真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 22:01:41ID:q8wDMrw00879人間七七四年
2007/10/24(水) 08:29:50ID:rqNdHxoVといいながら、「幸村」が史実かなんて、全く確かな物証が残っていないものよりも、
よほど資料や伝承が残っていて、史壇にまで挙げられた信繁生存説を「まがい物」だと一蹴してるんだよな。
あなたは、単に自分主張していることだけ、「悪魔の証明」で立証できないことをいいことに、
「間違いとは限らない」と言いながら、一方で「事実とはいっていない」と逃げ、
さらに、信繁生存説については、証言から書かれたという書物、松代藩、薩摩藩を初めとした数多くの伝承があり、
「必ずしも間違いであるとは限らない」にも関わらず、ネタ呼ばわり。
ダブルスタンダードも大概にしろ。
0880人間七七四年
2007/10/24(水) 08:51:53ID:H7Km6Zt1>万年や二階堂が創作した物だという事が前提になってるだろ。
>ただ、これが創作であったのかそうでないのかを証明するのは非常に困難だ。
>歴史的事象なら兎も角、世間一般に伝わり難い諱なら尚更。
>だからこそ、「必ずしも間違いであるとは限らない。」と言っただけの事。
間違いであるとは限らない=正しい可能性がある
という事は、正当化するだけの、可能性を証明するだけの史料的裏付けを提示しなければ話にならないと思うが・・・
「可能性を否定出来ない」なんて言葉は、その「可能性」を少しでも出すだけの根拠無きゃだめだよ
0881人間七七四年
2007/10/24(水) 08:57:44ID:rqNdHxoV初代の信之の書状など数多くに残り、最も一般的だったであろう名は「信繁」であったことは確か
もちろん、松代藩では、当然ながら信繁の名が用いられていた
にも関わらず、なぜ唐突に幸村を用いたか? それは、軍記物によって一般的に広まった結果であることは明白
仮に軍記物が発行されなかったり、軍記物で「信繁」であったりすれば、信繁のままだった事は疑いない
最初の2行の通り、仮に「幸村」の名が事実存在したとしても、普通に使われていたのは信繁だったにも関わらず
松代藩が、途中から史料に残る信繁ではなく、一切史料にない幸村の名を採ったのは、「一般的に広まった」以外に考えづらい
上記の理由から、幸村の名が事実としても、当初、松代藩が用いるほどに使われていた名前でないことは疑いない
松代藩に幸村の名が残ったのは、間違いなく軍記物の影響、世間に広まった結果といえる
「幸村」の真偽を問わず、採用理由に上記の理由が含まれる以上、用いられたこと自体にさした史実的影響力は持ち得ない
軍記物で一般的に広まった以外に、数多く史料に残る信繁の名を変えてまで、「幸村」を用いた理由があるならば、
確たる史料なり文献が残っていなければ不自然であり、「全く」残っていない現状は理解しがたい
0882人間七七四年
2007/10/24(水) 08:58:18ID:H7Km6Zt1>幸村の由来に関しては真田家の通字である幸の字にお姉さんの村の字を足して出来たという説がある。
説もあるというなら、その説を唱えてる人の名前、紹介してる著書ぐらい書こうね
学説ならいいんだけどね
0883人間七七四年
2007/10/24(水) 09:04:40ID:nkpyNI+k史実扱いで、あの時代に姉から貰った、刀の名前から採ったなんて、説にすらならないでしょw
史実として唱えてる書があるなら、知りたいから教えて欲しいな
0884人間七七四年
2007/10/24(水) 09:11:20ID:H7Km6Zt1でも幸村ってのはないよな〜
そういえば寛永譜で幸村とあったっけ?
「寛永譜」は信繁で、天保十四年完成の「真田家御事蹟稿」で幸村だったと思う
0885人間七七四年
2007/10/24(水) 09:51:30ID:ecenHLqj九州生存説に一次史料が残ってるのか?
初出は 「胆大小心録」だと思ったが。
古文書は「薩摩風土記」の事か?
それがお前の言う優良な史料なのか?
そもそもネタ扱いで出してきたのはお前だろ?
それとも何か?義経生存説にも優良な史料があるのか?
歴史的事象について否定する論拠は幾らでも見つけられるだろう。
だが、諱が使われていたかどうかを確かめる事はほぼ不可能だ。
そういった性質の異なる両者を同列に語る事自体がおかしいと言ってるんだ。
> 「間違いとは限らない」と言いながら、一方で「事実とはいっていない」と逃げ、
何言ってんの?
必ずしも間違いとは限らないっていうのは間違いか間違っていないか分からないって事だぞ?
事実とは言っていないという事とどこに不合理性があるんだ?
>>881
それまで言っていた事と何ら変わってないじゃないか。
>>883
あのな、それは>>843の「何故幸村と呼ばれるようになったか」という質問に対するレスであって
実際に幸村という諱が使われていたかどうかとは全く関係無い話なんだが。
頭大丈夫?
0886人間七七四年
2007/10/24(水) 10:53:12ID:znneri2C限りなく疑わしい信繁生存説よりも、幸村名は資料として残ってないって言われてることにも気付けないのか
0887人間七七四年
2007/10/24(水) 10:56:05ID:znneri2C幸村と呼ばれる理由はこうだから、松代藩が使ってる=幸村の信憑性にはならないって言われてるんだよ
いちいち、他者にまで解説して貰わないと理解できないなら、いい加減に議論やめたらどうよ
マジでお前、まったく人が書いてくれてること理解できてないぜ
0888人間七七四年
2007/10/24(水) 10:59:00ID:znneri2C>>880に書いてくれてることをちゃんと嫁。答えてみろ。
そして、松代藩が使ってるからどうのってのは、>>881に書かれているように根拠にはならん。
0889人間七七四年
2007/10/24(水) 11:18:00ID:znneri2Cそれにしても、議論するなら単発単発で答えるんじゃなく流れで、ちゃんと自分が何を主張したのかくらい把握してくれよ
ID:ecenHLqj は、誰も同調してくれてない時点で、自分の主張に脈絡がないことに気づいてくれ
自分の主張ばかり肯定して、人の指摘はめちゃくちゃ言って否定って、ただの荒らしになってるぞ
0890人間七七四年
2007/10/24(水) 14:56:34ID:ZqVj7KuN0891人間七七四年
2007/10/24(水) 16:18:25ID:a0zGb/w7なんかレス進んでると思ったら。。
いろいろ書いてあって読むの面倒だな
0892人間七七四年
2007/10/24(水) 17:44:09ID:VQSCnaTC0893人間七七四年
2007/10/24(水) 19:57:37ID:xlxTZwre生きてる間に「幸村」は使われてたかどうかを知りたいのだが
ところで
九度山から真田出撃
の報を聞いたときの信之の心情は伝えられてる?
がっかりしただろうなあ
0894人間七七四年
2007/10/24(水) 20:02:49ID:VZwBG9A2史料にはない
使われてなかった証明は誰にも出来ないので信じたければご随意に
0895人間七七四年
2007/10/24(水) 20:15:07ID:xQwlbqik鉄砲が槍に負けるって西洋の戦いでも普通にある話だが
射撃時間と歩兵が突入する時間考えれば
お互いの欠点補完しあうためには諸兵科連合なわけだが…
0896人間七七四年
2007/10/24(水) 20:16:39ID:xQwlbqikもう幸村で広まってるからそれでいいんじゃないか?
0897人間七七四年
2007/10/24(水) 20:25:51ID:2gbrKgn50898人間七七四年
2007/10/24(水) 20:30:16ID:xQwlbqik講壇の影響かなあ
幸村ってなんでだろ
まあ、広まってるしいいんじゃね
真田丸は武田流築城術の産物って日本史板にあったがそうなの?
戦術家としては優秀だと思うんだが
戦略家としてはどうかわからん資料ないし・・・
0899人間七七四年
2007/10/24(水) 20:34:04ID:VZwBG9A2読者(聞き手)受けがよいと思ったんじゃないの
0900人間七七四年
2007/10/24(水) 20:37:44ID:xlxTZwre個人的には史料に無ければそれは現実にも無いと考えるタイプ
0902人間七七四年
2007/10/24(水) 22:16:41ID:4z2NCGnw分からないものは分からないままでいいんだよ
0903人間七七四年
2007/10/24(水) 22:35:05ID:NFVeMWP0多少の表現の違いやら揚げ足取りやらで揉めてる馬鹿が複数名いたって事でおk?
0904人間七七四年
2007/10/24(水) 23:06:32ID:znneri2C0906人間七七四年
2007/10/24(水) 23:52:50ID:H7Km6Zt1幸村の初見などを調べて見りゃわかる
0907人間七七四年
2007/10/25(木) 18:55:25ID:M814STF4押し付けだしたらアレだけど
俺は幸村使用は無かったと思ってるだけ
0908人間七七四年
2007/10/25(木) 19:09:17ID:V/yoNthFただ史料にはないけどオレはそう信じていると言われても他人とディスカッションにはならんわな
はぁそうですかで終了
議論になることとならないことくらいわかってもらえないと苦しい
0909人間七七四年
2007/10/25(木) 19:36:23ID:Eh0rD9xy過去に真実を求める方があほらしいのに、こういう時だけ悪魔の証明持ち出されても
ところで武田崩壊時に氏邦に昌幸が送った書状ってどんな内容なんだ?
氏邦と内通してたから岩櫃にいっても勝頼の最期は同じだったって話を聞くんだが
0910人間七七四年
2007/10/25(木) 19:36:27ID:pgdrip2c実際に使われていたかもとしれないと思っているとか言っておけばいいものを。
可能性ってニュアンスではないとしかならないわけで。
0911人間七七四年
2007/10/25(木) 23:22:49ID:Z7K30XXh馬鹿杉
0912人間七七四年
2007/10/25(木) 23:26:23ID:Kg5uMlxD0913人間七七四年
2007/10/26(金) 00:01:31ID:jaxKSotw0914人間七七四年
2007/10/26(金) 00:04:45ID:OW1YA9wkもういいから一々暴れんなよw
0915人間七七四年
2007/10/26(金) 00:06:44ID:C308aTq1あ、御本人でしたかw
0916人間七七四年
2007/10/26(金) 00:09:16ID:OW1YA9wkすげー思考w
0917人間七七四年
2007/10/26(金) 00:14:40ID:jaxKSotw他人の話は全否定の馬鹿一匹だったのにねw
んで終わった後に、蒸し返し必死に暴れんなと言い出してる単発IDが続き、今でも必死w
サーセンwwww
0918人間七七四年
2007/10/26(金) 00:18:15ID:OW1YA9wk0919人間七七四年
2007/10/26(金) 00:22:00ID:jaxKSotw必死すぐるwwwwwwww
0920人間七七四年
2007/10/26(金) 00:27:10ID:OW1YA9wk面白れーwwww
0921人間七七四年
2007/10/26(金) 00:29:38ID:jaxKSotw「俺は遊びでやってんだよ、釣られんなw」レスwwwwww
負け犬の後釣り宣言乙w
0922人間七七四年
2007/10/26(金) 00:30:23ID:OW1YA9wk0923人間七七四年
2007/10/26(金) 00:31:44ID:jaxKSotw0924人間七七四年
2007/10/26(金) 00:32:38ID:OW1YA9wk0925人間七七四年
2007/10/26(金) 00:35:41ID:jaxKSotwID:OW1YA9wk= ID:Z7K30XXh=ID:ecenHLqjの間抜けぶりを
0926人間七七四年
2007/10/26(金) 00:36:54ID:OW1YA9wk0927人間七七四年
2007/10/26(金) 00:39:20ID:jaxKSotwわかったわかった。
もういいから一々暴れんなよw
918 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:18:15 ID:OW1YA9wk
必死杉www
920 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:27:10 ID:OW1YA9wk
必ず返事くれるんだな、この人。
面白れーwwww
922 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:30:23 ID:OW1YA9wk
また来たw
924 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:32:38 ID:OW1YA9wk
期待を裏切らないな、本当に。
↑自己レスwwwwwww
んじゃお休みニートw
0928人間七七四年
2007/10/26(金) 00:39:36ID:bCaE9k3k一晩寝て頭冷やせ
0929人間七七四年
2007/10/26(金) 00:39:59ID:OW1YA9wk0930人間七七四年
2007/10/26(金) 08:00:37ID:nlwGjJ6o昌輝が岩尾城で生まれていることを考えたら身重な夫人を歩かせたにしても
遅くとも天文十二年には武田に仕えてるはずだと思うんだけどどうなんだろう
0934930
2007/10/28(日) 08:14:05ID:ZD/ITKJ3ん?どういうこと?
仕官して安定してから、ってことは、昌輝の岩尾城出生説が間違ってるってことかな?
それなら>>930で言った時期より遅くて別に問題なくなっちゃうな
0935人間七七四年
2007/11/08(木) 09:59:56ID:LGXs0I1c下巻はまだ入荷してない。多少余剰分があるみたいだから興味アル人
は今のうちにどうぞ。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30464229
0936人間七七四年
2007/11/09(金) 19:11:44ID:cCM5mNoQamazonで検索したらマーケットプレイスで上巻は1円から。。。
下巻は685円からで新品は取り扱ってないのかな。
0937人間七七四年
2007/11/09(金) 20:17:57ID:ND1NkRfiなんだかんだ良く言われても
昌幸・信繁父子は結局最後に時勢を読み切れなかったということは
うーん、なんていうか・・・ねえ
0938人間七七四年
2007/11/09(金) 20:37:51ID:5kXvuTOjなかったのでは? あのままでは昌幸同様に九度山で朽ち果てていくだけだもの。
0939人間七七四年
2007/11/09(金) 21:01:19ID:2RwIrmwT最も大局的だったという見方もできようさ。
0940人間七七四年
2007/11/10(土) 00:09:21ID:ZLNAs9Ip0941人間七七四年
2007/11/10(土) 02:28:23ID:xfEy247L0942人間七七四年
2007/11/10(土) 07:46:11ID:HD6OSGBO伊豆守はデフォで従六位下だが信之は従五位下伊豆守
で、松代移封時に従四位下に昇格している
徳川寄騎大名の嫡男と
秀吉の手元に置かれた大谷の娘婿なら
多少は後者が上に来ることがあっても仕方がない
そういや秀吉の命令とはいえ徳川の寄騎大名なんだから
関ヶ原時に沼田は信之となってた時点で真田って譜代大名の資格あるんだな
0943人間七七四年
2007/11/10(土) 09:39:24ID:assEjqLFなので譜代扱いだよ。帝鑑間詰で幕末には真田幸貫が老中になっているわけだし。
いくら松平定信の息子とはいえ、外様だったら絶対にそんなことはありえない。
0945人間七七四年
2007/11/10(土) 10:32:50ID:ghAzmab20946人間七七四年
2007/11/10(土) 15:53:40ID:ZLNAs9Ip結果的にどちらが勝っても存続する形になったこと、別れた時点でそれが頭にあったことは確かだろw
逸話はともかく、そういう状態になったことに伝説も糞もない。
0947人間七七四年
2007/11/10(土) 16:03:32ID:6ky14P+60948人間七七四年
2007/11/10(土) 17:16:18ID:ghAzmab2昌幸に関してはへそ曲がりで頑固なところがあったから
喧嘩できそうな相手→あの時点では徳川に楯突こうと考えたんじゃないかな
だってべつに信之についてもよかったはずだし
ただ、現実問題、秀忠が真田スルーだったらその真田はどうなってたのかなと興味はある
一説には秀忠は真田攻撃が目的だったみたいな話もあるけど、
それだけであんな大軍を当てないと思う
0949人間七七四年
2007/11/10(土) 18:04:18ID:ZLNAs9Ipバカはお前。
昌幸は中立を守る、灰色の立場をとるという手段もあったが、
信幸が徳川方に付いたから、旗色を鮮明にしたと考えてもおかしくはない
0950人間七七四年
2007/11/11(日) 02:06:17ID:8aJic9Ze0951人間七七四年
2007/11/11(日) 04:18:41ID:mIpIgA8Hどうみても偽者なんだが・・・w
これが本物だったら“幸村説”が本当に(ry
0952人間七七四年
2007/11/11(日) 16:55:07ID:XD4NvYWR0953人間七七四年
2007/11/11(日) 17:38:22ID:m7AJi1+30954人間七七四年
2007/11/11(日) 19:46:45ID:RyF805uh0955人間七七四年
2007/11/12(月) 20:01:08ID:2pCPYWL5真田男爵家・・・松平(久松)
信之以外の家系ならけっこう男系で繋がっているが。
0956人間七七四年
2007/11/13(火) 17:37:42ID:1MDkJll8今だから言えるんだろう。信繁はもう読む読まないじゃないが、昌幸
の関が原は難しいど〜w 家康やや有利と読めたとしても、ややだからw
領地配分の面では西のがいいし、確率は決して低くないし、上田に
孤立しながら現実的に負けず西軍のために仕事してるし。
0957人間七七四年
2007/11/14(水) 00:45:32ID:s/UrX5nU0958人間七七四年
2007/11/15(木) 21:46:37ID:32dLmiqj0959人間七七四年
2007/11/16(金) 04:36:38ID:/kjYZw4r聞けよ、丹波って感じだったよな。いくら渡弟に詰め寄られて切迫
してても、情報を聞いてから判断しろよとw
0960人間七七四年
2007/11/18(日) 02:01:39ID:t95rWv5u0961人間七七四年
2007/12/02(日) 02:44:58ID:bGVqejBIその前に信之様が出たのは見逃したけど…まぁ、無いだろうな…orz
0962人間七七四年
2007/12/19(水) 15:42:04ID:CsX6lEel0963人間七七四年
2007/12/19(水) 16:33:24ID:UcHXoLNK0964人間七七四年
2007/12/19(水) 21:01:21ID:EsPttY6nこの皇子が関東に下り滋野の姓を名乗ったんだって。
その滋野氏の子孫が海野、祢津、望月。
ちなみに木曽義仲に仕えてた海野幸親は幸隆の父の先祖。
幸隆は最初海野幸隆という名だったが、武田信虎と村上に真田郷を追われ、
再起を願い武田晴信に仕えることを決めた時
故郷の真田の姓に変えた。
でも何の文献か忘れたけど、それよりもっと以前の文献に、
「実田」の名があり、それが実田=真田ではないかとも言われてる。
0965人間七七四年
2007/12/19(水) 23:34:05ID:IYIKggse幼少の頃、家光に謁見した際に粗相を働いて家光が激怒し「信就の真田家相続はまかりならん」と言われてしまって廃嫡。
成人してからも部屋に閉じこもって、詩や歌を作っていたらしい。
紀州藩初代の頼宣は信之を尊敬していて、よく信之を紀州邸に招いていたそうだ。
で、信之が格上の頼宣を訪ねる場合は、門の前で輿を降りるのが礼儀だったが
高齢の信之に配慮し、頼宣は玄関先まで輿で入るのを許していたそうだ。
頼宣の嫡男で2代藩主となる光貞に初めて甲冑を着させる儀式の際、兜の緒を締めたのも信之。
こういう縁もあり、頼宣の二男で西条藩初代の松平頼純の娘は、松代藩4代藩主真田信弘の正室となっている。
つまり、8代将軍の吉宗と信弘の正室は従兄弟同士。また、松代藩8代藩主真田幸貫は吉宗の曾孫。
0966人間七七四年
2007/12/20(木) 08:49:49ID:wQeL8dkz0967人間七七四年
2007/12/21(金) 19:51:59ID:pBvavR1tその説は昔の通説じゃね?
今は幸綱は海野氏説、矢沢氏説、元々真田氏説とか色々あってよくわかってないはず
0968人間七七四年
2007/12/22(土) 19:58:45ID:IYVyAKlR海野氏の通字である「幸」の字を使わなかったのか?
0969人間七七四年
2007/12/22(土) 20:23:05ID:YLRHCBde幸だけにこだわることはないのでは?
0970人間七七四年
2007/12/22(土) 22:56:38ID:DcKwxAbD0971人間七七四年
2007/12/23(日) 11:43:38ID:yGvEKxtB0972人間七七四年
2007/12/23(日) 19:53:36ID:EM1zMsxv信綱初陣が早い説でも砥石城だからそう考えるのが妥当だとは思うが
そうと断ずることのできる確たる史料はないだろうなあ
0973人間七七四年
2007/12/23(日) 20:01:37ID:dyKf8umJ「綱」は棟綱の「綱」、
で、嫡男に与えるとしたら普通は「幸」?「綱」?
信綱の「信」は晴信からの偏諱だと思うけど。
0974人間七七四年
2007/12/24(月) 21:04:22ID:0HqH+QRX0975人間七七四年
2007/12/25(火) 02:28:24ID:dFcDp5HCレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。