【暗君】一条兼定【暗君】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 17:34:36ID:twhAGXxP0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 17:43:46ID:ExnKe3HT,..-‐'''" ̄ ̄ `'丶、
,/ \ 無駄口を叩くな!!今から私のことをハク様と呼べ!!
/ ネ申 ヽ,
./ l .>>3 おにぎりをのどに詰まらせて氏ね
/ | ||_|l__li_li__l|__| | >>4 人間のくせに何を言ってんだ
l 「‐二‐-.._ __.-─ | | >>5 氏んでも働け
.| | 、_(゚,;) l', '(゚,;)フ.| | .>>6 今からお前を豚にしてやる
| | | /|. | .>>7 ここはお前のような人間の来るところではない!!
.| |、_ `' ト'| | >>8 千と昌夫の金隠し
.| |:::ヽ _ /::::| | >>9 お前が氏ぬようにおまじないを掛けたんだよ
|_ |:::::::::\ ´ - /::::::::| | >>10 人臭くてありゃしない
` - 、|::::::::;;;;:| `丶- '"|;;;;;;;;:::::|__, l >>11 神隠しに遭って氏ね
_l. i '''‐-ゝ、___,∠>'`i─ 、 _ >>12 お前はクビ
0003公孫参
2006/06/21(水) 17:57:36ID:xbfVWnPh0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 18:54:51ID:a8XvnETC0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 21:23:00ID:jyNQk+lZ0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 21:23:11ID:CiXGrp5b更に後援されて土佐に帰還作戦敢行。
なんとも香ばしい。
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 21:26:35ID:c4rwt2490009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 23:52:26ID:ziUGmdIQ0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 23:56:55ID:KFLUS/YW0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 23:57:57ID:c4rwt2490012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 14:24:50ID:qTHjeON70013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 15:04:15ID:qTHjeON7というか一条家は京でちゃんと関白やってますよ、教房の土佐下向後も
しかし教房はすごい人だね
経済的な理由とはいえ、関白だった人が下向して領国経営始めちゃうんだから
それに国人たちとも上手に接し、彼の死去時には十余人の国人が出家したそうだ
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 21:51:11ID:RRkh3DAO何か政治的な理由は無いのだろうか。
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/26(月) 16:22:46ID:N5ClZGxM兼定は少しの失敗を理由に家臣を追放したり、切腹させたりしていました
これについて宗珊が意見したのが、手打ちの原因
どうみても感情的なものですね
京の一条家の内基はこの兼定の行状を見兼ね、土佐に下向
兼定を出家させ、内政に家督を譲らせた
兼定は豊後に隠退した
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/30(金) 21:39:03ID:M4dBxHLDその後、政治に飽きてしまったようで怠慢で堕落な行動をするようになると言われている。
例えば、長宗我部の侵略が徐々に進んできたときも彼は遊蕩にふけっていたとされる。
さらに、忠臣・土居宗珊の諌言にも耳を貸さず、さらには宗珊を殺してしまった。
こうなると人望もなにもなくなり、家臣よりも忌み嫌われて、重臣合議の上兼定は追放されてしまう。
追放された兼定は、妻の実家九州の大友家に身を寄せる。
この時、身を寄せていた大友義鑑が熱心なキリシタンだっため、
兼定は妻(大友義鑑の娘)共々滞在中に洗礼をうけ、「パウロ」という名前をもらっている。
その後、中村奪回を目指し伊予に侵入するも敗北。
その後隠遁し伊予に留まったが、長宗我部方の家臣により就寝中襲撃されて重傷を負い、程なく死去した。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 21:01:39ID:oCIYcKoe兼定は>>16の言う通りかな
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 15:35:24ID:tf39Nwiy0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 15:59:40ID:KojK1AQ9長宗我部の勢いの前じゃ仕方ないよ、ということと
(房家が国親助けなきゃ良かったんだとも言えるし)
親父殿が早死にするから、より苦境になるんだ、とも言っておく
詮無いことばかりだけど
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 17:18:40ID:JJBkLOBN長宗我部家の記述を自己擁護だとしても、やっぱり元親の方が一枚
上手だったという事だと思う。
その上で更に上手の信長、秀吉に長宗我部家の重石としていいように
扱われたり、一条本家に公家大名化を問題視されたりしたのがまた
みすぼらしさを助長してしまったような……
いっそ兼定できれいに終わっておけば良かった気がしないでもない。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 18:00:47ID:IHxeLysb0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 18:02:35ID:Yqe7n0zL0023公孫参
2006/07/06(木) 18:07:43ID:ttiDV8fEttp://www.city.shimanto.lg.jp/top-img/2006/0524/index.html
土佐の祭り歳時記
■一条祭 中村市一条神社 11月23日〜25日
ttp://www.kbiz.or.jp/kumiai/sake/event/matsuri.html
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 17:10:24ID:4/7hER/w山内藩政の方が長い
力の大小、立場の違いはあっても、承久の乱から入ったとすると、長宗我部の方が長いし
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 20:40:07ID:OXootAgFやる気のある頃の兼定とぶつかってくれれば勝って公家といえども
軟じゃない所を見せるなり、華々しく散るなりできただろうに。
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 19:13:48ID:XrDqkzEf0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 20:54:03ID:YpuCQ9V7三好家に滅ぼされるぞ。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/17(月) 21:48:51ID:1+cck6eK追放派の重臣を次々ヌッコロした奴だろ
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 16:37:32ID:Fio7aWUO0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/30(日) 00:43:55ID:spDMsuVy0031信長の野望の列伝
2006/07/30(日) 23:50:54ID:Uu+TzzUe0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 00:09:31ID:R8ykjuQR宇都宮氏の娘を離縁して大友宗麟の娘を娶った行動が一般の人間には不可解な
行動としてうつり、色好みが激しいという風聞が立ったりした結果じゃないかな?
そういえばキリシタン大名はいろいろいるがキリシタン公家(一応)は珍しいよな。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 13:49:36ID:xjLKT/Gk参照:http://www.pauline.or.jp/monogatari/monogatari09.html
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 13:58:36ID:dLAkCeci出展は、土佐物語、江戸期宝永年間に吉田孝世によって書かれた
史料としての価値はどうなんだろ?
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 16:53:34ID:CYl+4rJu重俊は結構活躍してる
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 20:07:01ID:fBqPgZ9j0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 16:26:00ID:NpIkDzPc藤氏秀郷流 首藤系の同族だったとは、何かの縁だね
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 03:51:25ID:2m3gbni20039おじゃる
2006/08/25(金) 11:56:41ID:Uqjg3Sb10040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 18:10:26ID:+w8hjita_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
0041安東領民
2006/10/09(月) 06:10:38ID:99/tFBXVだからほっしゅ
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 00:35:48ID:q8lQXdlT0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 14:47:57ID:ke2Z418q何しろ関白の玄孫で、本人も権中納言
それなのにそれなりに戦ってるから
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 22:47:49ID:6cPHsPTX片腕を失っていたとか
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 10:21:36ID:F5YQ8O5Pもし良かったらくわしく教えてください
004644
2006/10/30(月) 16:53:39ID:5Ij72irs長宗我部元親に破れた兼定は瀬戸内海の戸島という島に逃れる
もはや土佐から追放された兼定に舅の大友宗麟も興味を失ったのか
ふたたび豊後に逃れることはできなかったらしい。
(ちなみに後妻であった宗麟の次女は、その後大友氏の家臣と再婚している)
この戸島で隠棲しているときに「ある刺客」が兼定を暗殺しようとした。
この後遺症で兼定は腕を失ったという。
この「ある刺客」について「一条家が土佐に落ち延びたときに付いてきた京の公家の末裔」とする考察がある。
詳しくは「足摺岬金剛福寺蔵土佐一条氏位牌群」野澤隆一(『國學院雑誌』87−4)を読んでみて。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 16:57:03ID:F5YQ8O5Pありがとうございます
ちょっと最後のには手が届きそうにないですが
学術文庫の『フロイス日本史』は本屋にあったので そのうち読んどきます
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 16:03:20ID:Eu+pWwvH中公かもしれない
確認してきます
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 07:53:54ID:fcpeec3f0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 12:15:12ID:PUdCEST0土居宗珊 どい・そうさん
小島政章 おじま・まさあき
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 15:21:13ID:T76aaWi1津野定勝・・・兼定の娘を娶る、子の勝興は長宗我部に降り、自身は伊予に追放される
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 23:17:59ID:s/U+3bx8ttp://f2.aaa.livedoor.jp/~kshine/1ichijo%20clan.htm
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:03:03ID:rK7cnoWkいいとこ紹介して頂き乙です
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 21:10:27ID:+w2eewil0055名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 21:35:49ID:JMWNCLyX0056名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 00:14:55ID:JON+wPeE(実際どうだったかは別として)
が、蹴鞠やらのエピソードがあって、
全体としてほのぼのとした印象のある氏真に対して、
兼定はなんと言うか・・・宗柵の手打ちとか姦淫生活とか
負のイメージが強すぎて、擁護する気になれない。
それが俺の中での二人の差。
0057名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 13:45:18ID:9YYUycUz0058名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 21:12:27ID:sWUnCXd20059名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 21:23:50ID:lgw6duO2牛裂きの刑をやった
三好実休さんのお子さんも忘れないで。
0060名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/31(日) 00:18:26ID:Nxyp0mBkさすが公家だけあってモノホンの源氏まで手下にしてたんだよなw
0061名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 16:59:18ID:uY8aq0X70062名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 19:00:34ID:m1P7r30E0063人間七七四年
2007/03/02(金) 14:26:20ID:O9un9dfl土佐時代はまだ洗礼を受けていない
0064人間七七四年
2007/03/30(金) 11:26:45ID:nKCR8KAa従三位なのに津野基高を屈服させたり、それなりに優れていたと思う
死因がよくわからない(自殺とも)のようですが
0065人間七七四年
2007/03/31(土) 00:00:49ID:8jktFuR2公家の方の源氏(清和源氏じゃなくて村上源氏とか)は
藤原北家(のちの五摂家)の腰巾着だったからな
源氏の末裔が五摂家の一つである一条の手下なのは当然かも
>>61
房家、房基はなかなかのやり手
房冬はすぐ死んだけど凡人かそれ以上
兼定はよくて凡人以上天才以下、風評は最低
0066人間七七四年
2007/04/05(木) 16:55:25ID:rwMEe8yEそれで殺された土居宗珊カワイソス。
0067人間七七四年
2007/04/07(土) 19:06:14ID:gGHnxhIx0068人間七七四年
2007/04/07(土) 22:10:28ID:SAE8Gorbその一因に一条家の下の陪臣という捉え方もあったらしいね。
秀吉は天下盗りの過程で自身の権威と正統性を関白の位に求めたので
皇族・公家を目に見えて解る形でぞんざいにはできなかったとか。
0069人間七七四年
2007/04/08(日) 19:20:34ID:4kvdsqMJ0071人間七七四年
2007/04/29(日) 18:56:40ID:Jq/UBPoE主従としてとらえる向きの学説のほうが最近では強くなっている。
両者の軍勢が対峙した四万十川の戦いが
以前の土佐領有を巡って衝突した2勢力という見方の根拠になっていた。
しかし、実際は土佐一条家は土佐7雄の上に君臨した権威で
別格の存在であったという視点がいくつもの史料から明らかになってきている。
0072人間七七四年
2007/04/29(日) 19:03:01ID:DBdXVMEX改易時のごたごたの時、一条政親が無視されてたのは何でだろう?
この時どちらかの陣営が自分達の行動の根拠として担ぎ出しても
おかしくなかったと思うんだが。
この時点ではもう神輿としても意味を失ってたってことかな?
0073人間七七四年
2007/04/29(日) 19:15:18ID:Jq/UBPoE戦国時代の室町将軍の極位極官が従四位から従三位。
最期の12代、13代、14代、15代が
将軍宣下を受けたときの自身の官位はだいたい従五位。
朝廷もしばらくしてから(つまり統治の実績を見定めてから)
従四位に引き上げているが、当時その程度の官位を持っている
国人や大名はざらにいた。
0074人間七七四年
2007/04/29(日) 19:19:37ID:Jq/UBPoE大宰大弐を拝命した従二位大内義隆。
このほかにも従四位の地方戦国大名はたくさんいる。
当時の西国でこれらの戦国大名が積極的に外交関係を結び
子女との通婚を求めた相手はもはや室町将軍ではなかった。
これらの西国有力大名らが仰ぎ見た対象は土佐一条氏。
0075人間七七四年
2007/04/29(日) 19:27:11ID:Jq/UBPoE太閤と地元国人加久見氏の娘との間に生まれた二代房家。
一条氏三代は津野氏を武力で敗死させ戦国大名としての実力も見せた。
第三者からみた客観的視野にたって当時の最高の武家貴族の教養、文化度、
政治力、財力を判断しうる材料が天正遣欧使節。
4人のうちの1人は伊東氏から選ばれているが、
彼は大友宗麟の甥、土佐一条氏の縁戚という血筋。
0076人間七七四年
2007/04/29(日) 19:34:26ID:Jq/UBPoEイエズス会は「語学力と容姿端麗度、社交界で恥じない身のこなし」を
天正遣欧使節の選出帰順に挙げている。こうした歴史的史料から見ても
当時の西国の武家社会サロンの頂点に位置したのが
伊東、大友、大内、土佐一条らの諸氏だった。
2台房家の子供は京一条本家を継いで関白に昇っているし、
京本家の下に位置したというより、京本家と土佐一条家は密接な結びつきを
保持したというほうが正確。
0077人間七七四年
2007/04/29(日) 19:41:48ID:Jq/UBPoE出ているし、豊臣秀吉も一条家の家臣として長曾我部を遇している。
織田信長も右大臣を拝命し、豊臣秀吉も公卿官位に固執した。
豊臣家は明らかに公卿権威にこだわった改姓であるし、
秀吉が意図したところは、公卿権威を制すること。
御所に近隣近国の国人衆を参勤させ、
戦時には甲冑を身につけ、土佐や伊予の諸地域に出陣した
一方で領国経営を成功させと遣明貿易で巨額の財を築く。
こうした土佐の関白家の武名・声望は西国中に伝わった。
これこそが秀吉が求めて止まなかった権威であったといえる。
0078人間七七四年
2007/04/29(日) 19:44:03ID:fl2acLlB0079人間七七四年
2007/04/29(日) 22:13:23ID:y2iXLBSnもし国主として改易されても公家身分までは剥奪できないし、京都に帰って
公家として暮らせたと思えるし、土佐に残って阿波公方みたいに過ごせた
かも
0080人間七七四年
2007/04/30(月) 00:57:02ID:E5EdcwtT江戸時代の阿波公方がどれほど冷遇されていたか知らないと見える。
それはさておき。
その当時、京の一条家が代替わりし、先代に男子がいなかったので
後陽成天皇の皇子が次の京一条家当主となり、土佐一条家とは血縁関係が切れてしまった。
このことと関係があるかも知れない。
もっとも政親に関しては史料自体が少ないので
その辺に関しても全く先行研究はない。
0081人間七七四年
2007/05/12(土) 14:42:24ID:RYfloEu0内基の養子になるのは慶長十四年(1609)だから、若干時代がずれる気はしなくもないが
0082人間七七四年
2007/05/17(木) 16:26:51ID:TWQi+DwI0083人間七七四年
2007/06/26(火) 21:49:00ID:yFMrQBud0084人間七七四年
2007/08/07(火) 15:27:07ID:qt7jlLDd0086人間七七四年
2007/08/15(水) 19:00:28ID:7zQgMoqL0088人間七七四年
2007/09/03(月) 19:18:46ID:3LDr1qfe北畠が伊勢の国司になったのは有名だが。
土佐の守護は細川って理解で良いのかな?
0089人間七七四年
2007/09/03(月) 21:57:41ID:5rN6kzrg戦国三国司で正式に国司に任じられたのは北畠だけ
但し国司に任じたのは南朝なので、北朝を奉じた室町幕府体制下では僭称同様だったと思うのだが…
土佐の中村に昔から荘園を持っていたのは事実だが>一条
0090人間七七四年
2007/09/04(火) 11:21:20ID:PZutZU/V0092人間七七四年
2007/09/28(金) 15:27:31ID:u6OD5dkn0093人間七七四年
2007/10/11(木) 20:30:32ID:x8VrZVcU前関白が次は土佐国司ってのもある意味凄いけど
0094人間七七四年
2007/10/11(木) 20:34:46ID:x8VrZVcU0095人間七七四年
2007/10/11(木) 20:42:01ID:x8VrZVcU関東へ本格的に勢力を移植し始めた頃)から
次第に武家の間で官位官職が次第に復権し始める。
土佐守護家の没落と同時に畿内・西国では公家官位のほうが
ハイエンドなブランドとして流通し始める。
信長は部下に羽柴筑前守や維任日向守など
九州の名門旧家の姓や官職を名乗らせた。
徳川時代になって各国の国主は
鎌倉室町武家職制の守護・地頭職ではなく、
平安時代以来の受領国司名や朝廷官職を専ら用いた。
0096人間七七四年
2007/10/11(木) 21:50:14ID:HQj+EhU+「惟」任、だな。
0097人間七七四年
2007/10/12(金) 15:40:28ID:Rsuupf67室町幕府の守護で江戸時代の領地も、その国全域だったのって、島津ぐらいってのもあるんじゃないか?
今の領地と違う地域の守護なんて名乗ろうものなら、無駄な軋轢生むことになっただろうし。
0098人間七七四年
2007/11/01(木) 14:40:54ID:j1E7J5mS0099人間七七四年
2007/11/17(土) 20:27:37ID:9Xp1zl7q0100人間七七四年
2007/11/17(土) 23:40:03ID:4BAqbdAH戦国時代には守られてないけど
0101人間七七四年
2007/11/19(月) 16:31:42ID:5fvLmJme実経ー(実家)ー家経ー(内家)ー内実ー内経ー経通ー房経ー経嗣ー兼良ー教房ー房家ー房冬ー房基ー兼定ー内政
もしくは教房以降は房とも言えるね
0102人間七七四年
2007/11/19(月) 21:34:57ID:aTegSNxi「内政」とか先祖帰りしたかのように、内の字が復活してるね。
0103人間七七四年
2007/11/19(月) 21:59:40ID:KW73yu99介入して(恐らく長宗我部に内政預けて)偏諱を与えてる。
0104人間七七四年
2007/11/20(火) 13:46:23ID:hUo8CT5lちなみに同時代の京一条家
教房ー冬良ー房通ー兼冬ー内基
0105人間七七四年
2007/11/21(水) 00:48:40ID:+GSWcD1L補足すると、
冬良は教房の弟、房通は房家の子で房冬の弟、兼冬は房通の子、内基は房通の子で兼冬の弟なので、
兼冬・内基兄弟と兼定は父方を通じての従兄弟同士。
今の我々が思う以上に当時としては近しい親戚関係だったのかもしれない。
0106人間七七四年
2007/11/25(日) 13:47:09ID:JasMg5nEノブヤボ版の曹豹キャラとして愛されてるんだw
宿毛市史に「兼定の最期」として結構くわしく書かれてるよ
ttp://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/014001.html
0107人間七七四年
2007/12/01(土) 09:59:35ID:E2fWckai西国の大大名大内義隆の妹を妻にしていた。
二人の間に生まれた子が大内性に復し晴持を名乗った。
大内晴持は大内家の嫡子として義隆に大切に扱われた。
張持の実家土佐一条家の申し入れもあったのかと思われるが
大内家中に藤原氏の氏寺東大寺の所領を横領した一族がいる。
それがほかならぬ大内氏親族で譜代筆頭の陶氏。
大内義隆は陶に命じて東大寺旧領を返還させた。
この頃の大内氏は貿易港博多を支配し、西国10カ国近くを領していた。
これにいずれ大内氏を継ぐ大内晴持の実家土佐一条氏の土佐を加えると
大内氏は丹波路、瀬戸内海、阿波・和泉・摂津路の3方面のどちらからでも
入京を果たせる勢いだった。土佐一条氏の阿波侵攻の動きも
そうしたことが背景にあったのかもしれない。
0108人間七七四年
2007/12/02(日) 04:44:50ID:8OuH9uYY晴持の父は、房家の息子で房基の父である房冬。
房冬の正妻は伏見宮玉姫であり、側室が大内義興の娘。
晴持は房基の異母弟。
晴持が死ぬことになる出雲遠征のときは、義母である玉姫も戦勝祈願のため厳島神社を訪ねていたが、
大内方の敗報を聞くと山口へ向かっており、かの地で晴持の死を聞いたものと思われる。
陶氏の東大寺押領は大内氏の政策。
大内氏と東大寺の間では数度の折衝が行われ、陶氏も寺領年貢を送ったり送らなかったりしている。
応仁の乱の上洛の際に、上方の寺社勢力を敵に回したくないときは年貢を送り、
応仁の乱が済んで撤兵すると再び年貢を送らなくなった。
細川氏に内乱が起こり上洛戦の可能性が高まると、再び東大寺と折衝を始めている。
そして上洛戦も終わり尼子氏の対立が激化するといつものように年貢不送。
隆房と義隆(及び相良武任)の対立は晴持の死後に台頭するため、一条氏との関係は不明。
応仁の乱では、一条氏は親細川派であったため、大内氏との関係は良好ではなかった。
一条氏出身の僧尋尊(房家の叔父であり、師匠でもある)は大内氏を憎悪して罵倒している。
土佐一条氏の拠点であった中村には貿易による舶来品(中国製陶器等)が多数出土している。
これらは大内氏と友好関係であった時代に持ち込まれたものと推測されている。
0109人間七七四年
2007/12/03(月) 10:00:54ID:WZ4OYzU6華々しく負けたらしいが…
波乱に満ちた人生で興味深い人物ではあるな。
0110人間七七四年
2007/12/08(土) 08:30:35ID:L45NnBgPそれ以前にも主従の対立関係があったかあるいは
陶隆房氏への何らかの処罰さえ下されていたとも考えられ得る。
理由は応仁の乱以降顕著となる傭兵を用いた戦が増えたことと
日本全体的に人材フローの流動性がさらに増したことだろう。
戦国大名は金銀鉱山の開発や港や主要河川の掌握に懸命になった。
それらの軍資金が有能な人材の確保に役立った。
応仁の乱後はご一門やご親族集がお殿様の藩屏として
評定の場でも戦陣でも主君を取り囲んで数の力で押し切るという時代では無くなっていた。
まったく主家とは縁もゆかりもない他家の出身者や場合によっては
どこの馬の骨と家中で揶揄中傷を浴びる者でさえ軍師の地位や評定衆の列に加わることを許された。
0111人間七七四年
2007/12/08(土) 09:02:13ID:L45NnBgP大内家時代当主として本気で据える意思があったのだろう。
明治の世になってから井上馨や桂太郎といった毛利家親族が
首相の座についたがそれは山口県出身者である総理大臣のリストの
ほんの一部に過ぎない。中世毛利家も飛躍のためには他家出身者をどんどん登用した。
摂関家の血筋を次期当主の座に据えた例としては美濃斉藤家などが知られている。
また日野家出身で八幡太郎義家の血を引く開祖親鸞以来
本願寺座主は代々日野家猶子であったが
戦国期にはとうとう摂関家とも直接結びつくようになった。
それほど一向宗の政治的権力は時代を経るごとに拡大していた。
0112人間七七四年
2007/12/08(土) 09:21:13ID:L45NnBgPそれらの市場で有能性を評価されたトルコ傭兵や東欧出身者や
欧州の皇帝家・国王家で常用されたドイツ傭兵等が代表的なものだった。
彼らの中には有能性を認められついには一方面の師団長的役割を任されたり
あるいは地方領主・君主の座にまで登りつめた者もいる。
本願寺最盛期を現出した顕如の場合、妻の三条氏を通じて
管領細川晴元、六角氏、武田信玄とも姻戚関係だった。
いざとなれば一向一揆の力を借りることも戦国大名は辞さなかったし、
三河一向一揆で名立たる徳川の重臣が一向一揆側に与したことを見ても
百、千単位で軍編成を組める傭兵のほうが逆に
土地と縛り付けられた国人衆、同朋衆、親族より使いやすかった。
大内義隆はそのような体制に家中の変質を進めていたのではないだろうか?
0113人間七七四年
2007/12/08(土) 11:03:36ID:Q1NrDzzGこの人の場合は典型的な暗君だな
0114人間七七四年
2007/12/08(土) 21:45:40ID:ehMr4Yo+0115人間七七四年
2007/12/11(火) 14:51:45ID:D3Rn+jf40116人間七七四年
2007/12/11(火) 18:26:06ID:iTiWZveZ0117人間七七四年
2007/12/11(火) 18:30:47ID:inmXsOMyttp://www.nicovideo.jp/watch/sm1103049
でがまんしとけ
0118人間七七四年
2007/12/14(金) 08:06:31ID:dZDUB2DK0119人間七七四年
2007/12/21(金) 10:28:08ID:N+M4g0RJ0121人間七七四年
2008/01/03(木) 21:25:37ID:OVVwvSgp0122人間七七四年
2008/01/06(日) 17:33:05ID:JRGadKpd某ゲームの影響力はすごいわ。
0123人間七七四年
2008/01/06(日) 18:49:56ID:W4fydSBV0124人間七七四年
2008/01/13(日) 13:28:49ID:5SFQMCpJ吉良みたいなもんか
0125人間七七四年
2008/01/15(火) 13:38:43ID:RtnNsY7x0126人間七七四年
2008/01/15(火) 21:33:04ID:hhC0yKaC0127人間七七四年
2008/01/15(火) 21:46:46ID:aKpHeCwY元親にしてやられて、その元親も信長秀吉には小物扱いと
順繰りにスケールダウンしちゃったというか。
0128人間七七四年
2008/01/16(水) 00:38:07ID:ZyzqP+OE兼定はけっこう足掻いたと思うんだがな
0129人間七七四年
2008/01/16(水) 09:40:35ID:vUF005ZP0130人間七七四年
2008/01/16(水) 12:54:29ID:x8IVTQZ3でも実態より低評価なのは禿同意>土佐一条家
良質な史料がないのが拍車をかけているような気がする。
0131人間七七四年
2008/01/16(水) 13:54:23ID:otyaH3g6結局、公家なんです珍しいでしょ?が最初に来ちゃう辺り。
0132人間七七四年
2008/01/19(土) 14:20:19ID:/DZvaMxs0133人間七七四年
2008/01/19(土) 15:57:56ID:Vfa8xoXWしかし山内は持ち上げなかったんだね
0134人間七七四年
2008/01/19(土) 18:54:47ID:Wivv2mTa家格が違いすぎるから、自分の統治が面倒になるだけだったんじゃ?
後、武家としては、一応守護の細川絡みでいろいろ難しいだろうし。
0135人間七七四年
2008/01/30(水) 10:15:50ID:iFhJgvwo0136人間七七四年
2008/02/10(日) 00:06:50ID:fvj/idrF0137人間七七四年
2008/02/10(日) 01:54:34ID:hq5R5giz0138人間七七四年
2008/02/10(日) 13:05:04ID:xCASxVlc素人でも読める程度でお願いします。
0139人間七七四年
2008/02/10(日) 13:21:11ID:5eiK8xjA『中村市史』 これも完売。図書館で借りましょう
後はいくつか論文があるが、イパーソ向けを書けと言うことなので割愛。
0140人間七七四年
2008/02/10(日) 13:55:44ID:xCASxVlc探してみます。
0141人間七七四年
2008/02/10(日) 15:05:17ID:hq5R5giz論文も気になるな。
そっちも紹介してもらえるとうれしい
>>140
『長我宗部元親のすべて』(新人物往来社)にも一条氏について独立して一章立てられている
分量は少ないけど・・・
0142人間七七四年
2008/02/10(日) 18:46:18ID:5eiK8xjA土佐一条氏に関する論文自体が非常に数が少ないと思うが
見たことがあるのは
・『土佐一条家年表』小松泰(朝倉慶景編)
・「天正初期の土佐一条家」上・中 朝倉慶景(『土佐史談』166,167号)
・「足摺岬金剛福寺蔵土佐一条氏位牌群」野澤隆一(『國學院雑誌』)
これだけ。
上二つは入手も難しいと思う。国立国会図書館からコピーするしかないかな。
>>141が高知なら地元図書館で持ってる可能性もあるが。
0144人間七七四年
2008/02/11(月) 12:38:10ID:du4b+/uF高知の県立図書館でもやってくれるかも知れないから取りあえず問い合わせて見なされ。
0145人間七七四年
2008/02/25(月) 10:57:53ID:BEfkS91K0146人間七七四年
2008/02/28(木) 21:51:37ID:YS8IA8yi0147人間七七四年
2008/02/29(金) 00:32:54ID:2hPFrhv/0148人間七七四年
2008/02/29(金) 04:19:44ID:bRgnAd7T俺は関東足利氏を将軍にしたことはあるが、
一条公で四国を併呑したことがない。
結局、足利晴氏の場合、
命令回数が1ターンの中で2回じゃん。
それに比べて、一条公運の場合、1回のみ。。。
守備よく西園寺や長曽我部を滅ぼしても、
大友や毛利など、九州、本州の沿岸部の大名が
巨大化し過ぎて、とてもではないが、戦えない。
一条公だけは将軍にするの、まず無理。
断言できるよ。
0149人間七七四年
2008/03/15(土) 11:25:28ID:9DPfkI3M0150人間七七四年
2008/03/15(土) 19:33:45ID:mSCpQ60i0151人間七七四年
2008/03/15(土) 19:38:04ID:7+pAUKME勝者側にいいよう改変されているんだ、悪い奴らだ!て言いたいだけちゃうんかと。
0152人間七七四年
2008/03/16(日) 00:28:53ID:+DktYbYk中村での権力確立がもっとはっきりすればなと思うが
逆説的に、なぜ権力が崩壊したかも分かるはず
0153人間七七四年
2008/03/27(木) 23:32:52ID:QvfsWK25いいところがあったとは記録に残せないでしょ。
もっとも、長宗我部が滅ぼせた理由はあるはずだけどな。
いくら元親が命じたところで、一条に非がなければ、武将が動いたとは思えない。
有力なところだと、一条本家から独立しようとしていたために、
一条本家からの要請で討伐しただけだから、大義名分がしっかりしていたとも言うようだが。
0154人間七七四年
2008/04/14(月) 16:32:33ID:OkGsaxo/0155人間七七四年
2008/04/14(月) 17:05:18ID:tSZpvqwAいろいろ要素はあれどまぁ兼定<元親<秀吉だったという。
0156人間七七四年
2008/04/30(水) 16:01:25ID:tocvD0PN0157人間七七四年
2008/05/08(木) 11:28:40ID:guNAUvIy0158人間七七四年
2008/05/08(木) 12:28:40ID:DLQ1ZVMY・・・ある意味悲劇の武将かも。
0159人間七七四年
2008/05/18(日) 18:28:32ID:1V2jQOFv鎌倉将軍として関東の諸将の上に君臨していたわけだから、
もともと一条家には武人の血が流れていたともいえる。
0160人間七七四年
2008/05/18(日) 19:30:28ID:CZr8LvsM初代一条家当主の弟。
血縁関係なし。
0162人間七七四年
2008/05/19(月) 01:56:23ID:tAZ6heZO九条頼経が将軍になったのも、ここらへんの血縁があって、頼朝の遠縁というのも
理由の一つだったような
0164人間七七四年
2008/05/19(月) 22:56:00ID:CVxvn5pOその辺の定義は結構曖昧。
この前、偉人の子孫紹介する番組があったが、結構兄弟の子孫が続出してた。
その中には、フランシスコ・ザビエルの兄の子孫なんてのもいたな。
でも、ザビエルを先祖扱いしていた。
0165人間七七四年
2008/05/21(水) 21:29:38ID:GhkH67Klゆえに守護といえども介入できない一種の不輸不入の権を有していた。
このように荘園としての特別の格式の高さと
交易の要衝という大きな利点を備えていたため、
幡多荘の存在は一条家からは特別に重要視されていた。
0166人間七七四年
2008/06/09(月) 15:51:16ID:6XgdX/Qx0167人間七七四年
2008/06/25(水) 13:43:18ID:WHv+6n9C0168人間七七四年
2008/07/10(木) 14:58:18ID:e7DqdKXG0169人間七七四年
2008/07/12(土) 02:37:25ID:a3CvZFpl海に出された時点でもうのたれじねってことで
本当に流されるがままに漂流してたんでしょうか?
0170人間七七四年
2008/07/12(土) 17:58:40ID:1LXiI71w二人目の正室が大伴宗麟の次女だったので
最初から豊後が逃亡先だった。
0171人間七七四年
2008/07/12(土) 17:59:30ID:1LXiI71w大伴じゃなくて大友 orz
0172人間七七四年
2008/07/13(日) 09:14:28ID:PZ1guLgP中村占領時に、荘園の強奪を行ったと言う記述も特にないから、
内政経由で、一条家に収益は渡るようになったんじゃないか?
もちろん、結構な部分を長宗我部が持って行きはしただろうが。
兼定のままならまったく来なくなったかもしれない収入が、少しでも入ってくるなら御の字だろう。
0173人間七七四年
2008/07/16(水) 23:30:25ID:YD1RF5mB土佐で長宗我部が台頭
0174人間七七四年
2008/07/22(火) 23:38:28ID:J9RGDF5R今でも地元で愛されているほどの名君だったんですね。
0175人間七七四年
2008/07/23(水) 02:09:10ID:WXjkF/T00176人間七七四年
2008/08/08(金) 15:03:52ID:orGxZg1g0177人間七七四年
2008/08/16(土) 06:30:39ID:dz7DV8/zttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3912774
この一条たんと天下取れば良いと思うよ
0178人間七七四年
2008/08/18(月) 21:08:43ID:qIi6HfnIhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4258195
0180人間七七四年
2008/09/19(金) 14:15:33ID:iILJtECe0181人間七七四年
2008/10/03(金) 14:38:04ID:p8VSDVvp0182人間七七四年
2008/10/18(土) 14:24:52ID:s5z/JAhu0183人間七七四年
2008/11/04(火) 14:27:05ID:7fvnuZ/O0184人間七七四年
2008/11/14(金) 22:41:53ID:MiKNyB4F0185人間七七四年
2008/11/15(土) 00:06:27ID:/YtuQZoP0186人間七七四年
2008/11/23(日) 20:22:50ID:wa5UQRHi0187人間七七四年
2008/11/24(月) 17:46:38ID:C7TT9RR9そういうことではないと思うんだ
0188人間七七四年
2008/12/08(月) 15:26:34ID:q2ZBxYph0189人間七七四年
2008/12/24(水) 15:19:31ID:QY1CP5jn0190人間七七四年
2009/01/08(木) 15:03:25ID:3Tu2Yu6E0191人間七七四年
2009/01/24(土) 15:05:25ID:wqS1tIyr0192人間七七四年
2009/02/09(月) 16:02:45ID:Hw1U43zG0193人間七七四年
2009/02/21(土) 15:44:47ID:QOhRosMt0194人間七七四年
2009/02/23(月) 20:52:33ID:PXi83cBg血筋には申し分無く、兼定も関白になれる可能性を持っていた。
0195人間七七四年
2009/03/10(火) 15:40:42ID:ZXdRiKbF0196人間七七四年
2009/03/30(月) 15:34:40ID:sAVHDfA10197人間七七四年
2009/04/14(火) 14:45:41ID:x7TvULMJ0198人間七七四年
2009/04/28(火) 13:38:15ID:ANy+kRkQ0199人間七七四年
2009/05/14(木) 15:57:10ID:2xtTCKom0200人間七七四年
2009/05/30(土) 11:38:36ID:hTyjFiRW0201人間七七四年
2009/06/13(土) 14:31:37ID:4e5W0Coi0202人間七七四年
2009/06/25(木) 15:44:46ID:tZyHKSFC0203人間七七四年
2009/07/02(木) 03:08:55ID:yYwvaUDV中央では長宗我部=一条氏の家臣扱いだったらしいね
0204人間七七四年
2009/07/02(木) 03:26:10ID:38aE4AcM長宗我部が戸次川の戦いの敗戦の責任を問われなかったのも、
大阪の陣のとき大阪に入城した盛親の扱いが低かったのも、
豊臣家においては長宗我部は一条の家臣であり、豊臣家にとって陪臣である、
と言う認識があったせいだというね。
0205人間七七四年
2009/07/02(木) 08:45:38ID:Su47Vj3Mポルトガル人の記録にあるらしい
0206人間七七四年
2009/07/04(土) 17:57:52ID:MEBJ68z+一応大内氏と親しかった時期と大友氏と親しかった時期があるので、
大内氏・大友氏を通じての使者の海外派遣は可能だった。
一条氏の本拠中村では中国産や南蛮由来とされる遺物が発掘されている。
0207人間七七四年
2009/07/16(木) 15:19:12ID:lypd0Ap60208人間七七四年
2009/07/30(木) 16:03:14ID:z0oYOCC40209人間七七四年
2009/08/02(日) 13:58:16ID:KqW0+BGmキリスト教の日本上陸は1549年。
大寧寺の変は1551年。
大内義長の擁立は1552年。
陶と毛利の決裂は1554年。
厳島の戦いは1555年。
大内義長滅亡は1557年。
大内に耶蘇と仲良くしてる時間なんてない。
0210人間七七四年
2009/08/08(土) 15:04:19ID:S64ivuT40211人間七七四年
2009/08/08(土) 16:12:26ID:kj31QM/e時期にもよるが、兼定初期は西園寺と仲の悪い宇都宮と仲良くしてた。
西園寺との関係はあんまりよくない。
0212人間七七四年
2009/08/20(木) 14:33:58ID:QnR4YLY20213人間七七四年
2009/08/20(木) 22:36:44ID:zhovWebt仲が悪いというより一条の方が力はかなり上だったと思いますが。
永禄年間の末期に宇都宮を支援して河野・毛利の連合軍と対峙した際には(鳥坂合戦、高島合戦など)、
西園寺が中立を保つか一条氏の傘下にない限りそもそも宇都宮氏への直接的な軍事的支援は不可能ですから。
0214人間七七四年
2009/08/22(土) 16:45:43ID:PwPjVxFV西園寺と一条のどっちが力が上かなんて話は誰もしていない。
聞かれてもないことを勝手にベラベラ話すのは構わないが、
アンカーをつけて話すべきものではないだろう。
ちょっと話がずれてるかな、と思ったらアンカー外そうぜ。
0215人間七七四年
2009/09/03(木) 15:12:56ID:+U1DoT060216人間七七四年
2009/09/12(土) 14:53:30ID:qCu4Admo0217人間七七四年
2009/09/23(水) 13:38:10ID:BLfWaOEf0219人間七七四年
2009/10/03(土) 14:34:19ID:otyYuHDX0220人間七七四年
2009/10/03(土) 23:51:05ID:dk2VQMNE0221人間七七四年
2009/10/13(火) 16:16:12ID:yysOJHjl0222人間七七四年
2009/10/22(木) 14:52:25ID:0gytWsYc0223人間七七四年
2009/11/04(水) 15:26:05ID:Fe9uds5u0224人間七七四年
2009/11/11(水) 22:11:01ID:cfbG65xzそのせいで暗殺されかかって腕失い、やがて病没ってのは悲惨な人生だよなぁ
0225人間七七四年
2009/11/25(水) 15:20:55ID:cHMk97PG0226人間七七四年
2009/12/13(日) 08:39:28ID:eG/aGvjZ0227人間七七四年
2010/01/10(日) 08:55:19ID:tl+EREPn0228人間七七四年
2010/02/19(金) 20:06:35ID:ql9eORI8地方領主としては、そこそこ有能な実績を残していても
近くに1地方を征圧しちゃうような有力大名が出たり
信長・秀吉・家康のような連中に倒された連中はけちょんけちょんに書かれるからね。
朝倉義景も北条氏政も今川氏真も一般的には家を滅ぼした暗君とされがちだけど
結構頑張ってるからね。凡君ではあったかもしれないけど決して暗君ではなかった。
一条さんもそんな感じだと思うよ
0229人間七七四年
2010/03/06(土) 19:59:28ID:Ht3AjzLj0230人間七七四年
2010/04/18(日) 19:00:37ID:GdYtY0rb追放された無能君主は打ち首でいいわ
0231人間七七四年
2010/05/09(日) 16:24:43ID:9LIMmpB00232人間七七四年
2010/08/06(金) 19:56:08ID:Z9uMueS80233人間七七四年
2010/08/12(木) 21:18:35ID:wRjzF0Lj西園寺と二股仕えの小領主も多かったから、実際はそれ以上だったろうね。
0234人間七七四年
2010/08/13(金) 21:20:02ID:9U5LFEFS0235人間七七四年
2010/08/25(水) 14:34:25ID:j/WyYoFd0236人間七七四年
2010/09/10(金) 23:38:08ID:HTnyS34N0237人間七七四年
2010/10/31(日) 22:15:28ID:r2RVzHXx何年か前に立ち寄った中村市は寂れつつあったけど、中村城の管理人さんや麓の酒屋さんは本当に良い人だった
高知に限らず全体的に四国の人は親切な人が多いし、酒・食い物が美味くて良い所だと思うな四国ってところは
0238人間七七四年
2010/12/03(金) 11:53:16ID:ylZ22B4W0239人間七七四年
2010/12/03(金) 13:40:40ID:Qvwt8mFV0240人間七七四年
2010/12/15(水) 17:37:07ID:TNYRdkii0241人間七七四年
2011/03/03(木) 11:06:47.35ID:qEUN/czCかよ!
0242人間七七四年
2011/03/29(火) 20:39:22.65ID:C32sGjjfだな・・・
0243人間七七四年
2011/07/06(水) 05:17:56.11ID:QZ2Mmg1d0244人間七七四年
2011/07/11(月) 14:44:00.54ID:qzILMOIL■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています