◇◆◇蒲生氏郷を語ろう◇◆◇
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 21:54:22ID:eq6lCaHi0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 21:56:38ID:FsEUcrwE諸説あるようだが・・・
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 22:11:50ID:TOfKt/Mw小田原の戦いの後、蒲生氏郷は秀吉から会津92万石を与えられた。
会津は元々蘆名氏の領地だったのを、伊達政宗が攻め取った地である。
小田原参陣で遅れたために秀吉から取り上げられてしまったのだ。
それが「そっくり氏郷に」と思うと政宗はなんとも悔しい。
そこで事あるごとに氏郷にたてついた。
奥州の一揆を煽動して氏郷を会津から追い払おうとしたが失敗。
次は境界線についてイチャモンをつけた。阿武隈川をはさんで安達ヶ原と黒塚である。
政宗は、安達ヶ原は蒲生領だが黒塚は伊達領と主張した。
この時氏郷は少しもあわてず、
みちのくの 安達ヶ原の 黒塚に 鬼これもりと 人や見るらん
という平兼盛の歌を引き合いに出し、黒塚は安達ヶ原に属すとして見事に勝った。
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 23:21:21ID:ZIlO7xAW早死にしなければ面白そうだったのに惜しい
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 00:07:51ID:bc0ZVmhZ0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 01:09:49ID:isCYv3bM葛西大崎一揆討伐の際、氏郷は、一揆軍と一緒に政宗に挟撃され、殲滅される
のではないかと怯え、ノーローゼ状態に陥った。(名生城の戦い)
氏郷は名生城(いまの宮城県古川市)に立て籠もったまま、いわゆる「ひきこもり」
をしてしまったのだ。城を出たら、政宗にブチ殺されると本気で信じ込んだためだ。
浅野長政が、両者の間に立って仲介したが、氏郷は伊達の重臣国分盛重と伊達成実
を人質に差し出すという条件で、ようやく城からはい出てきたといエピソードが残って
いる。
氏郷の若死には、十歳以上も歳の離れた政宗に翻弄されまくた、そのストレスも相当
影響しているに違いない。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 09:54:14ID:lxbGn9wB0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 11:08:18ID:/5aHy8SP0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 11:47:55ID:iYtDYcGt0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 12:09:22ID:o0xj65jMレオ様は会津のものだ
松坂には渡さん
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 12:40:19ID:vwh8V7Ia小早川隆景、直江兼続、蒲生氏郷、竹中半兵衛、片倉景綱
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 12:43:37ID:kJEuU5z/0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 13:47:16ID:e01Hg6av朝倉宗滴追加希望。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 13:53:11ID:ozbNQyDE登り詰めた近江日野の武将。
だからこそ、突然の死には何やら焦臭いものが・・・
毒殺説が多く語られているが、そうだとすれば誰の手によるものか?
その才を恐れた三成、秀吉によるものか、天下取りの支障となると考えた
家康と正宗によるものか?
関連付ける史料が無いので憶測でしかないわけですが、
仮に氏郷が生きていれば家康が天下を取れなかったと考察される史家の方もおられます。
豊臣秀長・小早川隆景・前田利家らの名前もあげられますが
これらと並び称される氏郷は非常に優れた武将だったのでしょう。
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 14:10:39ID:3QIq9oC+信長に才を見出されたと言っても織田家の政務に参加していたというわけではないし
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 15:06:50ID:ozbNQyDE信長は娘冬姫を娶らせた。あの信長が若くして一門扱いだから、優れていたんじゃないの。
ただ基本的に優れた人とは言っても、時期天下人なんて誰も言ってないが。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 16:21:35ID:B6nXPAy5茶道やってたし風流だな〜。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 16:24:38ID:/5aHy8SP信長の野望や太閤立志伝で配下にしたらナンか得した気分になれる
能力的には半端なんだが使い勝手がいい
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 16:31:48ID:OWLcPYEh奥方も絶世の美女だし周りも羨む美男美女夫婦であったろう
まさに戦国エリート
それでいて下々の者にも優しく戦にでれば勇猛果敢
レオ様ステキ☆
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 16:36:33ID:Iti+gnNj0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 16:39:52ID:un127B/70022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 16:43:58ID:OWLcPYEh0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 16:46:02ID:o0xj65jM0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 16:48:05ID:t60Yxxc+信長の娘婿っていう以外にどういう理由が?
何か特別な大功があったかな・・・?
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 17:48:56ID:o0xj65jM氏郷も初陣以来なんの失態もないし各地できっちりと成果をあげているから
10万石やそこら貰っても何の不思議もない
あとはやはり左遷だな
逸話みたいに豊臣の天下を奪われるとまでは思わなかっただろうけど
氏郷は織田系列には顔が効くし、上方では知られた名族でもあるから
影響力は少なくない
その上、前田や利休など秀吉の側近ともやたら仲がいい
そしてなにより秀吉に忠誠心が全くない
このまま上方に据え置くのには面倒な存在であったと思う
でも罪があって飛ばすわけじゃないから代替地は大封をあてがわなければならなく
それで会津に40万石以上も与える事になったのかと
後は東北の平定に功があったのと
僻地に送った安心感、懐柔の意味も含めて加増していった結果92万石まで成長したと言ったところだろう
氏郷は大の家康嫌いだったから関東への牽制の意味もあっただろうね
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 17:58:01ID:/5aHy8SP0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 18:14:28ID:/5aHy8SPこころみじかき春の山風
蒲生氏郷 名将言行録
いいな〜この句意味深くて
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 18:16:21ID:isCYv3bMチャプター1 フェラチオ
男優さんの乳首舐めからはじまりキスと耳舐めシーン、耳舐めのシーンで若干男優さんの目が写り込みますが殆ど問題なし髭もそってます。
徐々に下へクチビルを這わせて太ももの辺りまで、それからフェラチオ&手コキ カット割りによる客観映像の挿入は有りませんが
カメラがクチビル舐めやフェラチオのシーンで、左斜め横と正面から寄るシーンが多いのである意味客観映像かもしれません。
最後は、クチビルを寄せ舌を出しながらの手コキでフィニッシュです。
このシーンでは、乃亜は淫語どころか一切の台詞を喋りません、また男優さんですがフィニッシュシーンも含めて、吐息、うめき声、台詞、喘ぎ声一切無しです。
チャプター2 からみ
ハメ撮り風味の主観映像です、男優さんの台詞はありませんが、吐息と喘ぎ声がモロに入っています。
チャプター3
スカートをたくし上げ立っている乃亜が尻を男優さんに突き出して、普通に男優さんの顔が映っていますが、このシーンでは
舐めてるシーンよりも、正面の乃亜の顔のアップや、舐めてるシーンもアップで男優さんの顔が余り映ってはいません。
反対に向きカメラに尻を突き出しながらパンツの上フェラシーンへ それから男優さんに馬乗りになり股間を押し付けていきます。
そのご男優さんのクンニシーンと、乃亜のフェラチオシーンへ 多少男優さんの吐息が漏れフィニッシュシーンは呻きます。
まったく主観映像ではない客観映像です。
チャプター4
こちらもハメ撮り風客観映像による絡みです、フィニッシュシーンを含めた比較的男優さんの声は抑えられています。
化粧と髪型で顔の印象が、自分がしっている乃亜とはかなり違っていたのでちょっと驚きです。
最初のフェラシーンだけ主観映像なので、ファンの人意外はまったくおすすめできません。
主観派AVファン集まれ!
http://pie.bbspink.com/test/read.cgi/avideo2/1150016631
http://www.h01.i-friends.st/index.php?in=yumitan2005
ジャンル検索 - 主観アダルトビデオ総合カタログ
http://vreal.aphro.info/pu/Genre/
あと、このページは誰でも編集できますんで、良ければ皆さんご協力よろしくです(=´ー`)ノ
ただ、その中でも「完全主観」となる9,hhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 18:46:29ID:+3k1xuuuhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/349-545
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 19:41:05ID:1V908Nmw0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 19:53:36ID:DcsLMK3M0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 20:02:29ID:/5aHy8SP信長はバイだったのかい?
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 20:08:23ID:DcsLMK3MS玄とか一部が有名すぎるだけw
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 20:30:37ID:OfSQQDC5やったと思われるのは井伊直政ぐらい。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 21:38:43ID:/5aHy8SP0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 21:49:09ID:FtdBz1Edいかにもウホッとボーイズラブが喜びそうなシュチュエーションですな!
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 21:54:59ID:/5aHy8SP0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 21:56:25ID:FtdBz1Ed0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 21:58:30ID:DcsLMK3M0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 21:58:46ID:/5aHy8SP0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 22:01:48ID:FtdBz1Ed想像なんてしたらゲロっちゃうだろ(笑)!
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 22:37:24ID:/5aHy8SP0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 22:38:48ID:8qbvYyR10044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 00:34:27ID:i+/tTTgj結局秀吉に都合のいい駒だったように見える・・・
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 12:56:40ID:NpbxHaEH「大領であっても京に遠くては天下は望めない」と言った逸話
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 14:15:44ID:wYili8uJ0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 15:13:53ID:33y25cSj0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 15:37:50ID:KWNj/8k4「天正一八年には、氏郷は三十五歳、政宗は二十四歳。然もいずれかと
いえば、政宗は歳においては、十二歳の年下であったが、その世態人情
に通暁した点においては、とても衿貴、豪邁なる一本調子の漢たる、氏郷
の比ではなかった。彼は蜘蛛の網を張る如く、八方にその手を広げた。
企て得られるだけのことは企て、なし得られるだけのことはなした。悪魔と
会食する時には、長匙を用いるべしとは、彼に対する適当の言だ。氏郷が
この煮ても焼いても食われぬ代物を相手として、一揆の討伐に従事したのは
すこぶる同情に値することであった」
(徳富蘇峰「近世日本国民史」)
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 16:17:23ID:y1OWdKvL氏郷は一流企業の御曹司で京大卒
政宗は土建屋の息子で東北大卒
俺の家は金持ちで東北大でてんだぞ
と田舎でふんぞりかえってたら
なんかもっと凄いのがやってきて
しかもオシャレでイケメンときてる
政宗は金のネックレスに金の腕時計で金かけてオシャレ気取ってるつもりだったが
氏郷の洗練されたいでたちに愕然
ちくしょう…東北じゃ俺が一番なんだあ!
とばかりに嫉妬の炎が燃え上がったのだろう
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 18:19:23ID:UxGhIFdY0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 21:30:26ID:HOqz1wlt0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 22:23:37ID:H4dobJLR0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 22:47:19ID:nwhwOJDk蒲生治秀
蒲生長秀
弱っちそうな平凡な名前になってしまう。
だが『郷』がつくとスマートになるのが不思議w
蒲生治郷
蒲生長郷
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 01:09:40ID:XNZWezNj蒲生氏郷って名前はスマートでセンスいいよ
>>52
そういわれてみれば氏郷と政宗って趣味や好みが似てるね
まあ、性格が全く違うけどw
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 11:49:14ID:dUnjHy6e0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 17:01:40ID:By06lUtKそうすると徳川の時代は来なかったかも・・・
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 17:15:56ID:KA/Jpw2W早世して良かったかもしれんね。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 17:32:25ID:XS/TtX66それ以前に性格的に国造りが好きだったんだと思う、あと領土の概念について政宗と比べると、氏郷は上から与えられるもの、政宗的には切り取るものと言う覚悟の違いからくる考え方のシビアさが足りないように思われる。
天下人たる資質と資格があっても本人にその気が無ければなぁ〜強いて言えば環境が氏郷の敵だったような気がする…若い頃は恵まれ過ぎて、壮年時に伊達との争いで神経擦り減らしてりゃ長生きできんわな。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 20:20:14ID:XNZWezNjいや、立場が全く違うだろ…
切り取るもなにも蒲生はそんな事できる権限ないし
氏郷なんかは元服前に御家が滅んで自家は取り込まれてしまうわで
人質からスタートだからな
しかも相手は織田家
上方は激戦区になり織田家中自体も激戦区だから
頭角を現すだけでも一苦労
一家臣に過ぎないから上からの指示がなければ活躍の場すら与えられない
とても恵まれていたとは言えない
0060中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/07/15(土) 20:31:55ID:LCV3CzAR蒲生氏郷はユダヤ人を家臣にしていた
0061奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/15(土) 20:53:49ID:JflY9Z2l0062中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/07/15(土) 21:09:56ID:LCV3CzAR0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 21:32:06ID:P5W3jYqjあーそれぴったりだなぁwでも氏郷も
いかにも中央から流されたエリートって感じで、粋がってる政宗に対して
無視すりゃいいのを鼻で笑ったりしてチョッと大人気ないよねw
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/16(日) 09:31:14ID:pd1S96Hi毒殺を疑ったり、名生城に立て籠もったり。
晩年はちょっと可哀想になってくる。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/16(日) 11:33:11ID:tiK8e/YZ0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/16(日) 13:41:37ID:n7yKb2Hv0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/16(日) 20:47:22ID:e+/qL6qe氏郷の容態が悪いから秀吉が曲直瀬を送って診療させた
曲直瀬が帰った後に血を吐いて死んだから
秀吉の命令で毒盛ったんじゃないかと京で噂になった
当然事実無根で噂好きの京人が面白がって騒いだだけで
秀吉も曲直瀬もいい迷惑だったろうなw
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 02:37:20ID:OvNvrQvk娘を嫁に出してるし仲が良かったらしいです
それで西の宇喜多、中央の前田、東の蒲生のラインで家康に対抗する
つもりだったみたいですね、他には細川や加藤清正などもいます
早死しなければ面白かったと思います
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 20:29:51ID:r9bbeio10071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 15:30:42ID:qbmmhAek伊達政宗は、1589年に会津に攻め込んだ際に会津の寺院を焼き払ったりと暴虐の限りを尽くしたので、地元では人気ない。
聞いたところによれば、大河ドラマ『独眼竜政宗』は会津では視聴率が悪かったとか・・・
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 17:31:25ID:eEoVUw2W石高を減らされたという話は本当なのだろうか
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 19:16:24ID:ZozRKDF/それならもっと他に例がありそうじゃないか?
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 19:36:20ID:ZR9NUgIlあはw
ソースは?
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 19:42:50ID:+L2XLloa心の拠り所がマンせー妄想小説だし、大昔の事でソースソース言う事が意味がないこと理解しようね
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 19:50:48ID:FYuD3tCTコピペしかできないバカばかり
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 20:28:00ID:eoHQVO4R江戸時代は搾取され続け
会津戦争では徴兵され
四民平等の後、教育勅語において学校教育を受けてみれば
その先生はかって自分たちを搾取していた武士層の人間
で、彼らに「会津武士魂」を言う名の敗者の妬み思想を植え付けられて現在に至る
まぁ薩摩も似たようなもんだけど
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 20:33:24ID:HOY593F+明治で勝ち組になったにも関わらず
何故か今でも行動原理は中央に対するルサンチマン根性
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 20:44:14ID:4J+6crZL0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 21:17:32ID:LwdFnf7vなんでこの人はこんなに若くして92万石なの?
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 21:20:04ID:eEoVUw2W思ったけど、堀と蒲生って似てるよな。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 21:24:46ID:LwdFnf7vああ なるほど。
よく考えたら山内は現場の人だから
一定の数値以上になりにくいのかな。
堀やら蒲生やら目付けに仕える戦以外もできる奴のが
最終的に出世しやすいのかもしれん。
理系と文系の差みたいに。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 21:40:59ID:poWDRZHy早い時期から秀吉につけられたからね
掘や蒲生は同僚だけど
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 21:46:08ID:LwdFnf7v0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 01:02:43ID:UOCD8s1cまず、織田家の人質時代に信長に気に入られることから始まって、娘をもらうに至った幸運。
戦績は、まず、小牧長久手合戦の功績によって松坂に12万石で、
九州征伐、続く小田原征伐で会津に40万石、その後最終的には92万石の領主になってる。
人間的には、戦陣では常に先頭に立って指揮し、自身が突撃するほど勇猛果敢でありながらも、
その反面で和歌や宗教にも通じ、茶の湯においては千利休とも交流があったという、
正に文武両道の武将であったといわれてる。
政治面では、信長の手法を見習うように、会津において商業の発展に大きく尽力し、
一方で鶴ヶ城の整備にも力を尽くした。漆器と酒造なんかも氏郷がもってきたものだし。
でも40歳の若さで死んだ。暗殺とも言われているほど、周りから(秀吉?家康?)その才覚は恐れられていたのかもしれない
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 01:11:17ID:YMmgDnxSもちろんそれだけではないが
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 03:55:45ID:27Tguo7F0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 06:24:12ID:FNhcHjnq関ヶ原まで生きていれば、上杉よりましな対応はできただろう。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 12:12:25ID:hQRXivKd何が気に入らないのかしつこくちょっかい出してたけど
逆にどんどん氏郷はでかくなってるしw
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 13:19:48ID:0910DIM8尻をかまれたチワワが、泣きながら遠く離れた飼い主の秀吉に
いいつけに奔ったわけだしw
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 14:09:19ID:UOCD8s1c同じく「奥州仕置」によって大崎・葛西30万石に封じられた木村吉清の領地で、
秀吉に領地を没収された大崎義隆の旧臣たちが蜂起し『大崎・葛西一揆』が勃発。
氏郷は奥州仕置奉行であった浅野長政からの鎮圧軍派遣要請に応じ11月2日に出陣。
また伊達政宗も兵を率いて出陣し11月14日に氏郷と政宗は軍議を開き合意する。
だが翌日、政宗が「氏郷暗殺」を企図しているとの極秘情報がもたらされ、
氏郷は名生城を攻撃し陥落させるとそのまま兵5000と共に篭城した。
この氏郷の動きのため単独で軍事行動を取る伊達軍であったが、
11月24日、一揆軍は伊達軍が接近すると抵抗することなく退却。
これら一連の不審な動きの一部始終をつぶさに監視していた氏郷は、
さらに政宗から一揆方に出された直筆の檄文を入手したため秀吉に対して
「『大崎・葛西一揆』は政宗の謀略である」と報告した上で、
一旦、政宗と和睦した上で会津黒川へ帰還。
政宗は天正19(1591)年に秀吉から召集され、
有名な「鶺鴒の花押」の釈明で切り抜けることに成功し、
逆に氏郷が吉清を助けなかったことを叱責されることになってしまう。
吉清は領地を没収され、その領地は政宗が手にする。
一方、氏郷は失意の吉清を家中に迎える
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 14:58:56ID:DwWkiW+7上杉征伐みたいに家康に因縁ふっかけられるんじゃないの?
仲わるいしさぁ
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 16:07:58ID:hQRXivKd氏郷は秀吉も猿呼ばわりしてたし家康もケチ呼ばわりしてたけど仲悪かったわけではない
ただ、そう思ったから言ってただけ
無論好きではなかっただろうけど
だが、本能寺の後は明確に秀吉を支持してる
関ヶ原でも家康に間違いなくつくだろう
感情と政治を混同するタイプじゃないからな
そもそも氏郷の嫡男は家康の娘もらってるし
豊臣への忠誠心も皆無
家康としても仲間に引き入れようとはしても、わざわざ敵対する理由はない
実際家康は後に蒲生家を優遇してるしな
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 16:11:42ID:AjfjmkY7つか氏郷が生きてたら家康の方が先にくたばってたかも
利家と家康がガチンコしそうなとき(結局は回避)
氏郷が生きていれば間違いなく戦をするべしと言っただろう
そして自ら先陣を買って出て家康とやりあってたハズ
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 16:57:16ID:mi31yAi20096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 17:37:49ID:mxAHXvQ20097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 17:44:16ID:PWKlgIqRどうでもいい奴に限って長生きする
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 19:12:09ID:mxAHXvQ2どうでもいいわけないだろおー
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 19:25:24ID:kmd/Tkpd0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 23:37:31ID:/W8146eV氏郷にとっての理想の天下人像はやはり信長なんだろうね。
氏郷は心の中で秀吉や家康をバカにしてたっぽいし。
てか氏郷夫人の「冬姫」って信長の長女だった覚えがあるけど、信康夫人の「徳姫」は
次女かな?
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 19:58:17ID:0gH/U+bB冬姫が次女
と一般的には言われている
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 21:41:21ID:1Iu8nY9J秀吉が京都に大仏像を建立した時のこと、氏郷は石垣用の大石材を寄進した。
それは近江の三井寺の山上から京都まで綱で引きたててきた、という巨岩だが、
この引綱作業には、何百何千という家臣・人夫にまじって氏郷みずからも加わった。
折しも盛夏の候で、綱を引く連中は、頭から水を浴びたよう。むろん氏郷も同様だ。
歯をくいしばって引いているうち、ふと涼しい顔をしている一人の男が目についた。
戸賀十兵衛という侍の若党である。
綱を引いているような格好をして、実はサボっていたのだ。
「奴をここへ連れて来い。」
家来のひとりに命じてその若党を連れてこさせた氏郷は、目の前に引き据えたとみるや、
一刀のもとに首をはねた。
これを見た作業員たちは一人残らず震えあがり、必死になって巨岩を転がしたという。
これとよく似た話が信長にもあり、彼の酷薄な性格を物語る例として、
引き合いに出されるのだが、各大名競争の造営工事とあれば、
これもまた戦闘に準じた行為として、氏郷は厳しい軍法を適用したもの、と思われる。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 22:02:42ID:PQ9nmddWでなければ浅井家の配下&小豪族である蒲生家の嫡男に自分の実娘を嫁にいかせる訳ない。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 22:03:50ID:7OtVK49t0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 22:19:34ID:5cAOk3UD0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 23:05:45ID:PQ9nmddW敵方っていうと、六角家方だったか?
北近江と南近江は小豪族が多過ぎて混乱しちゃった。
0107奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/20(木) 23:18:44ID:43yCBdKH0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 12:03:35ID:2ZFF2Zar蒲生は俵藤太の後裔で、近江蒲生郡に土着
氏郷の曽祖父高郷以来、六角佐々木の家臣
氏郷の父賢秀は六角の六老臣の一人だったが、
観音寺城攻略時に信長に従う
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 13:09:52ID:d2l/ctrs0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 13:25:25ID:SrGfeYf00111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 13:43:09ID:2ZFF2Zarご先祖さまは秀のつく人が多いんだけどね
氏もいないことはない 氏俊
関係ないかな?
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 23:03:07ID:m2lGKRxn0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 00:14:26ID:U1DmfhhQあと真もどこから来たの?
0114奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/22(土) 00:24:14ID:L2QzC76R真はどうでもいいっぽいな。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 22:04:17ID:qXBv8ewg0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 18:58:33ID:l1jSanr1とりわけ茶道では利休七哲の筆頭にあげられたほどです。利休の曾孫江岑宗左の残した、
「江岑夏書」(こうしんげがき)では、利休が秀吉に切腹を命じられたとき、自分が京都にいたならば師の利休を死なせるようなことはしなかったものをと、氏郷が口惜しがったことが書かかれてあり、茶の湯を通じた利休と氏郷の交流には興味深いものがあります。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 02:24:09ID:scxCuQTn詳しく
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 22:29:14ID:wpvYU/or0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/26(水) 00:27:15ID:a9b0XU5B0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/26(水) 01:25:43ID:l7PTI19y0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/26(水) 19:23:46ID:UPS9mhir0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/26(水) 19:40:50ID:fSFxjR1n蒲生氏郷 ジャン・レノ
冬姫 ナタリー・ポートマン
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/26(水) 20:55:44ID:l7PTI19y(´・ω・`)ぶちころすぞ
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/26(水) 23:28:50ID:gnu4Ko8o織田信長は小姓や近侍たちを集めて武勇伝を披露するのが大好きだった。
しかし、集められたほうはたまったものではない。
昼間は仕事をし、夜は早く休みたいのに・・・。
しかし、毎回熱心に耳を傾け、武勇伝に目を輝かせた若者がいた。
それが蒲生氏郷である。
記憶力もズバ抜けてすばらしく、何度か繰り返される話も覚えていて
話が違うとその場で指摘したという。
家臣の中には「あいつはいつか大物になる」と予言した者もいたほどだ。
熱心に聞き入った武勇伝を木曽に氏郷は数々の武功をあげ、やがて秀吉に使え
最後は会津の大大名にまでのし上った。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 01:01:44ID:8XJchZrd(´・ω・`)俺もツッこんで欲しいからワザと間違いボケをカキコするが誰も指摘しない。
(´;ω;`)
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 01:04:25ID:/oXULeQR0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 01:09:29ID:8XJchZrd0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 01:24:10ID:zZRsPwApそんなもん出来る奴もいるし、出来ない奴もいるだろ。
太田道灌なんぞ、古い和歌の知識を咄嗟に思い出して戦に役立てたって話もあるくらいだ。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 03:57:27ID:76z2y3F2人の話し聞いて参考にする程度
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 07:20:31ID:7l9PSWoj0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 00:13:17ID:KTIwRVlrんなこたぁ当り前だろ。
#熱心に聞き入った武勇伝を木曽に氏郷は数々の武功をあげ、やがて秀吉に使え
#最後は会津の大大名にまでのし上った。
ってのがおかしいと言ってるのだ。
本人次第だと言うのなら、資質が優れていたと言うこった。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 01:12:06ID:A8o4qYOadクス。
そういう話聞くと、人間は頭が良くないとなって思う。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 07:18:05ID:MJFW8wWe後の歴史へどれだけ影響あたえたか!て考えると。
まぁ、無事是名馬だから、その点は大きなマイナス。
それに、早死したために、家中が空中分解してるし。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/30(日) 01:22:33ID:KAmFEtH9これで安心織田信長。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/30(日) 01:28:27ID:KAmFEtH90136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 20:12:00ID:tlvFyTWL0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 21:43:58ID:eB/fyc+w蒲生氏郷 オダギリジョー
織田信長 佐藤浩市
伊達政宗 えなりかずき
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/01(火) 12:12:37ID:dYFi1g0e美少年だった、賢かった、仕事ができたetcだけでは説明できない気に入られようじゃないか。
吸収合併したちっちゃい会社の坊ちゃんをお情けで雇用→幹部候補ですやん(´・ω・`)
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/01(火) 12:54:15ID:YOkqBFke0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/01(火) 14:52:27ID:ib5Iaf1m0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 00:30:26ID:I6iB9AOE実際昨今はネタが枯渇したのか、ちょっとでも信長が厚遇した家中の人間を
やたら大きく取り扱っている小説とか多いね。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 11:19:42ID:CYl+4rJu会津塗や清酒、本郷焼などを、つくるのをはじめたことによるのかな?
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 20:27:06ID:sTfwztKeそれか氏郷を入れて六大老とか・・・
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 20:42:08ID:fEmFvtnV死んでしまったらどうしようもないよ
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 11:27:07ID:n7Y8p6q+0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 22:10:23ID:kLwtPKwZってか、そもそも「毛利輝元・徳川家康・小早川隆景・上杉景勝・宇喜多秀家・前田利家」
で六人だから七人目になるのではないのか?
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 22:19:51ID:bgpNUJDf0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 22:20:36ID:LU0+6y1M0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 22:27:35ID:dndNWPis輝元を筆頭に持ってくるのに違和感を感じた…愛?
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 22:31:16ID:kLwtPKwZ俺が愛してるのは石田三成だけだ。
ぶっちゃけ・・・浮かんだ順番に書いただけ。
しいて言えば、前田利家は浮かばなかったんだ・・・(だから最後
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 23:26:18ID:djGRg9l+マジレス失礼つかまつるが上杉景勝は先に亡くなった小早川隆景の補充要員だったから、仮に氏郷が入ってても景勝を省いた六大老制になったと思う。
あと、あえて言っときますが決して景勝が要らない子だという意味ではないですよw
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 23:34:24ID:kLwtPKwZ書いておいて言うのも何だが・・・気づいてた。
いいんだよ!!
ごめんなさい・・・。
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 00:42:37ID:2VBlmQYM結局何の役にも立たなかったの前田だけだし
元々裏切り癖があるしなんで前田なんか引っ張り上げたのか謎
前田を豊前にやって
毛利親子を加賀に入れるべきだったな
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 01:11:31ID:4ZzFdIwA旧信長軍の生き残りだから安全枠だろ
それに生きている間はちゃんと家康の牽制役になったじゃないか
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 01:39:38ID:2VBlmQYM秀吉が生きてるうちはそうだが
死んだ途端に手のひら返したように家康に取り入った
五大老で一番優遇されてたのに
前田に80万石もやるくらいなら宇喜多と上杉に40万石ずつ加増したほうが余程マシだったろう
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 01:46:20ID:4ZzFdIwA取り入った…?
秀吉死後は専ら仲介役だったと思うぞ
取り入ったと言うなら利家が死ぬ直前じゃないか?
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 11:00:07ID:7OevYHQt俺なら立場鞍替えするな。かつもっちゃんじゃねえけど。
死ぬ直前まで家康懐柔しようとしただけでも偉いわ。
0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 12:11:45ID:RBBhUijO実際に取り入ったのは死ぬ直前に会った時だけだと思うが。
やっぱり、老いには勝てないし仲介役をするなかで自分の息子じゃ家康に太刀打ちできないと悟ったんじゃないかな。
だから死ぬ前に手を打った。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 22:56:25ID:duvPxe830160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/05(土) 11:02:27ID:xjo0hXb30161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 23:24:15ID:EkXgcoFm日本でははじめて記録に出たのは1512年らしいが
南蛮人の渡来で広まってそうな気はするよな
コロンブス→イベリア半島→日本ってルート?
結城秀康以外にも患者いたのかね?
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 15:15:52ID:5+X5faug0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 10:02:20ID:NTW6EE8O0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 22:22:43ID:7UrJLhGB0165蒲生氏郷
2006/08/17(木) 17:06:51ID:Hn30KhpC加えて有能。人格、人当たりは悪くないがそこそこプライド高くて野心家。
でもハングリー精神があまりなさそうなので天下取りには一歩とどかないイメージ。
真田雪村や立花宗茂系列の清廉な若武者路線だが、2人ほどにはまっさらなお人好しではない。
伊達政宗系の成分が10%ほど混じっている感じ。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 20:53:16ID:8OK7hqa0利家は頑張った。利長がカス
0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 01:37:19ID:ZlnTbXR1で 誰に言ってんの?
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 23:32:46ID:eRL+udP+謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
0169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/24(木) 16:18:35ID:y3Vp3+1+現在蒲生郡は日野町、安土町、竜王町。
旧来の地名を維持できるのは公立学校ぐらいか。寂しいな。
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 02:35:39ID:uy5jD3cyそんなに家康のことが嫌いじゃなかったのだろうか、それとも少庵を助けるためなら大嫌いな家康とも手を組めたとでもいうのだろうか?
0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 04:13:08ID:kLnDCe8/いかなる相手にも心で屈しないという。
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 09:18:51ID:+JS/SRU+0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 00:21:33ID:MMugdFS/海音寺潮五郎曰く、
「氏郷は不運な人といってよいだろう。その器量にくらべると、決して充分とはいえない。秀吉の没後十五年生きていたら、天下はどんなことになったろうと思うと、彼のために一掬の涙なきを得ない。」
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 00:39:17ID:PDBxD72b家康よりは洗練された文化を解するから見下していただけでは?
嫌っちゃいないだろ。
東京住まいの若いエリートサラリーマンが鹿児島かどっかの
故郷以外出たこともないけど土地だけはある方便丸出しの農家のおっさん
に対して抱く感情くらしかなかったのではないかと・・。
>>173
こういってはなんだが個人としての器量はともかく
組織人としては家康に及ばない気がする。
0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 11:39:14ID:Bd1sD6c4あの武将列伝シリーズは俺も好きだったが、ちょっとヨイショしすぎだよな
氏郷は名将ではあっても天下人の器ではないと思う
けどやっぱ早世は惜しまれる
まぁ、氏郷存命で関ヶ原合戦迎えてもけっこう目端の利く人だから東軍につきそうだが・・・
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 16:34:59ID:7tSa+g2m0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 19:59:17ID:Bd1sD6c40178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 22:41:53ID:inhnAAbVしかし氏郷は近江出身だから西軍も捨てがたい・・・
氏郷は家康の事はともかく三成の事はどう思っていたのだろうか?
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 22:56:10ID:vtlEc7Ke小僧くらいにしか思っていなかったんじゃない?氏郷のプライドの高さから考えれば。
0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 23:55:52ID:GHFepjR5姫さんが南部の殿さんに嫁いだ時の、御守りだったかな?
「天を衝く」で愚将扱いされてるのはry
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 02:20:56ID:qwaz1PErもしかしたら五大老の一人になっていたかもしれない。
そうなったら、利家、氏郷両頭で豊臣政権支えていた可能性が高い。
関ケ原では西軍総大将になってたかもしれない。
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 02:55:01ID:SD8g9ioF元々、織田信長の娘婿であり戦功によって大封を得た氏郷から見ればあまりよい感情もってなかったんじゃないかね?
ifの話をして恐縮だけど、信長が日本統一してたら氏郷から見れば陪臣なわけだし
0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 08:40:31ID:VQ9jNP47利休七哲の一人なんだし当然って気もするが。
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:25:56ID:Dzztc631当然五大老にはなれてたでしょうね。秀吉亡き後の政権を支えるためにつくららたのが五大老だから、徳川、毛利に次ぐ領地を持つ氏郷が就任しても不思議はない。
政治能力、人望、どれをとっても家康に対抗できたのは氏郷だけだったでしょう。
そうなると家康もあんな大胆な行動も取れなかっただろうし、もしかしたら関ケ原も無かったかもしれない。
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:28:45ID:7L82QsQQ将来を見越して家康に協力し豊臣家解体を推進した、かもしれない。
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 05:44:04ID:ggt56BLu氏郷は有能だけど自分の能力を弁えていたと思う
本能寺の変後、昇り龍だった秀吉に与力したように家康に協力しそう
後、>>184は過大評価気味
氏郷は戦場での勇猛さや領内の統治は上手かったが大きな意味での政治能力は未知数
仮にも天下を取った家康と比べるのはさすがにきびしい
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 02:16:40ID:o/RQ+dxG効果は大きかったかもしれないけどなあ。
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 23:48:22ID:kSnguI1b0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 23:59:48ID:cnvdRMbF秀吉の構想は、まさにそれでしょ。氏郷は前田家とも繋がりが深いし。
徳川相手に一戦やらかすなら、ある程度の人脈はないと厳しいよ。
上杉・佐竹は交友関係が狭いというか、微妙に偏っているからなぁ。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:21:56ID:uJp121X50191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 14:18:31ID:BKJmawNd0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 18:38:32ID:EMb5cvjA0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 18:39:51ID:yjWzbM7E政宗が氏郷の邪魔をしたんだ。
その後秀吉が見苦しい言い訳をする政宗を許したのは、むしろ政宗より氏郷の方を恐れていたからではないだろうか?
0194名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 18:41:14ID:vqvB3+cm秀吉は誰でも恐れすぎだなw
0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:31:13ID:1xsjbl5e氏郷を会津に配置させたのが、伊達や上杉への牽制を意味するっていうのが前提ならば、
東北地方の大名の勢力均衡を崩さないためにも正宗に厳罰を与える事を止めたのだと思う。
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:41:09ID:vZeiUt6J後継ぎが居ない分、実力あって若い奴は特に怖かったろうな。
0197名無しさん
2006/09/25(月) 20:32:37ID:a/PptmwF0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:46:45ID:bNlEG62F0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 00:14:52ID:HVa8mAgE信長>|高い壁|>秀吉>利家>俺>|高い壁|>家康
(天下人としての器)
わりと自信たっぷりだな
0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 01:29:07ID:9LHBL7ij0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 06:26:25ID:TvRkUYEm0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 07:49:45ID:bDtgq4CI孔明?
0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 08:30:07ID:TZzRqiz+0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 12:26:46ID:5PypPNj4秀吉 vs 冬姫
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159487750/
0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 23:55:54ID:mKHkbJ8lあんま信じたくないなー。
大河独眼竜で蒲生役の人、すげー格好良い。惚れる。
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 01:12:09ID:tcdUl5oE0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 02:24:03ID:7qvEfAfRでも、政宗が大崎葛西一揆扇動したのなら氏郷は政宗に感謝しなきゃならないかもね
あれを鎮圧したお陰で大幅に加増されたのだし
でも本当に政宗は関係なかったとしたら悲惨だな
氏郷が讒言で政宗陥れた事になってしまうw
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 06:24:30ID:Ldx6OsKjむしろ蒲生勢の猛烈果敢な進軍に遅れを取って城落城したころに現れ
「私も働きたかったのに・・・太閤殿下に会わせる顔が無い」
「じゃ、この先の城を落としたら如何?」
↓
言ったものの一揆の先導者は政宗だから空鉄砲撃って城攻めやる気なし
↓
蒲生が「攻めあぐねてるなら力を貸しましょう」
↓
焦って攻撃
とけっこう手玉に取られてるのは政宗という感がなくもない
氏郷の後ろには豊臣政権があるってのが大きい理由だろうけどな
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 07:04:07ID:ljddbJVZ浅野長政がなだめすかし、伊達成実が入ってようやく城から出てきた。
また、政宗と会談した際、毒を盛られたと勘違いし、解毒剤を飲むな
ど大騒ぎした痛い人というイメージ。
政宗の隣に配置され、ストレスで寿命を早めたことは間違いない。
さらに息子の秀行を左遷した、秀吉の蒲生へ対する嫌がらせ、悪意も凄い。
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 07:59:58ID:Ldx6OsKj名生城立てこもりはそもそも伊達の人質交換が原因じゃなかったっけ?
会談は政宗に疑心抱いてる状態で行われたから必要最低限の処置じゃないか?
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 09:43:52ID:1gdXe8AMそれか政宗厨。
0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 11:41:31ID:Pwc4gpD9とりあえず、非常に苦労の多い人なんだなってのは分かった
隣人がメチャクチャな奴だと、生活がきついよな
政宗ってのは、性格が狂っていたから
0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 12:37:25ID:HVFWlNod氏郷=日本
正宗=南朝鮮
0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 13:10:25ID:PhHZsRm9正宗=北朝鮮
こうだろw
0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 14:04:31ID:e8DRFMFI0217名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 14:06:08ID:fRkUw5ib0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 15:04:17ID:ESnNWoo0秀吉とすれば、早く死んで欲しかったろうし。
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 18:49:50ID:Pwc4gpD9心でどう思っていたかは知らないが、結局は秀吉に従ってるんだ
秀吉だって、まさか氏郷が謀反を起こせるとは思っていなかっただろうし
秀吉が謀殺したってのは、少し無理があるんじゃね?
0220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 19:41:25ID:K7zCx+NZ別に秀吉と氏郷は不仲だったわけじゃないし
むしろ氏郷は本能寺の変以来一貫して秀吉を支援している
秀吉も対徳川の筆頭として利家と共に氏郷に期待していた
会津に転封したのは無論関東を北から牽制するものだし
若年でありながら利家以上の大封を与えた点から見てもどれだけ秀吉が氏郷に期待していたかが分かる
利家と氏郷は親類でもありお互い凄く仲が良かった
そして親豊臣派で徳川に敵意を持っていたから秀吉とすれば大事な人材だよ
0221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 22:10:46ID:8G32fAoVそうかな?
氏郷の方は、地方にやられて天下を狙えなくなったと涙を流したとかそういうエピソードもあるけど、
秀吉のほうはどっちかっていうと、なんとなくむしろ氏郷の事を信頼してたんじゃないか?という気もする。
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 11:54:12ID:1WAqQJ+Q0223名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 13:54:04ID:OvCpMszo0224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 14:09:22ID:4FoEcHEP俺は氏郷は好きだがそれは無理だと思うよ
そもそも寿命が・・・
0225名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 18:58:04ID:1WAqQJ+Q0226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 19:12:51ID:h7jrUVsrでも家康が生きてるうちは行動起こさなかったろうな
氏郷も相当に目敏いから軽挙は絶対しないだろう
家康に隙ができなければ普通に徳川政権下に収まる可能性が高い
秀吉に対してもなんだかんだ言ってたけど敵対するようなそぶりは全く見せなかったし
0227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 19:38:23ID:LGMdMN+G政宗とにらみあったままの可能性も高そうだけどw
0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 20:58:19ID:FFZZvNHf間に徳川がいなければあるいはどうにかなったかもしれないという可能性はないとも言いきれない気がするが。
0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 21:10:46ID:Uho2mTnu五大老は確実になっていただろうし先が読めないな
0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 01:10:02ID:I6uOrBnQ早く亡くなってしまって惜しい人だな
0231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 12:17:17ID:39QtOgzr利家の後釜として居座られたたら三成も勝手な事できないし
家康も豊臣家中で権力強めるぐらいに留まった可能性がある
逆に家康に氏郷が同調して三成らと抗争を起こしたら
伊達・蒲生・徳川で東日本は完全徳川派
そうなれば佐竹も東軍に転ぶしかないし
そもそも東に誘い出して…、と言う構想すらなくなってしまう
0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 13:21:03ID:jVm0hE5z東北は、徳川派と織田派に割れる(というか、伊達派と反伊達派かな?)だろうし。
0233名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 22:47:39ID:GaQAk5yK三成vs武断派の豊家武将の衝突がなかった
家康が会津征伐に出る口実がなくなる
この二点だけでもかなり大きく歴史は変わってそう
0234名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 00:58:44ID:2KeVsdG8なんか、黒田如水がもし氏郷と同じくらいの時期に死んでいたら、それと
全く同じ事を言われそうだな、と思ったよw
0235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 07:30:17ID:A5dzn/kJ0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 23:45:13ID:mpzAVXqOあっち方面に興味があったのなら「冬姫だけを愛した」と言えるのだろうか
0237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 01:06:00ID:yZQlOyto0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 02:21:02ID:1MVwi9240239名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 14:14:21ID:WmAn2AAW0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 21:31:52ID:L6lTG9cgなら92万石から近江あたりに5万石にしてやるからっていったら喜んだのだろうか・・・?
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 00:05:10ID:PSCHJeV51590年の時点で近江で20万石だったら大喜びだろうな。
0242名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 02:32:42ID:1WQDYek3信長時代の実績だと掘秀政、長谷川秀一のほうが目立ってた気がするけどなぁ
0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 04:49:28ID:jssvrgYTその辺は大物過ぎて秀吉がコントロール出来ないからじゃないか?信長存命時には
信長側近のその二人には秀吉もヘコヘコ頭下げていただろうし。そういう姿を
知られすぎている人間を、立場が変わったとはいえあまり用いたいとは思わないでしょ。
0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 05:18:56ID:8JdEuLPs0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 06:44:20ID:PSCHJeV5氏郷が重用されたのは英正と秀一が死んだ後じゃなかったっけ?
三人の中では末席的存在。
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 13:37:48ID:IIX+amg0本当は堀秀政に会津をやろうとしたんだけど死んじまったから
蒲生にあげたってのは作り話か?
0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 19:03:47ID:78f7luJQ関東やるんじゃなかったか?
0248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 03:13:50ID:tTJoyy79氏郷のほうが名前はメジャーだけど、生前はあらゆる点で堀秀政の「次」の存在だったからね。
長谷川秀一は、本能寺の時に家康と一緒に逃げたり、小牧長久手で(自分のせいではないが)
徳川に配送しているから、朝鮮役まで生き延びたけど、秀吉の覚えはよくなかった。
最終的に氏郷に与えられた領土が百万石だったとして、堀秀政が生きていれば
堀60万石、蒲生40万石くらいに割り振られたんじゃないか。
0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 15:22:46ID:MfRERaCB本能寺以前から秀吉に接近してた訳だし、
戦績だって、治績だって、同世代武将の中じゃ抜きん出てる。
というか、長谷川秀一って、なにやったっけ?
小姓としてのイメージしかない。
0250名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 22:21:12ID:5tPXzgr7ゴタゴタあっても甲府を預けられてたんだから面白いな
0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 01:15:15ID:YaaxQHJh八切止夫によると(ry
0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 15:34:03ID:x3XOkI5P秀吉の信頼度がちがうだろ
0253名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 03:57:18ID:wRA8x5dh人気ないなぁ
0254名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 13:22:04ID:08LZJboa0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 12:12:48ID:B/Yv7+GH横山、名古屋、佐久間以外に有名人はいるの?
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 13:06:03ID:ewRQYqpc大規模な合戦の経験がないの?
0257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 14:07:52ID:Jw0rZpfp0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 14:10:41ID:QhynKW9i0259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 14:14:12ID:QBMzDq650260名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 14:42:50ID:aqNHr3ZYそういう話。
0261名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 16:11:01ID:L6DqWRVO信長様は凄かったんだぞ、って言いたかっただけでそ。秀吉は。
0262名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 16:54:10ID:Ek+IKsTc0263名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 22:38:01ID:/k3Rski5自分自身のことなんだが
0264名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 23:33:41ID:grlu1QJB同じような叱られ方をしたものも多い
武田勝頼とかもそうだった
0265名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 23:36:16ID:SHin4iLG氏郷が信長に気に入られたのは、意外とそういう部分が
信長自身に似ていたからなのかもね。
0266名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 00:12:43ID:SKlvs/A8北条綱成とか島津家久とかもそうだし、信長もそうだが、
えてしてこういう戦い方をする奴は奇跡的な逆転勝ちを呼び込むこともままある。
大国の大将としてはいかんのだろうけどね。
その辺の使い分けなんだろうな。
0267名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 04:34:14ID:IJ8W1I6l上の人間が前へ前へ行ってしまうと、首を取らせるわけにはいかんから雑兵でも必死になる。
主君から軍配を預かる、侍大将なんかはこれでも構わない。
ただ、氏郷は国持ちの身分になってもやりかねん(やってる臭いが・・・)男だったから、秀吉は釘を刺したんだろう。
このエピソードは確か、家康や利家、秀家などの五大老クラスの面々と同席してた時の話。
とくに若い秀家なんかに真似されたら困るから言ったのかもしれないな。
0268名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 09:49:55ID:ig5YytB00269名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 10:22:16ID:muaKIz+L自分自身も槍働きが人並み以上じゃないと
0270名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 12:59:07ID:fqWCv87Gあ、ちと話はずれるが、朝鮮役で小早川秀秋が猪突して自ら首取りに行ったとき大激怒したよな秀吉。
0271名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 13:29:38ID:IvxrrPKl大将が前線に出なければならない時があることと、迂闊に一武士のように身を危険に晒すのは別、と教えたかったんだろうか?
0272名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 13:35:12ID:GJsj+w20大将が討ち取られたらいくら残存兵があっても戦は終わるんだよ
0273名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 13:48:12ID:i+1C3pcy0274名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 14:54:47ID:qC553bLT0275名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:35:57ID:YrGmHwAm0276名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 18:29:09ID:kQMCyy9Y同兵力の氏郷軍と秀吉軍が互角に戦ったとしても、最後まで生き残って勝つのは秀吉軍だと・・・
なぜならば、氏郷は大将のなに最前線で戦うので、最後の一兵になるまでには死んでいる。
逆に秀吉は最後の最後まで生き残るのは秀吉自身だからだ・・・
0277名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 20:23:36ID:mxh6BY0lそれと同じで考えながら戦えば危なくはないんじゃない?
0278名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 00:31:01ID:2dLd7tUGまぁなんだ。
ちったぁ想像力働かせなさい。
0279名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 02:08:10ID:7AA8NUIyなに朝だったかな?
0280名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 09:27:05ID:gGAbrQUh0281名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 19:15:57ID:7GoEFXtdで、キュロス軍が総崩れで敵地を逃げる羽目になったのがクセノポン
0282名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 20:07:08ID:U3K0vF1D0283名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 22:45:48ID:FlQKA9bdhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164396819/l50
0284名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 23:12:36ID:xG9Vb5x6略して、ガモウジ
みんな、そう呼んでやってくれ
0285名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 01:07:25ID:fj1009Pm0286名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 11:57:53ID:nkRTN6YL0287名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 16:14:45ID:T0Cve6rU0288名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 18:43:26ID:pMF/6qzg氏郷さんと何かしら関係あるんでしょうか?
0289名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 20:13:24ID:oM+uokUy氏郷は家臣に蒲生姓与えまくりだったから、先祖が家臣の人かな。
氏郷本人には男系の子孫は残っていない。
0290名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 22:02:15ID:T0Cve6rU滋賀県じゃさして珍しくもなかったですよ
シャチハタや名前スタンプも必ず置いてありました
他府県の大学に進んで初めて変わった姓だと気付きました
0291名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 22:19:13ID:pMF/6qzgへーそうなんですか。うちは仙台なんですけど、彼以外その名字の人は今のところ
知りませんねえ。
もとはそちらの家系なのかな。
0292名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 00:46:30ID:NCxalZoY藤原秀郷の子孫が近江国蒲生郡を賜って改名したのが蒲生氏のルーツ
東北から見ればよそ者だな
ちなみに大隅の蒲生氏とは無関係
0293名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 06:09:11ID:Qpl9y+bq「ラブやん」に出てくるジャモジさんみたいだなw
0294名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 02:49:09ID:jFcDSng3藤原氏ならむしろ東北では一番尊敬されそう。
0295名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 01:29:59ID:PkuA8SN70296名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/14(木) 14:38:55ID:z3WeIXL4大ムカデ退治や将門退治の話で秀郷を英雄っぽくしたらしいとも言う
名前に郷の字つけたり家紋変えたりするぐらいだからよっぽど心酔してたんだろうな
0297名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 06:40:20ID:/b8QA8IH秀吉の朝鮮出兵を聞いて氏郷が
「猿め、死に場所を失くして狂ったか」って言ったのって実話?
なんかで読んだ気がするんだが・・・海音寺さんだったかなぁ
知ってる方おられたら元を教えて下され
0298名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 15:42:56ID:vJhIOnsBそれは小牧・長久手陣の話です。
小説は多分司馬遼太郎の「覇王の家」あたりかと。
ちなみに文庫だと下巻P223。
0299名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 16:41:51ID:/b8QA8IHご教授感謝です
小説だったのか・・・ちょっと残念
氏郷は小牧の戦では伊勢で戦ってたんだっけ
0300名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 17:40:36ID:hgf01ZNr童門冬二の近江商人魂では朝鮮出兵の時に言ってた気がする
伊勢で戦ったのはしずがたけ(何故かry)の時
小牧の戦では中入りの策に反対したとか陣払いの時に殿軍してたりだったと思う
その後も伊勢で戦ってはいたけどね。PHP文庫の小説からの抜粋ですが…
0301名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 18:16:21ID:/b8QA8IH複数の小説で引用されるってことは原典があるのかな?
0302名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 22:11:19ID:3W1Rj8mx0303名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 22:56:00ID:uQOPKHgW0304名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/03(水) 11:35:46ID:s7bD22Im0305名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/03(水) 12:37:25ID:VofzSrJo蒲生”セロニアス”時貞……!!
0306名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 23:28:01ID:+iIwrS+C0307人間七七四年
2007/02/21(水) 06:43:14ID:Bupkgo8y会津に旅行に行くとき、観光地を探していたら「蒲生氏郷の墓」というのがあって、
会津に貢献した人なんだろうな、とは思ったもののその後のフォローはせず
今に至りました。小説読んでみます。
0308人間七七四年
2007/02/22(木) 00:16:28ID:H8RA4aTWの二点セットを特別展示で見ました。安土桃山文化の真髄という感じの洋風画でした。
今でもあれが蒲生レオ様の華麗なるイメージです。
0309人間七七四年
2007/03/03(土) 00:51:27ID:8o0BDOBY一番使える武将になったな。
氏郷のためにいつでも「管領」の席は空けてある。
0310人間七七四年
2007/03/03(土) 02:22:14ID:z+xVL1LB40くらいだっけ?
0311人間七七四年
2007/03/03(土) 13:57:40ID:nUu/dyc3限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風
この人、何かとセンスがいいんだよね。
0312仙台藩土百姓
2007/03/03(土) 15:49:15ID:PnfWPuYa0313人間七七四年
2007/03/04(日) 21:31:42ID:3PPTS0Bh江戸時代、飢饉がある度に餓死者がたくさんでたんだよね・・・
0314人間七七四年
2007/03/05(月) 00:22:13ID:0K9jt85A0315人間七七四年
2007/03/12(月) 22:21:27ID:g5hUj6bjまずは豊臣五大老の一角に名を連ね、秀吉の死後は織田秀信を擁立し第三勢力を形成。
天下を織田、豊臣、徳川の三国志時代に突入させる。
0316人間七七四年
2007/03/13(火) 14:12:39ID:peeH/ti+0317名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/24(土) 22:21:31ID:pQz4i19Bその十年後の豊臣家の五大老は、
宇喜多秀家、蒲生氏郷、上杉景勝、毛利輝元、堀秀政(生存の場合)では!?
0318仙台藩百姓
2007/03/24(土) 23:26:44ID:FAXpHsAc前田も引き込んで家康も史実より楽に天下取れたかもしれないお
0319人間七七四年
2007/03/24(土) 23:41:50ID:DZx+1x30前田は信長譜代だから同盟者。池田・丹羽や細川・藤堂・黒田あたりも引き込めそうだ。
0320人間七七四年
2007/03/25(日) 00:23:48ID:s6QwR6awあるいは、直参・譜代で鉄の結束のもと、豊臣でなく蒲生に対して戦いを挑むか?
豊臣が秀信に対して手を出せるとすれば、大老として参戦するのもアリかもしれない。
または逆に、信長時代からの同盟者として織田にくみし豊家追い落としにかかるのか?
0321人間七七四年
2007/03/25(日) 01:53:52ID:2klEPrj0家康の経歴を考えれば豊臣家の天下よりは織田家の方が立場的にも良いから、
黙ってると言うより、そうなったら率先して織田につくんじゃないか?
0322人間七七四年
2007/03/25(日) 02:18:10ID:s6QwR6aw問題は、史実で家康についた豊臣恩顧の大名や諸将が、織田方につくかどうかだな。
加藤清正・福島正則ら秀吉子飼いは、織田と豊臣が戦う場合は豊臣につくだろう。
そうなると、伊達政宗あたりも豊臣をとり、最上義光らも靡いていくことになる。
この場合、勢力の分布のバランスは史実と同じ位なので、豊臣方も決戦を選択しそう。
関ケ原で家康が指揮をとれば東軍勝ちだが、氏郷では少し厳しいかも知れないw
0323人間七七四年
2007/03/25(日) 02:27:53ID:2klEPrj0氏郷とは仲悪いけど家康が居る方にきそうな気もしないでもない。
義光は秀次をどうしてるかによるな、史実どおり駒姫殺してたら死んでも豊臣になんかつかないだろう。
ただ氏郷が生きてただけなら秀次が生きてるという理由にはならんし。
あと上杉の動向にもよる。
0324人間七七四年
2007/03/25(日) 02:33:03ID:ML5lQNYFそもそも信長にしても織田が天下人であった事はない
秀信を擁立したところで何の名分も得られない
それこそ自分が天下人になった方がいいと皆思うだろう
だいたい家康は秀吉生存中に既に天下への野心を現しているのに
わざわざ苦労して自分より上の人間を作り出すなんて馬鹿な事をするわけがない
0325人間七七四年
2007/03/25(日) 03:10:37ID:uIrQFXTL秀頼の名を巧みに利用して普通に天下統一に走るんじゃない?
婚姻関係の前田と力合わせただけで強大な力になるし。
何より前田家にとって強大な蒲生家があるって事は大きな支えになるし
史実の加賀征伐も前田家が受けてたつ可能性だってありうる。
加えて南部家と蒲生家の中は悪くないし北陸でも伊達を除けば上手くやれそう。
0326人間七七四年
2007/03/25(日) 03:21:27ID:s6QwR6awそうすれば前田・池田・丹羽は必ずついてくる。家康の協力については二重の仮定。
総大将が老獪な家康ではないため、加藤・福島や細川が豊臣に流れる可能性はある。
そうなれば伊達や黒田もそちらに靡く。伊達・上杉に挟まれたら最上は従うしかない。
ただ、家康が織田にくみするというのはいくつかの仮定のうちの一つにすぎない。
また、その場合に加藤・福島・細川が豊臣に流れる可能性も仮定。
0327人間七七四年
2007/03/25(日) 04:10:15ID:u4zGO+1v前田・池田・丹羽が今更織田家に付くとも思えない、そんな目算があるならば秀吉存命中に行動起こしてるって。
それに担ぐべき秀信が西軍の属したりと独立心は無いし、豊臣家を悪く思ってない様子、
まず御輿になってくれるかさえ疑問だよ。
0328人間七七四年
2007/03/25(日) 04:12:21ID:787oumyU0329人間七七四年
2007/03/25(日) 10:25:22ID:WUboOMoy逆をいえば彼らが陣営入りすることが挙兵の絶対条件になるだろ。
氏郷の外交能力と信長の娘婿という立場なら、秀信を担ぐことは可能。
秀吉についたのは、彼が秀信を跡目にして後見になってたからであって。
もし秀吉の死後、氏郷が豊臣を支えてれば家康は手出しできなかったし、
逆に家康についていれば、徳川方が圧倒的な勢力になっていた。
その場合、石田三成や上杉景勝はさすがに挙兵を自重したはずだから、
関が原の戦いは起らず、逆に家康は天下をとれないことになる。
氏郷が長生きしていたら、いずれにせよ豊臣政権が長続きしていたか、
あるいは織田家を奉じて天下を取りに行っていたかのどちらかだ。
0330人間七七四年
2007/03/25(日) 10:34:29ID:ys3YS7YM0331人間七七四年
2007/03/25(日) 10:45:34ID:ML5lQNYF終始秀吉の天下取りの協力者でありつづけた
この二人は信長生存時から仲良かったのだろうか?
利家繋がりで交流があったのかな
0332人間七七四年
2007/03/25(日) 10:59:06ID:WUboOMoyそれとも、清洲会議などの時に氏郷が何か画策したという史料があるのか?
三法師擁立後の秀吉について柴田・滝川・信孝・信雄と戦うのは自由だし、
四国の長宗我部も信長と対立していたわけで、討伐参加は自然だろう。
結果を見てみれば秀吉の天下簒奪に利用されていた、というところだ。
しかし、氏郷もその過程を通じてかなりの大大名に出世したからな。
0333人間七七四年
2007/03/25(日) 11:38:36ID:s6QwR6aw切支丹だった氏郷がそれをやるとは思えない。やはり秀頼を支える役が似合いかな…
0334人間七七四年
2007/03/25(日) 12:09:27ID:ML5lQNYFその数ある軍団の中でも終始秀吉と行動を共にしていた
山崎の合戦の後、氏郷は秀吉から三千石を貰っている
禄を受けたと言う事は既に半ば家臣化していたとも言える
織田の臣であると言う意識があれば秀吉から直接禄を受ける事はない
清洲会議でも秀吉に協力し会議後に秀吉から一万石加増されている
氏郷は本能寺直後から次の天下争いが始まっている事を意識し
秀吉が天下を取ると睨んだのだろう
0335人間七七四年
2007/03/25(日) 12:20:05ID:s6QwR6aw0336人間七七四年
2007/03/25(日) 13:45:46ID:ys3YS7YM0337人間七七四年
2007/03/25(日) 19:22:34ID:WUboOMoy0338人間七七四年
2007/03/25(日) 20:38:57ID:s6QwR6aw0339人間七七四年
2007/03/25(日) 23:26:04ID:ML5lQNYFこの点から見ても秀吉が氏郷を優遇してたのが分かる気がする
既に発病してたのかも知れないが
それはそうと家臣のローマ派遣は事実なんだろうか
4回ほど法皇の元に派遣したと言う話しだが裏付ける資料は遺されていないようだね
でも氏郷に仕えたイタリア人騎士ロルテス、所謂山科勝成は実在したようだから
あながち有り得ない話しでもないとは思う
0340人間七七四年
2007/03/26(月) 00:48:31ID:Hyi1tawn0341人間七七四年
2007/03/26(月) 02:40:45ID:P3l4uCQ/それに東日本の大名も渡海する前に秀吉が死んで和議が成立した為に
大名自身は渡海しなかったが
重臣を名代とし先陣は次々渡海を開始していた
0342人間七七四年
2007/03/26(月) 04:06:20ID:N3Xhgsx80343人間七七四年
2007/03/26(月) 11:25:17ID:jgL97pemあぁ、会津宰相さえいれば。
0344人間七七四年
2007/03/26(月) 14:30:25ID:4XrkHpNn0345人間七七四年
2007/03/26(月) 14:42:39ID:LLvGE/pb会津若松に封されたわけであり、奥羽諸将に号令しつつ
上杉・堀らと共同戦線を構築すれば・・・
会津宰相の早逝が悔やまれてならないのであります。
0346人間七七四年
2007/03/26(月) 21:14:13ID:gEw703RS0348人間七七四年
2007/04/05(木) 11:56:54ID:Z0nkNSQs0349人間七七四年
2007/04/05(木) 14:21:21ID:vvdUfjW6大封をもらいがら「これじゃ天下とれねー」と嘆き
愚痴を付きながら仕事は真面目で政宗の尻尾つかんだのに
煙に巻かれて悔しがる、プライドが実力より高いくせに
妙に文化人なので誠実そうに見える
そんな氏郷が好き
0350人間七七四年
2007/04/05(木) 22:48:01ID:REzI8yTl0351人間七七四年
2007/04/08(日) 11:57:54ID:d4DM+fXd結局18万石に減らされたけどね。
堀久太郎が生きていたら、蒲生はどれくらいの領地を与えられていたのだろうか。
あらゆる意味で氏郷よりも格上な久太郎が会津鎮護で60石級にまわされていたのは確実だろうが、
そうなると、氏郷は40万石くらい?
0352人間七七四年
2007/04/08(日) 17:40:49ID:rhXkTclb0353人間七七四年
2007/04/23(月) 11:21:19ID:XwzLWyRThttp://ameblo.jp/mayutolisara/
0354人間七七四年
2007/04/25(水) 01:22:23ID:hhuTHhD70355人間七七四年
2007/04/25(水) 04:38:45ID:Lp4EK88a0356人間七七四年
2007/04/26(木) 10:58:50ID:qvsbk2FA0357長門 ◆q8GdomS4XA
2007/04/26(木) 11:08:47ID:XWvF1rea0359人間七七四年
2007/04/27(金) 08:24:36ID:qOrQwnDX0360人間七七四年
2007/05/08(火) 19:06:37ID:vkVy5rMX0361人間七七四年
2007/05/08(火) 19:12:12ID:Y8HNKMuU0362人間七七四年
2007/05/08(火) 22:49:01ID:FD40CtrCだな。
0363人間七七四年
2007/06/04(月) 20:30:12ID:iq4+XRr6明智が畿内を治める可能性は考慮しなかったんだろうか?
0364人間七七四年
2007/06/04(月) 20:40:44ID:txyeuyN3若君という表現もあるから、幼い男子もいたんだろう。
0365人間七七四年
2007/06/04(月) 22:41:09ID:rz+MX2ii違うの?
0366人間七七四年
2007/06/17(日) 17:06:23ID:b94aGN1R0367人間七七四年
2007/06/17(日) 17:39:30ID:Z0gmOaE20368人間七七四年
2007/06/18(月) 01:34:15ID:Y0AjWk4q0369人間七七四年
2007/06/18(月) 01:54:17ID:dzL8YB6S過大とも思わないが過小は無いな。
なにげに信長の能力を受け継いでるあたりもポイントでかい。
0370人間七七四年
2007/06/18(月) 18:36:35ID:i+l9DJWB0371人間七七四年
2007/07/13(金) 17:22:07ID:Tmh1Ql+lその事で前田利家から馬鹿にされてるずらよw
そんなんで一々名前を卸してたら我が家は皆、前田になってしまうwwって
0373人間七七四年
2007/07/23(月) 13:00:25ID:EE8bM4Bj0374人間七七四年
2007/07/23(月) 14:01:21ID:86RznDAE0375人間七七四年
2007/07/23(月) 14:49:45ID:vkhj/Fqsまずあの揉みあげに度肝を抜かれた
0378人間七七四年
2007/07/23(月) 15:28:52ID:QeqY1skmオレが言ってるのは名を卸す意味が違うってこと。
なんだかウザイね君は。
0379人間七七四年
2007/07/23(月) 15:40:50ID:5b7suXSO蒲生氏郷はむしろ過大評価と叩かれる事の方が多い武将だろ
同じような経歴で来て生前は全てにおいて氏郷を上回っていた
堀秀政がえらい過少評価されてんだから我慢しろと
0380人間七七四年
2007/07/23(月) 16:06:59ID:EE8bM4Bj0381人間七七四年
2007/08/11(土) 00:35:39ID:I/9XgASgただ、蒲生といい堀といい、もう少し長生き出来たとしたら
歴史の展開も変わる要素を持ってる気がするけど
0382人間七七四年
2007/08/25(土) 08:31:28ID:poXHRS5X0383人間七七四年
2007/08/25(土) 19:23:22ID:ojDiLJvE合掌した後、そういえばと思って十字も切ったりしてみたが
他のキリシタン大名の墓も皆、仏式なんだろうか。渋い五輪塔だった。
0384人間七七四年
2007/08/26(日) 00:09:12ID:e9LXkOxzところで、ウィキペ見ると、蒲生氏郷は長男を廃嫡しているとあるが、
秀行って次男だったの?
0385人間七七四年
2007/08/26(日) 15:00:38ID:hjHy/Pqz嘘書くなよ。 片倉より総合で3くらい上じゃないか。
むしろ直江兼次より低いほうがおかしい。
0386人間七七四年
2007/08/26(日) 16:33:08ID:6q3qlP3U0387人間七七四年
2007/08/31(金) 00:55:08ID:R4tNpYIIうちで見つかった家系図に、蒲生賢秀さまの名前があるんですよね。
氏郷さんは男兄弟いないようですし
賢秀さんからうちの家系に無理やりつなげてインチキしてあるのだと思うのですが、
浄土真宗の僧兵なのになんで蒲生氏につなげるのか不思議なんですよ。
敵ですよね?
0388人間七七四年
2007/08/31(金) 09:59:57ID:LCIOTJB5石高が高い、勝手に拝借できるので相場が安いの3拍子揃ってるな
0389人間七七四年
2007/08/31(金) 14:32:12ID:SsWDZ/ayなるほど。 腑に落ちました。
系図界ではある意味人気なんでしょうか。
主義というかお家の立場みたいのは関係ないんですね。
学の無い人が学の無い人たちにひけらかすために注文したのかな。
0390人間七七四年
2007/09/01(土) 00:23:04ID:A7DlVNkP0391人間七七四年
2007/09/01(土) 00:45:51ID:WfRpSfNHそういえば「山陵志」の著者の蒲生君平は、氏郷の末裔という
家伝があったために、蒲生氏を名乗っているな
0392人間七七四年
2007/09/01(土) 17:47:22ID:ezhgJhq9うち思い切り越前一揆衆みたいなんで仇かも!
0393人間七七四年
2007/09/01(土) 23:25:40ID:gSSOeEbO0396人間七七四年
2007/09/02(日) 12:12:46ID:GRvgg5ES実際蒲生が圧倒的に上手くやり返したけど朝鮮出兵が控えてたから許されましたとさ。
0397人間七七四年
2007/09/02(日) 12:29:37ID:U5zsIMUc氏郷はそこで頓死していただろう。
0398人間七七四年
2007/09/02(日) 12:34:42ID:NPAwn/Ep秀吉の後ろ盾を前程に作戦立案してるんだから、そうなるのは当然だろ。
後ろ盾がなければ別の形の戦略をとるよ。
0399人間七七四年
2007/09/02(日) 12:46:01ID:qTj6swZoなんか仙台の人が嫌いになってきた。
0400人間七七四年
2007/09/02(日) 13:39:52ID:xX+qqvZV0401人間七七四年
2007/09/02(日) 13:44:07ID:na0HhN4i本当なら秀吉や家康に何度殺されてたことか
0402人間七七四年
2007/09/02(日) 14:56:56ID:qTj6swZo本能寺の変で信長が無くなった次の年に長男が生まれてるのか。
27歳。もしかしてそれまで夫婦生活なかったんでないの。
0403人間七七四年
2007/09/02(日) 15:01:11ID:qTj6swZo0404人間七七四年
2007/09/02(日) 15:33:19ID:tsO7TnPo蒲生君平はその人の子孫であるという家伝をもとに改姓しているんだが、
何者なんだろう。もしかして、件の廃嫡された長男ってこの人の事?
0405人間七七四年
2007/09/02(日) 15:39:41ID:qTj6swZo0406人間七七四年
2007/09/02(日) 19:16:13ID:5LBjI+7c0407人間七七四年
2007/09/03(月) 01:49:42ID:2Rat6pGW0408人間七七四年
2007/09/03(月) 01:52:51ID:BIcz36gdみんな凄い反応w
0409人間七七四年
2007/09/03(月) 02:37:31ID:PExwYaUR0410人間七七四年
2007/09/03(月) 02:41:08ID:QOquKywj逆に尻尾を掴まれかけたもんで、件の花押のエピがでてくるんだっけ?
結局政宗の策謀とやらは、毎回裏でこそこそやるわりにマトモに成功
した試しがなく、結局関係者の口を封じて終わり、保身だけは何とか・・・
というパターンだよな。
0411人間七七四年
2007/09/03(月) 02:48:34ID:BIcz36gd0412人間七七四年
2007/09/03(月) 02:59:17ID:QOquKywjとりあえずお前の希望にそうことはできたようだなw
>>409
何だろうな?諱が調べられたらいいんだが。
ちなみに氏郷の子女は
蒲生秀行
籍姫(前田利政室)
南部利直室(重直生母)のほかにいたっけ?
0413人間七七四年
2007/09/03(月) 05:00:59ID:PExwYaUR前述されてる「山陵志」でぐぐると
作者のいわれでぼちぼち出てくるけど
0414人間七七四年
2007/09/03(月) 07:27:05ID:Sv419LbV0415人間七七四年
2007/09/03(月) 09:14:11ID:86iZEYHW0416人間七七四年
2007/09/03(月) 09:49:03ID:sFH81hdX0418人間七七四年
2007/09/03(月) 17:35:48ID:jsbDwCgCwikiの蒲生氏郷・秀行の項目に長男の存在を記したのは同一のユーザー
いずれの項目でも凡例の兄弟・子の欄には何の追記もせずに、ただ本文に「長男or兄がいたが廃嫡された」としか書かず、
名乗りや廃嫡の経緯などに全く触れていない
帯刀正行に関しては蒲生君平関連でしかヒットせず、
秀行の弟とするサイトもあった(ttp://kobahiro962hk.jugem.jp/?cid=102)
ネット上で拾える正行の情報としては
・宇都宮時代に三千石(上記サイトから。弟であるということも含めてソースは蒲生君平勅旌碑とのこと)
・秀行が宇都宮から会津に戻るときに従う
・墓が会津にあって君平が額づいた(墓がそれとわかる形できちんと残っていた?)
ここまで書かれているのに君平関連以外ではこの人物について全く記述がない
正行っていう諱も不思議
廃嫡されたとはいえなぜ”秀”が入らないのか、
弟ならば”行○”の形になるべきではないか、
どちらにしても”正”はどこから取ったのか…
ネットのみからの類推に過ぎないけど、
・帯刀正行は君平の祖母の妄想
・wikiの記述は勘違いかでっち上げ
なんではないかと。以上長文乱文スマソ
0419人間七七四年
2007/09/03(月) 23:49:27ID:hIszc0ruまぁ、しょせんは伝承レベルの話ということで。
0420人間七七四年
2007/09/04(火) 00:15:33ID:1Fuhm32dそれが本物かどうかによるよね。
まあもしかして母親が別、ということもあるかと。
0421人間七七四年
2007/09/04(火) 00:55:53ID:fQ0BZ+un氏郷に廃嫡された氏俊という人物の子孫の家に伝わる史料という。
Wikipediaに書いてあるのはこっちの人物か?
とはいえこちらも同時代に当人のことが見当たらないという点では
伝承レベルの話だが。
0422人間七七四年
2007/09/04(火) 09:09:01ID:NWsBuzMVたしか蒲生氏ゆかりの寺社所蔵の系図だったかな。(綿向神社か信楽院どっちかだったと思う)
でもそれをもとに計算すると、賢秀は10代前半で長男・長女をつくってることになるから、
不可能ではないけど信憑性薄そうだな。兄二人は片方は信長の六角攻めで戦死、
もう片方は氏郷が人質に行ってる期間に出家したことになってた。
0423人間七七四年
2007/09/04(火) 09:45:07ID:8HDr6aVN0424人間七七四年
2007/09/04(火) 09:50:20ID:8HDr6aVN兄ほんとにいたのか。その出家方調べる必要出てきました。
綿向神社か信楽院ですね。
ありがとうございます。
0425人間七七四年
2007/09/07(金) 20:37:09ID:VT0ZgNKE0426人間七七四年
2007/09/16(日) 21:43:19ID:Y03i9UOq0427人間七七四年
2007/09/17(月) 17:07:23ID:eE2245P2なんで大したことしてないに、こんなに能力が高いんだろう。
前田利家くらいの能力が妥当だと思うんだけど。
0428人間七七四年
2007/09/17(月) 21:59:46ID:Ydbk/qbu日本史上に名を残す天下人や有力大名と同等の能力はどう考えても不自然
史実での実績も講談の英雄としての名声も
一般知名度もファン・アンチの数もどれもこれも微妙で中途半端な武将。
オール能力70ぐらいの中堅武将だと思う
0429人間七七四年
2007/09/17(月) 22:16:26ID:vmASP/uQ小早川隆景、直江兼続、蒲生氏郷、大谷吉継
0430人間七七四年
2007/09/17(月) 22:19:17ID:eo15+WUxあの短期間でよくアレだけ出来たもんだと思える。
統率能力や特技は三位中将信忠と交換すれば良いと思った。
0433人間七七四年
2007/09/18(火) 00:50:19ID:Dkf4MIbJ0435人間七七四年
2007/09/18(火) 01:22:12ID:Dkf4MIbJ0436人間七七四年
2007/09/18(火) 12:05:24ID:KWNhvve10437人間七七四年
2007/09/18(火) 14:25:26ID:gWVJUWww0438人間七七四年
2007/09/18(火) 14:46:16ID:WtpKU6I/ゲームオタほど過大評価や過小評価とかいう言葉を好んで使うよな
何様なんだろうな
0440人間七七四年
2007/09/18(火) 23:53:37ID:/o3lORwv↓
劣化武将
松永久秀、斉藤道三、伊達政宗、蒲生氏郷
徳川家康
↓
劣化武将
武田信玄、藤堂高虎、鍋島直茂、津軽為信
上杉謙信
↓
劣化武将
立花宗茂、吉川元春、真田幸村、加藤清正
0442人間七七四年
2007/09/27(木) 00:45:15ID:UhdcNAoK0443人間七七四年
2007/10/14(日) 09:01:01ID:314AvOLt0444人間七七四年
2007/10/14(日) 14:06:43ID:CdlnM86e0445人間七七四年
2007/10/15(月) 02:51:47ID:mIYVh0xb声あげてワロタ
0446人間七七四年
2007/10/15(月) 05:54:37ID:GzDIIkJoがんもどき食いてえ
0447人間七七四年
2007/10/15(月) 22:16:08ID:p0gAw2co>>421
>>422
蒲生家の系図を見ると氏郷の兄は書いてない。
氏郷の子どもとして氏俊の名はある。
系図によるのかな。
0448人間七七四年
2007/10/16(火) 10:47:43ID:JSlDByYe0449人間七七四年
2007/10/26(金) 19:59:58ID:60tLJAstそうでなければあのモミアゲは絵師がギャグで書いたとしか思えん
0450人間七七四年
2007/10/26(金) 20:14:42ID:O/0kAiCI0451人間七七四年
2007/10/26(金) 20:17:05ID:MZxarI4q0453人間七七四年
2007/10/28(日) 01:21:53ID:f0OmwUzD0454人間七七四年
2007/10/28(日) 10:41:56ID:e6klRxzD謙信みたいなバカと一緒にすんなw
0455人間七七四年
2007/10/29(月) 00:34:45ID:fGrIXv6Kただちょっとキチガイなだけだ。
0456人間七七四年
2007/10/29(月) 19:12:22ID:txFc65pF系図によるのだと思う。自分は秀行以外の子供が出ている系図は初耳です。
なお>>422が言ってる系図は信楽院(しんぎょういん)に伝わる。
新人物往来社の「蒲生氏郷のすべて」に概略が出ている。
0457人間七七四年
2007/10/29(月) 20:30:48ID:efnuNrLm謙信の天然っぷりは田舎ならではと思う。氏郷は都会人なんだよ。その彼が
肥溜めの臭いがしそーな政宗と係わりを持たされたのが気の毒でしょーがない。
0459人間七七四年
2007/11/10(土) 19:39:54ID:xfEy247L0460人間七七四年
2007/11/11(日) 00:41:46ID:S/7c1q8Y0461人間七七四年
2007/11/11(日) 22:29:20ID:d+yOzOrl0462人間七七四年
2007/11/21(水) 23:10:23ID:ydBVg8iE剣術の師 稲葉一鉄
軍学の師 織田信長 斉藤利三
茶道の師 織田信長 利休
憧れの武将 佐々成政
氏郷に皮肉られた武将
徳川家康
織田信雄
前田利家
荒木村重
0464人間七七四年
2007/11/27(火) 10:20:50ID:1vyuGNx6正宗(おそらく)は初っ端から謀略仕掛けて砕かれてる←これが評価高いんじゃないかな?
謀略で全てを纏めようとするタイプではなくあくまで合戦で優劣決める武将だと思われ織田の婿としての器は
後当時の佐々は相当な武将だからね、切腹しちゃったけど
0465人間七七四年
2007/11/27(火) 10:35:12ID:1vyuGNx60466人間七七四年
2007/11/29(木) 03:01:15ID:BW2vxSHR違う。家康のことはケチだからバカにしていた。「あんなにケチでは天下はとれまい」
出身地のせいもあってか価値観が全く違う。氏郷は近江商人育ての親として経済感覚に
優れてるし、信長の婿として南蛮的に華やかで稀有壮大なものが好き。
家康とは逆に気前が良すぎ。大禄の家臣をつくり過ぎて、プライドの高い彼らが
氏郷の死後喧嘩して蒲生家は左遷された。
0467人間七七四年
2007/11/29(木) 09:40:22ID:72u4+Mj70468人間七七四年
2007/11/29(木) 14:14:32ID:nQAGQsZd家臣に気前がよいのは間違いじゃないが信長真似てるからしょうがないわな
ただ石高から考えて動員兵数がやたらと多いこの手の武将は自分の資産削りまくってるので死後は崩壊するね
0469人間七七四年
2007/11/29(木) 20:47:34ID:Mf9MAU6c人への投資が一番難しいからね
0470人間七七四年
2007/11/29(木) 21:11:08ID:BW2vxSHRアホ?頭脳だけで言ったら、当時の有力武将でたぶんNo1くらいだが。ゲーム脳クンには
氏郷の凄さはわからんでしょ。伊勢でも会津でも、平定したばかりの領土へ乗り込んで2、3年で
新しい町を作って現代に続く地場産業を興してる人ですから。会津なんか政宗と敵対しながら。
家康のケチさは三河武士全体がケチだからで、譜代の家臣に対してケチでもOK。むしろ派手な人は
嫌われる土地だし。氏郷は上方商業地帯の領主の息子で、ケチケチしてたら譜代の家臣さえついてこない
文化で育ってる。商人達は頭を使って儲けるのが誇りで、単なるケチは無能と同義語。
信長の真似というより元々信長と氏郷は価値観が似ている。
後に会津領主になった保科正之は氏郷を崇拝していた。(無論本人に会ったことはないが)
「この鄙の地によくぞ産業と文化の華を咲かせてくれた」というわけ。会津若松城は結局
幕末の攻撃にも落城せず、開城だし。←これが氏郷の真価、19世紀の戦争にも耐えた城。
0471人間七七四年
2007/11/30(金) 00:13:49ID:1wIA7/kB0472人間七七四年
2007/11/30(金) 02:15:38ID:QSUahyocこらヒデェwwww
0473人間七七四年
2007/11/30(金) 21:50:28ID:+3CIPzA+そのせいで潰されたけどw
0474人間七七四年
2007/12/03(月) 13:55:39ID:QoQrbdnB0475人間七七四年
2007/12/03(月) 20:41:32ID:DuiCVIEZ新人物から「蒲生氏郷のすべて」が出てるみたいだけど、どう?
このシリーズは前に直江のやつを読んで、当たり外れが大きいのを
感じたんだが・・・・
0476人間七七四年
2007/12/12(水) 12:17:30ID:Osy+2jmT俺は秀吉に対して佐々の馬印継承する願いを申し出候と言う話が大好きだ
いかに氏郷が秀吉に頭を下げる事を恥じていたかがよくわかる
この頃天皇家の行動により事実上切腹した佐々成政の名誉は回復されていた
しかも氏郷の一言でかつての戦友を罪人扱いした秀吉自身に間違いを認めさせ、さらに北条攻めの際
メインの戦場で戦えるポジションを掴んでいる
頭を下げるからには一つ恥をかかせてやろう的な言葉の駆け引きは面白いね
0477人間七七四年
2007/12/14(金) 00:55:44ID:9zRA4au40478人間七七四年
2007/12/14(金) 01:04:51ID:YR88IL07何だかやたらと戦を好み、先陣に拘るウザイ描写だった。事実は知らんけど。
退屈な小説だった。
0479人間七七四年
2007/12/14(金) 10:37:19ID:vl1b+R/G会津以降でも一冊書ける位逸話があるのにまったく書かれて無いし
それ以前に拘るなら異色な家臣団を詳しく書いて欲しかった
0480人間七七四年
2007/12/14(金) 15:35:31ID:20a9Xb4Uどこから連れてきたのだ?
0481人間七七四年
2007/12/15(土) 01:37:16ID:t0+eUwWXそこはまあ、間違ってない
0482人間七七四年
2007/12/15(土) 09:51:52ID:DBra9lco「信長の直に見て育った青年が懸命に信長を真似て
オリジナルにものすごく近づいても
文禄の世の中ではもう微妙に流れから取り残されている」
ってことだな。
0483人間七七四年
2007/12/18(火) 21:08:12ID:75120e1v文句なく氏郷だろうな。
0484人間七七四年
2007/12/19(水) 19:42:59ID:sgnnGybX0485人間七七四年
2007/12/20(木) 13:06:29ID:l8r/5VYi戦国ヲタ以外に無名な伊達政宗や北条氏規に泡吹かせた程度でドラマは_
0486人間七七四年
2007/12/20(木) 21:39:49ID:xNClj5xH放逐されたお兄さんがいることにしようよ。
で、先方は一向一揆に参加して、兄弟が涙の対決するの。
あとね、昔の山伏は上流から敵陣に毒を流したんだって。
それで亡くなって、奥方は秀吉に狙われると。
そんなような話入れてたら風神の門くらいのドラマにならないかな。
0487人間七七四年
2007/12/21(金) 18:26:35ID:+kxJaptm個人的には信長が安土で、力士1万人集めて相撲トーナメントやったとき
その奉行に選ばれたにもかかわらず気が付いたら自分もトーナメントに参加していた、って話が好きだなw
0489人間七七四年
2007/12/21(金) 22:54:20ID:DNdJuR7h大将の癖に先陣を切るのが好きな辺りが。
ってかそこだけか?w
0490人間七七四年
2007/12/22(土) 04:29:40ID:Xbq+7UP50491人間七七四年
2007/12/22(土) 08:49:42ID:YITkN7xoこのくらいの年齢の家臣が信長に憧れて真似でもしてたんだろうか
0492人間七七四年
2007/12/22(土) 09:19:40ID:VAxvVwN+だろうな。
忠興の家紋は信長の刀についてた紋所をもらったものらしいし。
豊臣秀次も信長の統治を参考にしたと言われてる。
あの年代の畿内の武将たちの間じゃ伝説だったんだろう。
0493人間七七四年
2007/12/22(土) 15:13:15ID:z5ZtDC5o0494人間七七四年
2008/01/07(月) 13:56:40ID:NzLiGGRFあまり知らない人がいるかも知れんので略歴
イタリア人で元マルタ騎士団員(マルタ騎士団はオスマン・トルコの大軍のマル
タ侵攻を少数の部隊で激戦により撃退したことで有名)
宣教師オルガンティーノとともに来日
日本名、山科羅久呂左衛門勝成
滝川一益配下の関一政家臣を経て蒲生氏郷家臣
九州岩戸城攻めで持ってきた石火矢(大鉄砲?小型砲?)撃ち、城に攻め入る戦
功を挙げる
氏郷死後、帰国
オスマンの兵と島津の兵どっちが強かったか聞きたかったな
0495人間七七四年
2008/01/07(月) 15:41:40ID:ZtUCoyB60496人間七七四年
2008/01/07(月) 21:13:51ID:a7nYQjhGその経歴のほとんどは小説の創作だがな。
0497人間七七四年
2008/01/08(火) 06:32:17ID:JTdJn97+書かれたのが江戸時代としても宣教師と直接接触のない当時の人間がよくマルタ
騎士団(武士団?)とかいう情報を知り得たな
武功夜話の方が小説っぽいけどな
0498人間七七四年
2008/01/08(火) 21:24:28ID:IY6P3vrE明治時代の論文に”名前”と”内容の一部”のみが存在するだけ
0499人間七七四年
2008/01/12(土) 11:58:45ID:HKDaYSMsと聞いた話あったね
0500人間七七四年
2008/01/20(日) 15:36:10ID:2ieeDyzm0501人間七七四年
2008/02/03(日) 15:00:41ID:6nFREOA5氏郷亡き後の会津を治めた大名の重臣だから、少なからず関わりがあるだろうね。
0502人間七七四年
2008/02/03(日) 16:54:47ID:E4YYH2oA信長5000VS氏郷10000なら、秀吉は信長に付くって話では?
信長は全滅に近い損害でも信長はしぶとく生き延びるから再起可能だが、
氏郷は先頭の数人を討ち取れば、その中に氏郷がいるから全て終わりって逸話。
氏郷の勇猛果敢さがよく分かる。
0503人間七七四年
2008/02/03(日) 17:34:58ID:1NvrTVcf0504_
2008/02/04(月) 00:06:13ID:ty31wCE10506人間七七四年
2008/02/04(月) 01:19:18ID:jmg8y53Fただ家康秀吉と比べて汚れてないと言うか潔すぎる
もうすこし卑怯な精神持ってれば可能性あるかもしれないが、そんな氏郷は嫌だな
0507人間七七四年
2008/02/04(月) 01:54:36ID:0Ev8Rogo個人の好き嫌いと家の保全を見誤るようならむしろ氏郷を過小評価することになる
0508人間七七四年
2008/02/04(月) 10:52:55ID:T3JqIQ/7死んでたら家康につくだろ。
石田に味方することだけはないだろ。
0509人間七七四年
2008/02/04(月) 13:35:17ID:sxOTw12F石田も蒲生旧臣を雇用出来なかったら挙兵して無い可能性は?
関が原三成軍には大量に混ざってるけど
0510人間七七四年
2008/02/04(月) 16:41:41ID:GLB38w5+秀吉死後は家康につくだろうとかニワカ妄想も酷すぎ
氏郷が生きていたら、小早川隆景死後
景勝の代わりに五大老入りしてただろ
つまり史実の上杉の代わりに蒲生が徳川に対抗する
そうなると、結構面白いこといなるぞ
0511人間七七四年
2008/02/04(月) 16:54:35ID:GLB38w5+なので、利家は死に臨んで氏郷をかなり贔屓すると思われる
そうなると氏郷+三成の構図が
家康が叛旗を翻す→氏郷が会津で挙兵→家康、会津討伐に軍を進める
三成も上方で挙兵→家康、関ヶ原へ踵を返す→東北の詰めとして伊達、最上が動く
越後の上杉が最上、伊達と対峙する→蒲生軍は江戸に進撃
江戸の守り結城秀康は佐竹、相馬軍が迎える
その間に蒲生軍が江戸に進撃→東軍、またもや江戸に踵を返す
西軍→東軍方の城を落としつつ東軍の背後に迫る
江戸に退却中の東軍を真田が足止め
後ろから三成西軍、前は蒲生軍に挟まれ東軍壊滅
0512人間七七四年
2008/02/04(月) 17:07:23ID:T3JqIQ/70513人間七七四年
2008/02/04(月) 21:01:39ID:RfwUxQ+w氏郷の娘は利長の弟(利政)の嫁
相聟なのは秀吉の意志は関係ないけど
氏郷の娘が利政に嫁ぐのは当然秀吉の承諾(指示?)があってのことだろう
秀吉としては前田と蒲生が婚姻関係で強く結びつくことを歓迎していた、と考えて良いのか
それとも、氏郷の首に縄を付けるために、前田との関係を強化させたのか
どうなのかしらね
0514人間七七四年
2008/02/05(火) 09:46:25ID:+7GOAFe4氏郷が前田利長賞賛する話もある 何故か利家への話と摩り替ってる事が多いけど
0515人間七七四年
2008/02/07(木) 07:06:19ID:+Wy4T8ek氏郷が生きていれば、この時に歴史が動く。
0517人間七七四年
2008/02/10(日) 16:15:15ID:uoLkI7Dcいやその頃の前田はまだ能登しか任されていない
信長にとって利長は利家より有能と評価してた説のほが説得力ある
0518人間七七四年
2008/02/11(月) 13:10:14ID:4FAk6i/8なぜそうなる?
0519人間七七四年
2008/02/11(月) 16:53:48ID:KYWDVmxm氏郷が反家康に立ち上がればいいわけだな
蒲生氏郷軍
氏郷、前田、石田、上杉、宇喜多、佐竹、相馬、大谷、小西、毛利、立花
勝てんじゃねーの?
0521人間七七四年
2008/02/11(月) 17:04:26ID:KYWDVmxm反家康という目標があるのなら三成一派も味方になるはず
毛利だけは微妙だが
0522人間七七四年
2008/02/11(月) 17:07:37ID:ramajtpfむしろ同じ目標の者同士が、主導権をめぐって争う事の方が多いってもんだ。
0523人間七七四年
2008/02/11(月) 17:28:02ID:KYWDVmxm目標と言っても相手は人間なんだよ
敵の敵は味方という言葉を知らないのか?
0525人間七七四年
2008/02/11(月) 18:08:16ID:fYnrwswg石田→勝手に死闘はじめんなゴラァ!
上杉→会津ゲットのチャンスじゃね?
佐竹→会津ゲットのチャンスじぇね?
相馬→会津ゲットのチャンスじゃね?
大谷→ハイハイ調停調停、仕事仕事
小西→ハイハイ調停調停、仕事仕事
毛利→毛利は関係ございません
立花→東国じゃ戦の機械はねーな、残念(戦馬鹿)
0526人間七七四年
2008/02/11(月) 18:14:14ID:KYWDVmxmそれは秀吉死後に
氏郷が家康よりも先に政権内の主導権確保の為に
他家との勝手な縁談などの
秀吉との誓約を無視した行動を起こすという前提で
はじめて成立する話だろうが
それなら先に、その可能性を立証してみろ
バカ
0527人間七七四年
2008/02/11(月) 18:16:16ID:KYWDVmxmはいはい
自演乙自演乙
0528人間七七四年
2008/02/11(月) 18:19:38ID:ramajtpf例えば「反徳川」って同じ言葉で括られている集団の中にも、その内実は
「家康を滅ぼす!」ってヤツから「権力が集中しすぎているからそれを分散してくれればいい」、さらには
「立場的に反徳川の姿勢をみせとかなければならない」ってのまで相当な「温度差」がある、ってことが
わからないんだろうな。
0529人間七七四年
2008/02/11(月) 18:49:39ID:KYWDVmxmそれは「反三成」って同じ言葉で括られている集団の中も同じじゃねーかw
「三成を滅ぼす!」ってヤツから「権力が集中しすぎているからそれを分散してくれればいい」
「立場的に反三成の姿勢をみせとかなければならない」ってのまで相当な「温度差」がある、ってことが
わからないんだろうな。
てか、オマエの家康マンセーの思い込み強すぎ
0530人間七七四年
2008/02/11(月) 19:12:22ID:V9LtY2LZ0531人間七七四年
2008/02/11(月) 19:28:31ID:KYWDVmxm体裁だけは一応、毛利を総大将にするってのなら
氏郷だってできるわけだしね
それよりも、氏郷が生きていた場合
小早川隆景死後、間違いなく氏郷が五大老入りしてただろうし
利家ラインを維持できれば名分もつくんじゃないか
0533人間七七四年
2008/02/11(月) 19:42:13ID:fYnrwswg色んな五大老候補がいるもんですなぁw
0534人間七七四年
2008/02/11(月) 19:49:18ID:9ZFxUI/e結城などは家康の子息でもあるし、実力はせいぜい10万石程度。
佐竹も早くから秀吉によしみを通じていたとはいえ、上杉や蒲生を
差し置くだけの重鎮とはいえない。
0535人間七七四年
2008/02/11(月) 19:57:20ID:KYWDVmxm問題は三成自身が
東軍の豊臣恩顧大名に嫌われまくってたってことだろ
それが東軍の強い結束に繋がった一因なわけだし。
でも利家健在の頃に家康が同じ行動を利家に対して起こしても
東軍の結束は同じように高くならなかっただろうよ
それどころか軍すら作れない
ならば、その利家死後の前田家に攻め入ろうとした家康に対して
氏郷が救いの行動を起こせば
史実での三成とは全く違う結果になってただろう
0536人間七七四年
2008/02/11(月) 20:01:18ID:KYWDVmxm結城秀康とか有り得ない
順番として
氏郷>義宣>上杉>島津>伊達
こんなもんだろ
やっぱり、そこそこの石高は必要だろ
0537人間七七四年
2008/02/11(月) 20:07:39ID:XHaeKQ970538人間七七四年
2008/02/11(月) 20:15:10ID:KYWDVmxm考えリャすぐに分るだろうが・・
上杉は史実では氏郷死後会津120万石もらってるから大老入りしてんだろ
でも氏郷が生きたままなら越後40万石のままだろうが
それならコネ+石高で佐竹の方が優位なんじゃねーの?ってこと
0540人間七七四年
2008/02/11(月) 20:26:16ID:fYnrwswgそして小早川隆景は37万石なんだが
0541人間七七四年
2008/02/11(月) 20:26:25ID:KYWDVmxm石高に多少誤差があったとしても
蒲生氏郷が生きてる以上
佐竹も上杉も順番からいって五大老にはなれない
0542人間七七四年
2008/02/11(月) 20:30:33ID:KYWDVmxm当たり前だ
秀吉の中国大返しの時に
隆景が必死に追撃しようと主張する毛利家中を宥めたんだから
隆景の判断があったから秀吉は天下を取れたと言えるし
毛利家も政権内で安堵された。
それと似たような武将が蒲生氏郷でもある
0543人間七七四年
2008/02/11(月) 20:44:33ID:fYnrwswgもっとロジカルに答えてくれ
そしてな、その理由で秀吉の天下に貢献したといえば
第一に丹羽長秀であり、第二に池田恒興であり、第三に堀秀政だ
これらが悉く死んだから前田利家や蒲生氏郷にお鉢が回ってきたのであってな
むしろ氏郷は秀吉に90万石に取り立てられた武将であり、秀吉に恩こそあれ、秀吉に恩は売ってない
0544人間七七四年
2008/02/11(月) 22:34:12ID:KYWDVmxmそりゃ長秀も恒興も生きていれば、功績を認められ大老になれたかも知れない
でも、ここでは氏郷だけ長生きしてればって話しなんだから
早くに死んでいない奴なんか引き合いに出しても無意味なだけじゃん
それと
>氏郷は秀吉に90万石に取り立てられた武将であり、秀吉に恩こそあれ、秀吉に恩は売ってない
現に宇喜多秀家も上杉景勝も、皆が取り立てられて大老になってんじゃん
つまりは氏郷は功績もあれば取り立てもされてる両方に当てはまってるということ
0545人間七七四年
2008/02/11(月) 22:49:17ID:V9LtY2LZつーか、ウッジー生きてれば信長クラスだよ、うん。
で、この話題終了。
0546人間七七四年
2008/02/12(火) 00:34:33ID:Vcp4p/g3本人的には将帥としての信長に憧れてる節があるけど
信長生きていたら本人の望み通り畿内で5、10万石が精々だろうな。代わりに蘭丸や三成や正純ような政権内の官僚コース
豊臣政権の様な大大名にはなってない気がする。「大大名でも田舎じゃ意味ネーよ」とか駄々こねる辺りが可愛いところだ
0547人間七七四年
2008/02/12(火) 07:38:55ID:Ae8IrA+b0548人間七七四年
2008/02/12(火) 07:45:20ID:I428IPkV政治力と武力を縦横無尽に使わないといけない戦国武将としての才能は、全く感じられない。
0549人間七七四年
2008/02/12(火) 08:02:26ID:Ae8IrA+b0551人間七七四年
2008/02/12(火) 13:43:54ID:fqm9iVCcそう考えると秀吉の逸話で兵数差があるとはいえ信長と競わせたのは
むしろ氏郷に万を動かせる男としての箔ををつける意図があったのかも知れない
0553人間七七四年
2008/02/12(火) 19:07:55ID:Vcp4p/g3主に冬姫的な意味でw
0554人間七七四年
2008/02/12(火) 19:28:59ID:OemVjOdX戦に出れば誰よりも先を駆ける勇猛さ
会津の基盤を作った内政力
政宗の謀略を悉く破る智謀
若くから信長の娘婿になるというエリートコースを進み
本能寺の変後は逸早く秀吉に味方する戦略性
明智軍がさった後の安土城を堅守する慎重さ
万能タイプの武将であったと言えるね
小早川隆景 直江兼続 竹中重治 蒲生氏郷
戦国4万能武将だ
0555人間七七四年
2008/02/12(火) 20:08:16ID:2YfvyH4i0556人間七七四年
2008/02/12(火) 22:51:26ID:WeJqz0f90559人間七七四年
2008/02/13(水) 09:39:56ID:D9rMf44K織田軍で見るなら一番槍が誰の家臣か見ると判明する
柴田佐々森などが圧倒的に多い
蒲生隊が登場するのは秀吉時代の伊勢北条攻めなど頻繁に見られる
先駆け武将が戦上手とされているのは本体が来る前に陣形や攻撃方針などを決めている事
大将が戦場に到着する頃には即決戦になっても問題ないように準備したり相手の準備を妨害したりもする
極端に言えば先陣を誰に任せるかで勝負が半分以上決まる
0560人間七七四年
2008/02/13(水) 10:42:28ID:gavKmFDwありゃタダの突撃バカ。
0561人間七七四年
2008/02/13(水) 10:55:11ID:4dEKWabl0562人間七七四年
2008/02/13(水) 14:44:02ID:ZJhlFNeshttp://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x190.html
これってどう? もしこの書状の内容がでまかせなら大阪城天守閣の学芸員に捏造疑惑発生ということになるが。
0563人間七七四年
2008/02/13(水) 18:59:22ID:mqoMGnC8↓
政宗の謀略を破り、家康への牽制役を全うする
↓
隆景死後、五大老入りする
↓
秀吉死去
↓
利家と強く結束し、豊臣政権の後ろ盾を期待される
↓
利家死去
↓
家康が他家との勝手な縁談を進める
↓
五大老の立場から宇喜多、毛利と共に家康を戒める
↓
三成と家康の確執が激しくなる
↓
家康が前田家討伐を表明する
↓
氏郷決起。前田家支持を表明する。三成も氏郷に従う
↓
家康が東軍を結成。蒲生討伐に乗り出す
↓
畿内で三成挙兵
↓
東西両軍関ヶ原へ
0564人間七七四年
2008/02/14(木) 13:52:45ID:odQ7wqTi>>563
まんま景勝じゃん。
氏郷なら景勝みたいにそう易々と戦に持ち込まれる事はなかったのでは?
氏郷なら京都から動かず、家康の巧みな術中に嵌まる事も無かったのでは?
氏郷が存命なら、なんとか戦に持ち込まれる事を避け、政治的に問題を解決できたのではないだろうか?
そういう人物がいなかったからこそ、家康が好き勝手に動けたんだと思う。
0565人間七七四年
2008/02/14(木) 15:40:05ID:SOe33xmDそういう泥沼政治劇や調略劇に向かないし、御しやすい
言ってしまえば立ち技は華麗だが、寝技が全くできない
だからこそ爽やかで見てる分には気持ちいいし、上からは好まれるんだが
氏郷はそういう保護する人がいてこそ輝けるタイプで一人立ちしてどうこうできるタイプじゃない
0566人間七七四年
2008/02/14(木) 16:15:42ID:pF9JCnfg本当に怖い奴はいつもニコニコしている。
0567人間七七四年
2008/02/14(木) 19:10:04ID:LuzC6cl+ソースプリーズ
0568人間七七四年
2008/02/14(木) 19:12:31ID:1UQXwlyq家康の前田家に対する討伐を阻止する行動に出た時点で
かなり歴史が変わると思うけど
ここのスレの人たちにそれを言っても納得してくれないんだよ
是が非でも家康が史実と同じような行動に出て、
氏郷でも利長でも木っ端微塵に打ち砕くと思い込んでる
だから氏郷が存命の場合に、家康が天下取りに動き出す想定をしたんだよ
結論として氏郷存命の場合、家康の天下は疑問符がつくのは間違いない
0569人間七七四年
2008/02/14(木) 20:46:39ID:SOe33xmD老人夜話や利家夜語
前田利長や細川忠興の仲良し大名同士で飲んでた時に
「太閤百年の時に誰が天下を盗れるか」という話題になり、氏郷は利長を指して
「利家殿の他にどれほどの人物がいようか。北陸から京まで邪魔になる者もいない、
西国の毛利輝元が上洛しようとすれば、備前に宇喜多秀家が控えている、
関東の徳川家康が上洛しようとすれば、この俺が会津におる。即座に食らいついて、箱根を超えさせぬ」
氏郷はよく利家シンパにされてるが実際は利長を評価した発言だったりする
同じ信長の女婿同士含む所もあったろう。利長も器量人であり、信長に気に入られ、
信長存命中にすでに城を任されたからな。出だしの悪さがあるとはいえ、追いつけないものがある
秀吉の代になったことで前田と並ぶコトができたとも言えるだろう
0570人間七七四年
2008/02/14(木) 21:33:30ID:LuzC6cl+ソースサンクス
でも、申し訳ないがこの内容と>>565の内容がオレの中で上手くリンクしないんだ・・・
0571人間七七四年
2008/02/14(木) 21:41:43ID:qkrHDVGP>氏郷はよく利家シンパにされてるが実際は利長を評価した発言だったりする
なぜ?
利家が天下取れるの話なのにどうやったら利長の評価に解釈できるの?
0572人間七七四年
2008/02/14(木) 21:59:50ID:LuzC6cl+利家本人の年齢を考えると、名前こそ利家が全面に出るだろうが
実務レベルは後継者である利長が中心になることになる
利家が天下を取る=利長にはその天下取りを支えるだけの器量があった!
ていいたいんじゃないかな
ところで、たまには利長や氏郷と相婿である
丹羽長重のことも思い出してあげて・・・
この人もなかなか優秀な人物なんだけどな
0573人間七七四年
2008/02/14(木) 22:03:47ID:qkrHDVGPさすがにそれは主観的すぎだろう。
個人的に思い入れがあるのは別にいいけど、
あたかも定説であるかのように言わないでくれ。
0574人間七七四年
2008/02/14(木) 22:10:31ID:LuzC6cl+秀吉政権は自由な空気は無かったと思うんだけどな
上で丹羽長重の名前出したけど
この人の経歴て、氏郷の息子(秀行だっけ?)とダブる部分あるよね
二人とも親父(長秀、氏郷)の死後即、
いろいろ難癖付けられてずいぶん領地も削られたよね
0575人間七七四年
2008/02/14(木) 22:45:23ID:SOe33xmDいや、利長は割り食うところが多い人物だからさ
利家の配下じゃなくて、柴田の寄騎扱いだし、氏郷と一緒に信長の家族を匿ってたり独立した武将なんだけど
利家の逸話や評が実際は利長の話だったりしてね。昔っから利家のオマケみたいな扱いでクローズアップされない人だけどさ
0576人間七七四年
2008/02/15(金) 06:44:00ID:W2u9rDNj0577人間七七四年
2008/02/15(金) 09:59:35ID:eZUYxGXC親子の立場なんてそっくり
父より勇猛果敢な息子
共に信長の姫婿
父が近江商人の使い手と算盤侍
本能寺が無ければ同じ道を歩んでた可能性高すらある
0578人間七七四年
2008/02/15(金) 21:58:05ID:BGtA1+Df0579人間七七四年
2008/03/04(火) 15:28:01ID:j44x8BQ40580人間七七四年
2008/03/09(日) 14:18:32ID:1fxUDEt80581人間七七四年
2008/03/16(日) 23:00:59ID:eI99IiuA0582人間七七四年
2008/03/19(水) 09:17:54ID:V7D/EpRQ0583人間七七四年
2008/03/19(水) 13:04:56ID:V7D/EpRQ0584人間七七四年
2008/03/21(金) 03:12:26ID:eQWCv94o0585人間七七四年
2008/03/21(金) 03:49:01ID:roJD346k間違いなく当時の情勢の主要人物にはなった人だよね。
0586人間七七四年
2008/03/22(土) 12:19:59ID:+50DnChj0587人間七七四年
2008/03/26(水) 22:15:19ID:dlZ/Ge0T0588人間七七四年
2008/04/02(水) 14:09:27ID:vMRYoUOQこっちの許可の方が辺境に(福島県)行かされるより蒲生氏郷は嬉しかっただろうなあ。
0589人間七七四年
2008/04/12(土) 02:57:06ID:Qk2VcpTu0590人間七七四年
2008/04/13(日) 16:30:30ID:oLtlFX+4しかも継承する許可貰う為に城まで夜攻めして
そこまでして貰う物か?
別にこの二人の逸話も聞いたことないし意味わからね
0591人間七七四年
2008/04/16(水) 00:34:16ID:Sv8axuNZ0592人間七七四年
2008/05/29(木) 19:08:47ID:82jfakYBの小説買おうかな…
0593人間七七四年
2008/05/29(木) 19:45:18ID:rJqodcIkhttp://b.pic.to/t489v
お松を笑わせろ
(°д°;)あ
0594人間七七四年
2008/05/29(木) 19:51:53ID:TkELC86s蒲生氏郷
小早川隆景
片倉景綱
直江兼続
真田昌幸
武田信繁
竹中半兵衛
大谷吉継
羽柴秀長
香宗我部親泰
0595人間七七四年
2008/06/12(木) 11:15:33ID:MbOlE76t天下とっていただろ
これは間違いない。 秀吉が家康の押さえのために会津に置いた男だぜ
細川黒田福島加藤などの豊臣七将とはランクが違う。
0596人間七七四年
2008/07/02(水) 20:44:46ID:SvW0IMBx0597人間七七四年
2008/07/04(金) 00:04:51ID:9iJkProz0598人間七七四年
2008/07/04(金) 00:54:54ID:P8lD+DTW蒲生 氏郷(がもう うじさと)
http://www.rakuten.co.jp/ningyou/770757/834233/
http://image.www.rakuten.co.jp/ningyou/img10351716583.jpeg
なんだこのおっさんは
0600人間七七四年
2008/07/07(月) 18:37:56ID:KUmwj4wx次に中井黄一の武田信玄かな。
篤姫なんか見てられないよなw
0601人間七七四年
2008/07/07(月) 23:49:58ID:oNfoUjPY殺伐としたやつだけやってくれよ
0602人間七七四年
2008/07/13(日) 22:21:10ID:vDTM/7dH次の直江がもしも昼ドラみたくなったら泣くわ…
0603人間七七四年
2008/07/13(日) 22:50:54ID:+yWH91Rb0604人間七七四年
2008/07/30(水) 21:33:15ID:AUE34oazえ、来年の大河は、
バツ一女がイケ面ダンナを捕まえてラブラブ&尻に敷いて、
主君とその息子からも信頼されて幸せに暮らす、
というお船の方が主人公の、スイーツの夢をかなえるドラマに決定したはずですが?w
0605人間七七四年
2008/08/09(土) 21:32:14ID:QLxcD7Ks高校時代の同級生に蒲生という姓の人がいました。
当時からコーエーファンだった僕は、きっと彼は氏郷公の末裔に違いないと
勝手に思い込んで(;゚∀゚)=3ムッハーしていたのですが、実際のところは
どうだったのだろうかと今になって気になってきました。
氏郷公は直系の子孫はいないそうですが、何かしらの関わりぐらいはあったのかなと。
どう思います?
0606人間七七四年
2008/08/09(土) 23:07:05ID:Ti+9YKYE0607人間七七四年
2008/08/10(日) 20:57:16ID:atwj6awi0608人間七七四年
2008/08/11(月) 03:34:51ID:NZGwxzH50609人間七七四年
2008/08/11(月) 03:39:41ID:H6AdlQLHレオン君てば気前良すぎで、家来とかにバンバン蒲生姓
プレゼントしてたらしいじゃん。
0610人間七七四年
2008/08/12(火) 10:57:23ID:MAB6wsLa0611人間七七四年
2008/08/13(水) 20:23:14ID:Vb/W1yUe0612人間七七四年
2008/08/14(木) 01:26:59ID:FJFFnk550613人間七七四年
2008/08/16(土) 20:28:45ID:uCS34IGM秀吉死後は景勝と手を組むという前提なら面白い流れになったかもしれんね
単独では貫禄、人望共に家康には敵わんだろうし、
本人もそこら辺は分ってただろうから逆に家康に着いたかも、蒲生家の為に
0614人間七七四年
2008/08/16(土) 21:07:31ID:XZprH0QE先見の明はある
0615人間七七四年
2008/08/16(土) 22:47:53ID:vv6B3jyy0616人間七七四年
2008/08/16(土) 22:51:22ID:Z3QErP2i0617人間七七四年
2008/08/17(日) 01:46:45ID:PAcrsyWt0618人間七七四年
2008/08/20(水) 13:13:32ID:sSDGwb6Pただ佐々木氏関係には蒲生家としての義は貫いたと思うよ
200石佐々木の刀持ちとか見栄っ張り大名には無理と言うもの
大国貰っても蒲生家の本分は豊臣家臣じゃないんだよ見たいな筋の通った冷戦は好きだな
0619人間七七四年
2008/08/31(日) 13:30:22ID:fqDl8zGEわざわざ異国の地で仕えるとか聞くと何と無くオカルト臭いのが…
0620人間七七四年
2008/08/31(日) 18:38:42ID:TdtX4aVG話の出所が氏郷の子孫と称する家に伝わる日記という時点で眉唾だがな。
0621人間七七四年
2008/08/31(日) 19:12:21ID:dSdDUQj90622人間七七四年
2008/09/01(月) 17:13:08ID:OqZOmtq7松阪、津の市民グループ製作
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_kan/kan080406_7.htm
松阪市中心部の商店街の女将(おかみ)さんでつくるまちおこしグループ「くらふと結女(ゆめ)」(斎田衣保代表)が、
同市の礎を築いた戦国武将、蒲生氏郷(がもううじさと)と、地域ブランドの「松阪牛」を組み合わせた
マスコットキャラクターを完成させた。また、津市の市民有志でつくる市民グループ「高虎時代行列盛り上げ隊」は、
秋の「津まつり」の時代行列「高虎時代絵巻」を盛り上げるためにキャラクターを作り、名前を「とらまる」とするなど、
活性化へキャラクター作りが続いている。
松阪市の「くらふと結女」のマスコットキャラクターは「がモーくん」と「ふゆめチャン」。「がモーくん」は、蒲生氏郷の
「がもう」と、牛の鳴き声の「モー」を、「ふゆめチャン」は、氏郷の妻「冬姫」と、「くらふと結女」をもじった。松阪牛が
カブトをかぶり、ヨロイを着た武将姿と、着物を着たお姫様姿になっている。
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_kan/img/ky080406_5.jpg
松阪の「くらふと結女」が作った「がモーくん」(右)と「ふゆめチャン」
0623人間七七四年
2008/09/02(火) 09:53:55ID:+lY8Z/UO0624人間七七四年
2008/09/02(火) 14:41:59ID:fKGuDll/0625人間七七四年
2008/09/02(火) 18:54:16ID:YHD+8LdR0626人間七七四年
2008/09/02(火) 22:43:44ID:tAEn6Ahn0627人間七七四年
2008/09/05(金) 18:25:25ID:pRbUYUHM0629人間七七四年
2008/09/06(土) 17:12:26ID:8keMbQFW0630人間七七四年
2008/09/12(金) 18:46:11ID:9Um2fvA8とはいっても大したことやってなかったけど
0631人間七七四年
2008/10/31(金) 23:10:13ID:+l2wudaF0632人間七七四年
2008/11/01(土) 01:57:38ID:KM4URCpB0633人間七七四年
2008/11/01(土) 02:11:26ID:8otsF4EK0635人間七七四年
2008/11/02(日) 21:54:34ID:wtETqeElがむしゃらに天下をめざすとこととか、
人としての器量、立ち居振る舞いにおいて
伊達政宗のほうが人々に慕われてしまうんだよな。
0636人間七七四年
2008/11/03(月) 01:20:39ID:TY5Q+hMA政宗とも充分渡り合ってはいるんだけど、如何せん
政宗のほうが押し出しがいいというか、人目を引くような感が
強いからなあ。しかも若死にした上、家も絶えてしまっているし。
0637人間七七四年
2008/11/03(月) 13:12:52ID:qkaFbgTf0638人間七七四年
2008/11/04(火) 03:48:53ID:aZcxCbPD0639人間七七四年
2008/11/04(火) 05:23:42ID:fuWyh7hC0640人間七七四年
2008/11/07(金) 16:04:39ID:Ng7hrLmo笑わせるな
0641人間七七四年
2008/11/07(金) 21:48:48ID:tM0UErRq0642人間七七四年
2008/11/08(土) 10:39:12ID:6UD25Wgc0643人間七七四年
2008/11/08(土) 13:00:00ID:w+XFgYBi0644人間七七四年
2008/11/08(土) 21:42:40ID:+/QvDXKpそれにしても氏郷は死ぬのが早すぎたな…
0645人間七七四年
2008/12/23(火) 18:55:26ID:w1CqsQMJNo2 No3の器でしょうなぁ…
0646人間七七四年
2009/01/04(日) 12:52:05ID:X2NEw6Nhその場合、一昨年のM-1グランプリの優勝の行方がどうなっていたのかも気になるところだ。
0647人間七七四年
2009/01/07(水) 21:47:50ID:MA42CTtt軍記とか抜きにして、まっとうな業績は何かあんの?
0648人間七七四年
2009/01/28(水) 19:58:47ID:2QI+wsaZ0649人間七七四年
2009/01/29(木) 02:41:25ID:0n3XsfZPていうかなんで直江兼続が伊達政宗の永遠のライバルなんだよ?
どっちかというと政宗のライバルは氏郷だろ!
真田幸村が憧れたとか家康が最も恐れたとかありえねぇ〜!
だったらもし氏郷が大河の主役になったとしたら思いっきり吹きまくってくれ!
「信長からは自分の後継者にと切望され、秀吉からは自分の亡き後の天下人はあいつだと警戒され、会津から家康と政宗の動きを一人で封じ込めた男。文武両道に優れ、茶の道では利休七哲の筆頭に挙げられ、また戦場では自ら陣頭に立ち采配を振り勝利する。
氏郷がもしあと20年、いや、あと10年長く生きていれば、家康の天下は無かった…」と。
まあこれでも今年の大河の主役の持ち上げっぷりよるは現実味があるか。
0650人間七七四年
2009/01/29(木) 02:53:35ID:6KkbQzdL例の政宗の一揆扇動疑惑の時も、最初「政宗が裏で操ってる!」って報告してきて、
それからすぐ後に「あ、やっぱ政宗が裏にいるかどうか確証無いわ」って訂正の報告出して
一気に信用を落としたり。
0651人間七七四年
2009/01/29(木) 14:12:30ID:KSrqA5Xy死に際又は終盤の美しさが足りない
0652人間七七四年
2009/01/29(木) 14:56:46ID:UzYcbTk00653人間七七四年
2009/01/29(木) 18:35:01ID:B3+Mce0X政宗が主役だと、壮年期のライバルとして、両者ともに魅力的に
描ける余地はあるんだが、氏郷が主役だと、これからしばらくして
すぐ死んじゃうからねえ。
辞世は戦国武将のなかでも、トップクラスの出来だとは思うんだけどね。
0654人間七七四年
2009/01/29(木) 18:37:24ID:4jCIZJyVなんか凄いらしいという風聞だけで
0655648
2009/01/29(木) 22:01:27ID:omwOViPhきっといい脚本家がいれば何とか…
まずどこか所属しなきゃな!
スレチごめん
0656人間七七四年
2009/01/30(金) 02:32:00ID:IiJYY8tE秀吉は実績も無い人物に92万石もの所領を与えた訳ですね?
0657人間七七四年
2009/01/30(金) 03:45:13ID:hCF4gTEp悲しいのぉ
0658人間七七四年
2009/01/30(金) 23:47:09ID:nHC5wUSTくれ!って直談判したんだろ。そりゃ秀吉も危険な人物と考えたかもね
0659人間七七四年
2009/01/31(土) 17:32:37ID:nroRzG7Nまさに文武両道の男だった。
0661人間七七四年
2009/02/15(日) 23:23:58ID:TaAyzbKEオヤジの母が蒲生氏郷の直系だそうです。
江戸時代にすぐ改易されてしまい、前田家にお預けになったそうで。
菩提寺も金沢にあるとの事です。偉大な御先祖様なのに、子孫はまるっきりダメポ…
総じて男子は早死傾向です。
携帯から失礼しました。
0663人間七七四年
2009/02/24(火) 22:40:42ID:suOwz+Gn605に直系はいないと書かれていたから書いたのだけどね。
細々とですが、続いていますよ。今は東北に住んでいないです。
男がいなくて、取り潰しになっただけで、女の方は前田家にお預けとなり、婿養子をとって残っているそうです。
0665人間七七四年
2009/02/25(水) 02:19:27ID:tV09uRu4>江戸時代にすぐ改易されてしまい、前田家にお預けになったそうで。
>男がいなくて、取り潰しになっただけで、女の方は前田家にお預けとなり、
>婿養子をとって残っているそうです。
最後の当主蒲生忠知は男子がないため断絶しましたが、女子がいたという記録もありません。
氏郷以降の蒲生家の女子で公的な史料(「寛永重修諸家譜」など)で確認できるのは、
氏郷の娘である籍姫(前田利政の妻)と秀行の娘である崇法院(加藤忠広の妻)の二人だけです。
加賀藩なら藩士録があると思いますが、確認はとってあるんですよね?
0666人間七七四年
2009/02/27(金) 16:44:23ID:p4/LCnySわたしも婚前は蒲生姓やったけど、そんなこと言ったこともないし思ったこともない。
0667人間七七四年
2009/02/27(金) 17:15:43ID:nTUpuZij0668人間七七四年
2009/02/27(金) 19:30:48ID:1Evq1gc80669人間七七四年
2009/02/27(金) 21:41:11ID:PLw8gHMV実際のところは、蒲生姓を貰った重臣のいずれかの子孫といったところ
なんだろうね。
もし本当に(例え庶子でも)氏郷の子や孫がおれば、何らかの形で
蒲生家を残そうとなるか、運動が起きるだろう(実際に、蒲生家が改易と
なる際も、かなり慎重な扱いだったわけだしね)
0670人間七七四年
2009/02/28(土) 05:41:02ID:1R/lpp9bその御先祖様は名乗っているコテハンの主君を裏切った奴だったという面白現場を見たが
そのコテハンはどうなったかなぁ
0671人間七七四年
2009/02/28(土) 14:28:08ID:qKgdFAsN角倉玄紀と正妻(前田利政・籍姫夫妻の長女)の間に男子がいれば、
一応氏郷の曾孫になるんだが、たとえ男でも曾孫じゃダメだろうなぁ。
0672人間七七四年
2009/02/28(土) 14:34:28ID:ULFQdLuEまえ寛政譜をみたら、実際に幾人か子がいたけど、さすがに無理だろうね。
利政夫妻は半ば世捨て人のようなもんだし
0673人間七七四年
2009/03/03(火) 18:39:59ID:tj1FH7CL廃嫡されたとされる氏郷の長男蒲生氏俊はどうなんだろうね
0674人間七七四年
2009/03/03(火) 18:52:53ID:h5pn/dqC0675人間七七四年
2009/03/03(火) 22:29:27ID:IH1JBayx0676人間七七四年
2009/03/03(火) 22:47:58ID:gxIzg4PW(ニコ動)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6290002
(you tube)
http://www.youtube.com/watch?v=YroWZyEozLY
0678人間七七四年
2009/03/04(水) 16:53:15ID:JxykZQ65俺はこれが好きだな。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3265037
0679仙台藩百姓
2009/03/04(水) 20:50:37ID:iYMnFr6C御屋形様は和久宗是殿や浅野弾正少弼(長吉)殿の賢明なフォローで事なきを得たが、忠三郎の
ような「うつけもの」のせいで肝を冷やされたお。こんなヤツが会津に封じられるとは殿下のお考えが
よくわからないお(^З^)!
0681人間七七四年
2009/03/08(日) 15:59:37ID:DPuS0zzE伊達作州(美作守、左京大夫)が太閤殿下にとって危険な男であるのは間違いないからな。
0682人間七七四年
2009/04/07(火) 00:49:28ID:ZZeasq+s鯰尾兜と紹介されてるけど燕尾兜じゃないの?
0684人間七七四年
2009/04/07(火) 02:04:54ID:H0jLLCTT『銀色の鯰尾兜』とされている本などもよく見かける。
この燕尾兜(氏郷の妹(異説有り)が、南部利直に嫁ぐ際に持参したもの)を
指して、鯰尾兜とされるケースもあるようだ。
0685人間七七四年
2009/04/07(火) 07:54:12ID:p4EsYydq秀吉の女中たちにキャーキャー言われてたって何かで読んだ。
0686人間七七四年
2009/04/17(金) 15:56:57ID:gp3UegSX蒲生姓は滋賀と群馬に起源がある。
他にもあるだろうけど。
で、その学者は群馬の方の蒲生さんみたいだよ。
蒲生氏郷スレ日本史板にもあるね。
0687人間七七四年
2009/04/18(土) 01:55:09ID:Ua+d5T9Mそれで秀吉か三成に毒殺されちゃったの?淀がよろめきそーだから。
井上靖の「淀どの日記」では、氏郷と淀殿が親しいような感じで書いてあったな。
0688人間七七四年
2009/04/18(土) 14:30:09ID:sw9vQSP0毒殺説はデッチアゲ。ただの病死。
病気であったことを示す史料は道三の記録にもあるが、
毒殺という記録や噂は当時の史料にはない。
江戸時代になってから書かれたテキトー資料に記載されてるだけ。
0689人間七七四年
2009/06/14(日) 02:27:55ID:2VHquYqP早世だけどかなり充実してた人生送れてただろうな
0690人間七七四年
2009/06/14(日) 13:25:24ID:CR7r7MPD0691人間七七四年
2009/06/14(日) 18:31:36ID:R3ytPnYI0692人間七七四年
2009/06/15(月) 02:21:08ID:N0Ffl34w敵が来るならそれでもいいが領民にはやたら不評だったらしいw
0693人間七七四年
2009/06/23(火) 20:51:03ID:ctq4jeO9・秀吉に疎まれ会津に左遷→それでも92万石←前田利家より多い
どう考えても優秀な武将だったんだな
0694仙台藩百姓
2009/06/23(火) 23:44:06ID:owz1M3xv信長横死後いち早く秀吉に従い一貫して秀吉の天下取りに協力しているし
諱まで変える気の遣いぶりだ
秀吉にとっては数少ない信頼できる人物であったのは間違いないでしょお( ^ω^)
だから会津に大封を与え奥羽の奏者的な役割を任せたのだおうね
0695人間七七四年
2009/07/23(木) 20:40:44ID:taAM9+fy0696人間七七四年
2009/07/29(水) 11:50:27ID:Wi4n3B4P太閤の時越後佐渡両国を領りやーして
七十五万石の領主也抑そもゝゝ此直江山城守ハ
武勇智謀兼備ぶゆふちぼーけんびの者故ゆへ太閤在
世に石田いした三成弓矢の指南逆謀の
相談人也此度の乱利運らんりうんと成ときハ
主人景勝かげかつを北陸道七ヶ国の領主と
して其身ハ主人景勝かげかつの領分不残のこらず
23ページ
配分すべきとの相談に相極り調略てーりやく
して蒲生氏郷うじさとを毒害し其跡あとを
騒かセ終ついに会津を闕所けつしよとなし
主人景勝かげかつを百二十万石にして
所替さセ又景勝かげかつを勧め逆心し
て天下を乱し関東西国関東西国くわんとーさいごく一時に
乱国として本懐ほんくわいを達すべしと
調略てーりやくして是迄図づに叶かなひ今石
0697人間七七四年
2009/08/02(日) 14:38:46ID:nDS8ylaS0698人間七七四年
2009/08/04(火) 00:00:10ID:Y8OCoR5h0699人間七七四年
2009/08/23(日) 20:20:19ID:Rxw5Zd9aしかも、会津には近江商人がどうたら、街が豊かだどうたら
しゃーしゃーと言いやがって(`・ω・´)
0700人間七七四年
2009/08/23(日) 20:29:29ID:gni878ELなんつーか、主人公の半径数メートルのことしかやらない感じだから。
さすが女脚本。
0702人間七七四年
2009/08/23(日) 20:53:15ID:m8TGo+Yf0703人間七七四年
2009/08/24(月) 21:39:38ID:yghkTuRu架空の利休の娘が出てたが、実際会津に利休の次男がかくまわれていた事なんて知らねえんだろうな。
0704人間七七四年
2009/08/25(火) 02:04:08ID:dGp/3C+Kえ?!なんでここで最上出てこないの…?!とか
ここは流石に蒲生家の事には触れるだろうと思ってたが
むしろ出なくて安心したわ 上杉家メインだから主役補正はあっても
全然良いけどナレーションですら全くフォローがないとか
0705人間七七四年
2009/08/25(火) 10:53:28ID:bszP3r9s0706人間七七四年
2009/08/26(水) 20:55:37ID:sn0WxJv2蒲生氏郷公の銅像を見に行きたいのですが何か目印はありますか?
0707地元民
2009/08/28(金) 10:07:44ID:Cc0kQlG9日野高校や松尾の交差点
307号線沿い。
0709人間七七四年
2009/09/01(火) 17:42:11ID:/ZTngodS0710人間七七四年
2009/09/01(火) 19:54:43ID:GBpO3bbN政宗にビビって何もできなかった氏郷がどうしたって?
家康が何をしようとしても、政宗に睨まれて会津から出れんわなwwwwwwww
0713人間七七四年
2009/09/01(火) 20:30:06ID:/ZTngodSん?そっか 移封前は領土で言えば蒲生>上杉か
ってことは大老に景勝じゃなくて氏郷が入る可能性があったわけか
ってことは・・・どうなるんだ?ゲーム脳な俺に教えてくだしあ
0714人間七七四年
2009/09/01(火) 21:45:03ID:IXeS7V7Xわかった。教えてやるからおっぱいうp
0715人間七七四年
2009/09/02(水) 00:31:41ID:1UqCYPVjでも伊達政宗はそれ以上にすごかった
これで満足だろ
0716人間七七四年
2009/09/02(水) 05:03:40ID:89r4k06W0717仙台藩百姓
2009/09/02(水) 09:03:26ID:rwncSpqW豊臣政権としては秀長、Qちゃん、氏郷らを失ったのが痛手だお
そして利家、輝元、景勝みたいなボンクラばかり残ってしまったという皮肉┐ (´ω`) ┌
0718人間七七四年
2009/09/02(水) 09:16:59ID:kWxjRBKQあちこちでレス見かけるけど、要するに天地人への妬みだな。
さすが山形市関係者ww
0719仙台藩百姓
2009/09/02(水) 09:49:46ID:rwncSpqW歴代最高視聴率を誇る独眼竜政宗を知らんのかお?( ^ω^)
0720人間七七四年
2009/09/02(水) 09:53:53ID:Ps6Bn64k0721人間七七四年
2009/09/02(水) 10:06:18ID:c2GVMG0cひたすらマンセーされたらたまったもんじゃねえよ
0722人間七七四年
2009/09/02(水) 19:48:32ID:TD1mpVGf氏郷が多く登場してた大河ってあるかい?
0723人間七七四年
2009/09/02(水) 23:11:19ID:7y/PaiNN0724人間七七四年
2009/09/03(木) 12:22:01ID:Ji3nChMPお忘れなきよう
0725人間七七四年
2009/09/05(土) 10:21:58ID:wMwwcwlB0726人間七七四年
2009/09/10(木) 23:08:58ID:q5ICA9la0727人間七七四年
2009/09/11(金) 01:44:46ID:lGV8KYba0728人間七七四年
2009/09/11(金) 20:02:54ID:MTCo1QsU利家とまつで出てたけど、独眼竜政宗の時程じゃないね。
まあ、氏郷はなかなかイケメンな俳優が演じ、対して政宗はブサイクなオッサンが演じてたので、この辺で少し良い扱いを受けたなと満足出来る程度。
0729人間七七四年
2009/09/13(日) 11:39:48ID:AsD35XJM0730人間七七四年
2009/09/13(日) 16:26:42ID:D3rIz3S80731人間七七四年
2009/09/15(火) 13:26:41ID:euFEoumy何を指して下手糞なのか具体的に書けよ!
氏郷は松阪にも会津にも近江商人を連れて行って商業を発展させ、漆塗などの新しい産業を興したりして、短かい期間でかなり城下町も発展させたはずだが?
0732人間七七四年
2009/09/15(火) 16:18:57ID:klaKSxsB町割
松坂じゃ「氏郷の町割のせいで松阪は発展できない」って、江戸期まで言われてた。
会津若松にいたってはあまりの町割のひどさに、都市として完全に機能しなくなり、
しまいにゃその道に詳しい武田家牢人雇って一から町割しなおした。
0733人間七七四年
2009/09/15(火) 20:55:03ID:PH3Bhlvh0734人間七七四年
2009/09/15(火) 23:14:40ID:euFEoumyなるほど、まだまだ俺は無知だったんだなぁ…
0735人間七七四年
2009/09/15(火) 23:24:10ID:eUOG6csf0736仙台藩百姓
2009/09/15(火) 23:40:11ID:ose7EeKm氏郷というと経済発展を取り沙汰されるから何と無く町割り名人的なイメージあるけど
これは意外な実態だお( ^ω^)
0737人間七七四年
2009/09/16(水) 15:23:00ID:tjrJxbnv0738人間七七四年
2009/09/16(水) 17:47:56ID:z6alIU9oメーカーの住所が「滋賀県蒲生郡日野町」で、何だか良かったw
いまのところ、インフルにも罹っていないし。
0739人間七七四年
2009/09/17(木) 12:34:53ID:nlEYny7A0740人間七七四年
2009/09/17(木) 12:59:02ID:7JLH4sqMところで、立花さんとこじゃ宗茂公の兜の模様をあしらったお守りが発売されて
盛り上がってるけど、蒲生ゆかりの神社やお守りってあるの?
0741人間七七四年
2009/09/17(木) 23:49:44ID:TmamAebs今年の氏郷まつり、今月末まで氏郷公役を一般公募しておられる様子
ttp://www.city.matsusaka.mie.jp/kankou/moyooshi/ujisato/bosyu.html
0742人間七七四年
2009/09/19(土) 20:52:21ID:4OQ3wG4j褒美で、蒲生の苗字をバラマキですかw
0743人間七七四年
2009/09/19(土) 22:54:08ID:k7S5XF84聞くのが好きなのか、語って怖がらせるのが好きなのか
0744人間七七四年
2009/10/05(月) 03:04:30ID:tKQq3/nM名前だけ聞くと激しくて男くさい熱いお祭りかと思ったけど
>>741見ると武者行進かでも一度行ってみたいな
0745人間七七四年
2009/10/23(金) 14:51:58ID:fqyimhQG語られて怖がるのが好き
それは、ともかくエピソードとかかっこいいよな。黒田長政や立花一家と並んで好きだ
姫の戦国で今川家も好きになったが
0746人間七七四年
2009/10/31(土) 12:28:26ID:4MECqVTj2009年10月31日 11時09分
松阪牛のステーキを持ち、かぶとをかぶった水着姿の若い女性をモデルにした
三重県松阪市の松阪競輪のポスターが、市民の間で「品がない」「面白い」
とかんかんがくがくの議論を呼んでいる。
ポスターは31日から開かれる「開設59周年記念 蒲生氏郷(がもううじさと)杯王座」の広報用。
ステーキは市が誇る松阪肉で、かぶとは、松阪城を築いた戦国武将蒲生氏郷にちなむ。
同競輪のポスターで水着の女性を採用するのは初めてで、胸元を隠すかどうか議論されたが
「インパクトが大事」と原案通りにまとまった。2700枚を作製。
10月中旬から、場内のほか公共施設などで掲示したところ、話題沸騰となった。
競輪場から100メートルほどの距離に中学校があり、近くに住む女性(69)は
「教育上良くない」と苦言を呈す。一方、ある自治会の男性(77)は「競輪の売り上げを伸ばすための努力だろう。問題ない」。
「過去になかったポスターを目指した」(金子善生・競輪事業担当理事)という市の狙い。集客増につながるかは未知数だ。
(中日新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009103190110824.html
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/images/2009103199110934.jpg
これは…
0747人間七七四年
2009/10/31(土) 18:53:42ID:2TGFPDeIとしか言いようがない
でも縁の人物だしダメとも言えないわな
話題作りにしては面白いと思う
0748人間七七四年
2009/11/02(月) 00:05:16ID:gb/kij870749人間七七四年
2009/11/10(火) 22:08:48ID:9iQ9VNR1とにかく屋台が多くて松阪商人の商魂を感じた。
0750人間七七四年
2009/11/17(火) 02:07:26ID:41i4CUzA0751人間七七四年
2009/11/17(火) 07:42:53ID:RXFXBDHuのかもしれないけど。
上杉家が神指に城作ろうとしたのも軍備がどうのじゃなくて、町割し直す
のが目的だったようだし。
0752人間七七四年
2009/11/17(火) 17:36:30ID:2CXzq1MA0753人間七七四年
2009/11/20(金) 19:21:05ID:i6mVq+s5ちょっと遅いレスだがよく考えてみた。
秀吉の死後、大老を始め諸将は大抵京都にいて、上杉は新しい領地の整備の為に会津に帰った所で謀反の疑いを掛けられた。
氏郷が生きていれば上杉の会津転封も無かったし、無理矢理戦を起こすのは難しかったのでは?
秀吉亡き後、諸将を味方に付ける為、婚姻などで強引に力を伸ばした家康。
三成との対立はそこから始まった訳だが、もし氏郷が生きていたならどうしただろう?
0754人間七七四年
2009/11/21(土) 16:09:21ID:wRuCMhhg0755人間七七四年
2009/11/22(日) 01:43:27ID:LSKmeF1A氏郷って別に豊臣恩顧じゃないしな
家康だって氏郷に接近するだろうし
0756人間七七四年
2009/11/25(水) 00:33:30ID:xlxJDe4X0757人間七七四年
2009/11/25(水) 01:04:34ID:kgeZhVQ30758人間七七四年
2009/11/25(水) 09:49:53ID:2Y7xC0TE豊臣恩顧じゃないってのはおかしくないか?
本能寺以降いち早く秀吉に付き、近江の一部の領主から会津92万石までに上り詰めた、言わば秀吉傘下の出世頭じゃないか
氏郷が生きていれば、天下を奪おうと暗躍する家康とそれを阻もうとする三成との中間的な立場に立って、第3者的な役割を果たせたんじゃないかなと思う。
0759人間七七四年
2009/11/25(水) 12:33:10ID:ARuxfeJq信長亡き後は一貫して秀吉を支援し天下取りに貢献している
だから秀吉の信頼度も一番だった
氏郷と堀Qが生きていれば豊臣政権の中核を成したのは疑いようがない
0760人間七七四年
2009/11/25(水) 14:46:22ID:Mt7EK0nd前田、宇喜多、細川、加藤などを従えて家康と対立
もちろん氏郷が折れることはないので戦になる
0761人間七七四年
2009/11/25(水) 19:47:01ID:xlxJDe4X逆だろ。利家は氏郷が死んだから織田閥のトップに立った。
基本的に賤ヶ岳以後の織田閥の序列は
丹羽長秀>堀秀政>蒲生氏郷>前田利家
かと。
0762人間七七四年
2009/11/25(水) 19:56:32ID:05nFXxpG長秀>氏郷>利家>秀政だな
0763人間七七四年
2009/11/25(水) 20:09:31ID:xlxJDe4X丹羽長秀>池田勝入>堀秀政>蒲生氏郷>前田利家
小牧長久手後
堀秀政>蒲生氏郷>前田利家
小田原陣後
蒲生氏郷>前田利家
朝鮮役後
前田利家
0764人間七七四年
2009/11/25(水) 22:13:52ID:2Y7xC0TE戦になると言ってもお互い京に居るんだよな。
家康が戦を起こすにはまず相手に領地へ帰る様に促し、すかさず謀反の疑いを掛け、討伐の為に兵を挙げるという大義名文が出来る。それでまんまと前田利長や上杉景勝を陥れた。
氏郷なら前田利長や上杉景勝のように、のこのこと領地に帰って謀反の疑いを掛けるような事はしないだろうと思う。
また氏郷なら加賀に帰ろうとする利長を引き止める事も出来ただろう。
家康がどんな手を使って戦を起こそうとするかが問題だ。
0765人間七七四年
2009/11/25(水) 23:11:11ID:xlxJDe4X家康は嫡男の後見人だ。
氏郷が生きていてもよっぽどのことが無い限り、家康と敵対するようなことは無いよ。
0766人間七七四年
2009/11/26(木) 00:07:26ID:REQIertV氏郷が生きていたら尊敬する利家について家康と対立してたよ間違いなく
0767人間七七四年
2009/11/26(木) 00:14:09ID:7FiLlgLs0768人間七七四年
2009/11/26(木) 01:50:34ID:vxwEgOM6秀行と家康の娘の婚姻は氏郷の死後だろ。
それより氏郷自身と家康の縁といえば、千小庵の助命を連名で秀吉に願い出た事くらいか。
全然家康に恩が無かった訳でもなさそうだな。
0769人間七七四年
2009/11/26(木) 05:05:45ID:AvUm4LEr0770人間七七四年
2009/11/26(木) 05:15:22ID:7FiLlgLs0771人間七七四年
2009/11/26(木) 05:25:15ID:AvUm4LErみんな家康の名を上げたら
氏郷だけ前田利家だと言ったんだろ
家康はケチだから天下は取れないとも
家康派じゃねーよ氏郷は
存命していたら秀吉没後、前田家潰そうとした時に彼が先に立ち上がったかもね
0773人間七七四年
2009/11/26(木) 07:10:30ID:+F23ZH6G0775人間七七四年
2009/11/27(金) 08:53:30ID:wAAkX9Gv行動も発言内容もおよそ天下とは程遠く異常なほど無能丸出し
秀吉をよく知っているだけに馬鹿であり続けたからこそ長生き出来たのかも
秀吉は自分の考えを超える活躍をした武将には厳しいイメージあるし
0777人間七七四年
2009/11/30(月) 21:51:07ID:ZJ2u1sZE政宗を半分の兵力で打ち破る戦手腕にいきなりの会津転封を上手く収めた内政手腕をもってしたら或いは・・・
まあ妄想か 政宗如き打ち破っても大局に影響ないよな
0778人間七七四年
2009/12/01(火) 11:08:31ID:H6g+M4eu氏郷が生きていれば関ヶ原なんか起こってないよ。
ちょっと前までのレスの流れを読めば分かると思うが、家康が戦を起こす口実が無い。
大名衆はほとんど京か大坂にいたからそこでの派閥争いになるだろう。
0780人間七七四年
2009/12/03(木) 23:30:27ID:36HeejxT0781人間七七四年
2009/12/18(金) 17:41:52ID:jcFFjOMg家康は秀吉死んでから直ぐに豊臣恩顧の大名切り崩し始めたんだから
真っ先に前田に暗殺疑惑かけて潰しにかかった
上杉、毛利もこの手で潰しに来たと思う
三成が立ち上がるのは当然
氏郷がどっちにつくか見ものだったな
俺は前田と懇意で家康嫌いの氏郷は西軍についたと思うけどな
天下取りの野望も果たせるしな
0782人間七七四年
2009/12/18(金) 17:43:22ID:jcFFjOMgそれだと
結局は敗戦すると思うがな
0783人間七七四年
2009/12/18(金) 18:23:58ID:PQiv8Ldd前田利長も相当身体の調子が悪かったみたいだしどうなんだろ
蒲生征伐になってたら上杉は越後のまま?それはまた展開が変わる
0784人間七七四年
2009/12/18(金) 20:37:33ID:TX+BymtT0785人間七七四年
2009/12/18(金) 23:52:22ID:9vTWKd/B0786人間七七四年
2009/12/19(土) 00:45:20ID:+WaNqXG4南部利直が氏郷の娘婿なんだよね。
でも利直に嫁いだのって、本や史料によって氏郷の妹だったり従妹だったりで
一定しないけど、氏郷の養女ってことでいいの?
0787仙台藩百姓
2009/12/19(土) 09:20:03ID:i9jkInIn0788人間七七四年
2009/12/20(日) 04:11:44ID:spjiAQGu小牧長久手の戦いで徳川軍撃破してるからな堀は
0789人間七七四年
2009/12/21(月) 16:26:04ID:CahUuDAR会津戦争は終わらないよ
というスレで会津絵蝋燭や
会津塗りを旧薩摩藩士の
三島福島県令が彦根より職人を
招致し完成させたと
言ってる奴がいるんだけど
これって真実?
0790人間七七四年
2009/12/23(水) 06:35:16ID:yTX0XHDpその後、斎藤一の墓にも逝ったがもちろん誰もいなかったW
0791人間七七四年
2009/12/23(水) 11:34:42ID:ARjAvQL4こんな扱いな気がする
確か夏に蒲生氏郷の祭が地味にあった気がする
0792人間七七四年
2009/12/23(水) 13:30:42ID:t3KpnCA5蒲生家が存続してりゃまた違うんだろうけど、やはり会津の人にとって
「おらが殿様」は会津松平家なんだろうな。それでも芦名よりはマシ・・・かな?
0793人間七七四年
2009/12/23(水) 18:11:57ID:Bc3rvJaN俺が思うに氏郷が存命なら、秀頼の守役は氏郷が任命されてたのではないかと思う。
氏郷が死んだ時に秀吉が「これで秀頼の天下は無くなった」と嘆いたという話が実話かどうか分からないが、
実際に守役に任命された前田利家もその時既に体調を崩していた事を考えると、あり得ない話ではないと思う。
氏郷が秀頼と共に大坂入りすれば、伏見の徳川に付く大名は僅かであったろうし、
下手に盟約違反を犯そうなら、秀頼名義で家康を問詰める事も出来ただろう。
氏郷ならそれくらいやってのける事が出来ただろうし、そうでなければ会津の地は任せられなかっただろう。
だから家康も下手には動けず、関ヶ原も起こらないと思うのだか…
0794人間七七四年
2009/12/23(水) 21:41:41ID:4QKhVOlb俺は一石もいらんと言い!
気遣った部下が石高に見合った給料を申告しあわせていったのが
予算制度のはしりだとか…
氏郷が生きていたら、三成の
出番はなかったかもね!
0795人間七七四年
2009/12/27(日) 16:51:24ID:77oIwSOF0796人間七七四年
2009/12/28(月) 15:54:39ID:gVfAA8cY同じインテリグループだが
0797人間七七四年
2009/12/28(月) 15:56:47ID:XvFNtzYVよくも悪くも交友の中心は旧織田家グループ。
0798人間七七四年
2009/12/28(月) 16:55:39ID:u37NORz3年下の伊達政宗には散々いたぶられてしまう。
政宗による包囲殲滅線にノイローゼ気味になった氏郷は
名生城(旧古川市)に立て篭もったままの状態になってしまう。
浅野長政の斡旋によりようやく事は収まったが、この事件も
氏郷の寿命を短くした要因だろう。
0799人間七七四年
2009/12/28(月) 17:38:16ID:Tj8YLVih尻尾に噛みついて決して行かせるものかとおっしゃってたらしい。
そもそも氏郷が在世なら家康対抗の大老に処せられただろうし、
家康と組むことは無かっただろう。
また三成らとは仲が良いというより、毒殺説の関係者としての色が濃い。
まあ、全部ウソだろうけど。
0800人間七七四年
2010/01/05(火) 00:30:18ID:cgE5XMxp器ではあっただろうね。信長の娘婿で文武に秀でて、信長時代からの家臣だから、
軋轢も少ない。
氏郷存命であれば、前田の東軍入りはない。他にも氏郷なら器的に
加藤・福島・細川等の三成嫌いの人達も付き従う可能性はあっただろうし
というか氏郷が健在であれば5大老入りしてもおかしくないし利家亡き
後に家康に対抗できる唯一の存在だったろうね。
関ヶ原の際に三成は毛利を大将に立てたが、これだと豊臣の将が別れるのは
仕方ない。輝元が豊臣家の為といっても、秀吉との付き合いは浅く、まして
秀吉の下で働いてた将たちがわかれるのも納得。
氏郷ならこういった点は考慮できる。上杉がそのまま越後を持ってたとした
越前・越中・能登・越後・会津を西軍側でこれに佐竹、伊達・最上は動けようも
ない。後方の憂いがなくなる前田は戦力の大半を西軍本体に送れる。
関ヶ原がなくなるかは微妙だな。利家が存命中でも私婚させたりしてたし。
他の4大老の連署で戒めてもさしてこたえてない。
氏郷存命で三成襲撃事件の各将及び7本槍が氏郷に従うようだと。
徳川250万石でもさすがにきついだろうな。
0801人間七七四年
2010/01/05(火) 04:39:13ID:IYCq0tlX0802人間七七四年
2010/01/05(火) 05:03:36ID:rWk2kxsi氏郷が目付になったおかげで自身の企てが頓挫しちゃったのは政宗のほうだろう。
秀吉の裁定も政宗の言い分を立てつつも、キッチリ実を氏郷のほうに与えているあたり、
政宗・氏郷の両者が秀吉の手の上にいた感すら受ける(もっとも蒲生の場合は豊臣政権が
バックにある存在だけど)。
0803人間七七四年
2010/01/05(火) 13:47:15ID:cgE5XMxp勤まらないと、秀吉は考えてみてたみたいだもんな。
氏郷亡きあと、上杉に会津を任せたのも納得だし。
秀吉の中では、会津には反徳川・親豊臣の大名を置く必要があったんだと
思う。徳川や伊達を信じてなさそうだったし。
0804人間七七四年
2010/01/12(火) 18:51:50ID:TV0zCY1R堀秀政以下という評価が多いけどさ
実際に戦でぶつかりあったわけじゃないから戦上手かどうかはわからないけど
政宗が扇動した一揆で>>209みたいに優雅に政宗をあしらってるわけでしょ?
まだ政宗が若かったからと言えばそれまでだけど智謀の面じゃ氏郷>政宗じゃない?
会津での商業奨励も目を見張るものがあるしやはり信長の薫陶を受けた人物として相応しいんじゃないだろうか
仮に堀秀政と蒲生氏郷が利家ぐらいに長生きていて堀が関東、蒲生が会津で東ににらみをきかせてたら
かなり豊臣は安定してたんじゃないだろうか 三成がいるのは不安だけど
長文失礼
0805人間七七四年
2010/01/13(水) 12:02:00ID:j2BmZHLb信長よりカリスマ性があり秀吉より戦上手、家康より天下人の器がある
0806人間七七四年
2010/01/13(水) 12:49:16ID:64mCZX0X0807人間七七四年
2010/01/13(水) 14:06:50ID:vb8Wwa3b0808人間七七四年
2010/01/18(月) 07:06:15ID:K5VucU79氏郷の活躍が特別目立ってた訳じゃないと思う
氏郷の戦はほとんどが局地戦だからその辺の采配は優れてたんだろうけどね
氏郷が長生きしてたらすんなり徳川の天下にはなってないかもだけど
氏郷が天下取れたかというと微妙かもしれない
確かに茶人やキリシタン等の関係で交流してる武将は多いけど
利休事件や禁止令で下火になってるから表だっては交流出来ないだろうし
元信長の家臣だった前田、細川、池田あたりとは相性よさそうではあるが
豊臣恩顧や外様大名とさほど交流があったと思えないし
彼らを従える程、根回しが出来るのかは疑問が残る
利家亡き後、秀頼の後見人に収まる可能性は高いけど、石田あたりとは衝突しそうだし
なにぶん会津が本拠地では本人が言ってるように京から遠すぎるしな
0809人間七七四年
2010/01/27(水) 17:48:42ID:jKmKubUMただだからといって家康に勝てるとは思えない
ぶっちゃけあんまり変わらない気もする
ついでにage
0810人間七七四年
2010/01/28(木) 00:03:16ID:4Ltqmrvp0811人間七七四年
2010/01/28(木) 19:46:14ID:Kp+23QGA九州の中でも難攻不落と言われた岩石城をたった半日で落城させ、
その後の九州攻略に大きく影響したそうだ。
0812人間七七四年
2010/01/29(金) 23:55:33ID:0qFdMQE8氏郷本人の器量はともかくここは家臣団の結束がグダグダだから、
宇喜多のようにあっさり切り崩される可能性が非常に高い
ただし史実の上杉と違って隣国越後が味方になるぶん余力はあるかも
0813人間七七四年
2010/01/30(土) 03:46:34ID:hKk9CF0a0814人間七七四年
2010/01/30(土) 18:40:48ID:x44GqIvM0815人間七七四年
2010/01/30(土) 19:27:39ID:hKk9CF0a会津を挟撃出来るポジションになる越後の上杉は、大喜びで徳川について
東方への勢力圏の拡大に勤めるに決まってるじゃん。
0816人間七七四年
2010/01/30(土) 21:52:39ID:z0AMF1510817人間七七四年
2010/01/30(土) 23:54:44ID:JM0S+JVq上杉が欲しがってた土地は会津より越中
0818人間七七四年
2010/01/31(日) 10:37:58ID:zhiRk5L7そんな素振りあったか?
むしろ庄内へは本庄繁長を通じて勢力拡大してるから、
最上と敵対して西軍になると思うけど。
0819人間七七四年
2010/01/31(日) 17:27:20ID:LkxkyWb1そもそも宇喜多の代わりに五大老に入ってしまったり
三成襲撃事件が起きない可能性が出てきたり
前田家にイチャモン付けた時にもなんか動きそうだし
上杉征伐=会津征伐が蒲生征伐になるのか
越後征伐になるのか根本的な所が変わり過ぎて難しいな
0820人間七七四年
2010/04/01(木) 22:23:57ID:xinX/RD3秀吉はあんま好きくない西軍オタ
アンチ秀吉、家康、政宗の人らには妄想ネタに丁度いい人物みたいだね
ファンは氏郷が長生きしてたら云々のifが大好きみたいだけど
それなら堀秀政も同時に長生きしてたらどうなるかね
0821人間七七四年
2010/04/09(金) 04:51:08ID:ABPf5vhS数々の逸話があるからな、信長に娘をくれ!といったり、会津転封の際に
このような東国では天下の機をうかがおうにも伺えぬ。小国であろうとも京の
近くにいるほうがよいといったり、秀吉に朝鮮攻める折に、会津を返上するから
朝鮮をくれといったとかもあるし。利休7哲で交友関係も広い。
ifしちゃうのには、関ヶ原で東軍についた前田・細川・池田との仲。
5大老におそらく石高的にも入っていただろうし。三成等が輝元じゃなく
氏郷を頼ったかもしれないという筋書きも考えうるからな。
後、他の4大老は秀吉死後の家康が秀吉との約束を破りしこんさせたり
してるのを連名で咎めたりしてることを考えれば、上杉が徳川と結ぶ事も
考えにくくないか??最上との関係ももちろんあるし。
利長だって利家の後継いで、秀頼の後見の役割果たそうとしてた矢先に
家康にいいがかりつけられたのに、他の大名は家康を非難しないから
もういいやってなった感じだし。
堀が生きていたとしてここまで歴史の大局に影響を与え得たか?と言われれば
疑問じゃないか??
よくいわれるのが秀長・氏郷。隆景(これは後10年後に生まれれてくれれ
ばとか安国寺の言ったことだが)の誰かが生きてれば面白かったとかいうが。
0822人間七七四年
2010/04/22(木) 15:05:22ID:vk1H/+nt生駒家の養子になった
息子の子孫の有無が気になる
0823人間七七四年
2010/04/26(月) 02:34:26ID:sSTf8EvTどこまで家康に対抗できたかはわからないけど、旧織田閥の有力者としてのつながりはあるから戦力的には困らないでしょ。
関ヶ原の勢力図は全く違うものになってただろうね。
まず氏郷の家康嫌いは有名だし、元々野心家だから家康と対立した可能性は高い。
家康勝利の原動力になった旧織田家勢力は史実では利家死去でまとめ役がいなくなって家康にとりこまれたけど
氏郷がいたら普段からまとまってる勢力はそのまま氏郷側に着く可能性が高いはず。
少なくとも家康対利家の時に前田側についた連中はそのまま(立場的に利家の後継者の)氏郷に着くと思う。
必然と家康は切り崩しやすい外様の上杉とか毛利とかを代わりに引き込もうとしたかもね。
ただ氏郷は奉行連とも折り合い悪そうだから、石田増田長束はどっちに着いてもビリ貧かな。
0824人間七七四年
2010/04/26(月) 02:59:20ID:6WUyszgF0825人間七七四年
2010/04/26(月) 16:32:22ID:rImiVORS信長の下で戦ってるから、いうなれば同じ釜の飯をたべた連中は氏郷を
指示するだろうし。それに伴うキャリアもある。
利長の場合、利家が死ぬ10年ぐらい前に利家が隠居して、利長に家督を譲って
秀吉存命中に5大老の一人として活動させて。なにか困った時に利家がでて
いくみたいな体制を作ってれば違っただろうけど、。
0826人間七七四年
2010/04/26(月) 23:57:45ID:6WUyszgF信長から利家とは別件で所領貰ってるし
つーか氏郷と同じ釜のメシを食べた連中、残ってないだろ
0827仙台藩百姓
2010/04/27(火) 10:21:18ID:XYQkYiCcそれに嫌いだから戦争するとか安直過ぎるお( ^ω^)
0828人間七七四年
2010/04/29(木) 05:00:30ID:huWrzICV>嫌いだから戦争するとか安直過ぎるお( ^ω^)
つ武断派の面々
氏郷なら、あの家康に天下取らせる位なら俺がもう一方の大将になってかっさらってやる、
とうとう俺の時代が来たんだな、位のこと考えても不思議ではないと思ふ。
0829人間七七四年
2010/04/29(木) 17:48:14ID:ar94jU+80830人間七七四年
2010/04/29(木) 23:23:01ID:ZU9ExTIf生きていたら真っ先に家康派に与してくれると俺は思ってる
だれでもかんでも天下取ればいいってもんじゃないし
0831仙台藩百姓
2010/04/30(金) 16:43:21ID:Sf7joQux漏れも>>830と同じ考えだお( ^ω^)
氏郷はいち早く秀吉に馳せ参じて秀吉の下で忠実に天下取りの覇業を助けたお
逸話で言えば家康以上に秀吉に対して暴言吐いているけど
現実には秀吉に逆らうような事は一切なかったお( ^ω^)
葛西大崎一揆の時もそうだったけど氏郷は勇猛なだけではなくかなり用心深いお
だから間違っても好き嫌いで喧嘩売るような真似はしないと思うのだお( ^ω^)
むしろ機を見るに敏な氏郷ならいち早く家康に協力して
旧織田系諸将を引き込むぐらいの芸当はするかもしれないお( ^ω^)
>>829
秀吉が命じたんじゃなかったかお?( ^ω^)
0832す
2010/04/30(金) 23:19:26ID:Nbp2HGtvこの二人なら豊臣恩顧の大名まとめれた可能性はある
2台巨頭が若くして死んでしまった
タヌキだけ長生きしてな
0833人間七七四年
2010/05/01(土) 05:09:57ID:V3vrqLrY0834人間七七四年
2010/05/01(土) 05:31:56ID:XoLFYtG2羽柴秀長
小早川隆景
堀秀政
前田利家
蒲生氏郷
羽柴秀次
加藤清正
真田昌幸
0835人間七七四年
2010/05/01(土) 11:33:35ID:lC20mPYgでもぶっちゃけ
>>834こいつら全員生きてても史実の流れは大差なかっただろう。
そして新たな「〇〇が生きていれば〜」が出現した。
0836人間七七四年
2010/05/01(土) 13:51:45ID:V3vrqLrYそもそも秀長が生きてれば、唯一秀吉に物申せる存在として、各大名頼りに
しただろうし、秀吉が死ぬときに遺言で秀長に全権をゆだねるにすればいいだけ。
秀次がそのまま関白であるなら、秀次の下で政権を固めるだろうし。
家康が動くかもしれんが、史実で言うところの、豊臣臣の連中、福島や山内
等は家康側になびかないだろ。
小早川隆景ないし穂井田元清が生きてれば、毛利内の秀元・広家の2枚体制が
隆景ないし元清の下動いてただろうと思う。
ただ歴史が変ったかどうかは疑問。後隆景が関ヶ原まで生きるのも寿命が厳しい
堀秀政は生きてればとよくいうが、どれだけの所領を得られてる大名に
なってたか謎。60万石以上の所領を持ってれば十分影響力はあっただろうが
旧織田閥、細川や池田・前田利長との関係はどうだったの??家康との関係は?
氏郷も堀とかぶるとこはあるがこちらは、会津、生きていれば5大老。
前田・細川・池田辺りとは仲が良く、上方でのパイプもある。会津という土地は
伊達と徳川に挟まれてる土地だから、これらとあまり関係が良好でない者を
適任者として秀吉はおいたと思うんだが。
氏郷が大局をかええたであろうといわれるのはここだと思う。つまり、秀吉死後
氏郷が徳川とくっつけば、もう関ヶ原みたいなことがあったとしても、
断然徳川有利で終了。逆に、前田・毛利・宇喜多・上杉といった大大名中心に
家康に対抗したら、流石の家康も厳しい。
真田昌幸は大局に影響なし。加藤清正も大局に影響なしだと思う。
利家も生きてたとして後何年生きれたか・・家康が生きた年まで生きれない
だろ。後この人の失態は、秀吉存命中に、引退して利長に後継がせとけば
よかった。秀吉存命中に前田利長を5大老にさせといて、利長に人望集めさせとけ
ばまだ違っただろうとは思う。
0837人間七七四年
2010/05/02(日) 00:01:42ID:CraWvDWJ0838す
2010/05/02(日) 00:23:15ID:sxJk+7HW利長じゃ無理でしょ
蒲生が生きてても上杉討伐が蒲生討伐に変わるだけかも知れない
堀もしかり、上方のど真ん中に所領持ってないと辛い
関ヶ原で戦ったのは宇喜多と石田だけ、豊臣恩顧の大名、徳川方に総寝返りという所にマッタ入れるのが
歴史を変えるヒント
やはり秀次なのかな
0839す
2010/05/02(日) 00:27:25ID:sxJk+7HW勝手に他大名と婚姻結んだりして
んで秀次が家康排除に乗り出してって展開になった時
恩顧の大名が秀次につかなかったら
関ヶ原はまた起こる
やっぱり駄目なのかな、秀次でも、秀次+秀次サポートする力強い人材
このセットで豊臣政権は守ることが可能なのかも知れない
秀次+蒲生&堀かな
0840人間七七四年
2010/05/02(日) 02:51:08ID:D/8eIcmIと思う。全国各地で反家康や親家康が入り乱れて戦いまさか1日で決着が付くとは
思いもしなかっただろう。
0841人間七七四年
2010/05/02(日) 04:03:36ID:CraWvDWJ秀長と並び称された利休は粛清されたし、血縁にあたる秀次もごらんの通り
それに秀長には子が無いのも頭の痛いところである。実際に大和大納言家は断絶したしね
秀次が生きていたら家康は動かん
秀次は直轄100万石に関白の権限、外戚に池田や最上など
秀次付きの前野、木村、梶尾、中村、山内なんかは他に付くメリットがない
よく言われる尾張閥、近江閥なんかとは(実際あるのか微妙だが)両方とも関係が良好(石田三成には秀次系の家臣多いし)
蒲生が毛利、宇喜多、上杉らの中心になることは考えられない
石高では毛利が上で、豊臣との近さなら宇喜多が上、実際に関ヶ原での大将と副将
平素から仲がいい、織田閥出身だから細川らが味方してくれるってのは希望的観測
宇喜多なんかは細川や前田との関係は良好だったけど史実では東西別れた
平素の仲の良さなんてそんなもんだって
利長は利家存命中に利家の代わりやってるよ
利家と利長の間の引き継ぎなんて関係ないんだよ
現実問題として家康が五大老の中で圧倒的な石高を持ってる、それだけが純然たる事実で
その力を背景に政治を保障していくれるってところが秀吉死後における家康のポイント
関ヶ原に限らず、南北朝から応仁の乱なんかもそうだけど、親家康か反家康かじゃなく
「自分の敵が家康に寄って利権を主張しているから、こっちは家康の反対勢力と結びつく」
それだけの事
だから蒲生が家康と接近したら伊達辺りは大人しく家康閥に収まるかは怪しい
0842人間七七四年
2010/05/02(日) 16:25:25ID:xRi80h9t金吾なんて、武将としての器が対してない奴を、小早川に養子に出したり
してるし、自分の親戚関係を積極的に起用してる。秀次しかり。
その中でも秀長は別格だろ。四国征伐を秀吉の名代で総大将にあたり、秀吉から
援軍だそうか?の提案も固辞し、四国平定。
細川と蒲生は織田閥もあるが、ゆうさいと氏郷の関係も近いし、
841の言う所は、三成が主導権を握ってるからっていうのを考慮してないじゃん
言ってることはホントわかるんだけど。前田は自分が家康にはむかおうと
した時に宇喜多とかに助力も求めたけど、力になってくれなかった。
宇喜多には人望あったとしても。それ以上に
三成アレルギーが相当あったって事が大きいでしょ?
じゃないと、三成を襲撃するなんて過激な行動なんて考えられんし
確かに、「自分の敵が家康に寄って利権を主張しているから、こっちは家康の反対勢力と結びつく」
それだけの事 ってのはわかるけど
0843人間七七四年
2010/05/02(日) 16:48:11ID:vVsQUn5Y何の冗談だ。
0844す
2010/05/02(日) 17:29:06ID:fW0Bf2WU0845人間七七四年
2010/05/03(月) 00:26:24ID:/z/Hfiwoそうだね、秀頼可愛さに秀次を殺して金吾から所領を取り上げたよね
血縁重んじてるなー
0846人間七七四年
2010/05/03(月) 01:23:48ID:ZFuyXKUaコネがなければ、秀次なんて関白こなせる器ないだろうし、金吾にしろ
小早川家を相続できる器でもないわ
0847人間七七四年
2010/05/03(月) 01:29:51ID:aIXF9wdH0848人間七七四年
2010/05/03(月) 02:53:41ID:/z/Hfiwo失敗があったなんて記録残ってないし。戦の才能は無かったが
金吾の方は逆に朝鮮で活躍している
陣頭指揮をしたことを秀吉に叱られたが、これは秀吉の好みの問題だろう
陣頭指揮大好きの氏郷に対しても「あれじゃあ戦の具合が悪いと討死するわ」って言ってるし
0849仙台藩百姓
2010/05/04(火) 08:23:10ID:MTJrrYH5余程の気違いでもなければ何もしないで黙っていも普通に運営できるに決まっているお( ^ω^)
0850人間七七四年
2010/05/05(水) 10:25:18ID:0Oun9P+g大過なくやっていた。
0851仙台藩百姓
2010/05/06(木) 23:35:04ID:ub1eNr3Y0852人間七七四年
2010/05/07(金) 00:40:15ID:jksSlxCK家康ですらキャパシティオーバーでてんやわんやしてんのに
0853仙台藩百姓
2010/05/07(金) 08:54:41ID:kDAJt13M氏郷も五万、十万の大軍動かした経験ないし未知数だお( ^ω^)
それ以前に氏郷が石田や上杉の立ち位置につくとは思えないけど
0854人間七七四年
2010/05/18(火) 05:47:38ID:WlFmWOUc0855人間七七四年
2010/05/18(火) 11:20:10ID:H7uab+BS0856人間七七四年
2010/05/18(火) 19:42:11ID:najrni5w0857人間七七四年
2010/05/20(木) 20:40:47ID:JtjYN2CB0858人間七七四年
2010/05/22(土) 02:59:17ID:mVDqZv4h0859人間七七四年
2010/05/26(水) 19:55:00ID:T3tp5FPgどうなったと思う?まあでもそうなると堀が奥州に100万石程度で
この人は家康の旧領に60万石ぐらいだろうか?でもそうなると5大老の座
は厳しいかな?
0860人間七七四年
2010/06/05(土) 12:16:37ID:Prj5urZiむしろ合力しそうな気がする 本能寺後はすぐ秀吉に付いてるし視野広そう
ついでにage
0861人間七七四年
2010/06/06(日) 04:19:52ID:s/m3wPmn親父の賢秀も生きてたからな。あの時点で蒲生家がどんな動きしたって歴史は変わらないしな。
何の参考にもならんわ。
問題は実際に天下がぐらついていて自分でその趨勢に決定的な影響力を行使できそうなときにどうするか。
氏郷は野心家っぽい言動を見せてるからつい期待しちゃうんだよな。
堀のQ太郎は有能だけど野心家っぽくないし堅実だから堅実な方選ぶだろうな。
奥州仕置の時点で92万石だから大老の座は堅いだろ。
うまく利家の代わりに秀頼のもり役の座もゲットできれば家康とは確実に対立するね。
そうでなくても家康は他の大老の力を削ぎにいってるから対立する確率は高いと思うよ。
藤堂みたいに諸侯に先駆けてさっさと服従姿勢でもとってりゃ別だけどさ。
0862人間七七四年
2010/06/06(日) 10:51:12ID:dlXaGYpm氏郷なら案外大軍も上手く動かせたんじゃないだろうか 本当早死にしたのが惜しいね
0863人間七七四年
2010/06/07(月) 03:48:38ID:gMB9Pgxn0864人間七七四年
2010/07/07(水) 16:27:32ID:MavWe+YOその前に生きてたら朝鮮に行くだろうからまたそこで死ぬ可能性もあるわけだがw
会津には福島なり池田なり黒田あたりから、40万石づつくらいで二人入る流れになりそう。
正直、蒲生が生きてるよりも黒田が会津にいる方がすげえ嫌な流れになりそうだがw
0865人間七七四年
2010/08/07(土) 00:46:05ID:AsG41yud0866人間七七四年
2010/08/13(金) 12:27:58ID:7CbkvU7R馬鹿かお前
このスレの1から全部読み直せ
0867人間七七四年
2010/09/10(金) 08:39:28ID:cmoqVBhe0868人間七七四年
2010/09/10(金) 14:36:20ID:GjWTZ9JA0869人間七七四年
2010/09/13(月) 10:37:38ID:V625qmNC0870人間七七四年
2010/09/13(月) 13:29:32ID:kWNHI+300871人間七七四年
2010/09/14(火) 11:03:33ID:nlIkNcto蘆名が地域における統合権力としての実態を喪失していると判断したんだろ。
九州の大友の扱いとかと一緒。
0872人間七七四年
2010/12/23(木) 18:10:49ID:Zd3xaw8O検索してもあんまり情報出てこない。こいつ誰?
0873人間七七四年
2011/01/20(木) 21:22:21ID:lBsB1Qy30874人間七七四年
2011/03/09(水) 23:08:07.61ID:0CEnf9rF0875人間七七四年
2011/03/12(土) 14:03:42.19ID:OoFDgK5N信長の娘を養女にした上で秀吉の側室にするのはしたたかだよな。
0876人間七七四年
2011/04/07(木) 23:53:03.16ID:QnKwuO+v0877人間七七四年
2011/04/08(金) 10:01:35.89ID:WTLYu8Ac0878人間七七四年
2011/04/20(水) 11:10:40.34ID:TC9QxHde0879人間七七四年
2011/04/25(月) 22:36:01.69ID:4YaQbSFu0880人間七七四年
2011/04/29(金) 04:04:09.33ID:NRVl1g+d秀吉が大将としての信長と氏郷を比べたエピソードを見てもそこら辺りが
彼の限界だと思う。
0881人間七七四年
2011/05/09(月) 01:14:29.75ID:mfTQvBzb0882人間七七四年
2011/05/16(月) 17:45:03.31ID:VkDd38qR自身で周辺を切り取ったり状況を作っていくような才能があったようには思えんからな。
そういうタイプは前田利家が限界値だろう。
0883人間七七四年
2011/06/27(月) 16:02:46.20ID:QqcHInF90884人間七七四年
2011/07/11(月) 19:06:19.58ID:a+iSm9do0885人間七七四年
2011/07/18(月) 11:02:49.29ID:splUdoaD0886人間七七四年
2011/07/18(月) 15:32:20.17ID:Nz927ITI信長は毛利軍との決戦のため、安土城を出陣。
城番として安土城を預かることになった蒲生賢秀だが、本能寺の変が伝わり、既に明智軍が瀬田まで進出していることを知る。
この人数では迎え撃ち難し、と日野への撤退を決意した。
賢秀は安土城内のわずかな兵や、信長の身内を連れ、日野城へと向かおうとする。
その際に一人の者が
「安土城には金銀財宝がやまほどある。これをみすみす、明智軍に渡すのは忍びない。
金銀財宝を運び出し、城を焼き払って引き払うべし」と進言。
しかし賢秀は、
「信長様が心血を注いで建てたこの城。蒲生が一存で焼き払ったとなれば、のちのちまで申し開きが立たぬ。
明智方に渡るとしてもそれは運命。致し方もござるまい。」
さらに、
「その際に天守の金銀財宝を持ち去ることもみすぼらしく、世間のそしりを受けるであろう。」
こう言い、安土城の物には手をつけず撤退した。
0888人間七七四年
2011/07/30(土) 04:17:48.30ID:beGCkQ5vしかも氏郷の娘は前田家の次男に嫁いだけど改易。
たしか孫娘が嫁いだ先も断絶。
何か呪われてんじゃないか?
0889人間七七四年
2011/07/30(土) 12:45:32.99ID:KzEkQZmOああ信長さ
0890死
2011/09/16(金) 02:29:26.99ID:+waCb/clうっかり燃やした奴は戦犯な
0891人間七七四年
2011/09/16(金) 06:02:29.66ID:94vUUcH+同時代の人から臆病者とか能力が劣るとか、さんざん馬鹿にされていた。
蒲生氏郷については「トビが鷹を生んだ」とまで言われていた。
氏郷が突然変異で、息子以下は蒲生家の血筋並みの能力値なんだろう。
0892死
2011/09/16(金) 06:06:08.00ID:wZNaWh0r豊臣恩顧の武将、黒田、福島、加藤よりは遥かに有能だよな
この二人を早く失ったのはほんとに惜しい事だと思う
次世代のエースだったのに
0893死
2011/09/16(金) 06:10:12.39ID:wZNaWh0r早死にしてなくても大した活躍は出来なかったかもな、と思ったりする
0894人間七七四年
2011/09/16(金) 06:37:53.60ID:Q8d7OxBx焦燥のあまり頓死したともいえるから気の毒だわな。
0896人間七七四年
2011/09/20(火) 12:42:01.56ID:cZ6UPRIg木村がそんなタマかよ。荒木村重→明智光秀→秀吉と乗り換えた海千山千だぞ?
政宗を東北の田舎者と舐めきっていたのが原因だろう。
0897人間七七四年
2011/10/31(月) 14:14:57.97ID:MmfmTUPS信長のお気に入りは?
0898人間七七四年
2011/11/01(火) 00:04:25.46ID:0qJihu2Q蒲生は器量を見込んだ感じ。
0899人間七七四年
2012/01/15(日) 14:19:22.60ID:u2+mRcgO光栄では、90が閾値。
氏郷の能力は皆、90弱・・・
奥羽の要にするには、荷が重すがいたか?>秀吉さん
0900人間七七四年
2012/01/15(日) 20:11:32.12ID:pIpYiBT80901人間七七四年
2012/02/28(火) 23:42:06.98ID:H5IW6Tej0902人間七七四年
2012/03/01(木) 16:19:25.80ID:MD/5JaUH相当な器量人だったのは間違いない
生きてりゃ関が原でどうゆう働きしたかwktk
0903人間七七四年
2012/03/03(土) 11:03:46.60ID:TkaqGebz前田利家みたいに。
0904人間七七四年
2012/03/03(土) 12:24:53.15ID:iCWYGOXI信長も秀吉も見る目はないね。
0906人間七七四年
2012/03/03(土) 12:35:56.16ID:iCWYGOXI政宗を恐れた秀吉が没収したから棚ボタでもらえただけ。
普通なら5万石程度で終わる男だったのを政宗がチートクラスに有能だったから加増されただけ
0907人間七七四年
2012/03/03(土) 12:39:03.73ID:ROMWvNAt織田厨死ね
0909人間七七四年
2012/03/03(土) 23:14:20.84ID:iCWYGOXI戦下手の4天皇がトップ4なんだからそれ以下の連中なんて鼻くそレベル
0910人間七七四年
2012/03/03(土) 23:16:07.54ID:iCWYGOXI紀州征伐や木造攻め、滝川征伐でけちょんけちょんに蹴散らされて醜態晒したカス武将
秀吉と同レベルの戦下手
0911人間七七四年
2012/03/03(土) 23:20:44.37ID:iCWYGOXI信雄、信孝とか無能でも一族は贔屓しまくりだし能力人事してたなんて講談レベルの俗説だろ
0913人間七七四年
2012/03/03(土) 23:49:16.04ID:iCWYGOXI織田家内でいえばまだ実力は川尻、稲葉、日根野、金森あたりのが上
0914人間七七四年
2012/03/03(土) 23:52:22.99ID:ROMWvNAt0915人間七七四年
2012/03/04(日) 00:05:03.29ID:UcSlsOtY柴田、滝川、明智>秀吉、佐々>佐久間、丹羽、細川、森(父)、蜂谷、稲葉>原田、川尻、日根野、金森、前田
>>>>>>>>>>蒲生
こんなもん
0916人間七七四年
2012/03/04(日) 00:10:24.40ID:UcSlsOtY葦名末期の徳性の連発と対田村、上杉の敗戦、伊達の会津侵攻や須賀川の反乱などで極度に疲弊し荒れ果てた土地を
氏郷に与えたのはそれだけ氏郷がカスだった証拠
いわば左遷だろう
0917人間七七四年
2012/03/17(土) 21:23:02.44ID:GWxNmzWX0918人間七七四年
2012/03/18(日) 08:07:45.23ID:T4vfqWjj0919人間七七四年
2012/03/18(日) 08:21:34.72ID:C8wgi/oG0920人間七七四年
2012/03/18(日) 18:11:47.06ID:SNUJsJETしかも会津なんて葦名の徳性の連発や伊達の侵攻、須賀川一揆で荒れまくってたし
0921人間七七四年
2012/03/18(日) 18:19:39.12ID:71r8N0y1その名の通り、アスペルガー症候群に見られる、頑固・執拗・妄想の激しい人物です。
武田信玄を信奉していて信玄なら天下を取れたと信じ込んでいます。一方で織田信長が大嫌い、徹底的にこき下ろしています。
ちょっとでも武田を叩いたり信長を持ち上げたりする書き込みは絶対に許さないのがだがの信条。
だがは織田厨という人物を目の敵にしています。織田厨は一人しかおらず、武田を叩いたり信長を持ち上げるのは 全て一人の織田厨によるもの と信じ込んでいます。
もちろんあなたも武田を叩いたり信長を持ち上げたりする書き込みをすれば、だがから織田厨の認定を授けてもらえます。
こんなにたくさんの書き込み、一人で書き込むなんて物理的に無理だし、互いに異なる意見をかわしあっているのに同一人物による書き込みとするのは辻褄が合わないのでは…?そんな常識はだがには通用しません。全部織田厨の自演だそうです。
一応社会人のようです。
忙しい合間をぬって織田厨叩きの活動を続けています。大変な執念の持ち主です。
アスペルガーだがはどこに現れるの?
巨大掲示板2chの織田信長、武田信玄に関連するスレに出没します。
板は問いません。主な出没板は戦国板・歴史ゲーム板・日本史板ですが、他にも世界史板や歴史難民板、漫画板など あらゆる板の織田武田関連の話題のあるスレに出没します。
そしてそれらのスレでの都合の悪い書き込みは全て一人の織田厨によるものと思い込んでいます。
アスペルガーだがの書き込みの特徴は?
織田厨と見られる書き込みに対して、全てに反論レスします。律儀にレスアンカー付きで。
例え何ヶ月も前の書き込みであろうと、掘り起こしてレスします。亀レスなどまったく気にしません。
口調はいつも上から目線。とても偉そうな態度で書き込みます。
だがの名前の由来は、「〜だが。」で終わる自己顕示欲の激しい文章を書くことが多いから。
暴言雑言当たり前です。モラルやマナーというものは持ち合わせていません。
強迫性障害と見られ、 レスしなかったら負け と考えています。
まともな議論の時でも、苦しくなると揚げ足取りや知能障害を起こして有耶無耶にしようとします。
別の話題の時でも、「信長はもっと負けてるけどな」などと無理矢理信長の話題に逸らそうとします。そして信長の話になればお決まりの織田厨認定が待っています。
苦しくなると無理な要求を突きつけて自論を正当化しようとするのもだがの常套手段。「武田が負けたって?具体的に武田が負けたと書かれている資料を出せ」etc.
アスペルガーだがはどこに住んでるの?
神奈川県
でも地元の北条は嫌い。
「だが」についてのまとめWIKI
http://www26.atwiki.jp/dagamatome/
0922人間七七四年
2012/08/30(木) 17:40:03.99ID:EI3qBUWG0923人間七七四年
2012/10/11(木) 20:45:13.79ID:kUGhmet80924月孔雀
2012/10/18(木) 07:25:54.93ID:t7sjKnqU政宗が切り取った領地を与えられたのが、氏郷。
動機は十分にある。
0925人間七七四年
2012/10/18(木) 07:26:49.06ID:t7sjKnqU政宗が切り取った領地を与えられたのが、氏郷。
政宗に動機は、十分にある。
0926人間七七四年
2012/10/18(木) 07:28:14.22ID:t7sjKnqU0927人間七七四年
2012/10/18(木) 10:17:37.93ID:NLvgwVqWしかしまあ、かつて暗殺疑惑が唱えられてた頃も何故か政宗より
動機が薄いはずの直江さんや石田さんの方が有名だったりしたが
政宗が当時、自分へとかけられる疑惑を逸らす為にそういう噂を流した可能性はあるね。
0928人間七七四年
2012/10/18(木) 23:39:31.70ID:YwZIZaT60929人間七七四年
2012/10/19(金) 07:46:04.61ID:F/CzVj1r氏郷は三成というより、もっと直接的に秀吉によって殺されたという話もあるなあ。
0930人間七七四年
2012/10/25(木) 16:28:07.11ID:USLHk9P9十字架っぽいのはほかの石垣にもあったけどそれに比べるとものすごく深い。
戊辰戦争の落城寸前まで使われてたらしいけど氏郷の影響だろうか。
0931人間七七四年
2012/10/27(土) 11:05:47.71ID:LoflHrI10932人間七七四年
2012/11/01(木) 15:51:13.25ID:Jd++iOAr0933人間七七四年
2013/04/10(水) 00:27:07.66ID:/zbFiPYP0934人間七七四年
2013/04/11(木) 11:11:22.04ID:VgTSyGRN0935人間七七四年
2013/04/13(土) 21:27:38.27ID:RNb0vrBq0936人間七七四年
2013/04/19(金) 13:05:36.30ID:lP30MpcT豊臣姓を大盤振る舞いしたのに大坂の陣では大名誰一人加勢しなかったどこぞのアホと被るな
0937人間七七四年
2013/05/11(土) 11:11:06.23ID:/+TgyIYB0938人間七七四年
2013/05/23(木) 00:41:17.53ID:thuusWED0940人間七七四年
2013/06/06(木) 19:41:06.07ID:FSKYdGSk0941人間七七四年
2013/06/08(土) 07:19:38.15ID:g2T8U1n00942人間七七四年
2013/06/08(土) 23:09:26.89ID:l9kqmzfG0943人間七七四年
2013/10/29(火) 00:51:49.55ID:11mAVdp80944人間七七四年
2013/10/29(火) 17:33:43.37ID:XqHmt9Ii妹が秀吉の側室になるくらい美人だった
だから氏郷も美男
0945人間七七四年
2013/11/03(日) 08:58:23.53ID:ElVmTQNn関ヶ原の頃まで健在だったら、どんな立ち位置になっていたんだろう。
0946人間七七四年
2013/11/04(月) 22:50:40.15ID:CPsiB/ht0948人間七七四年
2014/05/03(土) 02:59:50.05ID:4McftfXK六角旧臣の取り込みが大前提
0949人間七七四年
2014/05/06(火) 22:20:31.14ID:lJhIvTbT0950人間七七四年
2014/07/11(金) 14:21:38.36ID:dzcPlmGMhttp://natalie.mu/comic/news/120920
0951人間七七四年
2014/07/28(月) 01:45:00.83ID:F/vRKmp8放火犯にしてしまえば
見せ場にはなるかもしれない。
0952人間七七四年
2014/10/01(水) 00:12:41.20ID:ZQbSOQhk0953人間七七四年
2014/10/05(日) 22:51:53.37ID:d90sKYL1信長が桶狭間の前に寿命で死んじゃった
みたいな
0954人間七七四年
2014/12/27(土) 17:38:39.61ID:73m351gFある番組で、朝鮮出兵がなければ、生きていて天下を取っていたかもしれない
ということを言っていたが、氏郷は渡海してなかったはずだが、それも一理あるなと思った。
マニアではないのであれだが、
氏郷の領地からすれば、名護屋までいくのは非常に長い距離であり、しかも近くには伊達や徳川
といっ外様が多い位置で、この状態で留守にして名護屋まで行けと言うのは相当な心労を伴うものだったろう。
下手すると、留守中に領地を奪われかねない。
同じ飛ばされた感のある九州の大名と比較すると、九州は近い上に自分の領土に何かあっても比較的
すぐ戻れそうであり、近くに同僚も多い。(また、慣れてなければ、暖房が発展していない時代なので
暑い土地より比較的寒い土地の方が体調を崩しやすいとも言える。)
というような諸事情がありそうで、そのことを秀吉がもっとよく分かっていれば体調を崩さなかったかもしれない。
生きていれば、92万石と言う領地、これは天下を狙っている大名では家康の次ぐらいに石高が高いと言える。
関が原でも西につけば、総大将クラスになってもおかしくなく、東でも前田家のように後に加増されたかもしれない。
その状態で、家康より若いこともあり家康の死後、事実上中心になってる江戸に比較的近い位置にいるので
どうなっていたか。
0955人間七七四年
2014/12/29(月) 01:16:11.53ID:aKZLio12こいつの下にならついてもいいってとこが無さ過ぎる
0957人間七七四年
2015/01/01(木) 08:03:15.34ID:TonQTpVz先祖たどっていったら、蒲生騒動でリストラにあったぽいけど、それ以上すすまなくて。
400年の時を越えてリストラが隔世遺伝するとはおもわなんだ。
0958人間七七四年
2015/04/19(日) 16:25:23.71ID:C5fXtTUj0959人間七七四年
2015/07/09(木) 20:12:36.63ID:6wfftVKehttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%94%9F%E6%B0%8F%E9%83%B7
0960人間七七四年
2015/07/20(月) 22:42:36.43ID:+3lAvLOK0961人間七七四年
2015/08/25(火) 12:49:28.51ID:Bb8kUWEA0962人間七七四年
2015/10/28(水) 18:12:22.56ID:ilnnScTI文献はありませんがうちのご先祖さまは蒲生一門です。
0963人間七七四年
2015/10/28(水) 18:45:17.34ID:ilnnScTIそんな訳でうちのご先祖さまの場合は自ら退職して南部氏の所へ再就職しました。
0964人間七七四年
2015/10/31(土) 18:29:36.65ID:EYLU4UkS0965人間七七四年
2016/01/14(木) 06:53:28.38ID:JAI59uv40966人間七七四年
2016/01/14(木) 06:55:22.59ID:JAI59uv40967人間七七四年
2016/01/14(木) 06:56:24.70ID:JAI59uv40968人間七七四年
2016/01/14(木) 06:57:51.25ID:JAI59uv40969人間七七四年
2016/01/14(木) 06:58:47.41ID:JAI59uv40970人間七七四年
2016/01/14(木) 06:59:49.98ID:JAI59uv40971人間七七四年
2016/01/14(木) 07:00:35.30ID:JAI59uv40972人間七七四年
2016/01/14(木) 07:01:14.06ID:JAI59uv40973人間七七四年
2016/01/14(木) 07:02:33.15ID:JAI59uv40974人間七七四年
2016/01/14(木) 07:03:16.77ID:JAI59uv40975人間七七四年
2016/01/14(木) 23:27:49.05ID:TWZr/aNU小田原の戦いの後、蒲生氏郷は秀吉から会津92万石を与えられた。
会津は元々蘆名氏の領地だったのを、伊達政宗が攻め取った地である。
小田原参陣で遅れたために秀吉から取り上げられてしまったのだ。
それが「そっくり氏郷に」と思うと政宗はなんとも悔しい。
0976人間七七四年
2016/01/14(木) 23:28:23.20ID:TWZr/aNU奥州の一揆を煽動して氏郷を会津から追い払おうとしたが失敗。
次は境界線についてイチャモンをつけた。阿武隈川をはさんで安達ヶ原と黒塚である。
政宗は、安達ヶ原は蒲生領だが黒塚は伊達領と主張した。
この時氏郷は少しもあわてず、
0977人間七七四年
2016/01/14(木) 23:28:58.48ID:TWZr/aNUという平兼盛の歌を引き合いに出し、黒塚は安達ヶ原に属すとして見事に勝った。
0978人間七七四年
2016/01/14(木) 23:29:31.06ID:TWZr/aNU葛西大崎一揆討伐の際、氏郷は、一揆軍と一緒に政宗に挟撃され、殲滅される
のではないかと怯え、ノーローゼ状態に陥った。(名生城の戦い)
0979人間七七四年
2016/01/14(木) 23:30:06.96ID:TWZr/aNUをしてしまったのだ。城を出たら、政宗にブチ殺されると本気で信じ込んだためだ。
浅野長政が、両者の間に立って仲介したが、氏郷は伊達の重臣国分盛重と伊達成実
を人質に差し出すという条件で、ようやく城からはい出てきたといエピソードが残って
いる。
氏郷の若死には、十歳以上も歳の離れた政宗に翻弄されまくた、そのストレスも相当
影響しているに違いない。
0980人間七七四年
2016/01/14(木) 23:30:37.55ID:TWZr/aNU登り詰めた近江日野の武将。
だからこそ、突然の死には何やら焦臭いものが・・・
毒殺説が多く語られているが、そうだとすれば誰の手によるものか?
その才を恐れた三成、秀吉によるものか、天下取りの支障となると考えた
家康と正宗によるものか?
関連付ける史料が無いので憶測でしかないわけですが、
仮に氏郷が生きていれば家康が天下を取れなかったと考察される史家の方もおられます。
豊臣秀長・小早川隆景・前田利家らの名前もあげられますが
これらと並び称される氏郷は非常に優れた武将だったのでしょう。
0981人間七七四年
2016/01/14(木) 23:31:08.78ID:TWZr/aNU信長は娘冬姫を娶らせた。あの信長が若くして一門扱いだから、優れていたんじゃないの。
ただ基本的に優れた人とは言っても、時期天下人なんて誰も言ってないが。
0982人間七七四年
2016/01/14(木) 23:31:41.92ID:TWZr/aNU「天正一八年には、氏郷は三十五歳、政宗は二十四歳。然もいずれかと
いえば、政宗は歳においては、十二歳の年下であったが、その世態人情
に通暁した点においては、とても衿貴、豪邁なる一本調子の漢たる、氏郷
の比ではなかった。彼は蜘蛛の網を張る如く、八方にその手を広げた。
企て得られるだけのことは企て、なし得られるだけのことはなした。悪魔と
会食する時には、長匙を用いるべしとは、彼に対する適当の言だ。氏郷が
この煮ても焼いても食われぬ代物を相手として、一揆の討伐に従事したのは
すこぶる同情に値することであった」
(徳富蘇峰「近世日本国民史」)
0983人間七七四年
2016/01/14(木) 23:32:48.67ID:TWZr/aNU氏郷は一流企業の御曹司で京大卒
政宗は土建屋の息子で東北大卒
俺の家は金持ちで東北大でてんだぞ
と田舎でふんぞりかえってたら
なんかもっと凄いのがやってきて
しかもオシャレでイケメンときてる
政宗は金のネックレスに金の腕時計で金かけてオシャレ気取ってるつもりだったが
氏郷の洗練されたいでたちに愕然
ちくしょう…東北じゃ俺が一番なんだあ!
とばかりに嫉妬の炎が燃え上がったのだろう
0984人間七七四年
2016/01/15(金) 11:10:57.91ID:UdYF2qqF全く違う
氏郷は
倒産した一流企業(六角)の部長の息子
親父の転職先のベンチャーてワンマン社長(信長)に気に入られ、余り物を押し付けられた
ベンチャー企業のオーナー社長の突然死によって抗争が始まったが
綱渡り的世渡りの上手さで簒奪者豊臣に臣従
何も無い蝙蝠故の悲哀で地縁血縁の無い東北の支店長に着任
地元有力・名門企業の若き天才社長との抗争に突入
ってレベル。
ついでに大学は滋賀大学ってとこだろ
ぶっちゃけ石田三成が嫉妬心と猜疑心に狂った基地外で豊臣秀吉がサイコロでも転がして家臣をコロコロす基地外でもない限りコロコロする理由は無い
いらついてそうな政宗や義光の方が動機は濃いだろ
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