真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 22:01:41ID:q8wDMrw00402人間七七四年
2007/03/18(日) 15:51:03ID:XQ2enQI90403人間七七四年
2007/03/18(日) 16:09:52ID:dlQnyZjV頬っぺたぐりぐりしたくなる
0404人間七七四年
2007/03/18(日) 19:30:40ID:8Gn7NOmi領地でしょ。
0405人間七七四年
2007/03/18(日) 20:57:08ID:dpOFGQlM0406人間七七四年
2007/03/19(月) 01:24:46ID:TNsw6VBf真田氏の旧領なんてそれよりもずっと小さいレベルと考えられているから無問題。
幸隆は一時的に箕輪城城代となってほぼ譜代の家臣と化していたわけだし。
武田氏の親族集で小山田氏みたいに郡内地方を領していたり、穴山氏みたいに
河内地方を領していたりする武田氏内の最大級の国人とは領地の大きさは
ちょっと比較にはならんけど、箕輪城城代という職責はかなり大きかったはず。
0407人間七七四年
2007/03/19(月) 01:41:37ID:zrQBPhJW信之経由で徳川の飯も食ってたのに信繁は酷い奴だな
信之も相当胃がきりきりして寿命の縮まる思いだっただろう
ん?90年以上生きたか・・・
0408人間七七四年
2007/03/19(月) 03:26:34ID:TNsw6VBf昌幸が家督継承したんだろう?
0409人間七七四年
2007/03/19(月) 04:43:06ID:eOpmEouE下り坂だし。育ちきるまで待ってる余裕はあるまい。斜陽君主を戴く家臣
としては、例えば毛利家みたいに叔父が補佐して、、なんてケースとは
違いそうだがな。
0410人間七七四年
2007/03/19(月) 05:39:03ID:ocEuzrAO信綱が死んだのは満38歳。若いといえば若いけど、そこそこの年齢。
ちなみに信綱は幸隆が満24歳のときの子だし、信幸は昌幸が満19歳のときの子。
ってことで、信綱が死んだとき信興は元服していた可能性も高いと
思うんだけど、その辺りどうなんだろ?
0411人間七七四年
2007/03/19(月) 16:46:41ID:hnLyum3L勝頼と昌幸は相性悪くなかった気がしたから、勝頼あたりが指図したという
可能性はあるんじゃないだろうか。元々武藤を継いだのも信玄の命だし。
0412人間七七四年
2007/03/19(月) 17:37:24ID:DntepaR1幸隆は長篠の1年前に死んでいます。というわけで、信綱、昌輝は親より先に死ぬという
親不孝は避けられた…
あと、武藤家から呼び戻すということは他家への口出しにもなっちゃうから、
やはり、指図できるとすれば勝頼でしょうか。真田家内のお家騒動になりかねないネタですし。
0413人間七七四年
2007/03/19(月) 21:31:02ID:KvqKk4d0滋野世紀・加沢記などの史料で信綱の娘が信幸の室(加沢記では勝頼の命で、という文がある)
になったという記述もある。
弟の信昌も加津野家に信玄の命で入れられたが、昌幸が本家を相続する時点で必要無いだろうに、
真田家に復姓している事実を見ると、そんなに重要なことでも無いと思われる>他家の相続
薀蓄スマソ。
0414人間七七四年
2007/03/19(月) 23:46:23ID:dK5Zg6V/0415人間七七四年
2007/03/20(火) 15:54:20ID:CkylncpMなるほど。実在しない可能性もあるのか。とはいえ、あの年齢だと嫡男はいそうなんだけどなぁ。
もしいなかったとしたら、それこそ信玄や勝頼が養子を入れるなりしているだろうし。
0416人間七七四年
2007/03/20(火) 21:34:03ID:IWR2IOGB昌幸が家督を継いで大名化し、信綱・昌輝の子供達の系譜が抹消・改算されている感も否めない。
ここらへんは、研究家の方々が取り上げてくれるといいのにな。
しかし肝心の信綱・昌輝の史料が少なすぎるorz
0417人間七七四年
2007/03/20(火) 23:22:57ID:fKnDuL+m徳川と戦ってた連中の名前は残りにくいだろう。
昌幸や幸村はまれなケースだからな。
0418人間七七四年
2007/03/23(金) 10:34:12ID:KIkLVL6P某ゲームの影響で稲姫の方が知名度高いかな)の3人主体でやってほしいな。
真田昌幸や本多忠勝の武勇も見せれるし。見所は、三方が原、長篠、(信之の初陣といわれる)
天目山、二度の上田の戦い、小田原攻め、信之・忠勝の真田親子への助命、
大阪の陣(信之と幸村との一騎打ちとかありえないこと考えてみる)とか
見所はおのずとある。
0419人間七七四年
2007/03/23(金) 18:56:12ID:BD6w3YgEwktk
個人的に信幸は好きな武将の一人だから、大河でも使って是非とも知名度を上げて欲しいところ
まぁ、今年はじいちゃんが出ちゃってるので、5年後くらいの展望でひとつ。
0420人間七七四年
2007/03/23(金) 20:09:06ID:koCdQFRZ真田昌幸が出陣。甲斐の国を出発するとき、そこへ源三郎、源次郎がお見送りに
きたら。そこへ武田信玄が通りかかり”昌幸の子か・・・、二人ともこの国の宝だ”
と頭をなでる。
ただ、普通の大河ならそれが第一話だけど、敗者の徳川家康にもスポットライトを
当てる。本多忠勝とかの軍議のシーンとかもアレしてあえて公平にやる。
(んで小松殿誕生で第一話終わりかな?)この話をやる場合、三英傑の中では
徳川家康に一番スポットがあたるわけだし
0421人間七七四年
2007/03/23(金) 20:13:45ID:koCdQFRZ三男でいわゆる人質状態で武田家に奉公し、仲のいい幸隆の子で
勘助の弟子の様な形ででてくるんじゃないかな?
最後の川中島の戦いで死に際におまえに全てを託すみたいな形で終わるとか?
(たしか昌幸はこの戦いが初陣のはず?)んで
続編として>>420をやって欲しいな
0422人間七七四年
2007/03/23(金) 22:43:11ID:pndMpoA3とりあえず、真田太平記を見ませう。
>>421
武藤喜兵衛は側近中の側近の奥近習六人衆の一人だし、
確かに第四次川中島が初陣だしで、ドラマ的に考えても
出てこないほうがおかしいだろうね。
0423中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/03/24(土) 20:23:31ID:pv8uGSO7通称:源太左衛門尉
生年:天文六年
没年:天正三年五月二十一日、長篠城にて戦死、享年39
追号:信綱寺殿大室道也大居士
葬地:小県郡横尾村大柏山信綱禅寺
父:真田幸隆
母:河原氏(丹波守藤原隆正妹)
室:於北(村上一門井上新左衛門養女高梨政頼妹・花翁妙栄大姉・天正八年二月十日薨)
子:与右衛門―五郎兵衛(松平昌家家中)―以後越前福井藩に伝承
子:女(信之室・信吉母)
真田昌輝
通称・別名:兵部丞・信輝
生年:
没年:天正三年五月二十一日、長篠城にて戦死
追号:風山良薫大禅定門
葬地:小県郡横尾村大柏山信綱禅寺
父:真田幸隆
母:信綱に同じ
室:
子:信武(五郎兵衛)―七之助―以後越前福井藩に伝承?
出典は「信綱寺殿御事蹟稿」
0424九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/03/24(土) 20:46:35ID:pv8uGSO7天正2年閏11月11日付「蓮華童子院宛所領安堵状」と
元亀4年(天正元年)12月22日付「河原綱家宛一字書出」と、信綱が残した書状が2通あるが
幸隆が死んですぐ家臣の河原又次郎に一字拝領の判物を発給してるから
すぐ継いだんだろ
ちなみに1574年は八月に改元してるが武田はそのまま元亀年号を使ってる
織田に対する明確な敵対表明だよな
0425人間七七四年
2007/03/25(日) 23:12:23ID:WSQDwbpQ於北は政頼の妹ではなく、娘。政頼の室も長尾氏なので違う。
高梨系図も真田家御自蹟稿しか現在は確認できない上に、近世の物なので
信憑性は無い上に、高梨の系図としても間違っている。
ついでに母・河原氏という史料は過去帖にしかないので、信憑性が低い。
あと昌輝の通称は、信憑性ヌキにすれば「越前真田系図」では徳次郎。
424>元亀元年に又次郎に綱の文字を与えている時点で、幸隆はまだ生きている。
・・・のだが、>ちなみに1574年は八月に改元してるが武田はそのまま元亀年号を使ってる
織田に対する明確な敵対表明
というのは初めて知ったけどそうなの?
0426九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/03/26(月) 21:23:31ID:GytKwYAA流石真田ともなれば詳しい奴がいるなw
御事蹟稿の史料的価値について全くの門外なのだがこの間たまたま手に入れたので
検証無しに書き込んでみた
天正年号については、元亀四年七月二十一日に信長が元号勘文を奏上し
七月二十七日に天正改元の詔が発せられ
翌二十八日に改元された。永禄から元亀への改元の時も天正を奏上しているから
信長にとっては足掛け四年でようやく達成された意義のある元号なのよ
ということで「天正」は信長主体で実施された元号なので
武田は政治的意味合いで天正の使用を拒否しているわけ
それを踏まえた上で戦国遺文をみると中々面白いぞよ
0427人間七七四年
2007/03/27(火) 00:55:08ID:DDBXdHXO0428人間七七四年
2007/03/29(木) 03:41:10ID:vV3VrRo2真田には思い入れがあるといえばあるんだが、
異常な持ち上げられ方には不自然さを感じずにはいられない。
と思っていたんだが、山岡荘八の徳川家康だと第一次上田攻めが
1ページちょっとで終わっててワロスw
しかもわざと負けてやったくらいの記述で爆笑。
0429人間七七四年
2007/03/30(金) 00:55:04ID:lDWoZeJCボンクラの集まり北条と人材的にも優れてる真田の天秤にかけて感もあるし。
(勝っても、負けてもさほど徳川の得にはならない。真田も上杉、羽柴との
同盟が確立されつつあったから。大規模には攻めれなかった事情もある)
ただこの戦いを境に北条よりも真田に傾くのは事実だし。
0430人間七七四年
2007/03/30(金) 03:26:05ID:lHdNVq+zhttp://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1175188928/l50
幸村祭り
2007 5月5日 午前11時
場所: 大阪 天王寺 安居神社
ゲスト: 真田信之氏の子孫、 後藤又兵衛氏の子孫の方々など
0431人間七七四年
2007/03/30(金) 11:48:57ID:gSAfSF/L油断も糞も昌幸の防衛が巧妙だっただけ
君は上田合戦に至る経緯わかってるか?
沼田の引渡しは西に秀吉と睨みあいしてる家康にとって東の北条との提携するには必須
北条がボンクラで真田の人材が優秀って・・・ゲームじゃないんだからさ
そもそも家康が真田と北条を秤にかけたことなんて一度もないと思うがw
0432人間七七四年
2007/03/31(土) 10:06:45ID:xTXcSlTz↓
北条が沼田や名胡桃などを欲しがる。しかし、昌幸は”北条のようなチンカス
どもに沼田等をやれるかー”と激怒。以後にらみ合い
↓
徳川は北条に沼田保証、真田にはそんなことないと二枚舌外交
(昌幸の弟が家康の家臣だったので多少の融通はできた)
というのも秀吉との戦いがあったため、信濃どころではない
↓
小牧・長久手がある程度、ケリがついたが、北条・真田は
徳川がくるのを待ってたかのように待機
↓
結果、大きい北条を取り、徳川が上田へ、北条が沼田へ
同時侵攻を画策
↓
黙ってやられるのを見過ごすわけにいかない昌幸は上杉、
そしてその先の秀吉を見据えて(当時は上杉も秀吉の傘下)同盟
信繁を差し出す
↓
ところが家康病気で上田は8千ほどで駿府を出撃
↓
昌幸、北条を含めて撃退
0433人間七七四年
2007/03/31(土) 10:17:53ID:xTXcSlTz秀吉も尾張・三河への進入も考えられたから、断念
↓
家康も秀吉の傘下に収まるで、真田との和睦に応じる
↓
(秀吉なんかに頭は下げんと)基地外ぶってた北条よりも、
戦って勝った真田に相通じるモノを感じて稲姫(当時)を信幸の
嫁にすることで同盟をはかる。
↓
(それでも)アホの北条は沼田を欲しがる
↓
できるだけ無血で終わらせたい秀吉・家康は昌幸に
沼田をあげるように要求、昌幸は認める(代わりの土地をその代わりにもらう)
↓
でも北条はアフォだから、秀吉には頭は下げない、さらに名胡桃城を要求
↓
(秀吉の調略説もあるが)アフォの北条、名胡桃を攻撃
↓
同盟を結んでた家康までも堪忍袋の緒が切れて、日本全国vs北条の戦いになる
↓
結果、北条家滅亡、結果名胡桃も沼田もとりかえし。(侵略される心配ないから)
真田家が一番ウマーって話だろ?
0434人間七七四年
2007/03/31(土) 10:21:29ID:xTXcSlTz当時の勢力分布を現代史に例えると
秀吉=アメリカ
上杉=日本
真田=韓国
北条=北朝鮮
家康=中国
特に北条のトップがアフォで、家康を切らせて辺りなんかも特に。
(中国と韓国の関係もよく似てるし)
0436人間七七四年
2007/03/31(土) 11:33:52ID:hBq0K2k30437人間七七四年
2007/04/01(日) 00:18:07ID:AWZzUnekアホの北条ねぇ・・・
いかにも真田贔屓の本を読みましたって感じだな
>戦って勝った真田に相通じるモノを感じて稲姫(当時)を信幸の
嫁にすることで同盟をはかる
同盟?明らかに真田は徳川の組下だろ
小松が養女だということを見ても家康が真田との提携をそこまで重視したとは思えん
>結果、北条家滅亡、結果名胡桃も沼田もとりかえし。(侵略される心配ないから)
真田家が一番ウマーって話だろ?
ただの結果論
別に真田>北条にはならない
0438人間七七四年
2007/04/01(日) 00:48:58ID:13Xs0wWP0439人間七七四年
2007/04/02(月) 09:30:06ID:qmrarm7Y徳川としても北条と共に秀吉と徹底抗戦というよりは北条と共に
秀吉に頭を下げるってスタンスだったのは明らか
(北条が農民になんで頭を下げないいけないと明らかに空気が読めてなかったのも確か)
真田としても豊臣が潰れた時の保険で徳川との関係を・・・みたいなのがあった。
上田攻め前の約束は”沼田を返せば、代わりにどっかやる”
家康・秀吉合同案”沼田を返せば、信濃の○○をやる(どこだが忘れたがちゃんと明記されてた)”
で、北条寄り案で真田も納得したにも関わらず、頭下げないとなられば、
例えどんな贔屓目にみても100万石大名のアフォ大名<<<<<10万石のカシコイ大名なるだろう。
(秀吉としても北条を潰す事でそれによっておこる空白を恩賞として
分け与えれる狙いもあったんだろうが)
まあ、家康・秀吉合同案がでる以前から氏政のアフォアフォぶりに家康も
サジを投げてたわけだから。(そもそも上田攻めだって、氏政がアフォだから
やる事になったんだし。氏康の頃なら単独でやってた。)
0440人間七七四年
2007/04/02(月) 17:58:50ID:2dYrZrP1真田と徳川の婚姻に関してはほぼ秀吉の命令でしょ
徳川からすれば真田くらいの小大名との縁組が大して重要だったとは思えない
当然、真田が豊臣が潰れた時の保険に徳川に接近したなんてありえない
結果的には秀吉からの命令が後に真田家(信幸)を存続させ得た訳だけどね
真田が秀吉から保障された替地は伊那郡だったと思う
名胡桃の一見に関して言えば氏政の統率が甘かったのは確かだな
ちなみに北条家は当時二百万石越えの全国二位の大大名
氏政の代には最盛期を迎えて意気軒昂、だからこそ開戦したのだろうが
結果的には滅びたことにより時勢が読めないだのアホ大名扱いされてるのは不憫じゃないか?
君の言だと北条家は秀吉に帰属したどの家よりも劣るアホってことか?
>そもそも上田攻めだって、氏政がアフォだから やる事になったんだし。氏康の頃なら単独でやってた
氏康の頃は上田城はないだろ・・・それにもろ武田の勢力圏じゃないか
それとも氏康が存命ならってことか?
大体北条が北信を取るメリットなんてないだろ
沼田に関してなら上田合戦のどさくさに出兵したりしてる(失敗してるが)
0441人間七七四年
2007/04/02(月) 17:59:26ID:2dYrZrP10442退屈@親父
2007/04/02(月) 18:15:29ID:+7f6TVp6age
0443人間七七四年
2007/04/02(月) 19:45:43ID:Em8vndAd北条って弱すぎじゃないかw
0444人間七七四年
2007/04/03(火) 08:08:29ID:+v31WkAd上杉謙信も冬越後に帰れないときは沼田に居たって話もあるし。
0445人間七七四年
2007/04/03(火) 21:33:24ID:Dqqn+BTd0446人間七七四年
2007/04/03(火) 21:40:20ID:Slb0IYVW0448人間七七四年
2007/04/04(水) 09:31:34ID:r4uJLlpI芸能人でもナンでもそうだ。。と最近悟ってきたw
0449人間七七四年
2007/04/04(水) 11:50:11ID:awgGwEXz九度山時代に女子産んでるよね。
0450人間七七四年
2007/04/06(金) 00:19:12ID:qlUQMtKb隆清院ね
菊亭晴季の娘、一の台が産んだ姫といわれ、信繁の五女、お田の方、三男、
幸信の母とされる。
自分も気になって調べたことがあるが、資料が少なすぎてよくわからん。
ただ、一説によると、秀次自害→側妾斬首の一連の騒動の中で、三成、昌幸、
佐竹義宣、北の政所が、秀次の幼い姫(隆清院とその姉)の助命運動をしたとか
0451人間七七四年
2007/04/06(金) 02:24:51ID:rQmJ6C1Mしかも徳川の与力衆なのに、豊臣政権で意外と存在感あるんだよなぁ。
上田合戦と名胡桃城事件の影響?
0452人間七七四年
2007/04/06(金) 03:03:48ID:mn/A+Kr5あるんじゃね? 厳密には時期によって違うけどさ。家康も豊臣に臣従
して真田も徳川傘下に入ったりするわけだが、潜在的な最前線ではある。
0453人間七七四年
2007/04/06(金) 11:37:56ID:lmhlP0sF山手殿が一の台の姉だとすれば、昌幸が助命嘆願したってのも頷けるけどね
彼女が菊亭の姫って説は近年信憑性が低いって言われてるけど。
0454人間七七四年
2007/04/06(金) 14:41:54ID:+aLSp994それが、この話、山手殿が菊亭の姫ではなく、三成の奥さんと姉妹
っていう説にたってる。
秀次の母、瑞龍院がまず助命嘆願し、北の政所が、せめて幼い姫だけでも
救うように三成に命じて、三成が仲のいい佐竹と、妻を通して義兄弟
にあたる昌幸を抱きこんで助命運動をした・・・・・・と、いう流れ。
逆に、この事件を利用して後の松代藩が、三成と真田が縁戚関係で
あることを隠すため、「山手殿、菊亭の姫説」を捏造したのではと・・・・・・
まぁ推測の域をでないけど
0455人間七七四年
2007/04/09(月) 13:55:47ID:ZuDx+rxb↓投票よろしくお願いします。
http://www.m-network.com/sengoku/vote/01/vote01r.cgi
0456人間七七四年
2007/04/09(月) 17:09:13ID:5GrPPwzi0457人間七七四年
2007/04/09(月) 18:45:44ID:8peQ2+6a0459人間七七四年
2007/04/12(木) 13:41:59ID:CaJi7tMAつーか、信長押さえてる兼続の人気は何なのww
0460人間七七四年:
2007/04/12(木) 18:42:19ID:ntsR9ou5俺は長曽我部元親にいれてきたぜw
0461人間七七四年
2007/04/12(木) 19:17:14ID:3IXHKMAV半外様の重臣がいいのか、武藤喜兵衛として勝頼の腹心がいいのか。
まあ、領地としては真田のほうがはるかに大きいだろうけど。
0462人間七七四年
2007/04/12(木) 20:25:33ID:3H2iB1Yl織田を潰して西に広げたのか、睨みあったまま上杉か北条にでも
食い込んだのか、によって全然違う。どっちにしても、武田が滅び
ても生き延びてんだから、武田が大きくなってもそのままでいんじゃ
ないの。
0463人間七七四年
2007/04/12(木) 20:34:41ID:ER5MaCQJあくまで真田本家があっての武藤喜兵衛だからなぁ。
武田信勝の腹心が、二男の信繁になるだけの話じゃね?
0464人間七七四年
2007/04/13(金) 01:10:38ID:0CCkUKV2と思うが、織田でも豊臣でも、古くは頼朝でも尊氏でも、中心に躍り出る
といつか斜陽となる。そのとき内部にいると共倒れの危険が増す。
織田に対する徳川的な位置につけて、別にいるほうがリスクが低い。
あくまで生き残るためってことだけどね。
0465人間七七四年
2007/04/13(金) 10:00:25ID:qYs7TyC+中央政界で絶大な権力を誇るものの、所領はせいぜい20万石。
0466人間七七四年
2007/04/14(土) 19:39:20ID:FYksbxhM↑買おうか迷ってるんだが、中身って洋泉社から出た「真説 智謀の一族真田三代」と一緒?
ぐぐったり新人物往来社も見てみたが中身に全く言及していないんで判らないんだ・・・。
0467人間七七四年
2007/04/15(日) 11:34:15ID:lyxAlr9Q全然違う。いろんな作家や研究者が書いてる、よくあるタイプの本。
0469人間七七四年
2007/04/15(日) 23:52:14ID:5MQVdR7I秀吉のところに人質に行ったのっていつ頃だっけ?
0470人間七七四年
2007/04/17(火) 15:03:40ID:GwsT33O/0471人間七七四年
2007/04/17(火) 19:13:01ID:7PaeBmA4ぶっちゃけ真田昌幸兄弟だってたぶんすげぇじゃん。でも単なる
武田配下で、上の二人は長篠に巻き込まれて死んでるし。
0472人間七七四年
2007/04/17(火) 19:17:05ID:ukGFlY5I向こうに回してあれだけしといて家を保った点が評価高いんだしなぁ。
0473人間七七四年
2007/04/20(金) 01:53:36ID:4Tu3yZMB0474人間七七四年
2007/04/20(金) 03:13:56ID:TvcxJfal0475人間七七四年
2007/04/23(月) 00:17:31ID:t2w5GCst0476人間七七四年
2007/05/10(木) 04:38:54ID:0FbEA1Y00477人間七七四年
2007/05/19(土) 19:46:50ID:v0BHbAEyやっぱタブーだったんかな?
0478人間七七四年
2007/05/19(土) 22:14:04ID:Dq6Ndo9Z大阪城の近く
0480人間七七四年
2007/05/20(日) 20:35:21ID:2IXgVbWJ石田三成・・・太閤秀吉の忠臣として徳川光圀から評価を受けた名将
真田信繁・・・後藤基次や大野治長同様、権現様である徳川家康公に逆らう無謀な狂人として触れることすらタブー
0482人間七七四年
2007/05/21(月) 23:28:28ID:PS925Ymj0483sage
2007/05/25(金) 22:28:56ID:P1wWe03yの名もお忘れなく・・・・・彼ら諜報役を担っていた忍びの存在あっての真田党。
0484人間七七四年
2007/05/25(金) 22:41:54ID:0e9xNj3o0485人間七七四年
2007/05/31(木) 18:58:34ID:khcnVTa90487人間七七四年
2007/06/14(木) 15:30:26ID:YNwDfIGCその時歴史が動いたアンコール
「我が手に郷土を〜真田昌幸・信州上田の市民戦争」
0488人間七七四年
2007/06/16(土) 10:32:43ID:LJo20IbZ0489人間七七四年
2007/06/17(日) 08:44:17ID:YLCD/vxYでもゲリラ戦の天才。挑発も天才的w
秀吉大好き家康大嫌い。行動原理は理も利も情も渾然一体。
他の作家の小説では「義の人」として描かれてるけど、どうなんでしょうね・・・
俺は俗っ気たっぷりでもお茶目で憎めない司馬遼太郎版が好きだ。
0490人間七七四年
2007/06/17(日) 17:14:02ID:Nx3dVTGQまぁ凄いことは認めるけど
島津みたいに一家ほとんど凄いからさらに凄く感じるわけで幸村だって昌幸のおかげであれだけ誇張されたと思うよ
0491人間七七四年
2007/06/17(日) 19:11:30ID:Orijvwn80492人間七七四年
2007/06/17(日) 19:35:12ID:CXezSLTg昔のごたごたより今の利益、こればかりは戦国時代から変わらん世の習いさ。
0493人間七七四年
2007/06/18(月) 14:17:07ID:szXJbyQ4江戸時代中期における改革者として代表的な4人の一人なのに
0494人間七七四年
2007/06/18(月) 18:42:10ID:EUIkC/Df0495人間七七四年
2007/06/18(月) 19:30:04ID:OhF4JCfk0496人間七七四年
2007/06/19(火) 02:13:12ID:8fI+ILGN信之は子孫には恵まれなかったとマヂで思う。
0497人間七七四年
2007/06/19(火) 03:35:25ID:78BW8UpU0498人間七七四年
2007/06/19(火) 06:28:27ID:fpcWDb/Y0499人間七七四年
2007/06/19(火) 10:08:27ID:UfbHKiZT大坂の陣の時信繁の娘を匿ってるよね。
0500人間七七四年
2007/06/19(火) 10:20:53ID:+HaCy9Qrつーか、むしろ信之の子孫より保護された血脈の方が優秀だったんではないだろうか、とも思う。
0501人間七七四年
2007/06/19(火) 10:25:12ID:njlt+9MP0502人間七七四年
2007/06/19(火) 12:12:33ID:uTwAHRpx娘たちも片倉や岩城なんかの嫁になってる。
結構みんな恵まれてるのね。
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