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真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/11(日) 22:01:41ID:q8wDMrw0
願わくばSage進行でひっそりと語るべし

0636人間七七四年2007/08/01(水) 01:04:36ID:1Nhnwa9M
>>631
天下分け目の決戦で、結果3万8千もの大軍を関ヶ原に集結させなかったん
だから凄いのは凄いでしょ。秀忠がアホだとしても。
2・3千の領主相手に3万8千の大軍が取り巻いたら、普通しょんべんちびりまっせ。
0637人間七七四年2007/08/01(水) 01:09:11ID:HjMvRhHX
>>636
でも伊勢の諸大名や京極高次もそうやって西軍に抵抗して
(関ケ原への着陣に)影響を及ぼしたわけだが。
(特に京極高次に関しては、真田親子並に役割を果たしたわけだが)

第一次・・・負けたら真田は一貫の終わり
第二次・・・負けても信幸がいるし、何より負けてなんぼ遅延させてもうけもん。
この差は大きい。
0638人間七七四年2007/08/01(水) 01:15:44ID:1Nhnwa9M
なら京極なんかを評価すればよろしいよ。
第二次上田が評価に値しない、ただ秀忠がアホなだけって言い方は違うんじゃないか。
もちろん信之がいてもね。
0639人間七七四年2007/08/01(水) 01:28:43ID:ZAaxTWNd
>>631
第二次のが評価されるのは当然でしょ。結果的に、史上最大規模の
戦に、多くの徳川勢を間に合わせなくしたんだから。歴史に与えた
影響も込の話。
0640人間七七四年2007/08/01(水) 01:31:35ID:HjMvRhHX
>>638
兵が2・3千くらいしかいないんだから1万残しておいて先行しても
なんら問題ない。

少なくとも上記の二人は上田攻めには反対してたし、(目標はあくまで
東軍の豊臣隊と徳川本体との合流)

それに最初の”出て行く準備をするから三日猶予くれ”で騙された
時点で(というかその時点で1万残して残りは西へ行けばいいわけだし)
彼らの目的は明らかでそこで怒ってること自体が問題かと。

昌幸のモチベーションも1次は”まけるだろうなー”で
2次は”真田の軍略を見せてやる”と勝機は明らかに二次の方が高かったようだし。
0641人間七七四年2007/08/01(水) 01:41:13ID:1Nhnwa9M
>>640
そんな評価できないかな。
当たり前のことができない秀忠=アホってな論調なんだろうけど、
当たり前のことをさせなかった、その結果天下分け目の戦に4万近い軍を
合流させなかった。 ってのは評価に値しないか?

言いたいことは分かるけどね。 あれでしょそんな感じだと幸村とかも
評価に値しないでしょ?

0642人間七七四年2007/08/01(水) 02:47:35ID:NfdDHKqx
>>633
兵力温存のため〜という説はあるけど、実益が少ないんだよな。
そもそも、小早川が寝返らなければ危なかった情勢で、そんな余裕はないし。
双方、兵力削ったところで、本隊投入を狙ってたってわけにもいかない。その前に家康が討死の可能性がある。
結局、勝ちはしたものの、活躍した外様連中に領土を分配しなくてはならなかったわけだし。
0643人間七七四年2007/08/01(水) 09:51:35ID:Wh/z/DVH
第一次の方が評価高いような気が…。第二次の方が有名だけど。
まぁ、天下分け目の大戦絡みなんだから当然ですな。

“その時、歴史〜”クオリティではありますが、秀忠遅参の影響は結局幕末に於いて徳川を滅ぼした…ってのは面白かったッス
0644人間七七四年2007/08/01(水) 12:03:58ID:wmsSPDEQ
秀忠は上田に突っ掛からずとも天候不順で遅参なんだけどな。
0645人間七七四年2007/08/01(水) 12:27:19ID:qkgwPTvq
逆に言えば天候不順だからといって上田に突っ掛かる必要性もないんだよね。
0646人間七七四年2007/08/01(水) 12:47:36ID:BOGwSwN3
元々上田征伐だよ
その方針変更の伝令が天候不順で遅れた
あと秀秋は当日じゃなくてもっと前から東軍として動いてるんだから
家康は関が原に行ったんだし
0647人間七七四年2007/08/01(水) 14:07:14ID:qkgwPTvq
あれだけの大軍率いて最優先は上田討伐です、ていくらなんでもそれはないだろ。
本来の目的、は(それが何にしろ)別にあったと思っても不自然じゃなかろう。
0648人間七七四年2007/08/01(水) 14:41:14ID:BOGwSwN3
本来の目的や建前の題目がどうこう言ってるんじゃないよ
先発の家康隊ものらりくらりと行軍してたし
この役は大垣やもっと大きな城かで時間のかかるものになる可能性だったあったけど
突発的な始まり方で、しかも半日で東軍が圧勝するという結果と
その方針変更を伝える伝令が悪天候で遅れたことが重なったのとが秀忠遅参には大きいってこと
小牧の役や、大阪の役からしたら数日の遅れなんて罰は受けるだろうがたいしたこと無いし
そもそも史実の秀忠遅参も不自然に罰が軽い
0649人間七七四年2007/08/01(水) 21:29:43ID:dG+BO+8i
第二次は一見して3万はいたのかもしれないし
第一次は一万足らずだけど。


でもよく見たらだいぶ違う。第一次のメンツは徳川の精鋭だし
(これが敗れても家康が病気をしなければ2万くらいの兵を
率いて上田に攻め込んだのは間違いない。それに沼田には
北条軍数万いたし)
でも第二次は3万いたけど、メンツがいわゆる2世武将が目立ったし。

あと上田城は平城だから攻め込む場合は3万いっぺんに入るのは
不可能だし。(街もそんな地形だし)せいぜい数千が攻め込んでなんぼ。
で先駆けがやられれば大軍なので後方の兵は浮き足立って混乱する
だろうな。で第一次はそれこそいくさ場を経験してきた生っ粋の徳川軍
だけど、第二次は豊臣の大平を経験して(人によってはいくさ知らずも)
統率もそんなにいいとはいえないし。
0650人間七七四年2007/08/01(水) 21:36:29ID:LcLj51+c
関が原が数日遅れて東軍西軍とも全軍終結してたらどうなってたんだろうな
0651人間七七四年2007/08/02(木) 02:41:36ID:NXYiydLn
小早川は寝返っていたやら・・・

三成の腹痛も治まってたろうしw
0652人間七七四年2007/08/03(金) 00:26:32ID:c91WNXvl
そんな面白いことにはならないよな。東軍の勝ちがより濃厚になるだけ
だし。手柄配分で家康はラクになったろうけど。
0653人間七七四年2007/08/06(月) 00:50:53ID:Ho28vmLa
その歴で秀忠遅参は明治維新の原因を作ったって説を言ってたな
0654人間七七四年2007/08/06(月) 15:06:38ID:n0+J3h/j
それぞれ因を考えるときりがないなぁ、おもしろいけどね。

西南戦争で官軍の会津抜刀隊の活躍にも因がある。

ちょっと違うかw
0655人間七七四年2007/08/06(月) 21:37:51ID:wlBs8UJP
幕末の話が出たのでスレ外れだけど言うと、真田三代と並んで好きな歴史上の人物が中岡慎太郎なのです。
0656人間七七四年2007/08/07(火) 15:10:31ID:awA05W3U

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/070719_20th/index.html
まったく、スレ違いになって恐縮だけど、
こういったことも時代を越えて考えさせられる。

誰が正義で誰が悪か? 複眼で見ないと、イメージだけでは判断を誤る。

0657人間七七四年2007/08/07(火) 15:20:47ID:jjtlvawt
2chのスレで正義とか悪とか言い出すこと自体すでに判断を誤ってるだろw
0658人間七七四年2007/08/09(木) 10:35:41ID:nhqsvTyo
早く“真田の本懐”が見たい〜。
0659人間七七四年2007/08/09(木) 21:51:51ID:6Z2mutpI
うちの母親の旧姓が真田なんだけど
その実家にある変なタブー。

「あんこ餅を作ってはいけない」

なんでも先祖の幸村はあんこ餅をつくっている最中に殺された
という言い伝えがあるからだそうです・・・・



聞いたときは吹いたよw
0660人間七七四年2007/08/09(木) 21:52:33ID:v78Ygz1O
先祖ほどアテにならないもんはない
0661人間七七四年2007/08/09(木) 22:14:25ID:CEz7cW4B
特に「幸村が先祖」ってのがな
0662人間七七四年2007/08/09(木) 22:17:23ID:v78Ygz1O
先祖が○○なのに、証拠がない理由・・・
1、落ち武者狩りから逃れるためになんたらかんたら
2、落とし種だからなんたらかんたら
3、お家騒動がなんたらかんたら
0663人間七七四年2007/08/10(金) 13:25:11ID:14rSRdBU
昌幸が思い描いていた家康打倒策って
なんだったんだろうな
もっとも、大阪夏の陣の状況からの大逆転は無理か
0664人間七七四年2007/08/10(金) 15:00:47ID:bPK1xJNy
於菊が病床の山之手殿を殺したのか・・・

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/trial/jiji-09X789.html
0665人間七七四年2007/08/10(金) 19:16:12ID:hsxJAQgi
真田姓で「あんこ餅を作ってはいけない」という家訓が伝わる家は在日朝鮮人だ
0666人間七七四年2007/08/11(土) 04:24:06ID:zyLj90+1
>>649 おいおい、太平の世を経験して・・・ って たった10年だし 
しかも、お互い様だろ
0667人間七七四年2007/08/11(土) 08:42:59ID:fGO8Rr8z
今年の大河で幸隆の家臣(実際は弟)の矢沢頼綱が出てないのがちと不満。
彼は真田家の重臣でしょ?
上田にも矢沢城址が残ってるしね。
0668人間七七四年2007/08/11(土) 10:38:30ID:rI9n6R7y
如何様
0669こんな名無しでは、どうしようもないよ。2007/08/11(土) 11:09:39ID:fGO8Rr8z
大河ファン
0670人間七七四年2007/08/11(土) 12:11:02ID:Y0vk7gPv
>>663
無理だな。関が原で西軍が勝つ、しかなかった。あそこが真田に
とっても分け目の戦い。信繁の武勇はあっぱれだけど、もう
体制挽回とかじゃなくて、名誉だけじゃね?
0671人間七七四年2007/08/12(日) 00:51:39ID:wn7MutNK
>>663
秀忠軍撃破後、甲斐・信濃に一気に侵攻。周辺勢力も従えて関ヶ原で疲弊した東軍を
西軍と挟撃撃破。 といった黒田官兵衛方式では。 官兵衛は単独撃破か。
0672人間七七四年2007/08/12(日) 00:55:50ID:q/S/xsnd
>>671
黒田如水の方策は関ヶ原が一日以上続いた場合の成功したかもしれない。
だけど信濃から関ヶ原なんてすぐだから無理。
0673人間七七四年2007/08/12(日) 00:58:31ID:wn7MutNK
そっか。なんか昌幸の小説でそんなこといっとたから書いてみた。
0674人間七七四年2007/08/12(日) 01:17:44ID:hexkf+jm
家康も官兵衛・昌幸も、その他の誰もたったの半日で勝負がつくとは思ってなかったよな。
0675人間七七四年2007/08/12(日) 01:23:54ID:QHJK4t2k
真田は地元でのゲリラか、篭城じゃないとな
ガチで3万は別に真田じゃなくても無理だわ
幸村みたいにバンザイアタックで”惜しかった”って評価がせいぜい
0676人間七七四年2007/08/12(日) 01:31:49ID:wn7MutNK
幸村の万歳アタックは、鉄砲装備率50%徳川軍を四散五裂させたことにより、
長篠で確立された、鉄砲の戦術的優位性をも覆すほど意義深いものらしい。
0677人間七七四年2007/08/12(日) 04:34:52ID:bfC9uJFQ
近代軍でもない限り壊滅的被害前提で戦場に臨む軍隊なんてまず
ありえないんだから戦術的に意義深いとは言いがたいと思う。

後世にそれを常態的に利用・応用しうる環境が整えられないのなら、
「地震のときに思わず巨大な箪笥を抱えて走り出した」というような、
火事場の糞力的な事例の域を出ない。
0678人間七七四年2007/08/12(日) 21:37:47ID:Bg4+Qgdv
砥石崩れを勘助の言いつけを守らなかった幸隆公のせいにされちったい!
0679人間七七四年2007/08/13(月) 06:42:47ID:xMOTvK2s
>>677
いや、天王寺だけでなくその他の合戦での鉄砲装備率も徳川方は高い。
伊達政宗は3,500丁装備してるが、騎馬鉄砲の存在はともかくとして、槍ブスマなんて
古典的な技で撃退してるとこは注目に値する。
0680人間七七四年2007/08/13(月) 09:01:09ID:kqg7k6FP
>>679
まだこんなこと信じてるヤツがいるのかよ
0681人間七七四年2007/08/13(月) 11:34:36ID:wk87HKrS
>>679
確かに鉄砲なんてたいして役に立たないよな。
幸村の鬼神の働きみればな。
0682人間七七四年2007/08/13(月) 11:47:20ID:Zb3mV8gA
真田丸の釣瓶撃ちで殺された兵が浮かばれんぞ
0683こんな名無しでは、どうしようもないよ。2007/08/14(火) 22:16:14ID:uOJwUte8
所詮歴史なんて憶測にすぎない・・・なんて事を言ったら身も蓋もなくなってしまうのだが
大河ドラマのように全体の流れはともかく、詳細の部分に至ってはどこまでが事実かなんて
誰もわかりはしない。
もちろん残された資料や発掘調査などから精度は高くはなっているものの、それでもやはり
想像の域を出ないことには間違いないだろう。
例えばテレビ・ラジオ・ネットなど、情報収集の手段は今までにないほど充実した現代でさえ
我々は自身が生きている現在の世の中で起きている出来事をどれだけ正確に把握できてるだろうか?
それを考えると、信憑性の高い資料が皆無に近い歴史は想像の産物と言っても過言ではないだろう。
それゆえ、誰がどのような見解をしてもまた許されるともいえる。
0684人間七七四年2007/08/15(水) 04:15:50ID:0N8GUSjN
真保守
0685人間七七四年2007/08/15(水) 12:06:48ID:ifPCVMVy
>>683
コピペすんなよ、大した意見じゃないからw
0686人間七七四年2007/08/16(木) 09:01:10ID:LXw5gUCk
ほんと、玄人ずらして幸村より信之のが上とかいうやつマジムカツクぜ。
家残したから上だってよ。 

家なんて残したやつは、それこそ星の数ほどいるってのによまったく。
武名を高める、名を残すことの難しさがどれほどか分かってねー奴たまんねーよな
ほんとに。 昌幸・幸村がいるから信之なんてマイナーが取り上げられてる
現実に気づけよ自称玄人が!””
0687マンキョ2007/08/16(木) 10:15:51ID:Df0ukaVU
>686
そろそろ現実と向き合おう
0688人間七七四年2007/08/16(木) 14:01:10ID:e1B7P4Bw
誤解を畏れずに申せば、“真田三代”揃って初めて他の有名処に互する実績の様な気がします。(兄弟喧嘩をさせても仕方が無いのでは…)

>>683
自分もそんな風に考えております。
0689人間七七四年2007/08/16(木) 19:38:57ID:SZJpx5EQ
家を残したからってのは、まあ信之の功績とは違うよな。
その部分は、昌幸のどちらが勝っても家を残すための手法なわけで。
とはいえ、その後の外様大名にもかかわらず、存続させたのは信之の評価点。
0690人間七七四年2007/08/16(木) 19:42:57ID:8QHREDJi
>>688
よほど間抜けなものでなければ、ひとそれぞれが自由に想像できるんですよね。
0691人間七七四年2007/08/16(木) 21:33:01ID:oq1axwlQ
香川県の寒川に幸村の子供の墓があると
ある本に書いてあったが、そこを治めてた
生駒家も奇しくも関ヶ原で親が西軍、
嫡男が東軍と分かれてたんだよな。
何か関係あるのかな
0692人間七七四年2007/08/16(木) 22:04:26ID:SZJpx5EQ
親族が東西に割れてた家って、かなりあるぜ
0693人間七七四年2007/08/16(木) 23:18:42ID:oq1axwlQ
初代 生駒親正 】
  
  木下藤吉郎(豊臣秀吉)に従い各地を転戦する。
  天正15年 讃岐国17万石の領主となる。
  天正16年 高松城を築城。城下町を建設し、高松と命名する。
  寺社に多くの寄進をし、寺社の保護を図る。
  豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役)に従軍、波引車を家紋とする故事が伝えられる。
  関ヶ原の戦いでは西軍に属する。
  戦後罪を謝し高野山にのぼる。
  高松にて死去。

昌幸と同じような立場だけど高松に帰れたんだね。
高野山管轄の九度山の真田家と何か交流が
あったかも知れない。高野山の開祖の空海が
香川出身なのでそっちの線かもしれない。
大阪城から薩摩に逃げるより香川に逃げる方
が格段に簡単だろう。
0694人間七七四年2007/08/17(金) 11:28:46ID:VhjHd5so
薩摩は宇喜多匿ってた前科があるのに真田を匿うはずも無い。
0695人間七七四年2007/08/18(土) 22:22:28ID:RhiEe3Fb
少しでもいいから真田信綱と真田昌輝のことを思い出してあげてください
0696人間七七四年2007/08/19(日) 09:14:33ID:wohvKOgy
>>695
というよりも知らんよ
どんな香具師?
0697人間七七四年2007/08/19(日) 09:56:03ID:k/BEnRqk
昌幸のお兄ちゃん
0698人間七七四年2007/08/19(日) 09:59:32ID:UvUOlxyp
真田こそが戦国最強!
それは島津も認めてる。

真田家こそが戦国のブランド。
0699人間七七四年2007/08/19(日) 10:34:57ID:fMVytZlN
そうですな
0700人間七七四年2007/08/19(日) 17:04:18ID:d0Wc/UK9
幸村は、凄過ぎるっ!!!
家康から、信濃10万石の誘いを
蹴ってるし、夏の陣では、真赤な装束で
挑み、徳川本陣突入。
壮絶な戦いの果て、討ち死。
家康もこの時ばかりは、覚悟を決めたほどに。
2回だけの合戦は、勿体無い…。
0701人間七七四年2007/08/19(日) 17:21:44ID:bh7vfIdV
ときどきでいいから真田信伊のことも思い出してあげてください
0702人間七七四年2007/08/19(日) 21:07:09ID:wohvKOgy
>>701
誰?
0703人間七七四年2007/08/19(日) 21:47:06ID:purNZzkd
>>702
家康が大坂方に真田裏切りの疑念を生ませるために、信繁に信州一国を与えると発した。
それを信繁に伝えた徳川方の使者である親戚のおっさん。

信繁は「それでは兄の石高を上回るではないか。いへやす(笑)アワレwwww」と家康の計略を見破った。
0704人間七七四年2007/08/19(日) 21:49:51ID:purNZzkd
後藤基次も同じような手口で家康に誘われたが、「光栄だが丁重にお断りしたい(笑)」とあっさりウソとばれた
0705人間七七四年2007/08/19(日) 22:50:10ID:MvxETzlr
俺は逆に自分が損をしないなら児戯に等しい策でも使い倒す家康に
しびれたな、その逸話。信繁・基次が断ろうが応じようが敵の内部
抗争を煽れるからね。
0706人間七七四年2007/08/19(日) 23:08:45ID:Wq/MVY7K
>>695
しがない“真大”厨の某としては是非、信綱・昌輝様の事も折りにつけ勉強させて頂きたいものです。

>>700
余りうるさ方の居るスレで言わんで下さい…。
どうも、真田好きは見下されがちで…。

>>705
如何様
0707人間七七四年2007/08/19(日) 23:32:04ID:4CIZObQY
>>696
長篠の戦いで二人とも戦死したよ。
0708人間七七四年2007/08/20(月) 10:49:47ID:BMWbZtq3
江戸時代、神とされた東照大権現こと徳川家康に唯一戦で勝った武田信玄
その武田信玄が唯一負けた武将が村上義清

真田三代とも合わせて恐るべし信濃武士
0709人間七七四年2007/08/20(月) 10:52:55ID:YVCMDYSL
サナダムシの「サナダ」って、やっぱこの「真田」に由来してるのですか?
0710人間七七四年2007/08/20(月) 12:06:06ID:2MOdUnX5
真田昌幸が刀の柄を巻くのに使用したことからその名がついた真田紐、
その真田紐に似ているからその名がついたサナダムシ。
0711人間七七四年2007/08/20(月) 12:26:43ID:hL7t0T4q
>>696
だから武藤家を継いでいた昌幸が急遽真田家を継いだんだよ。

>>701
真田太平記だとちょっと活躍するよね。

>>710
紀州九度山蟄居中に作ったんだよね。
0712人間七七四年2007/08/20(月) 13:36:17ID:F9RDlS4p
>>710
俺は徳川を散々苦しめた真田の名前を、体内に寄生して人間を苦しめるサナダムシに付けたと聞いた。
どっちが正しいんだろ?
0713人間七七四年2007/08/20(月) 17:04:55ID:zjtC4h7D
米708
村上義清も真田も、上田の辺りを拠点にしてたよね。
考古学の観点からは、この地方は積石塚古墳の国内最大密集地で、朝鮮から
の渡来人の墓であると言われている。
日本には馬がいなかったので、その渡来人が馬を生産し朝廷に納めていた。
真田や村上がこうした地方を拠点にしてたのも興味深い。

あと、武田が戦国最強と言われるようになったのは、いつからなんだろ
甲陽軍鑑が原因?
0714人間七七四年2007/08/20(月) 18:07:07ID:Ubmf79z9
>>713
そ。神君家康公を破ったヲレたち(の先祖)って最強じゃね? ってことで、
武田系の貧乏御家人が甲州軍学を興した。
0715人間七七四年2007/08/20(月) 18:52:37ID:pGQNCq5c
まぁ幕府としても自分らが負けた相手が弱かったら自分らもっと弱いって話に
なるからそれはそれでいっか、どうせさっさと滅びてるし、という感じなんだろう。
0716人間七七四年2007/08/20(月) 20:46:20ID:Ve9PMVO5
いちおう高家として武田家は残っているし、スレの主題の真田家もあるけど、
高家なんて取るに足らない小大名だし、真田家も10万石の大きくはない
大名だからねぇ。

上杉クラスの30万石の外様大名として武田家が存続していたら、
ここまで持ち上げられなかったかも。
0717人間七七四年2007/08/20(月) 21:16:30ID:xl/ZBlal
10万石の大名家が小さいって?
10万石以上の大名家がどうだけあると思ってんの?
あと、高家は大名じゃない。旗本だな。
0718人間七七四年2007/08/20(月) 21:33:18ID:Dc1GxH23
国主格の基準が10万石以上だったろ?
0719人間七七四年2007/08/20(月) 23:52:13ID:D3rl/t5M
>659
幸村(信繁)は戦場で餡子餅作ってたのかw
安居神社で殺されたから安居を音読みしてアンコ?
0720人間七七四年2007/08/21(火) 01:18:21ID:r8Rt7UJY
>>712
真田紐に由来する…と云う説しか聞いたこと無いなぁ…。
因みに某学研の本のコラムに、家康・秀忠親子の死因には関節的にサナダムシが関わってたと書いてありました。
0721人間七七四年2007/08/21(火) 01:21:02ID:r8Rt7UJY
関節→間接…デシタ。   ハズカシー!
0722人間七七四年2007/08/21(火) 04:15:51ID:R1LdPbaY
>>714
大名でも、土屋、保科、真田など武田に旧縁のある連中が多いし、
井伊の家臣団ももとは武田組、そのた旗本など、旧武田系が幕臣に
多かったからじゃないか?
0723人間七七四年2007/08/21(火) 13:10:29ID:T0O90lvJ
関西人、
っていうか大阪人は信繁=幸村が好きって聞いたけど本当?
だとしたら人気度的にどのくらいの位置にいるんだろ
0724人間七七四年2007/08/21(火) 14:09:40ID:bHf2yFpz
>>723
大坂駅前に真田幸村の銅像もあるしね人気もあると思うよ。
ちなみに真田人気は信州上田市あたりが最高だよ。
0725人間七七四年2007/08/21(火) 14:55:49ID:tn5Afw/4
大阪って太閤贔屓じゃなかったのか‥orz
0726人間七七四年2007/08/21(火) 15:42:56ID:yis7mqKO
>>725
いや、だから豊臣家への忠心から大坂の陣で大活躍したわけだろ。
大阪には信繁ゆかりの名所旧跡が点在してるし、
普通に馴染みの名将なんだと思うが。
この夏休み大阪城行ったけど、真田太平記館展やってた事もあって
すごく「真田幸村」色濃かったw
0727人間七七四年2007/08/21(火) 22:03:09ID:r8Rt7UJY
>>726
> この夏休み大阪城行ったけど、真田太平記館展やってた事もあって

なんと!其の様な物が!?
いつまでやってそうでした?
0728人間七七四年2007/08/21(火) 22:26:32ID:njCrlU1G
726ではないが9/2まで開催しているよ。
0729人間七七四年2007/08/22(水) 01:28:23ID:3njIdsWI
大阪人は秀吉を地元の人だとは思ってない
名古屋の人だと思っている
0730人間七七四年2007/08/22(水) 12:16:53ID:BOaCnlSi
>>728
忝ない…(こんな字なんだな)
0731人間七七四年2007/08/23(木) 06:39:40ID:1xGDO1ea
>>724
長野県には「信濃の国」という県の歌があって、小学生から音楽の授業で習う。
長野県の地形・風土・偉人等を歌うものだが、何故か幸村や村上義清が出てこない。

また、自分は長野県南部の人間だが、京都で学生してた時、酒の席でそれぞれの地元の戦国武将を
挙げる事があったが、すぐに思いつかなかった。逆に大阪出身の先輩が幸村の名前を出してくれて
幸村を手放しで誉めてた。

自分の勉強不足もあるが長野県全体では、一般的に幸村は英雄視されてないのかもしれない。
0732人間七七四年2007/08/23(木) 11:12:36ID:BDr0ybBK
>>726
>>727
僕はこの夏上田市にある真田太平記館のほうに行ってきたよ。
大阪城のは出張サービスらしい。
0733長野移民系埼玉人2007/08/23(木) 12:38:40ID:rT4ce05e
>>731
長野県は広い。
南信と北信では別の県と云っても良いくらいですから。

中央本線ラインと旧信越本線ラインとでは帰属意識が全然違いますからな。
0734人間七七四年2007/08/23(木) 16:27:41ID:Qh7r6vly
村上よしきよは長野の中でもかなりマイナーだぞ
幸村は東信地方ではかなりのもの
信濃の国なんか関係ないでしょ
0735人間七七四年2007/08/23(木) 17:56:03ID:BDr0ybBK
>>733
僕なんて南から北までほとんど長野を廻ったぞ。
>>734
村上義清は郷土防衛できなかったら嫌われてるらしいよ。
上田市はいった瞬間真田幸村公とか真田十勇士の旗ばっかりたってるぞ。
御当地の観光スポット風林火山を忘れるくらい。
0736人間七七四年2007/08/23(木) 18:09:13ID:PrpDu4xi
その代わり、長野市松代に行っても、全然真田真田していないんだよなぁ。
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