後に堺から2万両、本願寺から5000両を
巻き上げ、拒否した尼崎を焼き討ちしたが、武田信玄の上洛資金が7000両だったとか、
上杉謙信が遺した黄金が2万両だったというから、こりゃちょっと大変な金額。
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