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【早雲】後北条家総合スレッド【氏直】

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0001北条信者2006/07/09(日) 08:15:27ID:w53HNuek
北条だけ考察されていないのは理不尽だ!北条も語れ!
時代が違ったり越後辺りの人を語るのはご勘弁。
0008名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 13:10:53ID:z438m1Hw
公方と山内、扇谷がお互いみにくい争いをしてるから、後北条が台頭したんだと思うよ

>>7
多少減封されても、西の毛利なみの勢力にはなってたかな
0009名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 13:16:11ID:PO1TbmLd
【氏綱の輝かしい功績】

政治の面では非の打ち所が無い、早雲が礎として志したシステムを
確実に実現しながら、その一方で鶴岡八幡宮の再興や源平時代の北条姓を名乗る事で
関東の王者として覇を唱えだしたあたりを見ると、父の簒奪者としての汚名をそそごうとしてるようにも見える。

猛将という意味でも氏康にも早雲にも決して劣らない。
氏親の死以降、今川・武田とも伍して戦ってるし、武田信虎と激突、富士川では義元の軍を撃退。
両上杉家や関東公方とも全面衝突、左右で展開しながらも小豪族を懐柔、調略、淘汰を続け版図を拡大、
河越城を奪い、海岸線では里見とぶつかり始めたのも氏綱から。

また氏康の才能を早くから見抜いたり、敵方だった地黄八幡綱成の才覚を愛し、重用するなど
能力を見極める能力にも長けていた。
0010名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 21:06:20ID:hsZNh6SG
後北条は宗瑞、氏綱、氏康と相当の人物がつづいたな
0011名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 21:08:17ID:mgt3rDBl
あとは領土の伸びがいまいちなのをどう見るか。
並み居る強国から相模・伊豆を守って周辺にも侵攻した、という素直な解釈でいいのか?
0012名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 22:21:05ID:bi65QXpa
もしかして後北条って身内間の御家騒動、家督争いってなくないか?
0013名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/11(火) 01:41:52ID:YA79i6+i
両上杉と古河公方、堀越公方、小弓公方、その他関東のほとんどを敵に回して
一時は今川や武田ともやりあいながらあれだけ拡張できたのは立派
0014名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/11(火) 01:45:12ID:ld7b4eVM
>>12
そりゃ、今川家や堀越公方の家督争いに乗じて勢力伸ばしたのが初代だからな。
まあ、ろくに領国持たない時代に思い通りの結果が出せたのは
恐らく在京の伊勢本家と連携して衰えたとはいえ幕府を直々に背景にできたというのが
大きいんだろうな。
0015公孫参2006/07/11(火) 09:29:41ID:39dX74fq
でも氏綱って有る意味5代の中で一番知名度低いよね
0016名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/11(火) 20:22:10ID:6rFjlV9I
ある意味も何も、小学生が知ってる→早雲 中学・高校生が知ってる→氏政・氏直
        ゲーマーに名高い→氏康 オタ→氏綱

ですから。
0017名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/12(水) 17:27:19ID:a0oePZNo
後北条の雄飛の流れを決定付けたのは、氏綱の武蔵南半支配、
国府台合戦勝利等であることは、間違いないと思う
0018名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/13(木) 16:21:35ID:kLXK9P52
両上杉を撃破するということは関東の支配者が変わるということだからな。
越後からやってくる謙信や佐竹程度の連中では対抗馬になれない。
0019名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/13(木) 19:02:50ID:NtTCxvbf
滅亡しなかっただけマシとするか
たったの一万石なのを嘆くか
0020名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/13(木) 19:11:25ID:lZfWT2cg
今日初めて小田原行ってきた
氏政・氏照公の墓所行ったけど繁華街の中にひっそりと、しかも目の前がゴミ捨場って…
あんまりだよ(´・ω・`)
0021名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/14(金) 17:03:35ID:B2VjxR1O
>>19
高家とか旗本とか、はたまた完全に消えた家も多い中で
大名として残ったんだからよいじゃん
0022名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/14(金) 19:20:24ID:UxGhIFdY
城自体もあれだしな。市民は北条五代を暗唱できるのか?
0023名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/14(金) 22:43:47ID:Fx6Hby8C
>>20
漏れもこないだの土曜日に行ってきたお
もちろん御大途の御遺志に背かぬよう、鈴をもらってきたお

中世小田原城テラヒドス。
主郭が住宅地と学校で、想像すらままならない。
0024名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/14(金) 22:45:13ID:8shVWqOD
そういえば今でも学校じゃ宗瑞を下克上の代表例みたいな教え方してるんだろうか?
0025名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 01:42:44ID:d6vnhM68
今でも子孫の北条伸作君は人生の勝ち組だよ。
創価学会の幹部で聖教新聞勤務。
叔父さんは創価学会の会長だったし、
おじいさんは子爵だ貴族院議員から戦後参議院議員やった。
0026名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 02:51:14ID:FDxe49h/
>>20
>目の前がゴミ捨て場
えっ、ここ2〜3年行ってないけど、ゴミ捨て場って何?
通り面して商店街じゃなかったのか。
0027名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 02:53:48ID:FDxe49h/
>>22
とりあえず、北条五代コスプレ行列祭りは
小田原で1番大きな祭りのはずです。

何年か前、督姫をヒロインにした市民劇もあったはず。
0028名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 09:04:57ID:CWAN8zU3
>>23
玉縄北条家の居城玉縄城址も女子校になっちゃって観光すらできないよ・・・
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 09:21:02ID:8HbuVMK5
>>26
あ、ごめん。目の前ってゆーか墓所の階段の下のとこ。うまく説明できない…。
ちなみに俺も鈴もらってきたよ。
願いがかなったらまた返しに行ってくる!
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 10:40:41ID:0mizEKA1
>>25
それは江戸時代の終わり頃に狭山藩が養子に迎えた伊逹の人間の子孫
0031名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 18:40:42ID:CVFYENV5
>>1
ここって史板の北条五代スレと、どう違うの?
0032名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 18:43:14ID:9f7NjmDi
板が違う。
0033名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 20:27:19ID:QHia+J9G
>>31
名目は北条家の一員なのだから別によいのでは
0034名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 22:15:37ID:bOZOr+QQ
創価学会では北条家が人気なんですか?
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/17(月) 04:11:42ID:YpuCQ9V7
大人気だろ。
病人と乞食の団体とまで呼ばれた創価学会の中で
唯一といって良いくらいの名門貴公子だよ。
いまは池坊とかあるが。
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/17(月) 16:27:20ID:o+ppUsal
>>35
池坊って生け花だかの?
0037名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/17(月) 16:47:23ID:YpuCQ9V7
そう。公明党参議院議員
0038名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/24(月) 06:08:04ID:Myx4V+6L
46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 12:30:15 ID:8I3g9aE9
北条氏康

北条家の三代当主。二代当主の氏綱が没し家督を継ぐ。
河越城が両上杉・足利に包囲された時は「これまで奪った領土はお返しする。」
と相手を騙し、更に夜襲という姑息な手段で敵を殲滅する。
その後は東駿河を攻め興国寺城を奪うも、戦下手ゆえ奪還される。
しかたなく駿河を放棄し、武田・今川と同盟を組むのである。
上杉軍が来襲した時は城に将兵と兵糧を蓄え、
民は見殺しにするという旧日本軍ばりの人命軽視の策を立てる。
結果的に上杉は撤退するものの、北条の関東覇権構想はもろくも崩れ去った。
後顧の憂いを立ち里見氏と戦うも、戦下手ゆえ劣勢に。
綱成の進言によりなんとか勝利を収める。
武田が今川を攻めた際も、関東のみに拘る無策振りで今川を滅亡させる。
恩義ある同盟国も力がなければ助けぬという卑劣な考えである。
上杉と同盟し武田とあたろうとするも、領土問題を解決できず同盟すらまともに結べなかった。
しかし後の名君氏政を始めとする四人の子の活躍により、
関東を制圧。武田との講和にも成功する。
自身は無能だが勢力を拡大する様は、「関東の死屍」と呼ばれた。

ちなみに、某ゲーム風に評価すると、統率55知略70政治75 である。
0039名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/25(火) 15:52:43ID:250M6HAG
それでも両上杉を滅ぼしたのは氏康だよ
0040名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/26(水) 04:19:47ID:N4Qk3lOa
これアレだよね、わざと無能っぽく紹介するスレ。

だがとりあえずネタとは言え訂正、関東の獅子じゃなくて相模の獅子だろう。
間違っては居ないけど。
0041名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/26(水) 06:14:22ID:rwKcfGdJ
死屍とはいわないが獅子という勇ましい事跡はあんまりないな。
一つ一つの戦いで苦戦しながらも領土を増やしているから。
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/26(水) 20:37:04ID:+JRrO1Wa
顔に2箇所、体に7箇所も戦傷があったらしいな
どんだけ前線で戦ってたんだよw
0043名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 09:46:46ID:akarBTCO
しかも、すべて向こう傷。
若い頃に、南武蔵での対上杉戦でもらったのかな?
そんだけ前線で戦わせて、氏康が戦死したらどうしたんだよ氏綱。
たしか、兄弟が少なかっただろ。
0044名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 15:42:46ID:IYE5jFoK
信長や元就も前線での戦は多いけど、
敵陣に突っ込むのは氏康ぐらいだよな。
0045名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/01(火) 12:49:31ID:ldztzc0c
そんな武闘派の血は氏照・氏邦に受け継がれたのか。
0046名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 03:08:41ID:wmguDJoN
氏政がゴハンに味噌汁ぶっかけて氏康にこっ酷く叱られた話はかわいいですね。
0047名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 10:48:40ID:qXjx3wn3
それは創作の疑いが濃厚
0048名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:43:04ID:pYkrU3W0
もし家康みたいに自発的に服属しても、やはり小田原城は明け渡しなんでしょうか?
箱根の関と小田原城を握ったままの北条は相当手強いはず。
0049名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:59:11ID:CYl+4rJu
憶測でいうと
地の利がある関東においておく、はずはないと思う
仮に難癖つけて、所領半減の上、転封

しかし替地はなかなかないね
0050名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 18:04:12ID:35MGbDbZ
思い切って北海道へ
0051名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 18:12:43ID:iS4WUduJ
沼田問題で沼田城領有を認めた事からみて、当面の間は関東支配を容認したはず。
まぁ、いつかは転封されただろうがね。
0052名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 20:23:13ID:fEmFvtnV
家康と関東半々なら
睨み合っていいかもね

でも意外と仲はいいか
0053名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/08(火) 00:39:29ID:TQrJl1Wv
引きこもりの王者 北条氏か
0054名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/11(金) 11:26:19ID:bgavF9hd
>>52
氏直は家康の婿殿だからな。
秀忠と氏直は義兄弟。
東国にこの親戚2大名置いとくのは、秀吉としては恐いだろ。
転幇するなら、関東と九州で分断か?

0055名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/11(金) 16:47:34ID:nnFNLocG
>>54
九州よりは、北条は四国の旧三好領かなと妄想
0056名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/12(土) 01:46:17ID:VVdNE9+W

こうゆうのって早いもの勝ちみたいだし
長曽我部は散々抵抗するも土佐一国
佐々も同じく肥後一国
島津は薩摩と大隈その他だし
こんな中で家康と同時期に従属したっていうなら
伊達は間違いなく改易
また中央と連絡を取らなかったと思われる葛西大崎etcも改易
そこに北条が入るわけですが例のごとく大崎葛西の一揆で
咎められて所領減少
さらに秀吉の計略の手が北条家にも届き
何人かは秀吉直属になって
結局60万石あたりで終わりそう
0057名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/12(土) 14:16:19ID:yLGBMV4j
早雲寺殿廿一箇条のでは、
第一に仏と神を信じよ、となってるんだってね

氏綱、氏康もこの遺訓を守り、諸寺諸社の建造や、布施などを良くした

氏康曰く
「われ数度の合戦に勝利を得ること、武力のいたす所にあらず
すべて天運をまっとうして、神明仏陀の擁護による故なり」
0058名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/12(土) 23:50:22ID:VVdNE9+W
武田織田上杉最上伊達島津今川斉藤浅井三好
上げればきりがないくらいの大名は家督争い御家騒動を経験したのに
北条五代は一度もそれらしいものがおきてない件について

なんで?
0059名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 00:15:54ID:X4NXZd10
新九郎長氏は大徳寺で修行してたような男だからな。
信仰への傾斜は大きいだろう。

でも北条家だけでなく、大多数の大名家は政策や自治のためだけでは無く
強固な信仰をもっているのが普通だよ。
0060名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/16(水) 22:30:31ID:7UrJLhGB
北条家は正室を重視していたと聞いた
0061名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 05:02:41ID:3AGFwz2z
幻庵さんが睨みを利かせていたのだろう。
0062名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 14:56:34ID:t9UUrtpW
埼玉県の北条さんの築城って何?
0063名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 15:39:29ID:wYzTbbpA
いくら神仏の信仰を重視してたからって、
創価の手先は無いでしょう、御子孫さん。
0064名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 16:38:52ID:NpIkDzPc
早雲寺殿廿一箇条

ttp://www.ikedakai.com/souunjidono.html
0065名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 19:15:52ID:+GiBGuFa
>>63
ちょwwwwおまwwwwww
0066名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 21:57:25ID:5hlUMiOx
>>63
そろそろ創価も皆殺しだろうし、
北条の血も絶えてしまうね。
残念だ。
0067名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 22:13:35ID:A0iVGu+C
うちにとって後北条家は敵。
0068名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 23:13:10ID:O7HKHRta
そもそも、今の血筋は伊達の血筋だ。

>>>北条浩 - 創価学会第4代会長。子爵狭山北条氏恭(武家華族)の孫

>>北条氏恭 - 従五位下 相模守 下野佐野藩主堀田正衡の三男

>堀田正衡 - 従五位下 摂津守 堀田正敦の長男

堀田正敦 - 従五位下 摂津守 陸奥仙台藩主伊達宗村の八男で近江堅田藩主堀田正富の養子となる
0069名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 02:40:05ID:KPWjzMGH
北条の血は幕末まで。いま北条の血を引いてる可能性がある奴は

徳川将軍家だったりする。
徳川頼宣、徳川頼房の母(お万の方)の母が、北条氏隆あるいは北条氏尭の娘、
または北条氏政養女(=実田中越中守娘)らしい。

また、今川、吉良の血をへて上杉氏にも伝わっているな。

あとは旗本数家、それから幕末の江川太郎左衛門室が北条氏征娘だったり。
0070名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 02:40:46ID:KPWjzMGH
>>69
一行目、狭山藩の北条の血を引いた当主は幕末までということ
0071名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 07:56:24ID:ZqgTosxl
ん?
やたら血筋にこだわる奴がいるが
日本の家なんてのは天皇家は例外として
基本的に家の繋がりであって血の繋がりではない。
そんな事言ってたら養子入りまくりの上杉なんてどうなるんだ?
血の繋がりなんてものは二の次で
問題は家系が繋がってるかどうかだ。
0072名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 08:00:27ID:ZqgTosxl
やたら、このスレで血の繋がりにこだわってる奴は
今の北条家が創価の手先になってるのが嫌だからそんな事言うんだろうな。

でも、早雲の遺訓から言ってもハマッてる気もするが・・・・
0073名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 21:30:49ID:9qz8nVha
肯定してどうすんだよ
北條好き=草加信者
だと思われるぞ
0074名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 23:11:33ID:ofJBGJ64
>>72
>早雲の遺訓から言ってもハマッてる気もするが・・・

人の殺生を生業とする武家が、信仰を重視するのは全く普通のことなんだが?
0075名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/21(月) 13:55:13ID:ZsIQ2lOL
源氏全般のの八幡大菩薩信仰とか
各地の寺社の保護、寄進とか、殆どの大名はやってるね
0076名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 17:53:09ID:CZqMFc6Z
大友さんはやってないね
0077名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/28(月) 03:10:21ID:q+iW6q6d
>>76
最初の頃はやっていたんとちゃうの?
0078名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 14:32:33ID:4MqdH/3X
川越夜戦で勝てたのは風魔のお陰だと
小田原の史料館の電気紙芝居で言ってました。
0079名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 14:37:05ID:70+BGWXr
実績もあり話題性もあるのに何故か地味な印象を受けるそれが北条クオリティ
0080名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 14:31:23ID:1mj972ye
>>76
宗麟は禅にハマってたんだが
0081名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 20:56:50ID:sR+rpn9d
大河ドラマ、タイトルとは裏腹に
また豪快にスルーされてしまいましたね
0082名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 21:16:23ID:3ijg4jfL
人を当ててないのはひどいよな
北条攻めつってんのに
せめて小田原攻めぐらいにしとけば
0083名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 22:55:16ID:D9mgmQCy
北条や島津がいかに凄くても、秀吉の大軍勢の前では残念ながら引き立て役だからなあ
0084名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 18:04:47ID:ZXEgz/tH
まあ、オープニングで氏直の写真が役者じゃなくて、肖像だった時点で
出ないのは予想できましたがな
0085名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 19:45:46ID:Oz2b00jI
今までの合戦の描き方からして、
北条側の登場は無い!と予測していた。

中途半端に変な演出されるよりよほどいいかも。
0086名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 19:48:57ID:4Gs/Aa/X
伊達家の話も無かった
0087名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 20:04:54ID:8gNt9BAL
それは妥当
0088名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 21:56:44ID:x+prl3qE
白装束で土下座なんて見たくもない
0089名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/10(日) 16:59:06ID:soGGk1k6
今更かもしれないけど北條龍虎伝見た。
綱成ファンとして今までこんな本が出てたのに気付かなかったのは不覚。
時代考証は色々と言いたい事もあるけど読み物としてはまあまあ面白かった。
0090名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/10(日) 21:59:52ID:UqVYHxie
北条って言っても普通の人は鎌倉だと思うからなあ・・
0091名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 23:13:41ID:ukfqcmsS
んなこた〜ない。
0092名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 23:18:16ID:4C0ADYq9
いや多いぞ、北条と聞いて執権北条を思い浮かべる奴は。
執権北条=後北条と思いこんでいる奴もいるほどだ。
0093名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 13:37:46ID:WuFp06o1
>執権北条=後北条
直接つながる一族って思ってる人は多そう
0094名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 15:00:11ID:HjnE8B8m
まあ、同じ相模(神奈川県)を本拠に置いた、同姓の大名家では間違えるのも仕方ないけどね。
しかしなら、なぜ伊勢宗瑞が駿東→伊豆→相模と乱入してきたと思ってんだかね。
0095名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 02:05:16ID:ZiSD9u+l
間違える人はそもそも他国から来たなんて思ってないからな。
執権北条と後北条が直接つながってると思ってるなら、早雲が相模の出身と思ってて当然だろう。
0096名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 05:19:20ID:QLZSGOTf
だいたい後北条なんて言い方が紛らわしいわ。
0097名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 07:38:35ID:IQwtZeOC
紛らわしくならないよう考えられたのが
後北条って言い方なんだが、逆に混乱生むよな
0098名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 10:07:37ID:QLZSGOTf
その点、北条高広の空気の読み方は異常。
0099名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 12:36:31ID:7vVSJCFk
氏康って当時の文献でも後の文献でも悪く書かれたモノがないらしい。
「文武を兼ね備えた大人物で一代のうち、何度も合戦をしたが負けたことがない。
その上人徳があって良く家法を発揚したので、氏康の代には関八州の兵乱を平定し
大いに北条の名を高めた。その優れた功績は古今の名将の名にふさわしい」
江戸期に書かれた「小田原旧記」から抜粋。
いやはや、誉められすぎだこりゃ。
ちなみに氏政は「愚か者で国政を乱した」とある。ひどい言われようだ。
0100名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 15:09:31ID:4gzEwx09
信玄が悪く言われず、勝頼が悪く言われるようなものだと思う。
氏康が名将なのは否定しないけど、氏政も凡将ではない。

>>98
誰でも一回は通る道だよなw
0101名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 15:17:29ID:SkGuVhiA
「小田原北条記」もそんな感じだなあ(底本が一緒だったっけ)。
北条関連の文献は早雲と氏康を実績以上に「人徳」や「武勇」などで持ち上げておいて
氏綱は良き子、良き父という「良い二代目」という描かれ方は多いかな。
氏政は滅亡した事実から補正がかなり入っているように思える。
謙信だったか忘れたがかなり氏政を良くも悪くも評価していなかったか?
実際最大版図を築いたのは氏政・氏直時代だし時代もあるけど過小評価されすぎかもねえ。
まあそれを助けた一門衆の結束を築いたのが氏康時代だから何とも言えないが。

一門といえば氏直世代の活躍って少ないな。
小田原合戦時でも綱成孫の氏勝と氏直弟の氏房くらいか、その世代で名前が出る一門は。
まあ実権はまだまだ氏政兄弟が握っていた時代だから仕方ないが。
0102名無し2006/09/13(水) 22:37:23ID:yw+0gX+/
氏康は内政に関しては当時第一級の名君だな。もっとも、それは早雲以来の伝統だが。

他の下剋上大名達が脆弱な支配体制の故あっさりと内紛し衰退していったのに比べ、北条氏の堅実さは稀だよ。子宝に恵まれた家計なのに一族の叛乱が皆無だっただけでもすごいね。

対秀吉の判断を間違えなければ、まさに手本となるような大名だったと思う。

0103名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 23:59:34ID:SkGuVhiA
>>102
それは流石に褒めすぎじゃないか。一族の結束は今日なお賞賛に値すると思うけど。
でも北条家は戦国大名だったんだな、近世大名になれなかった限界があったんでしょう。
戦国大名としての意識が秀吉の上洛要請や惣無事令などの邪魔をしたんだから
戦国の最後を飾るにはふさわしい存在だったとも言えようか…
0104名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 00:07:10ID:SODDrvRJ
氏康は兄弟には恵まれなかったが義兄弟に恵まれたな
0105名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 00:12:48ID:OqeAKOpl
>>103
その戦国の最後を飾るというあたりも含めて、
オレは北条家が好きだ。
0106名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 01:43:35ID:cVARx9B9
>>105
戦国は北条に始まり北条に終わるって言う感じがするな。

0107名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 02:36:52ID:AUgr7LQ+
>>103
戦国大名としての意識がってのは微妙、
北条家は信長に対してはいち早く従っていただけに、
単に秀吉嫌いだった可能性が高い。
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