>>535
かなりのダブスタのようだが。まぁ、いいや。
たとえば、戦争に持ち込んだ理由についてだが、

家康の場合:
 方広寺事件について詰問した結果、秀頼が浪人を集めるなど、開戦準
 備を始めたことが、直接の原因。
 なお、このとき、秀頼の立場はよく言って家康の旧主であり、二条城
 の会見で秀頼が下風に立つことを了承している状態である以上、方広
 寺事件での家康の詰問が理不尽だと思っていても、開戦準備をする理
 由にはならない。それを行った時点で、徳川家への挑発行為である。
秀吉の場合:
 秀吉の攻撃によって開戦。
 安土城で三法師を養育するという約束が守られなかったからという理由
 としてあげられているが、同じ家中で主筋に対して軍事力で約束履行を
 強要するというのは、暴挙といっていい。
 また、信孝サイドから攻撃したとされているが、勝家が動けない冬季に
 わざわざ各個撃破されるような挙兵をするはずがなく、秀吉の一方的な
 宣伝の結果であることはあきらか。

となる。
そもそも、開戦時の立場が全然違う。家康は、すでに下風に立っている
豊臣家に将軍としての立場から行っているが、秀吉は主筋と同僚に対し
て上記の行動を行っているわけだからな。