戦国大名の経済力
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0532名無し三等兵
2007/12/29(土) 20:15:52ID:+tpd+OO4<江戸時代の創作
明智光秀家中軍法は、福知山市内の他、尊経閣文庫からも同じ内容のものが
見つかってるんで、けっこう信憑性は高そうなんですけどねぇ。
越後長岡藩の軍役は「百石で10人」(もちろん、千石で100人じゃないですよ)。
当然、国内⇒隣国⇒遠征と出兵先に応じて減らすことも十分あったでしょう。
そのあたりから考えていくとそれほど無茶でもなさそうです。
<遠征の人数は絞れ
それじゃ、佐久間専務が解雇されたときには、公開された【折檻状】で、
「加増してやったのに家来を抱えず、寄騎ばかりを使っていた云々」と
問い詰められてますよね!?
(他にもたくさんほとんど言いがかりみたいな条文はあるんですけどねw)
おそらく、戦には専業の家臣団を使わせて農民の動員は控えさせたのでは?
臨時非常勤の百姓兵&軍属よりも、プロの戦闘員の方が農繁期・農閑期に
関わらず長期戦も遠征も安心してできますから。
やはり餅は餅屋ではないですが、農民にはしっかりと田畑で耕作させて、
納税という形で使った方が得策という判断だったんじゃないですか?
*江戸初期に細川候は、「国元から百姓を幕命の普請の現場に連れていくより、現地で
日雇(人夫)を雇う方がいい。日傭の方が賃金も高く、すぐに怠けるが、百姓には国許で
農耕や治水工事に精を出させた方が藩全体の経営には好ましい」と言ってますから。
<食料家臣持ち自弁から、織田家による組織的補給
大遠征になれば自弁の食料だけでは不可能でしょうね。
株式会社上杉興業みたいに「略奪!」ってわけにはいきませんから。
もっとも上杉興業の略奪は雪国で貧しい(=裏作のできない)越後住民の
口減らし乃至出稼ぎだった要素が非常に高いですね。
他国を荒らす分には自国の食料も減らず、略奪による現物(人間含む)給与で
越後勢は潤い、脅威対象国の国力を低下させ得る訳ですから、一石二鳥。
但し、間違っても天下は取れません。彼にもそういう希望は無かったようですし。
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