【畿内】三好氏総合スレ【四国】
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 20:08:42ID:92tE0V9x0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 21:35:33ID:igXsOXiU家臣が優秀な織田氏と比較すると面白いかも。
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 21:46:15ID:UaExLThu織田との違いはやっぱり一族に依存しすぎたところかな?
とはいえ松永兄弟は例外だが。
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 23:59:56ID:rV911KYu久秀が信長に寝返りそうだけど。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 05:49:19ID:NAAUrJLu>四兄弟
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sn-dos/sengoku/miyoshi.htm
そんな事よりこの系図を見てくれ。こいつを見てどう思う?
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 13:55:54ID:LyeYeghP勝長は初耳。
日本史板の三好スレにも同じのがあったな。
0008公孫参
2006/07/05(水) 14:16:35ID:wMvsEqxL長之
┏┻━━┳━━━━━━━━━━┓
之長 長尚 勝時
┣━━━┳━━━┳━━━┓ ┣━━━┓
長秀 長光 長則 元長 勝長 政長
┣━━━┓ ┃ ┃ ┣━━━┓
一秀 康長 長逸 ┃ 政康 政勝
┃ ┣━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━┓
康俊 長慶 義賢 冬康 一存 冬長
┃ ┣━━━┓ ┣━━━┓ ┣━━━┓
義興 長治 存保 信康 清康 義継 存之
ずれる?
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 15:34:00ID:CSLkbK7k0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 16:06:32ID:YFmhXByb義興が生まれたときの長慶の年齢と義興が死んだ年齢は非常に近い。
義興がいつ結婚したのにもよるけど
長慶は戦国武将としては結婚が遅かったはずだし
義興に子供がいてもおかしくないんじゃない?
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 10:33:00ID:rlqL08ED0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 13:17:43ID:HPo1UOz50013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 15:35:27ID:KojK1AQ9長慶の叔父康長かな、比較的残っているのは
この人秀次を養子にしてるが、晩年どうなったか不明
一方、十河存保の方は子の存英が流浪の後、大坂の陣でさよなら
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 16:43:32ID:CYJIaV5e政勝の流れは徳川幕府下で旗本として残ってる
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 16:49:21ID:KojK1AQ9政勝→河内国讃良・河内・錦部のうち二千二十石ですね
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 20:21:01ID:55S2EG9B0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 20:39:02ID:i6k72dFq0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 20:55:47ID:JLSuW/Ckどういう人物かはよくわからんな。
政勝以降の旗本三好って、同じく旗本の真田や小笠原との婚姻関係があったりして
系図を見ていて意外に面白い。
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 21:22:01ID:i6k72dFq父長房ー祖父長直まではわかったけど
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 00:57:36ID:wTnXiHq0三好房一の家系は、三好康長の家臣。
三好康長とともに織田家に降り、三好康長−三好秀次(豊臣秀次)と代替わりして
秀次が切腹・廃絶になった後、秀吉の直臣旗本となった。
その後、家康の関ヶ原直前の東下に随伴し、家康の時代も引き続き旗本として
存続した。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 15:31:36ID:4/7hER/w0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 12:25:09ID:WClm7kOt0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 14:46:47ID:R4OwXzPq本当に実休さんの子かと疑いたくなるくらいにね。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 14:27:49ID:G26lHRGI伊達や北条と同クラスでも何ら不思議はなさそうだが。
そのうち「何故三好長慶は人気がないのか?」
ってスレが立ちそう。
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 13:11:59ID:PO1TbmLd0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 13:17:20ID:PO1TbmLd@三好長慶って誰?
三好元長の嫡男。1522年生まれ。政治や連歌に秀でたことで知られます。
父の戦死により、10歳で家督を相続。11歳の時合戦の調停をしたのが、最初の業績です。
1539年、幕府御料所河内17ヶ所を要求して許されず、晴元打倒の兵を挙げた。
その後、摂津国江口に政長を敗死させて晴元政権を倒し、将軍父子を追放して畿内を制して入京する。
1551年、幕臣の進士賢光によって、重傷を負わされるという長慶暗殺未遂事件が発生。
賢光はその場で切腹した。
その後六角義賢の調停で義輝と和睦が成立し、長慶は御供衆となり、晴元が
出家し、細川の家督は氏綱が継ぎ、将軍が入京する。
しかし再び不和となり、洛中の霊山城で義輝・晴元と戦って勝ち、更に摂津国
芥川城を陥して本拠とし、独自に畿内を支配する体制(三好政権)を築いた。
後版図を拡大し,山城・摂津・丹波・和泉・淡路・阿波・讃岐及び播磨・伊予
の一部を細川氏綱・松永久秀・同長頼・三好義賢(実休)・同(安宅)冬康・十河
一存ら一族諸将を配して治めた。
1558年に義輝と交戦し、やがて講和して京都を明け渡した。
しかしその後、弟義賢の戦死、十河一存の病死、嫡男三好義興の病死と不幸が
相次ぐ。また松永久秀の讒言によって弟安宅冬康を殺してしまう。
そして、自身も43歳の若さで病死する。(毒殺説あり)
@長慶が死んでから三好家はどうなったの?
長慶の甥で養子になっていた、三好義継が13歳で家督を相続。
しかし、三好三人衆と松永久秀の対立や信長の侵攻により
1570年、三好宗家は滅亡。阿波に三好長治がいましたが、細川真之によって
殺害されました。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 15:27:41ID:WyUk/f9Y0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 15:57:29ID:z438m1Hw長慶が急に出てきたわけではない
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:20:41ID:M/YBLGth意味がわからない。
長慶は実質0からのスタートだろ。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:29:45ID:BKDfU8Q/親父殿あぼん+所領もあぼんしているんですが。
若かりし頃の長逸の懐に抱かれながら、幼い長慶兄弟は
阿波へ落ちたんだろうなあ。
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:33:17ID:hsZNh6SG守護の持隆は三好に友好的
ゼロだはないよ
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:34:06ID:hsZNh6SG0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:37:17ID:BKDfU8Q/-10の何乗しなきゃいけないか・・・。
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 23:35:02ID:1yMZVDZhゼロといっても過言じゃないでしょ。
一部の例外を除いて、ある程度の所領がないと戦国大名にはなれないし。
それに長慶がゼロじゃないなら北条や島津はかなりの数になる。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 23:46:34ID:qsRzjOSv最後がかっこ悪いからじゃね?
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 00:11:32ID:+ZxY1ukOつ 猿
つ 蝙蝠
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 06:58:11ID:MO4zOeQs宗鱗も後期は悲惨だよな
つか、部下可哀想
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 07:46:36ID:zz/hk+P5同情できない。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 09:15:01ID:OfKWSoQ1例
武田義信・・・切腹or病死or暗殺
織田信忠・・・謀反であぼーん
松平信康・・・信長に切腹させられる
三好義興・・・病死or暗殺
毛利隆元・・・暗殺
長宗我部信親・・・戦死
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 13:46:32ID:1IuIePTA大内義尊なんか7歳だし。
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 22:04:51ID:XdbwuBLC0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 22:49:55ID:MO4zOeQsとっとと早死すれば氏直も和平できたのに
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 22:50:46ID:cUtMapZ/0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 23:02:59ID:tfebXS4kおおながよしよ、しんでしまうとはなさけない
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 23:09:34ID:8+AJrjAH武田義信だって、長生きして家督を継いでいたら、武田滅亡の原因になっていそう。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 01:19:26ID:poPNuWlfあ、これは個人情報晒しじゃないからな。
あくまで川又本人がネット上で公開した情報だから。
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 09:13:04ID:+lxfpRas公開されている情報でも、本人の同意が無いうえに、明らかにその個人に害意を
もって書き込んでいるので、民事で訴えられればキミ負けるよ?
削除申請はやく出したほうがいいよ。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 09:58:29ID:H9TsVIBp0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 17:11:17ID:E9KPFHiBあんた川又?
本当に自分が被害者だと思ってるなら訴えでもするといいよ。
あれだけ周囲に迷惑かけて叩かれたのに、まだ自分は悪くないなんて思ってるのか?
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 17:20:54ID:a0oePZNo加えて、阿波からの木材や藍の産出、鳴門海峡〜紀淡海峡の掌握もあげられる
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 00:09:27ID:i7zBlcn90053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 02:02:26ID:S1rrXONC戦国無双に出てこないので分かりません。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 10:15:24ID:ETosxN5M合戦やらせりゃ美濃三人衆
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 11:04:15ID:nkJHHXezのちの真田十勇士が入ってるじゃん。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 11:13:57ID:iYtDYcGt0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 15:39:39ID:AHjEoA4W早々に敗れるし、二度と浮かび上がらなかったけどね
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 18:39:30ID:TyfDpMFq0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 18:50:41ID:+3k1xuuu0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 19:03:51ID:TyfDpMFq美濃三人衆の事を言ったんだけど・・・。
日本語がおかしかったかな?
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 20:28:42ID:InkKLUVq0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 21:21:38ID:oTvoiVxO0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/13(木) 23:15:14ID:ETosxN5M0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 02:31:01ID:3oksyIlb比べるのが変。
>>63
安藤伊賀は信玄に内通して追放、最後は明智光秀に呼応してほかの二人に
殺された。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 17:17:37ID:B2VjxR1O葦名四天とかと同じで、語呂が言いだけでしょ
比較しようがないと思うよ
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 19:14:28ID:UxGhIFdY0067奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/14(金) 21:34:36ID:RUILMdTW0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 01:35:11ID:JrGAmHg1安藤伊賀がほかの二人に殺されたって、
氏家ト全はとっくに死んでるだろ。
0069あぼーん
NGNG0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/16(日) 20:26:58ID:co23lyOZでいいよな?
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 03:10:30ID:th8t3KkK篠原が上洛した話は聞いたことあるけど合戦の話は聞かないなあー強いの?
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 12:02:22ID:IPPJeD+l阿波から二万の大軍を率いて堺に上陸して、
久秀をびびらせたという話ならあるけど。
まあ、文官だから武功の話は少ないと思うよ。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 13:57:21ID:aqaZob6i長房が悪評強いなら戦国武将は全員悪評じゃないか?
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 19:08:55ID:IPPJeD+l正直、酷い話だと思った。
四国で行政に励み、長慶の死後久秀の専横が目立つと、これを抑えるために渡海して、
暴政を敷く長治を何度も諌めて、最後には讒言で殺された悲運と忠義一筋の武将なのに、
そりゃネーヨ。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 19:24:34ID:N+qCds66それが正しいのかどうかは知らんが「悪評が強い」のは別におかしくないと思うが?
世間的に悪い評価が多い、て話であって小早川秀秋が本当に裏切ったかどうかは
別としても嫌われてるのと同じような話だろ?
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 22:17:40ID:o3wCFCAj0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 14:59:00ID:m7hwnA5lとも聞くし長房は真面目な武将というイメージしか浮かばない
話は変わるが三好家自体は一般的には悪評が強いけど
よく考えれば父親の仇討ちをしたに過ぎない
俺から見れば足利義輝と細川晴元のが悪評イメージは遥かに上だなぁ
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 15:05:29ID:Fio7aWUO義輝は仇じゃないけど
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 15:22:16ID:Dgq/g/e+弟の義昭なんかあんなに悪評が強いのに義輝ときたら剣豪将軍のイメージで
どう考えても一般的には悪評があるとは思えない
長慶暗殺未遂や遊佐長教暗殺の黒幕とも言われてるのに
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 18:29:43ID:NsoVhrwMダークなイメージの武将が好きな人間としては、
義輝はむしろ過小評価だと言いたくなる。
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 18:58:57ID:AMSzkDOb義尚〜義栄までの全ての将軍は
「哀れちゃん」のイメージが一般的は気がする
義輝も例外でないと
義政は自業自得
義昭は最後だからなんとも言えないが
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 21:17:29ID:mNqdw0Hvずいぶん勝手な言い草だな。仇とっただけならなんで政権を握り続けたんだ?
将軍にでも返せばいいじゃん。まさか将軍に政権担当能力がないなんて言わないよね?
そんな言い訳は通じないよ。
下克上しといてきれい事も何もないじゃん。豊臣家を潰した家康みたいに
堂々としていればいいんだよ。誰にも遠慮する必要はない。
実力で晴元も義輝も越えたのだから評判なんて気にするのは野暮だろう。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 21:31:52ID:GBXflpo6義輝は長慶と晴元が争ったときに晴元についたわけだが。
そんな奴に簡単に政権を返したらその後どうなるかどうなるかは予想つくと思うが。
実際晴元が出家した後は京都を幕府に返したわけだし、
晴元に見切りをつけるのが遅すぎた義輝も義輝だろ。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 02:53:09ID:nciTWlog2万5千の兵を無難に統率してるし才能はあると思う。
下のサイトに詳しく乗ってる。
ttp://www.ikedaya.com/ikedatown/katsutime/1566.html
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 03:13:51ID:vFJ7Dkzw長慶政権が終わったことにしてる研究者には
今谷明さんがいるけど今谷さんは
>>79の
> 長慶暗殺未遂や遊佐長教暗殺の黒幕とも言われてるのに
についても黒断定
というか京都の返還は三好氏の通史では基本事項だと思った
まあ>>77の「仇討ちをしたに過ぎない」はちょっとどうかと思うけど
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 07:33:18ID:5PXBQga5畿内の権力抗争を終わらせて、二度と自分と同じ思いをする人が
出ないようにするためだったんだよ。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 19:50:31ID:k7DS/+950088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 20:41:56ID:629u2Lycそれだけ晴元が見込みがあったって事か、もしくは三好では晴元以上に
ないがしろにすると思ったんだろう。ちょっと三好の都合のいいように
考えすぎじゃない?
>>86
それでも途中で挫折して余計混迷した状況を残してくれた訳だが。
>>87
それは。殺さなくても監禁とか出来ただろう。10年以上も野放し
にするから義輝が頼りにしてしまうことになってしまう。
下克上しといて、そんな情けをかけられた晴元も嫌だろう。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 21:27:47ID:riYn/gWW>ちょっと三好の都合のいいように考えすぎじゃない?
君もちょっと足利の都合のいいように考えすぎじゃない?
>それでも途中で挫折して余計混迷した状況を残してくれた訳だが。
それは長慶死後の話で三人衆と松永久秀がしたこと。
>10年以上も野放しにするから義輝が頼りにしてしまうことになってしまう。
逆に言えば義輝が晴元の身柄を長慶に渡せば
もっと早く京都に戻れたかも知れないんじゃないのかな。
元々の長慶の目的を考えれば義輝の自業自得。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 22:08:33ID:5PXBQga5>三人衆と松永久秀がしたこと
いや、久秀だけだと思う。
義継は13歳くらいだったから、三人衆と長房が後見していたのに、
久秀が色々吹き込んで義継唆して、自分の所に転がり込ませて、権力抗争やって、
家中と畿内を乱した責任は大きいと思うよ。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 22:52:31ID:k7DS/+950092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 02:04:28ID:cioMOoD/長慶が政権返したことさえ知らない程度の知識で
うだうだ言ったって意味がないよ
> 10年以上も野放しにするから
なんてのはまたわけがわからない
いつからいつの話なの
天文22年に義輝が長慶と手切れになったのは
晴元が義輝の奉公衆を取り込んだからで
義輝自身の意思は長慶との和睦
それまで義輝は長慶と結んで晴元と戦っている
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 16:01:22ID:9OYjOJEo永禄四年(1561)の晴元、長慶和解までのこと言っているんじゃ?
野放しかどうかは別としてね
それから義輝を長慶が迎えるのは、天文二十一年(1552)正月、
仲違いは翌年七月、この間わずか一年半だよ
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 16:52:23ID:YnwwzlYu極悪人以外の何者でもないと思うが。
世間での扱いは完璧に過大だけど。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 20:55:45ID:zx2CsIWQ>君もちょっと足利の都合のいいように考えすぎじゃない?
その言葉、そのままそっくりお返ししよう。
>それは長慶死後の話で三人衆と松永久秀がしたこと。
途中で死ねば全部後の連中に押し付けれるのは本当に楽だろうな。
長慶に少しも責任がないと思ってるのか?
>逆に言えば義輝が晴元の身柄を長慶に渡せば
>もっと早く京都に戻れたかも知れないんじゃないのかな。
>元々の長慶の目的を考えれば義輝の自業自得。
それだけ晴元が頼りになるって思ってたんじゃない?そしてそれが晴元
の延命に繋がった。将軍より、そう思わせた晴元を褒めるべきだね。
結局晴元は負けたわけだけど、だからと言って三好のさっさと降伏すべき
だったというのは結果論にすぎる。
>>92
知ってるよ。でもその後畿内を将軍家が支配したか?違うよね。依然細川氏綱は
傀儡で、三好が実力者であることに変わりない。たとえ室町幕府が復活して
前ほどの勢いはなくてもね。
>天文22年に義輝が長慶と手切れになったのは
>晴元が義輝の奉公衆を取り込んだからで
>義輝自身の意思は長慶との和睦
>それまで義輝は長慶と結んで晴元と戦っている
和睦していたのは少しの間だし、1558年に和睦するまで三好とは
争い続けているところをみると、基本的には反三好路線をとっていた
のは義輝の意思だろう。まさか弱体化する晴元のことを恐れていた
わけでもないだろうし。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 22:02:17ID:1wzkKzN+0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 22:19:08ID:Gsn9+W/b>途中で死ねば全部後の連中に押し付けれるのは本当に楽だろうな。
途中も何もあんたの言う混迷とかいうのは足利義輝の暗殺がきっかけ。
責任と言える責任は松永久秀の重用くらいしかない。
>それだけ晴元が頼りになるって思ってたんじゃない?
だからそれが自業自得なのw
>その後畿内を将軍家が支配したか?
そんなお人よし大名何処にいるんだ?
山城を返してもらっただけでも十分甘すぎる処置。
>基本的には反三好路線をとっていたのは義輝の意思だろう。
これは同意。
足利義輝が如何に剣だけの人物というのが伺えるw
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 22:44:55ID:HsmBNOtE>途中も何もあんたの言う混迷とかいうのは足利義輝の暗殺がきっかけ。
>責任と言える責任は松永久秀の重用くらいしかない。
あと、弟を殺した事も、政治にやる気をなくしたことも十分な責任だな。
>だからそれが自業自得なのw
どうして?晴元を頼ることがそんなに愚かとは思えない。三好に降伏すれば
いつでも山城一国もらえたわけではないだろう。
>そんなお人よし大名何処にいるんだ?
>山城を返してもらっただけでも十分甘すぎる処置。
だからこそ、そんな中途半端なことをするべきではなかったのだろう?
>これは同意。
>足利義輝が如何に剣だけの人物というのが伺えるw
だからこそ晴元と組む必要があったのだろう。ただ和睦後は六角・畠山の
影に義輝がいたという話もあるし、そういう点は剣だけではないとも言える。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 00:38:44ID:1mVb2HjS0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 03:33:37ID:pbqqr8sB足利厨の必死さには呆れるね。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 04:37:57ID:InGM8CVa三好家・幕府での専横→家内のことを差配するのは家宰として当然の仕事。
幕府内での仕事にしても伊勢貞孝らとの協力してのこと。専横などは行っていない。
そもそも君主・長慶が仕事しないからその分久秀にしわ寄せがきた訳で。
義興の暗殺→病魔調伏の願文か何かが残っていたはず。病死が有力。
一存の暗殺→病死が有力。そもそも暗殺ならば久秀が「馬での通行は危険」と忠告したという逸話自体出るか?
そもそもこの2人が仮に暗殺されたとして、最も疑わしきは対立陣営かつ前科持ちの足利義輝では。
冬康の讒言→「謀反の疑いで誅殺」とされる割に子の信康には何の処分らしい処分もなく、不自然。
また長慶が勝手に疑った可能性、本当に謀反を企てていた可能性、他の誰かの讒言の可能性等も。
義輝の暗殺→義輝・三人衆まで参加している以上久秀の悪行というよりは三好家全体での行動。
というか久秀は実行に加わっていないはず。
東大寺大仏殿焼き払い→完全な濡れ衣。当時の記録に「三人衆の軍による失火」とある。
その「失火」も実は三人衆の軍にいたキリシタンによる放火であることが宣教師の日記に書かれている。
信長から謀反→当時の織田と三好の関係にもよるが、対等であったならばそもそも「謀反」という言葉を
使うこと自体がおかしい。義昭と信長の関係悪化から手切れになっただけのこと。
主従関係があったとしても、金ヶ崎の撤退戦にて退路を確保した大功に対し何ら恩賞を出さなかった
信長にこそ非があるとも言える。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 07:34:11ID:09mkZY/X長慶公がニートとは片腹痛い。
>義輝の暗殺
息子の久通が参加しているから、何もタッチしていない訳ではないはず。
>冬康の讒言
病気で判断能力無くしている時に言ったから。
後で後悔している。
>義興の暗殺
それは義興のためじゃなくて、義興が長慶のために書いたやつでは?
嫁と一緒に東大寺へ長慶の病の平伏を祈りに行ったと言う話を聞いた事が
あるけど。
>一存の暗殺
一存は日頃から久秀と対立して嫌い抜いていた。
自分の話を聞かないのを見越してわざとこけるようにしたのでは?
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 13:22:54ID:2ZFF2Zar俺は之長が好きなんだけど
ハケシカリシ 嵐ノ風ハ音絶エテ 今ヲサカリノ ミヨシノノ花
花サカリ 今ハ三好ト思ウトモ ハテハ嵐ノ 風ヤ散ラサン
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 14:15:36ID:OrN2lG0b弁護も何もないと思うが。
>>103
俺も結構好きだよ。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 12:52:12ID:+Wlq7/4O何がコーエー史観だ。煽り文句は他にないのか?
>>100
いやいや三好厨の必死さには負けるよ。お互い頑張ろうぜ!
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 13:15:37ID:Z+9AU5M90107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 13:29:14ID:upCB+EWw0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 14:50:33ID:7dJAmzae0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 16:05:43ID:6kMPh/Feもう来なくていいよ。
それともわざわざ話題を吹き返すってことは反論してほしいのかい?
長いだけで内容のない文は見るだけで疲れるし俺としては早く消えてほしいんだけど。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 17:04:54ID:7YIJzkmm0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 19:27:12ID:ikkBdOn1いや、消えるのはお前のほうだろ。俺も疲れるから。
長いだけで内容がないのはお前のほうだけど。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 19:34:04ID:PwaVOaf+いや、
お前に賛成してた奴なんていないんだけどw
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 19:41:43ID:ikkBdOn1別に人の賛成なんかいらないだろ?賛意が得られないとスレにいては
いけないのか?
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 19:43:27ID:PwaVOaf+そもそも足利マンセーしたいなら専用スレにいけよ。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 19:49:18ID:ikkBdOn10116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 19:54:35ID:PwaVOaf+そこまで言うなら百歩譲ってそういうことにしてやる。
だからもう来るなよ。
電波が常にいてスレの流れが活発なのよりは、電波がいない過疎スレのほうがいいしさ。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 19:57:17ID:ikkBdOn1来るなという根拠が薄弱すぎるな。電波なのはお前のほうだと思うが。
それとも人の意見は聞きたくないのか?
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 20:05:15ID:PwaVOaf+言うのは勝手だがあまりにしつこい。
一度その話題が切れてるのにわざわざ君が蒸し返してきたんだろ。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 20:06:24ID:ikkBdOn10120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 20:23:49ID:ftXHfBSQ三好ファンなら、長慶や冬康の温厚さを見習おうよ。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 20:48:15ID:/6nUHP050122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 22:23:18ID:Z+9AU5M9こいつ必死だな
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 00:03:59ID:nDra/8oQ義輝暗殺は三好家主導。松永氏の当主久通はそれに従っただけ。
0124奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/23(日) 00:35:34ID:A3lZEOAM0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 00:45:42ID:nDra/8oQ憎んでるようで、そういう意味では長治かも。
「此上は三好一家中として代を乱し(将軍を替えて)、尊公を
一度天下に居(据え)、御会稽をあらはし(恨みを晴らし)」
と書かれてる。
0126奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/23(日) 00:49:24ID:A3lZEOAM0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 01:03:52ID:nDra/8oQ「永禄六癸亥年秋、三好日向守周防国へ下て義冬へ申けるは、
(中略)
さて高政・喜三両陣は将軍の御はからいにて御座候、実休儀は
尤悪逆の者にて候間、御にくしみ有も理にて候、別儀もなき
我々を御にくしみ有事以外候、然上は我々行末とても不可然候、
彼是時節到来仕候、此上は三好一家中として代を乱し、尊公を
一度天下に居、御会稽をあらはし、我々一家も身安穏置申度候、
(中略)
実休男長治阿波国ニ居候へば、曾て幼少ニ御座候、其上父実休も
尊公御事は粗略にも不奉存候、又彦次郎も今将軍を親の敵と存
候故、尊公へ少も別儀は無之儀ニ候、早や思召立候得と、其為
一家中より某御迎ニ下レ候と、色々理をつくして申ける故、義冬
満足有之・・・」
以上。事実かどうかはさておき、理由は一応納得できる。
ただ、今谷明氏の「戦国三好一族」ではこれに触れられて
ないんだよね・・・
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 01:00:17ID:Xbjx6pNE好き好き好き好き好き好き 実休さん
とんちはあざやかだよ 一級品
度胸は満点だよ 一級品
いたずらきびしく 一級品!
だけど、イクサはからっきしだよ 三級品!
あ〜!あ〜! 南無三だぁ〜!(鉄砲ズド〜ン)
とんちんかんちん とんちんかんちん
気にしない 気にしない 気にしない
望みは高く果てしなくわからんちんども とっちめちん
とんちんかんちん 実休さん
好き好き好き好き好き好き 愛してる
好き好き好き好き好き好き 実休さん 実休さん!
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 01:46:47ID:rY2+reTYまぁ歌ってみたいだけなんだろうけど、
義賢は戦下手かなぁ?
確かに死に様は迂闊な感じではあるけど。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 15:15:08ID:250M6HAG0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 20:49:34ID:neQC4mhJじっきゅう〜さん 第一話
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150384043/
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 16:13:01ID:CYl+4rJu0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 18:50:49ID:iM4GB2f1長宗我部と島津はしばらくないだろうね。
となると次の戦国関連の大河は三好と北条の一騎打ちかな?
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 21:12:24ID:fEmFvtnV三好三代がいいな
之長 元長 長慶
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 23:44:50ID:02vHpTPJhttp://www.topics.or.jp/News/news2006072904.html
>「守護町勝瑞遺跡」として遺構を生かした公園整備を計画
これは観光史跡になるということなのかね?
だとしたら三好関連の史跡は少ないし嬉しいね。
0136PcSmAP03
2006/08/03(木) 01:08:23ID:djGRg9l+畿内での勢力が凄かったんで。
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 07:06:22ID:d1ek7Oy2四国を取っても経済的なメリットは無いけど、
畿内にはそれがありますからな。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 14:50:56ID:ZZeon/Lu畿内は堺からの収入が主でしょ
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/06(日) 19:39:47ID:GQhiWH7c0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/06(日) 22:22:28ID:shHcycK5兄貴は大物だよ 一級品
弟冬康だよ 一級品
末弟一存 一級品!
だけど息子は長治だよ三級品!
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/06(日) 23:09:51ID:oN3YS5BS若干スレ違いだけど。
戦国期の武将で、関が原以降に大名として残った
四国出身者ってなぜかほとんどいないのだよね。
阿波、讃岐の細川、三好系もいないし、
土佐の長宗我部、一条系もいない。
伊予の河野、西園寺ともに消えて唯一、来島→久留島家が
残っただけかな?
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 01:02:19ID:3NBb8+yN生駒某の陰謀
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 06:42:49ID:xHPtcr8D生駒と蜂須賀は三好狩りまでやったからなあ。
何か恨みでもあったのだろうか・・・。
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 15:07:39ID:FggHl6Cy千松丸は哀れ
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 14:58:57ID:GlL63NCG改易されたのが生駒の所為だというのを知らないからなんだろうな。
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 17:47:20ID:HkMZLUTr存保は戸次川で仙石の指揮を支持していることになっているからね。
信親の仇みたいに思われているフシもあるんだろうな。
三好側の軍記だと存保も元親と一緒に反対している事になっているのだけど。
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 21:17:57ID:Gcf/5DBw存保が死んですぐ改易ってことはやっぱり
>>146みたいなのが秀吉の耳に入った
のかも・・
そんで生駒が旧三好勢が家再興を考え出すと面倒だから千松丸を暗殺
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 22:10:37ID:Zwt4HBZkどれがどこまで事実なのやら…。
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 23:14:26ID:V/B+Uuuu改易されたのは確か千松丸が暗殺された後だったと思うけど。
俺は存保ほどの武将が仙石の意見に賛同したとは思わないが(とはいっても一緒に反対したとも思えない)
仮に賛同してたとしても三好と豊臣の関係は織田政権時代からだし
長宗我部との因縁も考えるとそのぐらいで改易になるとは思えないんだよな。
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 03:09:44ID:13puMtTU十河はもはや秀次の一門といってもいいわけで
存英の存在もあるし改易はないよ
信長横死で四国攻めは中止
援軍として送られた仙石はあっさり敗退してまた延期
結局大坂に逃げる羽目になって
やっと長宗我部討伐できたと思ったら九州でまた仙石がry
しかも改易
散々な扱われ方をされて
それでも最後は大坂方につく十河勢(´・ω・`)
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 07:23:05ID:aEGv5TDNお人よしだからさ。
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 11:27:03ID:GeWVXUIP秀吉の強い意向かもね。
軍事的/商業的に瀬戸内海の掌握を重視してたようだから。
伊予でも西園寺公広が戸田勝隆に謀殺されてるし、
病死と言われてきた河野通直も死因に不審ありという話があったりもする。
十河自体には水軍や瀬戸内との強いゆかりはないと思うんだけど
阿波三好系の血と言うのが邪魔だったのかな。
四国征伐の時点ではずっと織田、豊臣方だったから潰せないだろうし。
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 15:43:32ID:t6qXdi8+>>166
全然違う。存英は、そもそも存保の嫡子ではない。
十河民部大輔存保は、秀吉に従うことでそのほかの讃岐の諸大名が軒並み所領を失う中で
唯一存続を認められたが、与えられたのは山田郡の二万石だけだった。
仙石久秀に従って絶望的な戦いに突入する際に、家臣数名に「おまえたちは早々に国へ
帰って、千松丸を秀吉公に見参させて、私が言った事をよく伝えよ」と言い残し戦死した。
嫡子・仙千代は生駒親正が預かり、九州平定後に存保の遺言どおり秀吉に目どおりして、
同情されたり「父にも劣らない」と褒められたりした。
しかし、まだ幼いため生駒親正預かりのまま、三千石がとりあえず与えられることになった。
しかし、帰国後すぐに食物を口に入れて吐血して死亡し、家臣たちは毒殺犯を捜査したが
見つからなかった。
讃岐の人々は、十河氏の旧領と家臣団を奪いたい生駒氏の仕業だと噂したが証拠はなく、
また存英は赤子にすぎないので十河家は窮地に陥った。
十河家旧臣たちは、廃絶され帰農または他家に仕えている香川氏、羽床氏、安富氏などの
讃岐の名門の子供の中から人物を選んで十河家を継がせたいと申し出たが認められることなく
十河家は廃絶となった。
山田郡の領民・旧臣はこれを悲しんで「命捨つるも子ゆえに廃れ、けなげなれとよ千松丸」
と唄って涙を流した。
そして、存保、千松丸の位牌は、十河家の旧領である十河城の傍にある浄土寺に祭られた。
生駒雅楽(親正)は奸智に長けた人物で、十河家旧領を押領するために、甥の大塚釆女を
使って仙千代を毒殺したとされる。
また九州討伐の際に、宮部・南条の軍に撃破され遁走した島津義弘を追撃しようとした
豊臣秀長を、兵法に詳しい尾藤知宣が諌めてやめさせた事があった。
尾藤知宣の判断が正しかったかどうかは別として、島津氏は逃走するフリをして敵を
誘い込む戦法をよく使ったため、特に誤まった諫言というほどのことはなかった。
しかし、「知宣のせいで島津義弘の首をとる機会を逃すことになった」との噂が広まり、
秀吉はこれに怒って尾藤知宣の所領を取り上げ追放した。
十河存保が死亡し仙石久秀が去って、讃岐に残る唯一のライバル・尾藤知宣を秀吉に
誣告したのは、讃岐一国支配の地位を手に入れたかった生駒親正の仕業とも言われている。
日本史板の三好スレのレスだが、
やっぱり生駒の仕業でFAだと思う。
秀吉が十河家を潰すメリットなんてないだろうし。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 21:57:12ID:13puMtTU0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 07:36:57ID:dImYbYvd0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 20:49:53ID:8uFWOhPZ0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 17:02:58ID:nnFNLocG0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 14:17:41ID:vfkCscDOこの大西元武って武将はやはり三好家の家臣なのかな?
どうして徳島じゃなくて愛媛なのかも気になるね。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 15:24:04ID:ikvzIPD7三好氏の家臣と言えるような活動をしていたかどうかは知らない。
山間部の国人なので比較的独立性は高いだろうし、従属関係よりも
同盟関係にあったとしてもおかしくはないかも。
元々伊予の東二郡は細川氏が分郡守護として支配を確立していた。
そのため阿波と伊予の国境にいた大西氏は伊予の宇摩郡あたりには
影響力を持っていた、ということはある。
本拠地の白地で抵抗して滅ぼされた後に落ち武者が来てそれを祭ったとか
そういう謂れがあるのでは?
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 16:04:42ID:/ztd8l/G子?の頼武の母は、三好長慶の妹と
本当なら相当の名門だ
けど、阿波志によれば、大西頼武の子頼包は長宗我部に従うとあり、
系図の頼武は討死、子の頼晴は長宗我部元親に攻められ討死と矛盾
それから長宗我部に攻められ、伊予に落ちた説もあるみたい
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 11:57:49ID:jqLF8V6P妹何人居るんだ?
利休の妻くらいしか知らない。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 21:22:40ID:aNoCMvZE一般論で言えば親族衆や有力家臣の娘を養女にして嫁がせる例は
いくらでもあるので妹は無限にいるとも言える。
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 23:09:11ID:eRL+udP+謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 14:12:43ID:ZsIQ2lOL利休の妻は お稲 でいいの?
それとも小説の中だけ?
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 19:55:56ID:hknbIDBl勝姫じゃないの?
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 20:03:39ID:BcAQfRBCちょっとそれは違うんでは?
0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 20:21:17ID:GWIzr6Kt何かの史料に記述があったの?
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/24(木) 01:44:20ID:83bgWxoFって読まれるんだがなんでだろう?
信長公記を「しんちょうこうき」って読むのは半世紀以上も後のことだし
0169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/24(木) 06:51:48ID:iIdr6lUyかつて高貴な身分の方の名前は音読みで呼ばれていました。
多分、それかと。
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/24(木) 09:28:40ID:CVq/b1me0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/24(木) 13:42:37ID:8An1lEcU0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/24(木) 15:36:42ID:F2YBw/H/江戸期→大正まで、即位したorいやしてないでもめてたほどの方だから
戦国期に知名度はないでしょ
0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/24(木) 17:09:01ID:9+BBhxyn戦国期に既に「ちょうけい」読みされてたの?
江戸期にはしっかり「ちょうけい」って書かれちゃってるね。
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/24(木) 20:26:27ID:3RdidINj0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 03:05:06ID:ibn3YDBW0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 03:31:04ID:6n4uywvo0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 07:59:42ID:LxK57JJa■「戦国三好一族」(今谷 明)
【投票情報】(現在81票 復刊交渉開始まであと19票)
昨日1票の投票がありました。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=13502
0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 08:03:03ID:LxK57JJaあの頃は、人名を音読みすることは多々あった。
漢文・漢詩も普通に通用していた時代だからね。
正しい読みを知りつつやっている場合のほかに、読みを知らずにやっていることもある。
また、手紙などに自らが親しみを込めて自分の名を音読みして署名したり、
主君が親しい家臣を音読みで呼ぶこともあった。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 10:36:53ID:gC+YxcWAおそらく、中国人=貴人みたいな一種のコンプレックスみたいなものだったんだろうね。
今じゃそんなものは全然無いが。
例えば、明治の伊藤博文も年配の方(80才90才ぐらいかな)なら「はくぶん」って読むよ。
ただ、なぜ戦国期の人間で長慶だけが、音読みで残ったのかはまったくわからん。
0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 11:31:36ID:pRmHEDK0この現実とのギャップはなんだ
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 16:14:57ID:n7caQM+F0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 14:43:51ID:MS85cFmB0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 20:10:07ID:G0g3vicS実際には茶人でもあったし、そんなに横暴ではなかったのかも。
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 05:15:03ID:c5AvRxc4>実際には茶人でもあったし、そんなに横暴ではなかったのかも。
松永久秀も織田信長も茶人ですよ・・・
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 19:39:43ID:TDqRhNfm0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 20:22:58ID:L3CS6keJ0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 15:20:08ID:m1Tzt+JD長慶から見れば、親の仇+宿敵だなあ
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 16:17:27ID:uhIaAmI2「天罰自滅と世上に申候也」とある。やっぱり良くは思われて
なかったんじゃないかな。死に様も無様な部類に入るし。
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 16:26:55ID:7QqsVhkV必然的に政長の記述は辛口になってしまいがちな気がする
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 16:27:41ID:QcME/PCSこの人結構苦労したんだな〜。
0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 16:49:45ID:uhIaAmI2晴元の陣に弓を引くのは忍びないと言って、ぐずぐずしてると六角の援軍が
来るという状況下でも攻撃を躊躇っていたらしい。結局は長慶の命令を待たず
十河一存が攻めかかって政長を討つことになる。
まあ軍記物の記述だけどね。
0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 16:51:06ID:m1Tzt+JD茨木長隆、柳本賢治、木沢長政とか、加えて三好政長、晴元は別にしても
柳本は高国にやられるが、あとは順繰りに・・・
長慶は大した人物だと思いますよ
0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 16:59:58ID:DnW+ah/sそれぞれの利害と過去の因縁でついたり離れたりを繰り返していたようなので
政治的にも難しかったんでしょう。
長慶が晴元の陣に弓を引けなかったのではなく、弓を引くと三好陣営が崩れる
可能性があったのかもしれないですしね。
晴元(或いは政長)は気に喰わなくても、三好長慶の一人勝ちは望まない勢力がいても
おかしくはないわけで。
その点、信長は畿内に近く、経済的にも恵まれ、なおかつ畿内勢力との因縁が比較的薄い、
とこれはすごく有利な条件が揃っていたんでしょう。
0194名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 17:35:24ID:uhIaAmI2願い出てるんだけど、当然却下されている。にもかかわらず
挙兵したということは、長慶も腹をくくってたはず。晴元側に
とっては謀反と同じなんだよね。
事実六角定頼は細川元常や根来衆に出陣を要請してるし、長慶も
遊佐長教に応援を求めた上に松浦興信(肥前でなく和泉のほう)も
味方にして、翌年三月には柴島城を攻めて細川晴賢と政長を追ってる。
晴元も五月に香西元成に芥川城を攻めさせてるけど、これは長逸に
阻まれてる。だから江口の戦いの時点では両者は完全に敵対交戦状態と
言って良いんじゃないかな。
その状態で「晴元の陣に弓を引くのは・・・」と言うのは何か中途半端な
感じがしてね。
0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 17:48:46ID:DnW+ah/sただ、それでも双方の内部に、雌雄を決することを望まない勢力が
少なくなかったということはないのでしょうか?
先の逸話が事実なら、逆に十河一存のような急進派も居たのでしょうし。
長慶自身、反政長であっても可能ならば反晴元としては動きたくない面もあるということですよね?
軍事的圧力をかける事で晴元に政長を見限らせる、という選択もあるのかなと。
後年、近江に追った将軍家と和解してるのも、畿内にしがらみの多い
三好氏としての政権運営の限界と言う面もあるのかと思ったのですが。
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 19:50:25ID:YrSh8WiG可能性もあるし、一気に晴元を殺す、もしくは捕らえるというのに
迷いがあったのかも。いかに氏綱を擁しているとはいえ、急に畿内の
支配者に躍り出ると反発がなくもない。
ただ、この時点で晴元を何とかしておけば畿内はより落ちついたような気もする。
0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 03:27:36ID:wCClV4+q0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 09:01:08ID:qRTjxooU三好長慶 = 頭のいい毛利輝元
0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 09:15:06ID:MoMX78hE既存権力を支配の根拠にするところからは脱せなかったと。
長慶を支えた四国の軍事力も細川家の守護権力を上書きするような形で
維持していたからこそ、長治は細川真之に殺されるといった結果になるのかと思うのですが。
個人的には三好長慶は戦国期の大大名ではあるけれども、
戦国大名ではないのかなと思いますです。
>>198
何が言いたいのかよくわかんね。
0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 14:12:48ID:eoGtQWJg細川政元が足利将軍を廃さないのと、同じ理屈かな?
将軍家があっての細川京兆、細川あっての三好って
氏綱なんて、何一つ力のない、傀儡だったけどね
>戦国大名ではないのかなと
ここの部分(戦国大名って定義)は、あまり興味がありません
それよりこの人何考えてるのかな、の方が好き
0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 18:02:13ID:+7v+RQKtおれは戦国大名化って処に興味がある。
是非もっと語ってほしい。四国の領国化の作業は進めていたのか、とかね。
0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 19:58:12ID:CWYGZ/wi`¨ − 、 __ _,. -‐' ¨´
| `Tーて_,_` `ー<^ヽ
長慶 | ! `ヽ ヽ ヽ義賢
r / ヽ ヽ _Lj
、 /´ \ \ \_j/ヽ
` ー ヽイ⌒r-、ヽ ヽ__j´ `¨´
 ̄ー┴'^´
0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 21:10:45ID:F6M0tn20>三好長慶は細川家の家宰、もしくは幕府の相伴衆といった立場を抜きにした、
>既存権力を支配の根拠にするところからは脱せなかったと。
そうだと思う。しかし野望はあった。だから氏綱という傀儡を担いで
後から糸を引きたかったのかもね。四国でも細川持隆を殺害して真之を
担ぐというのも、同じ流れのような気がする。
0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 15:55:38ID:tFnnQq9w義賢と持隆の対立って、
持隆が平島に義冬を迎え、畿内に入り将軍に推戴することを考える、義賢が反対し挫折→
持隆が密かに義賢討伐の策を巡らす→義賢が持隆を急襲、持隆自害→真之を擁立、実際は傀儡
そこまで計画的だったかな?
0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 17:12:39ID:FgcfzHDV■「戦国三好一族」(今谷 明)
【投票情報】(現在82票 復刊交渉開始まであと18票)
昨日1票の投票がありました。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=13502
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 19:49:42ID:FFxroZey0207名無しさん
2006/09/10(日) 05:45:09ID:2ZM9CmC80208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 15:07:23ID:/swreevv長慶なら現代に生まれていても普通に通用しそうだよな。
むしろ現代とはいわんがもう少し平和な時代に生まれていたほうが活躍したような。
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 22:58:17ID:0M6YlW4D武田信玄よりよっぽど楽しい大河ドラマになりそう。
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 02:01:01ID:44pdHsoy同意だがベストセラー小説がないのが致命的だね。
勝瑞館跡が国史跡に指定されれば幾らかマシになるんだろうけど。
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 13:43:46ID:WuFp06o1敵役は政長?晴元?それとも茨木長隆?木沢か?
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 20:09:38ID:KJAAj+d3なりそうです。
0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 00:25:44ID:ej6vJYLA最後のほうまで父の仇と戦い続けるし、見所は多いと思う。
なんで小説のネタにならんのかねえ。
0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 01:29:32ID:wZh+dYpV0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 02:16:04ID:y24fZ6HVこれだけの大大名で知名度低いのも珍しい。
0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 17:32:10ID:8pBxaMMO0217名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 15:15:51ID:G1So1PK7キーマンであった一族といっても過言じゃない
仮に長慶がいなければ畿内はどうなっていたのか?
畿内どころか日本の歴史は大きく変わっていただろうね
そもそも久秀が武将としていないかもしれないしね
0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 15:28:27ID:QuF6xbW1三国志で言えば董卓軍。自業自得というか。
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 16:17:40ID:nRemlwKNそれを考えればお互い様
幕府だからって何でも正当化して
何でも三好(松永に関しては何も言えん)の悪事に仕立てるのは如何と思うが
恩人である細川持隆の暗殺は何を言われても仕方ないが
0220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 16:33:23ID:nV/eYGRk0221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 19:29:20ID:nOMRbbFr深いかも。これも元長を殺した自業自得って奴かい?
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 19:42:11ID:Sa/ZIBBI0223名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 19:59:57ID:WenB63Xnおー上手い表現ですね。
確かに三好は董卓のポジションですよね、すると松永は呂(ry
0224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 23:12:12ID:2zYND4j6董卓のような教養のない下劣な武将と何処が似てるというのか
まだ「頭のいい毛利輝元」の方がしっくりくる
0225名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 23:36:42ID:TeOu2Euu董卓が教養のない下劣な武将ですって?
もう少し勉強してこい。
0226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 00:04:12ID:3A6Twup1君こそ文化人としての三好長慶をもう少し勉強してこい
それとも董卓が長慶の他にも実休、冬康、笑岩、宗三、義弟に千利休など
戦国でも屈指の教養人揃いの三好氏と肩を並べられるほどの人物あるいは一族だったのかね?
0227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 00:49:25ID:/d/fxqXj0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 01:01:19ID:d5n/g2R7三好も思いっきり逆臣扱いになってるし、似てるは似てる。
0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 11:24:54ID:+8fru+nW比べるのには抵抗があるなあ。まあ好きな人は好きなんだろうけど。
0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 20:48:10ID:PdN5q12G名前がいいね。間違いだと思ってたら
チョウケイでもいいんだね。
0231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 20:54:24ID:roAJfZQW0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 21:37:42ID:3Lk9NKt8義資とか。
0233名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 01:08:36ID:/Vkkcdnc左京大夫を名乗っているけど、そこから先が見つからない。義資に関する文献は
全く無いし、ググっても列伝も何も出ないし。
そもそも、義継が若江で散った後になんで義資では無く、長治が継いだんだろう?
義資こそが三好宗家最後の生き残りじゃないの?
0234名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 04:45:56ID:lBzs9ie30235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 07:17:21ID:f0h9pcpq信長包囲網まではかなり険悪。
長慶をはじめ、一族全員法華宗だったから。
0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 08:49:09ID:OciBGi9F晴元が一向一揆に三好元長を討たせる
京の法華一揆が山科本願寺を焼き討ち(石山に移転)
という流れのようですね。
こうしてみると長慶政権と本願寺とは対立してたろうなと想像がつくし、
逆に将軍を追放しても京都を押さえられたのも納得ですな。
0237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 09:07:21ID:lBzs9ie3まあ信長の場合は敵対した大名家の残党が多く含まれて肥大化したんだろうけど。
0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 11:19:19ID:BBACWM2T他には長慶が若年の頃に一揆勢側について晴元に反抗していることもあったし、
篠原長房の後妻が本願寺関係者ということもあるし
0239名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 02:00:06ID:Pd2mLW63何か?
0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 07:33:56ID:Yjiy4gon法華宗でしょ?wikにあったよ。
ところで、三好三人衆が長慶を暗殺したってどこから出たんだ?
三人衆は少なくとも長慶が生きている間は忠臣の部類に入ると思うが。
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 11:38:47ID:nj287S2j0242名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 07:50:53ID:6ZdPsswD義興が若死せず、長生きしてたら、変わってたかな。
0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 08:31:12ID:zRSb57d30244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 13:55:55ID:ODK/6SPi義興が生きていれば冬康の暗殺は防げただろうね
それに足利義輝と友好的だったから、信長に上洛の隙を与えなかったかもしれない
これだけで家にとって大きいんじゃないかな
ただいつまでもそれに甘んじていたら、やや平凡な二代目で終わりそうな気もする
あと久秀の目付け役として長頼がいればと思うんだけど
そういえば将軍暗殺の時、長頼って何をしていたんだろう?
0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 15:03:31ID:J1nlWWvq初期っていつ頃をさしての初期?
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 17:35:34ID:pSvcRIAj〜丹波黒井城in1565〜
三好軍は1558年に丹波を失ったが、失地回復とばかりに勇将松永長頼を大将に、
大軍を率いて丹波に侵入。丹波の中心八上城に迫る勢いであったが、その手前の
黒井城に三好軍は攻めかかっていた・・・。
長頼「はっはっは!丹波国人衆なぞ我ら三好の敵にあらず!勢いに乗って
このまま敵城を陥落させよ!」
家臣A「ははあっ!」
突如、鴇の声が上がる。
家臣B「て、敵襲だーッ!ぐえっ!」
赤井直正「敵将はいずこぞーッ!」
一瞬の油断であった。そこを突いて、赤井軍は本陣めがけて突撃を敢行。
三好軍は数が仇となった。三好軍は統制を失い、総崩れとなり、退却も
ままならぬ状態となり、惨劇が起こった。
長頼「あわわ、撤退じゃあ〜」
直正「そこかッ!」
長頼「ひええ〜っ」
こうして松永長頼は49年の生涯を終えた。この数ヵ月後、兄久秀は前代未聞の
大逆を起こす事になる。そして、赤井直正は十数年後に織田の軍勢と何度も
会い見えた末に、戦死する・・・。
0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 18:12:06ID:COBTKEPD> 大逆を起こす事になる
何の事?
足利義輝のほうが長頼よりも先に死んだんじゃなかったっけ?
0248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 18:19:36ID:mbw2SiaS>三人衆は少なくとも長慶が生きている間は忠臣の部類に入ると思うが。
「足利季世記」では久秀、政康が吉成勘助という将に命じて冬康を飯盛山城中において殺害した
と書いてあるよ。
そうえいば政康って政長の子で政勝の兄って説があったね。
もしや・・・
>>247
俺もオモタ。
0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 21:29:32ID:DTUnYNwT法名:聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門
墓所:京都市北区の大徳寺聚光院三好宗家の菩提寺は大徳寺。
南宗寺
三好長慶(みよしながよし)が父の菩提を弔うため、弘治3年(1557年)、
大徳寺90世の大林宗套を開山として創建したものである。
0250名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 21:48:59ID:Fqoyiz0Y0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 19:03:56ID:bdbNu1T0■「戦国三好一族」(今谷 明)
【投票情報】(現在83票 復刊交渉開始まであと17票)
昨日1票の投票がありました。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=13502
0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 00:36:09ID:yo+n/5rc「大分三好ヴァイセアドラー」に決まったと発表した。
「ヴァイセアドラー」はドイツ語で「白いワシ」の複数形。
また、選手兼任監督に、廃部した旭化成でコーチ兼任選手を務めていた増成一志氏(44)が就任した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060927-00000101-jij-spo
三好循環器科EKG
http://www.geocities.jp/volley344/
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1159366092/
0253名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 22:45:18ID:XYdHPRgB0254名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 17:14:34ID:3wJPbwBR0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 14:50:11ID:rK7cnoWk0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 17:10:07ID:zTd5T0geやはり、教興寺合戦。
飯盛城を囲まれ、京を失い、長慶の命運ここに尽きたかと思われた時、
義興が六角と畠山を各個撃破して、劇的な大勝利を収める・・・。
ただ者では無いと思うけど。
0257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 00:43:19ID:8dFLvkIg>>102の
ヨシオキが嫁と一緒に東大寺へ長慶の病の平伏を祈りに行ったって話、
そんな記録があったんすか?
自分は普通に山田風太郎の創作と思ってたんだが。
0258名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 16:26:10ID:3oL68KsB何であんなに同属内で養子縁組してるの?
0259名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 17:35:02ID:p/0xe5EK結束を強める為じゃないの?
0260名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 01:40:44ID:aTDBwglL0261名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 02:30:53ID:Tcg3DlEUそれは恐らく伊吹島のことだと思われる
その子孫の方はHPも立ち上げてるし
三好ファンなら知ってる人も多いんじゃないかな
長慶会の情報とかはあのHP以外では乏しいので貴重なHPだね
0262名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 16:36:50ID:rmF8y+lW何気に堺市のサイト見てたら、南宗寺が再開発というか文化観光再生プランとか言うやつで名前挙がってた
家康が南宗寺で実は死んでたよーとかいうアノ説で盛り上げようって…
なんでまた三好よりトンデモ風説の徳川なのか
知名度か?知名度だっていうのか?
そんな地味な地味様が好きだなんだがカナシス
0263名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 19:21:11ID:fg/2NYvr徳島で来年の秋に「戦国三好フェスティバル」というのやるらしいし
徳島に期待しようぜ
0264名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 21:37:24ID:621LFiZt武田や浅井・朝倉は後の徳川史観で過大評価されたような、三好との戦い
で東照宮は参加してました?
0265名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 23:23:24ID:WYDIaZG9あと、信長畿内進出時の三好は統率者が居なくて豪族の寄り合い同然だろ。
義継が信長に単独で下るような難解で混乱した体制。
0266奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/12/11(月) 23:36:02ID:moxNea+u0267名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 23:59:56ID:HhRxqRIj朝倉は内政面は中々だったらしいな
実際のところ大内義隆にやや劣るぐらいの評価が妥当だろうか
まあ>>264は姉川のことをいいたいのだろうけど
姉川と比べて野田・福島の戦いは地味だしね
0268名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 11:37:48ID:6Ic150jy>>266
三好元長VS三好政長 三好長慶VS三好政長 三好長慶VS三好政勝
三好三人衆VS三好義継VS松永久秀
・・・かな?正確には政勝はゲリラ活動がせいぜいで、対抗勢力とは
なりえなかったけど。三人衆とかは義継がついたり離れたりで、
三好勢力の一つではない印象を強めているなあ。
0269名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 20:25:07ID:SbXXPuHO>>268
大坂の陣も含めてもいいなら
三好政康VS三好政勝
も入るね
直接争ったわけではないけど
0270名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 13:13:28ID:XUIG9qKZ自費出版で余り出回ってないから興味ある人は買ってみては
0271名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 06:23:32ID:cevDkElz0272名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/05(金) 18:41:47ID:MWYaW26+大内義長じゃないのか?
0273名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/01(木) 22:53:53ID:4RBMeuJ2写真家の三好和義が出るらしいが関連があるのだろうか?
0274名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/01(木) 22:55:02ID:q8dOfLbu0275名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 00:42:55ID:gb8gvCcT「僕自身に関しては、戦国武将の三好長慶の血が
流れているかもしれないなんていう話があるみたい。
だからもしかしたら、僕自身の美意識の中には、
風流を好み、唄や茶を好んだという三好長慶の美意識が流れているのかもしれないよね」
http://www.raichosha.co.jp/mm/00011.html
本当かどうかはわからんが、そうだったら楽しい話ではある。
0276名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 22:35:42ID:uCvaU8M70277名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 22:49:06ID:4O4+QpId飛行船から見た旧三好領メッサキレイだたよ
0278名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 01:32:17ID:IDjfSh7m阿波踊りの企画をやるなら存保のことも少しでいいから触れry
国民文化祭の時期に放送されれば面白かったんだけどなあ
0279名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 23:01:10ID:B+Au0qKV0280名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 17:55:11ID:7q6sKDV/存保が戸次川で戦死して千松丸が跡を継いでその千松丸も暗殺され
改易されたことを考えるとその頃には康長も死んでいたのかな。
戦国三好盛衰記だと康長が戸次川のことを語ってるんだよな。
構成上仕方ないのかもしれないけど。
0281名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 18:31:14ID:cjpK3C3s千松丸は十河存英の兄になるの?
0282名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 19:09:22ID:7q6sKDV/多分そう。
年齢の差はよく分からないけど
存英が1575年に生まれて戸次川の戦いのときに存英が12歳前後だから
千松丸は13歳前後くらいで暗殺されたのかな。
元服目前で無念だったろうね。
0283人間七七四年
2007/02/16(金) 03:33:04ID:3N2F+sAp1555年には長慶らが明石城と三木城を落として
明石氏と別所氏は三好家の軍門に降るというのが事実だと思う
このことは『細川両家記』にも載っている
だけど別所安治のwikiや光栄の武将ファイルだと
三好側の攻撃を撃退していることになっているんだけど
どうしてなのだろう?
0285人間七七四年
2007/02/16(金) 15:58:47ID:3N2F+sAp播磨関連も勿論そうだけど
どの作品でも八上城は三好領になっていないし
能力も全体的に低いような
あとwikiも別所側が間違っているってことでいいのかな
色んなサイト見ていると三木城は落としていないってサイトもあるのが気になるけど
0287人間七七四年
2007/02/16(金) 16:24:15ID:3N2F+sAp名声も低いよね
当時知らなかった人などいないだろうに
史板のスレで拾った情報だけど
「黒田三十六計」に清康と存保が出たらしいのだけど本当?
あっちは人大杉だからなぁ
0288人間七七四年
2007/02/16(金) 16:28:50ID:L++V3aXVwikiは・・・嘘半分だと思っといたほうがよろしいかと。
同時期に同じくらい関東で勢力をはった後北条にくらべても、
滅んだのが早いからなのか、どうも知名度低いのがね。
最近のコーエーゲームが手元にないから実際は知らないけれど
話を聞く分には、長慶の能力値はかなり良くなってるが講談補正のある人物には劣るとか。
一門を始め、家臣団がやばいくらい低いそうな。
伊予あたりについては、そこまでの城の数をコーエーが用意してないってのもあるんじゃないか。
そんな低評価から反発して一部で高評価されてる長慶だけど、
日本史板あたりではやや過大なんじゃないかとの意見も出てるよ、最近。
もうそっとしておいてほしい・・・コーエーは地味様に触るなと。
0289人間七七四年
2007/02/16(金) 16:31:22ID:R3gGwOa6ああ、それ書き込んだの自分だわwあっちは今人大杉なのか。
今月の「黒田三十六計」にしっかり出てたよ。
清康は出た途端に殺された。見た目はおっさん。
存保は見た目も若々しくて好青年風。とても好意的に描かれていたよ。
でもこの作者、安宅と三好の関係をわかってないのか?という感じだった。
0290人間七七四年
2007/02/16(金) 16:45:01ID:3N2F+sAp一応言っとくけど
名声って最近の信長の野望である家のパラメータのことです
実際の知名度が低いのは勿論同意
あと本当に史板のスレで過大って言われてるの?
歴ゲー板の過大過小スレでは過小の意見が大半なんだけどなぁ
>>289
情報トンクスです
出た途端に殺されるってやっぱり扱いは酷いねw
0291人間七七四年
2007/02/16(金) 17:09:55ID:JQS/fe0r本気でコーエーの間違いを正したいにせよ単に愚痴りたいだけにせよ
板違いじゃないかと思うのだが。
0292人間七七四年
2007/02/16(金) 17:34:07ID:3N2F+sAp別にゲームは三好過小の氷山の一角の過ぎないってことでしょう
・別所関連の認識
・実際の知名度
・漫画での扱い
それに加えゲームも過小というのがここまでの流れ
そこまで硬くならなずともいいでしょう
そもそも御自分は何を語りたいの?
0293人間七七四年
2007/02/16(金) 17:37:20ID:3N2F+sAp×氷山の一角の
○氷山の一角に
0294人間七七四年
2007/02/16(金) 17:48:15ID:L++V3aXVそんなパラあるのか。
関西で三好は知名度そこそこ高いと言う意見も見たが、
京都在住だったこともあるけれど、そうは思えなかったなー。
それから、日本史板の評価といっても学説通説の話ではないんだ、残念ながら。
歴史ゲー絡みでの愚痴含む巷の評価が反動のせいで評価高すぎないか?と。
とはいえ、まだまだ過小とももちろん言われているよ。
今年の秋は徳島行くかな
0296人間七七四年
2007/02/16(金) 18:49:44ID:R3gGwOa6研究者や子孫以外でこんな所に来るのは珍しい、というような対応を何度もされた。
それを見てると、やっぱ一般的な知名度は低いと思うよ。
メジャーなら人も結構来るだろうしね。
メジャーになって人が来たら来たで、今度は変な人も来るから大変らしいけど。
0297人間七七四年
2007/02/16(金) 21:10:26ID:3N2F+sAp久しぶりに適当にググってたらあるサイトが目についた
ttp://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/27305433.html
こんなこと思ってるのが一般人だと思うと悲しくなる
そもそも幕府排除を想定して天下を狙っていた人物なんて
信長くらいしかいないだろうに
本当は個人のサイトを晒すのはよくないと思ってるが
これは酷すぎる
ttp://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/27428580.html
反対に足利義輝については悲運で終わらせている
足利が三好側の和睦を何度も破ったことや幕府の権力を返したことはスルー
こういう考えの人がいる限りは知名度上昇は厳しいだろうな
0298人間七七四年
2007/02/16(金) 21:19:52ID:+sTNbBNg0300人間七七四年
2007/02/16(金) 21:34:52ID:O/1MDOBMやめとけって、こんなのまともに相手にしても無駄だろう
内容の下らなさ、知識のなさを鼻で笑っておけばいい
0302人間七七四年
2007/02/16(金) 21:51:32ID:3N2F+sAp織田信長がいなかったら〜のスレでも
三人衆が久秀に勝つ寸前だったことを知らない人が多かった
今川派からは上洛前提にされている始末
0303人間七七四年
2007/02/16(金) 22:00:50ID:5eNgiTJaだけど、好きな武将達を散々こき下ろされるのは悲しいなあ。
捏造と脳内妄想まで入っているし。
>結局は石山本願寺や足利義昭の後ろ盾がないと、やっていけない程度の人物だったのかなぁ・・・
>とかなり厳しい目で読んでみました。
>>301
そうは言っても三人衆がいなければ、畿内を席巻するのは無理だったでしょ。
0304人間七七四年
2007/02/17(土) 00:06:10ID:ohA7sNuIそのサイトはともかくとして。
三好政権は実は「将軍の存在を前提としていない」政権であったとする論文だか本だかがあるそうです。
三人衆も義輝を殺した後に将軍を立てる気は当初はなく、三人衆に敗れた松永久秀が義昭を擁立しようと
する織田と結んだため、対抗上義栄を担ぎ出したのだと。
0305人間七七四年
2007/02/17(土) 15:32:07ID:Y9YOCqTBKOEIゲーしか歴史に触れない人間の認識としてはあんなモンだろうな。
そういう意味じゃ大多数のイメージはあんな感じなんでは?
0306人間七七四年
2007/02/18(日) 06:54:32ID:HfNrQjyF三 好 始 ま っ た な
国民文化祭の成功が第一条件だけど
0307人間七七四年
2007/02/22(木) 14:05:54ID:gF51wDqTうまくいけば大河化に一歩近づくんだしもっと関心持ってほしいな
あと3月10日、11日に勝瑞城シンポジウムをやるみたい
http://www15.ocn.ne.jp/~shouzui/simposium.htm
赤沢氏って初耳だな
0308人間七七四年
2007/02/22(木) 14:57:45ID:zndSepVD「赤沢宗伝」の話でもするのかな?
0309人間七七四年
2007/02/22(木) 16:44:02ID:y06KM6B7長慶主役となると、
合戦シーン多すぎ。
小説などでそこそこ人気ある将軍が敵に回る。
最終話が、めでたしめでたしとならない、むしろ次回を期待したくなる緊張度。
小説「三芳野の花」だと、松弾が美味しいところさらってく。
資料率王の信長・秀吉・家康が絡まない。
ネック大杉。
0310人間七七四年
2007/02/22(木) 16:44:58ID:y06KM6B70311人間七七四年
2007/02/22(木) 18:22:33ID:gF51wDqTだからこそ国民文化祭での成功が鍵になってくるんでしょ
幸いにも徳島には他に候補に挙がるほどの人物はいないし
徳島県民だけでも見てくれるような環境にできたら御の字
内容についてだけど
最終話は長慶の死から始まって、政康を大坂の陣で真田辺りと絡ませて締めればなんとかなりそう
信長は上洛してるし1,2話くらいは出られるでしょう
確かに将軍は三好より人気は高いが一般人に影響するほどのものでもない
逆にチャンスと考えるべき
有名にさえなれれば教科書に載れるほどの実績はあるし
ゆとり教育だって再考されている
いつまでも資料集とかで
細川→三好→松永
の扱いを受けるのは御免
そもそも久秀は三人衆に追い詰められてたんだからこの表記は捏造同然
0312人間七七四年
2007/02/22(木) 19:03:30ID:Kh6S/rMu三池崇史が村おこし用に撮影した肥後国衆一揆の映画があるんだが、
(俳優は原田芳雄、布施博、遠藤憲一、北村一輝等で豪華)
そういう感じでなら作れないものかな?
0313人間七七四年
2007/02/22(木) 19:18:07ID:y06KM6B7頼之・・・
0314人間七七四年
2007/02/22(木) 19:22:45ID:Cb8QrobH第一話:懐の幼君
元長が政長にハメ殺された時、長逸が五兄弟を連れて阿波へと落ちてゆく・・・
0315中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/02/22(木) 19:22:56ID:bjCdCLkb阿波武田・・・
0316人間七七四年
2007/02/23(金) 13:57:24ID:1kI3frIJ平島公方・・・
0317人間七七四年
2007/02/23(金) 16:51:34ID:0ZlEScaT小笠原氏・・・
0318人間七七四年
2007/02/26(月) 12:30:13ID:BtrDWkdr0319人間七七四年
2007/02/28(水) 00:31:00ID:9CELv35w0320人間七七四年
2007/03/04(日) 21:41:56ID:Ht4dvUVnとかいう割と古めの本で長慶が酷評されてた
戦は兄弟との結束が大きかった(笑)
政治は松永久秀による依存が大きかった(苦笑)
とか滅茶苦茶すぎる
今でもこんな糞本発行するくらいなら早く戦国三好一族を復刊させろよ
0321人間七七四年
2007/03/04(日) 22:58:33ID:hRo2TCI+0322人間七七四年
2007/03/04(日) 23:35:57ID:Ht4dvUVnそれなら大名なんて評価できないね
江口では総大将として全体的な兵数では劣勢ながらも勝利
鳴滝では弟達なしに加え僅か500で細川軍に勝利
久秀なんて奉行にすぎない
段米・棟別銭の賦課、七箇条の掟、京の治安維持、裁判権、堺関連などを
全て久秀が考案したわけじゃないのに何が依存なのか
それに久秀は長慶だけでなく伊勢貞孝や今村慶満とかの功績も吸ってる気がする
0323人間七七四年
2007/03/04(日) 23:48:03ID:X9TSMzX4その論理でいくなら今村慶満や十河一存にも同じ事を言えと思う
久秀伝説の尾ひれのつき具合は酷いな、悪い意味で過大評価されすぎだ
0324人間七七四年
2007/03/05(月) 13:08:54ID:3Z9ZzwSR監修とかその辺も大きいけど、新人物往来社ったら史学関係では評判悪いから。
ちょっと古いっていつ頃の本よ?
今谷氏以前は、畿内は黙殺されてた地域だし
久秀に関しても史実が明らかになってきたのは極最近だしね
長江氏だって、三好家宰として相当の権限があったって著書に書いちゃうくらい
イメージ先行とか、ネタにしやすい話とか誇張されるのも仕方ないかもな
0325人間七七四年
2007/03/06(火) 18:30:50ID:Ay/SbfAVその本は1998年の本のようだ
松永スレで最近発売された「松永久秀の真実」という本の情報があったが
その本でも持ち上げられているとかなんとか
0326人間七七四年
2007/03/07(水) 23:41:08ID:VbKlcxuM三好の大河はぜひみてみたい。
堺市民としても応援する。
久しぶりに南宗寺に行ってくるか。
それにしても現在の堺での三好の知名度の低さよ…(つД`)
0328信長の野望 武将風雲録より(一部)
2007/03/08(木) 10:13:00ID:lyV1Ne61※AA=100
三好長慶 79 65 85 84
三好長逸 69 54 71 69 → 69 70 71 69
三好政康 52 67 69 65 → 65 69 70 65 → 65 83 75 AA
三好義賢 72 71 70 75
三好義興 43 29 69 69
三好義継 42 55 54 52 → 44 56 58 59
三好長治 28 42 58 61 → 30 42 60 61
三好康長 64 63 65 62
三好政勝 28 91 70 AA(登場1582年 恐らく三好伊三入道の扱い?)
安宅冬康 51 65 72 65
安宅信康 53 57 60 58
安宅清康 49 62 58 60
松永久秀 83 71 82 79 → 84 72 83 79
松永久通 56 39 62 55 → 56 40 63 55
十河一存 48 78 62 69
十河存保 31 69 58 61 → 50 79 62 70
0329信長の野望 三好長慶のみの評価(一部)
2007/03/08(木) 10:20:57ID:lyV1Ne61革新:統率91 戦闘67 知略92 政治94 義理15
足A 騎C 弓B 鉄C 計略A 兵器A 水C 築城A 内政A
天下創世:政治84 統率65 知略82 教養77 義理15
槍衾・2 鼓舞
引き続き興味ない人はスルーで
0330人間七七四年
2007/03/08(木) 18:17:25ID:eUGHPpez信長以前に活躍した武将って大体過大と言えるほど能力が高めなのに
三好は昔から例外となっている
こうして見ると大分マシになってるがまだまだ弱いな
長慶が久秀より能力が高くなったのが唯一の救いか
0331人間七七四年
2007/03/08(木) 21:37:28ID:9Dp9FlR80332人間七七四年
2007/03/08(木) 21:39:01ID:9Dp9FlR8と自己ツッコミ。
0333人間七七四年
2007/03/08(木) 21:51:13ID:gbK+oJoo0334人間七七四年
2007/03/08(木) 22:02:23ID:5YZOxxU3結局のところ、信者が少ない大名家の能力というのは悲惨になるのかと…(つД`)
実際今川家あたりも血行悲惨だしなw
0335人間七七四年
2007/03/08(木) 22:35:24ID:eUGHPpezキャラ設定のあるゲームだし
>>331
一時的とはいえ将軍から頼りにされたのは大きいよね
こっちは大義名分がなかったから畿内制圧という点では長慶のが苦労していると思う
0337人間七七四年
2007/03/09(金) 09:25:08ID:BwKhu1+5《パウロ三木》「日本二十六聖人」の一人。阿波の戦国大名・三好氏に従った武将三木半太夫の
子。父の影響でキリスト教に入信し、イエズス会の宣教師となる。キリスト教を危険視した豊臣秀吉
の命で捕らえられ、1597年、信徒ら25人とともに長崎で処刑される。1629年、列福され、186
2年には聖人になった。徳島市内のカトリック徳島教会はゆかりの教会として、名称に「聖パウロ三
木」の冠を付けている。
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=3&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_11730583017&v=&vm=1
>>336
それはやめといたほうが・・・
逆にアンチが増えそう・・・
0338人間七七四年
2007/03/09(金) 17:38:44ID:HmN1odBg九十九髪茄子もあるらしいけど、少ないみたいやし。
三日月がええのやけどな、写ないんやないか。
0339人間七七四年
2007/03/09(金) 17:42:42ID:HmN1odBg誤爆した
0340人間七七四年
2007/03/13(火) 00:36:22ID:9S6S1K33天下創世の槍衾2ってのは意外と貴重だよな。
統率80くらいの武将でも大体特技レベル1とかだし。
後覇王伝のシナリオ1ではやりようによっては6年で天下統一できるからな。
史実からみると?な設定だが。
0341人間七七四年
2007/03/13(火) 11:26:32ID:fk1FRLqmこのスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
信長の野望シリーズにおける北条家の扱い [歴史ゲーム]
いずこも同じ秋の夕暮れ
0342人間七七四年
2007/03/13(火) 12:56:35ID:76g8MiBy良選法師様、スレとは関わり無き事でございますがお聞き下さい。
おすすめ2ちゃんねるを辿って行ったら、家具板まで行ってしまった件について。
0343人間七七四年
2007/03/13(火) 20:28:24ID:H6IFKeay将軍を意のままにしてるうちに
力をつけ損なったって印象があります。
0344人間七七四年
2007/03/13(火) 23:27:29ID:gk1wQz21(教興寺合戦でも活躍していたようだし)
ただ、ゲームの義興の能力値は早死にしても痛くない能力値なんだよなw
(つД`)
0345人間七七四年
2007/03/14(水) 02:00:12ID:p/vUXHOt案外、三好とか畿内の戦国時代を扱ったのってないんだよなぁ
0346人間七七四年
2007/03/14(水) 02:38:27ID:Iuln5sb2昭和43年の頃の研究だから内容が古い部分は多いが、
読んでおいて損のない名著だと思うよ
0348人間七七四年
2007/03/14(水) 23:47:26ID:ZRpN2siahttp://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_117357720172&v=&vm=all
0349人間七七四年
2007/03/26(月) 19:28:01ID:3EbQxblz>>161
ものっそい遅レスだけど
持ってる本では妹は5人って書いてある
芥川孫十郎室
有持道慶室
一宮成助室
大西頼武室
海部宗寿室
利休の妻は長慶の義妹ってなってるけど
ちょっと微妙な本だから信憑性は不明w
0350人間七七四年
2007/04/06(金) 08:12:03ID:hWHHw+K4も少ない
徳島でどうしてもやりたいなら小六親子だろろうな、大河の3主役を絡める
し、一応明治まで残れた。前田や山内より有名キャラ。ただ四国では当面
できないが
0351人間七七四年
2007/04/06(金) 08:42:32ID:4Eo3asum全然悲惨じゃないよ
三好で大河つくるなら大きく三期に分けないとな
最初の半年は長慶を中心に三好の台頭・三好の絶頂・徐々に現れる衰退の兆しを描く。
次の三ヶ月は十河存保を中心に三好宗家の滅亡・長宗我部との激闘・戸次川の戦いを描く
最後の三ヶ月は政康や政勝を中心に適当にホームコメディ。最後に大坂夏の陣の政康戦死を入れてエピローグ
四ヵ月ずつ等分するより長慶にじっくり時間かけたほうがいい
0352人間七七四年
2007/04/06(金) 08:59:08ID:hWHHw+K4と思われ
小六なら悪人だった人物が以前パシリで使っていた人物が出世して、親子
でそれを頼って更正して堅気になるという話の展開ができるから国営放送
敵にはやりやすいだろう、徳島では人気ないみたいだが、それは山内も同じ
だったから
0353人間七七四年
2007/04/06(金) 09:28:22ID:PME1YlPK藤堂高虎なんかは大河化を望んでいる会がある
その点少し時代が前の三好のが有利
0354人間七七四年
2007/04/06(金) 14:49:04ID:mlMFLiAi壮大な大河ドラマになりそうですね。
0355人間七七四年
2007/04/06(金) 16:38:24ID:2oxJAweX0357人間七七四年
2007/04/07(土) 04:56:05ID:BJVQFZQAだけど出版社が人物往来社から洋泉社に変わってる
ttp://www.yosensha.co.jp/products/9784862481351/
こんな形で復刊されるとは思わなかったけど
復刊ドットコムでは更に待つだろうし良かった
ページも243から304に増えてるっぽい
0358人間七七四年
2007/04/07(土) 23:45:45ID:vqlSLTEe買ってきたよ戦国三好一族。
「私の旧著のうちで、この本だけは復刊にはならないだろうと思ってい
た。まずメジャーではなく、阿波、せいぜい讃岐つまり四国の一部で注
目されるばかりの、地方的存在である。加えて、信長の統一戦争では、
滅び行く旧勢力というそんな役回りを演じ、後世の歴史に刻印を残した
いという前向きなイメージがない。
…(中略)…(洋泉社の編集者に)『復刊ドットコム』に寄せられた三好フ
ァン、三好マニアの声を示され、また私は驚かされた次第であった」
(「新書版へのあとがき」より)
(つД`)
内容は、まるで小説のように面白いので、三好ファンならぜひ買うべし。
0359人間七七四年
2007/04/11(水) 15:50:42ID:VTpsNViS江口の戦いでは六角とは戦ってないような書き方だったのが不満だな
朝妻城主の新庄直昌が戦死しているんだし教興寺よりは六角との関わりがあるだろう
0360人間七七四年
2007/04/11(水) 20:46:07ID:8gWtcW3N小六親子で大河ドラマやるとなると、オリ脚本でなければ戸部新十郎ぐらいしか蜂須賀二代記って書いてないけど・・・
あれを大河化したら、たぶん功名が辻と同じぐらい大河板で叩かれるぞw
やっぱり三好だろ。
0361人間七七四年
2007/04/12(木) 14:59:25ID:fMONBU/F寝そべりながら食らう織田
0362人間七七四年
2007/04/12(木) 17:00:46ID:+dPSrKt+松永は大してこねてないだろ
0363人間七七四年
2007/04/13(金) 20:57:15ID:lNu2goIG0364人間七七四年
2007/04/14(土) 15:48:30ID:WcvR+FCO0365人間七七四年
2007/04/15(日) 02:49:10ID:TJU7upjkそれを気に病んで死亡ということらしい
0366人間七七四年
2007/04/23(月) 01:06:38ID:RWD4qFU4三好義賢:キルヒアイス
松永久秀:オーベルシュタイン
十河一存:ミッターマイヤー
松永長頼:ロイエンタール
篠原長房:ミュラー
三好政康:ワーレン
岩成友通:シュタインメッツ
三好長逸:ルッツ
安宅冬康:ケスラー
三好長房:アイゼナッハ
三好康長:メックリンガー
池田長正:ケンプ
三好久介:ファーレンハイト
安見直政:レンネンカンプ
0367長慶兄貴
2007/04/26(木) 08:20:40ID:sCAlWAO0互いに甲冑姿でまずは威嚇、名乗り挙げ鏑矢飛ばし、
大股で筋肉と得物誇張して、野郎比べだ。
雄臭ぇポーズで挑発しあう。槍突き出し刀を振り回し、
オラオラ節で興奮に火が付く。
やわら兵糧をタップリ仕込んで、いよいよ合戦開始だ。
十七箇所、越水、榎並、江口、池田、伊丹
野郎調略責め、腰砕けの鉄砲斉射、野郎泣かせの兵糧責め。
正攻法と権謀術数の競り合いで、雄の粋と艶を比べ合う。
理世安民根性丸出しでな。
一息入れる時にゃ、奴の陣中めがけて、騎馬突撃。
ビシバシ痛ぇくらいに、突撃すりゃ、雄の征服感が全身を
快感となって駆け回る。
さらに兵糧を仕込んで2R。
今度は俺の大軍見せながらの京都攻撃さ。
騎馬隊飛ばして、ド猛将野郎に変獣し、復讐・領土・上洛の連呼。
俺達はまさに、勢力、権勢、役職を激しく比べ合う戦国武将だ。
寸止めの講和も相手を落とす神技、何度も食らう度に勢力の
一時的減退さえ新たな快感に変わる。
その時、ほんの少しの気の緩みで奴は勢力のコントロールを失い
寝返りの連発に突入。
2回に渡るファイトはいずれも俺の勝利、最後は奴の懐めがけて、
畿内制圧の快感に酔いながら隠居と捨扶持!
27年勝負は俺達幕府主従の怨念を更に深めたぜ!
0368人間七七四年
2007/04/26(木) 08:50:06ID:An81g09M0370人間七七四年
2007/04/27(金) 14:13:34ID:N2BqWX13直江クラスで大河になるなら三好の大河も夢ではないな。
とりあえず徳島県民は一致結束してガンガレ。
0371人間七七四年
2007/04/29(日) 15:09:45ID:+X7lPqnT0373人間七七四年
2007/04/30(月) 13:03:47ID:ijIGRaVr政勝の回想シーンでエンドって最高!
業の深い人間関係が多くて最高の大河になると思う。
それに、
長慶への兄弟の協力振りは素晴らしいメッセージ。
華僑と会うと兄弟関係の良さこそ強さの源泉だとつくづく
思い知らされるよ。
0374人間七七四年
2007/05/03(木) 03:15:32ID:y8CUWDxs高く評価すべきだ
0375人間七七四年
2007/05/03(木) 14:06:28ID:ykRHWymF地名になってるのじゃなくて
地名を名にしたんだろ。
0376人間七七四年
2007/05/05(土) 19:59:50ID:CsCFLqAYラストは晴元との和解で、美しく締めよう!そうすれば、
父の仇との和解という感動がある上に、三好の没落を描かなくてすむ。
0377人間七七四年
2007/05/05(土) 23:22:03ID:U+tXjXEf若輩者だが、素朴な疑問。
過去の歴史ドラマ(大河でも映画でも)の中で
われらが長慶さまが映像化された事ってあるんですか?
あったとしたら、どんな感じだったのか
知ってる方教えてプリーズ。
0378人間七七四年
2007/05/06(日) 20:10:23ID:Bpq+K8z7あとは国盗り物語で・・・、出ていないか。う〜ん、わからないな。
0379人間七七四年
2007/05/07(月) 11:32:26ID:OhOQkabAどうだったかはわからん…
0380人間七七四年
2007/05/17(木) 21:50:32ID:OVX73knh0381人間七七四年
2007/05/18(金) 07:11:42ID:zz1lUQB+最盛期の59年あたりで五畿内+丹波+淡路+阿波+讃岐+東播磨+東伊予だからね。
200万石オーヴァーはガチ。ただ、阿波では藍物だったかな?奨励して副収入
があったし、商業・農業先進地帯の畿内を押さえていたから石高以上に収入は
ある。ちなみに動員兵力は教興寺合戦のときに6万が記録されている。
0382人間七七四年
2007/05/20(日) 21:34:10ID:HfviOirN藍は蜂須賀家政が入ってからの発展じゃなかったかな。
それ以前の阿波は塩業と木綿じゃなかったかな。ともあれ、細川宗家は阿波守護だったし、阿波は現在以上に評価が高かったと思われる。
0383人間七七四年
2007/05/21(月) 00:09:03ID:DmpsfVsM0384人間七七四年
2007/05/24(木) 03:09:21ID:moeayQPp戦国三好一族によると、1445年の時点で阿波から兵庫の港へ
大量の藍が荷揚げされてた記録があるんだとさ。
0385人間七七四年
2007/05/24(木) 23:07:05ID:8ZEixzBohttp://www.town.aizumi.tokushima.jp/kanko/ainoyakata/
0386人間七七四年
2007/05/27(日) 15:34:53ID:eC/EW1BW過小評価っていうより、信長、秀吉に評価を剽窃された感じだな。
0387人間七七四年
2007/05/27(日) 16:37:43ID:xcicF5wx0388人間七七四年
2007/05/27(日) 20:24:17ID:YBVVP9+d0389人間七七四年
2007/05/28(月) 18:56:42ID:STMhUpY00390人間七七四年
2007/05/28(月) 20:10:48ID:aocam4jeネット上のサイトは大体調べたと思いますが殆ど情報が無くて困ってるんです。
0392人間七七四年
2007/05/29(火) 08:40:07ID:jqJ+B+/B0393人間七七四年
2007/05/30(水) 18:14:28ID:YNqwhK4R【永禄】佐味城攻略戦【奈良】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180488170/
0394人間七七四年
2007/05/31(木) 14:16:50ID:MeK1RJ99落城したときに全部人質に差し出して強姦された
0395人間七七四年
2007/06/14(木) 01:25:37ID:lES47Ddi0396人間七七四年
2007/06/22(金) 23:38:38ID:ul8z2lXX昨年、合併に伴い発足した三好市文化協会の本年度舷会が次ぎにより開催されます。
本年は記念講演として三好市三野町で生誕し、織田信長が入京する直前の約20年間、京の都を制覇し、天下に号令した「三好長慶」に関する興味あるお話を伺うことと致しました。
総会場所も三野公民館とし、講演終了後には生誕の「芝生城址」や三好一族の香華院滝寺を尋ね長慶の墓(五輪塔)を参拝します。
講演の入場は自由ですので、お誘い合わせの上、多数ご参加下さい。
日時◆6月21日(木)午後1時半 講演は午後2時10分過ぎから
場所◆三野公民館2階大ホール
講演◆「三好市が生んだ戦国天下人三好長慶とその遺品」
徳島城博物館主任学芸員 須藤 茂樹先生
主催◆三好市文化協会
後援◆三好市教育委員会
ttp://www.city-miyoshi.jp/ezs/info.asp?s=10&c=20&g=040&id=1048
昨日あったようだけど行った人いる?
0397人間七七四年
2007/06/29(金) 12:35:23ID:QbSFjeI/0398人間七七四年
2007/06/30(土) 03:00:13ID:jbSjWoXP0399人間七七四年
2007/07/04(水) 20:47:47ID:pm4n5Uwc実は信長携帯版での三好衆はガチで強い
家宝在り安宅冬康(75)は中国四国で雨天時最強(元春(95)、毛利元就(96)に辛勝
信親(82)や盛親(72)は相手にすらならない
同条件十河存保(72)はそれに続き二位確定
0400人間七七四年
2007/07/10(火) 12:16:36ID:0Istod90長慶時代は石高で100万石、経済力を含めるとかなりの大国だったような気もするが実際どの程度かよくわからん
四国の領土が20〜30万石程度で 畿内は摂津河内和泉・・ 全盛期はもう少し持っていたか?
すぐに潰れたからか今川家の領土みたいにわかりやすくないな
0402人間七七四年
2007/07/15(日) 22:08:16ID:iKQUp2/X0404人間七七四年
2007/07/16(月) 22:11:37ID:9ZPMSuP1宗家で不惑まで生きられたの長慶だけじゃね?
0405人間七七四年
2007/07/17(火) 00:36:24ID:b7G4oOID0406人間七七四年
2007/07/17(火) 00:37:26ID:9cpJl9/o三好之長の倅、元長も不惑まで生きてないよな、確か。
三好長慶兄弟の息子世代も悉く若死にしてる。唯一大名として
生き残れそうな雰囲気だった十河存保も思いもがけない形で死んでるし。
0407人間七七四年
2007/07/17(火) 01:45:46ID:SvBrO0Zy0408人間七七四年
2007/07/17(火) 18:07:00ID:fhG7rL8p話半分 今川義元の4万並にギャグな話の可能性が高い
信長上洛の時だって6万の兵を動かしたとかいうどう考えてもウソな話もあるし
0409人間七七四年
2007/07/17(火) 20:44:50ID:Uwk55aDB対する畠山も4万掻き集めたから、両軍合わせて10万の関ヶ原以前では、
戦国時代最大の合戦じゃないかなぁ?
0410人間七七四年
2007/07/17(火) 21:18:18ID:3IIK33lK一族として語るのには違和感があるな。まあ一族には違いないんだけど。
俺の個人的感想。
0411人間七七四年
2007/07/17(火) 23:46:04ID:b7G4oOID教興寺の戦いで六万もまんざらではないだろう
0412人間七七四年
2007/07/20(金) 12:59:27ID:5hf4/8piしかも離れた四国からはあんまり根こそぎは持って来れないからな……お互い半分ずつくらいでないか
0414人間七七四年
2007/07/22(日) 01:01:08ID:utsoVCKLまあ、あくまでも目安のひとつだしね。
肥沃なイメージのある駿河だって太閤検地では15万石くらいしかない
けど、交通の要衝で港を確保していた事で経済的にはかなり強国だった
みたいだし
0416人間七七四年
2007/07/22(日) 23:00:43ID:TtXrh7J70417人間七七四年
2007/07/25(水) 12:40:16ID:Rvq3Ay1z0418人間七七四年
2007/07/27(金) 05:30:41ID:E3IXgTNk0420人間七七四年
2007/07/27(金) 13:27:03ID:luqojiW00423名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 18:05:26ID:fKlIJubG0425人間七七四年
2007/07/29(日) 20:36:45ID:xyk51ITL0426奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/07/29(日) 20:44:26ID:FeNgSmoQ0428人間七七四年
2007/08/01(水) 00:00:04ID:7VToH1Fsサイトを見た事ある
0429人間七七四年
2007/08/02(木) 18:10:22ID:Hru6/WsY0431小魔玉 ◆N10JLQ90IM
2007/08/05(日) 22:08:36ID:at7gmQ+l三好長慶が芥川山城を居城にした理由はあるのでしょうか?
http://p.pita.st/?m=pe6hva6y http://p.pita.st/?m=ueb306tz
0432人間七七四年
2007/08/06(月) 01:40:15ID:5IjImpNM恐らく丹波を攻めるための負担を減らすためじゃないかな?
あと芥川城を落とす前に高雄で細川方と戦っているし
京周辺にも近い芥川城のが小回りが利いて細川方への牽制になるというのもあるかと
何か俺も芥川城跡に行きたくなってきた
0433人間七七四年
2007/08/06(月) 20:21:06ID:6tIwT/eZ0434人間七七四年
2007/08/07(火) 00:29:55ID:7CORLHmn0435小魔玉 ◆N10JLQ90IM
2007/08/07(火) 21:14:48ID:YZoYk+Ec皆さんの予想では、三好家はどうなっていたと思いますか?
>>432
レス感謝です!!
たしかに芥川山城から少し東に行けば山城(京都)に近いですし、
南に向かえば河内・和泉(大坂・堺)、西に向かえば摂津・播磨、
北に向かえば432さんが言われたとおり丹波がありますので、
やはり利点の良さが居城にした理由なんでしょうねw
>>434
434さんの指摘されたように、芥川城と芥川山城は違いますねw
(芥川城から北へ車で30分ほど走ったところが芥川山城です!!)
と、↓は芥川城跡の石碑です
http://p.pita.st/?m=m7itpmqw
0436人間七七四年
2007/08/07(火) 23:10:53ID:121Uspth三好政権は相当、長生きしたかと。
三人衆と篠原長房は義興に忠誠を誓うだろうし、義興が生きているということは久秀も
おとなしくしているという事でしょう。三好家が磐石+将軍存命で信長の上洛は無いな。
0437人間七七四年
2007/08/07(火) 23:43:33ID:VXrhsOxF浅井と結ぶ戦略が変わったとは思わないから織田六角が結ぶ事はあり得ない
すると三好はどっちについて、義輝はどうちょっかいを出しただろうか?
0438人間七七四年
2007/08/08(水) 12:20:42ID:0lS2l/uh長慶没後も問題ないと思う、義興と松永兄弟が不仲とは聞かないし、
義興は実績もあるから家臣は勝手な行動は取れないだろう。
史実とはかなり違った結果が予想される。
主家の重要人物がほとんど元服してないような子供ばっかりでは家臣の統制がなくなる
のは至極当然の結果と思う。
0439人間七七四年
2007/08/08(水) 12:58:03ID:0lS2l/uh真之、長治は一緒なのは知っているが。
0440人間七七四年
2007/08/09(木) 12:54:54ID:ljLfscb4本でも読むか。
0441人間七七四年
2007/08/09(木) 14:31:15ID:/DI0X7/Dちょっと難しいかもしれんが、お勧め。
ttp://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4862481353/503-5636895-7199964?SubscriptionId=14VGQGXBFD21B9Y94882
0444人間七七四年
2007/08/16(木) 01:46:33ID:1LxUhxck0445人間七七四年
2007/08/16(木) 10:09:53ID:Qa2me2cY秀長もそうだが、「○○が生きていれば〜」式の議論って安直だよなあ。
色々複雑な要因が重なって現実は動いているのに、たった一つの要素が違うからと言って
そう安直に歴史が軌道修正されるとも思えない。
0447人間七七四年
2007/08/17(金) 00:14:50ID:Hs8J5qP7全然スレと関係ないがw
0448人間七七四年
2007/08/19(日) 13:21:50ID:lNgFF+Pwアッー
0449小魔玉 ◆N10JLQ90IM
2007/08/19(日) 20:23:39ID:oEz0pvvOこれで>>431の芥川山城跡を入れて、三好長慶・義興・義継の居城を巡れましたw
○河内・若江城跡
http://p.pita.st/?m=54jpilsp
○河内・飯盛山城跡
http://p.pita.st/?m=ha74fovi
↓先月、細川氏の家臣だった頃の三好長慶が城主を務めていた、越水城跡も
散策してきたのですが、長慶は何年間、この越水城で城主をしていたのでしょうか?
○摂津・越水城跡
http://p.pita.st/?m=hxulmxv4
0450人間七七四年
2007/08/19(日) 22:03:12ID:ZzIpjHxhなったのは娘と思えるのですが、もし本人ならスゴス
0452人間七七四年
2007/08/20(月) 02:51:49ID:qXLHoI1Mかなりいい年だもんな。しかも、ものによっては元親五男(右近大夫)
の母なんて書いてあるのも稀に見られるし・・・
0453人間七七四年
2007/08/20(月) 19:05:47ID:OUHY1h2k長慶が芥川城に入るのは、天文22年8月になります。
同月に細川昭元を越水から移動させているので、
本格的に拠点を移したものと考えられます。
長慶が畿内に上り本願寺と晴元の間の講和を仲介したのが天文2年、
この時期から越水城は三好方であったらしいので、
足かけ20年になるでしょうか。
或いは摂津半国の守護代になったといわれる天文8年からでも14年間かな。
0454小魔玉 ◆N10JLQ90IM
2007/08/20(月) 21:38:40ID:40HrOFMd453さんの説明に“激しく”感謝です!!
って、約15〜20年間…凄い長期間の間、この越水の土地を治めていたんですね?
(長慶の本拠地は越水城→芥川山城→飯盛山城だと分かったのですが、越水城の前は
どこを本拠地としていたのか気になります!!)
と、オイラは越水城跡がある西宮市の住人なので、この辺り一帯が三好長慶が
治めた&活躍した土地だと思うと、なんだか嬉しい気分になってきますw
>>451
森親子の銅像とかはなかったのですか?
(蘭丸の妖艶な銅像とかw)
0455人間七七四年
2007/08/20(月) 23:26:25ID:pf/46be2ちょっとトイレに行ってきます。
0456奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/08/20(月) 23:45:12ID:HGXOXjXT0457453
2007/08/21(火) 00:40:51ID:5F32Zue+三好は阿波の名族ですが、代々の当主は畿内で活動しています。
長慶はおそらく堺育ちでしょう。
天文元年に父元長が堺で自刃し、長慶(当時10歳)は阿波に逃れ
ますが、復活までの2年間阿波のどこに居たかはよくわかりません。
庇護者である阿波守護細川氏の勝瑞城、
大叔父三好康長の岩倉城、
天文2年?に修築した脇城、あたりが考えられます。
西宮なら摂津滝山城も近いですね。
松永久秀が城代に任ぜられ、弘治2年には長慶を招いて
連歌会や観世能でもてなしたとのことです。
新神戸駅の山側から登れます。
0458人間七七四年
2007/08/21(火) 00:45:20ID:2f6JkdDB芝生城の可能性もあるよ、阿波だと。
>大叔父三好康長の岩倉城
細かくてスマンが康長は叔父。元長の弟だから。
0459453
2007/08/21(火) 01:01:27ID:5F32Zue+おっしゃる通りこれが有力だったかも。
他に、従兄弟とするものもあります。
あまり自信がないところです。
>芝生城の可能性
そうでした。三好発祥の地?なのにすっかり忘れていました。
0460小魔玉 ◆N10JLQ90IM
2007/08/21(火) 23:05:29ID:hKBbBNDuと、滝山城は先月攻略してきたところですw
○摂津・滝山城跡
http://p.pita.st/?m=hnlmmotc
って、滝山城跡の説明板には、荒木村重関係の事しか書かれていなかったので
453さんが言われた「松永久秀が城代に任ぜられ、弘治2年には長慶を招いて
連歌会や観世能でもてなしたとのことです。」というのは初耳だったので、
凄く参考になりました!!
(松永弾正が城代とありますが、城代とは城主と同じ意味なんでしょうか?)
てなわけで、あまりコテが長居すると、スレの方々に迷惑になりますので
そろそろロムに専念させてもいますw
(近いうちに、三好康長公が城主をしていた河内・高屋城跡に行く予定ですので
その時にはレポートを兼ねた書き込みをさせてもらいます!!)
最後に、宣伝で申し訳ありませんが↓のブログを始めてみたので
http://blog.livedoor.jp/honobono2007/
もしよろしければ気軽に見て下さい!!
(歴史関係の書き込みもしていますのでw)
0461人間七七四年
2007/08/23(木) 23:04:37ID:b8Ixsd3S関西は三好関係の城が沢山あって羨ましい。
俺は淡路島の安宅氏関係の城に行きたい。
0462人間七七四年
2007/08/26(日) 22:59:17ID:Fny7SADA十河を助ける四国征伐なのに
0463人間七七四年
2007/08/28(火) 07:28:57ID:qngQTPwr0464人間七七四年
2007/08/31(金) 21:58:56ID:wKEkEnmu0465人間七七四年
2007/08/31(金) 22:14:29ID:p3T9sq/s0466人間七七四年
2007/08/31(金) 23:00:55ID:eZQlRq+B奈良奉行も出してた
0467人間七七四年
2007/08/31(金) 23:14:25ID:VVLDL77g何度読み返しても混乱ばっかり。
でも学ぶに値するほどの面白い一族だとわかった。
まずは今読んでる「松永久秀の真実」を読むとこからかな。
初心者の俺でも何度か読み返し、ノートに誰と誰が戦ったかなど、書いてると
少しではあるけど分かってきた。
これは読んだ人から見るとやはり初心者向けなのか?
まあ、主役は久秀だからそこまで細川、畠山、三好(阿波などの)を掘り下げてないのかも知らんけど。
もちろんこの本で全てを分かったなどと言うつもりはないので、これよりも
もう少し難しめのお勧め本があったら誰か教えてくれないか?
0468人間七七四年
2007/09/02(日) 13:42:33ID:gx5+lz9Gただ、真正面から細川の分裂をとらえた本はあったっけ?
今谷明の三好一族とかも、三好の視点だから細川のほうからの
見方はまた違ってくるんだろう。
政勝も晴元以後、具体的にくわしくどんな活動したかを知りたいけど、
難しそうだな。
0469人間七七四年
2007/09/02(日) 17:19:49ID:qwtS21/j研究者的には面白みが少ないのでしょうね。
京兆家・阿波守護家の滅亡の頃は、
もうぐだぐだ過ぎて
歴史的な影響も殆ど無いので、
これもまた研究の対象にならず、
傍流とはいえ、肥後細川家が存在していますから、
その辺への遠慮もあるのかもしれませんね。
0470人間七七四年
2007/09/08(土) 20:08:07ID:yQykaJvd>研究者的には面白みが少ないのでしょうね。
残っているからこそ、そこからもっと研究できることもあると
思うのだが。
>京兆家・阿波守護家の滅亡の頃は、
>もうぐだぐだ過ぎて
>歴史的な影響も殆ど無いので、
>これもまた研究の対象にならず、
司馬遼太郎や、井沢元彦も似たような事言っていたな。
で、どっちも完全スルー。しかし俺は偏見に過ぎないと思っているよ。
歴史的に影響がないって、歴史は連続したものなのにここはいらない
ってすっとばすのは納得がいかない。あるいは他の時代にも見られることで、
同じところだと考えているのかもしれないけど。まあ所詮は人の好みなんだろうね。
ぐだぐだな時代だと考えているのなら興味がないのはしょうがないよ。
ただ、それを言うと、この時代の三好氏も取るに足らない存在になるのでは?
それとも細川氏は影響はなくても三好氏は別ということ?細川氏の家臣として
成長したのが三好氏なんでしょ?
>傍流とはいえ、肥後細川家が存在していますから、
>その辺への遠慮もあるのかもしれませんね。
大名家の生き残りなんてそこらにゴロゴロいるんじゃないか?その家のこと
を研究するのに配慮が必要なの?例えば彦根藩主だった井伊家とか、江戸幕府を開いた
徳川家のことを研究するのにも配慮が必要なの?
それとも肥後細川家だけが特別に政治力を持っているの?
元首相の人がいるだけなのに?
0471人間七七四年
2007/09/08(土) 21:48:17ID:hOz/q7Yc>この時代の三好氏も取るに足らない存在になるのでは?
小説読んだ限りの私見でスマヌが、
少なくとも司馬遼的には、三好って取るに足らない存在なんだろな。
長慶と久秀の年齢差もぜんぜん考慮せずに
『久秀は長慶の寵童だった』とのたまったり、
長慶がかってに入道名になってたり
鬼十河が戸次川の戦いで戦死したり(←これは超有名ww)
ないことないこと書きまくりだもんなあ・・・
いま現在、イメージ的に三好一族がビミョウなのも
昔の物書きのテキト―さに、一因があるのかも知れない。
0472人間七七四年
2007/09/08(土) 22:42:42ID:9WCc2w2I三好氏の研究が進んだのはここ最近だよ
あの頃は「細川両家記」だの「三好記」だの
史料価値の劣る軍記程度しか元に出来なかったし、
知名度だって今以上に低かった
0473人間七七四年
2007/09/09(日) 01:03:30ID:KII99yt+0475人間七七四年
2007/09/09(日) 01:37:03ID:H7K1M7i+0476人間七七四年
2007/09/09(日) 02:02:33ID:OXML4XuFhttp://www.asahi-net.or.jp/~JT7T-IMFK/taiandir/x194.html
0477人間七七四年
2007/09/09(日) 10:36:07ID:tL0icdal「細川両家記」って史料価値低いか?「足利季世記」よりはましだと
聞いたが。
ただ、司馬遼太郎は、知名度が低かろうが間違った事を書いてはいけないだろう。
0478人間七七四年
2007/09/09(日) 12:47:33ID:wbJHhKwW間違ったどころか、司馬遼太郎は意図的な資料の読み違いはいつもの事だし、ひどい時には資料捏造までしてるぞ。
あの人の小説はあくまでエンタテイメントだ。
0479人間七七四年
2007/09/09(日) 19:51:06ID:xuwlmBpvしかも本人確信的にそれやってるので、読者からツッコミ入ると
「なんで小説だってこと理解できねえバカが多いんだろうなあ」と本気で言っちゃうからタチ悪いw
0480人間七七四年
2007/09/09(日) 21:12:17ID:tqmhRrb9それは「足利季世記」が駄目なだけ、あれはまるで小説だ
「細川両家記」は軍記の中では史料的価値は高い方なのは確かだが、
書かれた経緯や著者や年代を考えると一次史料で裏を取る必要はあるだろう
完全に駄目だというのではなく、一次史料と同列に扱うのは危険だという話
0481人間七七四年
2007/09/09(日) 21:34:38ID:7xG8LO6u確かに
「こうしたほうが面白いからミ☆」ってのは
司馬の小説ではとりわけ多いし、司馬の場合、
それで面白いリズムを作れてるから、全然アリだと思うけど、
>>471みたいなデタラメはさすがに無いよなw
0482人間七七四年
2007/09/10(月) 04:21:55ID:W1B/+1nK0483人間七七四年
2007/09/10(月) 21:15:43ID:QPqz7Spa「この国のかたち」だっけ?に>>469みたいなこと書いているから、
興味なかったのは間違いないんだろうね。まあしょうがないけど。
0484人間七七四年
2007/09/19(水) 18:13:24ID:IGucNnFiああいうのが一番凄さを示すだろう
0485人間七七四年
2007/09/19(水) 19:24:22ID:3K5k9XUv0487人間七七四年
2007/09/20(木) 18:52:28ID:ORTDL47z一存が義輝襲撃に加わっててわろた
誰の指示か義輝に聞かれたら義継様が〜とか自分の息子に敬称つけてるの
0488人間七七四年
2007/09/20(木) 20:54:02ID:OOKEPUQAマジで!?
あの小説は大好きなんだが
朝倉軍とのぶつかり合いのくだりで、
「あの軍を率いてる朝倉宗滴というヤツは
名門というだけで、遊びと女以外に取りえのないバカなんだ」
というような事を、猿(?)が説明してた。
どこから突っ込んでいいのかわからないような
しょっぱい気持ちになったのをよく覚えている。
0489人間七七四年
2007/09/28(金) 14:05:02ID:wtff/2MN国盗り物語でも、義輝襲撃に加わっていた。その上、岩成主税助は、岩「城」主税助ときたもんだ。
(その後、勝竜寺城陥落の折は、岩成主税助になっていたが)
それはそうと、三好笑岸って誰のことじゃ?日向守長逸のことか?
>>488
国盗り物語では、宗滴は名将ということになっていたぜ。
0490人間七七四年
2007/09/28(金) 14:09:38ID:ClzFnxET0492人間七七四年
2007/09/28(金) 16:37:40ID:oB5R3/UO宗滴が生きていたらダメじゃないかw
0493人間七七四年
2007/09/29(土) 01:23:31ID:e1p+Q0oa義輝と対立して阿波の将軍を立てて義昭と義昭支持の信長に対抗してたはずなのに
この二人が対立すると何故か義昭についてたりする
もともとアンチ近江公方なんだから信長に付くのが妥当だと思うんだがなぁ
0494人間七七四年
2007/09/29(土) 01:35:07ID:DJWWycKa信長はいやだろ。好んで信長に付きたいって言う武将はそうはおらんよ。性格に問題がありすぎるし信用が無い。
0495人間七七四年
2007/09/29(土) 09:57:28ID:E5R8C9ibまぁ直属の部下にはなりたくないわな
0496人間七七四年
2007/09/30(日) 18:08:25ID:ZmbCxapOこの御大将にはついていけない、って思わせる人物だったからとしか言い様が無い。
0497人間七七四年
2007/09/30(日) 18:49:56ID:0KFAMUdv0498人間七七四年
2007/09/30(日) 19:44:24ID:ZmbCxapO有名どころで浅井長政、荒木村重、松永久秀そして明智光秀、越前では旧朝倉家の富田長繁、安居景健、
朝倉景胤、北陸方面では寺島氏、石黒氏、小島職鎮、斉藤信利、土肥政繁、近畿、中国方面では三好義次、
赤井直正、波田野秀治、別所長冶、
少なくともこの辺は一端信長配下に入った後裏切った連中だな。
0499人間七七四年
2007/09/30(日) 20:55:47ID:EqB8kgvc富田、松永は同僚との争いが原因だろ
旧神保家臣の土肥、斉藤が裏切ったのは信長の死後
小島なんかは完全に上杉の家臣で裏切ったとはいえない気がする
あら捜しすればどの大名も似たような結果になるよ
0500人間七七四年
2007/10/01(月) 09:40:03ID:P5cbbXvSやはーり畿内で権力闘争に忙しかったから
0501人間七七四年
2007/10/01(月) 11:30:50ID:bgv7/yC7何をもって「足固めをしなかった」と定義しているのかを説明してくれないと答えようが無い。
滅亡の直前まで讃岐・阿波は三好の本拠として機能してるはずなんだがね?
足固め=分国化ってことか?
0502人間七七四年
2007/10/01(月) 23:14:17ID:/XVGppQLかなり意味が違ってくる。
同盟者の場合は政治的な動機がまず第一原因で、個人的な感情で同盟を破ってしかも
それで滅びたのならそれは裏切られた側の人格ではなく裏切って滅んだ側の選択の
ミスを問うべきでは?
0503人間七七四年
2007/10/02(火) 01:28:25ID:N1GpHlNqばっさり切り捨てるか、明確な政策がとれていれば、
もう少し何とかなった筈。
結局懐柔できず、離反されて、そこにさらに長宗我部がつけ込んだ。
結果は共倒れ。
0504人間七七四年
2007/10/14(日) 18:06:55ID:A+zcP5Ni0505人間七七四年
2007/10/14(日) 21:38:55ID:iaNOL81i細川晴元の下で、長慶と戦ってました。
0507人間七七四年
2007/10/14(日) 22:20:33ID:iaNOL81ihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E6%94%BF%E5%BA%B7
0508人間七七四年
2007/10/14(日) 22:30:04ID:lmqd5sitあなたを幸せにする不思議な呪文、それが『ラヂヲ』
1日最低1回、ラヂヲと発声してみよう。
友達と話しているとき、電車に1人で乗っているとき・・・
最初は恥ずかしいかもしれないけど、
なんの脈絡もなく、突然『ラヂヲ』と言うことが
だんだん快感に変わっていくから驚き!
きっと周りのラヂヲ教徒もニッコリ微笑んでくれるはず。
0510人間七七四年
2007/10/18(木) 20:18:48ID:J930E4DT0511人間七七四年
2007/10/18(木) 21:22:47ID:iFWOXMtM将軍の要請だと機内近辺のアンチ三好勢力が謙信に協力するかもしれない
0512人間七七四年
2007/10/18(木) 21:55:53ID:KW2NhLNv0514人間七七四年
2007/10/18(木) 22:00:32ID:iFWOXMtM朝倉とか一色とか六角とか協力してくれないかな
0515人間七七四年
2007/10/19(金) 02:15:21ID:J1EeS0Td阿波や讃岐の軍勢や水軍もある上堺も押さえている。
越後からの遠征だし、越後から都までの糧道にせよ、加賀や越前、
近江が兵糧を供出するとは思えんし、越後からでは遠過ぎる。
正直、義輝の判断がむしろ当たり前だと思う。
0516人間七七四年
2007/10/19(金) 20:10:28ID:yqBZjbX30518人間七七四年
2007/10/19(金) 22:45:40ID:yqBZjbX30519人間七七四年
2007/10/19(金) 23:01:38ID:PL4c5anU0520人間七七四年
2007/10/19(金) 23:24:21ID:yqBZjbX30521人間七七四年
2007/10/19(金) 23:54:16ID:PL4c5anU0522人間七七四年
2007/10/21(日) 18:10:01ID:3ORF5xb9よく踏ん張っただろ
0523人間七七四年
2007/10/22(月) 07:33:34ID:7LE7vAhP●輝元 ●立花 ○家康 ●石田 ○秀忠
大坂 大津 近江 大垣 中仙道
0524人間七七四年
2007/10/22(月) 09:02:34ID:BcbKv9wb0525人間七七四年
2007/10/22(月) 12:35:04ID:7LE7vAhP0526人間七七四年
2007/10/24(水) 23:48:58ID:pFUhUWU81 :なべ式(第二期首席卒業生)φ ★:2007/10/24(水) 15:32:55 ID:???
徳島ゆかりの戦国武将・三好長慶(一五二二−六四年)の顕彰活動に取り組む有志が、
鳴門市出身の舞踊家・桧瑛司さん(一九二三−九六年)によって記録された踊りを基に、
歌謡曲「戦国三好節」を作った。県民にあまり知られていない三好氏を分かりやすく
アピールするのが目的で、第二十二回国民文化祭・とくしま2007(おどる国文祭)に
合わせて行われる戦国三好フェスティバルで披露する。
作詞したのは、徳島の歌を作る会会長の高橋敏夫さん(70)=鳴門市大麻町桧。
昨年、妻が三好氏の家臣の家系であることが分かり長慶の顕彰活動に参加。同年秋に
鳴門市内で開かれた桧さんの回顧写真展に足を運んだ際、桧さんが調査した県内の
民俗芸能の中に三好氏を歌詞にした「三好踊り」があることを知り、曲作りを思い付いた。
■中略
〈冒頭のせりふ〉
〜ころは天文半ばごろ、三好軍勢幾千人の天下を目指す紋所 三階菱の旗なびかせて
今、出陣の誉れ川〜
〈一番の歌詞〉
音に聞こえし三好殿 阿波や淡路を催して 和泉の国へと御陣立ち それを聞き候根来
法師が 軍見かけて護摩を焚(た)く
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_119320683836&v=&vm=1
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1193207575/
0527人間七七四年
2007/10/26(金) 13:26:40ID:DdDweI1a淡路十人衆って だれだれなんだ?
加藤主殿
則守長宗子
教えて偉い人
0528人間七七四年
2007/10/26(金) 13:53:02ID:p+jiZ52/賀集盛政、野口則宗、島田時儀、加藤主殿、は出てきた
安宅もそうですよね、多分・・・
0529人間七七四年
2007/10/26(金) 15:21:11ID:DdDweI1a賀集盛政、野口則宗、島田時儀、加藤主殿 で4人
柳澤 直孝−直勝−直盛
で5人
0530人間七七四年
2007/10/28(日) 20:29:44ID:7wOg3F2u0531人間七七四年
2007/10/28(日) 21:40:42ID:alQ0OgZp将軍のお伽衆に任命されるくらいだし、
すでに別格扱いの存在だったんだろう・・・。
0532人間七七四年
2007/10/28(日) 22:18:45ID:eZTsotp00533人間七七四年
2007/11/15(木) 14:53:09ID:JgvtHkIM0534人間七七四年
2007/11/17(土) 22:07:46ID:fIYRinr50536人間七七四年
2007/11/18(日) 04:04:41ID:Y+fDyF8C家宰というよりも、松永みたいに独自性が強い同盟者って感じだな。
0538人間七七四年
2007/11/18(日) 13:36:41ID:DvdenMaq0540人間七七四年
2007/11/19(月) 16:49:17ID:VVzTT8yL0542人間七七四年
2007/11/20(火) 18:12:17ID:qk8YoGnz0543人間七七四年
2007/11/20(火) 19:33:35ID:wBLzChAi元就とか信玄あたりが上洛して同じ真似されたら余裕で暗殺するだろう。
0545人間七七四年
2007/11/20(火) 21:36:32ID:qk8YoGnz0546人間七七四年
2007/11/20(火) 23:07:18ID:ffKsIkLk0547人間七七四年
2007/11/21(水) 01:45:55ID:bGnDI0zvそんな慈悲深い(とゆーかぬるい)長慶たんに
ためらいなくヌッ殺された木沢長政って・・・
よっぽどなワルだったんだろうねえ・・・
0548人間七七四年
2007/11/21(水) 10:00:45ID:Nq3zyiEp0549人間七七四年
2007/11/21(水) 22:06:13ID:KTwzrOZm0550人間七七四年
2007/11/21(水) 22:25:28ID:JvuiJ+m8最低でも三好執権体制くらいは出来たようにも。
0551人間七七四年
2007/11/22(木) 12:51:09ID:uXqdmBGHでも政略、戦はほとんど勝っている。
この時代の人間にしてはかなり変わってる。
0552人間七七四年
2007/11/22(木) 14:20:21ID:mNSiDT2r0553人間七七四年
2007/11/22(木) 17:46:34ID:1hHn4RCF0554人間七七四年
2007/12/09(日) 02:10:59ID:Lvkd3W1E・市制移行を検討している三好町が、同名となる可能性のある徳島県三好市から、「三好市」を
名乗らないように要請されていたことが6日分かった。町は「総務省の見解を確認して対応したい」と
している。
三好町は9月に「市制施行準備室」を立ち上げ、“新市”の名称は、町議や自治区の代表らでつくる
委員会に協議を依頼。委員会は地区で100年以上親しまれてきた「三好」を、市名に冠することを
検討してきた。
名称に同じ漢字を使う市については、1970(昭和45)年に、当時の自治省が「既存の市の名称と
同一とならないように十分配慮すること」との通知を各都道府県に出している。
しかし、2004年に町が県を通じて総務省に確認すると「相手方に異議がなければ、拒否するもの
ではない」との見解を得たという。これを受け、10月下旬に町幹部が徳島県三好市を訪れ、同じ
漢字の市となることに了解を求めた。
これに対し先月16日に三好市から文書で回答があり、「議会や市民も到底納得できない。
反対であることをお伝えするしかありません」と強い調子で拒否された。
(>>2-10につづく)
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20071207/CK2007120702070250.html
※前:http://news24.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1196995425/
2 :かしわ餅φ ★:2007/12/08(土) 08:43:10 ID:???0
(>>1のつづき)
理由について同市は、総務省の見解にならい大阪府に存在する「池田市」を候補から外したこと、
三好町の動向も確認した上で名称を決めたことを挙げている。三好市は、当時の郡の名前を冠して
2006年に6町村が合併して誕生した。
三好町は現在、県を通じて総務省に見解を照会中。総務省の担当者は取材に「三好町が市制の
要件を満たしているのかわからない状況ではコメントできない」としながら「一般論としては単独の
自治体が市制施行して、同じ名称になった例はない」と話している。
同じ漢字の市は、東京都と広島県の「府中市」と、北海道と福島県の「伊達市」が存在する。
ただ「府中市」は、1954(昭和29)年の自治体数が約1万から3分の1になった大合併時に
一日違いで誕生。「伊達市」は2006年、合併して別の名称になる予定だった北海道伊達市が、
福島県伊達郡からの意向を了解したが、その後、合併の枠組みが崩れて名称が残った経緯がある。
総務省は「ともに混乱や行き違いの中でできてしまったので、仕方ない」としている。
(池田宏之)
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1197070975/
0556人間七七四年
2007/12/10(月) 15:43:36ID:j4FdlvqCノ .| ,ノ うどん ´i
/ `'‐´`'-,_,‐'v'‐-ー,__,、,-、_`'!_ _
_ __ノ‐-ー' ,‐^'‐‐,iー,,l´ ~ ,}
‐‐=''‐'`フ 蜀 ,‐´ `\ 呉 /"
.t_ . i`ヽ_/ 魏 ~j `i、
.л) .`j ___,,,--、 '‐! ζ
__| . jヽ‐'´~ /'' `ヽ ヽ, ,,---'´´~
`フ `i ノ ヽ, /
`'''ーt´ ,‐,/~ .i /
< _j `
`^'ヽ.j
0558人間七七四年
2007/12/11(火) 13:16:32ID:7cjHmrtg0559人間七七四年
2007/12/16(日) 07:27:18ID:PZysHFaA0560人間七七四年
2007/12/26(水) 21:37:09ID:wqr/V9Xd西豊田市とかにしたほうが地元民以外にはわかりやすいんじゃね?
0561駿河朝比奈氏
2007/12/28(金) 13:40:03ID:WaSP77Io0562人間七七四年
2007/12/29(土) 04:39:05ID:W/+fd/gi0563駿河朝比奈氏
2007/12/29(土) 14:37:35ID:aA1+A/C80564人間七七四年
2007/12/30(日) 05:05:37ID:uupnr+eT0566人間七七四年
2008/01/02(水) 13:49:24ID:oKIkaqBw0567人間七七四年
2008/01/07(月) 21:02:02ID:XOskGcr6てか信長死ななかったら三好一族は阿波讃岐淡路で大名として残れたのにね
0568人間七七四年
2008/01/15(火) 07:29:15ID:Cg5gpdvp三好一族の長老として、畿内や四国の三好一族に顔が利いたからでしょ?
あと、一軍の将としても有能だったから。
ところでゲームの話で申し訳ないけど、康長はゲリラ戦に長けていたという
のが列伝に記述されていたけど、出典はどこだろう?
0569人間七七四年
2008/01/18(金) 02:03:34ID:2AaaJJRz0570人間七七四年
2008/01/18(金) 03:28:52ID:tZ3KDfVN信孝を康長の養子にするのも、そういう効果を狙ってたと思われます。
0571人間七七四年
2008/01/18(金) 04:35:56ID:wVnog5Oz松永久秀のほうが知名度高いみたいだけど。
>>570
征服後の四国
讃岐→三好(織田)信孝
阿波の残り→三好康長
他は未定
この2人に少し領地足して、丹羽とか他の部将で四国分配かな?
最終的には信孝が四国の主か。
0572人間七七四年
2008/01/18(金) 08:07:12ID:PXvdep4V篭城って、ゲリラ戦なのかな?
>>571
大河はまだしも、無双に長慶様…天然病弱ショタキャラにされそうで少し嫌だな。
あれ、十河存保はどっかに転封?
0573人間七七四年
2008/01/18(金) 10:11:18ID:FDa/odf4小笠原頼澄??
0574人間七七四年
2008/01/18(金) 13:10:08ID:EIIsoYHA十河存保の事忘れてたわww
讃岐→三好(織田)信孝
阿波の残り→三好康長
十河存保、丹羽とその他→土佐・伊予など
こうなるのか。
0575人間七七四年
2008/01/18(金) 15:10:51ID:2gQa2Bz0三好康長は三好(神戸)信孝に家督を譲って隠居かな?
阿波・・・三好信孝(三好康長)
讃岐・・・三好信孝(津田信澄・十河存保)
伊予・・・蜂屋頼隆
土佐・・・丹羽長秀
淡路・・・羽柴秀吉の管轄かな?
0577人間七七四年
2008/01/18(金) 17:25:53ID:tZ3KDfVN・蜂屋は和泉半国を貰ったばかりでは?
・丹羽は遊撃隊だから、任務が終われば若狭に帰還。信澄も同じか。
0578人間七七四年
2008/01/18(金) 20:15:52ID:U5EorlEe拝領した例があるから、可能性としてはある。
ただ、封じられるとしたら僻地の土佐でなくて伊予だと思う丹羽は。彼は信長から、
軍司令官としてはあまり高くは評価されてはいないが、それ以外の点では信用は高い。(滝川と逆だな)
おそらく伊予に封じられて、毛利や大友など外様との折衝役の任じられるかと。
0579人間七七四年
2008/01/18(金) 20:28:46ID:MZMoZAk0そのまま信孝の補佐役かな?
そうなると伊予を貰うのもわかるけど。
信孝・丹羽・康長で四国を分配
羽柴・明智で中国を押さえ
その上で九州という流れか
0580人間七七四年
2008/01/19(土) 11:05:17ID:JHckmX16丹羽と蜂屋、どちらでもよかったんですが、
土佐の統治が難しそうだったんで丹羽にしました。
ついでに丹羽と蜂屋を四国に封じたのは、
その頃、信長が馬廻衆を近隣に配して直轄領を増やし始めていたから、
玉突き人事で四国に押し出されたということで。
柴田勝家→越後(北陸方面担当)
羽柴秀吉→安芸(中国方面担当)
滝川一益→上野(信忠補佐)
河尻秀隆→甲斐(信忠補佐)
丹羽長秀→土佐(信孝補佐)
蜂屋頼隆→伊予(信孝補佐)
村井貞勝→山城(中央政治担当)
明智光秀→不明(中央軍事担当…そのうちにどこかへ転封予定)
こんな感じで。
あと、
織田信忠の補佐役が滝川一益と河尻秀隆と考えますと、
神戸信孝の補佐役は丹羽長秀と蜂屋頼隆かな?
北畠信雄は連枝衆の域から出ないという方向で。
十人十色の考えがあって面白いですね。
0581人間七七四年
2008/01/19(土) 11:09:37ID:JHckmX16津田信澄は和泉に封じるでも可。
0582人間七七四年
2008/01/19(土) 11:57:44ID:xx8P0WfF軍司令官としてはあんまり評価されていないけれども形式的には結構重用されているよね?
蜂屋って和泉貰うまで何していたか誰か説明できます?
途中でぱったり消えてなくなって突然復活するヒトという印象が私の中で・・・
0583人間七七四年
2008/01/19(土) 12:15:11ID:vuAc6wtf織田家のマイナーな武将を語るスレ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193212492/
このスレでも蜂屋の謎については結論が出なかったよ。
0584人間七七四年
2008/01/19(土) 14:09:50ID:Hs6Q2FHR散見される記録をみると、尾張美濃の武将として信長・信忠の直属として従っていたと思われる。
具体的な活躍の描写には欠けるが、長島、将軍義昭追放、越前一揆殲滅、天王寺、荒木攻め、
信忠による播磨遠征らに一武将として参加していたことが確認できる。
おそらく佐久間追放によって尾張美濃が再編成された期に、それまでの勤めが評価されて和泉に
抜擢されたという感じではないかな。摂津に池田恒興が配されたのと同様、畿内を守り中国、
四国への玄関口になるこの地方は実力だけで抜擢するよりも長く使えてきた者を当てた方が
いいと考えたとか?
もう一つ
>織田家中の地位が高すぎる気がしなくもない
伊予は瀬戸内を扼し、赤間関・豊後水道にも影響を与え、中国(山陽)と九州(豊後)をにらむ重要地点。
若狭でくすぶらせているよりもはるかに働かせ甲斐があるポジションだと思う。外交的に毛利
そして大友を相手にするということだから。
丹羽が若狭に配された頃は、越前と丹波を睨む重要拠点だったが、天正十年の状況ではね。
0585人間七七四年
2008/01/19(土) 14:40:17ID:8AbZGenk>蜂屋って和泉貰うまで何していたか誰か説明できます?
@1559年以前に斎藤氏から織田氏へ仕える
A黒母衣衆の1人になる
B信長の上洛時には柴田勝家・森可成・坂井政尚とともに勝竜寺城を攻撃
C上記の3人や丹羽長秀・木下秀吉・明智光秀・中川重政・滝川一益らと京畿の政務に関わる
D伊勢・江北・越前・本顧寺・雑賀・播磨攻めなどに参加
E佐久間父子追放の後、和泉の支配権を貰う
0586人間七七四年
2008/01/20(日) 01:01:03ID:k0i0TL3qでも原作本があるかどうかだが・・・。
0588人間七七四年
2008/01/20(日) 20:48:37ID:9gcM+mqchttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1194548604/l50
なんか関係あるの?
0590人間七七四年
2008/01/21(月) 01:30:32ID:HJZ6a2SQ0592人間七七四年
2008/01/21(月) 03:31:47ID:dYtHpPG/0593人間七七四年
2008/01/21(月) 03:36:15ID:zyf+CrEm0595人間七七四年
2008/01/21(月) 03:40:43ID:cTcrMFdE0596人間七七四年
2008/01/21(月) 05:53:38ID:prMvXzDp0597人間七七四年
2008/01/21(月) 09:19:00ID:amaiB+IA所詮はif話ですから・・・。
永禄十一年に織田信長が上洛したのは、
@美濃を平定できたこと
A足利義昭を迎え入れたこと(足利義輝が死亡)
B三好政権の自壊闘争が長期化したこと
C永禄九年に長慶の葬儀が行われたこと
D浅井家や武田家などと縁戚同盟が結ばれたこと
という要素が大きいかと思います。
ABCは長慶の死が大きく影響していますから上洛の内容が変わりますね。
内容が変われば合戦場所も外交戦略も変わります。
信長自身も上洛より伊勢平定を優先するかもしれませんし、
大和の松永久秀もどう動くかわかりません。
私的には戦なんて時の運もあると思っていますから必ずこうなるとは言いませんが、
上洛阻止ができるかどうかだけを考えれば確率は低いかな?
0599人間七七四年
2008/01/21(月) 23:56:25ID:V/8gQkAA永禄の戦国期、久仁子は、安宅家の長男で知的障害者の信康と結婚。
財産狙いとやゆされるが、久仁子は純粋無垢な信康に献身的な無償の愛を貫こうとする。
しかし、安宅家の財産をめぐる周囲の欲望、さらに信康の義妹に対する恋の目覚めから久仁子の葛藤(かっとう)が始まる…。
【原作】吉屋信子(同名小説)
【プロデューサー】西本淳一(東海テレビ)
【キャスト】
安宅久仁子:遠藤久美子(信康の妻)
安宅信康:内田滋(ホテル王の息子、知的障害がある)
安宅雅子:小田茜
安宅清康:小林高鹿(雅子の夫、信康の異母兄弟)
安宅冬康:目黒祐樹(安宅家当主)
????:奈美悦子(当主の別れた妻)
ほか
【HP】www.tokai-tv.com
0600人間七七四年
2008/01/22(火) 04:39:50ID:Lvm+s7Iv四国を統一してたかもしれないし、畠山・筒井・六角を滅ぼしていたかもしれない。
0601人間七七四年
2008/01/22(火) 06:57:51ID:jnL012Z1事実讃岐 阿波を完全に治めて伊予も東から侵蝕していった
後、定頼死後の六角からも湖南湖西くらいは奪えただろ
0602人間七七四年
2008/01/22(火) 11:27:36ID:/9K2WsxS一番貧相な土佐から出発ならどことってもうまいけど
既に機内に基盤を築きつつある三好から見て四国は旨みが少ない
0603人間七七四年
2008/01/22(火) 13:22:38ID:OnCYh6Uo>>602
伊予には行くだろう。
蜜柑を食べに。
0604人間七七四年
2008/01/22(火) 21:11:17ID:ptFUY5dv伊予の河野は弱体化してて攻めてくる可能性はほぼゼロだし、
藪を突付いて敵を増やすくらいなら畿内を優先するだろうと思うよ。
東伊予の自立気味の豪族を味方にして基本任せるくらいじゃない?
個人的には、実休殿が阿波に健在なIFでのVS長宗我部が興味ある。
0605人間七七四年
2008/01/22(火) 21:20:54ID:Uk7eLPnq正直なところ、成長する前に三好家に下ると思う。
長宗我部が勢力拡大できた原因の一つは三好の弱体化にあると思う
0607人間七七四年
2008/01/22(火) 21:38:28ID:Uk7eLPnqそんな感じだろうか
三好家は1562年の三好実休の死からあっという間に衰退し
1573年には三好宗家が滅んでるしね
0608人間七七四年
2008/01/22(火) 21:52:41ID:ZgRATqlH阿波細川持隆が攻めたのかな?
0609人間七七四年
2008/01/22(火) 22:25:01ID:jnL012Z1やっぱり讃岐を平定してからだよね
0610人間七七四年
2008/01/31(木) 11:26:55ID:Z9s4Z+Om十河一存は東伊予方面に出兵したのかな?
西讃岐は香川が天霧城で十河(三好)に抵抗していたし。
ただ伊予に対しての十河(三好)の影響力は強そうだけど。
それにしても一存の実子である三好義継って何で松永久秀と手を組んだんでしょう?
一存と久秀って仲が悪いんじゃなかったん?
0611人間七七四年
2008/02/01(金) 06:36:06ID:CwGtbHEI三人衆が後見しているのが気に入らなかったから。
…13歳の子供に畿内・中国・四国に広がる版図を運営できるとは思わないけどなぁ。
有力な一門が差配するのは当然とは思うけど。
0612人間七七四年
2008/02/01(金) 17:20:43ID:5HOndv9Eやっぱり長慶の実子じゃないから三好三人衆に軽んじられたんかな?
それでも松永久秀と手を結ぶっていうのは極端のような気がします。
何か利点があったのかな?
0613人間七七四年
2008/02/01(金) 20:07:25ID:mTwZ3BZc東伊予のうち新居郡は備中守護家が領していたが、断絶して守護代石川氏が台頭。
石川通清は三好氏から室を貰って関係良好?
野洲家の細川晴国は備中国浅口郡と伊予国宇摩郡を中心に温泉郡などに領し、
死後継いだ弟の細川輝政(通政)は旧備中守護家の国人衆に備中の居城を追われて河野氏を頼って伊予へ。
野洲家は戦国時代になってからは政国や尹賢、氏綱など京兆家よりも典厩家との関わりの方が深い。
晴国の子細川通薫は宇摩郡川之江の城主となり、天文末頃(1550年前後)には氏綱方と書状のやりとりをしたり
備中沿岸で起きた合戦に対し浅口衆に感状を出したりしている。
永禄二年には三好氏や石川氏、大西氏の圧力があったかどうか知らないが伊予を捨てて旧領備中浅口郡に迎え入れられた。
永禄末頃に篠原長房が備前児島に侵攻した時には織田・足利の細川藤賢から感状を受けていて、
当時既に毛利に属して三好氏に敵対していることが分かる。
ということで永禄初めに頃に石川氏を味方につけて、後楯の細川氏綱から実権を奪った(氏綱が淀城に
移されたのも永禄二年)隙に野州家を追い出して東伊予を版図としたのかなと想像。
0614人間七七四年
2008/02/02(土) 06:14:36ID:55+sxnrz軽んじられたというより、ただ単に義継が反抗期だったというだけかもしれない。
大方、久秀がそこにつけこんで、甘い言葉で誘ったんじゃないの?
久秀「某のところにおいで下されば、必ずや三人衆と篠原長房を攻め滅ぼして、
殿の思う政ができるように致しましょう」
とか吹き込んでさ。
0615人間七七四年
2008/02/16(土) 15:22:18ID:ASkxBpex0616人間七七四年
2008/02/17(日) 01:28:11ID:3wAaESsA0617人間七七四年
2008/02/17(日) 01:40:29ID:APnAe3qk0618人間七七四年
2008/02/19(火) 17:31:07ID:Cz/al9RI0619人間七七四年
2008/02/20(水) 03:42:27ID:bD2IjyuZ根来や雑賀の影響から鉄砲の重要性はわかってただろうしね
0620人間七七四年
2008/02/20(水) 06:06:27ID:6ccJPy8g案外忌避されてたかもなw
0621人間七七四年
2008/02/21(木) 09:59:28ID:CdlCH4uy>根来や雑賀の影響から鉄砲の重要性はわかってただろうしね
その反面…、
@雨の日の鉄炮の使用は厳しいこと。
A鉄炮の使用方法が難しいこと。
B鉄炮が高価なこと。
ここらもわかっていたかと思います。
鉄炮も使用されていたかと思いますが、やはり弓が一番効果があるかな。
0622人間七七四年
2008/02/21(木) 10:02:02ID:1AhdstWy良くも悪くも火縄銃の効果的な使用は、限定的な戦略に限られる。
0623人間七七四年
2008/02/26(火) 22:23:01ID:iAg4l2sV0624あ
2008/03/07(金) 14:45:39ID:VBI7LliU人材豊富で、畿内、丹波、四国、淡路を制圧していたんだよな。
0625人間七七四年
2008/03/07(金) 17:34:07ID:9qYBkU250626あ
2008/03/07(金) 20:06:08ID:VBI7LliU0629人間七七四年
2008/03/12(水) 05:23:01ID:SNlQfDSZ0630人間七七四年
2008/03/27(木) 15:21:35ID:Qvnmyz050631人間七七四年
2008/03/29(土) 12:51:58ID:SEgswXe60632人間七七四年
2008/03/30(日) 00:06:49ID:CVGrZ2V+0635人間七七四年
2008/04/02(水) 08:17:46ID:8DwJmYRS0636人間七七四年
2008/04/05(土) 04:31:58ID:t/ZBMsVX0637人間七七四年
2008/04/06(日) 01:42:51ID:NT6jKt130638人間七七四年
2008/04/06(日) 02:04:40ID:M79IKrsC六角家と畠山家が組んでいるから時間がかかりそう。
伊予は毛利家が介入するから無理っぽい。
南伊勢は織田信長の侵攻に対して果敢に籠城戦で対抗したからどかな?
それより大和を平定することが困難かと。
播磨だけは丹波を押さえ込むことができればいけるかも。
明智が丹波を平定してから羽柴も播磨を平定することができたしね。
0639泉 こなた
2008/04/13(日) 10:05:01ID:WoMdbLql0640人間七七四年
2008/04/13(日) 11:41:14ID:ilSOS5axたいした事してないどころか、山城・大和方面で八面六臂の活躍してる。
山城は特に対細川・六角の最前線で、勝軍山城の奪い合いがそりゃもう凄い事に。
当時久秀の指揮下にあった長逸のせがれが討ち死にしたのもここ。
0641人間七七四年
2008/04/13(日) 12:23:38ID:Yq/quIqt0642人間七七四年
2008/04/13(日) 19:04:51ID:2/aIPGGy0643人間七七四年
2008/04/14(月) 22:48:33ID:X5NHYMra@足利義輝に京を明け渡したところから。
A六角家・畠山家の挟撃を受けたところから。
B三好長慶が逝ったところから。
C織田信長が足利義昭を奉じて上洛したところから。
0644人間七七四年
2008/04/14(月) 23:24:56ID:6t/jnHoG松永久秀がやり合った大和上芝合戦からかな。結局内輪揉めの御蔭で
織田の付け入る隙が出来たからね。
0645人間七七四年
2008/04/14(月) 23:59:28ID:X5NHYMra0646人間七七四年
2008/04/15(火) 12:39:41ID:/ld9KOZhやはり織田信長が登場するまで畿内の天下は久秀のモノか。
これの方が正しいよね
0647人間七七四年
2008/04/15(火) 14:41:08ID:q2+aGU4E0648人間七七四年
2008/04/15(火) 14:50:50ID:lzZ/2lXl0649人間七七四年
2008/04/15(火) 15:08:53ID:/ld9KOZh武将としては失格だったんだろうね
2流かな
0650人間七七四年
2008/04/15(火) 15:50:32ID:5UXLES0K「何故優秀な父親から愚かな息子が?」のスレでキチガイ扱いされてる奴だからスルー推奨
恐らくこいつは
「戦国名将二十選」のスレで長慶と尼子経久に粘着し続けてた奴だな
そいつは確かYというコテに論破されて自治スレに削除を求めてたなw
0651人間七七四年
2008/04/15(火) 16:05:14ID:f4TVT3k80652人間七七四年
2008/04/15(火) 16:05:45ID:/ld9KOZh正論言われて言い返せないと感情論で議論の矛先を変える
変な厨に粘着されてしまったw
0653人間七七四年
2008/04/15(火) 16:35:51ID:5UXLES0K晩年には誰かしら禍根はあるもの
信長と道三は謀反で死んでるし、謙信は後継者を決めず死亡
信玄も後継者問題や同盟破棄の多い外交、秀吉も秀次や利休を殺したり朝鮮出兵での疲弊
元親に至っては久武にいいようにされ長慶と変わらない晩年だろ
別に長慶だけが非難されることではない
0654人間七七四年
2008/04/15(火) 16:40:02ID:a3r4Ty20そして賛否はあれど将軍義輝も取り込むことができたしね。
逆に信長は将軍義昭を取り込むことに失敗している。(結果それで良かったんですが〜)
0656ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/15(火) 17:59:21ID:a3r4Ty20織田信長が足利義昭を手中に収めていたら、
毛利家や上杉家は織田家に敵対しなかったかもしれないね。
でも敵対関係は時間の問題という気もするかな?
天皇だけ手中に収めているだけでも問題無い様な気がします。
どかな?
0658人間七七四年
2008/04/15(火) 18:54:53ID:l0E7IqPS先に統一しちゃえば、目障りな勢力はいくらでも政権の名の下に取り潰せる訳で。
長慶は敵をつくらなすぎた感があるけど、信長は明らかに敵を作りすぎですわな。
0659人間七七四年
2008/04/15(火) 19:16:14ID:a3r4Ty20>先に統一しちゃえば、目障りな勢力はいくらでも政権の名の下に取り潰せる訳で。
先に統一してしまえば楽なんですが上杉家や毛利家が大人しく織田信長の軍門に下るかな?
>長慶は敵をつくらなすぎた感があるけど、
三好長慶の敵は木沢長政・三好政長・細川晴元(和睦したけど)で他の人たちは敵対しなければそれでいいって感じかな?
今川義元がやっていた周辺の国人たちを連合政権内に収めることができればそれでいいみたいな感じで。
>信長は明らかに敵を作りすぎですわな。
逆に織田信長は専制な政権を求めたから致し方が無いね。
0660人間七七四年
2008/04/16(水) 00:42:18ID:zOWEIibs目的意識の違いってのがあるから、単純に比較して優劣は決められないかな。
長慶の場合は父の仇と三好一族の復権。その過程で将軍と敵対することにもなって、
さらに将軍が京を放棄したのでやむを得ず後始末のために統治に手をつけることに。
その必要で政権を樹立することになった。
信長の場合は最初から足利幕府に代わって政権を樹立する気で上洛したからな。
0661人間七七四年
2008/04/16(水) 01:02:58ID:DtKFf5+5> 信長の場合は最初から足利幕府に代わって政権を樹立する気で上洛
それはどうかな?
結果足利幕府を潰すことになったけど、信長が最初からそう目論んでいたとはとても思えない。
そう考えるには信長の上洛後の行動は不合理に過ぎる。
信長が足利幕府を滅ぼすことにしたのは、自分では将軍をどうにもコントロールできなくなったと判断した時点から、
と考えた方が自然だよ。
0662人間七七四年
2008/04/16(水) 02:02:39ID:OoFvG3ne最初からコントロールする姿勢を見せてないんだよねぇ……
管領を蹴った件からも、自分を幕政の枠外に置く態度が目立つし。
その点、あくまで幕臣たらんとする態度を貫いた長慶については、
司馬が「街道を行く」で書いてる様に「天下に対する野暮な野心がなかった」んだろう。
0663人間七七四年
2008/04/16(水) 02:13:42ID:DtKFf5+5信長は上洛後しばらくはむしろ、幕権の強化を図ってるよ。強化しちゃったが故にあとあと面倒なことになっちゃった訳で。
0664人間七七四年
2008/04/16(水) 08:16:01ID:mQMJ33JJ0665人間七七四年
2008/04/16(水) 10:20:27ID:zOWEIibs上回る朝廷をそうそうに接触・取り込みを開始している。
信長が最初から幕府を滅ぼす気だったかどうかは不明だが、上洛の時点で、幕府将軍も
自分の下に置こうとする動きははっきりとあった。なにしろ将軍単独の指令を取り消し、
自分の署名を義務付けさせているんだから。
これが平和裏に進んでいたら、豊臣政権下における将軍義昭のような存在になっただろうね。
まあこの頃の将軍は信長との抗争の結果、ほぼ全ての実権を失って庇護を頼る以外に何も
できなくなっていた存在に落ちていたからだが。
0666人間七七四年
2008/04/16(水) 21:33:53ID:tGSoyrvm豊臣政権下で准三宮もらってたのってほかにいたっけ?
0667人間七七四年
2008/04/16(水) 22:31:05ID:R9ebv2qb畠山家は教興寺合戦で高屋城から追い落とされていたことや、
六角家は観音寺騒動で威信に陰りが生じていたことも不運ですね。
0668人間七七四年
2008/04/17(木) 09:53:40ID:nylIDsBfしかしそれら守護代・守護大名の没落こそは、
近視眼的な公方様にとっては念願かなったりだったわけで。
おめでとう、といわざるを得ない。
話は変わるけど、菊池寛の「かたち」の主人公、松山新介の侍大将中村新兵衛って
永禄九年に松山安芸守や松山彦十郎と一緒に松永久秀方から三好三人衆方に
寝返った中村新兵衛高次と同一人物なのかな?
そもそも菊池寛の中村が実在の人物かどうかが怪しい訳だが。
しかし松山一族も新介、新太郎、安芸守、彦十郎と色々いて分かりにくい。
三好の重臣なのに記録も少ないし……
0670人間七七四年
2008/04/29(火) 10:42:58ID:50NQrZ3z0671人間七七四年
2008/05/06(火) 07:01:01ID:f9WT/hQE0672人間七七四年
2008/05/08(木) 22:29:35ID:2brGudBm周辺勢力との関係は外面も内面も良好だったのでしょうか?
0674人間七七四年
2008/05/09(金) 15:32:11ID:1IZ+1Duh義輝時代って、足利将軍家の代で区切って三好氏の政策論じても意味なかろ。
長慶の一元支配時代と義継、三人衆、久秀、長治&長房、存保の分断支配時代で施策は結構違うんだし。
とりあえず、全讃史って書籍に今当たってるんだけど、讃岐の摂津に勝るとも劣らぬカオスっぷりと
長治のクズっぷりに偏頭痛を感じざるを得ない。
0676人間七七四年
2008/05/14(水) 02:00:41ID:nBUz4McI0677人間七七四年
2008/05/26(月) 14:35:22ID:LA+WFh8L今谷氏や山田氏など多くの研究者は三好氏側の敗北というか、後退という
位置づけだったが、最近では天野忠幸氏の「三好政権と将軍・天皇」論文の
ような見解もあるわけで
0678人間七七四年
2008/05/27(火) 01:44:42ID:b7ole31O0679人間七七四年
2008/05/29(木) 21:49:29ID:DMN9XU2M実休さんは1562年に死んでなかったっけ?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D%E4%B9%8B%E6%99%AF
0680人間七七四年
2008/05/29(木) 23:35:09ID:3ZoJugyM0682人間七七四年
2008/05/30(金) 20:56:43ID:wlhzIuzr京都府北部の旧丹後・丹波から山口県北部の石見まで何キロあると思ってやがるw
山陰のどこかぐらい書けよw
「山陰」は島根と鳥取だけの地域名じゃねーんだぞw
一応ネットで簡単に検索してみたが、
明治時代初期に活躍した相撲取の荒岩(二代目。大関)の本名が岩成市次郎らしいので、
該当地域が鳥取県や八頭町ならその一族かもしれん。
0683人間七七四年
2008/05/31(土) 04:02:37ID:0OEcjsE+中国地方の人に、米子出身?とか聞かれたりすることがあり、
鳥取の駅に岩成って店があったりするので、ちょっと聞いてみました。
0684人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 03:34:37ID:cH2mRzDX調べてもよくわからないので教えてください
0685人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 04:15:09ID:fS5d1Ftf明石(掃部)狩り、の間違いでは?
0686人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 06:46:50ID:9NDjmgko多分、讃岐の生駒と阿波の蜂須賀が推し進めた三好残党の抑圧政策だと思うぞ。
生駒の十河千松丸殺しとか、蜂須賀の平島公方弾圧なんかが一例じゃないか。
何か、四国に入封した織田豊臣系大名って残虐性が際立つ奴が多い。
0687人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 18:16:43ID:cH2mRzDXやはり畿内ですか?
0688人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 18:26:30ID:r7dgkvXf> そして1615年、存保の遺児・十河存英や三好三人衆唯一の生き残り・三好政康が大坂夏の陣で戦死し、
> 復活の機会は失われた。ただし、三好政勝が徳川氏に仕えて生き残り、その他にも、大名家に仕えて残った
> ものはあった。
>
> なお、本流である三好義継の嫡男義兼、次男義茂の兄弟は讃岐国伊吹島に逃れ、ここに土着した。生駒氏の
> 讃岐統治時代、義兼の孫義浄は生駒氏より政所のお墨付きを授かり、以後代々作右衛門を名乗ったという。
> 伊吹島の伊吹八幡神社には今も80騎まで撃ち減らされた義兼主従が伊吹島に辿りつき、神宮に誓文を奉げている
> 姿を描いた絵馬が残されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E6%B0%8F
0689人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 18:30:42ID:TFb1oHsL従来は、将軍義輝の帰京は、三好氏が将軍の権威を認めざるを
得なくなった(=三好氏の敗北、将軍の権威の肯定評価)なんだが、
近年の天野氏の説では、むしろ将軍権威を三好氏政権の体制構築に
積極利用したと肯定評価する見解がでている。
「織豊期研究」の8号だかを参照されたし(桐野作人氏のブログにも
それについての記事がある)
>>687
政勝系は確か河内で、子孫には奈良奉行を出したりしてる。
康長は四国征伐のころまで生きていたらしいけど、その後資料に
出てこなくなるし、四国で所領を得た形跡もないので四国征伐が終わった
ころには亡くなっていたのかな?子孫の動向はわからん。
0690人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 12:46:04ID:f6YPxCjb三好は自壊闘争
六角は浅井自立
0691人間七七四年
2008/06/09(月) 20:01:45ID:Lu/etr5Zもし、何かわかりましたら知恵袋の方で構わないので回答協力をお願いします。
三好政勝・政康は信長に敗れてから、徳川・豊臣にそれぞれ仕えるまで、どこで何やってたの?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1117047661
十河存英の生年は何からわかったのか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217048382
長慶の妹婿?小笠原成助について教えてください
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217048382
0693人間七七四年
2008/06/10(火) 00:40:37ID:NyVkEdK1すみません。
小笠原成助について
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1117048911
0694人間七七四年
2008/06/10(火) 00:52:37ID:KlbwUPDXでもって松永久秀の義兄でもあるとか。
一宮成助で調べてみたら?
0695691
2008/06/10(火) 02:40:48ID:NyVkEdK1一宮姓の方がいろいろ検索ヒットしました。ありがとうございます。
阿波小笠原氏の当主。別名一宮氏。阿波一宮城主。知行は3000貫。
1562年、三好義賢が戦死した久米田の戦いに参加。
その撤退戦で家臣を指揮を執らせて
見事に退陣した。(本人の手柄かどうかは微妙)
1577年頃から細川真之・長宗我部らと共に、阿波三好氏と交戦。
一時期、勝瑞城を奪ったようだが、1580年には奪回されている。
1582年11月に内通を疑われ?長宗我部元親に弟と共に謀殺された。
妖怪・夜行さんは彼の悲話がモデルになっている。
阿波土着の勢力で、四国で三好氏が勢力を伸ばすと
これに臣従するも、長治の代辺りから不満をもって反乱したようですね。
0696人間七七四年
2008/06/10(火) 05:46:47ID:s2X8Fdceただし、三好が恐らく実際には小笠原の血を引いていないと思われるのに対して、
一宮小笠原氏は小笠原一族と見なされる事が多いから、実際には血縁なかったのかも。
0698人間七七四年
2008/06/11(水) 22:46:58ID:oitHEkn2阿波・渭山城が三好方から長宗我部方に落ちたのは1582年何月?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1017086355
0699人間七七四年
2008/06/17(火) 03:39:57ID:WJx76FWx松永長頼は栗屋や逸見の件に干渉しないで丹波計略に専念していればよかったのに。
0700人間七七四年
2008/06/18(水) 03:08:54ID:uy6lMqOM0701人間七七四年
2008/06/18(水) 14:56:01ID:8sL6jz6M0702人間七七四年
2008/06/18(水) 17:28:06ID:WHj9IHp0遅レスでごめんなさい。
とりあえず年表を貼り付けておきます。
「戦国三好一族」のP237でも少しだけ書いてあるけど少しだけね。
永禄四年(1561)
正月武田家部将の栗屋勝久や逸見昌経らが武田義統から離反。(大飯・見方争乱)
この背景には丹波方面に展開する三好家部将の松永長頼の協力もあり。
二月垂井合戦。(浅井vs斎藤)
三月長尾景虎、北条氏康の小田原城を攻める。(第一次小田原城包囲)
佐和山城合戦。浅井家部将の磯野員昌、佐和山城を占拠。
五月斎藤義龍、死去。同日、何人かの死者あり。
第三次森部合戦。織田軍、墨俣を占拠。
十四条合戦。織田軍、敗退。
第一次軽海合戦。織田軍、尾張に退却。
浅井賢政、長政と改名。
六月小口城合戦。
砕導山城合戦。(19日 武田・朝倉vs栗屋・逸見)
三好家部将の松永長頼、若狭に侵攻するも敗退。
七月六角義賢、京に進軍。(畿内大戦)
畠山高政や根来寺らもこれに交応し和泉に侵攻。
太尾城合戦。(浅井vs六角)
九月上杉政虎と武田晴信、川中島で戦い引き分ける。(第四次川中島合戦)
東条城合戦。松平元康、西三河を平定。(三州錯乱)
十一月北白川神楽岡合戦。第一次久米田合戦。
※正月と六月のところで触れています。
701さん、何かわかりましたら情報を教えて頂けると嬉しいです。
強制ではありませんから無理にとは言いません。
0703人間七七四年
2008/06/19(木) 10:31:24ID:uSgiFN/H0704人間七七四年
2008/06/27(金) 00:11:21ID:Lflx/oyF南は紀伊から北は若狭。
晴久が若いころの尼子並の活動領域だな。
0705人間七七四年
2008/06/27(金) 19:34:45ID:H19y//ub0706人間七七四年
2008/07/10(木) 15:10:45ID:qrLcA8Ki戦国期には濫発されたのでも有名だね
0707人間七七四年
2008/07/12(土) 04:53:48ID:PDpHE13E十河の子孫って途絶えたって聞くけど、
元十河城のお寺の住職さんにどうもうちの家がそうらしいって言われた。
母の旧性が植田で、その植田家のお墓が称念寺にあって
結構墓も立派というのが理由らしい。(墓石盗まれたけどw)
ってか植田って十河氏に縁はあるけど、
本当に子孫だったら十河のままでいいような・・・
信憑性としてはどんなもんなんでしょうかね?
0708人間七七四年
2008/07/12(土) 09:48:45ID:/2zmn43p純粋な血縁はわからんけども、後の栗熊村と十河村の大庄屋が子孫にあたるらしい。
松平時代の藩士にも何人か名を連ねていて、その中で子孫が商人になり奈良屋の権三郎を名乗ったそう。
高松城下一の豪商だったって。
で、篆刻に秀でた十河節堂って人が徳川慶喜の印を彫ったとか。
0709人間七七四年
2008/07/12(土) 12:00:23ID:PDpHE13E残されてる十河氏の系図にはかかれていない親族とかたくさんいたってことですかね?
政治家にも十河氏の子孫名乗ってる人がいるみたいだし。
ところで708さんけっこう詳しそうなんですけど
お勧めの書籍とかありましたら教えてもらえませんか?
昨日からこのスレ読み始めたけど生駒親正が黒く感じる・・・
0710人間七七四年
2008/07/12(土) 19:52:04ID:LFVBA7nS三好に養子が入る以前に分かれた家もあっても不思議ではない
0711人間七七四年
2008/07/25(金) 15:16:09ID:6MfSjxRD0712人間七七四年
2008/07/27(日) 00:06:14ID:4ZZwaVza安宅冬康はなかなかできた弟みたいだったが、特に戦上手とも聞かんし、水軍として強かったのだろうか?そもそも、淡路島は国力的には豊かな方なん? 質問ばかりだけど…
0713人間七七四年
2008/07/27(日) 06:48:14ID:ZH1O63VJ0714人間七七四年
2008/07/27(日) 11:36:02ID:4ZZwaVza0715人間七七四年
2008/07/28(月) 08:04:08ID:TuwyS4kA淡路島は瀬戸内・畿内の制海権握るのに重要な地点でしょうが;
実休「兄より優れた弟なぞ存在しねぇ」
0716人間七七四年
2008/07/28(月) 19:36:41ID:alSqXcqr0717人間七七四年
2008/07/30(水) 04:18:24ID:RlMuTLSV0718人間七七四年
2008/08/01(金) 17:47:25ID:3kDQ2jpY三好長慶が思ったより傑物らしいので、目からうろこが落ちそうだ。
ついでに借りた『戦国時代、村と町のかたち』も三好に触れてるので、知識が増えそうだ。
0719人間七七四年
2008/08/06(水) 21:34:58ID:0E2YUIrq0720人間七七四年
2008/08/06(水) 22:10:23ID:uBMlpWLf三好軍、八上城を攻める。
天文二十二年(1553)
三好家部将の松永長頼、八木城に入る。
三好軍、八上城を攻める。
弘治三年(1557)
三好軍、八上城を攻略。波多野氏、一時壊滅。
0721三好長慶
2008/08/08(金) 20:27:03ID:5BUdHa7nキャンペーンをしている「つーかマン」がいるようだな。
宝賀の石頭のおかげで一族が迷惑しているが、また説明を再開しなければならないようだ。
質問のある人は小生までお願いします。
0722奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/08/08(金) 23:07:51ID:JGaiqFi50723人間七七四年
2008/08/09(土) 08:47:42ID:ywxRCD2C小笠原氏側の系図では三好を一族としていないから当然かと
0724三好長慶
2008/08/11(月) 21:48:13ID:v+byrUR1これは、故意にと言っては少し問題になるが、戦国時代、諸国を流浪しながら
最終的に徳川幕藩体制下で大名として生き残った「小笠原長時系小笠原氏」の
なせる結果なのです。
何故かというと昔からよく云われている「出世すると親戚が急に増えるが落ちぶれて
ぶれて金がなくなると急に親戚がいなくなる」
特に三好氏は勢力を無くしただけでなく「松永久秀と共謀して足利将軍を殺した逆臣」
た逆賊」という汚名まで残してしまった。
とすれば江戸期、大名として存続した長時系小笠原氏にしたら、「先祖が長慶公に世話に
公に世話になった事実を始め、貞慶という当主が長慶公から一字もらい烏帽子
親になってもらったことなど、伏せておきたい過去といえるのです。
もし、あなたが小笠原一族の系図をもっているなら、10代当主、長秀の兄弟
のところをご覧になってください。
長男の長将(長時先祖)三男の政康(鈴岡小笠原先祖)の後は記載されているが
中央宗家の長秀の後が記載されていないはずです。
長秀には子供がいなかったといわれていますが実は系図に記載されていない
末弟(五男)の長義という人が養子(後継)になっているのです。
0725三好長慶
2008/08/11(月) 22:05:11ID:v+byrUR1小笠原氏側の系図では三好を一族としていないから当然かと。
>眼科で眼の精密検査をしてもらいなよ。
阿波の小笠原長房の項目にちゃんと載っているがな。
それと江戸期に大名で生き残った信州、松本の長時子孫が、故意に
三好を無視するのは現在の三好氏に対する歴史的評価が悪役になって
いるからだと思います。
すなわち、大出世したら親戚が急に増え、落ちぶれると、私たちは
あんな人の親戚じゃないと離れていくようなものなのや。
それと、小笠原系図の10代「長秀」の後をご覧になってください。
そこだけ宗家にもかかわらず空白になっているでしょう。
実は、そこに三好長慶の先祖」の秘密が隠されているのです。
0726人間七七四年
2008/08/13(水) 20:31:39ID:5I1JYRqu>それと江戸期に大名で生き残った信州、松本の長時子孫が、故意に
三好を無視するのは現在の三好氏に対する歴史的評価が悪役になって
いるからだと思います。
あなたの思いなんかどうでもいいw
0727三好長慶
2008/08/13(水) 22:17:17ID:kauPIS1u皆さんの邪魔をしてごめんなちゃい。
突っこみがきつすぎたようです。
しばらく、見物しています。
仮冒防止協会 常任理事
0728奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/08/13(水) 22:28:56ID:gw6AVrJx0729人間七七四年
2008/08/13(水) 23:47:54ID:khD7hQoA文句あったら伊吹三好が三好長慶若しくは義継に所以の無いのを証明してくれ
ただ信用出来ないとかそんな事無しで
理由をはっきり 宜しく哀愁。
0730人間七七四年
2008/08/14(木) 01:15:28ID:bdlBSAktID:kauPIS1u
おまえも三好長慶を名乗るなら
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1210518742/l50
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1213585018/l50
で俺と共闘してくれないか。
0731人間七七四年
2008/08/14(木) 20:39:26ID:1bYrUXw0>無いのを証明してくれ
「悪魔の証明」すら知らない人が何言っても根拠ゼロだよ
0732三好長慶
2008/08/14(木) 21:03:55ID:jUYd/OXI兄弟、同志、喜んでサポートさせていただきます。
0733人間七七四年
2008/08/15(金) 01:47:57ID:y1DU2itT0734三好長慶
2008/08/16(土) 11:59:36ID:28vuH0bpどうやら、ネットウイルス供の仮冒攻勢は沈静化したようですね。
0735人間七七四年
2008/08/23(土) 01:17:24ID:GAQcWZxy0736奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/08/23(土) 01:59:38ID:7Edjv6q/0737三好長慶
2008/08/25(月) 11:33:13ID:+2E6QOXrこれからも宝賀ウイルス供をバスターしていっちゃうよ。
意外に、あっさりした奴らだったなぁ。
0738人間七七四年
2008/08/26(火) 03:06:10ID:ebHGh0/x0739人間七七四年
2008/08/26(火) 18:30:49ID:oUCB/zacなかなか、いいヤツだったと聞いてますw
あとさ「三好長慶」を名乗ってる人、チョッチ暴走気味だと思う…他のスレでも書き込みしてるしさ
もちつけ、もちつけ
0740三好長慶
2008/08/26(火) 20:32:42ID:+XwD9jBtついついエキサイトしちゃって。
本当に暴走していました。
0741人間七七四年
2008/08/26(火) 22:28:18ID:4DZxOdMK0742人間七七四年
2008/08/27(水) 03:02:58ID:wq5+j+gY0743人間七七四年
2008/08/28(木) 04:19:17ID:O/sOkD9kただ高国は公家や寺社の荘園領擁護派だったから
国人や守護からの支持は得られにくかったろうなぁ。
0744人間七七四年
2008/08/28(木) 11:54:58ID:vvOSOS5/0745人間七七四年
2008/08/28(木) 19:36:41ID:kH5Wl/GG2008.8.28 01:29
国の天然記念物で、織田信長さえ恐れたと伝えられる妙國寺(堺市堺区)の大ソテツが、葉が枯れるなど樹勢が弱まったとして、大阪府や堺市、文化庁などは、
樹木医ら約10人からなる「再生委員会」を発足させた。約4カ年計画で土壌調査などを進めて原因などを探り、治療を行う方針。
大ソテツは樹齢1100年余りとされ、戦国時代に四国から兵を起こして畿内を支配した阿波の大名、三好長慶の弟、三好之康が四国から移植したとされる。
また、織田信長が気に入って、1579(天正7)年に安土城に移植したところ、毎晩「妙國寺へ帰ろう」という怪しげな声を発した。怒った信長がソテツを切らせたところ、
切り口から血を流して苦しんだため、恐ろしくなって寺へ返したという伝説がある。
ソテツは20株ほどあり、最大のもので幹回りが約1・5メートル、高さは約3メートルあり、年中鮮やかな緑の葉を見せている。ところがここ数年葉の一部が黄色く変わって枯れたり、
幹の傷みが目立つなどしはじめ、現在では倒れないように支柱などで補っている状態だ。
再生委員会は7月に発足。会合などを経て、現在は植物学を専攻する大学教授や樹木医らが協力して、幹や葉の状態のほか、土壌調査を進めている。
堺市文化財課は「枯れてしまってからでは遅いので、早めに手を打つことにした。堺の歴史を見つめてきた貴重な大ソテツの元気な姿を取り戻したい」と話している。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080828/acd0808280127000-n1.htm
面白い記事を発見。新聞にも載ってた。
0746人間七七四年
2008/08/28(木) 20:43:36ID:ZC6O6blQ0747人間七七四年
2008/08/28(木) 23:39:11ID:K98RE4bb0748人間七七四年
2008/08/29(金) 18:27:19ID:8zKC+s/P0749人間七七四年
2008/08/29(金) 18:59:50ID:CasmGFziやっぱ後に信長や秀吉が進出してきたためだろうね
0750人間七七四年
2008/08/29(金) 19:16:12ID:LZQYPXp20751人間七七四年
2008/08/29(金) 20:38:09ID:pyLnwC/A瓶に隠れてたら、追手の兵が居場所を知ってる子供を褒美で釣って探し当てられてしまったという… まぁ、石田三成みたいに最後まで諦めなかったという見方もできるけど。尼子経久を頼って出雲まで行っちゃうくらいだから。
0752人間七七四年
2008/08/30(土) 15:59:42ID:a7fXerX40753人間七七四年
2008/08/31(日) 01:16:10ID:94FXeWm1旧守護の安芸武田とかあたりが
0754人間七七四年
2008/09/03(水) 11:54:05ID:69uG47sc戦国大河というと織田 豊臣 徳川
来年は毛色が違うって思ったら割と信長出番多そうだし・・・
堺から阿波に逃れ捲土重来を夢見る長慶。絵になるなると思うけど。
0755人間七七四年
2008/09/03(水) 17:33:45ID:XoaqzNYf0756人間七七四年
2008/09/03(水) 17:35:08ID:RGznkm6Tとか言ってみる
0757人間七七四年
2008/09/03(水) 19:34:52ID:bvD8TKUtNHK大河御用達の信長も出番あるし。
大河切望。
0758人間七七四年
2008/09/03(水) 21:35:04ID:/wLKw1a+昔語りをするところから始まる。
第47回は松永久秀が爆死するシーンを中心にする。
出来れば実写で城を爆破する。
第48・49回は大坂の陣での三好政康の奮戦。
最終回は第1回の最初の場面に戻り、語り終えた政勝がひっそりと消えていく。
これで平均視聴率は19%はいくはずです。
0759人間七七四年
2008/09/04(木) 08:40:10ID:8c81dXp0ただ難はこの時代どこでもそうだろうけど
よく似た名前多くない?三好も細川も
大阪の陣までって凄い。おなじみの武将も出るから視聴率
20はいけるでしょう。
0760人間七七四年
2008/09/05(金) 03:12:35ID:H7Ol0jVMあと四国三郎に英雄誕生を祈るところも。
0761人間七七四年
2008/09/06(土) 07:19:03ID:iv+bemIbしかも畿内戦国史は元長横死から天文法華の乱にいたる流れなど
とにかくカオスなんだよな。予備知識なしだと結構きついかも
0762たられば君
2008/09/06(土) 10:06:22ID:YJkwrc0D長慶の一生を久秀を軸に描けばいいと思う
0763人間七七四年
2008/09/06(土) 10:18:13ID:rAFnfqT+だから余計に大河でして欲しい。あの時代の中央政権はどうなってたか
もっと世間に知ってもらいたい。みんな京を目指したんだから
その時京を支配してた三好のことを。
第一回はドラマに入る前にみんなでお勉強っていうのもいい。
次回からはドラマ始まる数分間はしっかり復習。三好家細川家将軍家の
家系図なんかは随時見せる。ドラマに登場してくる人は必ず名前を画面に
出す。
NHKにこれくらいの努力してもらいたい。
いいかげん大河もネタ切れでしょう。ホントにしてくれないかなぁ
0764人間七七四年
2008/09/06(土) 10:59:14ID:H7Gjk4vKもうスイーツ大河に味をしめてるだろうからなぁ。
それじゃ第1回で女は脱落だろうw
男でも結構つらいかも。
0765人間七七四年
2008/09/06(土) 17:37:37ID:+wt+b3AM>>764 私も女です。
三好長慶 松永久秀は描きようによっては女性受けしますよ。
美形だったらしいし。
「黎明に叛くもの」で千熊丸と堺から阿波に逃れるときの
若くて美しい久秀が可愛い若君なんて涙ものですよ。
反対意見もあるだろうけど、ここは三好長慶をメジャーにするべく
(ホントはメジャーなんだけど)スイーツでもなんでもいいから
やって欲しい。
0766人間七七四年
2008/09/06(土) 18:20:28ID:y6tdixCV0767人間七七四年
2008/09/07(日) 07:24:09ID:cfpKTwoP0768人間七七四年
2008/09/10(水) 21:10:01ID:AeCRgiGr貧しくてもまっとうに生きていかなきゃ、やっぱり末代まで祟るんだね〜
>>765
小学6年まで大人によく女の子と間違われて辛かったし、色白なのも嫌だったけど
長慶も同じようだったら、絶対コンプレックス持ってたと思うよ。
0769人間七七四年
2008/09/11(木) 20:40:32ID:b0S3JCAH良かったら、あなたのルーツのあらましをキボンヌ。
0770人間七七四年
2008/09/11(木) 21:07:14ID:REoiNsVb長慶の子孫は断絶してるよ
0771人間七七四年
2008/09/11(木) 21:32:40ID:J4tAkAoq娘の系統じゃね?
0772人間七七四年
2008/09/11(木) 21:48:42ID:wBCOMIwi0773人間七七四年
2008/09/13(土) 00:58:10ID:lLTQ04Ei0774人間七七四年
2008/09/13(土) 08:13:09ID:BIne593y0775人間七七四年
2008/09/13(土) 09:17:14ID:lLTQ04Ei0776人間七七四年
2008/09/13(土) 10:44:33ID:BIne593yそれと同じレベルの話だと思うよ
0778人間七七四年
2008/09/29(月) 14:32:35ID:sl4vbH3V0779人間七七四年
2008/09/30(火) 05:24:23ID:a1tzbT7P0782人間七七四年
2008/10/22(水) 02:30:33ID:KvgI1RdF今さらだけど、ご先祖様のスレが立ってるのが嬉しかったので、ついでに系譜修正
うちは十河家です
総本家からは祖父の代で分家したので、家系図とかどうなってるか分からないんですけど
ご先祖様達のスレが立ってるのは嬉しいですねー
もちろん家紋はあの宝箱みたいなのに扇が載ってるやつですね
何か本家で御影石で作った家紋の置物を見せてもらったりして、十河家は偉いんだぞみたいなことを昔言われた
長之
┏┻━━┳━━━━━━━━━━┓
之長 長尚 勝時
┣━━┳━━┳━━┳━━━┓ ┣━━━┓
長秀 長光 長則 元長 勝長 政長
┣━━━┓ ┃ ┃ ┣━━━┓
一秀 康長 長逸 ┃ 政康 政勝
┃ ┣━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━┓
康俊 長慶 義賢 冬康 一存 冬長
┃ ┣━━━┓ ┣━━━┓ ┣━━━┓
義興 長治 存保 信康 清康 義継 存之
0783人間七七四年
2008/10/22(水) 02:33:32ID:KvgI1RdFちなみに学生時代は友人に、昨日信長の野望でお前裏切っただろ! とか、
お前昨日討ち死にしたぜプギャー! とか言われたのも良い思い出です
長之
┏┻━━┳━━━━━━━━━━┓
之長 長尚 勝時
┣━━┳━━┳━━┓ ┣━━━┓
長秀 長光 長則 元長 勝長 政長
┣━━━┓ ┃ ┃ ┣━━━┓
一秀 康長 長逸 ┃ 政康 政勝
┃ ┣━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━┓
康俊 長慶 義賢 冬康 一存 冬長
┃ ┣━━━┓ ┣━━━┓ ┣━━━┓
義興 長治 存保 信康 清康 義継 存之
0784人間七七四年
2008/10/22(水) 13:56:59ID:8j0acrHT0785人間七七四年
2008/10/22(水) 22:09:02ID:yhsD5pI00787人間七七四年
2008/10/23(木) 20:51:40ID:0Swsb+iw0788人間七七四年
2008/10/23(木) 23:32:39ID:Nc6LUtiM買って読んでみた、子供の頃の長慶とはウマがあってたが
細川に対して大尼過ぎる態度に嫌気さして死に掛けの長慶に
止め刺した、義興、義継、冬康謀殺、弟の長頼出てない、息子
久通生き延びる、義賢と接点無し、一存とは馬に乗るのを止めた
時だけまあPHP文庫じゃこんなもんか
0789人間七七四年
2008/10/24(金) 01:06:49ID:Zs+ThqwO濡れ場シーンや残酷シーンをいきいきと書ける才能があれば、自分で小説でも書いて持ちこんでみるんだが
0790人間七七四年
2008/10/25(土) 23:01:31ID:zVvcbw18両細川の争いから、高国政権、将軍跡目争い…知らない人にはややこしい
コンビニで双葉社の激突!戦国の大合戦っての立ち読みしたら、畠山高政勇将とあるのですが…
0791人間七七四年
2008/10/28(火) 01:02:15ID:ifBme8od桂川の戦いで瀕死の重傷を負ってからどうなったんだろ。
0792人間七七四年
2008/10/28(火) 01:27:46ID:iJ3f5D0T久秀なんか、弟の七光りで出世出来たのにねw
0793人間七七四年
2008/10/28(火) 03:16:25ID:+dxa++1cかつての有力守護の勢力基盤があったればこそと最近は思うようになった
畠山にとっての紀伊は六角にとっての伊賀みたいなもんだったんだな
0794人間七七四年
2008/10/29(水) 22:41:48ID:+u6H1RL40795人間七七四年
2008/10/29(水) 23:05:53ID:NdCy1HpN>教興寺で四万くらい兵隊集めたからなんかカリスマ的な物はあったかもしれない
反三好連合が終結しただけのような気が・・・。
あと六角義賢の存在も大きいかな。
0796人間七七四年
2008/11/06(木) 13:59:22ID:mAIzTyXp0797人間七七四年
2008/11/07(金) 12:40:59ID:DroWhv1T0798人間七七四年
2008/11/09(日) 03:28:01ID:J1ur5TyUそろそろ視点を変えた作品があってもいい気がするんだけど
0799人間七七四年
2008/11/09(日) 23:34:06ID:HHdx+sCo捏造乙。
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/monjyo/awadegitalhyouzi.php?p=13
0800人間七七四年
2008/11/12(水) 21:10:17ID:p0P1Tp6r0801人間七七四年
2008/11/13(木) 01:58:17ID:gjZrP+/Q>>282
ここって剣 石鎚山系以外の話題なんて出ないだろが (w
その2つも百名山じゃ下位レベルだがな (w
南海島の地侍、三好、長宗我部、河野どもは統治すらおぼつかない愚将
南海島が発展したのは他所より入植した蜂須賀、山内、伊達どものおかげ (w
0802人間七七四年
2008/11/14(金) 23:14:16ID:w04GqztY三好長慶は足利将軍を軽んじて政争の道具にした愚将
こういう欲にまみれた奴は真っ先に上杉謙信の餌食になるわな
そんな奴の苗字を自治体に冠する民度の低い土地があるらしい
四国の山を語ろう 其ノ五
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/out/1225633136/301-400
0804人間七七四年
2008/11/20(木) 14:59:20ID:n+4kESub味付けの濃い飯でも食らって、田舎侍同士の田舎戦が関の山
0806人間七七四年
2008/12/01(月) 15:16:55ID:hk9a/Un90807人間七七四年
2008/12/02(火) 00:45:06ID:4fEj/yp80808人間七七四年
2008/12/04(木) 10:02:50ID:BTl/nksI0809人間七七四年
2008/12/04(木) 17:21:48ID:9hMNaVXd0810人間七七四年
2008/12/06(土) 19:27:49ID:KNZBTaqD存保なら、信長が来るまで持ちこたえて戦えてたかな
本願寺と手を組んだりとか
0811人間七七四年
2008/12/07(日) 09:39:14ID:4OmHJO+/0812人間七七四年
2008/12/08(月) 22:50:40ID:TLIjqcea0813奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/12/08(月) 23:17:35ID:I+Y+ndeS0814人間七七四年
2008/12/09(火) 07:27:44ID:CDL7Bsqh0815人間七七四年
2008/12/16(火) 14:44:54ID:bY+RxMGd0816奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/12/16(火) 22:57:06ID:rUlgshgj0817人間七七四年
2008/12/17(水) 00:27:35ID:Wjac2V2z時系列的には
一存死亡(1561)→義興死亡(1563)→長慶死亡(1564)→義継が三好宗家継承(長慶死亡前とも)→存保が十河家継承
だと思うんだが
0818人間七七四年
2008/12/18(木) 01:26:58ID:PxGhgpG/それが正しいと思われ。
「十河家に養子として入って家督を継いだ」という話がいつのまにか
「十河一存の養子となって家督を継いだ」に変化したんだろうな。
存保は一存の跡を継いだんじゃなく、重存(義継)の跡を継いだわけだし。
0819奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/12/19(金) 01:07:23ID:DcG6Wo450820人間七七四年
2008/12/26(金) 15:17:02ID:XdVVdJz10821人間七七四年
2009/01/06(火) 17:49:20ID:Urb1tk6dだな、兄弟の争いもあるし、悲劇の生涯だな。
0822人間七七四年
2009/01/17(土) 15:19:44ID:CT/X5pZC0823人間七七四年
2009/01/27(火) 15:46:39ID:g6EkkVRT0824松山 赤 十 病 員 清掃 商 事
2009/01/27(火) 23:21:20ID:BTb/MpB0隠ぺい
口封じ
殺し
パワハラ
暴力
死にたい
0825奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/27(火) 23:47:13ID:im3xT5eZ0826人間七七四年
2009/01/30(金) 23:01:04ID:uyYWNEfb今だに三好家は脚光を浴びぬまま……
不憫よのう
0827人間七七四年
2009/01/31(土) 01:59:50ID:jF4xqfX8徳川幕府の時代にあまり顧みられ無かった事も大きい。
一族が、完全に消滅していれば、フィクションの世界に羽ばたいた可能性もあっただろうが、
中途半端に末裔も健在では、あまり失礼な事もできない。
せいぜい真田十勇士に名を残す程度。
まあ、それでも十分だとは思いますが。
0828人間七七四年
2009/01/31(土) 16:54:05ID:PLcFk1jn「真田十勇士」って大正時代の小説(読み本)だぞ……
一応十勇士成立以前にも三好兄弟はいるけど、出羽出身だ
0829人間七七四年
2009/02/07(土) 11:42:26ID:ULk+GC24http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1233813889/
0830人間七七四年
2009/02/13(金) 19:00:20ID:RVZ0La/i0831人間七七四年
2009/02/13(金) 19:33:41ID:o/ZfG0vi康俊はどうなったんだっけ?
0832人間七七四年
2009/02/14(土) 17:00:58ID:Y6LYnI8d0833奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/02/15(日) 12:58:44ID:ge6tuzTjとりあえずここで三好安宅氏四代目の春定までは認識されてる。
0834人間七七四年
2009/02/15(日) 16:05:03ID:24HQsOSbありがとうございます
浅野家家臣の史料として三好家文書というのがありまして
ひょっとしたら、と思って調べておりました
0835人間七七四年
2009/02/21(土) 18:17:20ID:ASW1kWOC0836人間七七四年
2009/03/02(月) 15:49:59ID:AZfEEJhD0837人間七七四年
2009/03/12(木) 15:07:20ID:ZYDFCigV0838人間七七四年
2009/03/15(日) 16:58:58ID:+YbkS+4K安宅清康とはどのような人物だったのですか?
仙石を調べてたら淡路で戦ったっぽいので。
0839人間七七四年
2009/03/16(月) 00:38:14ID:gUHOb7OShttp://salad.2ch.net/warhis/kako/991/991928096.html
0840人間七七四年
2009/03/27(金) 02:46:24ID:DkdfvSgy0841人間七七四年
2009/04/09(木) 14:48:40ID:bkZsIL1dどういう側面で?
0842人間七七四年
2009/04/14(火) 22:09:06ID:btCZOsn1足利義秋って何で越前に逃避したん?
尾張に逃避の方が自然ジャマイカ?
その頃の流れ
永禄九年(1566)
三月足利義秋、織田信長と斎藤竜興の和睦を調停。両者共に了承。
臼井城合戦。上杉輝虎、敗退。
四月奈良の各地で松永久秀と三好三人衆の戦闘が散発。
織田信長、足利義秋の上洛援助要請に応じ調整に入る。(難航)
五月松永久秀、摂津から堺に移動。(29日)
松永久秀、摂津から堺に出陣。伊丹親興や畠山高政らも合流。
三好三人衆、三好康長、安宅信康、池田正勝らの連合軍、堺を包囲。
六月大和大安寺合戦。(筒井vs松永)
三好三人衆、堺を制圧。松永久秀、出奔。
筒井城合戦。筒井藤勝、筒井城を奪還。(8日 筒井vs松永)
篠原長房、摂津兵庫に上陸。(14日)
若狭海戦。武田義統、逸見昌経に勝利。
三好三人衆、真観寺において三好長慶の葬儀を挙行。(24日)
七月三好三人衆、山城の松永派を掃討。(小泉城、淀城、勝龍寺城を攻略)
越水城合戦。篠原長房、越水城を奪還。(13日)
中嶋城合戦。篠原長房、中嶋城を攻略し細川藤賢を追放。
三好三人衆や篠原長房らが六角義弼と結び斎藤竜興を取り込む。
蒲生野合戦。浅井長政、湖南に軍事介入するも六角義弼に敗退。
織田家部将の木下秀吉、墨俣城を修築か?
伊丹城合戦。篠原長房と池田勝正、伊丹城を包囲。(25日)
八月三好軍、近江坂本に出陣。(目的は足利義秋か?)
織田信長、上洛のため美濃に出陣。
足利義秋、若狭に逃避。(15日〜29日)
滝山城合戦。安宅信康、滝山城を攻略。(17日)
上杉輝虎、上野金山に出陣。(24日)
閏八月若狭内訌。(武田義統、元明の家督問題)
河野島合戦。織田軍、敗退。このため織田信長は上洛を延期。
墨俣合戦。織田家部将の木下秀吉、墨俣城の主将に抜擢か?
成田家内訌。
九月足利義秋、越前金ヶ崎に逃避し朝倉義景の庇護を受ける。(20日)
0843人間七七四年
2009/04/15(水) 23:58:28ID:1bNvDqNPなにかにまとまっていないかな?
徳島県史は古い上に史料編が無いようだし・・・
0844人間七七四年
2009/04/20(月) 22:38:33ID:lPqEHsRm中途半端に残って悪かったなw
by末裔の末席
0845人間七七四年
2009/04/20(月) 22:39:29ID:daTxHn4m足利義昭は暗君だったのか稀代の謀将だったのか
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176455543/
0846人間七七四年
2009/04/21(火) 03:58:45ID:I7WbHjWwそこ作った人が三好三人衆の家系なんだよな
三好監物って人
0849人間七七四年
2009/04/28(火) 14:45:56ID:Y4k6Tnk/0850人間七七四年
2009/04/28(火) 23:01:58ID:YbrXAYzf長慶など三好一族も魅力的に書かれてるな。
これを大河化してほしいよ。今のスウィートなのを見るにつけ・・。
0851人間七七四年
2009/04/29(水) 06:58:55ID:jJ/wGlDg>戸部版松永
京都の風呂屋根城に悪さしてるとこから始まるやつ?
0852人間七七四年
2009/04/29(水) 23:32:45ID:T77OXNEaあの義輝の造形は新鮮だったわ。
しかし、戸部氏の小説も個人的には割とスイーツ分あるような気がするけど。
徳島で言えば蜂須賀小六の小説も書いてるけど、なんつーか大河版功名が辻の山内一豊の超設定をそっくり家政にやらせたような感じだしw
0854人間七七四年
2009/04/30(木) 07:52:44ID:74W80gD0畿内の諸勢力を闇で操り、暗殺あり包囲網あり流言ありの陰謀公方にしてラスボス。
御所襲撃が小説のクライマックスで、そこから爆死までは後日談扱いになってるぐらいw
0855人間七七四年
2009/04/30(木) 21:18:18ID:zNIfGn5P他の小説では気持ちいいぐらいワルなのにあれが主人公補正というヤツか
0856人間七七四年
2009/04/30(木) 22:31:54ID:P+gU+k6y上巻しか読んでない漏にはショックなネタバレだなw。
まあ下巻を楽しみに読もう
0857人間七七四年
2009/04/30(木) 22:53:34ID:q1xXh/DVサーセン
しかし、今のNHK大河向きの素材ではある。
三好一族、揃って早死にしてるから例年の大河みたいに若手人気俳優で4兄弟そろえられるし、なにより主人公らしく久秀が白いw
0859人間七七四年
2009/05/02(土) 14:26:20ID:rbDPGLGHでも甘めが大河の主流だからOKか
0860人間七七四年
2009/05/02(土) 15:43:32ID:kG7blnLe0861人間七七四年
2009/05/03(日) 16:15:57ID:ry1oQsEVやっぱり最後に一華咲かせたかったのかね
0863人間七七四年
2009/05/03(日) 23:57:43ID:+lyGEvLu久秀ドッカーンwww
0864人間七七四年
2009/05/04(月) 00:24:43ID:N4D/h4r8違うよ。
0865人間七七四年
2009/05/14(木) 16:08:19ID:2xtTCKom0866人間七七四年
2009/05/14(木) 19:17:11ID:pMMSnyEC幕府や他の大名に仕えた連中はいなかったの?
0867人間七七四年
2009/05/14(木) 20:07:10ID:YVH36rtj0869人間七七四年
2009/05/15(金) 19:55:24ID:Y3lR279R政勝は旗本三好家の祖
阿波三好氏の末裔といえば普通はこっちを指す
うさんくさい義継子孫系とは訳が違う
0870人間七七四年
2009/05/15(金) 20:29:52ID:ZA4zSfkI0872人間七七四年
2009/05/30(土) 11:54:02ID:hTyjFiRW0873人間七七四年
2009/06/11(木) 15:42:52ID:lyy/vfw00875人間七七四年
2009/06/24(水) 21:40:41ID:OykRGISw徳島県史はかなり古くて、史料が収録されてなかったはずなので・・・
0876人間七七四年
2009/06/24(水) 22:36:48ID:NIErgPnR0878人間七七四年
2009/06/25(木) 22:45:30ID:SXbksTY40879人間七七四年
2009/06/25(木) 23:10:35ID:Mv8sckZA新書のほうを挙げておこう。
ttp://www.yosensha.co.jp/book/b1247.html
0880人間七七四年
2009/06/25(木) 23:17:57ID:SXbksTY4イイホンダナー
0881人間七七四年
2009/06/26(金) 00:29:59ID:XNZoLnTj朝倉景行、伊達顕宗、武田元明もいるぜ
0882人間七七四年
2009/06/26(金) 00:32:41ID:XNZoLnTjその発想は無かったわwwwwwwww
0884人間七七四年
2009/07/04(土) 14:48:13ID:5Tq4iELsの意味するところは
0885人間七七四年
2009/07/04(土) 23:41:12ID:0UbKkE4w0886人間七七四年
2009/07/05(日) 00:25:13ID:5Pr0laan大阪の陣のときの鐘銘がどうしてあんなに問題になったかって言うのは、そういうこと。
0887人間七七四年
2009/07/06(月) 09:28:27ID:JHpsQwS5http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174058450/
リンク先、読んでみれ。
0888人間七七四年
2009/07/08(水) 20:11:47ID:4xaSYqdD0889人間七七四年
2009/07/12(日) 22:58:24ID:3+BPWf2h0890奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/07/13(月) 07:33:55ID:xdJSPXlg黒田は認めない。
0891人間七七四年
2009/07/13(月) 10:00:50ID:lsJ1iPaj0892奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/07/14(火) 07:06:20ID:KmxNEBwR0893人間七七四年
2009/07/15(水) 02:28:09ID:/2DcVK9c0894奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/07/15(水) 07:19:02ID:PSChHRPG0895人間七七四年
2009/07/15(水) 22:07:34ID:/2DcVK9c半士半農なのは分家や家子郎党だろ。
少なくとも守護代や有力国人の宗家辺りは専業武士。
農作業をしている場合もあるが、その目的は納税ではなく自活等のためだから別物。
0896人間七七四年
2009/07/20(月) 00:35:26ID:wxk8l8lN・・・・やっちまったな!w
0897人間七七四年
2009/07/20(月) 23:00:22ID:3M2K82iY基本、守護細川を中心とした室町的秩序そのままって、どっかに書いてあったが。
それと蜂須賀藩の支配との連続性はどうなんだ?
誰か参考書知ってたら、情報キボン
0898人間七七四年
2009/07/25(土) 23:44:34ID:4xNDBAm90899人間七七四年
2009/07/26(日) 00:07:41ID:38pbNdNP0900人間七七四年
2009/07/26(日) 13:25:00ID:IMQ7rNcVまあ義賢は守護家を絶やさなかったわけだし、
阿州旗下幕紋控じゃ、
細川真之=細川屋形
三好長治=勝瑞屋形
ってなってる。ホントか知らないけど。
義賢没後の高屋城将の起請文では「若子様御幼少の間は」うんぬん、てある。
彼らは長治を主君と認識してたんかな。
永禄九年と元亀元年に阿波勢が畿内に出兵してるけど、
面子はどっちも讃州御曹司様(真之)、三好長治、篠原長房のセット。
一国レベルでの動員には阿波守護家が必要だったのか。
篠原攻めの時も、細川真之・三好長治の二人で追討命令出してるよね。
0901人間七七四年
2009/07/26(日) 13:27:10ID:IMQ7rNcV「十河ぶっ潰す」と息巻く長房のもとに阿波の部将が続々参集、
慌てた義賢が頭下げて収まった。
脅威を感じた義賢は、長房だけだった「侍つかさ」に三好康長を任命して
二人体制とした、らしい。
0903人間七七四年
2009/08/03(月) 20:54:44ID:aglwpV+F阿波の諸将って三好と同族の小笠原系を称する一門が多いからな……
三好党の一宮氏はじめ、鑓場の合戦で打倒された久米氏なんかもそうだし
家格が結局同じなんだから、細川出さなきゃ収まらないだろうとは思う
0904人間七七四年
2009/08/03(月) 23:43:32ID:ON08hSKq0905人間七七四年
2009/08/04(火) 00:10:07ID:YogQNjL80906人間七七四年
2009/08/04(火) 00:12:16ID:0fSxLNB4阿波一国まとまらなかったことについて『家格が同じ諸将が多いから』って言ったんだ
篠原は橘だか物部だかじゃなかったっけ?
0907人間七七四年
2009/08/08(土) 11:30:06ID:8C/iwLBP0908人間七七四年
2009/08/09(日) 23:45:18ID:CxbPyTp+滋賀の近江八幡に篠原町ってあるが、そこの出身なのかな?
0909昔阿波物語
2009/08/12(水) 18:50:10ID:vzRz9mQn篠原と申は橘の侍也、四家の姓と申は源平藤橘と申は、人の初にとる、
然れ共、おちぶれて近江の国篠原と申所に住着し、多賀のほんかんの
荷持して、阿波へ降り候時、かたに荷物こぶ高くてかたびらなどめす
時は見苦しく候つれ共、三好喜雲へ奉公被仕候時、篠原宗半と申て、
わずかの奉公めされ候つれ共、公事沙汰を御聞き候て、いかにも直に
被仰出候故に、頓て三好喜雲の臣下に被成候て、知行を一廉被遣侍務
に被定候、
篠原宗半の御子息を大和守と申候、此子息三人在、舎兄は四宮殿に御
なをし候、次男を篠原孫四郎と申候、三男を篠原左橘殿と申候、孫四
郎殿は実休様の御分国は一円に、孫四郎殿を侍つかさに被仰付候、孫
四郎と申は泗雲の事也、
0910人間七七四年
2009/08/15(土) 14:45:59ID:ep1G/idb0911人間七七四年
2009/08/20(木) 22:26:46ID:iFaAKfnl0912人間七七四年
2009/08/22(土) 18:56:40ID:nGHJiwyc0913人間七七四年
2009/08/22(土) 18:58:16ID:ZjAiaB1w0915人間七七四年
2009/08/22(土) 23:10:34ID:IwEVQET8漏もその本が三好の入門書だったな。かなり三好や畿内戦国史の知識が付いた。
ただ初めて聞く名前が多くて大変だったが。
戸部新十郎の小説『松永弾正』は大分この本を参考にしたらしいが、これもついで読むとイメージ広がると思われ。
0916人間七七四年
2009/08/23(日) 21:34:24ID:i+vZUraN三好に関わった好敵手として細川・畠山付近も勉強してみたいと思うけど
これってどう思います?
0918人間七七四年
2009/08/23(日) 22:00:49ID:i+vZUraNありがとう、当時の情勢や守護大名の役割や仕事・上下関係、
民衆や上官との付き合いとか勉強できそうだ。
登場人物が半端なく多いもんで困ったもんだ
0919人間七七四年
2009/08/27(木) 15:57:08ID:uUrMnL7/0920人間七七四年
2009/08/28(金) 19:55:59ID:YWNFBPTX之長→元長→長慶辺りはすっごく調べていて楽しかった
初めて鉄砲で狙撃されたのも実休じゃなくて三好弓介で
政長の子は政勝だけだったってので政康とは兄弟でも何でもなかった事。
ただ残念なのは筆者も語っている通り長慶が死んだ後の考察が適当な所かな…
六角が信長にメタ糞にやられてから、信長上京の時の長逸ら三好衆の撤退を醜悪と呼ぶ一方で
義継を松永久秀に受け渡した時の、内通者と関わりのある疑いの池田勝正を一人残って戦ったと言うだけでヨイショしてる所が少し気になった
0921人間七七四年
2009/08/28(金) 20:10:20ID:2JboHsbi丹波や播磨方面の記載も少ないし四国関連の記載も壊滅してるよ
あくまでも三好家入門本として見ておかないといけない
0922人間七七四年
2009/08/28(金) 20:29:24ID:tOUSZfer他の弟達の事とかももう少し詳しく見たかったなあ。
そして5男の野口冬長は余裕でスルーだったのがワラタw
まあこいつに関してはその他大勢並の扱いは傾倒だからなあ、資料なさすぎ
0923人間七七四年
2009/08/29(土) 00:53:35ID:yJoaQBDo堺幕府、三好「政権」に関する部分を一般向けに解説した・・・という
趣の本という印象かな。
ただ、一般向けに三好氏を解説した数少ない良書のひとつなので、三好氏に
ついて知りたい!というのならば、押さえておきたい本だよね。
0924人間七七四年
2009/08/29(土) 15:42:56ID:zO/T3V+M六角家や武田家、波多野家、別所家、畠山家、浦上家、讃岐国人衆と三好家の関わりを熱く語って欲しいところです
「畿内・近国の戦国合戦」に期待していただけに・・・誰か書いてくれ
0925人間七七四年
2009/08/31(月) 23:23:53ID:cVV3s8LM1555年シナリオのサブタイトルが「三好長慶の台頭」になったみたいね
ようやくこのレベルまでは名前が浸透したかと感慨ひとしお
0926人間七七四年
2009/08/31(月) 23:54:03ID:hVXueRFC0927人間七七四年
2009/09/01(火) 12:12:58ID:DOSwkK1W淡路島・洲本城
阿波三好郡
勝端城・十河城・伊吹島
に行ってこようと思うんだけど、
三好兄弟・政康・政勝・長逸・岩成に所縁のある所とかある?
篠原さんとかも知りたい、逸話とか面白い穴場とか
0928人間七七四年
2009/09/01(火) 17:30:23ID:KrFXNjNDでもやっぱり摂津は本願寺領なんだな。
芥川城や河内畠山を抹消させてまで摂津を本願寺のものにすべきではないと思うな。
>>927
四国は行ったことないけど俺だったら
善通寺とか七条さん関連の大山寺あたりも行っておきたいな。
最近勝瑞城の公式が更新されてないけど復元って進んでいるのかな。
0929人間七七四年
2009/09/01(火) 23:21:00ID:8AjJOAuq人物のページの「力で繁栄を築いた人」では三好長慶の肖像画が一番大きく(織田信長よりも)掲載されています。
0930人間七七四年
2009/09/04(金) 17:31:39ID:3JDSxSI+小説は矛盾を突くのはタブーなのな・・・。
コンビニに福井だがなんだかよくわからん奴が書いてた戦国時代の〜って奴の最初の方に
戦国時代3悪の一人、三好長慶とか書いてあったけど基本三好って嫌われもんなのな…
0934人間七七四年
2009/09/04(金) 21:59:12ID:78zIVqlthttp://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1209222022/
0935人間七七四年
2009/09/08(火) 21:43:49ID:BXKq3KxY次スレ?
0937人間七七四年
2009/09/12(土) 09:33:38ID:u/+xxcEP康長の笑岩かなあ
歴史が好きな人ならほとんど知ってる
0938人間七七四年
2009/09/12(土) 11:11:32ID:HoBBP3s6「笑」の字を使ってるのがw
0940人間七七四年
2009/09/13(日) 08:25:28ID:nIW1e33P実休は名乗りが多すぎてどういう順番に改名していったのかが知りたいw
0941人間七七四年
2009/09/14(月) 20:44:06ID:+5QBQXb50942人間七七四年
2009/09/15(火) 13:28:06ID:Uty+S8J80943人間七七四年
2009/09/15(火) 20:43:20ID:PH3Bhlvhモデルはいるが、中身は完全な創作
同じ三好氏を称しているが、出羽亀田城主の三好氏出身という設定
三好清海は三好政康の法名、三好為三は三好政勝の法名に由来している
ちなみに漢字は適当でOK
原作でも巻によって清海・晴海・青海、為三・伊三・伊豆と統一されてない
なぜ真田十勇士に信濃に縁の無い「三好」を入れたかというと、
真田幸村の三男幸信が三好を称したからとされている
0944人間七七四年
2009/09/19(土) 01:12:29ID:eqvQ8X/s0945人間七七四年
2009/09/19(土) 21:19:14ID:vXxsEJsg0947人間七七四年
2009/09/21(月) 00:53:52ID:yrPrkxWeその幸信の三好も、三好秀次(羽柴秀次)の三好が由来だね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E5%B9%B8%E4%BF%A1_(%E4%BF%A1%E7%B9%81%E3%81%AE%E4%B8%89%E7%94%B7)
0948人間七七四年
2009/09/22(火) 20:53:27ID:MqsoQpCj0949人間七七四年
2009/09/22(火) 21:24:55ID:z/EP2qzQ0950人間七七四年
2009/09/22(火) 22:19:48ID:rE0DDACUhttp://www15.ocn.ne.jp/~shouzui/shouzuitanbouemaki.pdf
0951人間七七四年
2009/09/23(水) 19:07:58ID:/XVWjt6Q0952人間七七四年
2009/09/24(木) 23:08:53ID:RqxA5ynI0954人間七七四年
2009/09/25(金) 09:14:43ID:KOAhpwmd悪なのは、暗殺者使いの某公方様かもなw
0955人間七七四年
2009/09/26(土) 15:01:54ID:KfwqKGjd今日は伊吹島に泊まる
観音寺は篠原さんの子孫が逃げてきたのもあってよく見かける
伊吹島楽しみ。
0956人間七七四年
2009/09/28(月) 11:19:52ID:5d1NHqFu0957人間七七四年
2009/09/30(水) 11:52:50ID:/uuU0T6Q清海が政康なら伊三は長逸あたりの方がピッタリなんだが
0958人間七七四年
2009/10/01(木) 01:12:11ID:VBzkDgf/さすがに長逸は死んでるでしょ
0959人間七七四年
2009/10/02(金) 22:13:00ID:gnZ84GBC0960人間七七四年
2009/10/03(土) 04:25:35ID:94h6zAgr0961人間七七四年
2009/10/03(土) 10:27:23ID:loNdspGW長光―孫十郎、頼澄―政成、政康
0962人間七七四年
2009/10/04(日) 03:45:53ID:l3fQo9/bまあ長則もこのとき死んでるし。
wikiの記述はどこからもってきたのかな?
0963人間七七四年
2009/10/05(月) 23:12:31ID:uq1dObYw0964人間七七四年
2009/10/09(金) 17:10:16ID:GQitjSjW次スレじゃよ
【畿内】三好氏総合スレ2【四国】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1244521393/
0965人間七七四年
2009/10/09(金) 17:22:27ID:uzG5g7UI0966人間七七四年
2009/10/09(金) 22:37:28ID:knuA0xF/三好長慶を語るスレ
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1209222022/
0968人間七七四年
2009/10/12(月) 23:16:52ID:euX82sMZおう・・・・・都合よくそんなスレがw
0969人間七七四年
2009/10/13(火) 12:17:17ID:EMs3q1nQ結構前にあった三好のスレは某糞コテの影響もあってかなり荒れて終わったし
まあ990くらいまでいったら次スレ立てればいいんじゃない?
0970人間七七四年
2009/10/13(火) 22:47:05ID:6Avnh2jN過疎の状況で分立させても意味は大して無い
0971人間七七四年
2009/10/13(火) 23:23:30ID:ybk1hYpW戦国板のスレの続きとして、わざわざ別の板のスレを無理矢理流用しようとする
理由がわからん。べつにこの板に次スレたてればいいじゃん。
0972人間七七四年
2009/10/14(水) 14:10:25ID:ZulbfaE2http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1255496975/
0973人間七七四年
2009/10/14(水) 16:08:29ID:GdOiooOk乙。
そういえば江戸時代は信長はぜんぜん人気がなくて、むしろその前の天下人である
三好長慶のほうが人気あったらしいね。
まあ、家康以前の天下人で一番人気は秀吉ではあったらしいが。
0974人間七七四年
2009/10/14(水) 21:23:57ID:SoMj4F140975人間七七四年
2009/10/18(日) 00:07:16ID:8WPH7Eei0976人間七七四年
2009/10/18(日) 17:31:00ID:H6EtfERd0977人間七七四年
2009/10/18(日) 22:23:52ID:LfeE8WE10978人間七七四年
2009/10/23(金) 16:04:42ID:N0cMFcIm0980人間七七四年
2009/11/05(木) 00:42:21ID:tBUGYNCG0981人間七七四年
2009/11/05(木) 15:33:02ID:pOWbWbCY0983人間七七四年
2009/11/06(金) 01:43:52ID:tMfKk9i20984人間七七四年
2009/11/06(金) 15:42:22ID:oSzLicPD0985人間七七四年
2009/11/07(土) 12:23:22ID:ATm0DWl0レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。