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◆切支丹◆ 高山右近 ◆利休七哲◆

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/12(水) 16:05:08ID:OLmTLQyr
利休七哲の一人として、茶人としての令名もあり
代表的なキリシタン大名でもある
高山右近について語りましょう!
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/18(土) 15:37:06ID:d6orc1Dt
>>35
現代のフロイス現る
0037名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/19(日) 17:35:54ID:jUzw7veB
和田惟政の嫡子を襲って殺害し、高槻城を乗っ取ったのは
ルイスフロイスも書いてるよ。
家来の反撃で腕と顎に傷を受けたが、神のご加護で
助かったって書いてる。
0038名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/23(木) 00:00:13ID:1qdvHOjP
>>37
そのへんをへうげビジュアルで想像

しきれねー
0039名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 00:32:10ID:ASQu0oZQ
旧三好家臣は曲者ばかりだな・・。
実休、存保、義興亡きあと長慶さまがバグったのもわからんでもない。
0040名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/26(日) 03:57:51ID:jNQIuVFA
松永の家臣は父親のときじゃなかったか?確かその時にキリシタンになったはず
それでキリシタン嫌いの松永から
キリスト教の理解者である和田惟政に仕えるが惟政は茨木で中川らと戦って戦死
息子の惟長は父に似ずに仏教信仰の人で
惟政や高山親子によって栄えていたキリシタン文化を毛嫌っていたので、身の危険を感じで謀反
これには謀反は禁止されているのでフロイスらも困惑するがキリシタンのためなので黙認
明智光秀の与力となるが本能寺の変の際に秀吉にいっぱい食わされて秀吉側で奮戦して明石城主に加増
みたいなことと高槻に関係ある者は言うぞ
北國新聞の記事(確か本にもなってる)に詳しいので参考に
ttp://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/index.html
0041名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/26(日) 08:18:41ID:BeS2YfiN
大仏焼討ちのときは右近は14歳だしな 戦場に出てたかどうかも疑わしい
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/29(水) 15:42:52ID:TEhlixNd
和田惟長について、高山右近との抗争の果て死んだという記事と、
家康に仕えて後に旗本になったという話とあるんだけど、どっちが正しいの?
0043名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/06(火) 18:04:31ID:6WPSxryU
秀吉や信長にとって右近の利用価値はキリシタン信徒という事だけだったんだろうね。
能力があるわけでもないし、用済みになったらすぐ捨てられた。
0044人間七七四年2007/03/03(土) 12:33:35ID:su1/BwNy
>>42
徳川の旗本となって、旧領和田を領した
0045人間七七四年2007/03/30(金) 11:07:33ID:nKCR8KAa
切支丹大名の利用価値って
具体的にどういうことがあったんだろう?
0046人間七七四年2007/04/13(金) 23:54:24ID:NkCu7a5T
>>45
西洋の技術とか?
0047人間七七四年2007/04/20(金) 10:25:44ID:bnFw2lOg
宣教師と親しいから、交易に利用できたのかな
0048人間七七四年2007/05/06(日) 15:30:33ID:56TbfRlE
あげ。
0049人間七七四年2007/05/06(日) 20:09:06ID:7JnETUC5
子孫は大分と長崎にいるらしいね
0050人間七七四年2007/05/06(日) 21:48:24ID:ZfOyfjDD
能登(石川県)にもいらっしゃるそうです
0051人間七七四年2007/05/25(金) 15:40:46ID:gtK/5ywi
子孫については下記が詳しいね
発見された経緯まで書いてあるし

右近の先祖、家族、子孫
ttp://www.hi-ho.ne.jp/luke852/ukon/ukonkakei.html
0052人間七七四年2007/06/03(日) 02:02:25ID:LCEXDKBH
島左近に比べて右近の方はパッとしない気がします
0053人間七七四年2007/06/08(金) 23:21:57ID:DV3Rjtt/
高槻でも明石でも金沢でもよいので
しまさこにゃんに対してたかやまうこにゃんを打ち出すべきと思います
0054人間七七四年2007/06/12(火) 16:13:01ID:ty4lmLyc
やはり高槻だろね
地元ではどうなだろか?
0055人間七七四年2007/06/12(火) 23:38:28ID:zlMkcgDh
へうげビジュアル準拠であの南蛮ヒラヒラ襟にクルス着用なぬこでひとつ

で「天草四郎ですか?」と言われて(´・ω・`)と
0056人間七七四年2007/07/06(金) 21:48:54ID:JL1Oxu6R
高山右近は自領でキリスト教を布教していた。
当然とも云えるが、僧侶や興味の無い農民なんかは入教しない。
それに怒った右近は彼らを弾圧、脅迫し、キリストの“慈愛”を自領に広めていった。
右近は言った。
『なぜ主の教えを理解しないか。それはあの者どもが盲目だからだ。
光を照らし、あの者どもの道を照らしてやらねばならん。』
キリストの“愛”を振りまいた右近は満足気だったが、彼が去った後のキリスト教徒は激減したそうだ。
彼の振りまいた教えは、結局は忘れ去られてしまっている。
0057人間七七四年2007/07/07(土) 23:56:30ID:GvrR4rPF
最後には数寄のほうを選んでしまった人だからな
0058人間七七四年2007/08/11(土) 16:13:14ID:Fu646P8L
>>56
領民2万5千人の内1万8千人が切支丹だって?
0059人間七七四年2007/08/27(月) 22:07:29ID:5U6SbxxU
和田惟政を襲って敗死させたのは、親父だっけ?
0060人間七七四年2007/09/05(水) 14:55:32ID:i/SzWdLk
池田方の中川清秀に討たれてのでは=和田惟政
0061人間七七四年2007/09/28(金) 13:37:41ID:WyQeOXDP
高山氏の出自に詳しい人、いますか?
0062人間七七四年2007/10/11(木) 08:22:06ID:hfHYaJ+4
>>56
古代から現代にかけて典型的なキリスト教徒な考えしてるな右近
宗教なんて強制するもんじゃなかろうに
ありがた迷惑っすよキリスト教徒さん
0063人間七七四年2007/11/01(木) 14:09:01ID:C16B4HEZ
>>61
友照以前は?じゃないかな
0064人間七七四年2007/11/12(月) 09:18:06ID:Cy8SH2vN
キリシタンで清廉なイメージがあるかもしれんが、
強かな戦国の人らしく和田惟政の遺児・惟長を追い出して高槻城をゲトしてるw
0065人間七七四年2007/12/01(土) 16:43:25ID:AjrA7A5g
>>64
切支丹から見ればいいかもしれないが、仏教勢力や領民からみれば。。。
0066人間七七四年2007/12/20(木) 16:08:26ID:OkG0qYCc
殉教者なぞはそんなものかもよ。
0067人間七七四年2008/01/12(土) 15:12:12ID:/FF6k8+C
為政者としての評価は高くないということだね。
0068人間七七四年2008/01/30(水) 16:16:51ID:KqEP9P0A
領民2万5千人のうち1万8千人が信徒になるのは すごいっちゃすごいがな。
0069人間七七四年2008/01/31(木) 02:31:26ID:oH5Zwxko
>>68
宇喜多家みたいに、非信徒が迫害を受けたりして騒動が起きそうだな。
0070人間七七四年2008/02/18(月) 17:11:57ID:QQoFmhHK
秀家は切支丹じゃないからなあ 右近の方が苛烈そうだ。
0071人間七七四年2008/03/01(土) 00:27:32ID:Ci4rVaZA
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5a197e856586baf726f6a0e68942b400
0072人間七七四年2008/03/03(月) 00:04:33ID:1AEAMYoN
http://burari2161.fc2web.com/takayamaukon.htm

ここ行ったことあるわ〜
マニラってのはご存知、治安悪くピーナ買春の楽しい町
ここは結構外れにあって観光名所とかではなく、交差点のロータリーの真ん中のスペースって感じ
ひと気は無く車がジャンジャン走ってる真ん中にあったわ
タクシー降りて銅像見て墓拝んで(今思えば日本式で拝んだな・・・)
戦国武将最果ての地ってのが感慨深く思いにふけってしまったのを覚えてる
マニラへ可愛いねいちゃん買いに行くついでに立ち寄ってくれい

0073人間七七四年2008/03/19(水) 15:31:31ID:IzFBhXNa
日本のカトリックプロテスタント両教会か。
キリスト教の世界では今でも大切な人なんどしょうね。
0074人間七七四年2008/04/03(木) 16:05:17ID:vktn0c5O
ガラシャとか右近とか二十六聖人とか、今でも信仰されているようだ
0075人間七七四年2008/04/18(金) 15:36:15ID:O3F5C0qf
耶蘇の何が右近を惹き寄せたのだろうか?
0076人間七七四年2008/05/02(金) 15:14:08ID:jROtc0gy
親父殿の影響でしょ 家族も家臣も洗礼を受けたから。
0077人間七七四年2008/05/17(土) 11:18:25ID:5pt+bcZz
右近の名君ぶりを伝える逸話とかない?
0078人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/03(火) 16:37:25ID:Zdem0jgy
年貢の取立ても厳しかったというからな。
耶蘇側からみた名君でしょ。
0079人間七七四年2008/06/09(月) 06:26:11ID:KYDeYbcR
信仰の為に御家を放り出したのが名君と言われてもねー。
0080人間七七四年2008/06/23(月) 14:43:13ID:IShbO+kB
如水も切支丹だが右近ほど滅茶苦茶はやってない。
0081人間七七四年2008/07/01(火) 06:07:51ID:8bcPtu8Q
この人のウィキ、ひどいね
まるで物語だね
0082人間七七四年2008/07/09(水) 22:45:43ID:e0N2GP9j
あすこはそんなもんです
0083人間七七四年2008/07/23(水) 15:24:38ID:yz4PLcei
切支丹なのがとりえなだけ。
0084人間七七四年2008/08/06(水) 13:10:08ID:qclZQeiN
さて右近のいいところは?
0085人間七七四年2008/08/22(金) 10:41:12ID:9J0PmAYf
武将としてはまずまずかな。
0086人間七七四年2008/09/06(土) 15:37:11ID:JjUNHfxc
そうかな?
0087人間七七四年2008/09/10(水) 03:04:14ID:q4JQeDWc
>>84
キリスト教徒が今でも過剰評価してくれる
0088人間七七四年2008/09/26(金) 22:07:44ID:rOdvjcn6
きりしたん迫害に重要な位置にあった秀吉側近の筆頭侍医「施薬院全宗」
という坊主あがりの医者を知ってるか?
0089人間七七四年2008/10/14(火) 15:30:16ID:QV/etZmz
名前くらいは 右近とはどうなの?
0090人間七七四年2008/10/28(火) 14:20:58ID:GXp4E1u6
施薬院全宗は天敵だね
0091人間七七四年2008/11/13(木) 15:19:39ID:lIgfdLDy
比叡山の関係者。
0092人間七七四年2008/11/27(木) 14:50:40ID:kBPOLal9
小説の全宗読んでないな
0093人間七七四年2008/12/12(金) 14:56:16ID:gnMHpshc
仏教界では嫌われたんですかね
0094人間七七四年2008/12/23(火) 16:25:41ID:WYP7ZfAB
明石の僧侶たちが、高山右近の寺院破却や、僧侶迫害をやめさせるよう
大政所に陳情に行っている。
うちの氏神様の神社も燃やされた。
明石の住民として高山右近にはかなり嫌悪感を持っている。
高槻では明石のような反抗運動は起こらなかったのかな。
0095人間七七四年2009/01/07(水) 14:15:48ID:WY4JvlVC
高槻でも寺社には暴虐を伝える由緒があるようで。
0096人間七七四年2009/01/14(水) 15:16:45ID:+A8fmiaB
高槻は大山祇命降臨伝説がある由緒ある神道伝統の地なのに、
古い寺社がないのは悲しいことだ。
このまえ、古代鴨氏ゆかりの三島鴨神社を文献で見つけて
楽しみにして見にいったが、社殿は昭和になってからつくられた
コンクリートで、近隣の伝統ある寺社もほとんど江戸以降に作られた
ものだった。
0097人間七七四年2009/01/14(水) 18:26:42ID:MrbwwuaZ
高山右近の凄いとこは、マルチな文化人だった事。
確かに今からみれば狂信的な変人。
ポルトガル語は会話、読み書き自由自在。ラテン語も読解可なんて大名は
キリシタンでも当時いなかっただろう。
当然最新の西洋文化は、宣教師を通じて彼の耳から他の大名に流れて行く。
茶の湯では、周知のとおり。

武将としても優れていた。
彼のキリスト教徒ばかりの兵は、石山本願寺戦、紀州攻め、で精強との評価を得ていたが
特に明智光秀との山崎の合戦では先鋒を勤め、決定的な勝利を秀吉にもたらした。
頭の回転が早く秀吉に可愛がられたし、他の武将との交流は夥しかった。
築城家としても優れていた。金沢城の石垣の多くは彼の作。
1万石で前田利家に招かれるほどだから、あながちその実力は本当だったかも。

以上は加賀乙彦「高山右近」、長部日出雄「まだみぬ故郷.上下」所詮小説ですから信憑性は。
前田家に仕官してマニラに追放されるまでは前者が、
和田家との抗争、荒木村重との経緯に関しては後者はとても詳しいですよ。
0098人間七七四年2009/01/14(水) 19:47:45ID:MfeN0ess
荒木村重も明智光秀も、高山右近を自軍の戦力と考えて信頼していたからね。
明智も細川、筒井、高山、中川が自軍として戦ってくれたら
秀吉と互角に戦えると考えていたんじゃないかな。
0099人間七七四年2009/01/14(水) 20:23:11ID:fWe7gLjY
ガラシャは知ってても右近は知らないのが高槻市民だ。
0100人間七七四年2009/01/14(水) 20:37:28ID:Rh/8n3XK
高山右近の嫁はんが高山マリアかな?
豊能町にあるの。
あと、隠れキリシタンの里もある。
0101人間七七四年2009/01/14(水) 22:29:15ID:DCwMsPWH
1578年10月、荒木村重と信長の衝突は、両者命がけの政治、軍事的対決であったし、
結果もそうなった。

この間のキーパーソンが高山一族だったし、右近長房の父高山飛騨守はあくまで
荒木村重に賭けていた。
毛利、石山本願寺、加えて荒木村重と敵に囲まれた信長は窮地に陥り、
高山一族を引き抜くことを主眼として、イエズス会オルガンテイーノ
に涙目で右近の説得を懇願、なかなか埒が明かないとみると
最後にはイエズス会士処刑の脅しで右近を動かすことに成功した。

この時の右近は、父母、家臣にも悟られないよう深夜、極秘単身で居城を
抜け出し、信長のもとに行っている。
この右近の離脱で荒木村重の目論見は瓦解し
事の次第を察知した毛利の援軍は来なかった、とある。
0102人間七七四年2009/01/15(木) 22:33:56ID:XXGjWHCS
>高山一族を引き抜くことを主眼として、イエズス会オルガンテイーノ
>に涙目で右近の説得を懇願

信長が涙目で懇願したのか。
高山右近ってすげーな。
荒木村重が信長と対等なくらいの大勢力とは知らなかった。
0103人間七七四年2009/01/15(木) 22:40:26ID:XXGjWHCS
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E6%9D%91%E9%87%8D
謀反
天正6年(1578年)10月、村重は有岡城(伊丹城)にて突如、
信長に対して反旗を翻した。
一度は翻意し釈明のため安土に向かったが、
途次寄った高槻城で家臣の高山右近から
「信長は部下に一度疑いを持てばいつか必ず滅ぼそうとする」
との進言を受け伊丹に戻った。

ウィキには、こう掲載されてるんだが、
元々の原因も高山右近の親せきの中川清秀の物資横流しだし、
なにげに高山右近ひどくね?
0104人間七七四年2009/01/15(木) 23:05:59ID:eoPQAHJi
103>
ホントそう書いてあるね。

諸説いろいろだよね。

西本願寺に義理で兵糧を入れたことが信長にばれたとか、毛利、本願寺の
連係プレーだとか、この当時摂津一国は荒木村重が掌握していたから威張り散らす
信長のことが嫌いだったとか、佐久間親子追放を見て嫌気がさしたとか。

反イエズス会の本願寺と組むことになる荒木村重よりも、
イエズス会と近い関係の信長の方が高山一族としては組みやすいだろう。

ただし高山右近は、長男を荒木村重のもとに人質として送っていたので
苦渋の決断だった。
0105人間七七四年2009/01/19(月) 16:06:07ID:QHjxd9Ft
キリシタンだからといって評判が悪いわけではない。
同じ播磨地方でも、黒田官兵衛は評判がいいし、
色々と伝承が残ってるよ。
地域の人たちからも愛されているし、寺院や寺は壊さないし。
小西行長もそんな無茶した話しは聞いたことがないし。
高山右近はむしろ例外的な人なんじゃないかな。
0106人間七七四年2009/01/19(月) 23:33:46ID:Tqp6H8E1
大村純忠は、かなりやってたね。寺社、打ちこわし。

小西も、本人は大人だったが、家臣、下々の狂信者は
結構やってたらしい。
強制改宗が島原の乱で噴き出したが、その名残とか。
0107人間七七四年2009/01/21(水) 21:52:05ID:k/KG1PWR
長崎市内の寺院建立は、みな江戸時代以降らしいね。

その以前のは、燃やされちゃったから。
0108人間七七四年2009/01/22(木) 13:14:41ID:09ho1nKP
イエズス会は、今でも右近えらい!みたいですが。

右近と一緒にマニラに追放された内藤如安も数奇な運命でしたね。
0109人間七七四年2009/02/06(金) 02:29:12ID:ZyqIWLqd
私の高山右近のビジュアルイメージは鹿賀丈史。
もちろん信長は高橋幸治、五右衛門は根津甚八だ。
0110人間七七四年2009/02/06(金) 14:30:08ID:WPaJpFE3
鹿賀丈史は三成もやってましたね
0111人間七七四年2009/02/19(木) 18:09:10ID:YULpJTn9
黄金の日日か、渋いねえ。
0112人間七七四年2009/02/19(木) 21:17:05ID:XVAFg4rl
>>111
アリガトウ
0113人間七七四年2009/03/02(月) 04:16:27ID:enHA1WpO
『へうげもの』では、織部&右近とコンビ名がつきそうな勢いだw
0114人間七七四年2009/03/03(火) 00:29:25ID:phydadEB
>>113
最新刊、伊達政宗出演の生CMさえ成功すれば
肝心の伊達の助命問題についてはわりとどうでもよさげなあたりが
大変ひどくて良いと思います>馬鹿義兄弟
0115人間七七四年2009/03/03(火) 23:03:58ID:mMlqnjsD
家康に追放されても「南国!ラッキー!」と海を渡りそうなへうげ右近
漫画板本スレでは「マニラで現地の人も食べない動物の肉を食べて死んだのだろう」ともっぱらの噂です
0116人間七七四年2009/03/03(火) 23:58:51ID:4ZAWOJij
「黄金の日日」では嬉しそうにルソンに渡ってたぞw
0117人間七七四年2009/03/16(月) 15:35:51ID:Kfzj+SlZ
実際は行きたくなったんだろうけど
0118人間七七四年2009/03/18(水) 00:35:38ID:ZzvC4oNr
雪国が長かったので、今度は少し暖かいところへ・・・
0119人間七七四年2009/04/01(水) 14:36:31ID:gMWKzyjV
すぐ亡くなった
0120人間七七四年2009/04/01(水) 15:56:08ID:Fh6XaSTF
そしてハライソへ・・・
0121人間七七四年2009/04/15(水) 15:31:34ID:Gp4qlMot
11月8日に日本を出て 12月21日にルソンについて 翌年の2月3日(4日?5日?)死去。
0122人間七七四年2009/04/30(木) 14:58:52ID:0jfyJMOY
信仰に生きて本人は幸せだったろう。
0123人間七七四年2009/05/16(土) 14:28:15ID:u2kAPHFd
信仰に生きれば火も涼しいって。
0124人間七七四年2009/05/29(金) 14:20:09ID:vqZhVd8+
我が人生に悔いなしってことか。
0125人間七七四年2009/06/11(木) 15:30:38ID:Co2yUCT2
日本に未練はあるって。
0126人間七七四年2009/06/11(木) 15:40:44ID:xjczqtyr
右近様というと鹿賀丈史の立派な鼻の穴が脳裏をよぎる
0127人間七七四年2009/06/23(火) 16:05:02ID:6+cKgGVB
確かに印象が強い
0128人間七七四年2009/06/23(火) 19:38:40ID:UijoIcr8
右近の力
0129人間七七四年2009/06/30(火) 00:25:49ID:lXZAc+pq
黄金の日日の右近さまは「助左衛門の新しい街造りを手伝わせてくれない?」と
関ヶ原直後(!)に自ら呂宋へ渡るフリーダムぶり
史実通りに14年後に没したとしても
それまでにさぞかし南国ライフを満喫したことだろうと思う

でもせめて高岡城は作ってから行っておくれよー
0130人間七七四年2009/06/30(火) 01:12:39ID:I/MQ7X5u
>>129
それは、残ったお主らに任せる。さらばだ!
0131人間七七四年2009/07/15(水) 16:02:19ID:v+KAnkFi
主人公からして創作だから
0132人間七七四年2009/07/18(土) 16:10:38ID:o5fLes4V
創作創作
風林火山の山本勘助と双璧よ
0133人間七七四年2009/07/29(水) 16:31:38ID:cKd0zfnI
それが創作でないとかなんとか。
0134人間七七四年2009/08/08(土) 14:56:49ID:mT2SIFME
右近の何が創作だというんですか。
0135人間七七四年2009/08/11(火) 22:09:43ID:MJWoHvJk
『氏郷忠興牛肉一週間おあずけ事件』だけは嘘のような実話であってほしい
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