>>264
『陰徳太平記』は、毛利家だけや特定の個人崇拝の書物でなく、
闘った相手も賞賛しとるよ。中国地方人らしいバランス感覚じゃ。

『陰徳太平記』の秀吉の東国評価。「東国武者は死を恐れず『かかる』と
いう言葉ばかり知って、『逃げる』ということを知らぬ。しかし短気ゆえ、
長い間城を守りぬくことは難しく、また小勢でもって多数に当るときも、
いったんは勇に任せて対陣するが、久しくこらえることができぬ。」
中国勢は、「小勢で城を守り、小をもっておおいに向こうて対陣すると、
何百日、何千日を経るとも、士気衰えて引くということはない。」
秀吉は、『川角太閤記』でも武田の軍法を田舎者の合戦と馬鹿にしとるよ。

だいたい、都から弓馬を学んだ東国武士に騎馬技術もあったもんじゃない。
>>260のカザフ族と比較すりゃあ解ろう。遁走しながら突如攻撃等、神出鬼没
に馬を操るんと口取りを付け、馬柄杓で水を飲ませ、馬に乗せられとる
お笑い坂東武士じゃ。鎌倉以降弓馬に巧みというイメージがついたんに
過ぎんよ。大伴家持の言の背に矢は立てんと、昔から東国武士は騎馬戦闘の
本質を理解しとらんかったようじゃのう。