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【暗君】一条兼定【暗君】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 17:34:36ID:twhAGXxP
彼と天下を目指したい。
0002名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 17:43:46ID:ExnKe3HT
                         ヨシ!私が2げっとだ!!
          ,..-‐'''" ̄ ̄ `'丶、
        ,/          \ 無駄口を叩くな!!今から私のことをハク様と呼べ!!
        /      ネ申    ヽ,
       ./               l       .>>3 おにぎりをのどに詰まらせて氏ね
      /   | ||_|l__li_li__l|__| |       >>4 人間のくせに何を言ってんだ
      l    「‐二‐-.._   __.-─ | |       >>5 氏んでも働け
     .|    | 、_(゚,;)     l', '(゚,;)フ.| |       .>>6 今からお前を豚にしてやる
     |    |       |    /|. |      .>>7 ここはお前のような人間の来るところではない!!
     .|    |、_      `'    ト'|  |      >>8 千と昌夫の金隠し
      .|     |:::ヽ    _    /::::|  |      >>9 お前が氏ぬようにおまじないを掛けたんだよ
     |_    |:::::::::\  ´ -  /::::::::|  |      >>10 人臭くてありゃしない
      ` - 、|::::::::;;;;:| `丶- '"|;;;;;;;;:::::|__, l      >>11 神隠しに遭って氏ね
       _l. i '''‐-ゝ、___,∠>'`i─ 、 _     >>12 お前はクビ
0003公孫参2006/06/21(水) 17:57:36ID:xbfVWnPh
兼定公を慕いつつ参げつと
0004名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 18:54:51ID:a8XvnETC
数少ない公家大名
0005名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 21:23:00ID:jyNQk+lZ
暗君説は後の彫塑壁関係者のネガティブキャンペーンらしい

0006公孫参2006/06/22(木) 11:39:42ID:FcMzK858
三国司のひとりで洗礼名ドン・パウロ
ネタ的に非常においしい人物ですね

>>5
マジで?
0007名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 21:23:11ID:CiXGrp5b
追放された後、大友の影響を受けてキリシタンに。
更に後援されて土佐に帰還作戦敢行。
なんとも香ばしい。
0008名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 21:26:35ID:c4rwt249
そして大失敗
0009名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 23:52:26ID:ziUGmdIQ
北畠卿には勝てない
0010名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 23:56:55ID:KFLUS/YW
京にしがみ付いていたら三好長慶に殺されてたんだろうか……。
0011名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 23:57:57ID:c4rwt249
むしろ長慶が殺されてた
0012名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/23(金) 14:24:50ID:qTHjeON7
公家はしぶといから死なないし、そう簡単には殺されない
0013名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/23(金) 15:04:15ID:qTHjeON7
>>10
というか一条家は京でちゃんと関白やってますよ、教房の土佐下向後も


しかし教房はすごい人だね
経済的な理由とはいえ、関白だった人が下向して領国経営始めちゃうんだから
それに国人たちとも上手に接し、彼の死去時には十余人の国人が出家したそうだ
0014名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/24(土) 21:51:11ID:RRkh3DAO
土井宗珊を殺したのは、感情的な理由だけなのだろうか?
何か政治的な理由は無いのだろうか。
0015名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/26(月) 16:22:46ID:N5ClZGxM
土居宗珊(算とも)ですか
兼定は少しの失敗を理由に家臣を追放したり、切腹させたりしていました
これについて宗珊が意見したのが、手打ちの原因
どうみても感情的なものですね

京の一条家の内基はこの兼定の行状を見兼ね、土佐に下向
兼定を出家させ、内政に家督を譲らせた
兼定は豊後に隠退した
0016名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/30(金) 21:39:03ID:M4dBxHLD
戦国期に土佐一条家当主となった兼定は、家督を継いだ当初こそ外交活動や西園寺氏への交戦など軍事行動などがみられるが、
その後、政治に飽きてしまったようで怠慢で堕落な行動をするようになると言われている。
例えば、長宗我部の侵略が徐々に進んできたときも彼は遊蕩にふけっていたとされる。
さらに、忠臣・土居宗珊の諌言にも耳を貸さず、さらには宗珊を殺してしまった。
こうなると人望もなにもなくなり、家臣よりも忌み嫌われて、重臣合議の上兼定は追放されてしまう。
追放された兼定は、妻の実家九州の大友家に身を寄せる。
この時、身を寄せていた大友義鑑が熱心なキリシタンだっため、
兼定は妻(大友義鑑の娘)共々滞在中に洗礼をうけ、「パウロ」という名前をもらっている。
その後、中村奪回を目指し伊予に侵入するも敗北。

その後隠遁し伊予に留まったが、長宗我部方の家臣により就寝中襲撃されて重傷を負い、程なく死去した。
0017名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/04(火) 21:01:39ID:oCIYcKoe
一条氏は検討したが
兼定は>>16の言う通りかな
0018名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 15:35:24ID:tf39Nwiy
誰か兼定を擁護出来る奴はおらんか?
0019名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 15:59:40ID:KojK1AQ9
擁護はできんが、弁護すると
長宗我部の勢いの前じゃ仕方ないよ、ということと
(房家が国親助けなきゃ良かったんだとも言えるし)

親父殿が早死にするから、より苦境になるんだ、とも言っておく

詮無いことばかりだけど
0020名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 17:18:40ID:JJBkLOBN
最初はさほど悪くはなかったんだけどなぁ。
長宗我部家の記述を自己擁護だとしても、やっぱり元親の方が一枚
上手だったという事だと思う。

その上で更に上手の信長、秀吉に長宗我部家の重石としていいように
扱われたり、一条本家に公家大名化を問題視されたりしたのがまた
みすぼらしさを助長してしまったような……

いっそ兼定できれいに終わっておけば良かった気がしないでもない。
0021名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 18:00:47ID:IHxeLysb
地元だとあがめられてるの?
0022名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 18:02:35ID:Yqe7n0zL
地元は坂本龍馬バンザイです
0023公孫参2006/07/06(木) 18:07:43ID:ttiDV8fE
土佐一條公家行列
ttp://www.city.shimanto.lg.jp/top-img/2006/0524/index.html

土佐の祭り歳時記
■一条祭 中村市一条神社 11月23日〜25日
ttp://www.kbiz.or.jp/kumiai/sake/event/matsuri.html
0024名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/07(金) 17:10:24ID:4/7hER/w
一条は土佐にいたの百年ちょっとだから、短いよね
山内藩政の方が長い
力の大小、立場の違いはあっても、承久の乱から入ったとすると、長宗我部の方が長いし
0025名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/07(金) 20:40:07ID:OXootAgF
いっそ元親が十年早ければ良かったな。

やる気のある頃の兼定とぶつかってくれれば勝って公家といえども
軟じゃない所を見せるなり、華々しく散るなりできただろうに。
0026名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/17(月) 19:13:48ID:XrDqkzEf
小島政章という人物は兼定追放に反対したようだが
0027名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/17(月) 20:54:03ID:YpuCQ9V7
>>いっそ元親が十年早ければ良かったな。
三好家に滅ぼされるぞ。
0028名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/17(月) 21:48:51ID:1+cck6eK
>>26
追放派の重臣を次々ヌッコロした奴だろ
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/18(火) 16:37:32ID:Fio7aWUO
為松若狭守 安並和泉守らを攻め討ったんだっけ?
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 00:43:55ID:spDMsuVy
   
0031信長の野望の列伝2006/07/30(日) 23:50:54ID:Uu+TzzUe
農民の娘、お雪にうつつをぬかすと書いてある…
0032名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/31(月) 00:09:31ID:R8ykjuQR
あれは単なる逸話だしなぁ。
宇都宮氏の娘を離縁して大友宗麟の娘を娶った行動が一般の人間には不可解な
行動としてうつり、色好みが激しいという風聞が立ったりした結果じゃないかな?

そういえばキリシタン大名はいろいろいるがキリシタン公家(一応)は珍しいよな。
0033名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/31(月) 13:49:36ID:xjLKT/Gk
つ 清原枝賢
参照:http://www.pauline.or.jp/monogatari/monogatari09.html
0034名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/31(月) 13:58:36ID:dLAkCeci
お雪の話は、地元では結構有名なのかな

出展は、土佐物語、江戸期宝永年間に吉田孝世によって書かれた
史料としての価値はどうなんだろ?
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 16:53:34ID:CYl+4rJu
吉田孝世は長宗我部の臣、吉田備後守重俊の後裔
重俊は結構活躍してる
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/15(火) 20:07:01ID:fBqPgZ9j
吉田東洋もおるでよ。
0037名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 16:26:00ID:NpIkDzPc
その長宗我部重臣の吉田さんと、土佐藩の山内さんが
藤氏秀郷流 首藤系の同族だったとは、何かの縁だね
0038名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 03:51:25ID:2m3gbni2
0039おじゃる2006/08/25(金) 11:56:41ID:Uqjg3Sb1
天翔記で全国制覇した。
0040名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/06(金) 18:10:26ID:+w8hjita
  ( ´∀` )<ほすほす!
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ 
  \/    /
0041安東領民2006/10/09(月) 06:10:38ID:99/tFBXV
こういったマイナー地方大名スレは細かすぎるところまで解るので大好き
だからほっしゅ
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 00:35:48ID:q8lQXdlT
この人の生き様って氏真より凄いと思う。
0043名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/28(土) 14:47:57ID:ke2Z418q
今川より小大名だけど、家柄は良かったから
何しろ関白の玄孫で、本人も権中納言
それなのにそれなりに戦ってるから
0044名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/28(土) 22:47:49ID:6cPHsPTX
晩年は気の毒な人だよね
片腕を失っていたとか
0045名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/30(月) 10:21:36ID:F5YQ8O5P
それは初耳
もし良かったらくわしく教えてください
0046442006/10/30(月) 16:53:39ID:5Ij72irs
くわしくは講談社文庫から出ている『フロイス日本史』に書いてあるが

長宗我部元親に破れた兼定は瀬戸内海の戸島という島に逃れる
もはや土佐から追放された兼定に舅の大友宗麟も興味を失ったのか
ふたたび豊後に逃れることはできなかったらしい。
(ちなみに後妻であった宗麟の次女は、その後大友氏の家臣と再婚している)
この戸島で隠棲しているときに「ある刺客」が兼定を暗殺しようとした。
この後遺症で兼定は腕を失ったという。

この「ある刺客」について「一条家が土佐に落ち延びたときに付いてきた京の公家の末裔」とする考察がある。
詳しくは「足摺岬金剛福寺蔵土佐一条氏位牌群」野澤隆一(『國學院雑誌』87−4)を読んでみて。
0047名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/30(月) 16:57:03ID:F5YQ8O5P
>>46
ありがとうございます
ちょっと最後のには手が届きそうにないですが
学術文庫の『フロイス日本史』は本屋にあったので そのうち読んどきます
0048名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 16:03:20ID:Eu+pWwvH
うん?
中公かもしれない
確認してきます
0049名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 07:53:54ID:fcpeec3f
一条家臣について、名前だけでもかまいません。情報教えてくだされ
0050名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 12:15:12ID:PUdCEST0
飛鳥井曽衣 あすかい・そい
土居宗珊 どい・そうさん
小島政章 おじま・まさあき
0051名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 15:21:13ID:T76aaWi1
佐竹義直なんかも譜代の家臣、長宗我部に降って臣従しちゅけど

津野定勝・・・兼定の娘を娶る、子の勝興は長宗我部に降り、自身は伊予に追放される
0052名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 23:17:59ID:s/U+3bx8
ここなんかどう?
ttp://f2.aaa.livedoor.jp/~kshine/1ichijo%20clan.htm
0053名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 10:03:03ID:rK7cnoWk
>>52
いいとこ紹介して頂き乙です
0054名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 21:10:27ID:+w2eewil
地元では一条大祭ですね。けど兼定公の名前はあまり知られてないのかな。
0055名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 21:35:49ID:JMWNCLyX
あげ
0056名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 00:14:55ID:JON+wPeE
戦国屈指の暗君といえば、氏真や兼定が浮かぶ。
(実際どうだったかは別として)

が、蹴鞠やらのエピソードがあって、
全体としてほのぼのとした印象のある氏真に対して、
兼定はなんと言うか・・・宗柵の手打ちとか姦淫生活とか
負のイメージが強すぎて、擁護する気になれない。
それが俺の中での二人の差。
0057名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 13:45:18ID:9YYUycUz
それらのエピソードは長宗我部のねつ造じゃないかという指摘がある件
0058名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 21:12:27ID:sWUnCXd2
「実際どうだったかは別として」と断り書きしてる書き込みにするツッコミではないような。
0059名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 21:23:50ID:lgw6duO2
>>56
牛裂きの刑をやった
三好実休さんのお子さんも忘れないで。
0060名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 00:18:26ID:Nxyp0mBk
家臣に源なんたらがいたんだっけか
さすが公家だけあってモノホンの源氏まで手下にしてたんだよなw
0061名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/11(木) 16:59:18ID:uY8aq0X7
房基は武勇に優れていたと聞くが本当かな?
0062名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/09(金) 19:00:34ID:m1P7r30E
デウスに帰依していたと聞くが。
0063人間七七四年2007/03/02(金) 14:26:20ID:O9un9dfl
豊後に落ちてからだけどね
土佐時代はまだ洗礼を受けていない
0064人間七七四年2007/03/30(金) 11:26:45ID:nKCR8KAa
>>61
従三位なのに津野基高を屈服させたり、それなりに優れていたと思う
死因がよくわからない(自殺とも)のようですが
0065人間七七四年2007/03/31(土) 00:00:49ID:8jktFuR2
>>60
公家の方の源氏(清和源氏じゃなくて村上源氏とか)は
藤原北家(のちの五摂家)の腰巾着だったからな
源氏の末裔が五摂家の一つである一条の手下なのは当然かも

>>61
房家、房基はなかなかのやり手
房冬はすぐ死んだけど凡人かそれ以上
兼定はよくて凡人以上天才以下、風評は最低
0066人間七七四年2007/04/05(木) 16:55:25ID:rwMEe8yE
放蕩を諫めたら、刺客をよこしてくる兼定オソロシス。
それで殺された土居宗珊カワイソス。
0067人間七七四年2007/04/07(土) 19:06:14ID:gGHnxhIx
兼定は、中国に行っても立派に暗君がつとまりそうなスケールの大きさを感じさせる
0068人間七七四年2007/04/07(土) 22:10:28ID:SAE8Gorb
長宗我部は豊臣政権内で毛利や島津に比べるとかなり格下扱いだが
その一因に一条家の下の陪臣という捉え方もあったらしいね。
秀吉は天下盗りの過程で自身の権威と正統性を関白の位に求めたので
皇族・公家を目に見えて解る形でぞんざいにはできなかったとか。
0069人間七七四年2007/04/08(日) 19:20:34ID:4kvdsqMJ
いっそ内政が長宗我部内部を切り崩す位の器量があれば面白かったろうになぁ。
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