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【暗君】一条兼定【暗君】

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 17:34:36ID:twhAGXxP
彼と天下を目指したい。
0085人間七七四年2007/08/07(火) 16:36:18ID:oIzvOmaa
>>84
yes
0086人間七七四年2007/08/15(水) 19:00:28ID:7zQgMoqL
土佐の大名と言えばこの人で、長宗我部はかなり後まで家臣扱いだったぽいね。
0087人間七七四年2007/08/26(日) 16:16:04ID:e9LXkOxz
>>86
「一条殿の家人で長宗我部とかいう珍しい名字の奴がいるらしい」
という趣旨の記録があるらしいしな
0088人間七七四年2007/09/03(月) 19:18:46ID:3LDr1qfe
一条って、土佐の国司にはなったんかな?
北畠が伊勢の国司になったのは有名だが。
土佐の守護は細川って理解で良いのかな?
0089人間七七四年2007/09/03(月) 21:57:41ID:5rN6kzrg
土佐国司にはなってない、慣用的にそういう風に言われるようになっただけ
戦国三国司で正式に国司に任じられたのは北畠だけ
但し国司に任じたのは南朝なので、北朝を奉じた室町幕府体制下では僭称同様だったと思うのだが…

土佐の中村に昔から荘園を持っていたのは事実だが>一条
0090人間七七四年2007/09/04(火) 11:21:20ID:PZutZU/V
房家、房冬、房基はなってない?土佐守
0091人間七七四年2007/09/07(金) 16:08:26ID:fao3uHnI
>>90
兼定も含めてなっているな。
まあ、実際にはもっと上の官位にまで上り詰めてもいるが。
0092人間七七四年2007/09/28(金) 15:27:31ID:u6OD5dkn
兼定は権中納言か、房家は大納言だし
0093人間七七四年2007/10/11(木) 20:30:32ID:x8VrZVcU
いや土佐国司になってるよ
前関白が次は土佐国司ってのもある意味凄いけど
0094人間七七四年2007/10/11(木) 20:34:46ID:x8VrZVcU
つまり初代教房自身も土佐国司をわざわざ朝廷から拝命している
0095人間七七四年2007/10/11(木) 20:42:01ID:x8VrZVcU
この初代教房の頃(東国では後北条氏が箱根を越えて駿東から
関東へ本格的に勢力を移植し始めた頃)から
次第に武家の間で官位官職が次第に復権し始める。

土佐守護家の没落と同時に畿内・西国では公家官位のほうが
ハイエンドなブランドとして流通し始める。

信長は部下に羽柴筑前守や維任日向守など
九州の名門旧家の姓や官職を名乗らせた。
徳川時代になって各国の国主は
鎌倉室町武家職制の守護・地頭職ではなく、
平安時代以来の受領国司名や朝廷官職を専ら用いた。
0096人間七七四年2007/10/11(木) 21:50:14ID:HQj+EhU+
>>95
「惟」任、だな。
0097人間七七四年2007/10/12(金) 15:40:28ID:Rsuupf67
>>95
室町幕府の守護で江戸時代の領地も、その国全域だったのって、島津ぐらいってのもあるんじゃないか?
今の領地と違う地域の守護なんて名乗ろうものなら、無駄な軋轢生むことになっただろうし。
0098人間七七四年2007/11/01(木) 14:40:54ID:j1E7J5mS
政元までの細川京兆は土佐守護兼ねているね。
0099人間七七四年2007/11/17(土) 20:27:37ID:9Xp1zl7q
一条家の通字って何になるの?
0100人間七七四年2007/11/17(土) 23:40:03ID:4BAqbdAH
「実」
戦国時代には守られてないけど
0101人間七七四年2007/11/19(月) 16:31:42ID:5fvLmJme
どちらかというと、しりとりに近いかな

実経ー(実家)ー家経ー(内家)ー内実ー内経ー経通ー房経ー経嗣ー兼良ー教房ー房家ー房冬ー房基ー兼定ー内政

もしくは教房以降は房とも言えるね
0102人間七七四年2007/11/19(月) 21:34:57ID:aTegSNxi
>>101
「内政」とか先祖帰りしたかのように、内の字が復活してるね。
0103人間七七四年2007/11/19(月) 21:59:40ID:KW73yu99
戦国大名化した土佐一条家を懸念した一条内基が土佐に下向、
介入して(恐らく長宗我部に内政預けて)偏諱を与えてる。
0104人間七七四年2007/11/20(火) 13:46:23ID:hUo8CT5l
なるほど、勉強になります

ちなみに同時代の京一条家
教房ー冬良ー房通ー兼冬ー内基
0105人間七七四年2007/11/21(水) 00:48:40ID:+GSWcD1L
>>104
補足すると、
冬良は教房の弟、房通は房家の子で房冬の弟、兼冬は房通の子、内基は房通の子で兼冬の弟なので、
兼冬・内基兄弟と兼定は父方を通じての従兄弟同士。
今の我々が思う以上に当時としては近しい親戚関係だったのかもしれない。
0106人間七七四年2007/11/25(日) 13:47:09ID:JasMg5nE
最近、中村に引っ越してきたから調べていれば兼定スレがあるとは・・・
ノブヤボ版の曹豹キャラとして愛されてるんだw

宿毛市史に「兼定の最期」として結構くわしく書かれてるよ
ttp://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/014001.html
0107人間七七四年2007/12/01(土) 09:59:35ID:E2fWckai
一条房家かその子房基かどちらかだが
西国の大大名大内義隆の妹を妻にしていた。
二人の間に生まれた子が大内性に復し晴持を名乗った。
大内晴持は大内家の嫡子として義隆に大切に扱われた。

張持の実家土佐一条家の申し入れもあったのかと思われるが
大内家中に藤原氏の氏寺東大寺の所領を横領した一族がいる。
それがほかならぬ大内氏親族で譜代筆頭の陶氏。
大内義隆は陶に命じて東大寺旧領を返還させた。

この頃の大内氏は貿易港博多を支配し、西国10カ国近くを領していた。
これにいずれ大内氏を継ぐ大内晴持の実家土佐一条氏の土佐を加えると
大内氏は丹波路、瀬戸内海、阿波・和泉・摂津路の3方面のどちらからでも
入京を果たせる勢いだった。土佐一条氏の阿波侵攻の動きも
そうしたことが背景にあったのかもしれない。
0108人間七七四年2007/12/02(日) 04:44:50ID:8OuH9uYY
>>107の補足。

晴持の父は、房家の息子で房基の父である房冬。
房冬の正妻は伏見宮玉姫であり、側室が大内義興の娘。
晴持は房基の異母弟。
晴持が死ぬことになる出雲遠征のときは、義母である玉姫も戦勝祈願のため厳島神社を訪ねていたが、
大内方の敗報を聞くと山口へ向かっており、かの地で晴持の死を聞いたものと思われる。

陶氏の東大寺押領は大内氏の政策。
大内氏と東大寺の間では数度の折衝が行われ、陶氏も寺領年貢を送ったり送らなかったりしている。
応仁の乱の上洛の際に、上方の寺社勢力を敵に回したくないときは年貢を送り、
応仁の乱が済んで撤兵すると再び年貢を送らなくなった。
細川氏に内乱が起こり上洛戦の可能性が高まると、再び東大寺と折衝を始めている。
そして上洛戦も終わり尼子氏の対立が激化するといつものように年貢不送。
隆房と義隆(及び相良武任)の対立は晴持の死後に台頭するため、一条氏との関係は不明。
応仁の乱では、一条氏は親細川派であったため、大内氏との関係は良好ではなかった。
一条氏出身の僧尋尊(房家の叔父であり、師匠でもある)は大内氏を憎悪して罵倒している。

土佐一条氏の拠点であった中村には貿易による舶来品(中国製陶器等)が多数出土している。
これらは大内氏と友好関係であった時代に持ち込まれたものと推測されている。
0109人間七七四年2007/12/03(月) 10:00:54ID:WZ4OYzU6
この人は鳥坂峠の戦いで河野の援軍として来た小早川隆景とも戦ってるんだな。
華々しく負けたらしいが…
波乱に満ちた人生で興味深い人物ではあるな。
0110人間七七四年2007/12/08(土) 08:30:35ID:L45NnBgP
大内義隆と陶隆房の対立については表面化したのが1541年の出雲遠征敗退だったが
それ以前にも主従の対立関係があったかあるいは
陶隆房氏への何らかの処罰さえ下されていたとも考えられ得る。

理由は応仁の乱以降顕著となる傭兵を用いた戦が増えたことと
日本全体的に人材フローの流動性がさらに増したことだろう。
戦国大名は金銀鉱山の開発や港や主要河川の掌握に懸命になった。
それらの軍資金が有能な人材の確保に役立った。

応仁の乱後はご一門やご親族集がお殿様の藩屏として
評定の場でも戦陣でも主君を取り囲んで数の力で押し切るという時代では無くなっていた。
まったく主家とは縁もゆかりもない他家の出身者や場合によっては
どこの馬の骨と家中で揶揄中傷を浴びる者でさえ軍師の地位や評定衆の列に加わることを許された。
0111人間七七四年2007/12/08(土) 09:02:13ID:L45NnBgP
おそらく晴持を嫡子として遇した大内義隆は摂関一条家の名流を
大内家時代当主として本気で据える意思があったのだろう。

明治の世になってから井上馨や桂太郎といった毛利家親族が
首相の座についたがそれは山口県出身者である総理大臣のリストの
ほんの一部に過ぎない。中世毛利家も飛躍のためには他家出身者をどんどん登用した。

摂関家の血筋を次期当主の座に据えた例としては美濃斉藤家などが知られている。
また日野家出身で八幡太郎義家の血を引く開祖親鸞以来
本願寺座主は代々日野家猶子であったが
戦国期にはとうとう摂関家とも直接結びつくようになった。
それほど一向宗の政治的権力は時代を経るごとに拡大していた。
0112人間七七四年2007/12/08(土) 09:21:13ID:L45NnBgP
この当時世界的に有名だった奴隷市場といえばイスタンブールやエジプトの戦奴市場。
それらの市場で有能性を評価されたトルコ傭兵や東欧出身者や
欧州の皇帝家・国王家で常用されたドイツ傭兵等が代表的なものだった。
彼らの中には有能性を認められついには一方面の師団長的役割を任されたり
あるいは地方領主・君主の座にまで登りつめた者もいる。

本願寺最盛期を現出した顕如の場合、妻の三条氏を通じて
管領細川晴元、六角氏、武田信玄とも姻戚関係だった。

いざとなれば一向一揆の力を借りることも戦国大名は辞さなかったし、
三河一向一揆で名立たる徳川の重臣が一向一揆側に与したことを見ても
百、千単位で軍編成を組める傭兵のほうが逆に
土地と縛り付けられた国人衆、同朋衆、親族より使いやすかった。
大内義隆はそのような体制に家中の変質を進めていたのではないだろうか?
0113人間七七四年2007/12/08(土) 11:03:36ID:Q1NrDzzG
氏真公は治世の名君、乱世の凡君だが
この人の場合は典型的な暗君だな
0114人間七七四年2007/12/08(土) 21:45:40ID:ehMr4Yo+
数少ない補佐役・土居宗珊を手打ちにしてる所とかは救いがたい。
0115人間七七四年2007/12/11(火) 14:51:45ID:D3Rn+jf4
で、兼定様が主人公の「兼定の野望 四国風雲録」の発売マダー?
0116人間七七四年2007/12/11(火) 18:26:06ID:iTiWZveZ
あげまん
0117人間七七四年2007/12/11(火) 18:30:47ID:inmXsOMy
>>115
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm1103049
でがまんしとけ
0118人間七七四年2007/12/14(金) 08:06:31ID:dZDUB2DK
あげ
0119人間七七四年2007/12/21(金) 10:28:08ID:N+M4g0RJ
一条検定
0120人間七七四年2007/12/21(金) 11:18:58ID:sl37jLxC
>>119
不人気の伊予かん
0121人間七七四年2008/01/03(木) 21:25:37ID:OVVwvSgp
地元にこんなアホ大名がいたってマジ悲惨だね
0122人間七七四年2008/01/06(日) 17:33:05ID:JRGadKpd
兼定公は地元じゃ名君として神社にも祭られてるんだけどね。
某ゲームの影響力はすごいわ。
0123人間七七四年2008/01/06(日) 18:49:56ID:W4fydSBV
まぁ正直、町おこしの一環って感じでしかないけどね……。
0124人間七七四年2008/01/13(日) 13:28:49ID:5SFQMCpJ
いや、なんで一条が雑魚に思われてるのかわからん。
吉良みたいなもんか
0125人間七七四年2008/01/15(火) 13:38:43ID:RtnNsY7x
おらが国の殿様ならどんなクズでも美化されるからな
0126人間七七四年2008/01/15(火) 21:33:04ID:hhC0yKaC
それはあるが、そればかりじゃない。
0127人間七七四年2008/01/15(火) 21:46:46ID:aKpHeCwY
むしろ思い切りクズならそれはそれで面白かったんだがなぁ。

元親にしてやられて、その元親も信長秀吉には小物扱いと
順繰りにスケールダウンしちゃったというか。
0128人間七七四年2008/01/16(水) 00:38:07ID:ZyzqP+OE
無為無策で飲まれていった連中が多い中
兼定はけっこう足掻いたと思うんだがな
0129人間七七四年2008/01/16(水) 09:40:35ID:vUF005ZP
一条は普通に気概はあったようだし
0130人間七七四年2008/01/16(水) 12:54:29ID:x8IVTQZ3
普 通 な気概ってw

でも実態より低評価なのは禿同意>土佐一条家
良質な史料がないのが拍車をかけているような気がする。
0131人間七七四年2008/01/16(水) 13:54:23ID:otyaH3g6
ま、一言でいうと地味なんだよな。
結局、公家なんです珍しいでしょ?が最初に来ちゃう辺り。
0132人間七七四年2008/01/19(土) 14:20:19ID:/DZvaMxs
長曽我部のネガティブキャンペーンの犠牲者。
0133人間七七四年2008/01/19(土) 15:57:56ID:Vfa8xoXW
そういう部分もあるだろうね
しかし山内は持ち上げなかったんだね
0134人間七七四年2008/01/19(土) 18:54:47ID:Wivv2mTa
>>133
家格が違いすぎるから、自分の統治が面倒になるだけだったんじゃ?
後、武家としては、一応守護の細川絡みでいろいろ難しいだろうし。
0135人間七七四年2008/01/30(水) 10:15:50ID:iFhJgvwo
あげ
0136人間七七四年2008/02/10(日) 00:06:50ID:fvj/idrF
あげ
0137人間七七四年2008/02/10(日) 01:54:34ID:hq5R5giz
出来星大名の場合、多くが在地の権威を徹底的につぶそうとするからな。
0138人間七七四年2008/02/10(日) 13:05:04ID:xCASxVlc
土佐一条氏について書かれた文献を教えてください。
素人でも読める程度でお願いします。
0139人間七七四年2008/02/10(日) 13:21:11ID:5eiK8xjA
『地方別 日本の名族』四国編(新人物往来社) 但し現在絶版。図書館で借りなされ。
『中村市史』 これも完売。図書館で借りましょう

後はいくつか論文があるが、イパーソ向けを書けと言うことなので割愛。
0140人間七七四年2008/02/10(日) 13:55:44ID:xCASxVlc
即レスども。
探してみます。
0141人間七七四年2008/02/10(日) 15:05:17ID:hq5R5giz
>>139
論文も気になるな。
そっちも紹介してもらえるとうれしい

>>140
『長我宗部元親のすべて』(新人物往来社)にも一条氏について独立して一章立てられている
分量は少ないけど・・・
0142人間七七四年2008/02/10(日) 18:46:18ID:5eiK8xjA
>>141
土佐一条氏に関する論文自体が非常に数が少ないと思うが
見たことがあるのは
・『土佐一条家年表』小松泰(朝倉慶景編)
・「天正初期の土佐一条家」上・中 朝倉慶景(『土佐史談』166,167号)
・「足摺岬金剛福寺蔵土佐一条氏位牌群」野澤隆一(『國學院雑誌』)
これだけ。
上二つは入手も難しいと思う。国立国会図書館からコピーするしかないかな。
>>141が高知なら地元図書館で持ってる可能性もあるが。
0143人間七七四年2008/02/11(月) 01:49:39ID:9ZFxUI/e
>>141
オワタ・・・俺東海だわw
0144人間七七四年2008/02/11(月) 12:38:10ID:du4b+/uF
金かかるが国立国会図書館にコピーおながい、かなw
高知の県立図書館でもやってくれるかも知れないから取りあえず問い合わせて見なされ。
0145人間七七四年2008/02/25(月) 10:57:53ID:BEfkS91K
濃スレあげ
0146人間七七四年2008/02/28(木) 21:51:37ID:YS8IA8yi
小野寺義道とキャラかぶってね?
0147人間七七四年2008/02/29(金) 00:32:54ID:2hPFrhv/
一条内政
0148人間七七四年2008/02/29(金) 04:19:44ID:bRgnAd7T
天下創世の話。
俺は関東足利氏を将軍にしたことはあるが、
一条公で四国を併呑したことがない。
結局、足利晴氏の場合、
命令回数が1ターンの中で2回じゃん。
それに比べて、一条公運の場合、1回のみ。。。
守備よく西園寺や長曽我部を滅ぼしても、
大友や毛利など、九州、本州の沿岸部の大名が
巨大化し過ぎて、とてもではないが、戦えない。
一条公だけは将軍にするの、まず無理。
断言できるよ。
0149人間七七四年2008/03/15(土) 11:25:28ID:9DPfkI3M
史跡がある戸島ではどう思われてるの?
0150人間七七四年2008/03/15(土) 19:33:45ID:mSCpQ60i
伝承の多くは勝者である長宗我部氏によって書かれており、兼定を実態以上に悪く記述している可能性が高いって本当ですか?
0151人間七七四年2008/03/15(土) 19:38:04ID:7+pAUKME
このての質問を見ると、むしろそうじゃないと思ってるかお前は、と問いたい。
勝者側にいいよう改変されているんだ、悪い奴らだ!て言いたいだけちゃうんかと。
0152人間七七四年2008/03/16(日) 00:28:53ID:+DktYbYk
善悪論では結局のとこ、同じになってしまうからな

中村での権力確立がもっとはっきりすればなと思うが
逆説的に、なぜ権力が崩壊したかも分かるはず
0153人間七七四年2008/03/27(木) 23:32:52ID:QvfsWK25
仮にも父親の恩人の家を滅ぼしたわけだからな。
いいところがあったとは記録に残せないでしょ。

もっとも、長宗我部が滅ぼせた理由はあるはずだけどな。
いくら元親が命じたところで、一条に非がなければ、武将が動いたとは思えない。

有力なところだと、一条本家から独立しようとしていたために、
一条本家からの要請で討伐しただけだから、大義名分がしっかりしていたとも言うようだが。
0154人間七七四年2008/04/14(月) 16:32:33ID:OkGsaxo/
元親の技量の方が優ったというのは簡単な考えすぎるか。
0155人間七七四年2008/04/14(月) 17:05:18ID:tSZpvqwA
一言でまとめちゃえばそうじゃね?
いろいろ要素はあれどまぁ兼定<元親<秀吉だったという。
0156人間七七四年2008/04/30(水) 16:01:25ID:tocvD0PN
暗君ぶりは脚色されているんだろうけどね。
0157人間七七四年2008/05/08(木) 11:28:40ID:guNAUvIy
兼定の行動はむしろ戦国大名らしいんだけどな
0158人間七七四年2008/05/08(木) 12:28:40ID:DLQ1ZVMY
戦国武将らしくあろうとして、本家(とそれとタッグくんだ長宗我部)にボロクソにやられちゃったという
・・・ある意味悲劇の武将かも。
0159人間七七四年2008/05/18(日) 18:28:32ID:1V2jQOFv
一条兼良、教房親子の何代か遡った先の先祖は
鎌倉将軍として関東の諸将の上に君臨していたわけだから、
もともと一条家には武人の血が流れていたともいえる。
0160人間七七四年2008/05/18(日) 19:30:28ID:CZr8LvsM
鎌倉将軍の頼経は九条家の出身だが、
初代一条家当主の弟。
血縁関係なし。
0161人間七七四年2008/05/19(月) 01:06:42ID:JBiwBRgb
>>160
兄の子孫って血縁なんじゃね。
0162人間七七四年2008/05/19(月) 01:56:23ID:tAZ6heZO
たしか、九条、二条、一条氏は女系で源氏(頼朝の妹)の血も引いていたはず。
九条頼経が将軍になったのも、ここらへんの血縁があって、頼朝の遠縁というのも
理由の一つだったような

0163人間七七四年2008/05/19(月) 08:59:47ID:ncfA4lQd
>>161
先祖の兄は自分の先祖じゃないだろう。
おれの伯父はおれの先祖じゃない。
0164人間七七四年2008/05/19(月) 22:56:00ID:CVxvn5pO
>>163
その辺の定義は結構曖昧。
この前、偉人の子孫紹介する番組があったが、結構兄弟の子孫が続出してた。
その中には、フランシスコ・ザビエルの兄の子孫なんてのもいたな。
でも、ザビエルを先祖扱いしていた。
0165人間七七四年2008/05/21(水) 21:29:38ID:GhkH67Kl
土佐幡多荘は源頼朝が九条兼実に譲ったもの。
ゆえに守護といえども介入できない一種の不輸不入の権を有していた。
このように荘園としての特別の格式の高さと
交易の要衝という大きな利点を備えていたため、
幡多荘の存在は一条家からは特別に重要視されていた。
0166人間七七四年2008/06/09(月) 15:51:16ID:6XgdX/Qx
一条の土佐下向には大平の手引き説の他に、長宗我部文兼が迎えた説もあるんだね
0167人間七七四年2008/06/25(水) 13:43:18ID:WHv+6n9C
どのみち所領固め。
0168人間七七四年2008/07/10(木) 14:58:18ID:e7DqdKXG
実際京の一条家にはプラスになったのかな?
0169人間七七四年2008/07/12(土) 02:37:25ID:a3CvZFpl
この人が豊後に流れ着いたのは偶然ですか?
海に出された時点でもうのたれじねってことで
本当に流されるがままに漂流してたんでしょうか?
0170人間七七四年2008/07/12(土) 17:58:40ID:1LXiI71w
偶然じゃないよ。
二人目の正室が大伴宗麟の次女だったので
最初から豊後が逃亡先だった。
0171人間七七四年2008/07/12(土) 17:59:30ID:1LXiI71w
しまった
大伴じゃなくて大友 orz
0172人間七七四年2008/07/13(日) 09:14:28ID:PZ1guLgP
>>168
中村占領時に、荘園の強奪を行ったと言う記述も特にないから、
内政経由で、一条家に収益は渡るようになったんじゃないか?
もちろん、結構な部分を長宗我部が持って行きはしただろうが。
兼定のままならまったく来なくなったかもしれない収入が、少しでも入ってくるなら御の字だろう。
0173人間七七四年2008/07/16(水) 23:30:25ID:YD1RF5mB
毛利・河野・村上水軍 vs 大友・伊予宇都宮・土佐一条で伊予の覇権争ってる間に
土佐で長宗我部が台頭
0174人間七七四年2008/07/22(火) 23:38:28ID:J9RGDF5R
週末兼定公祭に行ってきました。
今でも地元で愛されているほどの名君だったんですね。
0175人間七七四年2008/07/23(水) 02:09:10ID:WXjkF/T0
町興しのためにみんな名君とか名将にされるよな
0176人間七七四年2008/08/08(金) 15:03:52ID:orGxZg1g
兼定公は当時は結構な著名人だったろうから。
0177人間七七四年2008/08/16(土) 06:30:39ID:dz7DV8/z
>>1
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3912774
この一条たんと天下取れば良いと思うよ
0178人間七七四年2008/08/18(月) 21:08:43ID:qIi6HfnI
この一条たんも天下取り目指してがんばってます。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4258195
0179人間七七四年2008/09/04(木) 15:16:49ID:A3E5l2hX
>>175 ありがちですね。
0180人間七七四年2008/09/19(金) 14:15:33ID:iILJtECe
言うほど悪くはないんだろうね。
0181人間七七四年2008/10/03(金) 14:38:04ID:p8VSDVvp
名君って事もないだろうがね。
0182人間七七四年2008/10/18(土) 14:24:52ID:s5z/JAhu
代々でみると結構頑張ってる
0183人間七七四年2008/11/04(火) 14:27:05ID:7fvnuZ/O
房家が活躍したかな。
0184人間七七四年2008/11/14(金) 22:41:53ID:MiKNyB4F
一条ほど官位の高い戦国大名はほかにいない
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