「幸村」の名が、一切の史料に伝わらないほど、ひっそり裏で使われていたとしても
初代の信之の書状など数多くに残り、最も一般的だったであろう名は「信繁」であったことは確か
もちろん、松代藩では、当然ながら信繁の名が用いられていた
にも関わらず、なぜ唐突に幸村を用いたか?  それは、軍記物によって一般的に広まった結果であることは明白
仮に軍記物が発行されなかったり、軍記物で「信繁」であったりすれば、信繁のままだった事は疑いない

最初の2行の通り、仮に「幸村」の名が事実存在したとしても、普通に使われていたのは信繁だったにも関わらず
松代藩が、途中から史料に残る信繁ではなく、一切史料にない幸村の名を採ったのは、「一般的に広まった」以外に考えづらい

上記の理由から、幸村の名が事実としても、当初、松代藩が用いるほどに使われていた名前でないことは疑いない
松代藩に幸村の名が残ったのは、間違いなく軍記物の影響、世間に広まった結果といえる
「幸村」の真偽を問わず、採用理由に上記の理由が含まれる以上、用いられたこと自体にさした史実的影響力は持ち得ない

軍記物で一般的に広まった以外に、数多く史料に残る信繁の名を変えてまで、「幸村」を用いた理由があるならば、
確たる史料なり文献が残っていなければ不自然であり、「全く」残っていない現状は理解しがたい