>>713
綱憲が藩主になった時は養子手続きの不備で15万石に減封されたばかり。
でも本来なら御家お取り潰しになってたわけね。
先代藩主の義父で徳川家光の弟の保科正之と縁戚の吉良家と畠山家の嘆願によって助けられた。
だから米沢の人達にとって恩を受けたこの三者には頭が上がらなかったんだよ。
ただ、養子に迎えた綱憲という人は15万石の藩主に似つかわしくない浪費ぶり。
おまけに吉良家の借財まで請け負ったから、そのツケは全て米沢の家臣や領民に押し付けられたのね。
米沢牛の話ついでに米沢藩で牛を持っている者に対して課税をしたのも綱憲が最初。
米沢では綱憲を影で操っていたのが父親の吉良上野介だと見ていた人が多く、吉良上野介が討たれた時、米沢の家臣や領民は喜んだとの逸話が残ってるよ。