戦国日本最強の国
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 23:34:42ID:QqsMiOFU合戦とか武将ネタ飽きたんでそこら辺語ってよ
国別・大名別の経済政策なんかも織り交ぜてみよう
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 23:51:34ID:jYkwT0Ur^^^^^^^^^^^^^^^^^終了^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 00:03:47ID:ZSQKpWmB山城、河内、和泉の弱さはガチ
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 00:42:13ID:bvoKlRXW秦斎楚でガチ。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 02:17:09ID:JOLiFaa6でも民はやる気ない
今でいうアメリカや日本
貧乏国の民は装備も訓練もロクなもんじゃなく死ぬ可能性が高いが
勝てば略奪で大金稼ぐチャンスなのでヤル気満々
今でいうアフリカ諸国
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 03:14:18ID:teS07Ay1大戦中は「田舎=百姓=強い」「都会=モヤシ」だけどこの頃は関係ないよね
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 04:12:43ID:36fFMZ+x経済力の事じゃないの?
幾内、近江、美濃、尾張、武蔵が強いのは、当たり前過ぎるから、
案外とか隠れてとか探さない?
出雲とか?そこそこの国高プラス鉄
てなかんじじゃだめ?
0008747砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/07/05(水) 06:23:31ID:gZk1Dx8z石高による動員兵力なのか、経済力なのか、輩出した武将なのかとかさ。
はたまたそれらを総合して国の強さと呼ぶか…
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 06:42:47ID:cUHSTEW+しかし当時の辺境の大名はどんな感じだったのかね?
「畿内の近くであれば我が家も天下を狙えたのに!」とか思ったかな?
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 10:24:50ID:A8g4b7sgされど、空の深さを知る
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 02:38:53ID:bv6LxvZ20012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 10:42:10ID:t6CS12sM蒲生氏郷の名言やね。
一番といったら…
広さは陸奥ぴかいち
キャッシュは和泉
石高は近江か武蔵か陸奥
風流と人口は山城
べつの意味では安房がNO.1
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 14:45:42ID:tDgvkAJR同じ近江でも六角の南近江より北近江の浅井の兵の方が強いと思うが京極時代後期は弱そうだしな。
地侍や国人のやる気次第かもな。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 22:12:55ID:bv6LxvZ2それは、越後、甲斐にも言える。
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 19:25:30ID:OoWEs9E3一向一揆、島津軍の薩摩兵といった忠誠心、精神面から強い兵だけじゃない?
甲斐兵、越後兵、尾張弱兵、美濃兵だの強いと言われてる兵をあげればキリが無いが
どれも確かに裏づけが無い。坂東武者はガチだと思うがな
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 23:31:42ID:Xn2/7FtS0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 04:45:00ID:Xoxl84Hm鎌倉前期は、一般に原野が広がり、農地もそれほどなかった為、
狩猟が盛んで弓術に優れ、馬の産地でもあったため、馬術にも優れていたから。
まぁそれに中央から見たら、辺境の蛮族=勇猛果敢がなかったとは言い難い。
蛮族(中央視点)は皆そんな評価だし。
例、隼人、熊ソ、坂東(東人)、エミシ。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 04:52:23ID:Xoxl84Hm↑を書いていて思ったんだが。
結局↑の蛮族を全て武力制圧した、中央が一番勇猛果敢で野蛮で強いんじゃねーか!
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 03:30:48ID:IhTMCZNM戦略と戦術を分けて考えたら?
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 08:25:20ID:sC4hbQWS国の強さ、兵の強さは戦術、戦略で違うのか。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 10:45:04ID:lmhr2Qyr後は、武将の指揮能力や、それぞれの国の相性じゃね?
いくら三河兵が強いといっても、2度も真田にボコられているし
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 10:54:15ID:aadEPOEF職業軍人のような兵士、足軽は当時存在せず。
また、大名同士の城攻めや、野戦の多かった地区たとえば上杉、武田、北条らの
戦さが絶えなかった上州(群馬県)あたりの農民が当然ながら強い。
それと、相当の昔から強いのはあと信濃(長野県)の農兵も強かったろう。
それらの兵(農民、百姓)を率いる大名上杉、武田が強く家臣の能力も高いのは、あたりまえ。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 11:15:25ID:S2sUmZ36あとはカリスマ性も付随するな。『この人のために死ねる』とか『このお方のお役に立ちたい!誉められて名をあげたい』みたいに思う兵卒が必要。
立花道雪や高橋紹雲指揮下の兵卒なんかは戦闘力高そう。
親譲り立花宗茂の軍も明の大軍の猛攻で平壌城が陥落して小西軍が大敗走した後で兵卒心理もびびってるだろうところ漢城北部での前哨戦で明軍を敗走させてるから兵卒の信義を勝ちとってる必死の強兵を作りあげてるな。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 11:43:44ID:gbnDzLIF0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 12:25:14ID:d3sxRxbj中央の武力制圧なんてなかった。
夷を以って夷を制す。
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 22:22:26ID:M0xZX1O3兵の強さ?そんなものは地元民の誇りによって何とでもいえる
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 22:57:10ID:TOfKt/Mw【郷土食が支えた最強の島津軍団】
戦国時代、勇猛で強い軍団といえば、武田信玄の甲州軍団、上杉謙信の越後軍団、三河武士(徳川軍団)があげられるが
忘れてはならないのは命知らずの島津軍団である。秀吉、家康でさえ島津と戦う事を避けたほどだった。
島津一族を強力な戦闘軍団につくりあげたのが、島津中興の祖、島津日新斎忠良である。
日新斎は、古代国家の頃、その荒々しさで都人に恐れられた熊襲の子孫、隼人族(猛人ともいう)
を家臣としてとり立てて、軍団の核としていた。
この島津軍団の兵糧のひとつに「ちまき」がある。ちまきは本来保存食で、兵糧などの携帯食料として使用されていたが
薩摩のちまきは一風変わっていた。
(中略)
薩摩のちまきは、灰汁でつくることから「あくまき」呼ばれる。ゆうに二,三ヶ月はもち、しかも高カロリーなのだから、理想的な食料だったのだ。
また鹿児島の特産品「かつお節」も高タンパク、ビタミンB郡を多く含み、保存性の高さはピカ一。「武教全書詳解」にも
「かつお節は、薬にあらずといえども、時にして飢えに及ぶときには、これを噛めば性気を助け、気力を増し、飢えをしのぐのみならず、役に立つものなれば
必ず用意すべき事なり」とある。
鹿児島県では、豚や鶏は、歩く野菜といって食べてきた。これら古代以来の野趣に富んだ郷土食が、薩摩武士の体力を強靭にし、最強の島津軍団を支えたのだ。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 23:04:12ID:wqR6f/0V0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 08:46:57ID:sxEUOxnH数が多かったというだけだろ。
虐殺の対象になるような輩が強いとは思えんが・・・
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 15:33:45ID:r19Lb5Hk↑ハングリー精神があるので強そう。
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 18:27:28ID:xu0ZKG4v牧の多かった武蔵・下総の武者は馬術に長じていたことであろう。
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