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【畿内】三好氏総合スレ【四国】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/04(火) 20:08:42ID:92tE0V9x
一時は天下人とまで言われた三好氏を語るスレです。
0588人間七七四年2008/01/20(日) 20:48:37ID:9gcM+mqc
安宅家の人々
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1194548604/l50
なんか関係あるの?
0589人間七七四年2008/01/20(日) 21:35:12ID:A80sPz6m
>>588
あ、ゴメン。安宅は1580年に秀吉に滅ぼされてたんだった。
0590人間七七四年2008/01/21(月) 01:30:32ID:HJZ6a2SQ
三好や十河は秀吉に従ったのに。なんで安宅は滅ぼされたのかな
0591人間七七四年2008/01/21(月) 01:52:19ID:cTcrMFdE
>>590
毛利に近づいたから。

で降伏して所領安堵されたけど病死で滅亡
0592人間七七四年2008/01/21(月) 03:31:47ID:dYtHpPG/
一人も後継者がいなかったのか…
0593人間七七四年2008/01/21(月) 03:36:15ID:zyf+CrEm
安宅家は日本中に普通に残っていますがな。
0594人間七七四年2008/01/21(月) 03:39:56ID:cTcrMFdE
>>592
いたけど関が原で西軍について没落

0595人間七七四年2008/01/21(月) 03:40:43ID:cTcrMFdE
滅亡じゃなくて没落といったほうが良かったか。
0596人間七七四年2008/01/21(月) 05:53:38ID:prMvXzDp
誰も死なず兄弟息子に支えられた長慶率いる三好家ならば上洛する信長を阻止できただろうか?
0597人間七七四年2008/01/21(月) 09:19:00ID:amaiB+IA
>>596
所詮はif話ですから・・・。

永禄十一年に織田信長が上洛したのは、
 @美濃を平定できたこと
 A足利義昭を迎え入れたこと(足利義輝が死亡)
 B三好政権の自壊闘争が長期化したこと
 C永禄九年に長慶の葬儀が行われたこと
 D浅井家や武田家などと縁戚同盟が結ばれたこと
という要素が大きいかと思います。

ABCは長慶の死が大きく影響していますから上洛の内容が変わりますね。
内容が変われば合戦場所も外交戦略も変わります。

信長自身も上洛より伊勢平定を優先するかもしれませんし、
大和の松永久秀もどう動くかわかりません。


私的には戦なんて時の運もあると思っていますから必ずこうなるとは言いませんが、
上洛阻止ができるかどうかだけを考えれば確率は低いかな?
0598人間七七四年2008/01/21(月) 12:05:57ID:/pKGkgjn
>>598
あと近江の六角が観音寺騒動の余波で半ば自壊状態だったのも
大きいだろうな
0599人間七七四年2008/01/21(月) 23:56:25ID:V/8gQkAA
こんな感じでやってほしかった

永禄の戦国期、久仁子は、安宅家の長男で知的障害者の信康と結婚。
財産狙いとやゆされるが、久仁子は純粋無垢な信康に献身的な無償の愛を貫こうとする。
しかし、安宅家の財産をめぐる周囲の欲望、さらに信康の義妹に対する恋の目覚めから久仁子の葛藤(かっとう)が始まる…。

【原作】吉屋信子(同名小説)
【プロデューサー】西本淳一(東海テレビ)

【キャスト】
安宅久仁子:遠藤久美子(信康の妻)
安宅信康:内田滋(ホテル王の息子、知的障害がある)
安宅雅子:小田茜 
安宅清康:小林高鹿(雅子の夫、信康の異母兄弟)
安宅冬康:目黒祐樹(安宅家当主)
????:奈美悦子(当主の別れた妻)
ほか

【HP】www.tokai-tv.com
0600人間七七四年2008/01/22(火) 04:39:50ID:Lvm+s7Iv
三好が万全の状態なら

四国を統一してたかもしれないし、畠山・筒井・六角を滅ぼしていたかもしれない。
0601人間七七四年2008/01/22(火) 06:57:51ID:jnL012Z1
もし兄弟が生きてたら間違いなく四国は平定してたな。
事実讃岐 阿波を完全に治めて伊予も東から侵蝕していった
後、定頼死後の六角からも湖南湖西くらいは奪えただろ
0602人間七七四年2008/01/22(火) 11:27:36ID:/9K2WsxS
四国平定は疑問かな
一番貧相な土佐から出発ならどことってもうまいけど
既に機内に基盤を築きつつある三好から見て四国は旨みが少ない
0603人間七七四年2008/01/22(火) 13:22:38ID:OnCYh6Uo
信康様の怨霊が三好一族の霊を引き連れて>>599に祟るようです。

>>602
伊予には行くだろう。








蜜柑を食べに。
0604人間七七四年2008/01/22(火) 21:11:17ID:ptFUY5dv
しかし、下手に伊予を西に進むと、毛利やら大友やらに絡まれる罠。
伊予の河野は弱体化してて攻めてくる可能性はほぼゼロだし、
藪を突付いて敵を増やすくらいなら畿内を優先するだろうと思うよ。
東伊予の自立気味の豪族を味方にして基本任せるくらいじゃない?

個人的には、実休殿が阿波に健在なIFでのVS長宗我部が興味ある。
0605人間七七四年2008/01/22(火) 21:20:54ID:Uk7eLPnq
>>604
正直なところ、成長する前に三好家に下ると思う。

長宗我部が勢力拡大できた原因の一つは三好の弱体化にあると思う
0606人間七七四年2008/01/22(火) 21:21:54ID:TfkSFOxK
>>605
大内の弱体化が毛利の急成長を可能にしたのと同じだな。
0607人間七七四年2008/01/22(火) 21:38:28ID:Uk7eLPnq
>>606
そんな感じだろうか

三好家は1562年の三好実休の死からあっという間に衰退し

1573年には三好宗家が滅んでるしね
0608人間七七四年2008/01/22(火) 21:52:41ID:ZgRATqlH
晴元政権時代、阿波から伊予に攻め込んで撃退されているけど、これって晴元が攻めたわけではなかったよね?
阿波細川持隆が攻めたのかな?
0609人間七七四年2008/01/22(火) 22:25:01ID:jnL012Z1
てか三好が東伊予を版図に入れたのはいつ頃なのかな?
やっぱり讃岐を平定してからだよね
0610人間七七四年2008/01/31(木) 11:26:55ID:Z9s4Z+Om
>>609
十河一存は東伊予方面に出兵したのかな?
西讃岐は香川が天霧城で十河(三好)に抵抗していたし。
ただ伊予に対しての十河(三好)の影響力は強そうだけど。

それにしても一存の実子である三好義継って何で松永久秀と手を組んだんでしょう?
一存と久秀って仲が悪いんじゃなかったん?


0611人間七七四年2008/02/01(金) 06:36:06ID:CwGtbHEI
>>610
三人衆が後見しているのが気に入らなかったから。

…13歳の子供に畿内・中国・四国に広がる版図を運営できるとは思わないけどなぁ。
有力な一門が差配するのは当然とは思うけど。
0612人間七七四年2008/02/01(金) 17:20:43ID:5HOndv9E
>>611
やっぱり長慶の実子じゃないから三好三人衆に軽んじられたんかな?
それでも松永久秀と手を結ぶっていうのは極端のような気がします。

何か利点があったのかな?


0613人間七七四年2008/02/01(金) 20:07:25ID:mTwZ3BZc
>>609
東伊予のうち新居郡は備中守護家が領していたが、断絶して守護代石川氏が台頭。
石川通清は三好氏から室を貰って関係良好?
野洲家の細川晴国は備中国浅口郡と伊予国宇摩郡を中心に温泉郡などに領し、
死後継いだ弟の細川輝政(通政)は旧備中守護家の国人衆に備中の居城を追われて河野氏を頼って伊予へ。
野洲家は戦国時代になってからは政国や尹賢、氏綱など京兆家よりも典厩家との関わりの方が深い。
晴国の子細川通薫は宇摩郡川之江の城主となり、天文末頃(1550年前後)には氏綱方と書状のやりとりをしたり
備中沿岸で起きた合戦に対し浅口衆に感状を出したりしている。
永禄二年には三好氏や石川氏、大西氏の圧力があったかどうか知らないが伊予を捨てて旧領備中浅口郡に迎え入れられた。
永禄末頃に篠原長房が備前児島に侵攻した時には織田・足利の細川藤賢から感状を受けていて、
当時既に毛利に属して三好氏に敵対していることが分かる。

ということで永禄初めに頃に石川氏を味方につけて、後楯の細川氏綱から実権を奪った(氏綱が淀城に
移されたのも永禄二年)隙に野州家を追い出して東伊予を版図としたのかなと想像。
0614人間七七四年2008/02/02(土) 06:14:36ID:55+sxnrz
>>612
軽んじられたというより、ただ単に義継が反抗期だったというだけかもしれない。
大方、久秀がそこにつけこんで、甘い言葉で誘ったんじゃないの?

久秀「某のところにおいで下されば、必ずや三人衆と篠原長房を攻め滅ぼして、
    殿の思う政ができるように致しましょう」

とか吹き込んでさ。
0615人間七七四年2008/02/16(土) 15:22:18ID:ASkxBpex
三好家に入るままでの義継の守り役は誰だろう?
0616人間七七四年2008/02/17(日) 01:28:11ID:3wAaESsA
十河一存?
0617人間七七四年2008/02/17(日) 01:40:29ID:APnAe3qk
普通に長逸だろ
0618人間七七四年2008/02/19(火) 17:31:07ID:Cz/al9RI
三好って火縄銃の使用は盛んだったの?
0619人間七七四年2008/02/20(水) 03:42:27ID:bD2IjyuZ
そりゃあ堺をおさえてたから早い段階から日本有数の鉄砲保有量だっただろう
根来や雑賀の影響から鉄砲の重要性はわかってただろうしね
0620人間七七四年2008/02/20(水) 06:06:27ID:6ccJPy8g
義賢が鉄砲で撃たれたのが討たれた原因の一つだから
案外忌避されてたかもなw
0621人間七七四年2008/02/21(木) 09:59:28ID:CdlCH4uy
>>619
>根来や雑賀の影響から鉄砲の重要性はわかってただろうしね

その反面…、
 @雨の日の鉄炮の使用は厳しいこと。
 A鉄炮の使用方法が難しいこと。
 B鉄炮が高価なこと。
ここらもわかっていたかと思います。

鉄炮も使用されていたかと思いますが、やはり弓が一番効果があるかな。


0622人間七七四年2008/02/21(木) 10:02:02ID:1AhdstWy
つーか、鉄砲が合戦を革命的に変えた、なんてのは空想に過ぎないからね。
良くも悪くも火縄銃の効果的な使用は、限定的な戦略に限られる。
0623人間七七四年2008/02/26(火) 22:23:01ID:iAg4l2sV
wikiの長治、なんであんなに有能なの?
06242008/03/07(金) 14:45:39ID:VBI7LliU
三好って、三好四兄弟、松永兄弟、篠原長房、三好三人衆。

人材豊富で、畿内、丹波、四国、淡路を制圧していたんだよな。
0625人間七七四年2008/03/07(金) 17:34:07ID:9qYBkU25
それ全然豊富じゃないだろw
06262008/03/07(金) 20:06:08ID:VBI7LliU
伊達より、優秀だろ?
0627人間七七四年2008/03/07(金) 20:42:43ID:2YOB+H5o
>>626
今度はここかww
0628人間七七四年2008/03/08(土) 05:44:46ID:riSFB6h2
>>624
斎藤基速や三好康長、元幕臣の伊勢貞孝も挙げてほすぃ〜。


0629人間七七四年2008/03/12(水) 05:23:01ID:SNlQfDSZ
なによりも一族一人一人が優秀だよね
0630人間七七四年2008/03/27(木) 15:21:35ID:Qvnmyz05
之長ー元長ー長慶と三代傑物が続いたところがすごいよ。
0631人間七七四年2008/03/29(土) 12:51:58ID:SEgswXe6
松永久秀さえいなければ必ず天下をとっていだろ
0632人間七七四年2008/03/30(日) 00:06:49ID:CVGrZ2V+
松永がいなくて勢力維持できたのか?
0633人間七七四年2008/03/31(月) 02:58:25ID:yABrENAY
>>631
畿内の既得権を解体できなかったから、無理。
0634人間七七四年2008/03/31(月) 04:55:01ID:VL4B3yy2
>>633
畿内の既得権って、何?
そんな物信長も解体なんぞしておらん。
0635人間七七四年2008/04/02(水) 08:17:46ID:8DwJmYRS
とりあえず三好4兄弟が60歳くらいまで生きたらかなり版図は拡げたと思う
0636人間七七四年2008/04/05(土) 04:31:58ID:t/ZBMsVX
もし長生きしたら六角を下し播磨伊予を領土化。北畠領に侵攻開始くらいまではいけただろうな
0637人間七七四年2008/04/06(日) 01:42:51ID:NT6jKt13
松永って長慶在命のときは大した事してないんじゃ?
0638人間七七四年2008/04/06(日) 02:04:40ID:M79IKrsC
>>636
六角家と畠山家が組んでいるから時間がかかりそう。
伊予は毛利家が介入するから無理っぽい。
南伊勢は織田信長の侵攻に対して果敢に籠城戦で対抗したからどかな?
それより大和を平定することが困難かと。

播磨だけは丹波を押さえ込むことができればいけるかも。
明智が丹波を平定してから羽柴も播磨を平定することができたしね。


0639泉 こなた2008/04/13(日) 10:05:01ID:WoMdbLql
黒崎恵に頼むべし
0640人間七七四年2008/04/13(日) 11:41:14ID:ilSOS5ax
>>637
たいした事してないどころか、山城・大和方面で八面六臂の活躍してる。
山城は特に対細川・六角の最前線で、勝軍山城の奪い合いがそりゃもう凄い事に。
当時久秀の指揮下にあった長逸のせがれが討ち死にしたのもここ。
0641人間七七四年2008/04/13(日) 12:23:38ID:Yq/quIqt
最初は久秀よりも、弟の長頼の方が重宝されたらしいが。
0642人間七七四年2008/04/13(日) 19:04:51ID:2/aIPGGy
長頼は三好香西に奪われた八木城を内藤の敗残兵て1日で奪還した男だからな
0643人間七七四年2008/04/14(月) 22:48:33ID:X5NHYMra
三好家の落日はいつから始まったんでしょう?
@足利義輝に京を明け渡したところから。
A六角家・畠山家の挟撃を受けたところから。
B三好長慶が逝ったところから。
C織田信長が足利義昭を奉じて上洛したところから。


0644人間七七四年2008/04/14(月) 23:24:56ID:6t/jnHoG
落日って言う意味では長慶の死が一番痛いが、決定打は三好三人衆と
松永久秀がやり合った大和上芝合戦からかな。結局内輪揉めの御蔭で
織田の付け入る隙が出来たからね。
0645人間七七四年2008/04/14(月) 23:59:28ID:X5NHYMra
やはり織田信長が登場するまで畿内の天下は三好家のモノか。


0646人間七七四年2008/04/15(火) 12:39:41ID:/ld9KOZh
てか、長慶が生きてる時から松永久秀の傀儡政権にされてたんだから

やはり織田信長が登場するまで畿内の天下は久秀のモノか。

これの方が正しいよね

0647人間七七四年2008/04/15(火) 14:41:08ID:q2+aGU4E
松永なんて長慶が死ぬ最後の二年くらいだろ。
0648人間七七四年2008/04/15(火) 14:50:50ID:lzZ/2lXl
その随分前からうつ病で、徐々に久秀と三人衆に実権は移ってたって説もある>長慶
0649人間七七四年2008/04/15(火) 15:08:53ID:/ld9KOZh
結局、自家すら統制できずに家臣に操られてる長慶は
武将としては失格だったんだろうね
2流かな
0650人間七七四年2008/04/15(火) 15:50:32ID:5UXLES0K
ID:/ld9KOZhは
「何故優秀な父親から愚かな息子が?」のスレでキチガイ扱いされてる奴だからスルー推奨

恐らくこいつは
「戦国名将二十選」のスレで長慶と尼子経久に粘着し続けてた奴だな
そいつは確かYというコテに論破されて自治スレに削除を求めてたなw
0651人間七七四年2008/04/15(火) 16:05:14ID:f4TVT3k8
長慶は親父の恨みを雪ぎ、畿内の実権を握ったんだから立派だよ
0652人間七七四年2008/04/15(火) 16:05:45ID:/ld9KOZh
自分がスルーできてないのに人には推奨ってw

正論言われて言い返せないと感情論で議論の矛先を変える

変な厨に粘着されてしまったw
0653人間七七四年2008/04/15(火) 16:35:51ID:5UXLES0K
じゃあ最低限のことだけは反論する

晩年には誰かしら禍根はあるもの
信長と道三は謀反で死んでるし、謙信は後継者を決めず死亡
信玄も後継者問題や同盟破棄の多い外交、秀吉も秀次や利休を殺したり朝鮮出兵での疲弊
元親に至っては久武にいいようにされ長慶と変わらない晩年だろ

別に長慶だけが非難されることではない
0654人間七七四年2008/04/15(火) 16:40:02ID:a3r4Ty20
あの頃の畿内で将軍や管領を相手にして戦ったのは立派でしょう。
そして賛否はあれど将軍義輝も取り込むことができたしね。

逆に信長は将軍義昭を取り込むことに失敗している。(結果それで良かったんですが〜)


0655人間七七四年2008/04/15(火) 17:50:04ID:l0E7IqPS
>>654
> (結果それで良かったんですが〜)

良くは無いでしょ。そのせいで統一事業は10年は遅れたし。
0656ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA 2008/04/15(火) 17:59:21ID:a3r4Ty20
>>655
織田信長が足利義昭を手中に収めていたら、
毛利家や上杉家は織田家に敵対しなかったかもしれないね。

でも敵対関係は時間の問題という気もするかな?
天皇だけ手中に収めているだけでも問題無い様な気がします。
どかな?


0657人間七七四年2008/04/15(火) 18:00:53ID:a3r4Ty20
>>656
コテでの辺レス、失礼。


0658人間七七四年2008/04/15(火) 18:54:53ID:l0E7IqPS
>>656
先に統一しちゃえば、目障りな勢力はいくらでも政権の名の下に取り潰せる訳で。

長慶は敵をつくらなすぎた感があるけど、信長は明らかに敵を作りすぎですわな。
0659人間七七四年2008/04/15(火) 19:16:14ID:a3r4Ty20
>>658
>先に統一しちゃえば、目障りな勢力はいくらでも政権の名の下に取り潰せる訳で。
先に統一してしまえば楽なんですが上杉家や毛利家が大人しく織田信長の軍門に下るかな?

>長慶は敵をつくらなすぎた感があるけど、
三好長慶の敵は木沢長政・三好政長・細川晴元(和睦したけど)で他の人たちは敵対しなければそれでいいって感じかな?
今川義元がやっていた周辺の国人たちを連合政権内に収めることができればそれでいいみたいな感じで。

>信長は明らかに敵を作りすぎですわな。
逆に織田信長は専制な政権を求めたから致し方が無いね。


0660人間七七四年2008/04/16(水) 00:42:18ID:zOWEIibs
>長慶は敵をつくらなすぎた感があるけど、信長は明らかに敵を作りすぎですわな
目的意識の違いってのがあるから、単純に比較して優劣は決められないかな。

長慶の場合は父の仇と三好一族の復権。その過程で将軍と敵対することにもなって、
さらに将軍が京を放棄したのでやむを得ず後始末のために統治に手をつけることに。
その必要で政権を樹立することになった。

信長の場合は最初から足利幕府に代わって政権を樹立する気で上洛したからな。
0661人間七七四年2008/04/16(水) 01:02:58ID:DtKFf5+5
>>660
> 信長の場合は最初から足利幕府に代わって政権を樹立する気で上洛

それはどうかな?
結果足利幕府を潰すことになったけど、信長が最初からそう目論んでいたとはとても思えない。
そう考えるには信長の上洛後の行動は不合理に過ぎる。

信長が足利幕府を滅ぼすことにしたのは、自分では将軍をどうにもコントロールできなくなったと判断した時点から、
と考えた方が自然だよ。
0662人間七七四年2008/04/16(水) 02:02:39ID:OoFvG3ne
>>661
最初からコントロールする姿勢を見せてないんだよねぇ……
管領を蹴った件からも、自分を幕政の枠外に置く態度が目立つし。

その点、あくまで幕臣たらんとする態度を貫いた長慶については、
司馬が「街道を行く」で書いてる様に「天下に対する野暮な野心がなかった」んだろう。
0663人間七七四年2008/04/16(水) 02:13:42ID:DtKFf5+5
>>662
信長は上洛後しばらくはむしろ、幕権の強化を図ってるよ。強化しちゃったが故にあとあと面倒なことになっちゃった訳で。
0664人間七七四年2008/04/16(水) 08:16:01ID:mQMJ33JJ
管領よりも、要所の代官を置く権利欲しかったらしい
0665人間七七四年2008/04/16(水) 10:20:27ID:zOWEIibs
ある程度の幕府機構の建て直しはしたが、同時に将軍権力の抑制および、将軍権威を
上回る朝廷をそうそうに接触・取り込みを開始している。

信長が最初から幕府を滅ぼす気だったかどうかは不明だが、上洛の時点で、幕府将軍も
自分の下に置こうとする動きははっきりとあった。なにしろ将軍単独の指令を取り消し、
自分の署名を義務付けさせているんだから。

これが平和裏に進んでいたら、豊臣政権下における将軍義昭のような存在になっただろうね。
まあこの頃の将軍は信長との抗争の結果、ほぼ全ての実権を失って庇護を頼る以外に何も
できなくなっていた存在に落ちていたからだが。
0666人間七七四年2008/04/16(水) 21:33:53ID:tGSoyrvm
たしか、准三宮の地位にあって、一万石くらいをもらってたんだよね。
豊臣政権下で准三宮もらってたのってほかにいたっけ?
0667人間七七四年2008/04/16(水) 22:31:05ID:R9ebv2qb
ある意味、三好長慶の死は足利義輝にとって不運だったと思います。
畠山家は教興寺合戦で高屋城から追い落とされていたことや、
六角家は観音寺騒動で威信に陰りが生じていたことも不運ですね。


0668人間七七四年2008/04/17(木) 09:53:40ID:nylIDsBf
>>667
しかしそれら守護代・守護大名の没落こそは、
近視眼的な公方様にとっては念願かなったりだったわけで。
おめでとう、といわざるを得ない。

話は変わるけど、菊池寛の「かたち」の主人公、松山新介の侍大将中村新兵衛って
永禄九年に松山安芸守や松山彦十郎と一緒に松永久秀方から三好三人衆方に
寝返った中村新兵衛高次と同一人物なのかな?
そもそも菊池寛の中村が実在の人物かどうかが怪しい訳だが。

しかし松山一族も新介、新太郎、安芸守、彦十郎と色々いて分かりにくい。
三好の重臣なのに記録も少ないし……
0669人間七七四年2008/04/17(木) 21:16:43ID:PS5cGCh7
>>667
>おめでとう、といわざるを得ない。
それは激しく同意。
悲劇でもあり喜劇でもあり。


0670人間七七四年2008/04/29(火) 10:42:58ID:50NQrZ3z
そういや、摂津の合戦で名前がよく出てくる三好弓助と、山城方面で名前を見掛ける三好久助って同一人物?
0671人間七七四年2008/05/06(火) 07:01:01ID:f9WT/hQE
久助は長逸の息子だったような
0672人間七七四年2008/05/08(木) 22:29:35ID:2brGudBm
義輝時代の三好は、畠山や朝倉、本願寺などの、
周辺勢力との関係は外面も内面も良好だったのでしょうか?
0673人間七七四年2008/05/08(木) 22:30:16ID:qAblqftm
>>672
自分で調べろよ
0674人間七七四年2008/05/09(金) 15:32:11ID:1IZ+1Duh
>>672
義輝時代って、足利将軍家の代で区切って三好氏の政策論じても意味なかろ。
長慶の一元支配時代と義継、三人衆、久秀、長治&長房、存保の分断支配時代で施策は結構違うんだし。

とりあえず、全讃史って書籍に今当たってるんだけど、讃岐の摂津に勝るとも劣らぬカオスっぷりと
長治のクズっぷりに偏頭痛を感じざるを得ない。
0675人間七七四年2008/05/10(土) 00:35:41ID:wTwkvCWc
>>674
全讃史面白いっしょ
確かにカオスだけどw
0676人間七七四年2008/05/14(水) 02:00:41ID:nBUz4McI
三好家
0677人間七七四年2008/05/26(月) 14:35:22ID:LA+WFh8L
義輝の帰洛の位置づけってどうなんだろ。

今谷氏や山田氏など多くの研究者は三好氏側の敗北というか、後退という
位置づけだったが、最近では天野忠幸氏の「三好政権と将軍・天皇」論文の
ような見解もあるわけで
0678人間七七四年2008/05/27(火) 01:44:42ID:b7ole31O
最近の見解の内容教えて
0679人間七七四年2008/05/29(木) 21:49:29ID:DMN9XU2M
wikiの香川之景の項に1563年に三好実休が讃岐に攻め込んだとあるんだけど
実休さんは1562年に死んでなかったっけ?

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D%E4%B9%8B%E6%99%AF
0680人間七七四年2008/05/29(木) 23:35:09ID:3ZoJugyM
山陰のあたりにやたらと岩成姓が多いんだけど何でか知ってる人いない?
0681人間七七四年2008/05/30(金) 11:00:54ID:kGzk4vk1
>>680
山陰の人間だけどそんな名前の人間に会った事もない。
0682人間七七四年2008/05/30(金) 20:56:43ID:wlhzIuzr
>>680
京都府北部の旧丹後・丹波から山口県北部の石見まで何キロあると思ってやがるw
山陰のどこかぐらい書けよw
「山陰」は島根と鳥取だけの地域名じゃねーんだぞw

一応ネットで簡単に検索してみたが、
明治時代初期に活躍した相撲取の荒岩(二代目。大関)の本名が岩成市次郎らしいので、
該当地域が鳥取県や八頭町ならその一族かもしれん。
0683人間七七四年2008/05/31(土) 04:02:37ID:0OEcjsE+
あまり書きたくないが、私も岩成姓でありふれた苗字ではないので結構気にしてるんだが、
中国地方の人に、米子出身?とか聞かれたりすることがあり、
鳥取の駅に岩成って店があったりするので、ちょっと聞いてみました。
0684人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/04(水) 03:34:37ID:cH2mRzDX
江戸初期に行われたという三好狩りとは具体的にどのようなものだったのでしょうか?
調べてもよくわからないので教えてください
0685人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/04(水) 04:15:09ID:fS5d1Ftf
>>684
明石(掃部)狩り、の間違いでは?
0686人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/04(水) 06:46:50ID:9NDjmgko
>>685
多分、讃岐の生駒と阿波の蜂須賀が推し進めた三好残党の抑圧政策だと思うぞ。
生駒の十河千松丸殺しとか、蜂須賀の平島公方弾圧なんかが一例じゃないか。
何か、四国に入封した織田豊臣系大名って残虐性が際立つ奴が多い。
0687人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/04(水) 18:16:43ID:cH2mRzDX
ありがとうございます。江戸初期には三好政勝や康長系の三好一族はどこに所領をもらってたのだろう。
やはり畿内ですか?
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