むしろ家康側が引いたのだと思うが。家康の見解では、勝ち20%、負け80%。
数と人材を見ていれば、全面戦争を考えれば、それくらいの予測はつく。

家康の目的は「平和の世の中を作ること」で、無意味な戦争はしないというのが、家康のやり方。家康は私欲の争いは好まないから。

秀吉の政治は恐怖政治。逆らうものは片っ端から殺し、利益を追求する政治。
家康はそれが大嫌いで、平和で民のための政治を作るために、秀吉の前では頭を下げたけど、死後に決起した。このようにとらえれば筋が通る。