何故徳川家康は人気がないのか?
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 12:33:49ID:PP+InWim関連
【人生の】徳川家康が嫌いな人【負け組】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1088499646/
なぜ信長が戦国大名で一番人気なのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150507418/
0853名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 11:32:54ID:EXJiY5Qn0854名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 11:37:37ID:Y7c8XMCd江戸を築いたのは太田道灌だろ・・・
お前そんなことも知らずによくこの板で煽れるな
リアル馬鹿じゃねえの
0855名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 11:45:39ID:6pgKO0jM0856名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 11:50:42ID:tFnnQq9w0857名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 12:44:10ID:MqbOgwhj0858名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 14:45:54ID:mSmF8Ga6江戸氏のどこがアンチ?
0859名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 15:21:02ID:mYTepHY70860名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 15:22:56ID:mSmF8Ga6江戸氏や太田氏の功績まで否定されてるような気分になる
0861名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 15:48:49ID:MqbOgwhj0862名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 16:17:40ID:bBzE0m+aないでしょ、それらを持ち出すのは徳川家の功績を
否定するためのこじつけとしか言い様がない、
0863名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 16:44:25ID:tFnnQq9w0864名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 16:48:58ID:bbiQUXXlいや、勝海舟の判断は正しいだろ
長岡や会津みたいになるよりはずっと良い
0865名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 19:19:18ID:0wB+bZBi0866名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 23:53:40ID:h2eNefTI0867183石@赤鎧 ◆AKAs8m.poY
2006/08/31(木) 00:11:27ID:1IyElabL秀吉…城を建てまくり豪華さをアピールした。民は苦しいが華やかに見える
信長…現代でも人気がある。安土城が豪華。
家康…見かけに派手さがない。質素倹約。
歴史を知らない現代人が見たらケチな家康より派手な秀吉がいいと思うはず。
なんで家康不人気となる
0868名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 00:26:24ID:IUJ0uM1z安土はデザインは凝ってるが案外無駄のない造りだし
0869名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 00:31:20ID:TfcxIk4Rハゲド
その程度なんですよ
0871名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 01:10:58ID:IUJ0uM1z安土=攻めの城
大坂=守りの城
江戸=政治の城
と言った感じだと思う
江戸城が増築される頃は既に徳川にとって実戦向きの大規模城郭など必要なくなっている
諸大名の財力を削る目的と
動員する事で徳川家に服従していることを自ずと知らしめる目的が大と言えると思う
実用的と言うより政治的な城かと
0872名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 01:30:12ID:E9jlXtup三つとも政治の城です。
0873名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 01:41:56ID:tXE+idS30874名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 02:21:21ID:ZksZn4flもちろん、秀吉とは違った意味で。
0875名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 08:37:05ID:8xpmSpIL江戸市民に謝れよ
0876名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 15:24:00ID:bKBhBWst甲府に向かう途中捕まり打ち首になり
預かった一万両も行方知れずお詫び申す
0877名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 22:19:16ID:uByhfgjGいい根性だぜ
アンチかくあるべしだな
人格攻撃したり同情求めたりする>>859-860よりどれほどましか
アンチは見習うべし!
0878名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 13:28:57ID:Jc2s1IsI忠誠心は微塵もないけど責任は果たす人だからね
勝先生も東照宮は大事にしろと言ってた
外国に恥じない立派な観光地にできると!
神君の廟所を見世物にしようと言うのもさすが勝先生…
0879名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 15:04:16ID:8KjBIJVK0880名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 17:30:11ID:lmXrtZCPhttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1146449923/
0881名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 20:19:27ID:CSwSTv4U江戸への功績はどう考えても家康のほうが上。
勝を持ち上げ家康を貶めるものは江戸のものではないな。どう考えても西国の池沼だろ。
0882名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 09:47:42ID:hsqDCdi8はじめがよくても、最後丸焼けでいいのかお前は
これだからばかは困る
0883名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 16:12:35ID:EPwo0hyS門閥だから馬鹿しかいないと
ばーろー、俺は幕府なんざ守る気ねぇよ
と家康が苦心して興した幕府も一瞬で切り捨てられました
0884名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 07:43:01ID:IaxhnLd2わが命旦夕に迫るといへども、将軍斯くおはしませば、天下のこと心安し、
されども将軍の政道その理にかなわず億兆の民、艱難することあらんには、
たれにても其の任に代らるべし、
天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり、
たとへ他人天下の政務をとりたりとも四海安穏にして万人その仁恵を蒙らばもとより、
家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし
(もはや我が命も終わりに近づいたが、秀忠がいるので天下のことは心配ない。
しかし、将軍の政道が道を外れ、多くの人々が苦しむようなことになれば、
誰でもその任にとって代わるがよい。
天下というものは徳川将軍一人だけのための天下ではない、天下は万人のものであり
たとえ誰か別の者が天下を治めようとも、四海安穏で万民の幸せに通じるのなら、
これは家康の望むところであり、少しもうらみに思うことはない。)
0885名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 10:48:43ID:TtYNrYYK0886名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 15:39:05ID:qshRuO2T0887名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 22:43:15ID:6KiXl8w0なんだかなあ、趣味の板とはいえあまりにも知識が足りない奴
が多くてため息が出る
0888名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 01:14:39ID:g671cjSB0889三木
2006/09/06(水) 04:49:56ID:tVm6Rjzt0890名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 08:03:40ID:GZVU4cn+そもそも保守的とか思われてるのが不思議なことだよ
0891名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 08:42:54ID:sxBEnBZYえらそうに言ってるこいつワロス、建設を指示したのは家康自体なのに
馬鹿じゃネーノ
0892名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 11:23:00ID:QGo64IP5「いえいえ、上様ほどでは」
「うひひひひ」
「ケケケケケ」
↑
司馬のおかげでこんなイメージ
0893名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 13:42:37ID:hVVu0UVl家康が「あんなの」って言われるぐらい豪華でキンキラキンの
建物を日光に建てるよう支持したソースプリーズw
0894名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 19:22:02ID:5WMxEyM0「とにかく戦を止めさせて、国内を一本にまとめる指導者が必要だ…という時代の気運が、
(安定志向で内政重視の)家康を、天下人にまで押し上げる時代の波となったのであって、決して家康は彼独りの力量のみで、天下を取ったわけではない」 …という趣旨の論が展開されている。
そこのあたりを、当の家康自身も感じていたのは、例の遺文の内容からも推し量れるように思う。
見方を変えれば、その「人民の海」に波風が立って、「徳川丸」がひっくり返されることの無いようにと、彼は社会をガッチリ統制する、封建制度の確立に生涯腐心した訳で。。。
0895名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 19:29:49ID:pGPMDwYp社殿の規模は小さくするようにとも付け加えてる。
実際秀忠が造営したものは質素なものだったが
それを家光が豪華絢爛なものに建て替えた。
というわけで、>>891の指摘は的外れ。
0896名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 19:43:55ID:OenxZSrp尾張の農民と大きく違うところだね。
0897名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 20:35:12ID:7QWET7lH徳川家が遺した業績の最もたるものかもしれない
文化的価値は非常に高いからね
勝海舟も東照宮だけは誉めてるw
日本が海外に誇れるものだと
0898名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 02:42:21ID:3f9O6pmz徳川が残した最大の功績は「徳川幕府体制を築いたこと」に
尽きるだろ、とマジレス。
司馬の影響か知らんが「徳川は地味で保守的」って思う奴が
多い。実際は必要なことには出費を惜しまないし、徳川体制
は非常に革新的で強固なものだったのに。
0899名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 03:08:17ID:b3cOOaRV普段やたらケチるくせに、時々何を思ったか嘘のように使う。
自分も当てはまるのだが
0900名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 05:12:11ID:/LYqU+LC0901名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 05:16:05ID:+ebVdEsSせっかく戦国時代で劇的な進歩を遂げたのに
江戸幕府を開いてから、それが止まったんだから
0902名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 07:31:54ID:7KlVhxKCそんなものとっくの昔に潰え去ったやん
0903名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 08:37:15ID:guA+39CV悪いことばかりではないが、鎖国にせよ身分制度の固定にせよ家康〜家光の
支配体制の強化を狙った一連の政策のせいで日本人としての性格が変わったのは
事実だし。
0904名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 09:04:31ID:TG7yP/Lyいまごろ日本は・・・。
0905名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 09:28:31ID:3F2LIgxR江戸時代以前の日本人てどんなだったの?
0906名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 09:40:05ID:Tsz4xxfo俺が俺がのうざい奴がデフォ。
デフォだからうざいとすらも感じない。
0907名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 11:34:32ID:UgVjztz+それは、歴史を知らんのだろうな。
ポジティブ要素だけ積み重ねていって薔薇色の歴史シュミレーションを
描けば、どんな時代だって暗黒時代になるさ。
例えば、戦国時代が大きく発展したっていうが、基本的に軍事技術が中心
だし、また、発展の理由は小勢力がひしめきあって競いあってたからな
わけだ。つまり、その前提を維持しないと、戦国時代の発展(それがどの
ようなものかも漠然しているが)は継続していかない。「戦国時代の飛躍
的発展」なんていうが、じゃあ、幕末まで戦国時代やってればいいのかとね。
その場合は、よくってもルクセンブルクあたりの発展しているが小国家って
国家が日本列島に複数乱立して戦争ばっかしていたかもしれんな。
鎖国にしても是非論はあるが、江戸時代で大きく下がったの軍事力だけで、
経済や技術は大きく発展しているわけだし。むしろ、鎖国の弊害ってその
軍事的に劣ることになったって、部分に集約されるべきものだと思うがな。
なのに、司馬遼太郎を含めて、まるで、家康がいなければ、日本はイギリ
スに先駆けて産業革命を達成し、以降、世界一を突っ走るなんて感じの
妄想で語るからな。
0908名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 11:45:50ID:vM5zhwx3本田宗一郎の逸話みたいなので読んだけど。
0909名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 12:11:37ID:szNGXSJ8破綻した同時期のブルボン王朝など比べても桁外れに先進的な
江戸時代の経済体制をなんだと思ってるんだろうな。
0910名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 13:22:45ID:3f9O6pmz現代日本とかぶるから「江戸時代で日本人の意識が変わって云々」
っていう結論になるのかも。
でもそういう奴に限って武士道マンセーするw
江戸時代に変化した価値観の最たるものなのにwww
>>908
機密に触れた人を処分する話は武田の金山やらでも良く聞く話。
真実かどうかは知らんが「あってもおかしくはない」レベルでは
ある。
0911名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 14:16:01ID:UgVjztz+250年も続けば制度疲労も起こす。
その末期に組織が硬直化し、新しい時代に合わせて体制変更をできないで
政権崩壊するなんていうのは、世界中を見てもごく当たり前の現象であって、
徳川幕府が特殊なわけではないし、ましてや、日本人を変革に対応できない
存在したなんてことはない。もしも、江戸時代に日本人が変革できない存在
に変わってしまったんなら、明治維新なんて存在せずに植民地化されたろう
しな。むしろ250年も耐えられる体制だったことの方が驚異的なわけで、
また、それが維持できるだけの変革は常に行っていたと考えるべきだな。
0912名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 15:51:34ID:yQa9PdtH同意
0913名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 03:09:24ID:+i51YWfn0914名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 07:57:43ID:EQfN0G5c0915名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 08:03:30ID:byn3JNOk発足から50年位して、官僚役人を支えるための存在と化した自民党政府。歴代の首相が(以下省略)
歴史は繰り返すって本当だなw
0916名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 10:25:30ID:O/QgjEJB家康公の遺訓と遺言碑
東照公遺訓
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
いそぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ、勝つ事ばかり知りて、
まくること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。
慶長(けいちょう)8年1月15日 家康
(人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。
急いではいけない。いつも不自由していると考えれば、
不満が生じるはずがなく、欲心が起きたときには、自分の過去にあった苦しい時代を思い出すことだ。
「堪忍」こそが無事に長く安泰できる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
また、人生では勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動を反省し、人の責任ばかりを追求するな。
何かをやるとき、なかなか到達できないほうが、やり過ぎてしまっているときよりは良い)
0917名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 10:27:27ID:O/QgjEJBわが命旦夕(たんせき)に迫るといへども、将軍斯(か)くおはしませば、天下のこと心安し、
されども将軍の政道その理にかなわず億兆の民、
艱難(かんなん)することあらんには、たれにても其の任に代らるべし、
天下は一人の天下に非(あら)ず天下は天下の天下なり、たとへ他人天下の政務をとりたりとも
四海安穏(しかいあんのん)にして万人その仁恵を蒙らばもとより、
家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし
元和2年(1616)
(もはや自分《家康》の命が終わりに近づいたが、
将軍《秀忠》が政治を立派に行っているので、天下のことは心配ない。
しかし、将軍の政道が道をはずれ、多くの人々が苦しむことになれば、誰でもその座にかわるがよい。
天下というものは、一人のための天下ではない。
天下はすべての人のものであり、そのすべての人のために天から任されたものであった。
たとえ、誰かが天下を治めようとも、四海安穏で平安に万人の幸せに通じるのなら、これは家康の望むところである)
0918名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 11:25:25ID:cNjEMmf2たとえ作り話だがなんだかしらんが、
これは家康にふさわしい。
0919名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 12:04:42ID:zi2mVaQ7間違っても家康がこんな生温い事言うとは思えないが
0920名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 13:24:42ID:EPiRz5wGこれこそ諸大名に対する圧制を伺わせる遺言碑でしょ
諸大名も舐められてたんだと感じるのも事実だけど
0921名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 13:52:52ID:KI7h+389家康についての認識を改めたほうがいいと思うよ
家康=狸親父のイメージがそれだけ広まってるということだが
0922名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 14:26:37ID:oVr8ItkPとにかく五、六歳の自分のガキ一人さえ良ければそれ以外の事はどうでもいいというような誰かの遺言よりはマシだな
0923名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 14:56:51ID:KI7h+389天下は一人のためのものではない
↓
天下は豊臣だけのものではない、
だから悪政を行った豊臣から政権を簒奪したのは正当だった、の意味があるわけ
0924名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 15:14:48ID:+d1xRRSw0925名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 15:16:05ID:/9mjAzfL家康公屁理屈碑
わが脱糞(やきみそ)を侮辱する輩に、ぜひ聞いてみたい。
この世に生を授かって、失禁・脱糞をしたことがない人間がいるのか。
オムツ替えてもらっていた、幼児期(ばーぶー期)を思い出せや。
人(ワシ)のこと言えないだろ。このウンコたれどもが。
もっともワシの脱糞(やきみそ)は、大人になってからのことなのだが。
0926名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 17:30:54ID:Ki+boWoV多分それ言い出したら平行線のまま相容れない様相になるよ。
まー俺はどっかの耄碌じいさんの方が好感持てるがね。
肉親が次から次に亡くなった爺さんには太陽のような存在
だろ秀頼は。
0927名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 17:41:20ID:2ejzgXM9そのために、秀次とその妻妾男児女児あわせて何十人もブチ殺された
上に、墓も作られずに河原に埋めて「畜生塚」なんて呼ばれたが。
0928名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 18:53:39ID:KI7h+389西郷のようなタイプなら好きだろ、家康は
0929名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 21:02:44ID:zi2mVaQ7現実主義の家康とは正反対
実利より感情を大切にする
だから結果より行動を選んだ大塩平八郎を尊敬していた
西郷と家康ではとてもじゃないが意見が合わないかと
それに西郷は徳川には好意を持っておらず
将軍の首を撥ねて徳川家滅ぼすまでは戦争止めないと主張していたし
0930名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 23:16:42ID:r9YrqAZW家康は、むしろ長州を褒めてやれ。
関ヶ原でも幕末でも、徳川に踏んだり蹴ったりの目に合わさせてんのに、
まさに重荷を背負って遠い道を上りきり、天下のために新政府を開いたんだから。
0931名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 23:17:25ID:/0U0PZS9>>928は家康の好みを言っているのであって「家康=西郷」とは
言ってないような…。まあ家康の好みに西郷があっているか、
なんて知らないけどw
三河武士みたいなのが好みなんだったら西郷ってより近藤だよね、
家康の好み。
0932名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 23:25:03ID:KI7h+389「厭離穢土、欣求浄土」を掲げた理想家だけどな
家康の時代は理想を掲げて行動することがそのまま現実に直結していたわけ
あの時代は男たちが理想を求めて戦い合っていた時代だから
西郷は「遅れてきた武将」
もはや理想にのめり込むしかなかった
西郷の時代には、家康が創設した当時の理想は影も形もなかった
だから倒幕に傾いて当然だろう
0933名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 00:18:32ID:dq6zWKNe>あの時代は男たちが理想を求めて戦い合っていた時代だから
>あの時代は男たちが理想を求めて戦い合っていた時代だから
>あの時代は男たちが理想を求めて戦い合っていた時代だから
脳内戦国時代、乙。
どんな三文小説だよw
0934名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 09:12:27ID:gYQMWBcb岡崎が生んだ我らが徳川家康公
http://www.city.okazaki.aichi.jp/yakusho/ka1030/ka360.htm
0935名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 13:16:30ID:gin8LBzR歴史は全部脳内構築物だろうな
まあ、内容で反論してみろ
0936名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 13:59:09ID:JjfKBP70いくらなんでも、贔屓の引き倒しでは・・・
家康の稀有なほどの現実家だったところが好きな自分には、
ちょっとお前の言ってることがわからん。理想のために戦うかよ。
0937名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 14:17:04ID:gin8LBzR0938名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 14:38:40ID:wY1fFEPF理想とは?具体的にどういった理想を各国の大名は掲げていたわけ?
北条、伊達、織田、武田、上杉、毛利、長宗我部、有名どころでいいから言ってみて。
理想というよりも既得権の保護と利益の拡大を目指していただけだと俺は思うけどな。
0939名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 14:52:05ID:gin8LBzRただ実力次第で自分の領土を拡大して自己流の政策を実施できたというところに
今から考えれば一種の「男のロマン」があったと思う
0940名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 16:28:48ID:pOLARrFh戦国時代を美化しすぎ、というかロマンや理想など
綺麗事じゃすまない殺伐とした時代というほうが近
いと思う。戦時中なんだよ。
0941名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 16:36:02ID:wY1fFEPF他の諸大名はね、という意味が分からないのだが、
徳川だけは自分の政策を実現させたいが為に、その欲求を満足させる為に戦争をしていたわけか?
その具体的な政策というのを教えて貰えないだろうか?
0942名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 16:41:47ID:y4E6FjTPまあ言いたいことは分からんでもないし家康がその種の理想を持ってたのは
同意だがちょっと極論が過ぎるな
若い頃は食うか食われるかの戦国大名の一人だったろうけど
壮年、信長が死んだ頃からそういう家康もそういう「天下布武」のような
キャッチフレーズがほしかったんだろう。それが「厭離穢土、欣求浄土」
であり、家臣団、そして己をもその理念に忠実に動いていったんだろう
関ヶ原が終わって徳川の天下がほぼ決まった後も死ぬまでその言葉に忠実に
生きてきたんだろう。
0943名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:03:43ID:5HxVsQeh0944名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 19:49:55ID:+AEPyJfe0945名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 01:48:32ID:mju0lrUwやったことは偉大で遠大だけど着実になしとげたせいか地味に見える
0946名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 10:19:26ID:Qd5g/ga20947名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 15:48:43ID:go/U+0LM仕事できても嫌な奴は、今でもいるだろ。
0948名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 20:13:24ID:jB+oj+st個人として付き合うんなら、家康はかなり付き合いやすいわな。
自己中じゃないし、たいていのことは向こうが我慢してくれるし、
粗暴じゃないし、金貸してくれなんて言ってこないし、よほどの非が
ない以上処刑とかされないし。
0949名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 20:32:51ID:jEjRjXZY信長なんかは異常人だからとてもじゃないが気楽に付き合えないと思う
0950名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 20:58:15ID:Vz45uLij大名や武将としての家康は付き合いやすいと思うけど、天下人・支配者としての
家康はとてもたまらんと思う。
そのあたりは秀吉もかわらないが。
0951名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 21:30:28ID:z+wKdBjpそれは豊臣系外様大名限定の視点じゃない?
あいつらはまあ虎視眈々と取り潰しの機会を狙われているが
支配者、天下人の家康が悪政してないのは散々言われているし
0952名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 21:47:17ID:jB+oj+st無茶な改易なんて、加藤・副島くらいなもんだが。
それすら、家康以降の代に行われたことだし。
後は、武家諸法度のとおりなんだし。
要するに、基本的に大名家は減らす方針だったってだけで。
当時の軍人の大過剰状態を考えればそれもある意味当たり前
だし。秀吉みたいに海外に捨てるんでなきゃ、改易するしか
ないわけで。
少なくとも、子供可愛さに大名を改易したりする秀吉や、
働きが悪いってだけで、左遷どころか追放刑にする信長より
はるかに大名家にとっては安心できるそんざいだったろ。
というか、そういう安心感がないと、大名は家康に味方しな
いよ。三成がそうで、細かい非違をとがめて糾弾する性格
だったために、結局は大名を糾合できずに負けたわけだし。
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