真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 22:01:41ID:q8wDMrw00570人間七七四年
2007/07/10(火) 11:13:06ID:9JlxrAi4覇権?w を争う基礎さえないわけさ。基礎を作るには晴信に付くしか
なく、あとはどこで裏切るかだがタイミングは難しいぞ。長尾(上杉)・
北条、時が下れば織田の動向を見極めなければならない。非現実的な
ギャンブルなんだよ。誰も武田が全く無くなるなんてそうそう予想できん。
0571人間七七四年
2007/07/10(火) 13:02:07ID:2jFKYOcuそうですね、秀吉は後ろ盾がなかったから織田に与してw地位と実力を
築き上げましたね。で、どの辺が「それを言ったら」にかかるのか教えて
くださいますかね?
主君がどこであろうと下手に裏切れませんし、山内上杉についたところで
武田時代以上の地位を手にできるかといわれればノーですね。信濃攻略に
おける重要なファクターだから優遇されたわけですし。
0572人間七七四年
2007/07/10(火) 14:43:55ID:XxPO+QZz第一次上田合戦の上州において、北条の大軍を撃退とか。
彼我の戦力差・後詰めの有無・戦法など、不明点は多いが、
実力は昌幸に劣るものではない。
0573人間七七四年
2007/07/10(火) 21:14:19ID:f71xPfbx渋かったッス。
某は単なる“真田太平記(TV版)”厨…御不興の折はお捨ておき下さいませ。
0574人間七七四年
2007/07/11(水) 04:04:41ID:okrIrXIl何曜日の何時の番組だったの?
0575人間七七四年
2007/07/11(水) 06:45:42ID:rgmoN+oz宮本武蔵とナンか。三年間ということか。
0576人間七七四年
2007/07/11(水) 06:47:28ID:jX4AtU/e0577人間七七四年
2007/07/11(水) 10:07:28ID:Vi242BRJ0578人間七七四年
2007/07/11(水) 11:54:04ID:sk+jGpbhもうひとつは“壬生の恋歌”かな?
大河が暫く目先変えて明治以後を舞台にした話だったんで、其の替わりとしての枠。
けど、大河じゃないから逆にいいキャスティングが出来たシリーズだと思っとります。
中村梅之助・梅雀親子の家康・秀忠や役所さんの武蔵など自分的にはでふぉると設定。
0579人間七七四年
2007/07/11(水) 12:15:12ID:UusqLOyzあのドラマって確か真田はほとんどスルーされてるんだよな・・・
0581人間七七四年
2007/07/11(水) 16:11:49ID:LnVwaPW6おんな風林火山は奥向きの話だから、まぁ真田が出ないのは仕方ないかも。
それより、大河の武田信玄で昌幸がスルーされたのが納得いかない。
今回は昌幸の二人の兄も子役で登場済みだから、昌幸登場は期待できそう。
0582人間七七四年
2007/07/11(水) 16:47:56ID:LkxznVjb0583人間七七四年
2007/07/11(水) 17:25:42ID:ikSJqsapあと常田隆永が出てくる。
今年の大河ははなかなか芸が細かいっす
0584人間七七四年
2007/07/11(水) 18:52:19ID:Uy9b46e8ちびっ子の昌幸もちょっとだけ登場予定。
0585人間七七四年
2007/07/12(木) 00:54:18ID:kN7ZUcy80588人間七七四年
2007/07/15(日) 12:01:53ID:l/A/AHk8おお!d 吉さま主演故正規と記憶変換しておりました。
>>586
是非とも。
“風林火山”はダーク方向強めで疲れるから真田家を一服の清涼剤にしていただいて。
0589人間七七四年
2007/07/15(日) 14:01:01ID:lUKtdY5A子を産ませて自分を討つため決起しかねないって思わなかったのかな。、
宇喜多のように遠い離島に流せばまず心配ないけど、大坂に近い九度山でしょ。
実際大助が生まれてそうなった。
信之や北政所、母方の実家とかに引き取られなかったのかね。
0590人間七七四年
2007/07/15(日) 14:31:19ID:BkF0WjlX嫁さん同行とかって時々あったみたいな。
たしか、加藤忠広が改易された際に、清浄院は実家(水野勝成)に
引き取られたらしいが、正応院は配流先へ同行したみたいだし
忠広生母はたしか清浄院だったと思ったが、どっちが正室だったか
わかる?
0591人間七七四年
2007/07/15(日) 19:43:00ID:D0fihtXoいや隆清院は祖母が健在だが
0592人間七七四年
2007/07/16(月) 15:48:22ID:ocJsZe3W昌幸の正室は今出川家となってるけど
今出川家は清華家ですごい貴族なのに
田舎のそれも陪臣の家に嫁に出すなんていくら落ちぶれててもあったんだろうか
0593人間七七四年
2007/07/16(月) 16:15:18ID:C2pXRs2s0594人間七七四年
2007/07/16(月) 16:36:10ID:Ffkkgwnd大方幸村を持ち上げるための作り話。
0595人間七七四年
2007/07/16(月) 18:04:54ID:/wVoqTXn0597人間七七四年
2007/07/16(月) 20:06:22ID:ftu8LhSB0598人間七七四年
2007/07/17(火) 00:42:23ID:9cpJl9/oただ今出川(=菊亭)晴季に晴信の妹が嫁いでいるので、
ツテはなくもない
0599人間七七四年
2007/07/17(火) 00:59:33ID:MQRUJy4k0601人間七七四年
2007/07/17(火) 09:04:44ID:8t/mYWB50602人間七七四年
2007/07/17(火) 17:19:46ID:Fr6iip+a0603人間七七四年
2007/07/17(火) 22:06:45ID:MQRUJy4k信繁の母は山手殿が定説。ただし異説もある。
0604人間七七四年
2007/07/17(火) 23:18:00ID:Fr6iip+a>>603
実子である方が定説なのは勉強になりました。
此れからも史実について本スレにて勉強させて頂きまする。
0605人間七七四年
2007/07/20(金) 17:36:24ID:KdiwdrcM0607人間七七四年
2007/07/20(金) 20:42:24ID:jgqjYrdn真田太平記ではそうなっているけど、根拠はわからない。
「○○の史料に書かれていた」という記述は、一度も読んだことがないし。
単なる俗説か、誰かの創作じゃないのかな。
0608人間七七四年
2007/07/21(土) 04:25:16ID:ppGEM9QH真田十勇士が忍者衆だからマジカッコイイ
0609人間七七四年
2007/07/21(土) 10:40:07ID:w8ujknWfちと違う気が。あくまで嘘なんだが、リアルっぽさが基本でしょう。
0610人間七七四年
2007/07/21(土) 21:43:13ID:a5bpvumc0611人間七七四年
2007/07/22(日) 11:22:04ID:kOFoQEJe0612人間七七四年
2007/07/22(日) 19:14:53ID:2uqhlfFO信綱を主君として
昌輝を猛将に
武藤喜兵衛(昌幸だがあえてこうかく)を軍師にして
を三本の矢の如く真田家を盛り立てていこうと
ビジョンがあったんだろうな。
昌幸の知略を見抜いたからこそ、武田家に人質としてわたし、
そこで親友の山本勘助に軍略を学んだと思われ。
真田太平記に信之が父・昌幸を語ってるが
”父は戦場を読む事に関しては(忍びを使って)抜群だが、
ゆえに時勢の流れを読むのが疎い”と称してた。
幸隆も昌幸は政治家ではなく軍師としてのビジョンしか
なかったからそれもやむえないが。
0613人間七七四年
2007/07/22(日) 19:21:14ID:2uqhlfFO(勝頼も主君としての評価はイマイチだが、猛将としての
評価が個人的には強いし)猛将への憧れが強く
息子に信玄の亡き弟の名をつけて、信之を主君として
信繁は猛将として育て感がある。
で信繁自信も山県昌景に憧れの念を抱いて赤備えにしたし
0614人間七七四年
2007/07/22(日) 19:49:35ID:XR99JKDa勘助の存在さえ怪しいのに、断言するのは如何なモノ? すごく主観
入ってるし。
0615人間七七四年
2007/07/22(日) 20:30:45ID:HYZ5WFmp勘助は存在する、架空の人物ではない。
昌幸の軍略は信玄の眼とまでいわれるくらいだしな。
幸隆に調略は素晴らしいがそこまでの軍略はない。
0616人間七七四年
2007/07/22(日) 21:40:06ID:Q9VTT21A0617人間七七四年
2007/07/23(月) 01:53:41ID:vY0kl1ZKああ、いつもそこ訂正メンドクサイんだよな。いるのはいたよ。
だから大河で扱われてるような、そんな重要なポジションだったかは
疑問、というのは常識。
0618人間七七四年
2007/07/23(月) 03:55:21ID:JsrjMgOI武田への思い入れはあったんだろうけどな。
0619人間七七四年
2007/07/23(月) 18:04:32ID:7TFotPXHんで、武田の代表的な謀臣ポジションが欲しかった後世の史家や小説家が
「軍師」や「忍者」の勘助を作ったと。
0620人間七七四年
2007/07/23(月) 22:38:11ID:Lehk2iqG武田軍は無謀にも特攻、全部鉄砲で死亡。
はたまた酷いのになると1万5千で上洛とかあって)
情報がいろいろ錯綜してるけど
昌輝が織田の柵を1つ突破したが、銃などで討死に
で、撤退命令により、信長軍の執拗な追撃にあい、勝頼をかばって信綱討死に
昌幸は説1・軍師のような立場なので勝頼の側にいたから助かった。
説2・病気ということで長篠には参戦してない。
説3・説2の追加だが、武藤家からは誰もでないのは申し訳ないから
9歳の信幸が代わりに参戦。(当然、後方待機で助かった)
ようは足利高氏が新田の鎌倉攻めのさいに息子を形だけでも
(新田だけに手柄を独占させないため)参戦させたような感じで。
で、いいのかな?俺の読んでる資料のほとんどが
武田騎馬隊が無謀な・・・とか3段討ちで壊滅とか・・・ばっかだから。
0621人間七七四年
2007/07/24(火) 06:33:35ID:nF8YM31a現在、歴史マニア(まぁ、戦国ヲタとは言わない)の間ではどう云う展開が一番有力なんですかね?
0622人間七七四年
2007/07/24(火) 12:03:41ID:uL1tussM普通に考えれば真田と無関係に勝頼の傍にいた、だろう。
その立場が軍師だったのか単に馬廻みたいなものだったのかはともかく。
0623人間七七四年
2007/07/24(火) 22:39:52ID:2a3bmHWB0624人間七七四年
2007/07/25(水) 17:09:07ID:VpIbsZlM0625人間七七四年
2007/07/25(水) 17:50:04ID:0cLEGpok0627人間七七四年
2007/07/25(水) 20:20:18ID:9DtsMwIB信綱の子が信興、昌輝の子が信正だっけ。
信正は越前松平家に仕えたらしいが信興の家系はその後どうなったのか史料はないのかな?
0628人間七七四年
2007/07/25(水) 23:31:10ID:OQC5TcScそう
信綱の子の信興、信光に関しては検索しても引っかからない
生没年は出てくるけど事実なら二人共大阪夏の陣の後も10年以上生きてる
昌幸の弟二人も徳川旗本、帰農と去就がはっきり出てくるのにね
0629人間七七四年
2007/07/26(木) 17:30:37ID:RaL+ypea“渡鬼”か!!!
0630名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 18:05:15ID:wbN7XNkz初めて“真・大”見た時は村松様などと云う姉君がいたなんて全くわからなかったし。
0631人間七七四年
2007/08/01(水) 00:06:20ID:Q0cMP+AK第二次は昌幸が凄いってよりも秀忠がアホなだけな気がする。
第一次は徳川軍を撃退したけど、更なる援軍等がくる可能性があったからね。
(家康が病に倒れて、何とか和睦に持ち込めたが)
第二次の昌幸の目的は時間稼ぎで、秀忠としても上田城を落す
必要性はないし(前回、失敗したことを考えれば)5000程度の押さえを置いて
素通りすればいいのに。なんでなんだろうね?
(しかも第二次の方が評価されてるのが気に食わない)
0632人間七七四年
2007/08/01(水) 00:53:04ID:NfdDHKqx2次で無理に攻め続けた理由は、色々いわれてるけどなぁ。
軽く捻り潰せると手を出して、そのまま負けっ放しでは、引くに引けなくなっちゃったんじゃないの。
0633人間七七四年
2007/08/01(水) 00:56:06ID:/bgMCi7V第二次上田合戦での失敗の原因となった牧野康成だが、家康の死後に破格の栄転をしてる。
ウィキペディアで「牧野康成」を検索してみてね。
第二次が評価されるのは、第一次みたいに上杉の後詰が無かったからかな?
あと兵力の差?
0634人間七七四年
2007/08/01(水) 00:58:17ID:73Biwdgn真田を潰していれば遅参しても言い訳にはなるからな
0635人間七七四年
2007/08/01(水) 01:02:19ID:HjMvRhHXお父さんの軍隊が酷い目にあってるし、
(信幸がどうこういえないのは仕方ないとしても)
本多正信や榊原康政のような立派な家臣がいたんだし。
(そもそも第一の優先事項は家康との合流なわけで)
第一次はもしもあのまま続いてたら真田は間違いなく負けてた。
(家康の病もだけど)上田城ができてまもなくて城の装備も二次の
頃と比べてしょぼかった。(実際にみたけど、上田城は平城ながら
小城だしな)
0636人間七七四年
2007/08/01(水) 01:04:36ID:1Nhnwa9M天下分け目の決戦で、結果3万8千もの大軍を関ヶ原に集結させなかったん
だから凄いのは凄いでしょ。秀忠がアホだとしても。
2・3千の領主相手に3万8千の大軍が取り巻いたら、普通しょんべんちびりまっせ。
0637人間七七四年
2007/08/01(水) 01:09:11ID:HjMvRhHXでも伊勢の諸大名や京極高次もそうやって西軍に抵抗して
(関ケ原への着陣に)影響を及ぼしたわけだが。
(特に京極高次に関しては、真田親子並に役割を果たしたわけだが)
第一次・・・負けたら真田は一貫の終わり
第二次・・・負けても信幸がいるし、何より負けてなんぼ遅延させてもうけもん。
この差は大きい。
0638人間七七四年
2007/08/01(水) 01:15:44ID:1Nhnwa9M第二次上田が評価に値しない、ただ秀忠がアホなだけって言い方は違うんじゃないか。
もちろん信之がいてもね。
0639人間七七四年
2007/08/01(水) 01:28:43ID:ZAaxTWNd第二次のが評価されるのは当然でしょ。結果的に、史上最大規模の
戦に、多くの徳川勢を間に合わせなくしたんだから。歴史に与えた
影響も込の話。
0640人間七七四年
2007/08/01(水) 01:31:35ID:HjMvRhHX兵が2・3千くらいしかいないんだから1万残しておいて先行しても
なんら問題ない。
少なくとも上記の二人は上田攻めには反対してたし、(目標はあくまで
東軍の豊臣隊と徳川本体との合流)
それに最初の”出て行く準備をするから三日猶予くれ”で騙された
時点で(というかその時点で1万残して残りは西へ行けばいいわけだし)
彼らの目的は明らかでそこで怒ってること自体が問題かと。
昌幸のモチベーションも1次は”まけるだろうなー”で
2次は”真田の軍略を見せてやる”と勝機は明らかに二次の方が高かったようだし。
0641人間七七四年
2007/08/01(水) 01:41:13ID:1Nhnwa9Mそんな評価できないかな。
当たり前のことができない秀忠=アホってな論調なんだろうけど、
当たり前のことをさせなかった、その結果天下分け目の戦に4万近い軍を
合流させなかった。 ってのは評価に値しないか?
言いたいことは分かるけどね。 あれでしょそんな感じだと幸村とかも
評価に値しないでしょ?
0642人間七七四年
2007/08/01(水) 02:47:35ID:NfdDHKqx兵力温存のため〜という説はあるけど、実益が少ないんだよな。
そもそも、小早川が寝返らなければ危なかった情勢で、そんな余裕はないし。
双方、兵力削ったところで、本隊投入を狙ってたってわけにもいかない。その前に家康が討死の可能性がある。
結局、勝ちはしたものの、活躍した外様連中に領土を分配しなくてはならなかったわけだし。
0643人間七七四年
2007/08/01(水) 09:51:35ID:Wh/z/DVHまぁ、天下分け目の大戦絡みなんだから当然ですな。
“その時、歴史〜”クオリティではありますが、秀忠遅参の影響は結局幕末に於いて徳川を滅ぼした…ってのは面白かったッス
0644人間七七四年
2007/08/01(水) 12:03:58ID:wmsSPDEQ0645人間七七四年
2007/08/01(水) 12:27:19ID:qkgwPTvq0646人間七七四年
2007/08/01(水) 12:47:36ID:BOGwSwN3その方針変更の伝令が天候不順で遅れた
あと秀秋は当日じゃなくてもっと前から東軍として動いてるんだから
家康は関が原に行ったんだし
0647人間七七四年
2007/08/01(水) 14:07:14ID:qkgwPTvq本来の目的、は(それが何にしろ)別にあったと思っても不自然じゃなかろう。
0648人間七七四年
2007/08/01(水) 14:41:14ID:BOGwSwN3先発の家康隊ものらりくらりと行軍してたし
この役は大垣やもっと大きな城かで時間のかかるものになる可能性だったあったけど
突発的な始まり方で、しかも半日で東軍が圧勝するという結果と
その方針変更を伝える伝令が悪天候で遅れたことが重なったのとが秀忠遅参には大きいってこと
小牧の役や、大阪の役からしたら数日の遅れなんて罰は受けるだろうがたいしたこと無いし
そもそも史実の秀忠遅参も不自然に罰が軽い
0649人間七七四年
2007/08/01(水) 21:29:43ID:dG+BO+8i第一次は一万足らずだけど。
でもよく見たらだいぶ違う。第一次のメンツは徳川の精鋭だし
(これが敗れても家康が病気をしなければ2万くらいの兵を
率いて上田に攻め込んだのは間違いない。それに沼田には
北条軍数万いたし)
でも第二次は3万いたけど、メンツがいわゆる2世武将が目立ったし。
あと上田城は平城だから攻め込む場合は3万いっぺんに入るのは
不可能だし。(街もそんな地形だし)せいぜい数千が攻め込んでなんぼ。
で先駆けがやられれば大軍なので後方の兵は浮き足立って混乱する
だろうな。で第一次はそれこそいくさ場を経験してきた生っ粋の徳川軍
だけど、第二次は豊臣の大平を経験して(人によってはいくさ知らずも)
統率もそんなにいいとはいえないし。
0650人間七七四年
2007/08/01(水) 21:36:29ID:LcLj51+c0651人間七七四年
2007/08/02(木) 02:41:36ID:NXYiydLn三成の腹痛も治まってたろうしw
0652人間七七四年
2007/08/03(金) 00:26:32ID:c91WNXvlだし。手柄配分で家康はラクになったろうけど。
0653人間七七四年
2007/08/06(月) 00:50:53ID:Ho28vmLa0654人間七七四年
2007/08/06(月) 15:06:38ID:n0+J3h/j西南戦争で官軍の会津抜刀隊の活躍にも因がある。
ちょっと違うかw
0655人間七七四年
2007/08/06(月) 21:37:51ID:wlBs8UJP0656人間七七四年
2007/08/07(火) 15:10:31ID:awA05W3Uhttp://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/070719_20th/index.html
まったく、スレ違いになって恐縮だけど、
こういったことも時代を越えて考えさせられる。
誰が正義で誰が悪か? 複眼で見ないと、イメージだけでは判断を誤る。
0657人間七七四年
2007/08/07(火) 15:20:47ID:jjtlvawt0658人間七七四年
2007/08/09(木) 10:35:41ID:nhqsvTyo0659人間七七四年
2007/08/09(木) 21:51:51ID:6Z2mutpIその実家にある変なタブー。
「あんこ餅を作ってはいけない」
なんでも先祖の幸村はあんこ餅をつくっている最中に殺された
という言い伝えがあるからだそうです・・・・
聞いたときは吹いたよw
0660人間七七四年
2007/08/09(木) 21:52:33ID:v78Ygz1O0661人間七七四年
2007/08/09(木) 22:14:25ID:CEz7cW4B0662人間七七四年
2007/08/09(木) 22:17:23ID:v78Ygz1O1、落ち武者狩りから逃れるためになんたらかんたら
2、落とし種だからなんたらかんたら
3、お家騒動がなんたらかんたら
0663人間七七四年
2007/08/10(金) 13:25:11ID:14rSRdBUなんだったんだろうな
もっとも、大阪夏の陣の状況からの大逆転は無理か
0664人間七七四年
2007/08/10(金) 15:00:47ID:bPK1xJNyhttp://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/trial/jiji-09X789.html
0665人間七七四年
2007/08/10(金) 19:16:12ID:hsxJAQgi0666人間七七四年
2007/08/11(土) 04:24:06ID:zyLj90+1しかも、お互い様だろ
0667人間七七四年
2007/08/11(土) 08:42:59ID:fGO8Rr8z彼は真田家の重臣でしょ?
上田にも矢沢城址が残ってるしね。
0668人間七七四年
2007/08/11(土) 10:38:30ID:rI9n6R7y0669こんな名無しでは、どうしようもないよ。
2007/08/11(土) 11:09:39ID:fGO8Rr8z■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています