【暗君】一条兼定【暗君】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 17:34:36ID:twhAGXxP0141人間七七四年
2008/02/10(日) 15:05:17ID:hq5R5giz論文も気になるな。
そっちも紹介してもらえるとうれしい
>>140
『長我宗部元親のすべて』(新人物往来社)にも一条氏について独立して一章立てられている
分量は少ないけど・・・
0142人間七七四年
2008/02/10(日) 18:46:18ID:5eiK8xjA土佐一条氏に関する論文自体が非常に数が少ないと思うが
見たことがあるのは
・『土佐一条家年表』小松泰(朝倉慶景編)
・「天正初期の土佐一条家」上・中 朝倉慶景(『土佐史談』166,167号)
・「足摺岬金剛福寺蔵土佐一条氏位牌群」野澤隆一(『國學院雑誌』)
これだけ。
上二つは入手も難しいと思う。国立国会図書館からコピーするしかないかな。
>>141が高知なら地元図書館で持ってる可能性もあるが。
0144人間七七四年
2008/02/11(月) 12:38:10ID:du4b+/uF高知の県立図書館でもやってくれるかも知れないから取りあえず問い合わせて見なされ。
0145人間七七四年
2008/02/25(月) 10:57:53ID:BEfkS91K0146人間七七四年
2008/02/28(木) 21:51:37ID:YS8IA8yi0147人間七七四年
2008/02/29(金) 00:32:54ID:2hPFrhv/0148人間七七四年
2008/02/29(金) 04:19:44ID:bRgnAd7T俺は関東足利氏を将軍にしたことはあるが、
一条公で四国を併呑したことがない。
結局、足利晴氏の場合、
命令回数が1ターンの中で2回じゃん。
それに比べて、一条公運の場合、1回のみ。。。
守備よく西園寺や長曽我部を滅ぼしても、
大友や毛利など、九州、本州の沿岸部の大名が
巨大化し過ぎて、とてもではないが、戦えない。
一条公だけは将軍にするの、まず無理。
断言できるよ。
0149人間七七四年
2008/03/15(土) 11:25:28ID:9DPfkI3M0150人間七七四年
2008/03/15(土) 19:33:45ID:mSCpQ60i0151人間七七四年
2008/03/15(土) 19:38:04ID:7+pAUKME勝者側にいいよう改変されているんだ、悪い奴らだ!て言いたいだけちゃうんかと。
0152人間七七四年
2008/03/16(日) 00:28:53ID:+DktYbYk中村での権力確立がもっとはっきりすればなと思うが
逆説的に、なぜ権力が崩壊したかも分かるはず
0153人間七七四年
2008/03/27(木) 23:32:52ID:QvfsWK25いいところがあったとは記録に残せないでしょ。
もっとも、長宗我部が滅ぼせた理由はあるはずだけどな。
いくら元親が命じたところで、一条に非がなければ、武将が動いたとは思えない。
有力なところだと、一条本家から独立しようとしていたために、
一条本家からの要請で討伐しただけだから、大義名分がしっかりしていたとも言うようだが。
0154人間七七四年
2008/04/14(月) 16:32:33ID:OkGsaxo/0155人間七七四年
2008/04/14(月) 17:05:18ID:tSZpvqwAいろいろ要素はあれどまぁ兼定<元親<秀吉だったという。
0156人間七七四年
2008/04/30(水) 16:01:25ID:tocvD0PN0157人間七七四年
2008/05/08(木) 11:28:40ID:guNAUvIy0158人間七七四年
2008/05/08(木) 12:28:40ID:DLQ1ZVMY・・・ある意味悲劇の武将かも。
0159人間七七四年
2008/05/18(日) 18:28:32ID:1V2jQOFv鎌倉将軍として関東の諸将の上に君臨していたわけだから、
もともと一条家には武人の血が流れていたともいえる。
0160人間七七四年
2008/05/18(日) 19:30:28ID:CZr8LvsM初代一条家当主の弟。
血縁関係なし。
0162人間七七四年
2008/05/19(月) 01:56:23ID:tAZ6heZO九条頼経が将軍になったのも、ここらへんの血縁があって、頼朝の遠縁というのも
理由の一つだったような
0164人間七七四年
2008/05/19(月) 22:56:00ID:CVxvn5pOその辺の定義は結構曖昧。
この前、偉人の子孫紹介する番組があったが、結構兄弟の子孫が続出してた。
その中には、フランシスコ・ザビエルの兄の子孫なんてのもいたな。
でも、ザビエルを先祖扱いしていた。
0165人間七七四年
2008/05/21(水) 21:29:38ID:GhkH67Klゆえに守護といえども介入できない一種の不輸不入の権を有していた。
このように荘園としての特別の格式の高さと
交易の要衝という大きな利点を備えていたため、
幡多荘の存在は一条家からは特別に重要視されていた。
0166人間七七四年
2008/06/09(月) 15:51:16ID:6XgdX/Qx0167人間七七四年
2008/06/25(水) 13:43:18ID:WHv+6n9C0168人間七七四年
2008/07/10(木) 14:58:18ID:e7DqdKXG0169人間七七四年
2008/07/12(土) 02:37:25ID:a3CvZFpl海に出された時点でもうのたれじねってことで
本当に流されるがままに漂流してたんでしょうか?
0170人間七七四年
2008/07/12(土) 17:58:40ID:1LXiI71w二人目の正室が大伴宗麟の次女だったので
最初から豊後が逃亡先だった。
0171人間七七四年
2008/07/12(土) 17:59:30ID:1LXiI71w大伴じゃなくて大友 orz
0172人間七七四年
2008/07/13(日) 09:14:28ID:PZ1guLgP中村占領時に、荘園の強奪を行ったと言う記述も特にないから、
内政経由で、一条家に収益は渡るようになったんじゃないか?
もちろん、結構な部分を長宗我部が持って行きはしただろうが。
兼定のままならまったく来なくなったかもしれない収入が、少しでも入ってくるなら御の字だろう。
0173人間七七四年
2008/07/16(水) 23:30:25ID:YD1RF5mB土佐で長宗我部が台頭
0174人間七七四年
2008/07/22(火) 23:38:28ID:J9RGDF5R今でも地元で愛されているほどの名君だったんですね。
0175人間七七四年
2008/07/23(水) 02:09:10ID:WXjkF/T00176人間七七四年
2008/08/08(金) 15:03:52ID:orGxZg1g0177人間七七四年
2008/08/16(土) 06:30:39ID:dz7DV8/zttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3912774
この一条たんと天下取れば良いと思うよ
0178人間七七四年
2008/08/18(月) 21:08:43ID:qIi6HfnIhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4258195
0180人間七七四年
2008/09/19(金) 14:15:33ID:iILJtECe0181人間七七四年
2008/10/03(金) 14:38:04ID:p8VSDVvp0182人間七七四年
2008/10/18(土) 14:24:52ID:s5z/JAhu0183人間七七四年
2008/11/04(火) 14:27:05ID:7fvnuZ/O0184人間七七四年
2008/11/14(金) 22:41:53ID:MiKNyB4F0185人間七七四年
2008/11/15(土) 00:06:27ID:/YtuQZoP0186人間七七四年
2008/11/23(日) 20:22:50ID:wa5UQRHi0187人間七七四年
2008/11/24(月) 17:46:38ID:C7TT9RR9そういうことではないと思うんだ
0188人間七七四年
2008/12/08(月) 15:26:34ID:q2ZBxYph0189人間七七四年
2008/12/24(水) 15:19:31ID:QY1CP5jn0190人間七七四年
2009/01/08(木) 15:03:25ID:3Tu2Yu6E0191人間七七四年
2009/01/24(土) 15:05:25ID:wqS1tIyr0192人間七七四年
2009/02/09(月) 16:02:45ID:Hw1U43zG0193人間七七四年
2009/02/21(土) 15:44:47ID:QOhRosMt0194人間七七四年
2009/02/23(月) 20:52:33ID:PXi83cBg血筋には申し分無く、兼定も関白になれる可能性を持っていた。
0195人間七七四年
2009/03/10(火) 15:40:42ID:ZXdRiKbF0196人間七七四年
2009/03/30(月) 15:34:40ID:sAVHDfA10197人間七七四年
2009/04/14(火) 14:45:41ID:x7TvULMJ0198人間七七四年
2009/04/28(火) 13:38:15ID:ANy+kRkQ0199人間七七四年
2009/05/14(木) 15:57:10ID:2xtTCKom0200人間七七四年
2009/05/30(土) 11:38:36ID:hTyjFiRW0201人間七七四年
2009/06/13(土) 14:31:37ID:4e5W0Coi0202人間七七四年
2009/06/25(木) 15:44:46ID:tZyHKSFC0203人間七七四年
2009/07/02(木) 03:08:55ID:yYwvaUDV中央では長宗我部=一条氏の家臣扱いだったらしいね
0204人間七七四年
2009/07/02(木) 03:26:10ID:38aE4AcM長宗我部が戸次川の戦いの敗戦の責任を問われなかったのも、
大阪の陣のとき大阪に入城した盛親の扱いが低かったのも、
豊臣家においては長宗我部は一条の家臣であり、豊臣家にとって陪臣である、
と言う認識があったせいだというね。
0205人間七七四年
2009/07/02(木) 08:45:38ID:Su47Vj3Mポルトガル人の記録にあるらしい
0206人間七七四年
2009/07/04(土) 17:57:52ID:MEBJ68z+一応大内氏と親しかった時期と大友氏と親しかった時期があるので、
大内氏・大友氏を通じての使者の海外派遣は可能だった。
一条氏の本拠中村では中国産や南蛮由来とされる遺物が発掘されている。
0207人間七七四年
2009/07/16(木) 15:19:12ID:lypd0Ap60208人間七七四年
2009/07/30(木) 16:03:14ID:z0oYOCC40209人間七七四年
2009/08/02(日) 13:58:16ID:KqW0+BGmキリスト教の日本上陸は1549年。
大寧寺の変は1551年。
大内義長の擁立は1552年。
陶と毛利の決裂は1554年。
厳島の戦いは1555年。
大内義長滅亡は1557年。
大内に耶蘇と仲良くしてる時間なんてない。
0210人間七七四年
2009/08/08(土) 15:04:19ID:S64ivuT40211人間七七四年
2009/08/08(土) 16:12:26ID:kj31QM/e時期にもよるが、兼定初期は西園寺と仲の悪い宇都宮と仲良くしてた。
西園寺との関係はあんまりよくない。
0212人間七七四年
2009/08/20(木) 14:33:58ID:QnR4YLY20213人間七七四年
2009/08/20(木) 22:36:44ID:zhovWebt仲が悪いというより一条の方が力はかなり上だったと思いますが。
永禄年間の末期に宇都宮を支援して河野・毛利の連合軍と対峙した際には(鳥坂合戦、高島合戦など)、
西園寺が中立を保つか一条氏の傘下にない限りそもそも宇都宮氏への直接的な軍事的支援は不可能ですから。
0214人間七七四年
2009/08/22(土) 16:45:43ID:PwPjVxFV西園寺と一条のどっちが力が上かなんて話は誰もしていない。
聞かれてもないことを勝手にベラベラ話すのは構わないが、
アンカーをつけて話すべきものではないだろう。
ちょっと話がずれてるかな、と思ったらアンカー外そうぜ。
0215人間七七四年
2009/09/03(木) 15:12:56ID:+U1DoT060216人間七七四年
2009/09/12(土) 14:53:30ID:qCu4Admo0217人間七七四年
2009/09/23(水) 13:38:10ID:BLfWaOEf0219人間七七四年
2009/10/03(土) 14:34:19ID:otyYuHDX0220人間七七四年
2009/10/03(土) 23:51:05ID:dk2VQMNE0221人間七七四年
2009/10/13(火) 16:16:12ID:yysOJHjl0222人間七七四年
2009/10/22(木) 14:52:25ID:0gytWsYc0223人間七七四年
2009/11/04(水) 15:26:05ID:Fe9uds5u0224人間七七四年
2009/11/11(水) 22:11:01ID:cfbG65xzそのせいで暗殺されかかって腕失い、やがて病没ってのは悲惨な人生だよなぁ
0225人間七七四年
2009/11/25(水) 15:20:55ID:cHMk97PG0226人間七七四年
2009/12/13(日) 08:39:28ID:eG/aGvjZ0227人間七七四年
2010/01/10(日) 08:55:19ID:tl+EREPn0228人間七七四年
2010/02/19(金) 20:06:35ID:ql9eORI8地方領主としては、そこそこ有能な実績を残していても
近くに1地方を征圧しちゃうような有力大名が出たり
信長・秀吉・家康のような連中に倒された連中はけちょんけちょんに書かれるからね。
朝倉義景も北条氏政も今川氏真も一般的には家を滅ぼした暗君とされがちだけど
結構頑張ってるからね。凡君ではあったかもしれないけど決して暗君ではなかった。
一条さんもそんな感じだと思うよ
0229人間七七四年
2010/03/06(土) 19:59:28ID:Ht3AjzLj0230人間七七四年
2010/04/18(日) 19:00:37ID:GdYtY0rb追放された無能君主は打ち首でいいわ
0231人間七七四年
2010/05/09(日) 16:24:43ID:9LIMmpB00232人間七七四年
2010/08/06(金) 19:56:08ID:Z9uMueS80233人間七七四年
2010/08/12(木) 21:18:35ID:wRjzF0Lj西園寺と二股仕えの小領主も多かったから、実際はそれ以上だったろうね。
0234人間七七四年
2010/08/13(金) 21:20:02ID:9U5LFEFS0235人間七七四年
2010/08/25(水) 14:34:25ID:j/WyYoFd0236人間七七四年
2010/09/10(金) 23:38:08ID:HTnyS34N0237人間七七四年
2010/10/31(日) 22:15:28ID:r2RVzHXx何年か前に立ち寄った中村市は寂れつつあったけど、中村城の管理人さんや麓の酒屋さんは本当に良い人だった
高知に限らず全体的に四国の人は親切な人が多いし、酒・食い物が美味くて良い所だと思うな四国ってところは
0238人間七七四年
2010/12/03(金) 11:53:16ID:ylZ22B4W0239人間七七四年
2010/12/03(金) 13:40:40ID:Qvwt8mFV0240人間七七四年
2010/12/15(水) 17:37:07ID:TNYRdkii■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています