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【宗麟】大友氏について語ろう【義統】

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 01:56:06ID:/8zsYsEX
評価が分かれるような気がしますが。。。
0853人間七七四年2010/01/21(木) 02:42:39ID:PO1TxBkM
粘着は言い過ぎだろ
851は間違った事は言ってないし
逆に粘着だ、荒らしだ、厨だ、と話をうやむやにしているほうがどうかと思う
過剰反応しすぎ
0854人間七七四年2010/01/21(木) 18:11:13ID:PYE26ZVr
鍋島が捏造しているんだと

鍋島三十五万七千石を愚弄するか!
控えおろー 下郎ども!
0855人間七七四年2010/01/21(木) 19:12:08ID:iieaM2zM
>逆に粘着だ、荒らしだ、厨だ、と話をうやむやにしているほうがどうかと思う

話をうやむやにするしかないだろう
彼の書き込みは撤退を転進、全滅を玉砕と詭弁を弄した
旧軍と同じ類の詭弁や欺瞞に満ち溢れてる

>また親貞の陣の右はがら空きで討ってくださいな陣形だったために故意にやったと思われる。

この一文を見ても詭弁だと言う事が分かる
敵を誘うためにわざと空けた陣形なら誘いの乗った敵に対処する備えをとるはずだか
そう言った備えもせず、総大将討ち取られる様な陣形ってどんだけ無様な陣形だよ
逆に言えばそう言った備えが無かったって事は元々敵を誘う為の陣形では無かったって事だろ

ったく、総大将の命引き替えにしたリスキー過ぎる戦術って、いったいドコの馬鹿が思いつくんだか・・・
0856人間七七四年2010/01/21(木) 23:24:48ID:hNe+de7u
そもそも興味深いのは、なぜ鍋島が今山合戦後に杏葉紋を使い始めたかということ。
竜造寺の当主である隆信より、鍋島の方をあえて優遇するという。
これって、勘繰れば、大友氏の竜造寺の分断政策じゃないのか?
0857人間七七四年2010/01/22(金) 09:59:39ID:5fUUapnH
>>856
でも、当時は合戦で敗った相手の家紋とか馬印を、
敢えて自分の物として使うってのは、有る話だし
そう珍しくはないと思う。
やっぱりまだまだ「大友氏」のネームバリューは
そこそこ有ったんだろうね、当時は。
0858人間七七四年2010/01/22(金) 14:48:40ID:mJqBQ25m
大分でここは行っとけっていう、史跡はありますか?
0859人間七七四年2010/01/22(金) 18:26:40ID:SdUoyEqU
838 :人間七七四年:2010/01/19(火) 14:51:55 ID:IHf4ucGK
鍋島側が捏造してるからね。
今山の戦いで敗死した総大将の大友親貞は
宗麟の甥で大内を継いだ義長の息子。
当時はわずか5歳なわけだ。
満足な指揮すれできない幼児を最前線送りなんて
完全に討ち死にさせるための人事だねこれ。

それが酒宴で飲んだくれている隙を急襲され
自ら抜刀して戦い討ち死にしたなんて矛盾したことを書いてる。
辻褄を合わせるために宗麟の弟33歳に捏造された。
0860人間七七四年2010/01/26(火) 16:43:17ID:ol0UH/ZG
>>852
そうだね、ロクに知識ない荒らしが喚くから過疎化すんだよね。
厨房相手に金を稼いでる歴史読本やコーエー本の迎合記事レベルの本を読んで知った気になる痛いアホが多いね。
>>853>>854>>855>>859コイツらほど役に立たないレスのみで無知でキモい粘着はなかなかないね。
>>647
義統がかなりのアホで、重臣を簡単に殺そうとしたり、無駄に対立したり
義統の母の兄にあたる田原紹忍が豊州の賢人たちの死去後に勝手な政治をしたのが原因。

豊州二老の吉岡長増(1573年死去)・臼杵鑑速(1575年死去)

吉弘鑑理(1571年死去)・臼杵鑑速の死で豊後三老の最後の生き残りの道雪が
危機的な筑後戦線の建て直しのため、加判衆から1571年に立花城督として筑前に転出したのが痛い。

吉岡長増がキレて田原のやったことを全否定したこともあったが、彼等の死後に
田原紹忍の押さえつけて監視できる人材がいなかった。1578年耳川の総大将もコイツ。
また、このアホ兄妹は奈多宮司出なのでキリスト教嫌いが激しくいろいろ騒動起こしてる。

あと大友が秀吉に助けてもらったというのは歴史を知らなさ過ぎる。
あれは単に1585年の正親町天皇の勅命に沿った和睦勧告なだけ。

大友の統治体制ってかなりよくできてて、二階崩れの変はそもそも大友館を中心に家臣団の集住と官僚化の成功によるところだし
毛利の最大の欠点でもあった寄親寄子制のような家臣による国人層の主従化の阻止により
家臣の私兵化を抑止しており、大友宗家の力の源泉である加判衆や方分や城督の任命と剥奪が原因になった
家臣の小規模反乱しかおきていない。

0861人間七七四年2010/01/26(火) 19:38:25ID:HcPs0fQR
>>860

そうだね、ロクに知識なのに捏造するから叩かれるんだよね。
そうだね、捏造を突っ込まれて悔しいから今頃自演したり自己弁護しちゃうんだね
0862奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2010/01/26(火) 19:40:16ID:t8R2tP0z
天の視座を持つ人と全く歴史について語っていない人がいるのはわかった。
0863人間七七四年2010/01/28(木) 01:17:19ID:Mm+9W1bk
>>860
>
危機的な筑後戦線の建て直しのため、加判衆から1571年に立花城督として筑前に転出したのが痛い。


そうは言っても、加判衆→城督は、人事上の慣例として、かなり定着していたのよ。
たとえばも、吉弘鑑理、小原鑑元なんかもそのコースをたどってた。

田原親賢については、功罪相半ばだな。
宗麟は、自分のコントロールの利く田原親賢に田原氏全体を掌握させることで、
田原氏をコントロールすることができたわけだし。
奈多夫人のおかげで、国東を掌握する田原・吉弘・奈多に閨閥を築けた。

0864人間七七四年2010/01/28(木) 16:32:31ID:zLBz2DIU
吉川広家が毛利輝元に領土を返上して主家を守ったように
立花宗茂も主家を助けんかい!と思うのは俺だけだろうか?
0865人間七七四年2010/01/28(木) 18:35:19ID:1amsisNg
>吉川広家が毛利輝元に領土を返上して主家を守ったように

広家は主家を守るどころか危うく潰しそうになったし
家康から与えられた新領を主家に譲った形で返上ではないんだがな

>花宗茂も主家を助けんかい!と思うのは俺だけだろうか?

宗茂から見れば立花は家臣としてさんざん大友を助けたが
今はもう立場が違うしもう自力でなんとかしなさいって気分だったのでは?
0866人間七七四年2010/01/28(木) 18:44:24ID:RF4wX/TX
>>864
広家は駄目だろ。
宗茂は紹運から昔の関係より現在の関係に対して筋を通すように教育されてたからな。
それでも吉統の夫人や子を助けたり、田原親家や吉弘統幸を預かったりしてるんだがな。
0867人間七七四年2010/01/30(土) 01:11:24ID:qk38T0gy
龍造寺隆信って大内に従属し、蒲池に従属し、大友に従属しやり遂げたのは肥前統一だけ。
耳川後の混乱に乗じて大友に攻め込み、恩ある蒲池一族を皆殺しにしたりして筑前・筑後・肥後・豊前を支配したけど
調子に乗って沖田畷で戦死。

停戦を無視して何度も攻めてくる毛利とか
恩知らずの龍造寺とか
隣は最悪な奴ばかりだよな
0868人間七七四年2010/01/30(土) 11:51:25ID:zszAp2w+
大友って戦国以前までは良い思いをしたんだから満足だろな
少弐と仲良くご臨終か
0869人間七七四年2010/01/30(土) 13:00:26ID:8kJtwEEU
大友家臣団
http://c.2ch.net/test/-/history/1182505705/i

島津は対して強くない。
0870人間七七四年2010/01/30(土) 13:29:22ID:JumocD5C
5歳が酒宴で飲んだくれていたことにびびった。
0871人間七七四年2010/01/30(土) 13:35:10ID:qk38T0gy
島津を否定したらそれにまけた大友家も否定することになる
大友家は義統さえ有能ならあんな結果にならなかったろうに
0872人間七七四年2010/01/30(土) 13:53:08ID:vs+wTkyJ
大友は地理的に上下にならず者がやってくるから挟まれついてないよな。
しかも豊後は山谷ばかりで輸送力も悪いオマケつき。
0873人間七七四年2010/01/30(土) 15:38:18ID:9/9iCDZO
鎮西ナンバー1の少弐を大内と一緒に追い落としてさあこれからって時に
戦国後期までは完全に空気だった島津に出し抜かれちゃったね
0874人間七七四年2010/01/30(土) 16:23:30ID:qk38T0gy
龍造寺っていう恩知らずのクソデブと
毛利という恥知らずに挟まれたら厳しいのは仕方がない。
近隣に足を引っ張る勢力がない島津のほうがだんだん有利になるのは当然だな
0875人間七七四年2010/01/30(土) 16:44:09ID:vs+wTkyJ
日本人を拉致監禁し奴隷にして海外に売りまくった犯罪集団隼人蛮族さつまいも
0876人間七七四年2010/01/31(日) 00:41:44ID:FYboZIfx
>>833
大友は波多野(藤原)氏族だし、中原氏の猶子になってるのも事実だしで、

両方とも正しい

じゃね?

0877人間七七四年2010/01/31(日) 09:28:14ID:O8CjD3ZA
頼朝公の子だよ
0878人間七七四年2010/01/31(日) 17:35:11ID:NfRJR4sM
>>874
ゲームのやり過ぎ
0879人間七七四年2010/01/31(日) 19:41:23ID:O8CjD3ZA
綺羅星のごとき大友の将帥たち
0880人間七七四年2010/01/31(日) 21:44:23ID:Aqicguzq
あれだけの家臣がいると綺羅星と言うか玉石混淆だな
本当に大友の将帥が綺羅星の様だったらあんな結果には、と思うことが多々ある
0881人間七七四年2010/02/01(月) 00:02:49ID:3y6aQv2z
知略縦横
0882人間七七四年2010/02/05(金) 10:43:39ID:eoLtgm7A
龍造寺は今山合戦で息の根を止めるべきだったと思う
宗麟の優柔不断さが肥前を失ってしまった
0883人間七七四年2010/02/05(金) 17:14:51ID:9dPQd8je
今山に孤立布陣したのは素性のまったく不明で武功もない総大将の親貞だけだからねぇ。
親貞の左翼の川上にいた鑑連は攻撃を聞いても
救援にまったく動かず
川上川の対岸の吉弘鑑理も動かず
かなり離れていた右翼の小田鎮光も動かず。

危険すぎると反対する隆信に対して強く奇襲を勧めた鍋島は戦後に大友の定紋の使用が許可される・・・
ここでもまた敵に内通疑惑のある鍋島でした。
0884人間七七四年2010/02/05(金) 19:59:01ID:1e7/antH
1582/08/01には島津か毛利に殺される運命の悲惨な人か
0885人間七七四年2010/02/05(金) 20:01:02ID:1e7/antH
そういや綺羅星ってエロ小説家だよな
>>4の理由がやっと分かった気がするよ
0886人間七七四年2010/02/05(金) 20:10:59ID:f1VHLR/I
蒲池氏について質問。大友氏の傘下で隆盛していた蒲池氏は
龍造寺に恩を仇で返されて虐殺されましたよね?
その後はどうなったのでしょうか?
0887人間七七四年2010/02/06(土) 00:09:57ID:5kHK5wYp
滅亡した
0888人間七七四年2010/02/06(土) 12:35:57ID:qBXPNmQF
>>886
以下を参考
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E6%B1%A0%E6%B0%8F
0889人間七七四年2010/02/07(日) 00:07:58ID:ivpdQ8N9
松田聖子(本名、蒲池法子)はその蒲池の子孫じゃなかったっけ?
0890人間七七四年2010/02/07(日) 00:15:57ID:Wl5nqBaq
蒲池スレがあったので参考にどうぞ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1053483831/
0891人間七七四年2010/02/07(日) 12:36:27ID:MlRiEaBa
>>887-890
サンクス
近所に蒲池さん多いから疑問に思ってましたがやっぱり生き残りがいたんですね
0892人間七七四年2010/02/07(日) 19:12:15ID:Y+MUq/kK
滅亡と皆殺しは違うからなあ。

ちなみに田口蔵人息子は、豊薩合戦で利光城で討ち死にしたそうだ。
0893人間七七四年2010/02/07(日) 23:02:36ID:Wl5nqBaq
蒲池は大友を見限り龍造寺の幕下となり
さらに島津に内通し龍造寺に征伐されたヘタレ
0894人間七七四年2010/02/07(日) 23:15:02ID:OR8Xii9S
大友で安芸攻め取ってみたがそっから先が中々進まないお
0895人間七七四年2010/02/07(日) 23:53:33ID:HsqaX5wZ
>>890
それ相当前から粘着してるキチガイが立てたスレだよ
2000年代初頭からいる
0896人間七七四年2010/02/08(月) 09:11:12ID:Gjd+uPA1
国人の離反が続いたのは義統のころでしょうか?
宗麟はスケベだが優秀なイメージで義統は暗愚なイメージなのですが
0897人間七七四年2010/02/08(月) 18:59:29ID:jE1ZQ+V7
>>896
どうかな?宗麟が現役バリバリの頃も離反はあるし、
宗麟と義統の二頭政治が弱体を早めた感はするよね。
まあ当時は「そこそこの人物」では家を保てないって
言う混乱期だし、一概に義統を責めるのは厳しいか…?
でも立花宗茂、志賀親次みたいな、若く優秀な家臣を
使いこなせなかったのは致命的。
0898人間七七四年2010/02/09(火) 00:07:27ID:zE4PfPOg
バテレンは中絶禁止だから宗麟の子って相当な数だろな
0899人間七七四年2010/02/09(火) 02:29:56ID:iJ6H+ac/
領内で間引き禁止して孤児院に入れる制度作ったり、
アルメイダの病院で領民は無料で治療を受けれるようにしてたらしいけどな。
0900人間七七四年2010/02/09(火) 12:47:56ID:hubYklmi
大友に離反が頻発したのは、他家と違って寄親と寄子の関係が薄かったから。
寄親寄子制の強化と言うのは、相互監視という目的もあったんで、大友氏では、
反乱が多く起こった。
しかし、寄親寄子制の弱いことはメリットも多くて、結構な有力者が反乱を
起こしてもあっさりと終結している。
(巧網氏、佐伯氏、田原親述、一万田鑑相、小原鑑元)
0901人間七七四年2010/02/09(火) 23:30:36ID:IHZvOvib
大友の領地が薩摩あたりだったら生残れただろな
薩摩大隅なんて欲しがる奴っていないだろから
0902人間七七四年2010/02/10(水) 00:44:39ID:eusospwi
>>900
寄親寄子制は後進的なもの。
これは中国地方では特に顕著で
大内や尼子や毛利とオセロをひっくり返すように
ばたばたと国人たちが大挙として陣営を変えまくる原因。

島津家久を最低でも二回以上は大破したと言われる佐伯惟定だが
これを補佐したのは山田宗昌と言われている。
この人物は伊東氏の家臣だったりする。
0903奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2010/02/10(水) 21:06:46ID:gYxW2n3A
朽網をどう間違うと巧網になるんだ。
0904人間七七四年2010/02/10(水) 21:08:37ID:mBm3X66Z
高校の卒論一応血繋がってるから大友宗麟について書いたわ・・・懐かしいな
0905人間七七四年2010/02/10(水) 21:32:54ID:q+PjBHxx
>>903
まあ、木付氏を杵築氏と間違う事も有りますよ…
0906人間七七四年2010/02/10(水) 21:44:52ID:TsEN/ZB4
得川の名が欲しくて徳川と改名する人もいるしな
0907人間七七四年2010/02/10(水) 22:59:29ID:rwjbP1Y7
鑑○鎮○統○の名前が多すぎてこんがらがるな。。。
他家でも偏諱をもらってる家臣は大勢いるけど、信○とか康○とかはわかりやすい
大友三代は字面がインパクトあるからかな
0908奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2010/02/10(水) 23:09:44ID:gYxW2n3A
かんちんとう
0909人間七七四年2010/02/11(木) 03:11:05ID:NF8sIJTv
緩やかな連合体たる寄親寄子制が原因で
尼子経久・晴久と相次いで亡くなった尼子氏や
大内義隆の謀反による死亡後によるあっという間の瓦解を引き起こしたおかげで
ただ単純に長生きしていただけの地域の長老格の元就の実力なき拡大が成立した。
また秀吉が「毛利はグダグダやって動きが遅い」と激怒するほどのトロい国人動員や
関が原での毛利家中分裂の原因にもなった。
大友は家臣統制を強めていく過程で有力者の反乱が起こるが寄親寄子制ではないので
広範囲にわたる一大反乱に拡大することがなかった。
これが大友が毛利に大勝した理由であろう。
0910人間七七四年2010/02/11(木) 03:58:37ID:STGi7jCF
大勝かどうかは知らんが、毛利が秀吉に降るまで
国人衆を統率しきれるだけの支配力がなかったのは確かだね
秀吉がバックについた途端に独立性の強い国人衆をドンドン難癖つけて滅ぼして直轄化していってるし
0911人間七七四年2010/02/11(木) 11:43:04ID:HRG/tJgA
秀吉を前に後退を続けたのも
毛利に国人はただ単に寄子として従っていただけなので
血を流す決戦をするほど心服してないために非協力的だった。
大内や尼子復興軍があれだけ大規模に膨れあがったのも国人たちが毛利への忠誠心がなかったから。
それが寄親寄子制度の弱点。
北条が籠城ばかりなのもこれのせい。
0912人間七七四年2010/02/11(木) 11:47:46ID:PO2pqXQ0
大内や尼子も寄親寄子制だとしたら
なんで大内や尼子復興軍のほうが分が悪いのにこれに与してしまったんだろう?
0913人間七七四年2010/02/11(木) 11:53:44ID:HRG/tJgA
ムリヤリ九州に連行されて戦わされていたから嫌気がさした国人もいたのだろう。
九州での戦は敗北したために領地の加増すら満足いくものではなく、国人は貧しさを増した。
これは大内が上洛した際にムリヤリ従った国人が勝手に帰国したりした時の気持ちに似たものだろう。
この九州での負の遺産から対織田戦ではさらに士気が低下して、
もはや毛利は彼らに決戦の強要すらできなくなった。
0914人間七七四年2010/02/11(木) 12:05:09ID:PO2pqXQ0
納得です
0915人間七七四年2010/02/11(木) 18:56:31ID:62UAfMQ3
由布惟信ってどういう評価?
オレ苗字は油布だけどそいつの子孫っての最近知ったんだけど
0916人間七七四年2010/02/11(木) 19:22:32ID:HRG/tJgA
>>915
名将道雪が若き宗茂に遺した叩き上げの将。
宗茂の活躍も道雪の兵略を駆使した彼ら重臣の補佐によるもの
0917人間七七四年2010/02/11(木) 19:32:07ID:62UAfMQ3
>>916
んじゃあまあまあってことか
ありがとう
0918人間七七四年2010/02/12(金) 11:56:50ID:iI2sK1nr
>>917
すごい武将だから自慢してよいレベル
立花四天って信長の野望に昔は登場してたけど最近の信長の野望シリーズでは圧力かなんかで消されたんだっけ?
0919人間七七四年2010/02/12(金) 14:04:41ID:GpDwxGkV
宗茂や道雪はたしかに名将だが
彼らばかり注目されて三家老が軽んじられる傾向があるのが気に入らない
0920人間七七四年2010/02/12(金) 14:32:51ID:7tLPacPT
自慢はしない方がいいと思うが。
「俺、誰々の子孫なんだぜ〜」とか言われても胡散臭がられるだけだと思うよ
(それが事実であっても)
0921人間七七四年2010/02/12(金) 19:06:42ID:FUb+YU61
>>919
俺は佐伯惟教は3老並だと思ってる。
0922人間七七四年2010/02/12(金) 23:29:05ID:st1CYF6k
>>918
由布と小野は出てんじゃね?
と言うか信長の野望シリーズ一通りやってるがこの二人と道雪、宗茂、直次ぐらいしか立花の人間見てないんだが。
0923人間七七四年2010/02/13(土) 17:01:24ID:nio8Cyln
>>922
天下統一シリーズだと何故か薦野増時と米多比鎮久は出ないのに、
立花鑑載に殺されたその父親達は出てるんだよな。
あと十時惟忠とか妙な人選をしてる気がするw
0924人間七七四年2010/02/14(日) 18:24:17ID:+wKIL3GR
>>918
嵐世記あたりではいたけど革新で消えてなかったっけ?
最新のでは登場すんの?
0925人間七七四年2010/02/14(日) 21:15:08ID:buUB1hJH
>>920
俺、赤穂浪士の討入りしなかった方の子孫なんだぜ!


微妙・・・w
0926人間七七四年2010/02/16(火) 22:22:21ID:WnzrtHoQ
宗茂が秀吉の寝首を取ってれば大友が天下を取れたな
0927人間七七四年2010/02/16(火) 22:39:08ID:iBPkuu0Q
宗茂がそんな野心家なら宗茂大友蹴落として立花が天下取っとるわ
0928人間七七四年2010/02/17(水) 11:02:00ID:ALMQS+Gr
道雪や紹運はよく宗麟を見限らなかったな
耳川の戦い以降この二人に独立されたら大友は滅亡していただろう
0929人間七七四年2010/02/17(水) 11:44:27ID:SiF0Vn74
大友って滅亡しただろ
どこに大友が残ったんだよ
0930月孔雀2010/02/17(水) 14:04:15ID:JIKGRD1m
何故キリシタン大名になったか、教えて?
0931月孔雀2010/02/17(水) 14:17:06ID:JIKGRD1m
赤穂浪士って、浅野匠のカミの奥さんが吉良上野介に
やられちゃったんでしょ。そりゃ、切れるでしょ。
0932人間七七四年2010/02/17(水) 14:18:42ID:P9bXwXm9
>>927
当時の立花勢に大友へ攻め込むほどの余裕はない。
島津・秋月の防戦で手一杯。島津へ寝返るという選択肢はあったかもしれんが

>>928が言いたかったのは、この2人が存命中に独立なり離反なりしたら
もっと早く大友は潰れていただろう、って事だろ?
まがりなりにも大友家を残して、島津から守ったわけだから。
(後に改易されたのは義統が馬鹿だっただけで件の2人は関係ない)
0933人間七七四年2010/02/17(水) 16:45:11ID:NymvKmF1
ちんシュスレでみましたが、麻生太郎は高橋ちんシュこと紹運の子孫だというのは本当ですか?
0934人間七七四年2010/02/17(水) 19:48:04ID:+VsaaKJu
>>932

>当時の立花勢に大友へ攻め込むほどの余裕はない。

>>926へのレスはそう言う意味で書いたのではないのだがな
まぁ、宗茂が無防備な秀吉の寝首をかっ切る事を試みる程の野心家なら
大友に天下取らせるフリをして斎藤道三みたいに大友の名を利用したり
出来の悪い義統を追放して家乗っ取る事ぐらい平気でやるだろうって事
0935人間七七四年2010/02/18(木) 04:00:34ID:jrYJ/wGv
風雲録で吉弘鑑理と佐伯惟教が速攻で死ぬ仕様には何か意味があったのだろうか
0936人間七七四年2010/02/18(木) 10:24:30ID:0ex041d/
>>928
その可能性は結構あったかもしれないな
2人とも宗麟より人望集めていただろうし
0937人間七七四年2010/02/18(木) 13:10:40ID:hZXSuyBM
2人が見限って筑前が失われたとしても大友は滅亡しない。
それが大友が家臣団を統制するための城督制度の狙いでもある。
0938人間七七四年2010/02/18(木) 19:02:11ID:tVB35cd8
宗麟は嫌いだけど道雪、紹運、宗茂は好き
0939人間七七四年2010/02/19(金) 23:10:31ID:WzvBgjHP
宗麟は「この人の為なら死んでもいい」
なんて思わせる器量の人間じゃ無い事だけは確かだな
0940人間七七四年2010/02/20(土) 00:24:17ID:+QukfOhf
実際は宗麟のために命を棄てて討ち死にした武将がたくさんいたわけだが。
家臣の反乱って言うのも実際は、家臣の官僚化や国人統制する過程でおきた中央集権への努力の反発によるもの。
宗麟への取次をした側近に力を持たせず側近政治もやらなかった。
また宗麟は独裁せず行政府たる加判衆による合議に任せていた。
0941人間七七四年2010/02/20(土) 00:31:33ID:YLM7jZvg
だよな
合議制というのは非常に良いとおもう
ただ大内みたいに評定衆に丸投げするようではだめだが
0942人間七七四年2010/02/20(土) 20:06:47ID:k9DXZiKe
>>940
ほぼ同意だ。
ただ、当時の人間がどう考えていたかは、別だと思う。
宗麟に限らず、父、祖父も加判衆の人事には自分の意向を
かなりストレートに反映させたみたいだしな。

0943人間七七四年2010/02/21(日) 07:28:29ID:ZdYp9vJ7
守護大名上がりゆえに諸家が乱立し、いろいろと難しい政治状況の中で近世大名化への手を打つべく、
宗麟は勢力ある田原本家を牽制する人事をしたりと政治力学的にけっこういろいろと手を打ってるね。
0944人間七七四年2010/02/21(日) 21:12:31ID:WLVUalSz
精力的に人妻にも手を打ってるね。
0945人間七七四年2010/02/21(日) 21:50:09ID:ZdYp9vJ7
>>944
それは事実かどうか非常に怪しい
0946人間七七四年2010/02/21(日) 23:03:04ID:K8nMZEpT
>>944

それが真実と信じられてしまうのが宗麟の宗麟所以
0947人間七七四年2010/02/22(月) 04:39:41ID:iI4NUv3g
>>945-946
ソースは?初耳なんだけど
0948人間七七四年2010/02/22(月) 11:34:47ID:UHhdB1Lj
>>947
むしろ信用できる一次史料にそんなの書いてない。
0949人間七七四年2010/02/22(月) 18:26:50ID:c9tTLAWg
たぶん大友記って読み物のせいだろうねぇ。
仏教徒の人が書いた戦記なのか
宗麟を仏教を弾圧するキチガイみたいに悪く書いてるんだよねぇ。
住吉大明神・万寿寺・彦山炎上のすべてを証拠一切なく
すべての火災をキリシタン宗麟が魔宗仏教弾圧を目的として命じたことにしてるほどだから。

しかも信長の比叡山焼き討ちと宗麟の彦山焼き討ちは戦国二大法難認定されてるし。
      
0950人間七七四年2010/02/22(月) 18:28:56ID:oPKCYjpK
前から疑問だったんだが
英彦山ってなんで読まないのに英がついているんだろうな
0951人間七七四年2010/02/22(月) 18:50:10ID:G5ZQBFoF
元々彦山だったのが霊元法皇の院宣により英の字が授けられ英彦山となった
0952人間七七四年2010/02/22(月) 19:16:36ID:c9tTLAWg
381 :人間七七四年:2010/02/06(土) 17:22:36 ID:s0KGK69J
家臣団の府内集住に成功した反面で二階崩れの変が起きた大友や六角氏の挫折や武田信虎追放劇のように強権発動で豪族連中を屈服させて中央集権化を目指すのに失敗したんだな。
結局、そういうことをせずに甘やかしたり、欲で釣って自陣営に引き込んでる大名が
成功して版図拡大してんだよな。
それで豊臣政権の力を借りて上杉のように官僚化へ脱皮するか
最上のように失敗改易するか、伊達や島津のようにグダグダなまま封権制度を引きずるか。

あと伊東義祐は期待してた長男次男が早世したんだっけたしか。
それで寺社作ったりして供養してたりが京洛文化に憧れ→享楽と誤解される方面に流れた感じ。


大友といい伊東といい、いろいろと誤解されて悪い印象を刷り込まれてるよね。
大分県と宮崎県はもっと郷土の英雄を賞賛しなきゃならんよ。


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