【早雲】後北条家総合スレッド【氏直】
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0001北条信者
2006/07/09(日) 08:15:27ID:w53HNuek時代が違ったり越後辺りの人を語るのはご勘弁。
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 08:24:10ID:Kt4dJHuU: .,r''',ラx, ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,、 .l“゚” ̄: `゚'i、 .,xネ .タ--r,#━″ .゙''''=,,
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0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 12:33:12ID:ZV58xkq10004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 13:20:26ID:EydD6ce2http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150793072/
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 22:08:59ID:9siP7B1cワロタww
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 23:10:03ID:7NZcTr4W北条氏の出自が相模とは無関係、いわば”よそもの”だったため
地元とのしがらみがなく、大胆な政策を打ち出すことができました。
もうひとつ重要なのは、室町時代、特に関東で在地領主である国人衆の支配が弱くなっていったことです。
つまり彼らが弱体化したために、領地の統制がきかず、年貢も思うように取れない状況だったわけです。
そのため、彼らにとって心強かったのが大名に検地をしてもらうことで、それによって年貢を確保できる。
要するに当時の関東の武家社会には、より強い大名権力を必要とする社会背景があったからです。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 01:16:05ID:jkyHua6b0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 13:10:53ID:z438m1Hw>>7
多少減封されても、西の毛利なみの勢力にはなってたかな
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 13:16:11ID:PO1TbmLd政治の面では非の打ち所が無い、早雲が礎として志したシステムを
確実に実現しながら、その一方で鶴岡八幡宮の再興や源平時代の北条姓を名乗る事で
関東の王者として覇を唱えだしたあたりを見ると、父の簒奪者としての汚名をそそごうとしてるようにも見える。
猛将という意味でも氏康にも早雲にも決して劣らない。
氏親の死以降、今川・武田とも伍して戦ってるし、武田信虎と激突、富士川では義元の軍を撃退。
両上杉家や関東公方とも全面衝突、左右で展開しながらも小豪族を懐柔、調略、淘汰を続け版図を拡大、
河越城を奪い、海岸線では里見とぶつかり始めたのも氏綱から。
また氏康の才能を早くから見抜いたり、敵方だった地黄八幡綱成の才覚を愛し、重用するなど
能力を見極める能力にも長けていた。
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:06:20ID:hsZNh6SG0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:08:17ID:mgt3rDBl並み居る強国から相模・伊豆を守って周辺にも侵攻した、という素直な解釈でいいのか?
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 22:21:05ID:bi65QXpa0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 01:41:52ID:YA79i6+i一時は今川や武田ともやりあいながらあれだけ拡張できたのは立派
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 01:45:12ID:ld7b4eVMそりゃ、今川家や堀越公方の家督争いに乗じて勢力伸ばしたのが初代だからな。
まあ、ろくに領国持たない時代に思い通りの結果が出せたのは
恐らく在京の伊勢本家と連携して衰えたとはいえ幕府を直々に背景にできたというのが
大きいんだろうな。
0015公孫参
2006/07/11(火) 09:29:41ID:39dX74fq0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 20:22:10ID:6rFjlV9Iゲーマーに名高い→氏康 オタ→氏綱
ですから。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 17:27:19ID:a0oePZNo国府台合戦勝利等であることは、間違いないと思う
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 16:21:35ID:kLXK9P52越後からやってくる謙信や佐竹程度の連中では対抗馬になれない。
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 19:02:50ID:NtTCxvbfたったの一万石なのを嘆くか
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 19:11:25ID:lZfWT2cg氏政・氏照公の墓所行ったけど繁華街の中にひっそりと、しかも目の前がゴミ捨場って…
あんまりだよ(´・ω・`)
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 17:03:35ID:B2VjxR1O高家とか旗本とか、はたまた完全に消えた家も多い中で
大名として残ったんだからよいじゃん
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 19:20:24ID:UxGhIFdY0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 22:43:47ID:Fx6Hby8C漏れもこないだの土曜日に行ってきたお
もちろん御大途の御遺志に背かぬよう、鈴をもらってきたお
中世小田原城テラヒドス。
主郭が住宅地と学校で、想像すらままならない。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 22:45:13ID:8shVWqOD0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 01:42:44ID:d6vnhM68創価学会の幹部で聖教新聞勤務。
叔父さんは創価学会の会長だったし、
おじいさんは子爵だ貴族院議員から戦後参議院議員やった。
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 02:51:14ID:FDxe49h/>目の前がゴミ捨て場
えっ、ここ2〜3年行ってないけど、ゴミ捨て場って何?
通り面して商店街じゃなかったのか。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 02:53:48ID:FDxe49h/とりあえず、北条五代コスプレ行列祭りは
小田原で1番大きな祭りのはずです。
何年か前、督姫をヒロインにした市民劇もあったはず。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 09:04:57ID:CWAN8zU3玉縄北条家の居城玉縄城址も女子校になっちゃって観光すらできないよ・・・
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 09:21:02ID:8HbuVMK5あ、ごめん。目の前ってゆーか墓所の階段の下のとこ。うまく説明できない…。
ちなみに俺も鈴もらってきたよ。
願いがかなったらまた返しに行ってくる!
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 10:40:41ID:0mizEKA1それは江戸時代の終わり頃に狭山藩が養子に迎えた伊逹の人間の子孫
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 18:40:42ID:CVFYENV5ここって史板の北条五代スレと、どう違うの?
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 18:43:14ID:9f7NjmDi0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 20:27:19ID:QHia+J9G名目は北条家の一員なのだから別によいのでは
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 22:15:37ID:bOZOr+QQ0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 04:11:42ID:YpuCQ9V7病人と乞食の団体とまで呼ばれた創価学会の中で
唯一といって良いくらいの名門貴公子だよ。
いまは池坊とかあるが。
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 16:27:20ID:o+ppUsal池坊って生け花だかの?
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 16:47:23ID:YpuCQ9V70038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 06:08:04ID:Myx4V+6L北条氏康
北条家の三代当主。二代当主の氏綱が没し家督を継ぐ。
河越城が両上杉・足利に包囲された時は「これまで奪った領土はお返しする。」
と相手を騙し、更に夜襲という姑息な手段で敵を殲滅する。
その後は東駿河を攻め興国寺城を奪うも、戦下手ゆえ奪還される。
しかたなく駿河を放棄し、武田・今川と同盟を組むのである。
上杉軍が来襲した時は城に将兵と兵糧を蓄え、
民は見殺しにするという旧日本軍ばりの人命軽視の策を立てる。
結果的に上杉は撤退するものの、北条の関東覇権構想はもろくも崩れ去った。
後顧の憂いを立ち里見氏と戦うも、戦下手ゆえ劣勢に。
綱成の進言によりなんとか勝利を収める。
武田が今川を攻めた際も、関東のみに拘る無策振りで今川を滅亡させる。
恩義ある同盟国も力がなければ助けぬという卑劣な考えである。
上杉と同盟し武田とあたろうとするも、領土問題を解決できず同盟すらまともに結べなかった。
しかし後の名君氏政を始めとする四人の子の活躍により、
関東を制圧。武田との講和にも成功する。
自身は無能だが勢力を拡大する様は、「関東の死屍」と呼ばれた。
ちなみに、某ゲーム風に評価すると、統率55知略70政治75 である。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 15:52:43ID:250M6HAG0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/26(水) 04:19:47ID:N4Qk3lOaだがとりあえずネタとは言え訂正、関東の獅子じゃなくて相模の獅子だろう。
間違っては居ないけど。
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/26(水) 06:14:22ID:rwKcfGdJ一つ一つの戦いで苦戦しながらも領土を増やしているから。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/26(水) 20:37:04ID:+JRrO1Waどんだけ前線で戦ってたんだよw
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 09:46:46ID:akarBTCO若い頃に、南武蔵での対上杉戦でもらったのかな?
そんだけ前線で戦わせて、氏康が戦死したらどうしたんだよ氏綱。
たしか、兄弟が少なかっただろ。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 15:42:46ID:IYE5jFoK敵陣に突っ込むのは氏康ぐらいだよな。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/01(火) 12:49:31ID:ldztzc0c0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 03:08:41ID:wmguDJoN0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 10:48:40ID:qXjx3wn30048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:43:04ID:pYkrU3W0箱根の関と小田原城を握ったままの北条は相当手強いはず。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:59:11ID:CYl+4rJu地の利がある関東においておく、はずはないと思う
仮に難癖つけて、所領半減の上、転封
しかし替地はなかなかないね
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 18:04:12ID:35MGbDbZ0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 18:12:43ID:iS4WUduJまぁ、いつかは転封されただろうがね。
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 20:23:13ID:fEmFvtnV睨み合っていいかもね
でも意外と仲はいいか
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 00:39:29ID:TQrJl1Wv0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 11:26:19ID:bgavF9hd氏直は家康の婿殿だからな。
秀忠と氏直は義兄弟。
東国にこの親戚2大名置いとくのは、秀吉としては恐いだろ。
転幇するなら、関東と九州で分断か?
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 16:47:34ID:nnFNLocG九州よりは、北条は四国の旧三好領かなと妄想
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 01:46:17ID:VVdNE9+Wこうゆうのって早いもの勝ちみたいだし
長曽我部は散々抵抗するも土佐一国
佐々も同じく肥後一国
島津は薩摩と大隈その他だし
こんな中で家康と同時期に従属したっていうなら
伊達は間違いなく改易
また中央と連絡を取らなかったと思われる葛西大崎etcも改易
そこに北条が入るわけですが例のごとく大崎葛西の一揆で
咎められて所領減少
さらに秀吉の計略の手が北条家にも届き
何人かは秀吉直属になって
結局60万石あたりで終わりそう
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 14:16:19ID:yLGBMV4j第一に仏と神を信じよ、となってるんだってね
氏綱、氏康もこの遺訓を守り、諸寺諸社の建造や、布施などを良くした
氏康曰く
「われ数度の合戦に勝利を得ること、武力のいたす所にあらず
すべて天運をまっとうして、神明仏陀の擁護による故なり」
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 23:50:22ID:VVdNE9+W上げればきりがないくらいの大名は家督争い御家騒動を経験したのに
北条五代は一度もそれらしいものがおきてない件について
なんで?
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 00:15:54ID:X4NXZd10信仰への傾斜は大きいだろう。
でも北条家だけでなく、大多数の大名家は政策や自治のためだけでは無く
強固な信仰をもっているのが普通だよ。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 22:30:31ID:7UrJLhGB0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 05:02:41ID:3AGFwz2z0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 14:56:34ID:t9UUrtpW0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 15:39:29ID:wYzTbbpA創価の手先は無いでしょう、御子孫さん。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 16:38:52ID:NpIkDzPcttp://www.ikedakai.com/souunjidono.html
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 19:15:52ID:+GiBGuFaちょwwwwおまwwwwww
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 21:57:25ID:5hlUMiOxそろそろ創価も皆殺しだろうし、
北条の血も絶えてしまうね。
残念だ。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 22:13:35ID:A0iVGu+C0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 23:13:10ID:O7HKHRta>>>北条浩 - 創価学会第4代会長。子爵狭山北条氏恭(武家華族)の孫
>>北条氏恭 - 従五位下 相模守 下野佐野藩主堀田正衡の三男
>堀田正衡 - 従五位下 摂津守 堀田正敦の長男
堀田正敦 - 従五位下 摂津守 陸奥仙台藩主伊達宗村の八男で近江堅田藩主堀田正富の養子となる
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 02:40:05ID:KPWjzMGH徳川将軍家だったりする。
徳川頼宣、徳川頼房の母(お万の方)の母が、北条氏隆あるいは北条氏尭の娘、
または北条氏政養女(=実田中越中守娘)らしい。
また、今川、吉良の血をへて上杉氏にも伝わっているな。
あとは旗本数家、それから幕末の江川太郎左衛門室が北条氏征娘だったり。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 02:40:46ID:KPWjzMGH一行目、狭山藩の北条の血を引いた当主は幕末までということ
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 07:56:24ID:ZqgTosxlやたら血筋にこだわる奴がいるが
日本の家なんてのは天皇家は例外として
基本的に家の繋がりであって血の繋がりではない。
そんな事言ってたら養子入りまくりの上杉なんてどうなるんだ?
血の繋がりなんてものは二の次で
問題は家系が繋がってるかどうかだ。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 08:00:27ID:ZqgTosxl今の北条家が創価の手先になってるのが嫌だからそんな事言うんだろうな。
でも、早雲の遺訓から言ってもハマッてる気もするが・・・・
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 21:30:49ID:9qz8nVha北條好き=草加信者
だと思われるぞ
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 23:11:33ID:ofJBGJ64>早雲の遺訓から言ってもハマッてる気もするが・・・
人の殺生を生業とする武家が、信仰を重視するのは全く普通のことなんだが?
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 13:55:13ID:ZsIQ2lOL各地の寺社の保護、寄進とか、殆どの大名はやってるね
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:53:09ID:CZqMFc6Z0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 03:10:21ID:q+iW6q6d最初の頃はやっていたんとちゃうの?
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 14:32:33ID:4MqdH/3X小田原の史料館の電気紙芝居で言ってました。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 14:37:05ID:70+BGWXr0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 14:31:23ID:1mj972ye宗麟は禅にハマってたんだが
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 20:56:50ID:sR+rpn9dまた豪快にスルーされてしまいましたね
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 21:16:23ID:3ijg4jfL北条攻めつってんのに
せめて小田原攻めぐらいにしとけば
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 22:55:16ID:D9mgmQCy0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 18:04:47ID:ZXEgz/tH出ないのは予想できましたがな
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 19:45:46ID:Oz2b00jI北条側の登場は無い!と予測していた。
中途半端に変な演出されるよりよほどいいかも。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 19:48:57ID:4Gs/Aa/X0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 20:04:54ID:8gNt9BAL0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 21:56:44ID:x+prl3qE0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 16:59:06ID:soGGk1k6綱成ファンとして今までこんな本が出てたのに気付かなかったのは不覚。
時代考証は色々と言いたい事もあるけど読み物としてはまあまあ面白かった。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 21:59:52ID:UqVYHxie0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:13:41ID:ukfqcmsS0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:18:16ID:4C0ADYq9執権北条=後北条と思いこんでいる奴もいるほどだ。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 13:37:46ID:WuFp06o1直接つながる一族って思ってる人は多そう
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 15:00:11ID:HjnE8B8mしかしなら、なぜ伊勢宗瑞が駿東→伊豆→相模と乱入してきたと思ってんだかね。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 02:05:16ID:ZiSD9u+l執権北条と後北条が直接つながってると思ってるなら、早雲が相模の出身と思ってて当然だろう。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 05:19:20ID:QLZSGOTf0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 07:38:35ID:IQwtZeOC後北条って言い方なんだが、逆に混乱生むよな
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 10:07:37ID:QLZSGOTf0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 12:36:31ID:7vVSJCFk「文武を兼ね備えた大人物で一代のうち、何度も合戦をしたが負けたことがない。
その上人徳があって良く家法を発揚したので、氏康の代には関八州の兵乱を平定し
大いに北条の名を高めた。その優れた功績は古今の名将の名にふさわしい」
江戸期に書かれた「小田原旧記」から抜粋。
いやはや、誉められすぎだこりゃ。
ちなみに氏政は「愚か者で国政を乱した」とある。ひどい言われようだ。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 15:09:31ID:4gzEwx09氏康が名将なのは否定しないけど、氏政も凡将ではない。
>>98
誰でも一回は通る道だよなw
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 15:17:29ID:SkGuVhiA北条関連の文献は早雲と氏康を実績以上に「人徳」や「武勇」などで持ち上げておいて
氏綱は良き子、良き父という「良い二代目」という描かれ方は多いかな。
氏政は滅亡した事実から補正がかなり入っているように思える。
謙信だったか忘れたがかなり氏政を良くも悪くも評価していなかったか?
実際最大版図を築いたのは氏政・氏直時代だし時代もあるけど過小評価されすぎかもねえ。
まあそれを助けた一門衆の結束を築いたのが氏康時代だから何とも言えないが。
一門といえば氏直世代の活躍って少ないな。
小田原合戦時でも綱成孫の氏勝と氏直弟の氏房くらいか、その世代で名前が出る一門は。
まあ実権はまだまだ氏政兄弟が握っていた時代だから仕方ないが。
0102名無し
2006/09/13(水) 22:37:23ID:yw+0gX+/他の下剋上大名達が脆弱な支配体制の故あっさりと内紛し衰退していったのに比べ、北条氏の堅実さは稀だよ。子宝に恵まれた家計なのに一族の叛乱が皆無だっただけでもすごいね。
対秀吉の判断を間違えなければ、まさに手本となるような大名だったと思う。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 23:59:34ID:SkGuVhiAそれは流石に褒めすぎじゃないか。一族の結束は今日なお賞賛に値すると思うけど。
でも北条家は戦国大名だったんだな、近世大名になれなかった限界があったんでしょう。
戦国大名としての意識が秀吉の上洛要請や惣無事令などの邪魔をしたんだから
戦国の最後を飾るにはふさわしい存在だったとも言えようか…
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 00:07:10ID:SODDrvRJ0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 00:12:48ID:OqeAKOplその戦国の最後を飾るというあたりも含めて、
オレは北条家が好きだ。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 01:43:35ID:cVARx9B9戦国は北条に始まり北条に終わるって言う感じがするな。
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 02:36:52ID:AUgr7LQ+戦国大名としての意識がってのは微妙、
北条家は信長に対してはいち早く従っていただけに、
単に秀吉嫌いだった可能性が高い。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 06:05:38ID:9QtN9CXH秀吉政権が連合政権である事を見抜き、その中で
最大勢力になれば天下とったも同然なのに。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 16:58:42ID:U5ZdiQVj先延ばしはできたかもしれないけど
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 17:29:53ID:8pBxaMMO全国レベルでいうと、そんな感じかも
関東では禅秀からと思うけど
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 21:46:16ID:CTubkEKL関東は成氏の管領謀殺(享徳の乱)以降じゃないの?
まあ禅秀の頃から永享の乱、結城合戦と戦乱続きだが
まだ幕府による制御があったからなあ。
やはり公方家分裂以降が制御不能な戦国時代って感じがする。
>>107
秀吉にも一時臣従に近い形式(と思われても仕方のない行動)をとっているでしょう。
氏規や板部岡江雪斉の上洛、名胡桃攻略後も言い訳の使者を派遣している。
戦国大名としての意識が滅亡に起因した…てのは確かに言い過ぎだったかも。
でも信長や秀吉と「誼を通じている」っていう戦国後期の外交思考は強かったような。
氏政らしい、氏康よりも後期の信玄に近いような実利的な外交感覚というか何と言うか。
戦国大名の四代目にとしては立派だったんだが最後が最後だけに時代遅れなイメージはある。
0112あ
2006/09/14(木) 21:58:34ID:W9ErdM8n北条家はどうやら本能寺の変を割と早く知ったらしいし。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 21:26:42ID:5eupGC9qよほど面白い存在になったと思う。
まあ現実には上杉の南下を食い止めなくちゃいけないから
難しいとも思うが。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 00:05:40ID:paE44B76まぁ、オレにとって北条家は最高な存在だから別に良い。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 00:27:00ID:SXESXkApあれも結構謎な合戦だよな、
滝川一益が自爆したようにも見えるんだが、北条氏邦に嵌められてるようにも見える。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 00:49:54ID:e8I9eOiK自身、兄弟が少なかったからなのかもね。
氏綱も、兄弟の少ない氏康の補佐役を誰にするか悩み
綱成などを養ったが
ここで謎の人物がいる、その名は北条綱高。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 01:02:53ID:vPeIU2wB甲斐攻めも河東への執着も後顧の憂いを絶つためでしょう。
ある意味京や天下への執着が一番薄かった有力戦国大名のひとつなんでしょうね。
それでいて北条を名乗ったり古河公方を擁して正当性を上杉に対して喧伝しているのも新興大名っぽい。
あくまで関東の覇者にならんとした。自分もそこに北条の魅力を感じるわけだが。
信玄・謙信・氏康は性格こそ違えど無謀な戦を極力回避し領国・分国経営が熱心な武将。
謙信は度重なる越後国人の裏切りを受けたが許していることが多く戦に加え本国経営は基本的に上手い。
信玄はお家騒動はあったものの死ぬまで譜代衆を重用し、また分国経営にも絶妙な武将配置をしてきた。
氏康は文武に加え謀略にも優れて晩年までには一門・譜代の安定した領国の支配・統治体制を築いた。
ただそれが関東三国志の限界なんだろうな。今日の視点では何か柔軟性に欠ける。
どうでも良くないが氏綱の第一次国府台合戦の動員力と氏康の河越合戦の動員力の差はなんだろう。
両面作戦もあるがやはり古河公方や関東管領の権威ってあの時点では大きかったのかねえ。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 05:06:22ID:IAMK/x9l信長にガチで対抗できる勢力が生まれていたのかもしれないな
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 06:19:02ID:SXESXkAp0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 10:12:51ID:vPeIU2wBそれに今川や武田が後方撹乱兼ねて絡んで更に泥沼な悪寒。
てか今川家は戦国大名化できたかどうか怪しいわな。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 23:16:16ID:Mqpr8T9S実際、安房からどんどん北上していたわけだし。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 23:47:04ID:vPeIU2wBただこの公方は最期の無謀さ考えるといつか討ち死したでしょうなあ。
関東が泥沼で今川の強大化も防げたなら戦国の歴史が全て変わってしまいそうだ。
関東に限っても堀越公方もどう成長したかも分からんし北条以外に有力大名になれそうなのは
当面出てこなさそうだからなあ。山内上杉も扇谷や公方がいる以上そこまで勢力でかくならんだろう。
管領顕定は勝手に死ぬんだし扇谷は朝成(だったか朝興の弟)の戦死もないだろうしどこも似たような勢力。
謙信の管領就任もないわけだから…里見どころじゃないねえ。佐竹台頭まで混沌としていたんだろう。
全国規模でも今川の台頭無しに織田家の台頭があっただろうか?そのとき武田家は?長尾家は?
東国はゆったりと群雄割拠が続いたんだろうなあ。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 07:19:30ID:FQeNUlvqたしかに北条の存在ひとつで歴史に影響与えてるわ。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 14:43:16ID:gjHtuyLI天下は棚ぼた式に転がり込んでただろうか?
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 15:10:38ID:lZ8brsZN氏政・氏直父子の上洛と関白への拝謁して完全に臣従するってことだよね。
氏規らに上手く外交折衝を任せて西国への転封を防げたら秀吉の死後は
五大老大名に匹敵する勢力をもっているからどうなったことだろう。
奥州仕置きが天下統一の最後の舞台となるだろうから玉突き式に徳川を関東に、
北条を奥州にって感じで太閤死後は徳川家との友好を基軸に関が原では東軍に従って
明治維新までそれなりの規模で普通に続いていたかもねえ。
つまり伊達家が潰されてかわりに北条家が残る、と。
関が原で失策さえしなければ何とかなるのでは?天下は勿論難しいしその構想は北条にはないだろう。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 16:49:42ID:TSbkXvMk>死を迎える。
>葬式の時、池田名誉会長は「暑いな、暑いな、こんな暑いときに
>死ぬのはやめような」と一流のジョークをかまし、7月のうだる
>ような暑さのいっぷくの清涼剤として場を和ました。
故・北条会長のスレ
http://yasai.2ch.net/koumei/kako/1009/10093/1009357433.html
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 05:51:52ID:1ckR4bBr北条五代記がいいな。
勢新九郎・・・・・誰か
北条氏綱・・・・・誰か
北条氏康・・・・・佐藤浩市
北条氏政・・・・誰か
北条氏直・・・・誰か
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 16:03:31ID:5/UKe0PO某徳川葵三代みたいに無理が出てきそうだ。
前半は氏康初陣くらいから初めて氏綱や幻庵に早雲のことを語らせて
後半を氏康隠居、氏政メインにすれば二代で五代ぶん語れるなあ。
100%汁かけの逸話が入りそうで嫌なんだが。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 16:50:29ID:QI6f6mdj0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 20:41:09ID:eIWQ3Cbzなじみ深い、信玄謙信や三英傑が絡んでくる、氏康〜氏政あたりが、やっぱりベスト。
個人的には、氏綱死の直後から氏直の病没までおよそ半世紀。
語りを入れるのならば、三浦浄心が適任だと思う。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 21:36:56ID:cK0xvh7h視聴率なんか北条をメインにした時点で無視できますがな。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 21:47:15ID:QI6f6mdj小田原城に迫る上杉10万となぜか武田2万に織田10万を背景に
氏康「俺たちの戦いはこれからだ!」
【完】
早雲先生の次回作にご期待下さい!
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 22:34:27ID:Xw5jKDij勢新九郎・・・・・池田名誉会長
北条氏綱・・・・・池田博正
北条氏康・・・・・佐藤浩市
北条氏政・・・・北条伸作
北条氏直・・・・石原さとみ
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 00:41:35ID:mVcRntNZ5年掛かりでやれば良い。
本当に実現したら視聴料払うよw
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 01:08:19ID:sXhAxNu8人の出し入れが大変だし、
各当主の子供時代の子役も加わって大混乱
関東情勢なんてお茶の間で説明しても、みな興味無しでしょうw
>>127
大河スレでも北条五代が無理な理由はサンザン指摘されてるんだけどね。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 02:07:16ID:jZfXwAsX0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 02:46:08ID:3FVW9+Kbどうだろうね、奥州藤原家を阿部経清から5代にわたって題材にした炎立つでは、
義経を裏切り藤原氏を終焉させた事で、臆病者のバカ扱いされやすい泰衡までが
カッコ良かったから、諦めるのは早いかもしれない・・・。
・・・去年の義経ではまさに臆病者扱いだったけど・・・・・。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 07:17:34ID:UZ4KlV3F0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:39:25ID:3grYilEc5代は別にできなくはないよ。むしろ丁度いい感じだと思う。
炎立つって大河が藤原氏三代を35話でやってて、展開とか速くて面白かったから
5代50話なら全然いけると思う。
大抵、一代限りの50話は中だるみとか退屈になったりとか多いから。
北条5代100年戦国史なら、役者とか製作に力入れれば大傑作になると思う。
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:50:03ID:3FVW9+Kb全国の人にマイナーすぎる二代目を知ってもらうと言うのはどうだろう。
0141伊達政宗
2006/09/20(水) 10:56:21ID:LvfeKkhx0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 11:05:22ID:w6qNEjwI0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 19:38:06ID:HycoJCo00144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 21:00:08ID:kdW0yIKd0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 21:18:19ID:0HGzUpyt諏訪部夫婦のエピソードも欲しい。
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 22:18:03ID:aiN0L3ma0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 22:49:41ID:jZfXwAsX「林家こぶ平」
に決まり。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 00:10:50ID:tFDnwH/w0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 02:14:25ID:85qzIuBf去年の義経爆発はNHKがそういうのにいらん気を回した結果ではなかろうかw
歴史物なんだから悲劇は悲劇で良いと思うんだがねぇ。
むしろそこを魅せてこそ歴史物の醍醐味だと思うんだがなぁ。
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 05:33:20ID:XsRmB75F俺はすっごく面白かったけどさ、一般視聴者にはウケなかった。
けど、NHKはそれでいいんじゃないか。
視聴率も大事かもしれんが、いい物を作ることこそ大事にして欲しい。
というか、民放と同じく視聴者に媚びるのなら、受信料制度の意味がない。
欝展開だって、昔は太平記すら大河でやったんだがなあ。
もっとも、北条五代が「いい物」になれるという保証はないが…
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 09:51:39ID:FVipUPpn0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 09:54:08ID:CRJsRIxKあれ、ちょっと安っぽくね?
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 13:56:51ID:1McPHvJS黄梅院…久本雅美
氏康…モンキッキー
とかなりそう。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 19:51:22ID:eDUf6zsC炎立つは単純に知名度が足りないだけだと思う。
藤原経清や阿部サダトウなんて誰も知らないし、ああ、あとあの年は、前半琉球の風
後半炎立つっていう変則もええとこだったから、そういう意味で視聴者離れがおきた。
琉球の風の糞ぶりも拍車をかけたかもね。
しかし後北条家なら戦国ファンは大喝采だろし相当いけるんじゃなかろうか。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 20:26:14ID:AIgez2NLうまくストーリーを作ることが出来ればいけそうな気もする。
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 20:39:02ID:xeGjWe2W北条だって一発当てればここまで伸びますぞ。
0157北条氏政
2006/09/21(木) 21:17:11ID:2Ec9Ey7X0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 23:37:56ID:UyHR2+Ykテレビになんて引きずり出さずに、そっとしておいてほしい。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 00:19:04ID:MlshIZaR0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 21:00:04ID:MbOeBc/H0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 21:50:08ID:EC1rcgtGまあ冗談はそれまでとしても、
常に敵を多数抱えている状態だから、最小限の兵力で戦線を支えつつ、
決戦兵力を投入しての攻勢は短期間で確実に行わなければならないから、仕方のない事ではある。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 00:59:52ID:7JYxARWw謙信のように攻めておいてほったらかしだったり、
信玄のように攻めた先からは骨の髄まで搾り取るような政治ならばいいが、
北条家の場合、民政を第一にしてるだけに、攻め取った先もしっかり撫育していかなければいかないぶん、
大きくなればなるほど、動きが少なくなるのはある意味当然かも。
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 09:20:40ID:pHEzlc4e北条氏綱・・・・・誰か
北条氏康・・・・・佐藤浩市
北条氏政・・・・誰か
北条氏直・・・・長瀬智也
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 12:10:59ID:RBIansRb伊勢新九郎・・・・・緒方拳
北条氏綱・・・・・誰か
北条氏康・・・・・佐藤浩市
北条氏政・・・・誰か
北条氏直・・・・長瀬智也
北条綱成・・・・阿部寛
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 13:33:10ID:7mcMIyYO0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 13:48:04ID:XkGxUVTzふざけるな
0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 16:39:39ID:R8+GwKtj0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 18:09:02ID:lvZAia+90169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 20:22:32ID:pHEzlc4eトヨエツではちょっと影がありすぎないか?
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 22:43:35ID:7JYxARWw0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 23:55:35ID:pHEzlc4e上杉憲政・・・・・鶴見辰吾
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 01:06:41ID:IB6wnabn視聴率を稼げるから。
0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 03:09:09ID:LqTTabDb北条幻庵……丹波哲郎(特別出演)
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 05:50:59ID:IB6wnabn丹波哲郎は真田安房守で固定。
0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 06:11:21ID:bxkzO5Jb名胡桃城奪われた時まだ42〜43歳ぐらいじゃねーか
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 07:24:42ID:Pz0weUgV0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 07:31:52ID:hFk0QDBj0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 10:26:52ID:IB6wnabn一歩ゆずって渡瀬恒彦。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 11:16:40ID:Pz0weUgV0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 11:20:28ID:WaW5usGz北条氏綱・・・村上弘明
北条氏康・・・渡辺謙
北条氏政・・・村上弘明
北条氏直・・・渡辺謙
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 11:34:00ID:98gLeWwZ0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 11:42:30ID:hFk0QDBj0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 11:43:36ID:s9E+yD6W江戸城の遠山一族は人気ないの?
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 11:55:18ID:SV6wqiKX0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 12:11:37ID:qqtSnMyr軍制はしっかりしてるのに訳わからん
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 12:31:38ID:nGFhsUV20187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 12:50:59ID:dcN18Wfc0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 13:50:34ID:bQLsX/ZZ独特の味わいがある
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 14:59:53ID:LqTTabDb・史料がたくさん残ってるおかげで、戦国時代のナマの姿に触れやすいから。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 17:31:45ID:WaW5usGz0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 17:50:51ID:jiaVau4Vソ連みたいな大名だな
0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 18:59:10ID:dpD7/dQj0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 21:24:11ID:a63NDaab大規模な一揆や家臣の離反、お家騒動の無かった
極めて稀な戦国大名。
戦国時代は北条早雲の台頭に始まり、
豊臣秀吉の北条討伐によって終わりを告げた。
代々名君、ハズレ無し。
善 政
上杉謙信・武田信玄、両名の攻撃に耐えた天下無敵の小田原城
トライフォース
関東地方。
……とまぁ、この辺かな。
後北条家が特に民を大事にしてきた逸話はそのへんに転がってるから
それが一番大きかった。
私が二番目に好きなのは今川義元&太源雪斎なので
内政手腕に長けたと評される大名家が好きなようです。
0194あ
2006/09/24(日) 22:36:18ID:ARBKJrMt堀越公方襲撃から始まり、周りには強敵が多かったが最終的には関東の覇者になった。秀吉さえ来なければ……下克上大名に稀な、非常に堅実な大名。
北条は内政・支配体制面で見所があるし、他にも大名の研究材料としては面白いよ。
0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 22:44:56ID:iI1MLetC0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:02:24ID:hguWW+mJ0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:07:51ID:hFk0QDBj0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:50:13ID:HIDAbLb2個人的にはそれにプラスで
大大名家でありながら虐殺の歴史が一切無いという点にも萌えた。
0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 00:09:05ID:px2dTmQfローマみたいな大名だと思う。
統治力と組織力で勝負!
名将は少ないかも知れないが、中堅の厚さはピカイチ。
0200んにゃ
2006/09/25(月) 12:46:57ID:AODRVj2uそのせいか、伊豆の郷土史では早雲の評判は芳しくないようだ。
その後の一転した太陽政策は、伊豆の反省なのかもしれない。
0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 12:50:13ID:O0Gdjve1海面を覆い尽くしたことに由来する。
0202無名
2006/09/25(月) 15:10:41ID:AODRVj2u伊豆・相模・武蔵・下総・上総のほぼ全域と上野の大半と下野・常陸の一部か……与力大名含めりゃ150〜200万石てとこか?
失ったとはいえ駿河東部や信濃佐久郡も制圧した事もあったのだから、すごい版図だ。
当時東国屈指の文化・経済拠点小田原や、伊豆には土肥金山もあった(採掘は天正期には行われている)から、資金力も潤沢だったろうな。
0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 15:43:31ID:o6IOYkPS信長の野望では北条家でしかやりません。
0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 16:04:32ID:PffAU3uDその話って限りなくうそ臭いんだけど。
茶々丸って堀越で自刃したんでしょ。
0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 16:28:35ID:o6IOYkPS0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 18:49:39ID:NaYxC1Hf丹波哲郎、亡くなっちゃったな・・・
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 19:57:28ID:WSNcsiRX真田太平記の昌幸も良かったなあ。北条嫌う役どころだったけどさ。
合掌。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 20:54:56ID:hvLMAj5O0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 21:09:26ID:o6IOYkPS0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 22:45:14ID:Xq7OGTXU伊豆7・相模19・武蔵67・上野50・下総39
上総38・下野37・常陸54
伊豆・相模・武蔵は10割、上野・下総は真田や結城領を除く9割
上総は佐貫・真理谷・万喜のラインで6割前後だろう
下野は、宇都宮の喉元である鹿沼・南摩城、さらに壬生の支配域である日光一円。およそ5割強。
常陸は贔屓目にみても江戸崎、木原など1割弱。
ということで220万石ってとかな?事実上従属させてる里見を併せれば、250万石近い。
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 22:48:58ID:Vcf3XaOZ80にして早雲に敵対して戦死した奴は。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 22:52:58ID:NaYxC1Hf0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:17:43ID:Lm2SPOga茶々丸って、じつは甲斐に逃亡してしばらくは抵抗を続けていたとか聞いたことがるが。
0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:24:02ID:fLD+xXzv近年では実際に倒されたのは数年後だとされている。
0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:29:02ID:CAozUJYg五大老当時の家康が255万石でしたっけ?
0216な
2006/09/26(火) 00:20:54ID:dlQVXhtHサンクス!しかしすごいな。200万石超えは、地方大名では北条くらいか?最盛期の伊達や島津や毛利でも、200超えはないか?
0217名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 00:23:19ID:lgQd3HFR0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 00:24:21ID:tCSI44Vy「丹波哲郎」ここでも北条創価つながり。
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 00:49:53ID:TIwda2IKあと宗瑞の三人目の妻もそうだという説もあるにはある。
ただ、かなり怪しい話だし、子はできなかったようだ
0220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 01:01:44ID:RjNJABFM毛利は微妙なラインだな、島津は後もうちょっと秀吉が来るのが遅ければそのくらいは行ってたろうが。
伊達は150万くらいかな、上二つよりはやや低い。
0221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 01:24:31ID:jLgscjscだんだん義経みたいになってきたなw
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 03:50:50ID:JmGAbM8t0223名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 12:17:37ID:bzEG8sUtこうやって数字で見ると(まあ石高至上は好きじゃあないが)
最大版図築いた氏政ってもっと評価されてしかるべきだわなあ。
氏康相続時で伊豆・相模と駿河・下総の一部、武蔵の南半だから
拡大率で言えば早雲・氏康にはもちろん比較にならないけど。
やはり急速な拡大は不死鳥里見氏と和睦できたことかねえ、
まさに後顧の憂いだったからなあ。
本当に小田原に長期篭城していたら備蓄武器弾薬、兵糧考えれば
勝てたんじゃねえの?って国力だよなあ。
実際開城したときには後二ヵ年は篭城可能な備蓄があったらしいし。
箱根を突破されたのは初めてのことだから動揺は大きかっただろうけど
豊臣配下大名も敵地での長期動員は兵糧の問題だけでなく難しいだろう。
まあ秀吉の方が戦・外交上手だってことなんだろうけど。
あっけなく滅びて戦国に幕を引いたことも魅力の一つだから何とも言えないが…
0224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 14:12:21ID:PNkE8pnF上杉、北条、佐竹の間を行ったり来たり繰り返してて一環した統制はとれてない
要するに独立勢力と見るのが正しいかと
0225名有り
2006/09/26(火) 15:50:34ID:dlQVXhtH佐野氏とかは離反しちまったけど。
ま、何より悲惨なのは筆頭家老が離反したからなあ……石垣山の絶好な場所まで教えやがるし。利敵行為までやるとはな。
0226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 18:01:13ID:cy7tYkhQ半分同意、半分反対。
確かに長期スパンで見れば背反著しいけれど、
こと最終段階、小田原征伐直前を見ればほぼ完璧に掌握していると見る。
下総は古河公方家内の反北条勢力を一掃し、北条政権に組み入れ、
千葉氏・佐野氏の乗っ取りも成功している。
上野の要衝も直接押さえているし。
それらを担保にした圧迫は相当なものだろう。
また北関東の反北条連合にしろ、本拠を放棄した宇都宮あたりは顕著だが、劣勢著しい。
今更上杉が介入しても戦況は変わらないだろうし。
その情勢下で日和るのはもはや得策ではないよ。
0227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 19:52:17ID:TIwda2IK小田原征伐時に上野金山の由良、下野鹿沼の壬生、上総真理谷の武田・万喜の土岐などが
北条についたのがそれを証明している。
佐竹が劣勢になった以上秀吉を考慮しなければ、もはや北条に背く理由などない。
0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 22:54:25ID:WbvYGh/H氏康の頃なら関東制覇でも良かったが既に天下の形勢が固まりつつあるのに
中央の動向に合わせた戦略を考慮するならば北関東なんかで死闘演じる事に何の意味がある
北条は戦国時代が永遠に続くとでも思っていたのだろうか
それとも関東のみが天下だと思っていたのだろうか
0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 23:03:31ID:xm1JvbDB0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 23:11:19ID:vBDxdA560231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 23:18:10ID:ov76MQ1C0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 23:28:02ID:XLVUzgnwそもそも天下一統を否定している
0233名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 23:47:39ID:4FxpxZOw同じ領地で天下を取られてしまっては北条が築いた功績などすべて吹き飛ばされてしまう
そして家康によって関東は発展したという名目作りのため
北条は小田原以外を全く発展させていなかった無能大名と扱われてしまう
関東に来たのが家康以外だったらもっとマシな評価をしてもらえたのに
0234名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 23:48:49ID:vBDxdA560235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 00:04:05ID:ov76MQ1C小田原のおみやげには虎の印判モナカみたいな和菓子が定番みたいだし
0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 00:19:40ID:kWczlQis滝川を駆逐して一気に信濃まで進出
なのに徳川の小勢相手に膠着状態の上、甲斐信濃を易々と手放すとは…orz
あそこで北条の運命が決したような気がする
0237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 00:58:46ID:dFIKeoy0どうだろうか?
そうは言ってもあそこでちょっと進出できたところで、
家康を易々と駆逐できるとは思えんし、あそこでアレ以上グダグダになってたら、
本来の狙いの関東が不安定になってしまう、それじゃ意味無い。
あくまで関東を抑えたいと言う本筋だと言う前提なら、間違っては居ないのでは?
秀吉に逆らう事が避けられないなら、秀吉の膨張を抑える手立てが無ければどのみち同じだろう。。
なんとか滝川・徳川・柴田などとつなぎをつけて、あの段階で秀吉を警戒することができなければ
結果は同じだと思う。
0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 04:56:55ID:++sokwNcむしろ、戦国の終わりを理解していたと思う。
だからこそ、織田信長と同盟を結んだわけで。
本能寺後は西上の野心を抱くけれど、天正壬午の乱で限界を迎えた。
あの辺は、とにかく家康が見事だった。
0239名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 20:11:39ID:IDmbTPk3小田原落城があっさりすぎたから、いまいち人気がないと思う。
0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 05:08:03ID:MTlv6TxI>>223でも述べた小田原篭城は悪い選択肢ではなかったと思う。
もちろん後北条氏としては初めて箱根を突破されたわけだし忍城除いて支城も次々と陥落で動揺はある。
でも豊臣方もいくら篭城戦とはいえこれまで秀吉が得意とした別所、鳥取、高松と異なり
小田原は戦中にも城内で市が開かれ、かつ兵糧武器弾薬も豊富であったことを考えると
秀吉撤退の可能性は流石に低い(これも豊臣方大名の動員力と兵糧、士気、或いは長期戦における
大名の国元考えれば最悪の場合豊臣方の敗北もあり得たかも知れないが)だろうが条件の良い和睦に持込めた
可能性はあるだろうな、伊豆・相模二カ国+αの安堵くらいで。
北条の関東における支配体制は上記の通りだがこれは西関東はともかく東関東に限ればほぼ氏政の成果。
まったくなんでさっさと和睦を申し入れたのか不思議で仕方がない。氏直の判断ミスか士気の低下か?
それとも家康─氏直ラインを上手く利用した秀吉の外交的成果か?
しかし小田原決戦のとき成田を筆頭とする関東の北条方大名が北条を裏切らなかったのは氏康時代の動揺を
考えれば氏政時代ももう少し評価しても良いと思うがなあ。
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 18:02:59ID:7YKLjCz4北条や皆川の救援要請に応えて越山していれば、
時計の針を永禄四年頃まで戻すことが出来ただろうに
秀吉への対応や真田支援、それに国内に新発田問題を抱えている以上、難しかったのは分かるが
だが、もし越山して北関東情勢に積極的に関与していれば、小田原の陣の後、
旧北条領に封じられていたのは上杉だったろうに…
0242名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 22:20:51ID:9uYQJpkD謙信の越山も大暴れしたのは一回のみで、その後は甲相同盟の前に劣勢の戦いを強いられているし、
越相同盟破棄後は良いとこなし。
徳川も北条よりだし、里見も従属に近い同盟を結んでいる。
北関東諸将は善戦はしているがそれだけで、宇都宮・結城などは風前の灯火。
上杉も最盛期ほどの国力はないしな。
北関東諸将と上杉だけでは、彼我の差がありすぎる。
0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 01:26:22ID:CTLHJjHZ北条家の失敗は山内上杉家を早く滅ぼせなかったことだろう。
0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 06:01:36ID:6Ok3V5UE列島縦断して関東に無謀なケンカを売りに行くと言う戯けた事をやってしまった事にもある気がする。
関東の疫病神だなw
0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:44:13ID:5GC5s+l2謙信の越山直前の上野情勢は、北条が上野を平定したと言っても過言ではないからね。
もし、憲政を拘束できていれば・・・
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:46:04ID:HWloeyUG戦国大名なんだか室町大名なんだかどっちでもないのだか分からんくらい節操がない。
普通最前線で有力家臣の信望も失って支えきれない平井に嫡男残して自分だけ逃げるかね。
それでもずっと山内家を支える家臣がいたのはさすがは関東管領だが。
もちろん憲政は己の保身が第一でそれを考えればあの時期の越後入りは危ない橋を渡って
上手く生き延びたとも言えるかも知れないが…
結果的には管領家を生かしておいたのは北条氏康の最大の失策だったかもな。
結果論で言えばこれは上杉を継承した謙信にとっても最大の失策かも。
こう考えるとさすがは管領家なんだろうか。憲政に振り回されて関東三国志序章なんだから。
0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 11:54:28ID:nmyygun10248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 01:48:33ID:FW0JfIpK掌握するだけで時間を浪費しそうだな。上野全域の支配は長野ら上杉旧臣国人の
抵抗も考えられるから難しいだろう。西上野攻略は武田も手を焼いたからなあ。
まだ三国同盟も成立していないわけだし謙信越山がないからといって領土が急速に拡大したかは微妙。
それでも謙信越山がなければ太田氏の離反はないし里見も60年代前半には制圧できたわけか、
そして佐竹ら東関東の諸勢力の台頭はしばらくはないだろう。
東関東は伝統的に反管領・公方派が多いから(里見は公方派でもちょい異端だが)管領亡き後は
公方を擁する北条の拡大スピードは少しは速くなったかな。
ただ氏康も実際に管領家滅ぼすかなあ?
公方と同じで鎌倉にでも軟禁しておきそうな気がしないでもない。
で、さっさと幼少の嫡男か養子に家督譲らせて姻戚関係結んで体制強化。
もとから姻戚にあった公方と違うからといって拘束すればそうせざるを得ないだろう。
しかしそうすると公方派の諸勢力がうるさいかねえ。自害か戦死かが一番有難いな、憲政は。
それにしても里見・小弓御所の存在があったとはいえ氏綱の公方家との婚姻は見事な政略だなあ。
0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 03:26:04ID:XOtZUJZ2謙信の越山前までに長野をはじめとする上野衆を麾下に収めて、
沼田の跡目相続に介入して、後継者を送り込む所まではやっている。
武田に後詰めを要請されての越後侵攻もやっていたりする。
こと上野だけみれば、滅亡時と同等かそれ以上。
あと、伊勢氏が北条姓を名乗った時点で上杉を保管しておく必要はないと思うが。
0250名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 23:59:35ID:Hp+APQt1どうかねえ、越山前の上野攻略はこちらも認識不足の面は素直に肯定するけど
氏康の性格(謀略と大義が中途半端、よくも悪くも初代・二代の折衷)を考えれば
上杉管領家を滅ぼしたかどうかは分からん。山内は扇谷とは違うわけだから。
まあ西関東に強い影響を誇った管領家を存続させる意味はそこを掌握した以上
全くないわけだが一般に流布されるような「下克上」大名では北条はないわけだから
名跡は何らかの形で残したかも知れないなあ、と思う次第で。
北条家は基本的にかなり保守的だと考えているからそう思うだけかも知れないが。
ところで自分は早雲、氏康と同等に氏綱・氏政を評価しているが一般にはどうなのかなあ。
氏綱は堅実な二代目で氏康相続後の公方家婚姻、第一次国府台、武蔵攻略と着実に版図を
拡大しているし氏康への遺言「北条氏綱公御書置」も早雲のそれと並ぶ立派なもの。
氏政は最期は大チョンボだが最大版図を築いたこと、情に流されやすい氏康と違い実利的な外交、
そして北条家伝統の生前の円滑な嫡子への相続などこの二人はもっと評価されてもいいような。
氏直?どうも秀頼に近いイメージが強い…
0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 00:32:13ID:311zXMFp後北条家の戦国時代での位置づけを最も明確にしたと共に、
関東に覇を唱えて、関東中を敵だらけにしてなお戦い続けた武将という感じ。
結果的に後を継いだ氏康は大変になってしまったが、飛躍するきっかけにもなった。
また氏康や綱成など人を見る目も確かだった。
氏政に関しては、本人もそうだけど兄弟による団結力では
類を見ない。まぁ運が悪かった面も強いよ。
0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 00:39:40ID:DX7w4YJ6上杉の正統性を認めてしまったらこの正統性が崩れてしまう。
謙信の越山で上野の旧山内衆が一斉に背反したのも関東諸将が謙信に靡いたのも、
北条憎しと同等以上に、彼こそが関東管領山内殿だから。
北条にとって、それほど危険で、これほど己を否定する物はないよ。
謙信との対応もそれを如実に表していて、
越相同盟まで互いに旧姓で呼び続け、同盟以後「山内殿」と敬称している。
後半は、ほぼ同意。
つか氏綱と氏政(+弟三人)はもっと評価されて然るべきだよ。
ただ氏直は、政略的には未知数だが、軍事面ではそれなりの将才はあったみたいだけど。
0253名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 00:40:41ID:DX7w4YJ6>>250へのレスね
0254名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:30:49ID:rZ85GpYF父綱成より先に死んじゃったんだよね
0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 22:13:16ID:bR1v0riVどうも疑問なのは氏康が平井の自滅まで本格的な上野侵攻を行なわなかったこと。
負い目があるとは思わないが(何せ北条は公方を擁しているからね)まあ戦わずして勝つのは
兵法の基本と言えば基本なのかな。よりにもよって越後に逃がしたのは「結果として」まずかったけれど。
>>251
氏政は時代がちょっと北条には不運だったから何とも言えないが
氏綱の評価(というか知名度)が低いのは解せないよなあ。
もちろん早雲・氏康と比べてそれに勝るとは思わないが劣ることもない。
ちょっと誇張した表現だが「関八州」における北条五代の基礎を築いたのは
早雲ではなく間違いなく氏綱だからねえ、もちろん早雲も偉大だけど関東計略では氏綱の方が上だろう。
やはり目立った合戦(江戸城から南武蔵攻略、第一次国府台はあるけど)や皮肉なことだろうけど
いい意味で敵に恵まれなかったことが知名度の低さに繋がっているのかね。
>>254
一族と言えば幻庵なんて不憫だよなあ。
嫡男は武田との駿河での合戦で失うし養子の三郎(上杉景虎)はすぐに越後の人質に遣られるし。
どうでもいいが綱成―氏繋―氏勝が河越から玉縄に転じたのは何でなんだろうか?
河越が対上杉最前線でなく家臣団が充実したからかねえ?
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 23:49:08ID:DaFCzKjiポジションにいただけでは?
資料価値が無いっていわれる東国闘戦見聞私記に、氏直の
弟の氏房が一時期北条家を出奔して佐竹氏に身を寄せる
エピソードがあるんだけど、これがなんか気になるんだよね。
実際岩槻領は、氏房の前に源五郎とだけ伝わる人物の存在があったり
氏政の直接支配の時期があったり、なんかゴタゴタしてる。
源五郎の離反が氏房に置き換えられて伝わったのかとか想像してしまう。
0257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 02:09:08ID:9q49+ayj平井城侵攻時期については真実の所は推測に頼るしかないけれど、
1550年に伊豆・相模・武蔵で国中諸群退転という非常事態が起きているから、
翌年の北武蔵侵攻では平井まで攻めきるには、領国に不安があったのでは?
0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 01:37:07ID:4Pm0T7hK玉縄→対里見戦略では?
0259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 01:47:20ID:5o08sUUY0260名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 19:59:52ID:uCXhulO70261名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 01:34:58ID:ZWHrgR36って事で北条ファンにもなりました。
0262名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 15:08:59ID:ZGAsmU6r0263名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 17:38:23ID:0gXtIqdz0264名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 18:03:10ID:06ToQIsT0265名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 18:36:24ID:0gXtIqdz0266名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 20:00:52ID:mQ3kevNp0267名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 20:28:04ID:iidfdqfVそれでもやはり初代と三代目が輝きすぎているせいで…
早雲:今川氏の関係を活かして台頭。公方・両上杉の対立から伊豆・相模を切り取る。
氏綱:公方家と婚姻。江戸・河越など南武蔵へ版図を拡大。第一次国府台合戦。
氏康:河越夜戦。北武蔵から東関東へと版図を拡大。義元、謙信、信玄相手に渡り合う。
氏政:宿敵里見を下す。上野含め最大版図を確立。最期の篭城もそこまで下策とは言えないような…
氏直:もうちょっと粘れ。いや、お前だけが悪いんじゃあないんだが。
早雲は伊豆攻略時の下克上のイメージと謀略まみれの小田原城奪取、
氏康は河越夜戦、第二次国府台合戦、謙信・信玄相手の二度の小田原篭城が派手で目立つのだろう。
氏綱や氏政が評価低いんじゃなくて早雲と氏康が評価され過ぎているとも言えるかなあ。
あと氏康と氏政、氏政と氏直は個々の事跡についてどちらを評価してよいか迷う部分もある。
江戸時代の軍記物でももう二人の評価が完成していたから評価はともかく評判はどうしようもないわな。
0268名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 22:49:55ID:8nRC64rO0269名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 08:03:22ID:fTpO22Sf0270名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 08:25:11ID:+Tv+9lCQ0271名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 08:32:53ID:fScUvpknさっさと氏政・氏直が上洛しておいて頭下げるなりすれば良かった。
この場合伊豆・相模・武蔵安堵くらいで妥協しないと後々揉めそう、というか
奥州仕置参陣で玉突き式に移封になった可能性もある。
ただ篭城と決めたからには三の丸を含んだ総構えの城内に市が立ち並び
一、二ヵ年の兵糧、武器弾薬が備えられていたのだから篭城策自体はあの時点では悪くない。
後詰のない篭城戦は本来下策なんだがもともと小田原篭城は後詰を期待せずに
長期対陣する包囲網の疲弊と撤収が目的なんだからもう少し数ヶ月は粘りが欲しかったかな。
まあ追撃するための支城網が破綻していて士気が低下していたから止むを得ないのだが。
豊臣方も数的にはともかく兵站と包囲武将の国力考えれば圧倒的な優位を保てたわけではないし
粘れば伊豆・相模安堵以上のよい条件での講和の可能性もあったかも知れないね。
四国遠征や九州遠征は共に短期決戦だったから長期化すればどうなるかまだ分からんかったはずだ。
0272名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 15:31:43ID:u4ylsubh好条件を提示されて、それならばとのこのこ出てきたところを即打ち首。
0273名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 15:37:32ID:qg4ZzFWh0274名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 00:31:50ID:BzE/v1nBつまり下の下で身を滅ぼしたと言うことだな。
0275名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 17:25:35ID:SDU7YMlJつまり、秀吉が一枚も二枚も上手、ということだね。
0276創価学会北条副会長
2006/10/23(月) 03:39:19ID:X1uKnPhj0277名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:14:09ID:/E2KV5Xlまあそういうことになるかな。
実際問題として秀吉の城攻めでの降伏は城主切腹、城兵助命が多いから
あの時点での講和で氏政自身はともかく北条家が生き残れると思っていたのだろうか。
支城が早期に次々と陥落して小田原の士気も低下していたとはいえ
まだまだ衣食や武器弾薬に困っていたわけではないのだから持久戦で腹を括るべきだったな。
もっとも篭城戦で秀吉の権力基盤に動揺が起こらなければ撤兵しても再度の出陣で滅ぼされただろうが。
北条は主な支城も陥落しているから撤退に対する追撃も不可能だからね。
あるいは小牧長久手の家康のように泰平のために積極的な臣従を求められたか。
0278名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 06:37:20ID:oMuIs052伊勢盛時は幕府の東軍側に属し、今川家内紛のおりに派遣されて甥を当主にすえて全権を掌握、官職も駿河守護代だったらしい。
遠江、相模攻撃も西軍派を攻撃する為だった。
0279名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 01:07:48ID:QG0v9fsT0280名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 07:34:04ID:WDvRn1El氏綱の北条改姓あたりからかな?
0281名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 14:35:49ID:lj3zyztO将軍位をめぐる幕府・管領家の混乱による京の地位の低下もあるだろうけど
基本的に反中央である関東に基盤を移したこと、古河公方と結んだことは大きいと思われる。
0282名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 15:18:27ID:VkCDEabsその後好き勝手に他の豪族や公方滅ぼして領土増やして自分のものにしても
主家である今川から何にも言われないのは奇妙っちゃ奇妙なんだよな。
0283名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 19:54:17ID:bedxBG7e0284名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 21:37:21ID:6HZUqOO3そもそも名門今川家が浪人の妹を嫁に迎えるはずが無いし…
幕府東軍派の重鎮で甥を今川家当主にすえて駿河守護代として今川家を支配し、西軍派の遠江と相模を攻略したということが最近の研究でわかってきたみたいだよ。
特に堀越公方の足利茶茶丸を 討ったのは盟主である足利 義澄の母と兄の仇だったから直々に命令されたらしい。
また東軍派の同僚山内上杉家に名声と勢力を妬まれて讒言されて東軍派から追放されてしまうがすぐさま西軍派の重鎮大内家に接近してそのとりなしで西軍派に鞍替えに成功。
西軍派の扇谷上杉家と組んで山内上杉家を破って関東での地位を固めていったようだ。
息子が北条姓名乗ったのと、早雲庵という屋敷に住んでいたせいで北条早雲という謎の人物にされてしまったようだ。
0285名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 00:58:13ID:P/nhAZhs少なくとも幕府申次役である備中伊勢家の家格以上であったことは最近の研究から分かっているね。
でないと駿河の名門今川家に姉で北川殿として嫡子の母であったことの説明ができない。
今出川殿こと義視との関係も最近では目立っているね。
少なくともこのスレにいる人は早雲をただの素浪人とは思っていないだろう。
伊豆侵攻は細川政元の義材追放のクーデターと絡めて考察しても面白そうだ。
相模侵攻はなんでかなあ…だけど今川と両上杉の関係、両上杉の分裂に乗じた現実主義というところか。
しかしこう考えると戦国北条氏の飛躍の基礎は早雲ではなく氏綱と考えてもいいような気もするな。
早雲は最後まで伊豆韮山を居城としていたわけだから今川と離れて関東を視野に入れた氏綱の再評価に繋がるか。
もちろん早雲の初代として、後北条家の基礎を築いたという事績は否定できないけれど
まだ氏綱以降と比べて旧体制的な思想が強かったようにも考えられなくもない。
氏綱の代になると今川を義元が相続した段階で駿東をめぐってその関係も悪化しているからねえ。
0286名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 11:10:21ID:J6Uf3bkC幕府の内々の意向があったのではないかと。
で、それがたまたま早雲自身の野心と一致したような感じ。
0287名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 19:30:07ID:qVZ6Y2UP伊勢盛時は関東で独立する気は無かったんじゃないかな?
有能だけど幕府に忠実な人間のようなきがする。
0288名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 20:10:55ID:W/GaEBFp氏政は、ずいぶんと江戸の発展に力を入れてたらしいが
中央勢力に潰されること無く、あのまま東に領国を広げた場合
小田原が本拠地としては、領国の南西に偏りすぎるよね
江戸あたりに本拠を移転する計画とかあったのかな?
0289名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 01:05:32ID:WqQK6kPD0290名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 02:06:59ID:GS0yfQdM善政で定評のある小田原北条氏が五代もかけてほったらかしたとは考えにくい。
ただ江戸に作ろうとしていたかどうかは良く判らない、
あそこらへんを中心にするには発展はしてたにしても手間はまだかかる。
家康が伊奈氏に命じて行わせた治水工事はやっぱり必要だと思うし。
そこまで考えていたかはわからない
0291名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 13:03:10ID:ryTS9YUG0292名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 15:24:01ID:GS0yfQdM0293名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 21:50:44ID:MPrduc6B0294名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 02:44:04ID:OEUau46O言いたくない人はそれでもいいけど北条氏が民政を重視していたのは否定できないかな。
農政だけでなく小田原においては東国では商工業も比較的発展していたしねえ。
まあ『北条五代記』の小田原繁盛は誇張もあるだろうけど他の文献や日記からも
小田原が関東ではかなり発展した都市であることは否定しにくいわな、唐人町があったともいうし。
と、考えると>>288氏のいうような江戸などへの移転は逆に難しかったのではないかとも思える。
別に小田原が関東の外れに位置するとしても韮山・玉縄・江戸・八王子・鉢形などの戦略拠点に
一門・譜代を配置する支城ネットワークを堅持できれば領国統治はそこまで難しくなかっただろうし。
0295名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 03:57:41ID:74P/dEmQただ里見が屈服するまでは常に前線だったから、安定した発展は望みにくいとは思われていただろうが。
結果を知っている身としては江戸に移す事はそこまで大それた事だとは思わないけれど、
小田原でも十分事足りていたとも思う。
0296名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 11:11:49ID:9d7r+HI6故意か偶然か、国府台、三船台で北条家中の太田氏
が落伍したおかげで、直接支配が可能になった。
0297名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 22:07:37ID:8625rVaW自国民の拉致問題ヘの対処が社民党なみ。
0298名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 23:04:19ID:T7W33Qvv0299名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 23:32:16ID:8625rVaW0300名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 23:54:22ID:T7W33Qvvまず何の事を言ってるのかから言ってくれないと反論のしようも無い。
0301名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 00:50:06ID:f7jww299もし人狩りのことを言っているのならば、お門違いも甚だしい。
0302名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 12:15:52ID:3cQTxqtZ次点で毛利、今川あたり。
まあ江戸は家康、大坂は秀吉によるテコ入れも大きかったと思うが、
新潟とか山梨なんてド田舎だし。
0303名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 23:29:05ID:If8ISGFj0304名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 01:37:24ID:62asOtW8他に上杉や伊達や色々いた土地の割に、妙に称えられてて驚く。
そして町割りや信長譲りの経済観念と街づくりを見て、なんとなく納得。
伊達の仙台もやっぱり凄いと思う。
またこれらとはちと違うが、九州では福岡、博多を発展させたと言う事で、
驚くほど黒田長政の知名度が高い。
北条もそうだが、政治で1番凄いのはこういう治績と言う気がしないでもない。
0305名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 19:29:26ID:xUzgr4H80306名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:16:17ID:FuzEecvo県庁所在地ですらないしな。
0307名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 00:56:03ID:1fqbrdwa区の名前だって葵区だぜ。
小田原の氏政・氏照の墓を見て、複雑な気持ちになった。
ビルの谷間にすっかり埋もれているのを嘆息すべきなのか、
それとも、信仰?観光?の対象として親しまれている?のか。
0308名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 01:24:04ID:cG91+GCi氏政は・・・う〜ん・・・。
0309名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 01:47:18ID:ounaPa9C八王子は氏照公より、信玄息女の松姫の方が知名度あったりします
松姫最中は、よくお土産用として買いますし
ここら辺は、武田家臣の子孫が多いので
クラスメイトに馬場、内藤、山県がいたりします
0310名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:06:27ID:TKe9e0+hそういえば東京は江戸があるから徳川というのはわかるが、
埼玉県では北条の歴史は残っているのか?
0311名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:43:41ID:Jz+muho0神奈川では頼朝の方が・・・
0312名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 21:17:15ID:jUa19JB1氏邦の居城・鉢形城のあった寄居町なんかでは割と顕彰しているようだ
0313名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 21:23:12ID:9G2EYVqX0314名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 22:06:28ID:cG91+GCi北条家はまるごと徳川家とかぶるのがマイナーになってしまう最大の原因だと思われる。
八王子の氏照だって、ホントつい最近だしなぁ。もっとも肖像画も無い武将だから無理も無いが。
氏邦はわりと昔からだが、後は伊豆の韮山は早雲と氏邦の事があるんでここもそこそこ有名。
神奈川県なんかはポツポツ史跡が多いし、女子高になっちゃった玉縄城とかw
まぁ領土が広すぎて、分散しちゃってるのも原因かもなぁ。
0315名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 22:07:28ID:ROfiKjv6ライバルとして人気のある武田信玄とか上杉謙信とかも出せるから毛利元就よりおいしいだろうし
何か使えそうな原作があれば・・・
0316名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 22:15:54ID:cG91+GCiやはり地元の運動の根強さらしい、県の存亡にも関わるから、マジで真剣。
それに比べて北条家は神奈川・東京辺りだから、危機感が弱いのよ。
既にここ二回の大河だけでも義経、家康と当たり前だが関東は困る事が無い。
別に北条家を推さなくてもいいんだと思われる(ノД`)
それどころか北条家を主人公にするからには、武田・上杉を完全なる敵として描かなければならず、
それは上の、・・・必死な人らにとって余り喜ばしくない描写になる可能性も・・・。
0317名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 22:50:25ID:QvJOjK9/駿河侵攻は互いの食い違いから起きた悲劇くらいにしておけば無問題。
勝頼は悪役にしても必死な人たちからはクレームも来ないだろうし。
まあ、そう言った善悪を取り入れずに描いて欲しいけどね。
0318名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 23:32:38ID:nC7hA2dp知名度は三本の矢の説話があるからさすがに大河以前から元就の方が上だろうけど
大内・尼子と違って敵対勢力が今川・上杉・武田って感じに描けば北条も再評価されるかも。
さすがに大内・尼子よりはこの三家(義元・謙信・信玄)は知名度あるからねえ。
ただ問題は派手な合戦がなあ…と思ったら河越夜戦があるか。
松山城攻略とか二次の国府台とか本当に北条にとって重要な合戦の相手がマイナー大名ってのは
痛いがネタ切れしたら可能性あるかもね。いや、里見も何だかんだでメジャーに属するのかな?
もう大河もいくらジャニ使おうが近年は戦国しか数字取れていないのが現状だからなあ。
0319名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 16:51:50ID:wnFBYcWG有史以来自慢できる事柄が信玄しかないんだもんな。
悲惨だけど、うざいよな。
0320名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 23:38:35ID:VSFtngiGほうとうもあるぞ!
0321名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 01:21:27ID:dqx6fSC3ここから川を下って海に出たってあるけど
江ノ島に出る柏尾川のことなのかな?
>>314
そして最大のライバルは鎌倉が隣にあることかも・・・
ひねくれものの私は、夏休みの自由研究に鎌倉をスルーして玉縄城について調べてた気がw
0322名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 20:58:39ID:eXRCqEmtそのことを知ったのは大きくなってからだけどね。
0323名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 18:53:17ID:U2i2Hlce0324名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 23:25:46ID:kfixF3wF0325名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 02:06:39ID:E5bny8Hq後北条を先に出す人って戦国オタくらいのようだ。
小田原城にしたって秀吉に降伏したショボイ城だと思ってる奴の多いこと・・・
0326名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 22:46:43ID:aSgP1icr「箱根の坂」を読んで興味を持ったのですが、
後北条氏を描いた小説ってどんなものがあるんでしょうか?
0327名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 23:36:33ID:DFgBkcQg箱根の坂だと妹だけども。
0328名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 20:13:58ID:9t6KrW2e他の大名は軒並み萌え女性武将化したのに北条だけはムサイおっさん。
主人公に殺される為に出てきたような感じだ…
0329名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 01:19:12ID:/GNDTlDH('A`)<氏真ファンの心のよりどころ、蔵春院様になんてことをするだー!
といいつつ、詳細キボン。
0330名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 01:54:21ID:G+aIDTCo伊勢盛時でなければ、どんな扱いだろうが気にしない。
北条早雲なんて真田幸村と同じレベル
0331名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 02:29:04ID:KmP4SN+aランス?
0332名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 13:48:08ID:55WdIPYx『謀将 北条早雲』上下だったかな?
北条関連なら氏康の小説が文庫で二種類くらいあったような。
0333名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 21:02:06ID:f0ere92D確か「北条氏康」と「北条竜虎伝」だっけ?
0334名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 23:46:50ID:6MUr7fnS因みに苗字は「早川」です。
足利の出身みたいなのですが、小田原から足利に分家した早川家について
何かご存知の方いらっしゃいますか?
0335名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 00:38:31ID:YB20iVMYhttp://www.sokanet.jp/sg/sn/web_comic_top.html
0336名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 00:42:06ID:prVrAEiR0337名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 01:02:47ID:JFVmShAAそうなんですか。
北条早雲の前の苗字みたいですね。早川って。
0338名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 01:40:57ID:O/T/Jypl北条早雲って改姓してないよ。
生まれてから死ぬまでずっと伊勢。
伊勢氏が北条を名乗るのは宗瑞の死後。
0339名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 10:53:22ID:vAVFWlFm改姓する予定はあったんじゃないかな
0340名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:04:40ID:uvHcCXqi同所蔵に伊勢盛定の裃にも北条鱗が見えるのは、盛定から改姓の予定があったからですか?
つか盛定の時代に裃なんてあったっけ?
0341名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:04:55ID:JFVmShAAえー!!そうなんですか?
しかも伊勢とは聞いた事が無い。
小田原の早川の出身で早川ではなかったのか。
0342名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:06:57ID:OOSlw6Xhほとんどは江戸時代にほとんどの人が家系模造してるから
幕府が了承してたから流行してた勿論農民も模造してOK
0343名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:22:11ID:YB20iVMY0344名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:25:28ID:prVrAEiRあんましその辺の歴史得意じゃないなぁ。
0345名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:26:04ID:uvHcCXqiあなたの家の伝承は捏造の疑いが濃厚です。
まあ、善悪はともかく、それを真に受けない方が良いよ。
0346名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 00:06:06ID:sdhcZjp5そのお寺蔵の早雲像は何時代に描かれたもの?
それが問題だな。
0347名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 00:37:52ID:mYJBzhq2さもなくば盛定まで三鱗をつけている理由がわからない。
0348名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:58:08ID:sdhcZjp5肖像から何か情報を得ようという場合は
その画の成立年を考慮しなきゃね。
0349笠間の龍805石 ◆wfGsWQJm.U
2006/11/14(火) 00:17:22ID:RRDW4Ajc0350名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 02:43:11ID:sj9RWGvc珍しくも清水康英の奥さんが主役の漫画があったりする。
早乙女貢の「風魔小太郎」は滅んだ後がメインの上に、
氏規がイヤな奴に描かれておりイマイチ。
氏邦とかが主役らしい小説を見かけたことがあるのだが
ハードカバーだったんで見送ったけど買っておけばよかった。
誰か力のある奴に氏康と綱茂の友情ものを書いてもらえないだろうか。読みたいぞ。
0352名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 21:53:37ID:mlfhivBF序盤で北条いなくなるけど・・・・
0353名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 15:51:04ID:IyMh0D6Y養子に入る前の話に終始していたので読み返しもしていないし、本が出てこないので・・・
そういや宮本昌孝かもしれんなあ
0354名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 15:54:03ID:IyMh0D6Y清水康英の奥さんの漫画は平田敦史『怪力の母』
短編で読んだときは、康英の長男は後に武田に仕えた・・・とかで終わっていた。
なんか武田は早く滅ぶし不思議に感じたものだが、後に長編で描き直されているはず。
誰か読んでないかな
0355名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 02:49:53ID:xsPpGA0i本当の名前は、伊勢盛時(いせもりとき)。
日本史ファン以外は大半が知らないだろうけど・・・
0356名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 08:10:38ID:ZK+z1Tum0357名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 09:13:36ID:RIaCBPzp0358名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 09:19:05ID:ZK+z1Tum0359名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 16:53:45ID:3Hz2YlWyそもそも年齢すらはっきりしてない。
とにかく謎の多い人物なんで、まぁ断定はせずに、いろいろな説を吸収して
自分なりの解釈にとどめておくのが無難だと思う。
そういう意味で俺は逆に早雲を早雲以外の名では呼ばない事にしてる。
0360名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 17:13:22ID:ZK+z1Tumあ、新九郎も確かなのかな?でも晩年には使いにくいからなぁ。
0361名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 21:53:18ID:RIaCBPzp>>360
伊勢早雲庵宗瑞が名乗りだから、太田三楽斎を太田三楽と言うような物だからあながち間違いではないよ。
朝倉宗滴だかが伊勢宗瑞のことを相雲とか書いていたはず。
0362名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 23:26:10ID:ZK+z1Tum伊勢を付けたことはあるのかな?出家した後は普通名字はつけないよね。
0363名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 23:59:21ID:sQ2thCkTこれはさすがに驚いたなぁ・・・
何故そんないい加減な「名前」がつい最近までまかり通ってたのやら。
>>362
長崎円喜、佐々木道誉、山名宗全などは例外的?
0364名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 00:56:30ID:qtKUcU/m名前なんか特に、コロコロ変わる時代だし。
氏政の弟二人も、実は一度も北条姓を名乗ってないとかあるしね。
0365名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 20:10:26ID:EGLDaKWD「怪力の母」なら実家の本棚にあるなぁ・・
確か全三巻だったっけ?
確認したいけどすぐには読めない
0366名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 21:50:32ID:t/Ds7qXbそういえばそうか。斎藤道三もそうだな・・・・
0367名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 22:21:44ID:/Aln6xKZ誰か詳しい人解説plz
0368名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 23:09:44ID:zc1Mvfibまあ「長氏」からにしてもそれ以前はどこからってことになるが。
執権北条家は「時」だからここからってことはないし。
今とおなじで関係ある寺社からもらったりするの?
0369名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 23:19:07ID:EooNzeAP北条氏が名字。
綱、康、政、直が名前。
0370名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 23:33:51ID:xxuw7+DQ「今川」氏親からジャマイカ?
0371名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 23:47:12ID:zc1Mvfibなるほど、氏親と氏綱の年齢からして一字を貰ってもおかしくないな。
でもそうやって拝領した字って世襲していいのか?
0372名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 23:58:58ID:/Aln6xKZ氏綱元服当時は主家だし、今川からすれば重臣(有力外様大名?)だし、
その当主に一字書き出しするくらいは当然のことでしょう。
ざっと調べてみたけれど伊勢俊継以降かつ宗瑞以前の宗家・備中家で、
氏の字を使っている奴は一人も居ないからな。
0373名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 23:59:41ID:4eAjnaG9北条を名乗ったのは氏綱からだから
氏綱以来の名だと考えても差し支えないかと
0374名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 00:12:50ID:jAe6g5B0氏親−氏綱−氏康以降のラインで見ればたしかにそうだな。
納得した。ありがとう。
0375名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 05:21:14ID:jVHc8ciRまあ「氏」なんてなんか不自然ではあるが
0376名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 07:17:11ID:47BewYyl>綱、康、政、直が名前
嵯峨源氏だったらそれもありだが・・・
0377名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 15:24:41ID:l4y8+w+H0378名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 15:53:42ID:Ys0IIKjF足利成氏からというのも考えられるけど(今川は古河公方からもらったりはしないか?)、
先祖でいえば、足利義氏ー吉良長氏ー今川国氏ー基氏ー一代略ー範氏といるから
ちょっと脱線して申し訳ないです
0379名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/05(火) 02:51:36ID:ZtUFENoz「氏」は北条得宗家、時行の遺児とされる行氏からきてるのではないかと
横井系図によると時行に遺児がいたことになっており、そのまま後北条氏に繋がっている
高時−時行−行氏−時盛−行長(盛定?)−宗瑞(盛時、氏茂)−氏綱
これは勿論事実ではないだろう
実際に北条氏を名乗ったのは氏綱の代からだが、宗瑞の子に葛山氏時という名がみえることからも、相模支配の正当化を示すための改姓計画が、宗瑞の代から行われていたと考えてみれば自然ではないかと思う
0380名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 00:20:49ID:r1AHjQXk葛山氏は伊勢氏と同様に今川の麾下であって、伊勢氏の家臣ではない。
0381名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 22:59:30ID:ZGRKsorHhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160592334/l50
ここでこういう議論がされているけどこの場合北条にはどんな影響がでたかな?
0382名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 00:58:51ID:7vXZQmG70383名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 01:07:51ID:Q2y8zpvu歴史に名を残さなかっただろう。
0384名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 06:05:37ID:vDgl22oV伊勢家としてちゃんと名を残していたと思うが。
0385名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 14:45:54ID:4Q+CK/+1西方への拡大路線を続けるならば北条としては後背に潜在的脅威を抱えつつも
三国同盟を堅持して北武蔵・上野・房総方面への着実な進出が期待できただろう。
謙信とはどのみち膠着から北条優位へと史実どおり進んでいただろうから
まあ伊豆・箱根の防衛ラインさえ気遣っておけば余り信長は関係ないような。
磐石な体制で氏真が今川を相続すれば信玄もうかつに南下はできないだろうし
北条としては今川が余りに強大化せず、しかも安定していた方が有難い存在かな。
0386名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 22:59:06ID:Q2y8zpvuじゃぁ、今と比べて格段に知られてなかった。
0387名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 23:48:36ID:rX0MEXeW0388名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 23:43:21ID:x+Kvkouc今川以外で駿河を支配していた大名に兵を借り、
伊豆を取り、相模も取り・・(以下省略)
0389名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 19:41:49ID:yT2lMz360390名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/16(土) 16:58:30ID:n/2Ia64R0391名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/17(日) 17:57:51ID:hvgIMFZU0392名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/17(日) 20:19:54ID:hQOVHMDy歴史が変わってるしな。
0393名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/17(日) 21:30:41ID:b55kIG3Y0394名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 23:05:45ID:NoaE/3ju0395名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 08:51:23ID:oPZdVePG0396名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 16:19:44ID:45mHjT8Z0397名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 23:54:21ID:ts0z3o/t後に真田とも戦っていました。
0398名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 00:38:03ID:/w8bKw4a北条氏康 = 松井誠
北条氏綱 = 品川徹
清水吉政 = 横内正
は既出として、玉縄北条関係の配役は、
福島越前守 = テリー伊藤
福島彦十郎 = 崎本大海
ということのようです。
大河ドラマのストーリー本を立ち読みしたら、彦十郎は山本勘助を父の敵と考えているみたい。
でもこれって、越前守は福島正成で、彦十郎は北条綱成ということだよね。
綱成、氏康と同い年なのに、役者が若過ぎるのが気になる。
それとも彦十郎は、綱成の弟の綱房のほうなのだろうか。
河越夜戦で活躍した、美男子だったという武将の。
0399名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 01:49:01ID:V4HBRhkk盛時が登場しない時点で(登場するわけないけどw)
来年の糞大河は完全無視を決定しました
再来年のも完全無視するので、
大河を見れるのは早くて2009年か
このあたりで盛時を主役にできないかな
0400名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 02:04:47ID:6Kmh7IWO>盛時、って書く奴はワザとらしいくて反吐が出そう。
真田信繁連呼の厨房と同じ匂いがするな。
盛時wが主役の大河ができたとしても、
それは君の無視する糞大河と同様に、現代人の創作物だよ。
0401名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 20:07:41ID:BFqsPU5v再来年も無視って、そんな個人的な都合なんざどうでもいいことまで
ぐだぐだ書くなって思うし
0402名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 20:45:03ID:Ag7eme3V0403名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 21:24:32ID:oIpCj0WGこのスレ的には最大の見せ場だし、世間に対してどう描かれるのかぐらいは
興味もってもいい気はする。最近北条家の治世はどんどん評価されてる、
今年の大河の豊臣秀次みたいに今までとは違った描写をされる可能性もある。
0404名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 00:15:52ID:CMwf+sS0箱根駅伝の中継が始まるかもしれないが…
0405sage
2006/12/24(日) 14:18:48ID:l3xP8uO5それでググッてみたら、第五条は、「勝って兜の緒を締めよ、ということ云々」とありました。
東郷平八郎が、日本海海戦の後、「古人曰く、勝って兜の緒を締めよ・・・」と言ったのは有名ですが、ここで言う古人とは、本当に北条氏綱でいいんでしょうか?
もしそうだったら、小田原市はこの碑文と氏綱像を、城址公園に立てて欲しい。
0406名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 17:27:42ID:w1BT5L8P風林火山に乗っかって北条関連書籍が売り出されてるかな、
と思ってみたものの全くない。
我らが北条の大河化への道は遠い・・
0407名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 17:32:08ID:mmn1NxO/0408名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 20:52:43ID:y3uilsu90409名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 02:57:23ID:oSNu/zAu「勝って兜の緒をしめよということ、忘れたまうべからず」
勝って云々の語は、別に氏綱が発案したのではなく
戦のさいの心がけとしてすでに周知されてたんじゃないのかね。
0410名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 21:57:00ID:d97h0LxU信長の野望をやり、箱根の坂を読んだヒヨっ子の浪人生なんですが、
最近の研究によると早雲様の寿命って60代なんですか?
80過ぎても頑張ったっていうイメージが自分のなかで定着してしまっているので
驚きました。ここの人たちはどちらを信じているのですか?
0411名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 22:09:06ID:oSNu/zAu12才の誤差が生じてると思ってるけどね。
0412名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 00:02:45ID:0T66/9Ne早雲の活動時期は削れないから、伊勢新九郎が歴史に現われたとき、二十そこそこということになるな。
テレビ的にはそのほうがいいな。
0413名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 01:26:41ID:+tq3d7cg参考くらいにはなる。
また出典もそこに書かれているので細かいソースは省く。
その本要点をまとめると、
1:八十八歳説は江戸中期以降にぽっと出てきた説で信憑性はそもそも皆無
2:八十八歳説を信じると実父・養父との年齢関係が滅茶苦茶になる
3:子年生まれも実は微妙。
4:宗瑞の妹とされる北河殿も妹とされるのは後代で、江戸初期は妹とされているのが多い
故に、八十八歳説はかなり疑わしい。
3と4を信じるのならば、十数年は出生を後倒しにしなければ辻褄が合わず、
64歳享年説を推す。
って感じ。
0414名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 01:31:56ID:LC57zUKM妹とされているのが多い
って意味がわからん。
0415名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 02:09:46ID:+tq3d7cg北河殿も妹とされるのは後代で、江戸初期は姉とされているのが多い
だな。
0416410
2006/12/26(火) 07:28:00ID:XvploTUk言われてみれば、80越えても現役で戦の指揮をとっていた
ってのは厳しい気もしますね。
現代でそんなにすごいのって一部のおっさんや森ミチコくらいですし。
歴史上もっとも尊敬する人なので
大学で自分でもよく調べてみようと思います。
それではお元気で。
0417名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 09:15:31ID:d2FadxMc北条六代だったりして
0418名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 12:28:14ID:WsjXJE6U別段、例がないわけでもないけどね。
竜造寺隆信の曽祖父は享年94歳。たしか92歳で陣頭指揮を執っている。
0419名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 12:42:53ID:916eKv2K0420名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 20:18:33ID:V1WARTPh0421名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 21:39:28ID:2wdmxxlt伊勢盛定が宗瑞の父親でない可能性もあるんですか?
0422名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 23:19:31ID:LC57zUKM優秀な息子だし、老骨にむち打つ必要ないじゃん。
0423名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 00:01:17ID:VlWFk5tL可能性だけならな。
現在までの研究を根底から覆すような史料でも出てこない限り、ほぼ確定。
0424名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 03:41:59ID:9EaZWZCF上でも言われてるけど可能性だけはある、
そもそも年齢すらはっきりしてないだけに、そのぐらい早雲の話題はデリケート。
いらん突っ込みうけたくないのでこういう書き方してるだけ。
0425名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 12:45:17ID:T2s8CBgE0426名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 23:35:37ID:5iLsnX6d戦国初期の主要人物ではあるけど・・
0427名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 23:43:37ID:9EaZWZCF0428名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 10:47:32ID:Rx08x1SC0429名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 00:59:59ID:sJh9iOReって実際凄いんだけど、なんか大げさになってる気がする。
0430名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 01:08:50ID:TAmDNlC10431名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 06:08:29ID:v6vfYzUoこのスレやネット上で早雲こと宗瑞の記事を見ていくうちに
いつの間にか「室町時代の武将」と認識するようになってきました
0432名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 21:18:45ID:N3s0m5NN0433名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 07:29:14ID:e2nGhbc/0434名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 07:55:55ID:HnI5J4Ogそれ以降は知らぬ、存ぜぬ。
北条政権が一向宗の布教を認めなかったのは一体何だったんだ。
0435名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 08:56:02ID:5SFUp5UHこんなクソ宗教は国を滅ぼすからダメだと分かっていた。
だから禁止にした。
北条家は善政を敷いたから
民から不満は出なかった。
0436名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 10:52:13ID:i9psqKsa門徒との争いの形跡はあまり無いんだよな。
この時期、どこでもある事なのに。
やっぱり不満が無かったからなんだろうか。
0437名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 11:39:12ID:BkZ7klJ1一向一揆は箱根より西ってイメージがある。
0438名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 21:45:39ID:WiHBalm70439名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/05(金) 04:25:24ID:lTCyYitN幻庵も酷い。
0440名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/05(金) 23:48:45ID:jkRVTuWg0441名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 02:34:40ID:7OKVizqD綱成の弟でしたっけ?美男だっていう話はどっかでかじったような。
0442名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 11:03:10ID:DET9hIcI0443名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 16:52:03ID:MZjk/o8x0444名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 17:43:45ID:DET9hIcI0445名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/07(日) 17:50:29ID:OgYjZ0/l0446名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 03:17:53ID:Y6gSEagnたしか上杉謙信だかは、氏政と敵対していた頃の書状に「伊勢氏政」と書いてた希ガス
0447名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 05:31:52ID:nvpQlgLa0448名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 09:08:00ID:rWI7yYldめずらしく氏綱が出ていたよ。
出番は少なかったんだけど
MVPの集計で上位に来ているくらい存在感があった。
北条好きは見てみていいかも。
0449名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 09:58:17ID:iJW/mFNW氏綱が出てるのも、その北条勢が鮮やかな戦術で武田を蹴散らしてるのも
ドラマで初見ではなかろうか・・・。主人公の口からも戦上手とまで言わせてた。
それどころか俺は映像では北条勢が秀吉に蹴散らされてるの以外で
見たのすら始めてかもしれん。
しかも福島正成の事がチラチラ出てたからその辺も絡めるとしたら、
もうちょい氏綱出番ありそう。ちょっと期待。
0450名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 10:31:14ID:yhNOpEZY対して北条側は、上杉謙信の事を「長尾」呼ばわりしている。
上杉・北条共に関東支配の正統性を持つ姓だから、お互いにそれを否定しなくちゃならん。
0451名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 11:37:15ID:JBjihzrZ0452名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 11:41:03ID:5Hjhkl2u0454名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 00:01:21ID:2xxkgxHf、 大道寺 ヽ
|ヽ ト、 ト、 ト、 、.`、
/|l. l. | |l l | | l |l.| |l. l
/' j/ ノ|ル'/レ〃j/l |
-‐7" ヾー---┐|_.j
 ̄ ./゙ニ,ニF、'' l _ヽ
:: ,.,. |ヽ 」9L.` K }.| 総大将なのに、前線で自ら槍を振るって傷まで負うなんて
l' """ l ) /. なんて殿なんだろう
h、,.ヘ. レ'/
レ′
r.二二.) /
≡≡ ,イ
. / !
\ / ├、
::::::` ̄´ / !ハ.
0455名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 01:09:45ID:o/zi5jKb役職も将軍から頂く関東管領と天子様から頂く官位の上での左京大夫、相模守。
いずれも関東を治める意味での役職だしね。
0456名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 10:18:51ID:9GOnWYN0糜爛した足利幕府を否定することで正当性が生まれるのかな。
本気で北条時行の子孫というなら後後南朝勢力。
0457名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 18:38:04ID:7PqH8ERo北条五代期を大河にする運動をしよう。
0458名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 19:22:53ID:N9+WXEI60459名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 20:51:47ID:/KBvBHTu漏れは小田原市民
切迫した市の財政を立て直すにはこれしかない
「箱根の便所」の汚名を返上しようではないか!
とりあえずNHKにメールしとくか
0460名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 23:00:27ID:MEfFAAJd0461名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 01:22:44ID:7qz2ZjJi0462名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 02:06:13ID:FQq6Pyor地方別に考えると・・・、神奈川西部は武田マンセーなんで山梨に追放。
静岡よりの方の神奈川は割りと期待できる、もちろん小田原も。
横浜より東は、江戸のイメージの方が強すぎるので、ちょっと厳しい。
鎌倉一帯は執権北条家のイメージが強すぎてやっぱり厳しい。
中央部の微妙な都市圏クラスは掘り下げればかなり後北条家の影響もあるし
他の影響が薄い(要は何も無いw)ので若干期待できる。
また他では、伊豆・八王子・河越・群馬上里などの、
北条一族の縁の深い付近でもかなり期待できる。
特に八王子は最近氏照の研究が盛んなようで、八王子城複製の話もあるそうだ。
この辺りが力合わせられれば多少は・・・。
0463名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 06:03:25ID:NQdYKZkG静岡よりの方の神奈川=神奈川西部ですが…
0464名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 12:15:02ID:Z5FS5QA/1〜30話 盛時
31〜35話 氏綱
36〜49話 氏康
50話 残り
こんな感じでいいだろ
ぜひ象の梅子が元気なうちに実現して欲しい。
0465名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 13:09:26ID:nZ9sTxTnなに「残り」って
0466名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 13:46:09ID:x92Q+2oaそれに、武田信玄・上杉謙信・今川義元といった地方の覇者から、
三英傑との絡みもあるので、人物だけ見ても有名どころが出そろって良いと思う。
小田原の役で、唐沢利家、上川一豊を友情出演させるとかな。
お茶の間にしてみれば盛時の時代は、北条早雲とその他多数だからなあ・・・。
故に、(氏綱死去〜)河越夜戦〜氏直死亡までのおよそ半世紀で。
氏綱も好きだけどね
0467名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 15:06:31ID:FQq6Pyorもちろん厳密に言えば西の方だが、
神奈川に住んでいると感覚的に、あっちは伊豆・静岡に向かう南の方になる。
俺が言ってる西と言うのは津久井の方に向かう、山梨よりの方、三増峠合戦のあった辺り、
あの辺は頼れそうに無い。
0468名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 21:37:22ID:0uIBso9z>神奈川に住んでいると
横浜とか東部の人間はこうやって西部や津久井の住民を馬鹿にするんだよな
0469名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 22:09:54ID:kJrsloVUそか?
そんなことないぞ。
0470名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/15(月) 04:55:41ID:fjg15LHM西国や北国は身体に合わなかったのか、それとも……?
0471名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/15(月) 23:43:59ID:9dd8deMM神奈川っても、鎌倉以西は別物。
蔑視とかじゃなくて完全に違うでしょ。
まぁ、鎌倉も異質だけどね。
地方行くと、神奈川って名は通用しないんだよね。
横浜って言った方が通じる。
0472名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 00:31:13ID:EnBFZCv3狭山藩主も氏盛、氏信は30歳くらいで死んでるんだよな。こっちは病弱
だったんだろうとしても、北条繁広は胡散臭い死に方をしている。
もともと兄氏勝の養子だったものの、保科氏からの養子氏重が跡を継ぐ事に
決まり、異議申し立てのために江戸へいった所急逝・・・・。
ちなみに、この人の子が大目付になる安房守氏長
0473名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 00:50:17ID:MLC7BN91>>471
お国自慢板にでもお帰り下さい。
0474名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/18(木) 11:43:20ID:z+dHZ6lS0475名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/22(月) 21:01:52ID:LcskLlIQ0476名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 02:59:17ID:t0zt8yNB駿府を攻略した武田信玄の軍勢を追い払うため、氏康・氏政は伊豆の
三島に布陣。先陣を駿河の中央に位置する蒲原城まで進出させた。
総勢4万5千。
対する信玄は駿府の東の要害久能山に城を築くと、武田信豊を
大将として興津まで進出させ、ここにも城を築く。総勢は1万8千。
蒲原と興津の間には海岸まで山が迫っており、交通の要衝となっている。
それが薩た山。
まず最初に薩た山を抑えたのは武田勢らしい。
0477名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 03:00:27ID:t0zt8yNB採用しており、伊豆・沼津から約五千の水軍を集めていた。
率いるのは北条氏規・綱成、梶原影宗。
興津の海岸は、西でぐるりと反転して半島状に突き出した
三保と相対している。ここに夜間密かに上陸させる段取りだった。
一方陸勢は、蒲原から海沿いに峠の手前の由比まで進出。
しかしここで天候が武田方に味方する。
0478名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 03:03:34ID:t0zt8yNBそれでも陸勢は一気に薩た峠に攻め上がり、武田勢は山を降り退却したようだ。
ここで信玄も、久能山から興津に陣をすすめ信豊と合流。
北条父子も薩た山に着陣し、戦場は山のふもと興津川の河原に移る。
※この後の氏規らの動きは不明。そのまま包囲陣の一角を担ったと思う。
0479名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 03:08:13ID:t0zt8yNB内藤昌豊を撃破。それを馬場美濃守が押し返し、その後は睨み合い。
その間に信玄は清水、横山、江尻に城を築かせ穴山梅雪ら重臣を入れる。
これは位置的に三保の北条勢に対する備えと思われる。戦況は膠着。
結局武田方は、薩た峠を押さえられたことで、本国との連絡が絶たれ兵糧が欠乏。
北条勢もあえて力攻めは行わず、武田勢の疲労を待った。
その後4月になって武田勢は退却を開始、駿河には北条氏の部隊が駐屯。
翌年の小田原侵攻につながっていく。
0480名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 11:14:04ID:c6JnCMCK0481名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 11:24:09ID:IGVa+fQgしっかり戦功もあげてるしな
0482名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 14:33:16ID:duHqeihF0483名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 16:49:20ID:FTHyCPnO廻りにいる武田、今川、上杉を簡単に潰したらまずいって言うゲームバランスじゃね?
0484名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 19:07:15ID:mYmpPrdU詳しくありがとうです。
武田勢は甲斐へ退却したのち、北条勢は駿府を攻略したってことですか?
0485名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 20:56:50ID:8C3z7YG7そんな難しい事ではなく単なる知名度の問題だと思う。
0486名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 22:04:11ID:sFnjxpdk0487名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 22:23:26ID:x2hzoUqB0488名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 23:10:14ID:RkG6L5Pz憲秀・・息子にバレて切腹
0489名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 23:18:09ID:t0zt8yNB北条勢は今川氏を助けるのが目的なので、武田に代わって
駿府を奪うという考えはありません。
戦後は氏真の家臣たちに、焼き討ちされた駿府の再建を命じると
駿河東部の各城に家臣を配置して小田原に帰っています。
0490名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 01:07:05ID:kZ06rLHX0491名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 01:59:52ID:nL+V+SGrまぁそれはさておき、
北条家が駿府に全く興味がないかというとそれも疑問だがね、
関東の方がより展望が開けていて、武田に完全に背後を包まれるよりは今川の方が
良いと言う政治的な判断からきているような気もする。
義元相手では思いっきり同所で激突してるし。
0492名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 10:51:41ID:h4p3DZ+m今川の名跡を氏直に継承させているところからも、
駿河を取る気満々のように感じるけどな。
0493名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 12:20:49ID:E9cv1oFS0494名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 15:46:25ID:qYBbJ23h多目と山中の子孫は重臣だったようだが、後は知らん。
0495名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 19:00:51ID:JpAgrMTLこれはって家臣いるかね?
0496名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 21:14:43ID:ui1Jjljp横地吉信
近藤綱秀
師岡将景
大石信濃守(基照)
金子家重
まとめて河越城へ投入
信長はなんで八王子城がないんだorz
0497名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 21:15:22ID:2EoNLl9R明らかに過小だから自分でつけなおした。
北条氏綱・・統率102武勇106知略91政治106
0498名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 23:12:21ID:ui1Jjljp語りたいなら、能力値スレでも行って下さい
0499名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 23:27:58ID:9s/W5a7gメジャーになったら汚されるし。
0500名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 20:27:26ID:Rvm/gZ580501名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 23:09:21ID:oe0IACi8この時代のお三方は次代と比べてみんなマイナーだね
0502名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 00:05:52ID:SfLurks6江戸期の講談その他でもっとネタになってればな
0503名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 10:58:26ID:zEKjqkJR0504名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 14:48:03ID:ZsgI4A8p信長の野望オンラインというゲームのファンサイトだが
全ての大名家に同じ数の武将を揃えておかないといけないという理由で
信長の野望に出ていない北条家武将もいるので参考にしてみたら?
http://kamurai.itspy.com/nobunaga/houzyouSS/index.htm
0505名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 23:19:48ID:zGqam+M5まぁ、敗者だからかもしれないけど、
それでも俺の中では永遠にチンカス。
0506名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 02:46:55ID:XjJWzgqcとは言えこの決断を氏政が下したとも思えん。
となると・・・やっぱ鉢形城の歴戦の猛者である弟が怪しいなぁ・・・。
好きなんだけどなあ。
0507名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 12:32:30ID:LgBvCf4J>>505-506
その猪俣って、実は殺されず生き残ったぽいね?
0508名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 18:23:32ID:XjJWzgqc氏照は全般的な軍事関連をまとめてる他に、東北・越後・関東との外交も一手に引き受けてるから
智謀と言うのは妙な感じ。
0509名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 19:26:16ID:HfzuvcQd僕が今年大学に受かったら毎月早雲寺を掃除に行きます。
0510名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 20:32:54ID:9f/PY3ef0511名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 00:01:28ID:Xcs9qjA9功労者だしw
0512名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 03:23:51ID:QSs8bxHH北海道の釧路生まれらしいぞ。
0513名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 22:06:27ID:EEHILxfj北条が好きなのであったら剣を習う時それににしたいです
0514名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 07:16:54ID:WL6piI4Iどーか早雲様、僕を見守っていてください。
0515名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 08:05:55ID:+ofapNwT北条家は長野家滅亡後に上泉信綱の来訪を受けて、えらく歓待している
氏康・綱成などの当主と幹部クラスがその場で彼の弟子になったほど
さらに綱成の娘が信綱の後妻に入り、生まれた二人の子は兵法指南として北条家に仕えたと言われる
だから新陰流が縁が深いんじゃないの?
0516名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 16:15:09ID:50oZ9foO詳細なレスご親切に有難う御座います!
とても参考になりました
0517名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 23:52:55ID:Yt45XRRU0518名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 00:29:45ID:rJwBMbV8しかし、駿河は味方の土地のハズなのに、乱暴狼藉をしている北条軍・・・。
武田や上杉じゃあるまいに・・・
0519名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 01:15:31ID:i5ryo3m8前スレからの続きになるけど、河越夜戦やるのかー。
それを知ったら今日綱成がこれ見よがしに出てきたのも感慨深いな。。
60 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/04(日) 22:28:29.38 ID:VolblTSr
>>42
手元のガイドブックによると
「日本三大夜戦の一つと言われるこの戦いも大胆に描きます」とある。
今回の花倉も脚本の大森がぜひ描きたいと希望したらしい。
楽しみだな
0520名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 08:37:11ID:BdTG7IKX味方の土地???
0521名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 08:55:14ID:2jC4Y9S+今川軍同士の戦いじゃないか?
0522名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 15:45:40ID:zriB5fEJ師岡将景だけは入れるべき。
武田勝頼と一騎打ちした師岡一羽の一族。
これだけの人物が未だに信長の野望に出ないのはほんと不思議だ。
0523名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 17:41:14ID:JIBAhXWv北条の土地とは言っていない、義元方の土地、と言っている。
味方の土地で乱暴狼藉はしないだろ。
あと花倉方は籠城している、当然花倉方の領民は城に籠もっているはず。
だから落城後ならともかく、落城前はおかしいんじゃね?って話。
0524名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 00:04:19ID:E9ULeszl0525名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/07(水) 23:36:29ID:UvKh66PG確か信綱の息子が北条の人質になって国府台で戦死したんじゃなかったっけ?
0526名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 22:00:11ID:kwze2LgEドラマだよ、ドラマ
0527名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 22:30:00ID:XwFvvx8xまあ、所詮はドラマなんだけど・・・
今年の大河も去年に負けず劣らず
創作と誇張が極端すぎるね
過大評価描写の路線を突っ走る今の大河ドラマ
今の路線のまま宗瑞を主人公にしたらとんでもない描き方をしそうだ
0528名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 23:09:10ID:lrutEoDu間宮林蔵の先祖もいれてやれ
0529名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 18:51:14ID:fCGdPnYDそれがうれしいのでアゲ。
0530名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 19:00:34ID:xMQJQGCF0531名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 20:12:03ID:BtbsglRz花倉一帯はもはや反義元方なので敵の土地なんですけどねw
それに北條の領内ではないので後腐れなし
0532名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 20:46:30ID:fCGdPnYD早雲寺を出して、戦国まれにみる一族円満をちゃんと強調してくれたし。
0533名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 21:18:50ID:BzPQMrboフィクションだからってやりたい放題だけど何だか嬉しい
0534名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 21:42:17ID:rxWJNDZ0っていうか北条家は敵地でも乱捕り禁止令を出してて、あの時乱捕りしていた青木は氏康に罰されたと、
ちゃんとフォローされてた・・・というよりコレは原作にもちょっとあった話だったりするので、
むしろそれを強調するためにわざと北条軍の乱捕り場面を写したようだ。
まぁ青木は原作でも利用されるだけの悲しいやつだったが。
0535名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 21:54:28ID:BtbsglRzそれは知ってるけど君に国語力がないことは今知ったよ
0536名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 22:01:05ID:Dphm16dyあの清水は康英の親父なんでしょうか?
0537名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 22:23:50ID:rxWJNDZ0なんだ?お前。
0538名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 00:40:02ID:wEBeqVR5523にちゃんと、
>花倉方の領民は城に籠もっているはず
だから、落城後ならともかく落城前に乱取はおかしい、といってるんだが?
他人に国語力云々言う前に、読解力を身につけた方が良いよ
0539名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 02:52:16ID:bey5tm81>味方の土地で乱暴狼藉はしない
に対するレスがさ、どこをどう読めば乱取の話になるのか教えてくれ
0540名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 03:27:11ID:4QG8ABG60542人間七七四年
2007/02/12(月) 19:12:40ID:bey5tm810543人間七七四年
2007/02/12(月) 19:34:14ID:zhWUPtYA0545人間七七四年
2007/02/12(月) 21:46:10ID:wqqBdBuu南無妙法蓮華経
0546人間七七四年
2007/02/13(火) 21:08:08ID:SNUjltrQ俺は慶應に合格する。
そしたら、毎月横浜から小田原・箱根まで行って
北条ゆかりの地を散策します。
早雲様の御加護がありますように・・。
0548人間七七四年
2007/02/13(火) 21:45:58ID:SNUjltrQこのスレのマッタリ具合いをみてる限りでは
自演しなきゃまず無理な数値なので
もし奇跡的に達成出来たら、
何か見えない力が働いて
実力以上の力が出せる気がする
と思ってみたりした。
やっぱり宗瑞様のほうがいいか。
ぜひ自分も宗瑞様みたいな意味のある人生を歩みたいものです。。
0550人間七七四年
2007/02/13(火) 22:37:14ID:O9ntWpwm今の羽柴誠三秀吉や自称「有栖川」程度には効果的だっただろうが、
当時の民百姓はどの程度歴史に詳しかったんだろうかな?
>>546
偏差値の下克上がんばれ。出来れば自力でな。
0552人間七七四年
2007/02/14(水) 00:15:08ID:9knhWsRu伊勢家を名乗ってる以上は将軍家に関わる一族と言うのがついて回るし、
今川家から決別して独立する意味で名乗り始めた方が大きいんじゃないのかな。
その際に関東を制覇しようと言う方向性を北条の姓と天皇から貰った官位に託したのではないかと推察。
0553人間七七四年
2007/02/14(水) 00:29:58ID:8LukLq3H0554人間七七四年
2007/02/14(水) 00:37:01ID:HukibqCD0555人間七七四年
2007/02/14(水) 01:22:26ID:EmXSSRC30557人間七七四年
2007/02/14(水) 01:46:50ID:HNHFXxjP0558人間七七四年
2007/02/14(水) 02:03:52ID:Lj6DLdOd0559人間七七四年
2007/02/14(水) 03:19:13ID:QQZyn8Dk彼等が大河で主役で使われない事に…
北条(北條でもOK?)一族カワイソス
0560人間七七四年
2007/02/14(水) 03:29:06ID:d5bi0PbN0561人間七七四年
2007/02/14(水) 06:55:52ID:uPu7KlvZ0562人間七七四年
2007/02/14(水) 07:48:05ID:QQZyn8Dk氏康のイメージが崩れる。
…間違いなく
0563人間七七四年
2007/02/14(水) 09:37:24ID:WRdcPHmw0564人間七七四年
2007/02/14(水) 12:34:35ID:jjAnF/TO0565人間七七四年
2007/02/14(水) 18:24:44ID:Cu/oUku6政堯で覚えていたからちょっと戸惑う
0566人間七七四年
2007/02/15(木) 00:08:12ID:NTjbXCBt0567人間七七四年
2007/02/15(木) 02:32:09ID:kVkoAxLk0568名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/16(金) 00:29:24ID:tC/uxdbH0569人間七七四年
2007/02/16(金) 02:10:52ID:cKsrAy1f【外交】北条氏政を低評価してる奴は無価値【天才】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1166552671/
0570人間七七四年
2007/02/17(土) 00:59:41ID:S1WhHWOC奴は受かるのだろうか・・。
0571人間七七四年
2007/02/17(土) 08:40:31ID:RO7pSqrC北条綱成
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1170638092/
0573人間七七四年
2007/02/18(日) 05:37:12ID:zM+gZQ0U連歌師の宗牧に元サザンの大森隆志。
0574人間七七四年
2007/02/18(日) 14:00:26ID:ji26IrFT0575人間七七四年
2007/02/18(日) 15:40:19ID:+DJpPB9A0576人間七七四年
2007/02/18(日) 16:28:04ID:x3RX+Cqi大河で扱われるのは天下統一志向のクサイ人々。北条は上洛に憧れる
他の田舎モンとは違う。関東独立王国の方がイケてるもん。
クソ秀吉さえいなければ・・・・
0577人間七七四年
2007/02/18(日) 17:11:59ID:ftYuDewrますます北条が小者臭くなるから止めてくれ
0578人間七七四年
2007/02/18(日) 17:14:03ID:w7eguL7F室町幕府すら一元統治投げて関東府作ったほどなんだから
むしろ割拠思想は平将門以来の伝統……といったらまた胡散臭くなるねw
0579仙台藩百姓
2007/02/18(日) 17:42:37ID:pfhoVPWe佐竹の馬鹿が無駄な抵抗しなければ秀吉より先に小田原落とせたのに残念です
0580人間七七四年
2007/02/18(日) 18:03:48ID:vaIFt3UKこれからは道州制議論などで「地方の時代」が作為的に作られる時代になりそう。
ということは地方独立を目指した北条や島津が大河になると思う。
0581人間七七四年
2007/02/18(日) 20:24:33ID:Iv1++7s10582人間七七四年
2007/02/19(月) 02:45:01ID:hc3r9V3/その後の事を考えるつもりだったんだよ。
クソ秀吉・家康のせいだ。
関東で全国統治機構をつくってみたりできたのに。
0583人間七七四年
2007/02/19(月) 03:09:17ID:qNRqMDCi北条家が作った基盤そのままに。
0584人間七七四年
2007/02/19(月) 09:18:08ID:1s+lTqCW話を聞いた事があるが…
もしそうなら後の江戸幕府の土台を作ったのは北条氏って事になると思うが…
北条氏の支持者の皆さんはどう思いますか?
0585人間七七四年
2007/02/19(月) 13:34:27ID:JnqxRDB5それでも影響を与えたことは間違いないと思う
しかしまあ、それは北条だけに限ったことではない
家康は今川にせよ武田にせよ、良いところは取り込んで自分の物にしている
統治政策上も前任者のやり方を踏襲するのは、民衆を刺激しなくて済むので良いやり方と言えるしね
0586人間七七四年
2007/02/19(月) 21:23:41ID:PWTceipD0587人間七七四年
2007/02/19(月) 21:43:47ID:PSYoqL2S氏直が生きてたら、徳川後本家復活は……無理か…
0588人間七七四年
2007/02/19(月) 23:01:42ID:KCHBXvw2別に、おたくだけじゃなく、
みんな普通に妖しいと思ってるんじゃないの。
名護屋陣で流行り病で急死した氏房の死だって妖しいし。
0590人間七七四年
2007/02/19(月) 23:51:51ID:qC60zLhjズバリ正解。幕府天領の税率が日本一安かったのは北条の税率を継承しただけ。
家康は基本的に北条の統治方法を継承。政策変える必要が全然ないような善政。
江戸の旗本には北条の遺臣も多い。天下を取れたのは足元の領国が元々安定
した土地だからだし、幕府が長持ちしたのもそういう土地に開いたから。
0591人間七七四年
2007/02/20(火) 00:18:04ID:6P7Ggf3Z氏政の凄さがひしひしと伝わる。
氏康も凄いけど、敵作りすぎにワロスw
0592人間七七四年
2007/02/20(火) 08:19:04ID:aW7LEWSw評価や人気はあったのかも。
しかし長宗我部といい氏政といい、何で秀吉に抵抗したんだろ?
小牧の家康に倣ったのかな?
それとも突け込めそうなスキが秀吉政権にあったのかな?
まさか正面衝突で勝てるなんて思ってないだろうから、
手強いトコ見せて有利に和睦(臣従)ってとこかな。
0593人間七七四年
2007/02/20(火) 08:40:05ID:xyGDJP3V交渉の使者をおくったりして臣従の話がでてなかったっけ。
北条自体は臣従するつもりだったのかも。
しかし秀吉にしてみたら外様で250万石を超えるような大名がいてもこまるしな。
0594人間七七四年
2007/02/20(火) 08:56:11ID:Ha8kScsD首謀者については諸説あるけど、公然とした惣無事令違反
ここで弁明に終始すればともかく、戦国期の「力」外交のために動員令かけちゃったのが間違い
総兵力20万も動員してきたら秀吉としては仮に臣従を望んでたとしても一戦はするしかない
むしろ小牧長久手でケチがついた自分の軍歴を再び上げるために機会を徹底利用しようとするのは自然だろう
0595人間七七四年
2007/02/20(火) 10:25:26ID:V9jZYkyD0596人間七七四年
2007/02/20(火) 10:51:34ID:fb9sr2Qf根拠は?
既に百万石以上の大名をいくらでも許して傘下にしてるんだから、北条家が従順なら強いて攻撃する必要があるとは考えにくいが
0597人間七七四年
2007/02/20(火) 11:10:42ID:V9jZYkyD0598人間七七四年
2007/02/20(火) 11:16:58ID:T1KVEqQs北条の遺臣って言葉で思い出したのだが…
北条家臣に遠山って人居たよね?
その子孫が『遠山の金さん』だったりして。
0599人間七七四年
2007/02/20(火) 12:00:21ID:ErEDdg4/そもそも全くフツーに惣無事令に従わずに会津を分捕った伊達が許されてるのに、
ちょこっと城を取っただけの北条が滅亡させられてる時点でわかるわな。
おまけに二百五十万石は大きすぎるし、せいぜい百万石残ればいいほうじゃないの。
しかも伊豆相模武蔵は取上げられる可能性が高いな。
この三国は地理的に重要だし、ここに北条を置いておきたくはないよなあ。
伊達と島津は七十万石前後で許されてるが、かなり僻地だしな。
北条も同様の処置をされるのは間違いない。
例えば上野、下野、武蔵の一部で百万石弱でしかも兄弟に分割させて、
その後越後へ転封とかそんな感じじゃねえの。
0600人間七七四年
2007/02/20(火) 12:54:24ID:OLAl20ki伊達は政宗自身が釈明と謝罪したじゃん
北条氏自身の態度を無視してそれは暴論
逆にいえば当主上洛の謝罪という決断ができれば名胡桃返還ぐらいで済んだ可能性のほうが高い
0602人間七七四年
2007/02/20(火) 16:04:16ID:kOLo871e遠山の金さんのモデルになった遠山景元って美濃の明知遠山氏の一族じゃ無かったっけ?
俺の記憶違いだったらスマソ
0604人間七七四年
2007/02/20(火) 19:27:53ID:eRV26dWwそれはさすがに無いな、上総や上野、下野辺りのかじったところは返還を余儀なくされるだろう。
だけど武蔵・相模・下総・伊豆辺りならば全部じゃなくとも十分でかい。
ここで我慢するぐらいの事が出来るなら後の歴史が大いに変わったろう。
実際氏政がどうしたかったのかは今ひとつわからんけど。
北条家にとってもそうだけど、豊臣政権にとってもかなり変化があった気がする。
上記ぐらいの領土で北条家が残ると、だいたい100万石強と言ったところ。
家康が250万石という途方も無い大きさで関東に根を張ってしまった史実に比べると、
非常にバランスの良い大きさに抑えられることになる。
また奥州討伐に関してもわざわざ家康を使わなくとも、北条家をこき使えば済むので、
家康に過剰な恩賞を与える必要性が減る。逆に北条家には上記の領土安堵で十分な恩賞といえてしまう。
加えて北条家は佐竹や上杉と仲悪いので、新参者だったおかげで逆に周辺皆と仲良しになってしまった
家康と違って、存在そのものが良い牽制になっている。
巧く抱き込む事が出来れば、伊達と徳川の間に挟まる事にもなるわけで。
そして最大のポイントは関東の覇権を伺ってはいても天下そのものに対する野望が薄い事。
秀吉が死んでも、いきなり簒奪を考えるようなタイプでもなければそんな大きさでもない。
北条家が残っていた方が豊臣家としては良かったのでは・・・とふと思う。
0605氏康の挽歌
2007/02/20(火) 19:52:26ID:wFyx66820606人間七七四年
2007/02/20(火) 21:01:41ID:I05Vt5Biいや徳川は全然北条の税率なんか継承してませんが、
普通に豊臣政権と同じくらい、二公一民とか七公三民とかいう税率。
0607人間七七四年
2007/02/20(火) 22:50:34ID:KHD1RVm1北条五代記だっけ?氏政は名将って書いてあったの。
0608人間七七四年
2007/02/20(火) 22:51:12ID:Rh4d9eAIhttp://www.kurikomanosato.jp/to-siba14-edo.htm
0609人間七七四年
2007/02/20(火) 23:06:52ID:ATcDY4zE>島津は七十万石前後
実際にはそこまで無い。
薩摩藩77万石は、密貿易10万石と67万石(実は籾高)で、
かなりカサ増しされている。
さらに島津義久・義弘・伊集院忠真に実質分割統治の
形をとらされて、秀吉に統治・指揮系統をずたずたに
されてしまった。
もし、北条が本領を安堵されても、氏直他の有力者に
分割・転封を命じられていたと思う。
0610人間七七四年
2007/02/21(水) 00:37:07ID:/v2mPwD4もしかしてそんな考えも過ってすんなり頭下げなかったのかも
0612人間七七四年
2007/02/21(水) 02:57:22ID:HDZvl49Q北条施政時代を無視しているのでは?という疑問が前々からあったが、
江戸東京博の「特別展江戸城」を観て北条スルーを真に実感した。
いや、北条関係の展示品もちゃんとあったんだけどね
その解説が・・・
0613人間七七四年
2007/02/21(水) 07:50:27ID:ELPRAlm/信長は恭順の意を示した氏政の愚かさを鋭く見抜き、軽蔑しきっていた。
氏政の無能さの典型例は、
関東以西を完全掌握した秀吉を卑賤な成り上がり者という一点だけで、その実力を過小評価し、
秀吉のこれまでの戦績を考察せず、篭城という過去の古ぼけた成功体験を盲信して自滅した事で明白。
家康も氏政との外交を通じて、その愚かさには呆れていた。
織田信雄と同類の阿呆。
0614人間七七四年
2007/02/21(水) 08:38:23ID:KQ/mkJ/l武将を評価するのに、そういう通説や、勝者の残した評価から
脱却するのがむずかしい。
最初に刷り込まれた知識やイメージは、中々ぬぐえないからね。
一度それを無くして、細かい史実をふまえてから、通説とかを
ふまえると立体的に人物が見えてくるよ。
頭柔らかくして、思いこみをなくしてみてごらん。
0615仙台藩百姓
2007/02/21(水) 12:44:25ID:jQIOhgRx一説では一益を関東管領として上野入れたとも言うし
氏政がいくら媚び売っても信長は北条なんかを組入れるつもりはなかったのだろう
また、政宗公とも同盟結んだ気でいたようだが
政宗公は既に関東攻略を表明していたのに何ともマヌケな話しですな
周囲からコケにされてた憐れなウジ政君(≧ω≦)プッ
0616人間七七四年
2007/02/21(水) 13:49:12ID:DgQ7uTyB0617人間七七四年
2007/02/21(水) 14:48:15ID:lEj7bk2Lつくつもりで伏見城に行ったら鳥居に追い返されたんじゃなかったの?
いずれにしても北条はちとでかすぎたな。相模伊豆安堵なら御の字だったろうなあ。
0618人間七七四年
2007/02/21(水) 19:11:44ID:Ua5viknl中央で頻繁にあった、家運をかけた関東での一戦はなかったの?
0619人間七七四年
2007/02/21(水) 19:41:40ID:MQqLrm+R1584下野国沼尻の合戦。
北条が10万くらい、佐竹と連合大名が2万から3万くらいの戦い。
北条も佐竹も鎮西のように決戦主義な大名ではなかったので、
持久戦となって数ヶ月で解散した。
0620人間七七四年
2007/02/21(水) 20:08:20ID:KQ/mkJ/l家運をかけてて、しかも圧倒的に数的有利な戦なのに、睨み合いで
引き分けって、それほど重要視した戦にみえないんだけど・・・
何か背後関係があったのかな?
詳しく教えてください。
0621人間七七四年
2007/02/21(水) 20:09:05ID:24z45Q+1北条の本拠地は江戸ではないので仕方がないと思う。ただ、東京都って
家康も軽視してると思うが。道灌は昔都庁前に銅像があった位大切にされて
いるが、家康は結構スルーしてるような。地元の東京人というのが少ないから
仕方がないが、そもそも東京は幕府自体を軽視してると思う。
未だに薩長史観が影響してるのか?
0622人間七七四年
2007/02/21(水) 20:38:34ID:MQqLrm+Rそのとき佐竹連合は一説に8000挺の鉄砲を持っていたらしい。
数については異論があるだろうが、相当数の鉄砲を持っていたのは間違いない。
それがなかったら、佐竹連合はボロ負けしていたかもしれない。
勿論鉄砲を過小評価して北条が無理に攻めていれば
北条敗北という_ことも有り得たかもしれない。
そんでこの戦争は豊臣秀吉の対徳川北条連合への東方戦線だったこと。
同時期に小牧長久手の戦いが起こっていて、
つまり秀吉は佐竹を使って東西から挟み撃ちした事になる。
秀吉から見れば、例え持久戦であっても、徳川北条を型にはめるという
取りあえずの目的は果たしたと見ていいんじゃないかな。
0623人間七七四年
2007/02/21(水) 20:46:43ID:9AIKnNjJ興味がない 〇
ご当地って意識がないから太田だの北条だの徳川なんてのはどうでもいい
田舎に行けば行く程ご当地マンセーになるのは当然
他に何もないからね
0625人間七七四年
2007/02/21(水) 23:26:18ID:DkZdL1o20626人間七七四年
2007/02/22(木) 00:13:04ID:ZExM9ajJなんか間違ってた?
佐竹方はもう北関東南奥州の連中がほとんど参陣してるから、
確実に一万以上は来てるし、2、3万いたと思うんだよね。
んで北条がソレより少ないわけはないんで、少なくとも
その倍近くはいたんじゃないの。
斎藤慎一は『戦国時代の終焉』のなかで、『古先御戦聞書』には
「総勢で」佐竹宇都宮が3000余騎、北条が3500余騎と書いていることについて、
この程度が実態に近いと書いているんだけど、コレ、佐竹と宮は旗本だけの数字だね。
佐竹洞中の佐竹東とか江戸とか茂木太田真壁なんてのが入ってない数だな。
他に蘆名白河田村二階堂塩松岩城結城までもが来てるのに全部で3000ぽっちはありえない。
つーことは北条も氏政の旗本だけの数字じゃねえの?
北条方も氏政氏照も来てんのに3500はねえべ。
0627人間七七四年
2007/02/22(木) 01:06:14ID:cTkkX8CQ3000「騎」とかかれてる意味ぐらいはわからんと話にならんよ。
0628人間七七四年
2007/02/22(木) 01:08:17ID:LR4sGpMX道理でえらい数だと思ったw
その『古先御戦聞書』の信憑性もあるけど、まあ大抵は話半分で1騎に
10人として、1万5千vs1万8千くらいがリアルなところか
実動員的にも妥当だし、これなら持久戦引き分けも理解できる
こうなると鉄砲8千丁も怪しいわなw
0629人間七七四年
2007/02/22(木) 01:14:26ID:vruV4qz5http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1172072178/
0630人間七七四年
2007/02/22(木) 02:18:09ID:bSNKBkP+島津義久 豊臣とは距離を置く。朝鮮出兵にも非協力的。
一説では、東軍につくと家康と事前に話をついていた。
島津義弘 豊臣に臣従し家の安泰を図る。朝鮮出兵に協力的。
伊集院忠棟 豊臣秀吉に気に入られ8万石を与えられ事実上半独立状態。
後に粛清される。
他にも大友氏も立花氏を独立させられたり、重臣の知行について
豊臣秀吉の介入を受けている。
だから、北条も伊豆・相模を氏政に残しても、その他の領地は
氏政の弟や重臣に与えて、独立させていくのは確実だろうね。
0631人間七七四年
2007/02/22(木) 16:14:41ID:s38pT0oT河越夜戦の真相を探る
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172125964/
0633人間七七四年
2007/02/22(木) 22:37:17ID:MzXaplJhでも、領国を広げてる不思議。
武田が滅んで、滝川こけたからかな?
どなたか、さり気に領国拡張の妙を教えてください。
0636人間七七四年
2007/02/22(木) 23:21:11ID:s0qKYJ7S一万数千しか動員しなかったって意味不明なんだが
それが本当なら氏政はアホとしか言いようがない
0637人間七七四年
2007/02/22(木) 23:39:59ID:cTkkX8CQ北条スレでは沼尻の兵が少なすぎるとせっつかれるわ大変だな、氏政w
その一方で信州の方やら上杉やら多方面相手にしてるんだから、
少しは考慮してあげて欲しいわ。
0638人間七七四年
2007/02/24(土) 12:23:18ID:1/kNjDEYこんなことが書いてあります。
引用:
見しは昔、北条氏政は関八州に武威を振るい、氏政を恐れぬ敵はいなかった。
(中略)
氏政は四方八方の敵と戦数年間戦い、他国の片端を切り取り多くの城を攻め落とした。
しかし、自分の領国内の城一つ敵からの攻撃を許したことはない。
(引用終わり)
勉誠出版 日本合戦騒動業書13 北条五代記
矢代和夫・大津雄一 著 p.109
0639人間七七四年
2007/02/24(土) 17:49:04ID:FMWVhHlN0640人間七七四年
2007/02/24(土) 18:42:46ID:lIA6Wzo9宇都宮は本拠から追い落とされて、結城はもう滅びると泣き言を言ってる
危機感や圧力をひしひしと感じていた事は想像に難くない
自分の領国無いの云々は流石に・・・
0641人間七七四年
2007/02/24(土) 21:57:47ID:+DxvnSZFうるせーよ、駿河の陪臣が!
0642仙台藩百姓
2007/02/24(土) 23:44:31ID:O190mUon攻められた事が一度もないとはこれいかに。
0643人間七七四年
2007/02/24(土) 23:45:38ID:MAdzWnAIわざわざありがとう。
でももっと直接的に「氏政は古今無双の名将なので云々」みたいな
記述を読んだ記憶がある。里見代々記だったかな。
まあなんというか北条ファンには嬉しい記述だわね。
0644人間七七四年
2007/02/27(火) 17:08:45ID:Cmw465qN0646人間七七四年
2007/02/28(水) 02:27:14ID:I0O9EVvWでも氏康が信長・秀吉に負ける姿は想像できない。
同様に元就・信玄・謙信も。
俺のこの考え方はよくないよな・・。
0647人間七七四年
2007/02/28(水) 04:46:06ID:I/MgNMg00649人間七七四年
2007/02/28(水) 16:38:46ID:tVFoEBpa秀吉の力を正しく評価しいち早く恭順、若干領土は削られるだろうが5大老入り、6大老になるかも?
→秀吉死後は家康に協力し徳川幕府の有力大名に→氏康死後いちゃもんつけられ取り潰し、徳川天領になって幕府ウマー
などと妄想してみる
0650人間七七四年
2007/02/28(水) 18:05:43ID:kf8/1cuK秀吉に恭順するのが至難の業だろうな。
領土が広く安定した外様大大名なんて危険すぎる。
石高で考えれば毛利の二倍だし。
普通に考えればつぶしておきたいところ。
0652人間七七四年
2007/02/28(水) 22:55:12ID:sVWhVsyy北条は潰されてる。
両者の違いは何だったのかね?
0654人間七七四年
2007/03/01(木) 01:05:00ID:YSFHdlhc・薩摩・大隅の石高の低さも関係していると思う。
しかも、薩摩の北部(穀倉地帯)を蔵入地として
没収されている。
・上にもあるけど、島津氏の支配体制は、ズタズタにされている。
だから、秀吉は、島津の実質解体は完了したと考えたんじゃないか。
・島津の場合は、次に北条征伐が控えていたから、時間や兵力の消耗を避け
たかったから、島津を放置したんじゃないだろうか。もし、伊達とか東北の
大名が、徹底抗戦の構えを崩さなければ、北条の扱いも変わったと思う。
0655人間七七四年
2007/03/01(木) 01:40:09ID:dyzbRvW5何で対秀吉の判断を誤ったかを、ずーっと考えていたんだが
秀吉の小田原攻め時 → 氏政50才ちょい
秀吉の朝鮮攻めの時 → 秀吉50才ちょい
正常な判断ができなくなるのは、英雄といわれてる秀吉と同じと
言うことが分かった
なんかスッキリしたよ
0656人間七七四年
2007/03/01(木) 01:43:32ID:ZBL88Xr3このOPになりそうな気がする。
0657人間七七四年
2007/03/01(木) 01:45:15ID:ZBL88Xr30658人間七七四年
2007/03/01(木) 06:13:10ID:UW76B7SQたいして戦わずにたやすく服従しやがった島津、
あろうことか戦わずして小田原への敵軍侵入を許した伊勢。
島津・毛利・伊勢・伊達などが一斉に起ち上がれば
羽柴などをのさばらせずにすんだだろうに
0659人間七七四年
2007/03/01(木) 09:33:26ID:EQw5hoz20661人間七七四年
2007/03/02(金) 01:48:11ID:YhudW8BS0662人間七七四年
2007/03/05(月) 19:34:55ID:Yl64idDB詳しい人いる?
肖像画にはないから、逸話なのかな
0663人間七七四年
2007/03/05(月) 21:58:23ID:iUeHu10B河越夜戦の時に、山内方の小野因幡守により額に傷つけられたらしい
0664人間七七四年
2007/03/05(月) 22:31:09ID:jKA8XU1j0665人間七七四年
2007/03/05(月) 22:50:49ID:GMrNVZFV体に七ヵ所
ただ、背面には一つも無かったらしい。
0666662
2007/03/05(月) 23:12:47ID:Yl64idDBありがとー
0667人間七七四年
2007/03/06(火) 11:45:27ID:oEzXVy3x0668人間七七四年
2007/03/06(火) 13:22:46ID:MBKvOOW00669人間七七四年
2007/03/06(火) 15:34:59ID:FgSUsgXw0670人間七七四年
2007/03/07(水) 01:00:30ID:mOHyrko5信長は恭順の意を示した氏政の愚かさを
鋭き見抜き、軽蔑しきっていた。
氏政の無能の典型例は
関東以西を完全に掌握した秀吉を卑賤な
成り上がりという一点だけで、その実力を過小評価し
秀吉のこれまでの戦績を考察せず篭城という
過去の古ぼけた成功体験を盲信して自滅したことで明白
家康も氏政との外交を通じ、その愚かさには呆れていたという。
0671人間七七四年
2007/03/07(水) 01:13:10ID:0G81kM88そもそも自画像や木像に自分の傷を再現したがる武将はそうはいない罠。
伊達政宗も絵や像を作る時は両目にしてくれと言ってんし。
0672人間七七四年
2007/03/07(水) 01:15:19ID:qPMPVHrT傷の一つぐらいあった方が相模の獅子としての箔がついたのにw
0673人間七七四年
2007/03/07(水) 02:39:24ID:28fh13ma自分も、顔に傷をつけた肖像画って観たことないよ。
だいたいあの顔の傷云々も、武将としての勇猛果敢さを誇張した
後世の粉飾逸話の類だと思ってるし。
後北条の三代目当主が、傷をおうような位置に居たら疑問。
0674人間七七四年
2007/03/07(水) 02:40:06ID:BED/hsKTその近辺に小田原城・早雲寺以外に北条ゆかりの場所をおしえてたもれ。
0678_
2007/03/08(木) 10:32:30ID:lyV1Ne610679人間七七四年
2007/03/11(日) 09:34:36ID:1mBOlA/80680人間七七四年
2007/03/19(月) 06:37:36ID:3FmSWwyf0681人間七七四年
2007/03/19(月) 11:24:33ID:wEsKtbf7やってくれるぜ風林火山
0682人間七七四年
2007/03/19(月) 22:40:34ID:R0/a41ef北条氏綱公御書置を全文知りたいんだけど、読めるサイトか書籍知ってる人いない?
0683人間七七四年
2007/03/19(月) 23:26:33ID:mUR5sdFq0684682
2007/03/20(火) 01:14:20ID:PRT8p/D/北条氏綱 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F%E7%B6%B1
五か条の訓戒
一、大将から侍にいたるまで、義を大事にすること。たとえ義に違い、国を切り取ることができても、後世の恥辱を受けるであろう。
一、侍から農民にいたるまで、全てに慈しむこと。人に捨てるようなものはいない。
一、驕らずへつらわず、その身の分限を守るをよしとすべし。
一、倹約に勤めて重視すべし。
一、いつも勝利していると、驕りが生まれ、敵を侮ったり、不行儀なことがあるので注意すべし。
風林火山 11回より 北条氏綱公御書置
一、大将によらず 諸侍とも 義を専(もっぱ)らに守るべし
義に違いては たとい一国二国切り取りたりというとも
後代の恥辱いかがわ 天運尽き果て滅亡を致すとも
義理違えまじきと心得なば 末世に後ろ指ささるる恥辱はあるまじく候
古き物語を聞きても義を守りての滅亡と 義を捨てての栄華とは天地格別にて候
大将の心底慥(たし)かに かくのごときにおいては 諸侍義理を思わん
その上無道の働きにて利を得たる者 天罰終(つい)に遁(のが)れ難し
早雲寺殿廿一箇条
http://www.ikedakai.com/souunjidono.html
0685人間七七四年
2007/03/20(火) 10:37:00ID:YcvI4SxU静かな場所ですね。
それにしても金箔茶室バカはいやなやつですね。
0686人間七七四年
2007/03/22(木) 05:05:58ID:FKjYeTIo氏綱公御書置の朗読と、武田父子のオーバラップのシーンは、ぐっと来るものがあった
身震いしたよ
0687人間七七四年
2007/03/22(木) 22:15:03ID:ExfrPy7o『北条氏綱公御書置』
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1173495881/430-433,438
0688人間七七四年
2007/03/23(金) 23:53:35ID:TkFWK3Z4小田原市内……大外郭堀土塁跡(必見)、石垣山城跡(必見。駐車場はカーセクーススポット)、徳川家康本陣跡(近所にそれにまつわる寺がある)、北条幻庵屋敷跡、氏政・氏照兄弟の墓、松原神社(どこにあるか知らないけど)。
小田原市外……早雲寺、箱根権現、湯坂城(湯本付近?)、山中城(静岡県三島市)、足柄城(南足柄市)、河村城(山北町)、松田城(松田氏居城。松田町)…
0689人間七七四年
2007/03/23(金) 23:57:24ID:QIvRQLRT晒し首にされたんですか?
0690人間七七四年
2007/03/24(土) 20:21:34ID:tZqlEUW10691人間七七四年
2007/03/24(土) 21:46:30ID:zxe/Bnwoテキトーに廃棄処分されたんでしょうね
早雲寺にある2人の墓所を明けると
そこには頭蓋骨無き白骨が・・・
0692人間七七四年
2007/03/25(日) 03:54:20ID:oKwf6jP5そう生々しいものは入っていないと思うけどね。
また、氏政・氏照の墓は小田原駅近くの商店街の一角にあるけど
(近所の花屋さんがいつも花を供えてる)
あの遺構も移動した場所で、元の墓域ではないんだよな、確か。
最近行ってないんでうろ覚え、間違ってたら訂正してね。
・・・虎朱印最中が食べたくなってきた。
0693人間七七四年
2007/03/25(日) 05:00:05ID:JjS4d0sLそんな惨いコトしなくてもいいジャン
0694人間七七四年
2007/03/26(月) 08:20:30ID:xVmfv6ot0695人間七七四年
2007/03/26(月) 17:27:54ID:5za+fBn7楽しみだぜ
0696人間七七四年
2007/03/27(火) 01:43:00ID:sY9TBLEFNHKはいつから草加とチョンの宣伝放送局になりさがったんだよ・・
0698人間七七四年
2007/03/27(火) 02:53:56ID:b1kIk8wC0699人間七七四年
2007/03/27(火) 03:05:20ID:gsTRG8im0701人間七七四年
2007/03/27(火) 08:37:25ID:sY9TBLEF草加=北条信者なんだぜ・・
0703仙台藩百姓
2007/03/27(火) 10:04:38ID:cvm4Z/cl0706人間七七四年
2007/03/27(火) 12:19:25ID:sY9TBLEF0708人間七七四年
2007/03/27(火) 15:38:49ID:ND8rrjnl0709人間七七四年
2007/03/27(火) 21:29:23ID:WFSrh/WY執権北条家と小田原北条家ぐらい違いますが。
同じ苗字を使っていたところでつながりがなければ関係ない。
小田原北条家は氏直が死んだ瞬間、終わったんだよ。
0710人間七七四年
2007/03/27(火) 22:04:12ID:wzsZRvIX伊勢家はあくまで伊勢家だよ
0711仙台藩百姓
2007/03/27(火) 22:20:49ID:cvm4Z/cl今度は滅びたと必死に言い訳するなんて北条厨もいい加減だお( ^ω^)
でも現当主>>>>>>早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直だおね
創価の関係者は全国三千万人と言われるお
ある意味最大勢力だお( ^ω^)
0712歌舞伎の源流は北条氏
2007/03/27(火) 22:31:10ID:pcCtS8ffその為、小田原城にいた北条家の者も、その家臣も多くの者が生き延びています。
攻められ落城したのはその他の支城です。
また、小田原城の降伏は7月5日であり、八王子城の落城は6月23日です。
北条家四代目当主、氏政は切腹しましたが、その子で北条五代目当主、氏直は高野山に隠居させられた後、
その後、豊臣秀吉に許され一万石を与えられて大名に復帰しています。
四代目、氏政の弟、氏規も氏直と同じく秀吉に許され、8980石を与えられています。
亡くなった後を、その子、氏盛が後を継ぎ加増されて1万石の大名となり、その後、狭山藩藩祖となりました。
氏規と同じ四代目、氏政の弟、氏邦は前田利家に1000石で召抱えられました。
二代目氏綱の次男の血筋である氏勝は徳川家康に1万石で召抱えらました。
北条家の家臣も多くが新たな主人に召抱えられています。
安土桃山時代、豊臣の世に反抗した傾き、演劇風刺のようなものが歌舞伎に発展したのです。
特に、豊臣に攻め滅ぼされた北条ゆかりの者たちが、江戸や浪速などで積極的にこの演劇をやっており、
そこに徳川が目をつけ、北条ゆかりの者の演劇は、寛容に対応した方針を出したとされます。
徳川は思想的動向には厳しく、出雲の阿国などの女歌舞伎の系統は、様々な規正をかけられて衰退していきました。
反豊臣に傾く北条のゆかりのものだけが現代に残ったのです。
0713人間七七四年
2007/03/28(水) 00:27:11ID:vICdXGTF氏綱以降伊勢家を名乗ってないのに、伊勢家と呼ぶのもそれはそれで無理がある。
違う北条家、それ以外言いようがない、言い分ける意味もない。
0714人間七七四年
2007/03/28(水) 01:09:25ID:zwLMSn5Bならば本姓で呼ぶのはOKかな
同時代には羽柴秀吉や羽柴秀長など、
本姓で呼ばれることが多い人がいるし
0715人間七七四年
2007/03/28(水) 02:51:00ID:1hiYXCyXまあ、政宗公の血だけありますよね
北条の血は残念ながら耐えてしまったんですよ、あー、ざんねんざんねん(棒読み
>>714
北条を伊勢なら、羽柴なら木下だろ間違えるなよ
0716人間七七四年
2007/03/28(水) 09:41:55ID:n3eAM5GX0718人間七七四年
2007/03/28(水) 12:48:34ID:n3eAM5GX0719人間七七四年
2007/03/28(水) 14:20:37ID:ksh6cYDp織田宗家の当主は埼玉県職員だろ?
色あせたネタって言われてるのは使い古されて今さら誰も関心しないよってこと。
0720人間七七四年
2007/03/28(水) 18:38:05ID:qNHQK2/70721人間七七四年
2007/03/28(水) 23:14:11ID:It8joA3X池田大作の側近であった創価学会4代目会長の北条浩はこの戦国武将の北条家の衣鉢を継ぐ人物だった。
あの北条早雲と創価学会、意外な接点であるけれども、
北条一族の多くが創価学会員となっているのは有名な話である。
0722人間七七四年
2007/03/28(水) 23:30:16ID:vICdXGTF0723人間七七四年
2007/03/28(水) 23:40:05ID:hwJMwsVF何でそんなに創価が嫌いなのか理解できない。
0724人間七七四年
2007/03/28(水) 23:45:51ID:Dwy2HPto教祖が朝鮮人で日本人から金を巻き上げてるから。
家族の中で一人でも信者がいるとその信者が亡くなる前に遺言を書かせて遺産をすべて学会に持っていったり
遺族の意思に関係なく葬式を勝手に仕切ったりする。
また勧誘に失敗すると勧誘できなかった相手のデマを近所中に流したりするような姑息な嫌がらせを延々とする。
etc
正直俺の祖母さんも一族の中で一人だけ層化にはまってそのキチガイぶりに困りはてている。
0727人間七七四年
2007/03/29(木) 02:41:48ID:FuSGJOUA住人も荒らしはスルーしろ
0728人間七七四年
2007/03/29(木) 02:44:24ID:hYxa+dWS北条信者なら創価に次第に惹かれていくよな。
0729人間七七四年
2007/03/29(木) 02:57:13ID:o7NLdWYc0731人間七七四年
2007/03/29(木) 03:56:37ID:b+5707KL一向宗を禁止していたんだがな・・・
伊勢の血筋の北条:政治に宗教が介入するのを問題視
伊達の血筋の北条:語るに及ばず
0732人間七七四年
2007/03/29(木) 05:01:21ID:69Ll2W00屑のくせして影響力を増し用いようとしているのが腹立つ。
0733人間七七四年
2007/03/29(木) 10:12:30ID:Py1x9u6f他大名の粘着荒らしもお手の物じゃん、そんなに邪険に扱わなくてもいいだろ。
0734人間七七四年
2007/03/29(木) 13:57:48ID:Q/WEC/Gg氏綱から氏康にと
北条五代に受け継がれた思想と行動は
日蓮仏法で言うところの師弟不二にも通じるものがありますよね
0735人間七七四年
2007/03/29(木) 15:02:23ID:VPF2C7A/0736人間七七四年
2007/03/29(木) 15:39:20ID:eZDWpOsp0737里見
2007/03/29(木) 22:11:31ID:uUV8AedO∧_∧
( ・ω・)=つ≡つ
(っ ≡つ=つ
/ ) ババババ
(ノ ̄∪
0738人間七七四年
2007/03/29(木) 22:37:36ID:8Yz3Hm2o0739仙台藩百姓
2007/03/29(木) 23:16:29ID:/FGXgWhU0740人間七七四年
2007/03/29(木) 23:24:10ID:LWsI6vOe北条スキーの創価の人もいるかもしれんし、変なアンチを生むだけ。
0741人間七七四年
2007/03/30(金) 00:15:51ID:Z6dIy8yN日本のガン。
まあスレチだからやめとこっか。
0742人間七七四年
2007/03/30(金) 00:50:18ID:HDJG7zAFお前、仙台藩の百姓か。俺も仙台藩士の子孫として言わせて貰う
他所の大名のスレで 荒 ら し してんじゃねえよ
伊達政宗公の偉名を辱めやがって、恥を知れ低脳が
0743人間七七四年
2007/03/30(金) 01:20:54ID:FM3h5FAR同意、アホが知りもしない北条の事で何を言おうが屁でも無いが、
政宗も結構好きな身としてはこのバカ百姓の存在は許せない。
っていうかこいつ絶対政宗、どうでもいいと思ってる。
他の大名のアンチ行動ばかりしててたまに思い出したように政宗を褒めごろしするだけ。
似非信者にしても質が低い。
0744人間七七四年
2007/03/30(金) 01:43:25ID:vCjAiRIA0745仙台藩百姓
2007/03/30(金) 05:18:16ID:iJ6ZH6lD恐るべし北条厨(;^ω^)
0746人間七七四年
2007/03/30(金) 08:22:59ID:3oAinK2n0747人間七七四年
2007/03/30(金) 09:52:38ID:xZJmLXHe0748仙台藩百姓
2007/03/30(金) 10:04:13ID:iJ6ZH6lDそれより押し付け合いされる北条宗家が憐れですお(≧ω≦)ププッ
0749人間七七四年
2007/03/30(金) 10:16:45ID:TKhC51AZ0751人間七七四年
2007/03/30(金) 21:16:17ID:LxQmNJ3N0752人間七七四年
2007/03/30(金) 22:28:48ID:edU2rsOE0753人間七七四年
2007/03/31(土) 00:59:52ID:C+sQ8U8u小学生の時に毎年遠足で行っていた緑地公園が
北条の枝城だったのを知ったのはずっと後だった。
0754人間七七四年
2007/03/31(土) 03:04:52ID:kS2hg3KXオイオイ あまりの低レベルに呆れるよ
「あだけ丸(武士、漕ぎ手五十人乗り)」があったからこそ先の聖戦に勝てたんじゃん?
「軍船に無駄なリソースを注ぎこんだのは失敗」って?
ハア 一体なに言ってんの?
箱根攻防戦で莫大な戦死者を出して北条軍の屈強さに怯えきった秀吉が
秘密兵器の一夜城を2つも投入として
まだなぉ戦意煌々一片の恐れも見せぬ北条軍、関東民の精強さ!
それもこれもはるばる駿河湾まで勇躍進出し、
群がる敵水軍の大群を一撃、怒りの下に叩きのめして
その後、敵に鹵獲されるのを妨げるべく
サムライの切腹の如くに見事自沈して見せた
その尊艦の威厳によって全国民が勇気つけられた故だろうが!!
結局、これによって軟弱な豊臣どもは心胆恐怖に震えさせて
小田原強襲を断念せざるを得ず、八方手詰まりの面目丸つぶれに陥った。
最後は御大途の恩情をもって終戦の運びとなったわけだ。
このことひとつを取って見ても国家鎮護の聖霊の具現たる大戦艦「あだけ丸」が
北条の勝因の一大要因であったことは露ほども疑問の余地が無いっつーワケ
わかった?(苦笑)
-----------コピペ終ワリ-------------
0755人間七七四年
2007/03/31(土) 03:12:38ID:ylIzw4oG0756創価ファソ
2007/03/31(土) 04:29:13ID:kS2hg3KXなにか超強気の中身の乏しい罵声を発言したあとに必ず(笑い)(大笑い)(爆笑)って付くよね、
あれっていい年した大人のくせに、自分は馬鹿ですって広めているもんだと思うんよ。
はっきりいってあれを載せてる盛狂新聞を薦めにくる馬鹿ども、はっきり言って人間じゃないよね。
「創価やめますか、それとも人間やめますか」
と言いたい。
連中の発言の醜さは間違いのないこと。
0757人間七七四年
2007/03/31(土) 04:57:02ID:78RSJkbe所詮雑魚だし。
まだ北条は死ぬまで会長やってたが、秋谷なんて今どうしてんだろう?
0758人間七七四年
2007/03/31(土) 09:56:24ID:/eZWe8hy0759人間七七四年
2007/03/31(土) 11:36:17ID:GAeQDG2T触らぬ神にタタリなしだな。
0760人間七七四年
2007/03/31(土) 20:17:55ID:vTdxfsBC0761仙台藩百姓
2007/04/01(日) 00:43:56ID:3J4pYNHg毎回、某国(モンゴル、東欧系多し)大統領と「痴の巨人、世界寄生について語る」
「××大学から名誉博士号を取得」等々の痛い特集組んでるお
こんな狂気の集団を北条家と関連付けないでくれお
0762仙台藩百姓
2007/04/01(日) 02:40:06ID:d7PdRpAF毎日大作先生ネタがよく尽きないと感心するお
0763人間七七四年
2007/04/01(日) 03:33:08ID:vKvti1a30764人間七七四年
2007/04/01(日) 12:22:42ID:CNU8mWOT0765人間七七四年
2007/04/01(日) 12:25:40ID:Fpq3Fg1l0766人間七七四年
2007/04/01(日) 15:47:29ID:wb23bFbx層化が北条好きになる可能性はあるだろうな
0767人間七七四年
2007/04/01(日) 16:29:07ID:iCj9mXUY0768人間七七四年
2007/04/01(日) 16:41:31ID:Fpq3Fg1l0769人間七七四年
2007/04/02(月) 01:04:57ID:ms2H2aV8そしてネタとしては1日ずれたのが痛い
0770人間七七四年
2007/04/02(月) 22:44:07ID:c+BlTpL0いい加減にしないと、一揆起こすぞ。
0771人間七七四年
2007/04/03(火) 12:25:04ID:JAAJIvsd0772人間七七四年
2007/04/03(火) 19:15:47ID:Em0zHsd9キモかったwww
0773退屈@親父
2007/04/03(火) 20:20:20ID:V4Wqev64age
0774人間七七四年
2007/04/03(火) 20:28:37ID:82Qtjx2Z0775北条氏直
2007/04/15(日) 06:15:39ID:E+Jc4omv上方の侵入者共を一人も生かして帰すな。叩き潰せ!!!
0776人間七七四年
2007/04/15(日) 07:04:59ID:eh6SMz8v0777人間七七四年
2007/04/15(日) 11:24:46ID:iScgj2ya0778伊達政宗
2007/04/15(日) 23:41:15ID:FFJ75uUL0779人間七七四年
2007/04/16(月) 00:23:11ID:JaAdCpkU0780人間七七四年
2007/04/16(月) 01:25:54ID:oqpm7Xju0782人間七七四年
2007/04/19(木) 13:32:45ID:N7HFOBjF0783人間七七四年
2007/04/19(木) 22:46:28ID:pIMrz1G50784人間七七四年
2007/04/22(日) 13:59:03ID:iLXAWHc+0785人間七七四年
2007/04/24(火) 19:32:37ID:HW8y3JJb早雲、点高くて良いんだけど
末路て区分で、学会の会長を2人出てる為評価高いてどうよ・・・
0786人間七七四年
2007/04/24(火) 21:20:52ID:qOtVDqmr0787人間七七四年
2007/04/24(火) 22:11:13ID:McbrsRJ6>>782
そんな行動するんなら、小田原城天守からの眺望をさえぎる
万損の建築許可するなよ。
あのお城は戦国期の場所とは微妙に違うから、
とかゴタク並べるなよ、小田原市。
>>784
東京における後北条の事跡は
太田道灌と家康の間で埋没しているのが現状。
江戸東京博物館の『江戸城展」でも影は薄かった。
0789人間七七四年
2007/04/25(水) 22:51:28ID:4sCKl8IA0790人間七七四年
2007/04/26(木) 00:04:50ID:Ugrxwbvkそれよりも北条城郭を完全復元しる
0791人間七七四年
2007/04/26(木) 00:21:22ID:noU5mMcF惣構えは復元すべき
家がある?ぶっつぶせ
0792人間七七四年
2007/04/26(木) 02:00:54ID:byLMgXIV0793人間七七四年
2007/04/26(木) 12:59:07ID:Vlum2BN/0794人間七七四年
2007/04/27(金) 22:14:22ID:sq4aM+nB0795仙台藩百姓
2007/04/27(金) 22:43:22ID:WAi+w58Bそのかわり本丸には北条五代ならぬ
創価五代会長の銅像が建つだおうけど(≧ω≦)
実際、北条五代より創価五代の方が
有り難がる人が圧倒的に多いのは間違いないし
いっそ小田原本部にするといいお( ^ω^)
0796人間七七四年
2007/04/28(土) 01:45:51ID:V3LMzIrv小田原は象さんがいればそれでいいよ
0797人間七七四年
2007/05/03(木) 11:30:08ID:mWMp1nsgおめでとう北条
0799人間七七四年
2007/05/05(土) 03:00:57ID:EAHGWOhM<重要文化財> 北条氏綱奉納の太刀(3口)
ttp://www.hachimangu.or.jp/about/precious/c02_05.html
>黒地金蒔絵桐鳳凰模様の拵と共に伝存し、各々の太刀に
「奉納八幡宮御宝殿、北条左京大夫平氏綱、天文七戊戌年八月二日、
所願成就、皆命満足」とあり、
0800人間七七四年
2007/05/05(土) 05:48:06ID:X49YZCyT0801人間七七四年
2007/05/05(土) 10:19:32ID:OUXzcFA2下調べなしの突撃なんだが、初心者が見逃しそうなもんってある?
0802人間七七四年
2007/05/05(土) 10:37:02ID:C2zhTz5fただし山火事にならないように後始末はしっかりな
0803人間七七四年
2007/05/05(土) 12:20:42ID:7ylKtqdp0805人間七七四年
2007/05/13(日) 00:45:01ID:DMBQWxf/東京一の心霊スポットなので、
幽霊を見逃さないように。
地元の俺からすればそこから近所の多磨霊園の電話ボックスのほうが怖いけどね。
0806人間七七四年
2007/05/13(日) 00:46:54ID:DMBQWxf/八王子霊園ね。
0810人間七七四年
2007/05/20(日) 13:22:04ID:Ndhcez8035秒の辺りに注目
0812人間七七四年
2007/05/20(日) 23:08:44ID:Z8KTy34b0814人間七七四年
2007/05/28(月) 01:15:31ID:/EtyCe+O落ちのびた北条家のお姫様が、裏切った家臣たちに輪姦
されて孕んでしまうという話だったな。
スレの流れに関係ないけど。
0815人間七七四年
2007/05/28(月) 01:25:54ID:6ps7udZU再来週は「河越夜戦」がタイトルになってるし、楽しみだ
0816人間七七四年
2007/05/28(月) 22:34:53ID:lPXeUCoE甲斐武田家とはどんな関わりがあるんだ?
0817人間七七四年
2007/05/28(月) 22:41:04ID:JAE5ETf26月3日「三国激突」
由布姫が身ごもり、勘助は我が事のように喜ぶ。
同じ頃、晴信のもとに今川家の軍師・雪斎が訪れ、
武田・今川の同盟に基づき駿河への出兵を求めてきた。
北条氏康を共に討って欲しいとの要請であった。
出兵を得策でないと見た勘助は今川と北条を和解させるために駿河へ向かう。
9年ぶりの駿河で勘助は今川義元に会う。
6月10日「河越夜戦」
北条氏康は武蔵国で苦境に陥っていた。
要衝・河越城を関東管領・上杉憲政の大軍に包囲され敗色濃厚であった。
勘助は北条の援軍として河越に向かう。
勘助の真の狙いは上杉家に仕える真田幸隆と会い、武田へ仕えるよう説得することにあった。
変装し上杉の本陣に潜入する勘助。上杉軍は勝利を確信し油断しきっていた。
氏康は夜襲をかけることを決意する。
0818人間七七四年
2007/05/28(月) 23:04:28ID:ImOeLulU勘助が検索するとか言う展開はマジ勘弁
0819人間七七四年
2007/05/28(月) 23:26:55ID:JAE5ETf2軽く勘助に意見を求めるぐらいしそうだ。
勘助がまた兵を二手に別け‥‥ と急に問われた時のいつもの案を語り
それを適当にあしらう氏康公を見たいところ。
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/encycl/neohojo5/006.html
>氏康が常々、「用兵術で、これはと思ったいい案があったならば、
>いくら身分の低い者でもかまわないから、直接、氏康まで申し上げよ」
>と言っていた
0820人間七七四年
2007/05/29(火) 00:27:23ID:8OUP58de北条は氏康の凄さはもちろんだが、組織の強さも特色だからね
面識のある勘助相手なら、意見を求めるのは確かにありそう
自分個人としては、勘助は架空に近い人物であるし、存分に暴れて欲しいと思っている
いや、氏康や綱成たちの見せ場はちゃんとやって欲しいがw
0821人間七七四年
2007/06/07(木) 08:04:00ID:YxRL6A5k0822人間七七四年
2007/06/07(木) 19:44:46ID:7P5URcUr0823人間七七四年
2007/06/10(日) 02:41:14ID:1XBVIKNb家中随一の猛将だったらしいけど。
0824人間七七四年
2007/06/16(土) 11:39:29ID:M7tS5TuY0825人間七七四年
2007/06/21(木) 16:35:36ID:DVtj9b37京にいた時は盛時だった。
ただし、氏親後見になった後で偏諱を受けて改名した名前が伝承した可能性は否定できない。
政治情勢に合わせてコロコロ改名するのは当時普通なので。
ただしはっきりそれを証明できる一次史料は無い。
0826宇喜多直家信者
2007/06/22(金) 00:02:18ID:vIERq/h8本能寺に死んだ。これで混沌となった甲斐・信濃国に北条氏直と徳川家康が
ここぞとばかりに進出した。
北条軍は甲州鰍原に、徳川軍は信州乙骨に在陣し、両軍2里余りのところに迫った。
だが山に遮られ徳川軍は北条軍に気付かない。
「敵は退却の気配なので攻撃の好機です」と物見の1人が言った。これを聞いた氏直は、
「甲斐を攻め取るのは今しかない。出陣だ」と叫んだ。
しかしこれを聞いた重臣松田とかは「氏光殿、氏邦殿もそれぞれ出陣しており、それらの軍勢と
一丸になって敵を討つ作戦が小田原城にて決まっているので、どうかお留まり下さい」と懇願した。
氏直は「敵の動きに対処して指揮するのが将たる者だ」と怒ったが、結局押し切られた。
のちに皆が「この好機を生かしておれば、きっと北条が勝ったであろうに」と臍を噛んだが、
もはや後の祭りであった。
(北条記参照)
これを見て分かるとおり、氏直はなかなかの名将。少なくとも名門の5代目としては上出来。
0827人間七七四年
2007/06/22(金) 01:46:22ID:ujn91bAyに、3ういろう。
0828人間七七四年
2007/06/22(金) 02:27:57ID:/0M5AaAM0829宇喜多直家信者
2007/06/22(金) 19:27:16ID:8XExTCMM山中韮山杉山しかり、
0830人間七七四年
2007/06/22(金) 20:58:59ID:M6OGlUqE0833宇喜多直家信者
2007/06/23(土) 01:36:42ID:zTxIKoR5>>830 武蔵杉山城は、今の埼玉県比企郡嵐山城にあった。今でも縄張りが
完全に近い状態で保存されている貴重な名城。
この城は北条家と関東管領上杉氏、また上杉謙信らによって激しい激戦が繰り広げられた
地域にある。よって堅城も多くなったのである。松山城その他しかり。
0834人間七七四年
2007/06/23(土) 01:37:38ID:vcpusLhW0835834
2007/06/23(土) 01:38:14ID:vcpusLhW0836人間七七四年
2007/06/23(土) 02:32:17ID:B0WvcK3j氏邦コスプレ祭りはまだやってんのかな
0838宇喜多直家信者
2007/06/23(土) 03:35:05ID:zTxIKoR5鉢形城は埼玉県大里郡寄居町にあった城。建築は1476年長尾景春の怒りによるもの。
激しい争奪戦の末、1564年北条氏邦が入城し、改築も行なわれた。
1590年秀吉による小田原攻めの際、一ヶ月持ちこたえるが落城。以後廃城となった。
0839人間七七四年
2007/06/23(土) 03:56:34ID:6+ieLGSZ0840人間七七四年
2007/06/23(土) 04:11:43ID:vcpusLhWあんだけ大規模な城、使わずにほっといたとは考えにくいんだけど、
使われた形跡なし。城下町ごと八王子城に移転したと考えられている。
0841宇喜多直家信者
2007/06/23(土) 04:17:25ID:zTxIKoR5滝山城は東京都八王子市丹木町にあった城。建築は1521年山内上杉家の重臣
大石定重と言われる。河越野戦で氏康が上杉を破ったため、大石定重は娘婿に
北条氏照を迎えた。以来氏照が実質滝山城主になったのであるが、1558年ぐらいに
城をかなり改築している。
小田原を目指す武田軍に対処するためであった。この時武田軍2万に攻められ、
落城寸前にまで追い詰められるも、なんとか持ちこたえた。
しかし防御体制が不十分であると判断したのか(そうは思えんが)、氏照はこれ以後、
八王子城へ移っている。この時本拠は滝山城より移したとされる。
八王子城も結局秀吉の小田原攻めの際1日で落城したが。
0842人間七七四年
2007/06/23(土) 09:29:37ID:6+ieLGSZでもまあぶっ潰していいか。ボロいし、オレん家じゃねえし。
0843宇喜多直家信者
2007/06/23(土) 15:41:40ID:Uji0T6gmした縄張りが見られる。
北条家の最新の築城技術は常に最先端の城に投入されていたのである。 しかし滝山城山中城三崎城のように、領域支配の拠点となる城には
常に最先端の技術が用いられている。 屈曲スロープや独立橋頭保型馬出なんかの築城技術を
持っているのは北条家だけであった。
0844人間七七四年
2007/06/24(日) 05:38:18ID:IMiYBN6l八王子城は未完成だった上に、城主の氏照以下主力が小田原に居て不在、兵も少数だったので無理も無い。
完成していれば、険しい八王子の山を丸ごと縄張りされた天然の要害に、
北条家の技術を結集させた土塁と木材を利用して固めて、その上に、
信長との同盟で中央と関係が出来た事で安土から技術を仕入れて作らせた石垣を重ねた
平城全盛になった後期戦国時代で、戦国最後の超巨大山城の完成を見たと言うのに・・・。
今でも石垣と縄張り、復元された橋などだけ残ってるので興味のある人にはお勧め、
「この山を丸ごと城にするつもりだったのか?!」という驚きを感じられる。
しかしそれゆえかほぼ無血開城が多い小田原攻めのなかで八王子城は全滅、虐殺の憂き目にあった城、
城内の女性が飛び込み集団自殺をした御主殿の滝付近には古びた石碑があり、
今も卒塔婆が無造作にたてかけられている。
0845宇喜多直家信者
2007/06/25(月) 04:10:40ID:HFV8834+知らんかった。
0846人間七七四年
2007/06/25(月) 04:42:28ID:T+IR+jej城址公園に書いてあった略図と山の大きさで単純に予想するに、
小田原城に匹敵する巨大城が山の上に出来たのでは無いかと思う、もっともこの城は廃城になってるので、
出来た・・・と言うよりは規模的にはある程度は出来ていたのではないかとも思う。
この城は小田原城の支城だが、この城自体にも更に支城として初沢城などが存在するし並の規模ではない。
ちなみにこの城の残る山は現在では城山と言う名称になっているが、本来の名称は深沢山
それがまるごと八王子城になったことで、八王子城山→城山となった。
まさに山全体が城だった事の名残でもある。
恐らく氏照は死ぬまであそこに構えて、西に対する睨みを利かせるつもりだったんだろうな。
しかし小田原攻めのときにここに篭ったのは女子供・農民なども含めた1000人未満の兵のみ、
対する豊臣軍は上杉景勝・前田利家・真田昌幸の連合軍、城が機能するはずもない。
勝敗はともかく、氏照が兵を率いて完成された八王子城に篭っていたら・・・と思わずにはいられない。
0847人間七七四年
2007/06/25(月) 19:15:43ID:Q7O++g1h家康、利家に匹敵する大大名になっていたのではないか
そしていずれ徳川とぶつかったときに八王子の陣が見られたかも知れない
0848人間七七四年
2007/06/25(月) 19:24:25ID:0GOMpoFy北条が臣従して、関が原でも家康派だったとしたら、
関東は北条家が領有、日本の首都は静岡県・・・なんて事があったりなw
もしくは秀吉の遺領で大阪かも
0849人間七七四年
2007/06/25(月) 19:40:57ID:D8SpXC5Bまさか大坂に呼んでいきなり殺したりはしないだろうけど
もし北条を残したとすると
東海甲信と関東の半分以上が徳川北条派と言う事になる
石高にして400万石超え
これじゃ秀吉もとてもじゃないが枕を高くして眠れない
やはり上洛したら人質に取られて減封とかいうオチになったんじゃ…
0850人間七七四年
2007/06/25(月) 20:37:38ID:0GOMpoFy減封する理由はないんだよね。まぁ何かにつけて理由つけそうな気がしないでもないけど。
0851人間七七四年
2007/06/25(月) 21:30:43ID:TvXhck9j当初は信雄を家康旧領に配する予定だったわけだから別に問題ないんじゃね
実質的な支配圏を東海より西に置くか、関東以西にするかの違いだけ
0852人間七七四年
2007/06/25(月) 22:08:27ID:T+IR+jejそれはそうかもしれない・・・でも多分、コレは勘だけど、
もし北条家があそこで臣下の礼を取って生き延びていたとしても
氏照はそこまで生き延びていないような気がする。寿命とかではなく。
どうも彼は吉川元春、柴田勝家、島津家久、と言った武断派で秀吉を毛嫌いした猛将らと重なる部分がある、
そして彼らがどうなったかを思うと、やはり氏照も生きてはいないような気がする。
0855人間七七四年
2007/06/26(火) 01:29:42ID:DM9otAd0島津や長宗我部ほどの温情も期待できない気がするんだけど。
早い時期に臣従してれば一国程度の割譲で許されたかもしれないけど、
ぐだぐだした挙句に仮に土壇場で臣従しても、相模・伊豆に武蔵半国とか、
その辺しか許されない気も。
0856仙台藩百姓
2007/06/26(火) 02:03:19ID:sxzjMtV5オゥ、ホウジョウバーカネー(´゚∀゚`)ハッハー
0857人間七七四年
2007/06/26(火) 02:17:30ID:EulUkpvy伊達が転封されて北に追いやられたことを考えると、
北条も同じような扱いで済むんじゃない?
会津あたりで100万石とか。
0858宇喜多直家信者
2007/06/26(火) 03:11:50ID:DY6XfkJQ0859人間七七四年
2007/06/26(火) 03:44:32ID:dfEzHpIq0860宇喜多直家信者
2007/06/26(火) 04:01:17ID:DY6XfkJQ小田原と仙台の間でかなり頻繁に連絡を取り合ってた記録が
あるのだ。ただ長くなるのでやめておく。
希望あれば書くが・・・
0861仙台藩百姓
2007/06/26(火) 11:28:19ID:sxzjMtV5信長より勢力伸ばしてた秀吉には何で強気だったのかね
少しばかり領地増やしたり
家康や政宗公が味方だとおもって調子に乗っちゃったのかお?
(≧ω≦)
0862山形義光
2007/06/26(火) 13:27:48ID:NfsL8Gwm0863仙台藩百姓
2007/06/26(火) 13:51:32ID:sxzjMtV50864人間七七四年
2007/06/27(水) 22:41:33ID:bggRib4f豊臣政権は1から叩き上げた基盤がないからもろい、
そう思ったから長宗我部も島津も信雄も家康も北条も
容易に臣従したり降伏したりしなかったし、
伊達家に至っては滑り込みセーフなだけであって。
>信長より勢力伸ばしてた秀吉には何で強気だった
ってのは反抗した大名すべてが思ったことじゃないかな。
それ以上に秀吉の政治力が良かっただけだと。
現にその政治力がなくなった瞬間に豊臣政権は崩壊。
とにかく煽りたいだけならくるなよ・・・
0865人間七七四年
2007/06/27(水) 23:10:38ID:faAYpGicあとコイツは政宗信者を装ってるだけ。
0866宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 01:47:20ID:BMI26Zi5「小田原の使者が仙台に来た」旨の記述があり、
北条家が政宗に当てた書状も何通か残っている。
この連絡の窓口となっていたのは、北条は氏照、伊達は片倉景綱であった。
氏照は秀吉との武力対決を主張し、景綱は会津攻めを
実質的に指揮しており、共に反秀吉であった。
0867宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 01:58:39ID:BMI26Zi5古河と会津若松の間だけでも、およそ100に及ぶ城砦が
今でいう電線みたいにつながっており、手旗や狼煙によって
頻繁に通信が行われていた。
地図がないと分かりにくいんだが、黒川城から古河城までの
およそ140キロ間にかなりの城または砦があり、頻繁に通信が
行われていたことが分かる。
0868人間七七四年
2007/06/28(木) 02:03:22ID:JkgCkUUDだって両家とも、その秀吉と戦わずして降伏したんだからw
0869宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 02:11:55ID:BMI26Zi5小田原への出陣を命じたのが天正17年(1589)11月24日。
政宗と同じ東北の諸大名、最上義光、津軽為信、秋田実季らは
いち早く参陣しているが、政宗は一向に動かず、重臣らに促されて
ようやく出陣する始末であった。この遅さには、政宗母の
保春院による毒殺未遂事件があったからとも言われるが、
しかし黒川を発ったのは4月15日。がその後南会津大内まで進みながら
逆戻り。再出発したのはなんと5月9日でやっと
小田原に着陣したのは6月5日。異様な遅さである。
0870宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 02:23:01ID:BMI26Zi5北条氏は抵抗らしい抵抗もせずに秀吉に降伏したのである。
仮に伊達軍が小田原を囲んでいる秀吉の背後を襲い、
小田原から北条軍も出撃する…という作戦であったならば
この北条家の早すぎる降伏も理解できるのである。
籠城には援軍が必要なのは古来からの常識である。
伊達軍が秀吉軍に加わったことで、北条家はもはや勝ち目なし
と考えたのではないだろうか。
あくまでも一説だからな。北条記、天正日記、関東北条五代など10冊参考。
0871仙台藩百姓
2007/06/28(木) 02:23:23ID:bn9ohmDxその家康も信雄も長宗我部も島津も
みんな秀吉に従ったのを知らないわけではあるまいに
信長にコケにされたから
中央政権に対する不信感が強かったのかもね( ^ω^)
0872人間七七四年
2007/06/28(木) 02:24:12ID:JkgCkUUDただ単に鈍臭かっただけだろ
どんな憶測を設けても
結果は両家共、農民上がりの猿面男と戦わずして降伏したってことだけ
0873宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 02:41:19ID:BMI26Zi5黒川城ー向羽城ー加塩城ー田代館ー小野城ー白岩城ー
丸々布城ー赤岡館ー塩生館ー小島館ー大岩城ー田部原館ー
鴨山城ー糸沢城ー貝鳴山ー山王城ー三依鶴渕城ー熊野堂ー
中二依城ー高瀬城ー狸原城ー平山城ーイノ原城ー丸山城ー
高徳城ー倉ケ崎城ー坂橋城ー石邦田城ー堀之内城ー田中城ー
多気城ー上域城ー犬飼城ー宇都宮城ー横田城ー児山城ー
壬生城ー平川城ー吹上城ー皆川城ー川連城ー榎本城ー
小山城ー塚田城ー諸川城ー総宮城ー総和城ー水海城ー
古河城ー栗橋城…
といった具合に、短距離でこれだけの情報通信が行われていたのである。
ここに書ききれんかっただけで他にも50ほどの城や砦があった。
まあ連合じゃなくても、何かあったような気がする。
0874宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 02:44:08ID:BMI26Zi5結構昔からある説。まあ信じるか信じないかは自由。
0876仙台藩百姓
2007/06/28(木) 05:09:55ID:bn9ohmDxその城は何を意味してるのだお?( ^ω^)
北条側と反北条側がごちゃ混ぜやん
0877宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 05:21:45ID:BMI26Zi5あるので安心しろ。しかしなあ・・・、
0878宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 05:26:22ID:BMI26Zi5北条家と伊達家との間では可能だったということ
実際すべての城に徐々に伝達されるというわけではない。
0879仙台藩百姓
2007/06/28(木) 05:29:21ID:bn9ohmDx意味不明
0880人間七七四年
2007/06/28(木) 07:36:51ID:Cr7AqsnFじゃあその通信とはどんな方法なんだ。
北条領内では伝馬を利用してそれが行われたことは否定しないが、
伊達との間となると話は別だ。実証可能な例をあげてくれ。
ちなみに当時は書状を届けるには通常飛脚を利用していて、
重要な情報の場合には信頼できる家臣が直接相手方に届けていた。
あと伊達が北条と交渉していたのは対佐竹のためであって、
対秀吉の為ではないからね。伊達には秀吉と戦う利点は一切ないから。
おそらくそれは北条も分かっていたし、そんな期待もしていなかっただろうね。
そもそも中近世ハイブリッド的自力救済を国是として掲げていたような北条王国が、
伊達の救援を見越して篭城したなんてナンセンスもいいトコだ。
伊達が会津を出立して小田原に到着するまでの日程が遅れたのは、
敵対する佐竹の影響圏を迂回して越後信濃を通って相模へ入ったから。
そんで伊達は会津のことで佐竹と戦っていたので容易に出立できなかった。
だから当然佐竹も小田原参陣は遅かった。
0881人間七七四年
2007/06/28(木) 08:03:23ID:i/J7fdhT佐竹は秀吉に救われたわけだ。
政宗は奥会津、仙道筋の掃討戦をしながら、秀吉を値踏みにかけていた。
この時期、徳川家康との連携がなっている。
0882人間七七四年
2007/06/28(木) 12:40:47ID:mhjKrpHkその為に佐竹らは8年も前から秀吉と誼を通じて
連絡を密にしていったわけだし
北条と伊達が通じて生き残りを図ったように
佐竹らも秀吉と通じて生き残りを図っただけ
0883宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 14:21:55ID:BMI26Zi5まあ通信手段には手旗や狼煙だったらしい。
参考資料は北条五代記
あと北条の名胡桃奪取と、政宗の河原田盛次、山内氏勝討伐が
ほぼ同じ時期に行われているのも興味深い。
「佐竹文書」には、7月4日秀吉が政宗に詰問状を発したと伝え、
「新編会津風土記」には石田三成が山内氏勝にあてた書状が収められている。
「政宗の会津攻めと、北条の背信行為は同罪である。来る三月一日に
秀吉が小田原に出陣、北条を討伐の後、直ちに黒川に乱入して、
政宗の首をはねてやる」
政宗と北条の行動が対同であると考えたのであろうか・・・
0884仙台藩百姓
2007/06/28(木) 14:59:29ID:bn9ohmDx何を言って欲しいのやら
うむ
別世界
0885宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 15:03:36ID:BMI26Zi5これは工藤氏の説に少し付け加えたものである。
0886人間七七四年
2007/06/28(木) 16:02:30ID:zVdKM8qV0887宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 21:41:13ID:BMI26Zi5小田原落城前の豪胆な文体とは違い、すっかり弱々しい
悲壮感漂う文筆になっているのが悲しい。
0888仙台藩百姓
2007/06/28(木) 21:58:47ID:bn9ohmDx信長に攻撃されたら皆殺しにされるのがオチだし
0889人間七七四年
2007/06/28(木) 22:00:36ID:hYF1aAWc生きながらえることが出来ただけなのが後北条家なのです。
ま、そもそも本拠の小田原城を何度も包囲されてる時点で明らかに
戦下手な氏康公でございますが。
しかし北条厨からすれば両名将と五分に渡り合ったと勘違いし続ける
しかないのですね
0890人間七七四年
2007/06/28(木) 22:16:32ID:RIJbK4FDそれより阿呆な文章のスレが立ってると思ったら>>889の1分前に同じ文章でスレ立ててるし、コイツ。
煽る気満々。百姓も同類、レスする意味がない。
0891仙台藩百姓
2007/06/29(金) 01:18:39ID:YOKFjBEV0892人間七七四年
2007/06/29(金) 18:33:48ID:pLRiLjCK所詮後北条家は、上杉武田とは比較にならないね
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183035574/
小田原北条家が存続するには
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1173546086/
もし北条家に小田原城が無かったら
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1170962554/
信長の野望シリーズにおける北条家の扱い
http://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1171725955/
0893人間七七四年
2007/06/30(土) 14:08:41ID:NljUAQVf二人とも小田原城には手も足もでずに引き下がりますたが・゚・(ノω`)・゚・。 アワレー
0894人間七七四年
2007/07/04(水) 22:01:38ID:t+YTP/NW後世でも伊豆では早雲の評価はイマイチ。だがこれも大組織の礎を築いた創業者が決して避けては通れない、業の深さというものかな……
0895人間七七四年
2007/07/05(木) 02:29:44ID:Xyt8gWnzまぁいずれにしろ善政は敷いてても善人とは違うので(豪族級には特に)
騙し討ちとか策略関連はいいんだが、それに関しては聞いた事の無い事柄なのでちょっと気になる。
伊豆は北条家にとって足がかりでしかないので、
特に早雲の評価が良いとは聞かないけど、取り立てて悪いと言うのも聞いた事が無い。
まぁあの情勢で堀越公方の存続を願う奴もいないだろうし。
小田原城の中を見ても一目瞭然だが
小田原城騙し討ちが批難されるものならもう少し大森家についても触れてやれよと言う感じだし。
伊豆も小田原も良く行く身としては今ひとつ実感が無い。
0896人間七七四年
2007/07/05(木) 07:59:15ID:EYVVa+kt人をまとめていくのは本当に大変だから「アメとムチ」が必要だわな。
0897人間七七四年
2007/07/06(金) 00:20:47ID:1UkG40J9伊豆にとって堀越公方はガンだったがさすがにそのお膝元だけは多少の愛着はあるかもなぁ
ただアメとムチは間違って無いけど、この堀越公方の壊滅がむしろアメだったりもする・・・。
この堀越攻めに伊豆の兵がかなり多く混ざっていたようだし、一般庶民にとっては有難かったんだろうが、
どうにも偉い奴が嫌いっぽい所はあるな早雲。
だけど伊豆で早雲の評価が低いは無いよ、そんな限定的なところはともかく。
0898人間七七四年
2007/07/06(金) 19:01:01ID:PynV422b0900人間七七四年
2007/07/06(金) 22:50:34ID:Kggm0EsZ0902人間七七四年
2007/07/07(土) 16:28:23ID:jwhYlq010903人間七七四年
2007/07/08(日) 22:16:57ID:7xZAhGmj0904人間七七四年
2007/07/09(月) 13:53:41ID:KhKeoyBy普通の人間の身長と同じ高さまでジャンプして踏まないと死なない上に
こっちは触れただけで死ぬんだぞ
0905人間七七四年
2007/07/10(火) 01:05:44ID:/rD1dhYgいくさになれば戦国のならいにより真っ先に先鋒を任された漢。
だがそれにもめげず
1-1の一番最初のスーパーキノコの目の前と言う危険な要地で数々の勢いに乗った敵兵を殺し続けた猛将。
0906スレ汚しスマソ
2007/07/10(火) 02:27:08ID:ympjMWdP計略に気付いた時には既に為す術なく敵将は逆に一瞬で葬られる。史上最も冷徹にして苛烈なる策士、クリボー……
0907人間七七四年
2007/07/11(水) 06:32:13ID:hD2CcMKh黙祷。
0909人間七七四年
2007/07/12(木) 00:32:52ID:0wqdddR8いつも通りなのか今日だけなのかはわからんが、
綺麗な布とか台の上にしかれてたな。白い布とかかけてあったり。
綺麗にされてあってなんか嬉しかったな。
0910人間七七四年
2007/07/12(木) 01:24:36ID:e2+OL/P50911人間七七四年
2007/07/15(日) 23:25:16ID:fFR4+AfG怪しい点を纏める。
・北条氏康が倒れたのは脳卒中、当時の技術で3年も生きられるか?
・北条氏康は三増峠で戦っているが、脳卒中で倒れて病状進行中の人間がどうやって戦うのか?
・氏康はその後表舞台には出てきていない。
・もし上が事実なら戦えるはずなのに氏政が武田と戦っている。氏康ではない。
・なぜか武田と講和、城も明け渡しているし上洛時は援軍も出している。氏政は武田贔屓だった。
・氏康が暗殺されたなら、薩多峠後の消極性もぴったり来る。
・武田勝頼との争いでも武田贔屓を氏政が行っている。
・氏政は氏康に離婚させられており怒っていた。
・氏政の嫁は武田出身である。なぜ離婚なのか?人質として取ってあるなら利用できるはずである。
・武田信玄との争いは駿河を切り取られたといえど、まだまだ有利な状況である。何故だか圧力すらかけない。
・氏政は武田信玄が死んだをうそだと思っていた
・越相同盟では氏康時代は上杉はいろいろやっているのに氏政時代はボイコット
・氏康と信玄の戦いには俗説が多い。死んだのではないか。
・いつ死んだのかが明らかになっておらず遺言すら氏康は残していない(信玄と和睦せよとの遺言は捏造)
・氏康は信玄との敵対姿勢を信玄が同盟破りをした後は和睦しようとすらしてない
・信玄は1571年には北条をほうっておいて徳川領に出兵している
0912人間七七四年
2007/07/16(月) 19:24:30ID:zYlDmecKまあ氏康、死んでほしい奴はいっぱいいただろうが
脳卒中なら越後の軍神様も長く患っていたんじゃないかな?
どのみち当時家督は氏政にうつっており、徐々に権力の移行が進んだと
考える方が妥当だろう。別に北条は当主が変わってもすぐに瓦解するような
大名ではないんだから、氏康ひとり死んでも(野戦指揮中ならともかく)
大勢に影響はない。
0915人間七七四年
2007/07/17(火) 16:00:49ID:t45/wBH7怪しい点を纏める。
・北条氏康が倒れたのは脳卒中、当時の技術で3年もしにかけてから生きられるか?
・北条氏康は三増峠で戦っているが、脳卒中で倒れて病状進行中の人間がどうやって戦うのか?
・氏康はその後表舞台には出てきていない。
・もし上が事実なら戦えるはずなのに氏政が武田と戦っている。氏康ではない。
・なぜか氏政は武田と講和城も明け渡しているし上洛時は援軍も出している。氏政は武田贔屓だった。
・氏康が暗殺されたなら、薩多峠後の消極性もぴったり来る。
・武田勝頼との争いでも武田贔屓を氏政が行っている。
・氏政は氏康に離婚させられており怒っていた。
・氏政の嫁は武田出身である。なぜ離婚なのか?人質として取ってあるなら利用できるはずである。
・武田信玄との争いは駿河を切り取られたといえど、まだまだ有利な状況である。何故だか圧力すらかけない。
・氏政は武田信玄が死んだをうそだと思っていた
・越相同盟では氏康時代は上杉はいろいろやっているのに氏政時代はボイコット
・氏康と信玄の戦いには俗説が多い。死んだのではないか。
・いつ死んだのかが明らかになっておらず遺言すら氏康は残していない(信玄と和睦せよとの遺言は捏造)
・氏康は信玄との敵対姿勢を信玄が同盟破りをした後は和睦しようとすらしてない
・信玄は1571年には北条をほうっておいて徳川領に出兵している
・いきなり権力が氏政に移っている。
・武田の都合のよいときに死んでいる
・氏康は当時57歳。不殺生でも病弱でもなくまだまだ死ぬような年齢ではない。
0916人間七七四年
2007/07/19(木) 20:33:57ID:dd5L9ecOどうやらそのようだな、今日になっていくつかのスレに投下されていて驚いた。
ところで氏康の向こう傷といえばちょいと有名だが
軍記物含めても初陣と河越夜戦以外で氏康が先陣切る戦なんてあったっけ?
早雲の時代ならともかくもう三代目じゃあ冒険するような必要もないと思うんだが。
まあ大将が先陣切る、てのが眉唾ものかなあ。
0917人間七七四年
2007/07/19(木) 23:21:24ID:xRQ4vlmU0918人間七七四年
2007/07/20(金) 23:34:13ID:kTj8bCUf氏康自ら槍を取っている。
0919人間七七四年
2007/07/21(土) 21:06:19ID:T6OMjm5Kシーンが予定されている。
ただし元々ドラマのメインストーリーとは
関係のない話題なので、もしかするとカットされるかも。
0920人間七七四年
2007/07/22(日) 03:33:30ID:ULYnDgFh信長の野望・革新で、関東一帯引きこもり内政をやろうと思ったら
武田に速攻武蔵を落とされ、相模伊豆の正真正銘引きこもり大名に
なってしまった・・・
0921人間七七四年
2007/07/23(月) 02:33:14ID:dbzFBAsL北条=開発だったなあ。ちょっと史実を無視しているけど
ゲームでは関東平野の収穫は恐ろしく多いからねえ。
実際は江戸初期まで、平野部での開墾は技術的に不可能だったらしいが。
まあしかしそれでも相対的に肥沃な土地だったのかね、西関東は。
0922人間七七四年
2007/07/23(月) 03:14:20ID:O04s4bJ5ブランド米と言ったら稲毛米。
川崎市北部地域(武蔵の国)が米どころ。
0923人間七七四年
2007/07/23(月) 15:11:50ID:XTZhKQQ+広大かつ豊かな関東全域を征服した。
後北条氏は偉大ナリ!
0925人間七七四年
2007/07/25(水) 02:11:26ID:i7QR01HU0926人間七七四年
2007/07/25(水) 10:58:37ID:D07exELF0927人間七七四年
2007/07/25(水) 15:04:40ID:WZWapmo+0928人間七七四年
2007/07/25(水) 15:53:39ID:KGpSXGUw0929人間七七四年
2007/07/25(水) 20:58:35ID:DksK6krz久留里攻めが頓挫してしまったんだから。
0930人間七七四年
2007/07/26(木) 16:19:17ID:vTyAQPvo北条は北条でだいぶ時間を損した。
一番得したのは信玄?
0931人間七七四年
2007/07/27(金) 12:30:01ID:owmIbaxN上杉、武田、織田みたいな瞬発力や爆発力に欠けるイメージがある。
信長の死後の信濃甲斐争奪戦、謙信死後の御館の乱、等大きく情勢が
変わる俊敏な行動が求められる時にだいぶ損したなあ。「尺進」がモットーだし
0932人間七七四年
2007/07/27(金) 16:11:57ID:4H471Fg00933人間七七四年
2007/07/27(金) 17:51:59ID:+cysH5zQ徳川との同盟+上野確保、と考えれば損はしていないのでは。
御館の乱は同意。
0934人間七七四年
2007/07/27(金) 21:10:58ID:Az0PfZIP氏直は、神流川合戦から信濃侵攻を見ても分かるように
大軍を一気に動かす用兵をする。
0935人間七七四年
2007/07/27(金) 21:12:34ID:Az0PfZIP0936宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/07/27(金) 21:13:10ID:dUmWdNlc0937人間七七四年
2007/07/27(金) 22:09:57ID:ZjZqg5yD0938人間七七四年
2007/07/28(土) 01:52:35ID:qU5+Cwvg北条氏康と武田信玄を祖父に持つ関東最後のサラブレッドだったからなぁ・・・
確かに氏直は若くして死んでしまったことが実に惜しい実績と言える。
0939人間七七四年
2007/07/28(土) 02:44:44ID:Yq2NXRLD0940仙台藩百姓
2007/07/28(土) 03:39:57ID:w9CEht8w氏直のせいだと書かれているけどね( ^ω^)
0941人間七七四年
2007/07/28(土) 04:58:17ID:qU5+Cwvg0942人間七七四年
2007/07/28(土) 19:41:16ID:O8jddJHJ甲斐にも本格的に打ちいれてますが?
佐久経由で氏規勢13000、秩父方面から氏邦、さらに小田原から氏勝らをさしむけてるし
本格的に取りに行ってる。これに対し家康は真田・依田等地侍の調略
→小荷駄隊を狙った徹底的なゲリラ戦という方法で対抗し補給路が断たれてしまう。
さらに関東で佐竹等が兵をあげだしたので兵を引くしかなくなった。
その前にある上杉景勝との対陣の場面、まともにやりあってたらよかったんじゃないかな…と。
まあ上杉勢は精鋭だろうし戦いの間に家康に地盤を固められてしまうかもしれないけど
真田の離反は防げただろうし圧倒的兵力差がある場合は力を顕示した方が回りの小豪族らは
ついてきやすいんじゃないかな?
0943人間七七四年
2007/07/28(土) 20:31:30ID:cjEBoB4j一揆が多発していて治めるに難い土地となっていたし。
0944名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 01:43:41ID:pgW2vh5Xってことだな。外征で得る戦果の分配がないとまともに統制を維持できないという
点がリスキーな政策を強制させるわけだな。
基本的に内政手腕に優れた棟梁が連続して輩出されたことが政権の安定と
比較的強力に統制された家臣団となり、それ故に末期は安定を要求される
体制となって膨張率の鈍さになったんだろうな。
いくら当主が冒険主義でも家臣団の方でリスクを望まなければ体制全体を
膨張主義に振ることはできないわけで。
0945人間七七四年
2007/07/31(火) 23:16:43ID:1YNJNSFu家臣統制が高いレベルにあればこそ、家臣団がリスクを
望まなくても、北条家の意思は通るでしょう。
やはり氏政の時代に謙信、信玄、信長と難敵への
対処が連続したのが原因だと思いますよ。
0946人間七七四年
2007/08/01(水) 07:22:14ID:QvvhnP6i単純にそう思われがちだが、組織というのは安定すればするほど
繊細になり無理が通りにくくなる。つまり無理を通したときのペナルティが
大きくなる。要するに安定した組織というのは上下の信頼関係が厚く
なっているわけで信頼が厚いほど小さな背信が大きく響く。
ブランドイメージが大きい会社ほど小さな不祥事が致命的になりやすい
ようなものと考えればわかりやすい。
故に合意が重視され、その場の利害関係だけで成り立ってるような組織よりも
崩れにくいが、代償として動きは鈍くなる。
0947人間七七四年
2007/08/01(水) 21:20:01ID:JWXXEB1o0948人間七七四年
2007/08/01(水) 21:49:39ID:OWoF7NQ9北条の私設サイト発見
0949人間七七四年
2007/08/01(水) 21:53:28ID:IbjCm3KA問題は北条家が膨張主義かどうかってことで
歴史を見れば明きらかに膨張主義じゃんか。
組織が安定してるから、当主が望んでも膨張主義に
陥らない、だから北条家の膨張率が低かったてのは
明らかに間違いだろ。
北条家がそんなに大人しい家かよ。
組織が大きくなればなるほど、動きが遅くなるのは
おっしゃる通りだが、一度動きだすとなかなか止まらない
のも組織なんだよ。
北条家滅亡の原因にも関係ありそうだよね。
0950人間七七四年
2007/08/04(土) 03:30:26ID:JpSewUbJ叔父の北条雋八は子爵で元貴族院議員・公明党参議院議員を務めた。
後北条氏の末裔がカルト創価に汚染されていたとは・・・・。
0951人間七七四年
2007/08/04(土) 15:44:06ID:oFo/1Xqg0952人間七七四年
2007/08/04(土) 16:27:47ID:g94oTeKG・竜若丸事件
・長尾景虎の小田原城攻め
http://www.nhk-sc.or.jp/stera/f_kazan32.html
>後に北条氏康に対する小田原城攻めや関東管領就任なども
きちんと描かれる。
0953人間七七四年
2007/08/05(日) 01:27:24ID:10dyPdHw0954人間七七四年
2007/08/07(火) 00:18:45ID:wxGStUvS0955人間七七四年
2007/08/07(火) 04:13:38ID:mb9pO+4g公明政治連盟参院議員 北条雋八
狭山藩北条家 現当主の北条尚は聖教新聞社勤務か
北条の名に泥を塗りやがって
0956人間七七四年
2007/08/07(火) 13:47:36ID:/1dvjSif0957人間七七四年
2007/08/07(火) 13:51:11ID:e6txtD+g0958人間七七四年
2007/08/07(火) 19:54:26ID:ETXdJLE30961人間七七四年
2007/08/08(水) 00:14:07ID:zZ3njoj3名のある武士かと調べたら鉄砲隊指揮官で志村いう将がいた。滅亡時に甲斐から逃れてきたのか……
0962人間七七四年
2007/08/08(水) 00:16:49ID:g77PJmrt0963人間七七四年
2007/08/08(水) 00:17:57ID:5No5+BWW人類の話しようぜ。
0964人間七七四年
2007/08/08(水) 00:24:17ID:EZmC8l1Uたしか、長篠合戦の屏風で、山県三郎兵衛の首を持ち帰ってるのが
志村なんとかという人物だったと思う・・・
0965人間七七四年
2007/08/08(水) 00:29:48ID:nxCKhewx幻庵作成の庭を見たが、実にどうという事も無い庭だった……
あと、五代の墓も見た。
参拝してる人が墓洗っててちょっと感動したよ。
箱根権現も見て来た。
幻庵はここの別当だったらしいが、たぶんそれは凄いことだろうと思ったぞ
今年は箱根神社1250年祭だってさ
0966人間七七四年
2007/08/08(水) 00:56:01ID:EZmC8l1U北條氏直に秀吉が出した宣戦布告状についての本を書いていたん
だが、読んだ人いる?
北条氏の末裔らしいんだが。
ちなみに、永原慶二さんなどもその著書について言及している↓
ttp://www.yurindo.co.jp/yurin/back/420_3.html
0967人間七七四年
2007/08/08(水) 23:02:22ID:zZ3njoj3武田滅亡時には北条とは敵対してたが、いわば敵国に逃れたわけか。意外と他の家臣も北条領に逃れてきてたのかもな。
0968人間七七四年
2007/08/08(水) 23:07:31ID:EZmC8l1Uあとは、仁科盛信の息子が上総の武田豊信を頼ったという
伝承もある(一説には武田豊信=信玄の息子だという)
0969人間七七四年
2007/08/09(木) 00:02:40ID:c9liLNIiそれに、上総の武田話はアテにならないよ。
0970人間七七四年
2007/08/09(木) 00:50:38ID:f5sISwYZう〜む、しかし上総武田や信之自体資料が少ないし、甲房同盟の仲介
をしてるのが上総武田氏なんで、結構興味深いことではある。
0972人間774年
2007/08/09(木) 08:47:49ID:faz569/60973人間七七四年
2007/08/09(木) 18:06:30ID:gkRPpMTn家康の江戸封入時にも大量に武田の遺臣が入ってきたので、
秋山だの馬場だのといった名字の人が大量にいる。
後北条時代でも武蔵の最重要拠点だったし、滝山城・八王子城は
城めぐりのメッカだしと、いろいろ面白いところだ罠。創価がうざいけど。
0974人間七七四年
2007/08/09(木) 20:56:49ID:o7CGdLMw0975人間七七四年
2007/08/10(金) 00:46:43ID:qfpWAw+D0976人間七七四年
2007/08/10(金) 02:10:32ID:YL6C2e380977人間七七四年
2007/08/10(金) 03:12:06ID:3ixCJYu8・・・・いろんな意味で。
0978人間七七四年
2007/08/16(木) 20:59:17ID:5tDvPpK0http://anime2.2ch.net/test/read.cgi/comic/1178451630/l50
0979人間七七四年
2007/08/17(金) 13:23:01ID:SSmW+qMw0980人間七七四年
2007/08/18(土) 14:51:33ID:yaO/rkK8北条会長を語るスレ【創価・公明】
(笑)
0981人間七七四年
2007/08/18(土) 19:03:27ID:qDtVul5k0982人間七七四年
2007/08/19(日) 01:43:10ID:TWUbfD6Q0983奥州王
2007/08/19(日) 10:00:37ID:fMVytZlNレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。