真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 22:01:41ID:q8wDMrw00002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 22:03:50ID:f6ptr8AG: .,r''',ラx, ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,、 .l“゚” ̄: `゚'i、 .,xネ .タ--r,#━″ .゙''''=,,
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0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 22:04:30ID:v8VBHJVw0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 22:05:54ID:7GPbHwYf結果的には良かったのだろうか。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 22:06:04ID:vGe0CY6Zあれ幸村がいないのと書こうとしたら
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 22:06:33ID:7GPbHwYf幸村=信繁
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 22:25:37ID:T8/GUWUX幸隆でなく幸綱だぞ
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 23:02:14ID:Ny0Tf2Xj0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 23:14:55ID:jjK66bbL0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/12(月) 00:06:44ID:i5qATDn9詳しい資料はないが、戸石城内にいたと思われる知人を通して裏切り工作を行った。
こうして、二度も信玄を破った義清は越後へ逃亡。この功により、小県郡の所領を安堵される。
○真田幸隆×上野諸城●
永禄6年岩櫃城、同8年嵩山城、同9年箕輪城、元亀3年白井城という堅城を次々と攻略、
いずれも城内から内通者を出して、自壊させるやりかたで、幸隆の非凡な才能が伺える。
天正7年 ○真田昌幸×藤田信吉(北条)●
沼田城を攻略するため、重要な支城となる名胡桃城・小川城を調略している、翌年沼田城開城。
天正13年 ○真田昌幸×徳川●
家康は昌幸を討伐するため7000の兵を派遣、昌幸は2000人弱でこれを迎え撃った。
昌幸は巧みな戦術で徳川軍を翻弄し、一日で1200余りの兵を討ち取り、負傷者をあわせると、
徳川軍の半数近くが戦闘不能に、家康は援軍に5000人を送るも、昌幸は決戦を避け、
ついに城を落とすことは出来なかった。
これと同時に北条は20000の兵で沼田城を攻撃するも、矢沢頼綱に撃退される。
天正18年 ○真田昌幸×北条諸城●
前田利家・上杉景勝らとともに、北条の諸城を攻撃。中央がなかなかはかどらない間に、
松井田城、箕輪城、鉢形城などを攻略した。
というように、真田幸隆・昌幸は城攻め、特に調略を得意としている、野戦が少ないのは、
武田時代は、武田軍として出陣したため、取り立てて記録には残らず、独立後は、
北条・徳川・上杉と野戦を仕掛けるにはあまりにも強大な相手に囲まれていたからだろう。
だが、信綱・昌輝・昌幸・信繁と、槍働きで評価されている者も多く、大阪の陣では
信繁の出したと伝わる昌幸の遺案を見ても野戦が下手であるとは、一概には言えない。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/12(月) 00:07:14ID:i5qATDn9武田信玄ですら、手も足も出ず、2回大敗を喫していてどうにかしなければならなかった難敵、村上義清。
武田家臣の誰一人としてどうにも出来なかった、村上義樹攻略を颯爽と現れた新参者の真田幸隆が快諾する。
戦に勝てないのならば敵重臣を寝返らせばよいと、謀略をかけてあっというまに村上義清を攻略した。
信玄公を超える智の持ち主とまで持て囃された。
○真田昌幸 × ●徳川家康
武田家滅亡後、独立し巧みな外交と類まれなる智で孤軍奮闘のまま勢力を拡大してきた真田家。
徳川家康は、真田昌幸の才能に嫉妬し強大な国力と北条との同盟を匂わせ威圧をかけ領土の割譲を迫った。
真田昌幸は恫喝に屈せず徹底抗戦も辞さない態度を取り、それを見た徳川家康は北条とともに
3万もの大軍で侵攻するが寡兵の真田に返り討ちにあい大敗をしてしまう。
神君家康公も関東の覇者北条家も真田には勝てなかった。この戦いで真田家の名声が大きく高まる。
○真田昌幸、幸村 × ●徳川本軍
故太閤への恩義のために、豊臣家の味方をした真田昌幸。
中仙道をとおってくる、徳川軍は城の割譲を迫る
だが脅しに屈しない昌幸は徳川本軍3万を騙まし討ちにしそのままその場に釘付けにして、関ヶ原の決戦には間に合わせなかった。
しかし真田家が奮闘したのに関ヶ原は豊臣側が負けてしまう。真田家を取り潰そうと考えた徳川家康だが
真田昌幸の智謀により真田信幸を徳川側に派遣し、本多忠勝や小松等といった重臣までもが反対したため徳川家も真田家を取り潰すことができなかった。
そこまで計算してしていた真田昌幸であった。
○真田幸村 × ●徳川連合軍
大阪の冬の陣。負けまくる大阪方。しかし一人奮闘していた男がいた。真田昌幸の次男、真田幸村であった。
大阪城の弱点をただ一人見抜き、真田丸を自らの手で築城。敵を撃退し続けた。 大阪城首脳部は、講和をして堀を埋められてしまった。
○真田幸村 × ●ほぼ全国の大名
堀を埋められ、全国の浪人たちは故郷に帰る中、真田幸村はあきらめなかった。
最後を華々しく飾ろうと残った手勢でほぼ唯一奮闘。伊達政宗の騎馬鉄砲隊を撃退し、松平忠直を撃破。
徳川本陣に突入し、家康を切腹寸前に追い詰めるものの力尽きる。 真田幸村が伝説化された戦いであった。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/12(月) 09:02:41ID:OW77+2Ca真田「信幸」って「信之」でもどっちでもいいの?記念館など行くと
「信之」のほうが多いからさ。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/12(月) 09:20:04ID:Rw0h2dj20014鳥屋 ◆Mzllk81HNE
2006/06/12(月) 14:17:41ID:/Vo1NsdH0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/12(月) 22:04:42ID:4C94u50R0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/13(火) 02:04:28ID:15WedfiH謀略を上手く使うと言うイメージならあるけど。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/13(火) 03:43:09ID:rXCbUgI+落城自体調略で内側から崩れるってケースばかりなんですが。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 02:45:49ID:IgTwT+SJ0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 02:24:43ID:J243KZPy幸隆は、内から崩すと言うより、
ピンポイント爆撃で無力化って気がする。
まぁ、イメージだけど。
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 17:43:06ID:AD9ssTZwらしいな。関ヶ原終わってから改名したらしい。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 20:31:26ID:xuaDLmYH沼田問題など理不尽な事には相手が徳川でも
屈しない所が好きだ。でも関ヶ原後は徳川に許しを乞う姿がな…
まあそこで終らず信繁がやってくれたから、話のいいスパイスに
なってるけどな
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 00:07:06ID:vQ5m7mO3津軽の家臣は有名かな
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 00:33:16ID:HZPvxNB/0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 00:36:53ID:vQ5m7mO3忠直もろとも尋常じゃないねw
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 15:51:12ID:gqijhTaS0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 17:39:08ID:D0NaUdfd0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 14:03:59ID:/FEJtuoM0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 16:19:28ID:9PTVnzhY群馬県吾妻郡吾妻町
三月に合併して今は東吾妻町らしいが
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 21:20:06ID:KLbjBN39俺もそうだよ。毛利勝永はマジでかっこいい。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 21:41:35ID:Ic+X8VJg0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 21:50:45ID:KyyuOU4E0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 07:58:57ID:kP/CSL0P城跡しかないけど当時の地形がそのまま残ってるのはスゴい。
近くに城みたいな温泉があるが。
0033無名武将@お腹せっぷく
2006/06/20(火) 11:28:41ID:eFTHxQnp真田宝物館には幸隆・昌幸・信之・信繁関連の宝物はほとんどなくて、あってもほとんどが複製。
宝物のほとんどが江戸時代の安定期の代物ばかりで少々ガッカリすた。
おまけに隣の真田邸は工事中・・・
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 20:05:45ID:+CEJpp/l0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 21:42:21ID:nlCxe46N0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 23:19:48ID:b4VxlIJyないっしょ。日本ほとんど全部の大名が相手だったんだぜ。福島か浅野位が
寝返っても大勢に影響はなかたはず。
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 11:58:48ID:Yd/ejzE00038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 12:24:50ID:ix/g+Qxi「幸」の字は真田家嫡男に与えられる文字。(幸村の本名は信繁)
関が原で父と弟が西軍に行き、肩身の狭かった信幸は
徳川に気を使って信之に改名した。
だから記念館などでは信之で紹介されてます。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 12:47:46ID:tpGsI2SDもっとも棟綱、幸隆以前など知るよしもないが
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 17:23:15ID:ZOjryPg+0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 18:17:26ID:kCECTd5Jだから幸隆でなく幸綱だと書いてるよ
幸綱という署名の書状しか見つかってないから、幸隆と名乗った事実は無いんだよ
だから嫡男は信綱でっしゃろ
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 19:26:56ID:CC4SNNmeそれは置いても高野山蓮華定院過去帳には「真田弾正忠幸綱…天文九已亥四月二十六日」
とあり、上野の白山神社の奥宮社殿の銘文に「大檀那幸綱信綱」とあるので幸綱で間違いないかと。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 22:59:18ID:Qsye+Sg20044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 01:24:40ID:C4iMlhUj大阪夏の陣、幸村の指示で秀頼と行動を共にし自刃。最期は潔かった、さす
幸村の息子だ、と言われたらしい。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 01:35:15ID:MAJx9wuP子の方か?!親の方か?!!!!!!
((((゜Д゜;))))ガタガタブルブル
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 15:13:57ID:owu5lGr8海野は古い一族だね
祢津・望月とともに滋野三家だとか
滋野は神魂命 ( かみむすびのみこと )の子孫 と伝えられるそうだ
無論本当の事ではないだろうが
0047奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/06/22(木) 21:39:44ID:EfeDfBsa根津甚八
望月六郎
講談ってひどいな。
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 15:30:26ID:2zfjITpL0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 16:37:05ID:g/DJn9p5有名でそ。
家康の息子がよりにもよって三成とマブダチだったしね。
家康の息子っていったって、そんな扱い受けてないんだからしゃあない。
妾腹とはいえ秀忠の兄なのにな。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 16:40:47ID:qTHjeON70051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 09:53:11ID:ztWWsYez0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 20:20:10ID:LwGPTPM3苦労人でお疲れさまって演技でした。
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 21:27:32ID:4zh5YXidあとお江がいい味出してた。苑文雀だっけか?
0054奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/06/24(土) 22:51:30ID:KBPkMWmm0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 23:48:49ID:LZGCkQ360056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/26(月) 15:55:12ID:RgNyF9PD0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/27(火) 00:07:48ID:yhS2NIX+イケメンで有名で小早川秀秋に尻穴を狙われたこともある片倉重綱が信繁の三女(梅)を連れ帰って
侍女にしてたけど、正室が死んだ後妻にした。側室違う。正室。
何で重綱が連れ帰ったんだ?拉致った?
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/27(火) 15:01:24ID:4ROeXvgL信繁が託したというのが通説だが。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/28(水) 03:24:57ID:gLtQshtN男児も連れ帰って、片倉名乗らせてまで旗本かなんかにしてたから、
託されたと見るのが妥当だろうな
というか拉致りようがないだろw
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/02(日) 08:47:49ID:I93vZu320061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/02(日) 16:47:01ID:fSoAguT+所領は沼田と上田あわせて5,6万石。しかも飛び地。
それでも立派。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/03(月) 16:44:29ID:hWJUVOZw0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/03(月) 17:23:30ID:BNup44cA>61が言ってるのは
昌幸のことでは?
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/03(月) 22:56:59ID:0O/Dq4Xz堀を埋められ、全国の浪人たちは故郷に帰る中、真田幸村はあきらめなかった。
数少ないながらも精強な手勢でほぼ唯一奮闘。伊達政宗の騎馬鉄砲隊を撃退し、松平忠直を撃破。
徳川本陣に突入し、家康を切腹寸前に追い詰める。 日本一の兵・真田幸村が伝説化された戦いであった。
家康本陣の旗印を倒し踏み躙ったのは、武田信玄と真田幸村だけである。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/03(月) 22:59:43ID:2cWFHE7t0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/03(月) 23:00:43ID:0O/Dq4Xz0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/03(月) 23:33:54ID:2cWFHE7t0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 00:03:20ID:o+x+cksZ夏の陣で奮闘した浪人他にもいるじゃん。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 03:45:02ID:dLh66rAp真田なんかより活躍した、毛利くんとか。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 03:54:30ID:dLh66rAp夏の陣じゃなくて、冬の陣だと思うけどね。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 08:31:47ID:nEAZHw7a兄ちゃんの忍従加減がむしろ神格化してあげたいぐらいだw
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 09:54:30ID:MjDHYmxy0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 19:24:37ID:TMwwo/3Y0074またべえ
2006/07/04(火) 21:00:50ID:h3Zt8owI0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 21:05:53ID:h3Zt8owI真田日ノ本一って義弘が言ったらしぃけど…
関ケ原の退却んときなんかヤバすぎやろ?
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 23:43:11ID:tNFYUGXt0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 23:46:31ID:PHK4fw2aなかなか攻撃を仕掛けられなかったみたい
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 02:12:49ID:he2O/ypT戦いが終わってから軍隊の居ない所を縫って
兵隊や副将すら捨て駒にして
命からがら生き残って
立花に情けをかけてもらった
島津は最強だな!
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 02:24:21ID:r2x5Qom00080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 06:37:46ID:U1H4Lcnu0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 13:18:21ID:BLeXWPpZ義弘の己に対する自負が感じられる
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 13:18:51ID:HPo1UOz5もし武田の勝利だったら、歴史はどう変わっていたのか
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 14:01:22ID:JJBkLOBN日本史全体の流れ変わりそうだからなぁ。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 14:39:12ID:KojK1AQ9信綱、昌輝ですね、戦死したのは
戦死しなけりゃ、昌幸は武藤家で活躍するのかな
武田がなくなるからなければね
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 09:45:52ID:0AbTjkJq0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 23:47:56ID:LASdPvMs信繁を神格化して語られる昨今真田好きの癖に信綱や昌輝や幸隆の弟矢沢頼綱とか知らんやつが多くて困る
0087奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/08(土) 00:05:00ID:Qhu0vuuz0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 00:40:36ID:xq/lO9hs小松>昌幸>幸隆>矢沢爺>信之>幸村=その他
0089奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/08(土) 00:41:38ID:u7iL2gN00090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 09:37:38ID:UF4XLjIYお前みたいな親父ばかりと思うなよ
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 11:59:43ID:0x4MNXHt全員わかるぜ。信尹とかまで知ってるぜ。
青江の太刀は一度見に行きたい。
信綱は実際、信濃衆の旗頭を務めてたんだよな、確か。一角どころか、信濃衆の中心だったはず。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 15:51:57ID:2O52L71o0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 16:25:46ID:fled7i4V正式にいつ継いだのかはわからんが、信玄が死んだ翌年に幸隆が死んだ。
それから長篠合戦までは間違いなく家督は継いでる。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 00:08:00ID:wApbPb6t違ったっけ?
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 00:20:01ID:wApbPb6t矢沢の爺がいなければ昌幸は沼田を取れなかっただろうし、
取れていたとしても第一次上田合戦で北条に取り返えされていたと思う。
一族の年長者として、当主である甥の昌幸を良く補佐し、
その子の信幸、信繁兄弟の後見として歴史に名を残す武将に育て上げた手腕は見事だと思う。
自らの子である頼康も、昌幸、信之の右腕として活躍したし。
矢沢の爺あってこその真田三代だと俺は思う。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 10:31:18ID:htgcGQV0わずかな時間にも関わらず後世に名を残した珍しい武将のようです。
有名な戦国武将は数知れず多いですが、わずか一時の戦いで天下人
を恐怖させ追い込んだ武将として有名なんですよね。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 18:53:04ID:ylM8VGpQ言い方を変えると「一発屋」。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 19:10:07ID:8whNAq1h下手に以前から活躍してたら助命嘆願も聞き入れられなかったかもしれんし、
もっと僻地とか、監視の厳しい所で大坂に行けなかったかも知れない。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 20:07:02ID:PO1TbmLd0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 20:59:59ID:mgt3rDBl0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:58:18ID:+M2yMVCrでも、勝頼を裏切るってんではなく、あらゆる可能性を想定して色々な策を打ってたんだろうけど。
勝頼を北条や織田へ差出すようなマネはしなかったと思うけどな。
主君を裏切るような不忠を働けば、自分もいずれ嵌められる事くらい、昌幸ならわかってただろうよ。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 23:54:42ID:fGb5d0Rz援軍の見込みがない籠城戦は、勝てないっていうように。
勝頼が来る来ない、どちらにしても北条に使いをやることは必要。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 17:08:01ID:qbmmhAek0104あぼーん
NGNG0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 15:45:54ID:9OYjOJEo0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 16:35:04ID:jYMM8RBV0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 20:59:11ID:djycgZPs北条は潰す
徳川対策かな?
おっとちょっと脱線かな
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 11:28:17ID:NSd0pcp4家康が小田原城を欲しがっていたという話もあるが・・・
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/30(日) 00:44:25ID:spDMsuVy0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 13:28:50ID:i8I50m4r身従する必要無しと判断したんじゃないか?
島津とかと違って領国化も完成してたし。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 00:15:04ID:ci8dMgVY堀を埋められ、全国の浪人たちは故郷に帰る中、真田幸村はあきらめなかった。
数少ないながらも精強な手勢で奮闘。伊達政宗の騎馬鉄砲隊を撃退し、松平忠直を撃破。
徳川本陣に突入し、家康を切腹寸前に追い詰める。 日本一の兵・真田幸村が伝説化された戦いであった。
家康本陣の旗印を倒し踏み躙ったのは、武田信玄と真田幸村だけである。
太閤秀吉「100万の人数を思いのままに指揮させてみたい」
将軍家康「100万石の大名に取り立てるから大坂城から出てくれ」
と戦国の雄に言わしめただけのことはあるのだ
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:51:03ID:Nlk7aigR釣りか?
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 02:15:34ID:eM6HCkaL羽柴の名前貰ってたろ?
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 11:05:24ID:CYl+4rJu0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 14:24:23ID:czJkOvce信繁(幸村)も信玄の弟を尊敬してて名をつけたんだよね昌幸が
信玄・謙信に天才と言われた幸隆格好よすぎ
信玄に、我が眼と言われた昌幸も格好よすぎ
真田の旗の六紋銭はあの世の駄賃という意味と
生涯、信玄公の恩顧を忘れぬ為と言う意味もある
真田一族の仇敵であった武田家だが、若き日の信玄の才能を見抜き
真田家の復興をたくし、忠誠を誓い仕えた隆幸は真田家の名を残した中興の祖
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 15:33:46ID:iqJoipnD秀吉の言葉はそっくりそのまま業病持ちに言った言葉でなかったか?
島津の記録は伝聞なもんで誇張もあったりするだろきっと。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 15:35:27ID:iqJoipnD100万石?信濃一国でなかったかな?
なんか、講釈そのまま信じている人みたいな・・・。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 20:38:37ID:fEmFvtnV確か
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 23:43:30ID:9/PxJaCqおまえが、確かな知識を持っていることは認めよう。
ただ「業病持ち」の表現だけはやめろ。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 23:59:17ID:dWsyopW9ほんとに言ったのかな?
でももしそれで出ていたらあのどけち家康の事だから
100万はぜったいださない
0121sage
2006/08/03(木) 00:51:55ID:ts1O2u0G家康側からは70か75万石だったと思う
0122121
2006/08/03(木) 00:52:48ID:ts1O2u0Gスマソ
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 01:03:03ID:8cHb9Wgd感じだな。幸隆、信幸の方が器は上だろ。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 02:03:31ID:YBV98SBP0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 16:28:10ID:IFvohkTS0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 21:14:23ID:8cHb9Wgd直接命令を下せる人数なら実力を発揮するが、それ以上の数になると、
中間の将を動かさないといけないからな。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 21:36:02ID:IfzXQdFgあーそれ凄い分かるわ。なんかスッキリした
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 21:48:50ID:chc5GL5p適正があるかどうかは別の問題だ。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 21:55:29ID:8cHb9Wgdやるチャンスはあったと思うけど、やらなかったからね。
やれないんだろうなと思うわけだ。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 21:56:58ID:vmsvIBLwたとえ大阪方の全軍指揮権を与えられても、オロオロして何も出来なかったと思う。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 22:37:52ID:xqoHisYGそういう連中は徳川につくか関ヶ原で没落しているし。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 22:40:45ID:3C3kLQPZしかし、かれを総大将とするのには反対する連中が多そうだな。
能力的なことでなくて、身分というか地位というか格というか豊臣政権との
かかわりにおいてというか。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 23:29:57ID:663Z10cL泳 げ よ 宇 喜 多 秀 家
が、大坂の陣の結論なんだな
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 01:56:53ID:slMJ3Kyd宇喜多秀家奪還作戦とかどーだ?w
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 09:39:38ID:NPBvhkux0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 10:59:58ID:TzSd8HjO0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 11:21:26ID:EPr7+mWz信繁はいたが、幸村は存在しない
又、幸村は江戸時代に名付けられた、信繁の異称
ここが面白いね
ttp://www.interq.or.jp/tokyo/sf46127/sub03/sub032/sub032.htm
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/05(土) 06:32:36ID:QG20fd8C大坂の陣に向け、八丈島から脱出した宇喜多秀家の生涯を描く。
第1巻 弧島:八丈島での流人の生活を描く。プライドと困窮と。
第2巻 風雲:秀家の下に、大坂の陣の報告が届く。秀家の決意は。
第3巻 黒潮:秀家に容赦なく襲い掛かる黒潮の流れ。立ち向かう秀家。
第5巻 泳法:黒潮に対抗するため、秀家が編み出した新泳法とは?
第6巻 西方:新泳法の元に、一路大坂を目指し東へと進む秀家。
第7巻 補陀洛渡海:秀家が到達した運命の海は…
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/05(土) 07:52:36ID:0fdVtEpL・゚・(ノД`)ウワーン
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/05(土) 08:00:27ID:nc1Y8Wi1@1582年 勝頼を岩櫃に迎え織田の大軍と戦う
A1600年 石田三成らとともに関が原で戦う
A1614年 大阪城に息子とともに入城し、家康を大いに苦しめる
即興でいいから誰か書いて。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/05(土) 13:36:32ID:7p0abD3M真田の勇名で口吻したい奴は、いますぐ買え!””””
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/05(土) 22:29:22ID:0CNP/5swさっそく買った、今夜眠れないよ。
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 18:23:51ID:YhaElTH+↑幸村並に神格化されている落武者って他にいるの?ぶっちゃけたいしたことないだろw
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 18:28:02ID:fXzMgJlI0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 18:28:20ID:SLsJpJQC0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 03:35:20ID:+LJu6eXu家康が目標達成目前に死んだ悲劇のヒーロー扱いになってるのと
秀忠の自由がきくようになるので改易される大名が増えたかも
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 23:16:25ID:C/9wh//x謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 21:52:32ID:OUxzHuzu0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 23:51:09ID:n1C3B57z0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 22:20:04ID:KrmA+N6s0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 23:29:09ID:xnElqMpW他の普通の国の国主より官位が低いんだよ
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 00:27:20ID:RpwFFEorそういう身分・立場・地位を築いて、危機を乗り越え
維持した能力が評価されてると思うのだが。
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 12:01:49ID:tFnnQq9w0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 04:05:22ID:QFAdphVh0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 11:23:47ID:E9jlXtup0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 11:24:58ID:E9jlXtup×勘兵衛
○官兵衛
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 14:26:33ID:8lSj6CRe大阪城内・軍議にて
昌幸「城を出て戦うべきです」
一同「昌幸殿がそう言うなら異論はありません」
オワリ
0158無名武将@お腹せっぷく
2006/09/02(土) 14:51:39ID:Wie1rmq/昌幸「城を出て戦うべきです」
淀君「秀頼公は誰が守るのじゃ?戦線が伸びきっておる上に少なき守備兵の中で関東方に攻め込まれたら何とする!
その上大坂城は太閤殿下が築きし(ry」
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 15:26:05ID:1lG/llCo部隊長としては十分過ぎるくらい有能なのはわかるが。
ゲームだと政治力も高いけど、外交的な駆け引きは
政治なんだろうか?いや政治は政治だけど。
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 15:26:56ID:8lSj6CRe昌幸の発言力と幸村の発言力の違いだろうね。
昌幸なんて、その武勇は天下に轟いていたわけだから、
まあ当時の無名の幸村のように意見を一蹴されるなんてことは
なかったと思うよ。まあ、タラレバだが。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 15:56:09ID:pWnyL/S60162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 16:24:59ID:1lG/llCo比較しようがなくね?
あえて実績で比較するなら攻め手に優れた幸隆だろうけど。
0163六紋銭
2006/09/02(土) 18:09:14ID:L7jzVNNu0164べんまる
2006/09/02(土) 23:12:57ID:Op/ZnR/eさすがNHKですばらしかった。
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 12:38:52ID:p9kjhgOYんだが、大阪の陣の幸村は、20万の軍に対して家康の目前までいってる。
急造の兵でなくて、越後兵クラスの洗練があれば家康を討ち取れていたのだろうか?
謙信いわく、手・足の如く動かせる兵はせいぜい7・8千くらいのもんだということ
なんだろうけど。幸村の鬼神の突撃で、この言葉にも信憑性があるんではと思ってしまう。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 13:49:13ID:F30sHLdN0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 21:02:25ID:VpQc6qhz0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 21:04:06ID:P2sPYIRT籠城は兵力で劣りながらも援軍が来るのを耐え、援軍が来たら挟撃に持ち込む戦術
更に当時の情勢を見ると、援軍に当たる勢力が無いのと、豊臣の勝利条件が、
家康を倒して権威が消えたときに、家康の権威で集まった兵力と同等の兵力(豊臣方)の存在に対し
外様勢が秀忠に絶対の忠義を尽くして消耗戦を繰り広げるよりも、一端終結して群雄割拠の再スタートに落ち着かせるものと思われる
昌幸が大阪に入城していたなら、全面的な野戦に持ち込むよりも
大阪+昌幸の難攻不落の威光を持って、戦わずして家康との和睦になった可能性もある
開戦しても、大砲を撃ち込まれたくらいでは、淀を叱責し降伏は起こらず
籠城しながら隙を突いての不意打ちが、幸村よりも上手く運んだと思う
和睦による不穏分子がのさばりながらも徳川の治世か
家康討ち死による数十年太平の世が遅れたか
どちらにしても冬の陣で結果が出て、夏の陣は起こらない
0169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 22:45:10ID:D9mgmQCyどうせ福島正則みたく取り潰されてるだろうから
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 00:58:06ID:C1DLuO0U0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 01:46:09ID:ljyRLyI5昌幸は軍団を率いた実績こそないが、たぶんまあ名将だろうけど
さすがに一人の人間に左右出来るような時点ではないとも思う。
時流が出来上がってたよ完全に。
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 11:17:29ID:Zio+U1h0総大将・大将・軍師と分けて
昌幸は総大将や大将としては評価できるとは思えないけど、
総大将の元に立つ軍師としては十分評価できる
信玄(勝頼に非ず)の武将だった事、上田を護った実績で発言力と信頼も他の武将より抜きでてる
総大将は秀頼(秀吉の威光)、大将として幸村や又兵衛、行長等で軍団構成が十分
豊臣の復権は無理だけど、豊臣の存続は起こりえたと思う
0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 13:13:22ID:m1385xbP0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 09:09:27ID:GXAf8SFP0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 14:44:26ID:91Q6ejE/真田昌幸の強さは遊撃軍を率いてのゲリラ戦法的な部将として
しか評価できんと思うのだが。大軍の統率に対する助言なんて
出来ないでしょ、元が地方の豪族なんだから。
あと、「信玄の部将だった」は評価にならない。「信玄公の旗下、
赫々の武功あり、感状○枚頂戴いたし候」とかなら別だが。
信玄最強説は江戸時代に徳川の軍学者が
「神君を打ち破った信玄最強じゃね?」
「オマエ頭いいな」
って流れで作ったもので、当時の信玄像は地方の有力大名の中で
強い方、ぐらいのものだったかと。
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 16:30:51ID:xYQSFyniゲリラ隊長と軍司令官に必要な資質は必ずしも一緒ではない。
人の将たる者と、将の将たる者の違いではなかろうか。
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 14:14:19ID:0wDa9DoCなかなかいい例えですね
0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 14:13:50ID:RevW2U+2昼日中から寝言ですか?wwwww
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 14:29:44ID:PITr+iiF地方豪族ってのは説得力に足らないぞ
松平家は豪族以下だったし、秀吉は農民、半兵衛・官兵衛なんか元農民に仕える程度の身分
逆に憲正は関東管領のくせにろくでもない
実際に生きていて大阪に入城したとしても、秀頼が受け入れた待遇で決まるわな
0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 00:08:36ID:YYeaEbFgそれもどうかと思うけど。家康の場合徐々に自力を広げていった結果
大軍統御できるようになった履歴を持つし。秀吉は天才としか言いよう
がないけどそれでもステップアップタイプ。二大軍師はその功績自体
やや誇張の気があるので触れないが。
「昌幸にかかれば〜」とか言ってる奴は昨日まで千から二千の兵を
率いてた奴が十万単位の軍略をまっとうできると本気で考えてるの
かと問い詰めたい。
要するに経験の裏づけのない「実力」なんて妄想以下に過ぎん。
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 02:07:27ID:J/temAGM別に昌幸が総大将になる必要はないんだよ。
軍師として発言権が高く
実戦部隊を戦術に長けた人間があと一人でも大阪方にいれば
かなり助かったと思うが。
大軍を相手に篭城するのには慣れきってる男だし
参謀にしたら経験から非常に重宝しただろう。
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 02:08:27ID:J/temAGM○実戦部隊を率いる戦術に
0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 04:10:17ID:Jx3K973K淀への恫喝役
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 05:50:47ID:VEZEZdOv安房守さん、まず淀の方と大野治長あたりを消してしまいそう (ノ∀`)
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 10:02:51ID:IyB1euSUあのな、「自分の子飼いと篭城して大軍を撃退」と「自分の同僚と
篭城して大軍を撃退」だと状況が違う。
後者だと政治的な駆け引きが必要になってくるし、部署配置なんか
もあんだけの規模なら相当大変。なんでそんなに昌幸が政治・軍事
にたけ、かつ小規模から大規模までの軍略をマスターしている、
なんて考えられんの?
謙信でさえ10万規模の軍を統率しそこなって空中瓦解してんだよ?
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 17:40:07ID:PyA5EzUW0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 21:13:27ID:kT1ia8mn真田信繁あたりが奇跡のような善戦をしても家康を討ち取れなかったわけだし
昌幸が入ったからって勝てないもんは勝てない
基本的に篭城で後詰が無いようではいづれ陥落する
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 04:58:47ID:PSrIuytpせいぜい積極策で徳川方の損害増やす程度。幸村とあんま変わらんよ。
将棋でいったら完全に詰みなんだからどうしようもない。
あの場に信長と信玄と秀吉と謙信がいても無理ぽ
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 08:53:05ID:bgzUFfFA冬は全力での力責めが出来なかった状態に、
家康が昌幸を震えるほど恐れてたってのが影響すると
落城までもっと長期戦にはもつれ込む
家康以外が総大将なら昌幸効果は無いけど
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 22:56:47ID:Vms8vhRO秀忠を戦で討ち取ってこその大坂陣。
0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:06:53ID:3KDfsTI7日本の半分くらいは徳川から離反
0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 20:55:01ID:wzyHPzO30193六紋銭
2006/09/25(月) 20:59:25ID:wzyHPzO30194奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/09/25(月) 21:25:36ID:HT5grWS4昌幸はあの印象が強すぎる。合掌。
0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 21:39:25ID:W26Rjshm秀吉いればほとんど寝返るだろ
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 21:40:02ID:X3Lj32Ix(つД`)
0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 00:35:59ID:F6PJad1K0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 04:51:40ID:Mg5zf4+s丹波昌幸様の御冥福を心からお祈り致します。
・゚・(ノД<)・゚・。
本当に泣けてきた
0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 11:20:49ID:gCHSq50P迫力・風格よかったなあ。
あと、スレ違いだが、二百三高地の
児玉源太郎役もはまってたなあ。
0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 22:00:47ID:EheWjw2Yそれはない
0201奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/09/28(木) 22:14:28ID:8vZOawV6老優が好きな人にはたまらんわな。
0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 21:25:44ID:f5F7rVkUあったとしても幸村は覚えてないだろうけど。
0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 21:38:24ID:W2MFoydhそれに父が側近とはいえ、外様の三男の次男坊に目通りを許すかな。
0204昌幸
2006/09/29(金) 22:29:48ID:Kg9Lmqig0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 23:32:15ID:5pY7EGuxというのは本当????
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 02:00:43ID:rG7a2+Ix信長や秀吉があの場にいたら大阪の陣なんて起きもせん
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 03:59:32ID:xFdJZrZIその後の一年「徳川家康が存在してる歴史」に対する知識が
がないなら何を言っても納得しないでしょう?
勉強して出直してらっしゃい。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 13:03:59ID:zmDLl28qネタにマジレス、カコワルイ!!!!
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 02:48:20ID:bzaFK80Y重臣扱いなのは信綱だから
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 05:23:33ID:0fYQ4nle209じゃないけど、側近って書いてあるやん。
信綱は、重臣として信濃衆率いてたから、側仕えは昌幸であってない?
昌輝も百足衆かなんかで、近侍してたんだっけか。
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 05:27:24ID:bzaFK80Y失礼
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:28:40ID:St8HSWGn弾正が居なかったら、ケツを掘られる役
0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 03:07:11ID:qeQQjdzN武藤喜兵衛
0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 23:54:56ID:9DafGTaSなことはない。なぜなら昌幸が男役だから。
0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 22:52:53ID:KbjV/7Eh理由は上杉に人質に出されるとき、元服前で
19歳で元服してないのはおかしいだろうということらしい
まだ弁丸を名乗ってたことを証明する書状があるそうな
0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 05:25:24ID:+d5xpkkf0217名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 05:40:18ID:INzbOg7T0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 09:02:48ID:OrUYGTiA夏の陣では、何と家康の首を討ち取り(それから一年間の家康は影武者である)、秀頼らと共に落城する大坂城から脱出し(夏の陣で死んだのは彼らの影武者である)、
薩摩に逃げ落ち島津家に匿われた
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 14:10:03ID:Jl2KMeA40220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:21:09ID:TLT0gcBs真田の鉄砲隊が家康を撃ち殺したのは本当だ
0221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:31:43ID:/3tnLlk60222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:43:44ID:jEP5KylN本当に?
つまり大阪以降の家康=真田信繁なのでしょうか?
また、それが確認できる資料はどこでしょうか?
誰か教えて〜><;
0223名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 10:54:11ID:dohADw7qぽかーん
0225名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 12:12:09ID:qkvTOcmd本物だったのか偽者だったのか
今となっては確認できない
0226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 22:27:33ID:AHBTya7G猿霧真真穴三三望海
飛隠田田山好好月野
信信 清為
之繁
0227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 00:06:23ID:gIy0lFU90228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 11:15:06ID:Jj/9RcRr詳細分かる人います?
0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 11:52:49ID:JMXZp9lA0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 12:27:47ID:mxlxWG5S0231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 00:27:53ID:L1n51Cmu上田城の真田親子は攻められても勝てそうな気がする
0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 01:45:47ID:fj75Stto0233名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 02:27:03ID:TCqlIFzs信之の方が苦労したんだろうなあ。
それでも憎みあってたわけじゃなく,
きちんと兄弟として情もあったようだし。
互いにやるべきことをやったんだろうなあ。
ただ、信之はもっと評価されてもいい存在だろうが。
0234名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 06:37:59ID:ykcedjc+佐和山攻めは全滅させるための攻めだから真田でも勝てないわな
0235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 06:39:09ID:ykcedjc+真田親子兄弟の仲のよさはいいよなw
0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 07:23:27ID:kS66Vmu40237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 10:00:01ID:X81ongNE0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 10:02:29ID:8h5FMaMshttp://game10.2ch.net/test/read.cgi/gamechara/1145428538/
秀才メガネくん ◆m1GRVE6Q.oは最高だ!
と書き込むだけで
今日の晩御飯のメニューはカレーになります。
カレーが食べたい方はどうぞ
0239名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 10:33:09ID:zLVlePrNゲームでも充分強い(というか妥当な能力値だし)
父と弟が過剰評価だから、兄も過剰評価しようってのは賛成しかねる
0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 00:47:33ID:7wBB+ZSG養子が何代もあるみたいなんですけど、信之の血は繋がっているんでしょうか?
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 01:31:39ID:f3PhYmnUほい。明治時代まで残ってるということは現在まで残ってるんじゃないかな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E6%B0%8F
こういう家系図はウィキにたくさんあるけど(徳川はじめ)書いた人は凄いわ。大変だったろう。
0242名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 01:32:30ID:f3PhYmnUってあるね。見落としてた。
0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 02:03:04ID:hAN+cDRK0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 09:07:37ID:7wBB+ZSG幸貫は母方から辿っても真田の血は流れていないのでしょうか?
0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 09:49:29ID:JzdVzuDV我が手に郷土を
〜真田昌幸・信州上田の市民戦争〜
放送日 平成18年11月15日 (水) 22:00〜22:43 総合
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 11:00:09ID:nUVbXuWj0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 12:17:12ID:6ZOFRQwx0248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 15:54:27ID:zTsj+Yd0ただ老中になれたのは、当人が養子で将軍の曾孫だったからだろうね。
0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 21:41:12ID:f3PhYmnU0250sage
2006/11/15(水) 21:48:28ID:E26WvBci0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 21:59:21ID:zTsj+Yd00252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 22:03:03ID:f3PhYmnU0253名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 22:06:07ID:M0N2yoTg津波は教育のクソ番組でやれ。
0254名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 22:15:42ID:f3PhYmnU出来事 … 関ヶ原の戦いに向かう徳川軍主力軍を真田昌幸が破る
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html
0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 22:30:34ID:zTsj+Yd0さっきまでやってた、お遍路のはそこそこおもろかったぞ
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 23:56:42ID:21r8yUA50257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 23:56:42ID:j7pWwnB4同じこと何回言うんだよ
案の定放送しないじゃないか
0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 16:37:38ID:HhRYseq60259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 14:13:33ID:kNH8Wt8mあの秀吉にも勝ってる天下の徳川を少ない兵で二度も撃退した昌之
絶望的状況の大阪で、獅子奮迅の活躍をして家康に死を覚悟させた程の信繁
そして秀忠に睨まれたりで苦労しながらも藩を存続させた信之
こいつら半官贔屓のオレのツボにぴったりと嵌ったわ
みんな仲が良いのも好きだわ
22日マジ見逃さねえ
0260名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 10:41:00ID:RPaltprh0261名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 10:54:12ID:0tsX2XQ3トンクス
今知った
放送はどこから始まりどこで終わりかな?
昌幸産まれてから信之の死まで?はたまた真田騒動まで?
0262名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 11:05:44ID:n+NxL0LX終わるのは秀忠をおっぱらうまでじゃね
0263名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 11:09:35ID:0tsX2XQ3じゃぁ昌幸オンリー?
0264名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 17:05:41ID:RPaltprh0265名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 19:13:27ID:tA56DkLm0266名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 19:46:51ID:cvNPlvns0267名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 19:56:25ID:tA56DkLmなぜか、信繁討死で完にされて、涙する信之
0268名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:20:04ID:z8CVxWSj0269名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:22:10ID:z8CVxWSj0270名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:24:06ID:qbyqHv+10271名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:38:04ID:z8CVxWSj0272名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:39:16ID:n+NxL0LX「家康と秀忠」
真田昌幸から子ども扱いされた徳川秀忠、
しかしこれは家康と秀忠の徳川軍温存による時間稼ぎという
緻密な計算だった。
0273名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:39:37ID:ikpGK5jP0274名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:47:29ID:z8CVxWSj幸村には恩賞などなんの魅力もなかっただろう 幸村は義によって立ち 徳川にひと泡ふかせることしか念頭にない!
0275名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:50:31ID:n+NxL0LX後に福島や加藤が取り潰されてるしね。あとで潰されるのがオチ
0276名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:53:40ID:cGCFVEzkwktk
0277名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:00:09ID:OgFgWV1y昌幸特集やるみたいだからすごい楽しみだ。
0278名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:04:05ID:OOUfhHFO0279名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:04:42ID:qbyqHv+10280名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:43:31ID:ikpGK5jP0281名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:44:19ID:lvC08gLOあれ欲しいよな
0282名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:46:41ID:I28Bkm7D0283名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:47:50ID:tA56DkLm知ってることばっか
0284名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:48:50ID:cGCFVEzk空気嫁カス
俺は凄く楽しめたぞ。
0285名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:51:48ID:cvNPlvns昌幸、兵農分離の時代に逆行しても得るものはあったんだな。
六文銭ジャージめさカッコヨス
0286名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:52:55ID:tA56DkLmお前が楽しめても、俺は楽しめなかったんだよ、カス
0287名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:53:59ID:CrgjupI+0288名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:54:45ID:ikpGK5jPせっかくなら赤がほしいw
0289名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:55:15ID:wRHZPsbt六文銭ジャージほしい。
上田高校
ttp://www.nagano-c.ed.jp/ueda-hs/
0290名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:58:01ID:wRHZPsbt弓道部のジャージを着た生徒さんがチラホラ。まあ生徒さんはいいんですが
(いいのかよッ!;)問題はそのジャージ!!背中に六文銭がッ!!縫い取られてるのかプリントか??でも、確かに六文銭ッ!!
p(>▽<)q。凄い欲しい→ッ!!良いなぁ〜上田高校vv(何か違うし;)。
0291名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:05:12ID:OgFgWV1y過剰に期待するもんじゃない。
詳しいのを見たいなら、真田太平記でも見ればいいこと。
この番組は大まかにしかやらないんだから。
0292名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:24:43ID:U/iyyAyM0293名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:26:43ID:I28Bkm7D0294名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:37:17ID:AaZxoW5k武将(以外でも)の家紋を背負ってる学校って他にあるんだろうか。
あんなジャージだったら迷わず武道系の部活やるよ!
にしても高校のアクセス数すごw
0295名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:47:36ID:H0OVEvPR六文銭は江戸期の創作?
0296名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 11:23:26ID:OCRpy6GCかなり遅レスだが南宗寺の家康の墓は大阪の陣とは関係なく
本能寺の変の時に家康が死んだからと言う設定のもとの
お墓と聞いた事がある。
0297名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 13:36:03ID:vIJn+zpcいい時代になったな。
0298名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 17:30:14ID:jpM26mnzそうだな。
0299名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 17:48:37ID:miYBWkfU0300名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 19:52:50ID:qsHT5hY3間違った判断ではなかったと思う
徳川軍の思惑以上に真田が強かっただけで
0301名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 20:40:23ID:wt+1tm3iみてないんですが、なんだったんです?>理由
0302名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 20:42:27ID:XQp/GwLd身内で手柄独占して、豊臣系の領地を直轄地&古参の領土にしたかったのに、
秀忠が遅れた所為で、外様やらが手柄をほとんど持っていったため、
せっかく豊臣から奪った領地を、そっちに分配しなきゃいけなくなったっていう感じだったな。
0303名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 21:11:42ID:xQ+DSS6DちょうどDVDもゆっくりみてる最中なので、よくわかる。
0304名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 21:42:26ID:jpM26mnz「そのとき歴史が動いた」はほとんどそうだ。
0305名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 21:49:49ID:5XbLIfHB0306名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 21:54:02ID:Xnte0Xziそーならないかなー
0307名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 22:50:26ID:bELRjbMo今の大河制作陣の劣化ぶりはどうしようもないので、
大河になんぞしないほうがよい。
0308名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 22:58:19ID:4m1H2Tjyそんなモン人それぞれなんだから、自分がそう思ってても
わざわざ口に出して言うなよ
0309名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 23:17:43ID:miYBWkfUいっそハリウッドでうわなにをするやめ
0310名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 00:18:06ID:trRfDQ2P信之が「後ろに回っておるぞ、そうそこだ!」
とかやるわけですなw
0311名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 00:56:59ID:9j3/WXaUの品が多いと思ったら…。
私の家は信繁殿の娘っ子を貰ってた。
(`・д・´)血が滾るぜ〜!
0312名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 01:04:54ID:trRfDQ2P0313名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 01:35:05ID:9j3/WXaU0314名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 11:30:11ID:Swh3zmqX幕府軍が圧倒的になっただろうし
0315名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 12:27:38ID:XOjAHgWj0316名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 15:32:19ID:2xCc0NnUこんなにテレビ見てニコニコしてたの久しぶり
0317名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 16:36:29ID:tBNovX6A0318名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 19:03:13ID:FzuH7RhQ0319名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 20:07:26ID:tBNovX6Aげえっ、関羽!
0320名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 17:21:23ID:wtZonjcbどう調べても信之とのつながりがない
http://www.weblio.jp/content/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E5%B9%B8%E6%B0%91
現在の真田家当主も幸民の子孫。つまり偽真田氏
0321名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 21:20:14ID:dLw2aORG0322名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 22:06:49ID:tgqDP00d0323名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 00:31:44ID:eRqx67Pu関八州の精鋭を ここに挫きし英雄の
我に至剛の誇りあり いざ百難に試みん
0324名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 00:49:36ID:Hp32BwVZなら、毘って文字の入ったジャージとかもあったらかっこよく根?
てか、喪前ら信綱もわすれてるよ・・
昌輝と信綱の兄弟も真田一族なんだからさ・・
0325名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 12:56:23ID:Th6qKfKH0326名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 14:46:19ID:6C0k93QRこれは講談臭いが他に目立つ話もないしな。
0327名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 14:59:51ID:mzDUomT7毘のジャージは見た事はないが米沢市にある全部の小学校の体育館または講堂には上杉謙信と上杉鷹山の肖像画が飾られてるよ
上越市は知らないが
0328名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 15:06:57ID:a+RRFLx57代藩主幸専が彦根藩井伊氏からの養子、8代幸貫は松平定信の子
でのちに譜代扱いになり老中になる。
0329名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 20:50:21ID:ukognRkOなんだかな〜
0330名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 21:22:35ID:oMfloBfG0331名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 01:29:27ID:MAcmCS0n邦楽板に突撃して欲しいIDだ。
歴史が動いたの再放送は金曜午前1:10から。
0332名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 13:52:49ID:XeikZY8T偽子孫が当主になっちゃってるし(´・ω・`)
0333名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 17:11:49ID:4DkNXUeX0334名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 08:10:26ID:fwFN5xFj0335名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 08:15:14ID:xP1Fhq5Tそもそも信之の男系の子孫っていないのか?
0336名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 09:35:47ID:IyqbrpXGいわゆる末期養子じゃなく、藩主が健在のうちに
後継者として取った養子なんで、別に異常でもなんでもない。
0337名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 09:44:00ID:IyqbrpXG上杉氏なんかも到底、謙信の子孫とは言いがたい血筋になってるし。
沼田藩が存続してればそちらからという可能性もあったろうけど。
0338名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 12:10:52ID:qcjCczHi江戸期の大名なんてみんなそんなもんだろ。
藩は会社みたいなもんなんだから後継者がいなくて藩が改易されるより
有力大名や幕閣の息のかかった後継者が来たほうがお家も安泰。
日本の文化じゃそう言うのは偽者とは言わんのよ。
0339名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 12:33:02ID:fwFN5xFj0340名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 15:27:58ID:KdDnv/sO0341名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 16:40:24ID:njL/D9xB江戸期には限らない
0342名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 16:26:42ID:Mt2EYQde謙信の場合、血筋といっても実子はおろか結婚すらしていないんだから仕方が無い。
それでも長尾家の血筋はキチンと受け継がれてるよ。
養子とはいえ景勝は謙信の甥。
3代目米沢藩主が実子がない状態で急死した時も甥が継いでいる。
9代目藩主の鷹山は血縁者といってもかなり上杉の血が薄いので上杉家の人間とはいえないだろうけど、後を継いだ藩主は8代目藩主の実子だから上杉の血は受け継がれてる。
真田家よりは血筋は確かだよ。
0343奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/12/01(金) 23:04:46ID:WMQ2rU1S0344名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 01:02:33ID:sdNdoqA1ただ、直系かどうかは分からん。
真田の源流は「滋野氏」だったのでは?
0345名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 10:38:11ID:8H3EnsJxあんなに孫いたのに
0346名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 10:52:27ID:XeCRg7Qr滋野氏とも海野氏とも言われている。
だから十勇士に「海野六郎」がはいってる。。。とも言われてたっけ。
0347名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 12:02:59ID:2s5A5+CW刃こぼれしてて、長篠の激戦を思うと目頭が熱くなった。
0348名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 14:11:04ID:cdNnmszE青江の太刀?
0349名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 20:15:10ID:ZYVq2tCVたぶんそれ。
宝物館じゃない所で特別展やってたもんで。刃渡りや由緒からして青江の太刀ですね。
血染めの陣羽織を見たい…
0350名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 10:47:30ID:IOD3n0mS季節だか、定期的に展示物が変わるところだっけ?
青江の太刀みたいんだけど、展示されてる時期にあわせていかなきゃとか思っていた気が。
それとも、青江の太刀クラスなら、常に展示してるだろうか。
0351名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 15:14:24ID:Npo8h8k6今週水曜からスタートして今日まで各地をそれなりに観光してきたけど、やっぱり今回の旅のメインはここ上田。
上田城、真田太平記館、上田高校以外でこのスレ的な見所ってありますか?ちなみに明日の午後位までの滞在予定です。(あんまりゆとりはないかも?)
0352名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 21:48:12ID:h+GA38I20353名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 21:53:32ID:eqIm4CU90354名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 22:56:50ID:Gg9bZKcj松代にある真田宝物館はどう?
近所に真田邸?もあるよ。
0355名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 11:15:00ID:rOqEgyCB0356名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 21:33:31ID:4RDbkAka0357名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 21:35:06ID:4RDbkAka0358名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 23:28:17ID:fszEqzqx0359名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 19:05:23ID:sAGdyM16鎮西一の猛将と言われた立花宗茂とも同い年らしい
まさに黄金世代だね
0360名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 19:10:08ID:IQAjyjdo0361名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 21:50:57ID:syjcvBFf0362名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 22:06:03ID:mbwucCyu真面目に考えたら本能寺の変のすぐ前あたりに元服しとるから本能寺世代か
0363名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 01:00:38ID:zltoDRfz0364名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 07:00:48ID:mbORCT1M0365名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 21:33:04ID:Q2FxDCWF前の3人といい、確かに粒ぞろいな年かもしれん
0366名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 19:55:20ID:zEVyGOpi0367名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 20:32:58ID:OATRsSZp0368名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 23:47:52ID:dx6bA9UO0369名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 20:29:41ID:YfBJVjKS0370名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 20:51:17ID:KVfogldJ0371C171
2007/02/02(金) 21:07:19ID:WVF7FGIQ0372名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 21:25:30ID:OYeNhHou0373名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 23:48:10ID:XQcU1CXL「真田三代」
0374名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 23:32:16ID:dxVJKsiy,,r::::::::::::〈:::::::::) ィ::::::ヽ
〃::::::::::::;r‐''´:::::::::::::::::::::ヽ::ノ
,'::;'::::::::::::::/::::::::◎:::::◎:::◎:::
l::::::::::::::::::l::::::::::◎:::::◎:::◎:::::ji
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`ー--' ヽ:::::::::::l l;;;;::::ノ
【ユッキーレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後淀殿から告白されるわ家康は老衰死するわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
0375名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 13:28:13ID:3LMXRcqhもちろんそうだけどな
十勇士はともかく、昌幸の軍功はわかりやすいだろ
0376人間七七四年
2007/02/19(月) 03:11:33ID:xkoQMlWq0377人間七七四年
2007/02/19(月) 05:08:17ID:9E21hu+8フィクションにしやすいからなぁ。
0378人間七七四年
2007/02/19(月) 08:23:31ID:YS+rnB7g幸隆はこのあと、村上に攻め込まれて、長野業正頼って落ち延びるのか・・・・
0379人間七七四年
2007/02/19(月) 12:09:08ID:FG4KyUjF0380人間七七四年
2007/02/19(月) 12:33:36ID:xcv5hWaV真田紐とサナダムシの外見が似てるだとか。
0381人間七七四年
2007/02/19(月) 17:40:09ID:FLnqqmaD0382人間七七四年
2007/02/23(金) 13:01:14ID:TBAMsVgL0383人間七七四年
2007/02/23(金) 15:12:46ID:typzG9zt0384人間七七四年
2007/02/23(金) 23:42:06ID:TBAMsVgL0385人間七七四年
2007/02/23(金) 23:52:06ID:typzG9zt東信って、完璧な定義がなにかしらんが。
0386人間七七四年
2007/02/24(土) 00:33:43ID:g+qaYyVkttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BF%A1%E5%9C%B0%E6%96%B9
0387人間七七四年
2007/02/24(土) 01:00:46ID:nksOj9ML0388真田幸村がA型
2007/02/24(土) 08:22:52ID:V2J41x9y豊臣秀吉がO型(血判から検出)、
上杉謙信がAB型(血判から検出)、
伊達政宗がB型(遺骨から検出)
武田信玄がA型(血判と碑文書から判明)
北条氏康がO型(これも同じ理由で判明)・
真田幸村がA型(これは遺髪から判明)これは間違いなく
本人のものだそうです。情報源は知り合いの研究者の方と知ってるつもりからですぜひ参考にしてください。
真田幸村A型かよ!!!http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/jinbutsu.htm
0389人間七七四年
2007/02/24(土) 20:06:32ID:Rk6iTs89あれは合コンとかで相手のパーソナルデータを聞き出すための
ちょっとした話のネタでしかないんだがな
0390人間七七四年
2007/02/27(火) 21:23:15ID:Zgtp8/l7自称幸村薩摩落ち後の子孫。
多くの掲示板やブログに出没しては長文書き込みをしている。
この人物のせいで閉鎖した掲示板も・・・
0391人間七七四年
2007/02/27(火) 21:39:01ID:Zgtp8/l7松代長国寺の真田家墓所に、幸隆・信綱・昌幸3人一緒の供養碑があるけれど、そこに昌輝の名前はありませんでした。(涙)
長国寺には、幸村・大助親子の大きな供養碑もあります。
0393人間七七四年
2007/03/01(木) 14:57:54ID:7rgsjRTD合コンネタの域を出ないが、謙信と政宗は興味深いなw 変わってる
もなぁ。今度コンパでネタにしてみよう。
0394人間七七四年
2007/03/03(土) 18:43:22ID:aGNvADQB0395人間七七四年
2007/03/04(日) 21:16:51ID:GcOexLzHくたばれ
0396人間七七四年
2007/03/12(月) 10:35:39ID:EJy8NY8b0397人間七七四年
2007/03/12(月) 15:34:10ID:lAR5xXHoなんか勘違いしているようだけど、真田vs武田諏訪村上ではなく、
佐久攻めの一環で村上が攻め込んだんだぞ? 史実でもドラマでも。
0398人間七七四年
2007/03/12(月) 20:37:34ID:xw4A+jj10399人間七七四年
2007/03/17(土) 12:13:02ID:Vq58OKFe0400人間七七四年
2007/03/17(土) 12:24:08ID:25iYqCS4聞いたところ、本当に短い期間しか展示してないみたいだなー。
0401人間七七四年
2007/03/18(日) 15:01:41ID:jw9RNpHGHPで告知されるので、チェックするといいかも。
0402人間七七四年
2007/03/18(日) 15:51:03ID:XQ2enQI90403人間七七四年
2007/03/18(日) 16:09:52ID:dlQnyZjV頬っぺたぐりぐりしたくなる
0404人間七七四年
2007/03/18(日) 19:30:40ID:8Gn7NOmi領地でしょ。
0405人間七七四年
2007/03/18(日) 20:57:08ID:dpOFGQlM0406人間七七四年
2007/03/19(月) 01:24:46ID:TNsw6VBf真田氏の旧領なんてそれよりもずっと小さいレベルと考えられているから無問題。
幸隆は一時的に箕輪城城代となってほぼ譜代の家臣と化していたわけだし。
武田氏の親族集で小山田氏みたいに郡内地方を領していたり、穴山氏みたいに
河内地方を領していたりする武田氏内の最大級の国人とは領地の大きさは
ちょっと比較にはならんけど、箕輪城城代という職責はかなり大きかったはず。
0407人間七七四年
2007/03/19(月) 01:41:37ID:zrQBPhJW信之経由で徳川の飯も食ってたのに信繁は酷い奴だな
信之も相当胃がきりきりして寿命の縮まる思いだっただろう
ん?90年以上生きたか・・・
0408人間七七四年
2007/03/19(月) 03:26:34ID:TNsw6VBf昌幸が家督継承したんだろう?
0409人間七七四年
2007/03/19(月) 04:43:06ID:eOpmEouE下り坂だし。育ちきるまで待ってる余裕はあるまい。斜陽君主を戴く家臣
としては、例えば毛利家みたいに叔父が補佐して、、なんてケースとは
違いそうだがな。
0410人間七七四年
2007/03/19(月) 05:39:03ID:ocEuzrAO信綱が死んだのは満38歳。若いといえば若いけど、そこそこの年齢。
ちなみに信綱は幸隆が満24歳のときの子だし、信幸は昌幸が満19歳のときの子。
ってことで、信綱が死んだとき信興は元服していた可能性も高いと
思うんだけど、その辺りどうなんだろ?
0411人間七七四年
2007/03/19(月) 16:46:41ID:hnLyum3L勝頼と昌幸は相性悪くなかった気がしたから、勝頼あたりが指図したという
可能性はあるんじゃないだろうか。元々武藤を継いだのも信玄の命だし。
0412人間七七四年
2007/03/19(月) 17:37:24ID:DntepaR1幸隆は長篠の1年前に死んでいます。というわけで、信綱、昌輝は親より先に死ぬという
親不孝は避けられた…
あと、武藤家から呼び戻すということは他家への口出しにもなっちゃうから、
やはり、指図できるとすれば勝頼でしょうか。真田家内のお家騒動になりかねないネタですし。
0413人間七七四年
2007/03/19(月) 21:31:02ID:KvqKk4d0滋野世紀・加沢記などの史料で信綱の娘が信幸の室(加沢記では勝頼の命で、という文がある)
になったという記述もある。
弟の信昌も加津野家に信玄の命で入れられたが、昌幸が本家を相続する時点で必要無いだろうに、
真田家に復姓している事実を見ると、そんなに重要なことでも無いと思われる>他家の相続
薀蓄スマソ。
0414人間七七四年
2007/03/19(月) 23:46:23ID:dK5Zg6V/0415人間七七四年
2007/03/20(火) 15:54:20ID:CkylncpMなるほど。実在しない可能性もあるのか。とはいえ、あの年齢だと嫡男はいそうなんだけどなぁ。
もしいなかったとしたら、それこそ信玄や勝頼が養子を入れるなりしているだろうし。
0416人間七七四年
2007/03/20(火) 21:34:03ID:IWR2IOGB昌幸が家督を継いで大名化し、信綱・昌輝の子供達の系譜が抹消・改算されている感も否めない。
ここらへんは、研究家の方々が取り上げてくれるといいのにな。
しかし肝心の信綱・昌輝の史料が少なすぎるorz
0417人間七七四年
2007/03/20(火) 23:22:57ID:fKnDuL+m徳川と戦ってた連中の名前は残りにくいだろう。
昌幸や幸村はまれなケースだからな。
0418人間七七四年
2007/03/23(金) 10:34:12ID:KIkLVL6P某ゲームの影響で稲姫の方が知名度高いかな)の3人主体でやってほしいな。
真田昌幸や本多忠勝の武勇も見せれるし。見所は、三方が原、長篠、(信之の初陣といわれる)
天目山、二度の上田の戦い、小田原攻め、信之・忠勝の真田親子への助命、
大阪の陣(信之と幸村との一騎打ちとかありえないこと考えてみる)とか
見所はおのずとある。
0419人間七七四年
2007/03/23(金) 18:56:12ID:BD6w3YgEwktk
個人的に信幸は好きな武将の一人だから、大河でも使って是非とも知名度を上げて欲しいところ
まぁ、今年はじいちゃんが出ちゃってるので、5年後くらいの展望でひとつ。
0420人間七七四年
2007/03/23(金) 20:09:06ID:koCdQFRZ真田昌幸が出陣。甲斐の国を出発するとき、そこへ源三郎、源次郎がお見送りに
きたら。そこへ武田信玄が通りかかり”昌幸の子か・・・、二人ともこの国の宝だ”
と頭をなでる。
ただ、普通の大河ならそれが第一話だけど、敗者の徳川家康にもスポットライトを
当てる。本多忠勝とかの軍議のシーンとかもアレしてあえて公平にやる。
(んで小松殿誕生で第一話終わりかな?)この話をやる場合、三英傑の中では
徳川家康に一番スポットがあたるわけだし
0421人間七七四年
2007/03/23(金) 20:13:45ID:koCdQFRZ三男でいわゆる人質状態で武田家に奉公し、仲のいい幸隆の子で
勘助の弟子の様な形ででてくるんじゃないかな?
最後の川中島の戦いで死に際におまえに全てを託すみたいな形で終わるとか?
(たしか昌幸はこの戦いが初陣のはず?)んで
続編として>>420をやって欲しいな
0422人間七七四年
2007/03/23(金) 22:43:11ID:pndMpoA3とりあえず、真田太平記を見ませう。
>>421
武藤喜兵衛は側近中の側近の奥近習六人衆の一人だし、
確かに第四次川中島が初陣だしで、ドラマ的に考えても
出てこないほうがおかしいだろうね。
0423中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/03/24(土) 20:23:31ID:pv8uGSO7通称:源太左衛門尉
生年:天文六年
没年:天正三年五月二十一日、長篠城にて戦死、享年39
追号:信綱寺殿大室道也大居士
葬地:小県郡横尾村大柏山信綱禅寺
父:真田幸隆
母:河原氏(丹波守藤原隆正妹)
室:於北(村上一門井上新左衛門養女高梨政頼妹・花翁妙栄大姉・天正八年二月十日薨)
子:与右衛門―五郎兵衛(松平昌家家中)―以後越前福井藩に伝承
子:女(信之室・信吉母)
真田昌輝
通称・別名:兵部丞・信輝
生年:
没年:天正三年五月二十一日、長篠城にて戦死
追号:風山良薫大禅定門
葬地:小県郡横尾村大柏山信綱禅寺
父:真田幸隆
母:信綱に同じ
室:
子:信武(五郎兵衛)―七之助―以後越前福井藩に伝承?
出典は「信綱寺殿御事蹟稿」
0424九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/03/24(土) 20:46:35ID:pv8uGSO7天正2年閏11月11日付「蓮華童子院宛所領安堵状」と
元亀4年(天正元年)12月22日付「河原綱家宛一字書出」と、信綱が残した書状が2通あるが
幸隆が死んですぐ家臣の河原又次郎に一字拝領の判物を発給してるから
すぐ継いだんだろ
ちなみに1574年は八月に改元してるが武田はそのまま元亀年号を使ってる
織田に対する明確な敵対表明だよな
0425人間七七四年
2007/03/25(日) 23:12:23ID:WSQDwbpQ於北は政頼の妹ではなく、娘。政頼の室も長尾氏なので違う。
高梨系図も真田家御自蹟稿しか現在は確認できない上に、近世の物なので
信憑性は無い上に、高梨の系図としても間違っている。
ついでに母・河原氏という史料は過去帖にしかないので、信憑性が低い。
あと昌輝の通称は、信憑性ヌキにすれば「越前真田系図」では徳次郎。
424>元亀元年に又次郎に綱の文字を与えている時点で、幸隆はまだ生きている。
・・・のだが、>ちなみに1574年は八月に改元してるが武田はそのまま元亀年号を使ってる
織田に対する明確な敵対表明
というのは初めて知ったけどそうなの?
0426九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/03/26(月) 21:23:31ID:GytKwYAA流石真田ともなれば詳しい奴がいるなw
御事蹟稿の史料的価値について全くの門外なのだがこの間たまたま手に入れたので
検証無しに書き込んでみた
天正年号については、元亀四年七月二十一日に信長が元号勘文を奏上し
七月二十七日に天正改元の詔が発せられ
翌二十八日に改元された。永禄から元亀への改元の時も天正を奏上しているから
信長にとっては足掛け四年でようやく達成された意義のある元号なのよ
ということで「天正」は信長主体で実施された元号なので
武田は政治的意味合いで天正の使用を拒否しているわけ
それを踏まえた上で戦国遺文をみると中々面白いぞよ
0427人間七七四年
2007/03/27(火) 00:55:08ID:DDBXdHXO0428人間七七四年
2007/03/29(木) 03:41:10ID:vV3VrRo2真田には思い入れがあるといえばあるんだが、
異常な持ち上げられ方には不自然さを感じずにはいられない。
と思っていたんだが、山岡荘八の徳川家康だと第一次上田攻めが
1ページちょっとで終わっててワロスw
しかもわざと負けてやったくらいの記述で爆笑。
0429人間七七四年
2007/03/30(金) 00:55:04ID:lDWoZeJCボンクラの集まり北条と人材的にも優れてる真田の天秤にかけて感もあるし。
(勝っても、負けてもさほど徳川の得にはならない。真田も上杉、羽柴との
同盟が確立されつつあったから。大規模には攻めれなかった事情もある)
ただこの戦いを境に北条よりも真田に傾くのは事実だし。
0430人間七七四年
2007/03/30(金) 03:26:05ID:lHdNVq+zhttp://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1175188928/l50
幸村祭り
2007 5月5日 午前11時
場所: 大阪 天王寺 安居神社
ゲスト: 真田信之氏の子孫、 後藤又兵衛氏の子孫の方々など
0431人間七七四年
2007/03/30(金) 11:48:57ID:gSAfSF/L油断も糞も昌幸の防衛が巧妙だっただけ
君は上田合戦に至る経緯わかってるか?
沼田の引渡しは西に秀吉と睨みあいしてる家康にとって東の北条との提携するには必須
北条がボンクラで真田の人材が優秀って・・・ゲームじゃないんだからさ
そもそも家康が真田と北条を秤にかけたことなんて一度もないと思うがw
0432人間七七四年
2007/03/31(土) 10:06:45ID:xTXcSlTz↓
北条が沼田や名胡桃などを欲しがる。しかし、昌幸は”北条のようなチンカス
どもに沼田等をやれるかー”と激怒。以後にらみ合い
↓
徳川は北条に沼田保証、真田にはそんなことないと二枚舌外交
(昌幸の弟が家康の家臣だったので多少の融通はできた)
というのも秀吉との戦いがあったため、信濃どころではない
↓
小牧・長久手がある程度、ケリがついたが、北条・真田は
徳川がくるのを待ってたかのように待機
↓
結果、大きい北条を取り、徳川が上田へ、北条が沼田へ
同時侵攻を画策
↓
黙ってやられるのを見過ごすわけにいかない昌幸は上杉、
そしてその先の秀吉を見据えて(当時は上杉も秀吉の傘下)同盟
信繁を差し出す
↓
ところが家康病気で上田は8千ほどで駿府を出撃
↓
昌幸、北条を含めて撃退
0433人間七七四年
2007/03/31(土) 10:17:53ID:xTXcSlTz秀吉も尾張・三河への進入も考えられたから、断念
↓
家康も秀吉の傘下に収まるで、真田との和睦に応じる
↓
(秀吉なんかに頭は下げんと)基地外ぶってた北条よりも、
戦って勝った真田に相通じるモノを感じて稲姫(当時)を信幸の
嫁にすることで同盟をはかる。
↓
(それでも)アホの北条は沼田を欲しがる
↓
できるだけ無血で終わらせたい秀吉・家康は昌幸に
沼田をあげるように要求、昌幸は認める(代わりの土地をその代わりにもらう)
↓
でも北条はアフォだから、秀吉には頭は下げない、さらに名胡桃城を要求
↓
(秀吉の調略説もあるが)アフォの北条、名胡桃を攻撃
↓
同盟を結んでた家康までも堪忍袋の緒が切れて、日本全国vs北条の戦いになる
↓
結果、北条家滅亡、結果名胡桃も沼田もとりかえし。(侵略される心配ないから)
真田家が一番ウマーって話だろ?
0434人間七七四年
2007/03/31(土) 10:21:29ID:xTXcSlTz当時の勢力分布を現代史に例えると
秀吉=アメリカ
上杉=日本
真田=韓国
北条=北朝鮮
家康=中国
特に北条のトップがアフォで、家康を切らせて辺りなんかも特に。
(中国と韓国の関係もよく似てるし)
0436人間七七四年
2007/03/31(土) 11:33:52ID:hBq0K2k30437人間七七四年
2007/04/01(日) 00:18:07ID:AWZzUnekアホの北条ねぇ・・・
いかにも真田贔屓の本を読みましたって感じだな
>戦って勝った真田に相通じるモノを感じて稲姫(当時)を信幸の
嫁にすることで同盟をはかる
同盟?明らかに真田は徳川の組下だろ
小松が養女だということを見ても家康が真田との提携をそこまで重視したとは思えん
>結果、北条家滅亡、結果名胡桃も沼田もとりかえし。(侵略される心配ないから)
真田家が一番ウマーって話だろ?
ただの結果論
別に真田>北条にはならない
0438人間七七四年
2007/04/01(日) 00:48:58ID:13Xs0wWP0439人間七七四年
2007/04/02(月) 09:30:06ID:qmrarm7Y徳川としても北条と共に秀吉と徹底抗戦というよりは北条と共に
秀吉に頭を下げるってスタンスだったのは明らか
(北条が農民になんで頭を下げないいけないと明らかに空気が読めてなかったのも確か)
真田としても豊臣が潰れた時の保険で徳川との関係を・・・みたいなのがあった。
上田攻め前の約束は”沼田を返せば、代わりにどっかやる”
家康・秀吉合同案”沼田を返せば、信濃の○○をやる(どこだが忘れたがちゃんと明記されてた)”
で、北条寄り案で真田も納得したにも関わらず、頭下げないとなられば、
例えどんな贔屓目にみても100万石大名のアフォ大名<<<<<10万石のカシコイ大名なるだろう。
(秀吉としても北条を潰す事でそれによっておこる空白を恩賞として
分け与えれる狙いもあったんだろうが)
まあ、家康・秀吉合同案がでる以前から氏政のアフォアフォぶりに家康も
サジを投げてたわけだから。(そもそも上田攻めだって、氏政がアフォだから
やる事になったんだし。氏康の頃なら単独でやってた。)
0440人間七七四年
2007/04/02(月) 17:58:50ID:2dYrZrP1真田と徳川の婚姻に関してはほぼ秀吉の命令でしょ
徳川からすれば真田くらいの小大名との縁組が大して重要だったとは思えない
当然、真田が豊臣が潰れた時の保険に徳川に接近したなんてありえない
結果的には秀吉からの命令が後に真田家(信幸)を存続させ得た訳だけどね
真田が秀吉から保障された替地は伊那郡だったと思う
名胡桃の一見に関して言えば氏政の統率が甘かったのは確かだな
ちなみに北条家は当時二百万石越えの全国二位の大大名
氏政の代には最盛期を迎えて意気軒昂、だからこそ開戦したのだろうが
結果的には滅びたことにより時勢が読めないだのアホ大名扱いされてるのは不憫じゃないか?
君の言だと北条家は秀吉に帰属したどの家よりも劣るアホってことか?
>そもそも上田攻めだって、氏政がアフォだから やる事になったんだし。氏康の頃なら単独でやってた
氏康の頃は上田城はないだろ・・・それにもろ武田の勢力圏じゃないか
それとも氏康が存命ならってことか?
大体北条が北信を取るメリットなんてないだろ
沼田に関してなら上田合戦のどさくさに出兵したりしてる(失敗してるが)
0441人間七七四年
2007/04/02(月) 17:59:26ID:2dYrZrP10442退屈@親父
2007/04/02(月) 18:15:29ID:+7f6TVp6age
0443人間七七四年
2007/04/02(月) 19:45:43ID:Em8vndAd北条って弱すぎじゃないかw
0444人間七七四年
2007/04/03(火) 08:08:29ID:+v31WkAd上杉謙信も冬越後に帰れないときは沼田に居たって話もあるし。
0445人間七七四年
2007/04/03(火) 21:33:24ID:Dqqn+BTd0446人間七七四年
2007/04/03(火) 21:40:20ID:Slb0IYVW0448人間七七四年
2007/04/04(水) 09:31:34ID:r4uJLlpI芸能人でもナンでもそうだ。。と最近悟ってきたw
0449人間七七四年
2007/04/04(水) 11:50:11ID:awgGwEXz九度山時代に女子産んでるよね。
0450人間七七四年
2007/04/06(金) 00:19:12ID:qlUQMtKb隆清院ね
菊亭晴季の娘、一の台が産んだ姫といわれ、信繁の五女、お田の方、三男、
幸信の母とされる。
自分も気になって調べたことがあるが、資料が少なすぎてよくわからん。
ただ、一説によると、秀次自害→側妾斬首の一連の騒動の中で、三成、昌幸、
佐竹義宣、北の政所が、秀次の幼い姫(隆清院とその姉)の助命運動をしたとか
0451人間七七四年
2007/04/06(金) 02:24:51ID:rQmJ6C1Mしかも徳川の与力衆なのに、豊臣政権で意外と存在感あるんだよなぁ。
上田合戦と名胡桃城事件の影響?
0452人間七七四年
2007/04/06(金) 03:03:48ID:mn/A+Kr5あるんじゃね? 厳密には時期によって違うけどさ。家康も豊臣に臣従
して真田も徳川傘下に入ったりするわけだが、潜在的な最前線ではある。
0453人間七七四年
2007/04/06(金) 11:37:56ID:lmhlP0sF山手殿が一の台の姉だとすれば、昌幸が助命嘆願したってのも頷けるけどね
彼女が菊亭の姫って説は近年信憑性が低いって言われてるけど。
0454人間七七四年
2007/04/06(金) 14:41:54ID:+aLSp994それが、この話、山手殿が菊亭の姫ではなく、三成の奥さんと姉妹
っていう説にたってる。
秀次の母、瑞龍院がまず助命嘆願し、北の政所が、せめて幼い姫だけでも
救うように三成に命じて、三成が仲のいい佐竹と、妻を通して義兄弟
にあたる昌幸を抱きこんで助命運動をした・・・・・・と、いう流れ。
逆に、この事件を利用して後の松代藩が、三成と真田が縁戚関係で
あることを隠すため、「山手殿、菊亭の姫説」を捏造したのではと・・・・・・
まぁ推測の域をでないけど
0455人間七七四年
2007/04/09(月) 13:55:47ID:ZuDx+rxb↓投票よろしくお願いします。
http://www.m-network.com/sengoku/vote/01/vote01r.cgi
0456人間七七四年
2007/04/09(月) 17:09:13ID:5GrPPwzi0457人間七七四年
2007/04/09(月) 18:45:44ID:8peQ2+6a0459人間七七四年
2007/04/12(木) 13:41:59ID:CaJi7tMAつーか、信長押さえてる兼続の人気は何なのww
0460人間七七四年:
2007/04/12(木) 18:42:19ID:ntsR9ou5俺は長曽我部元親にいれてきたぜw
0461人間七七四年
2007/04/12(木) 19:17:14ID:3IXHKMAV半外様の重臣がいいのか、武藤喜兵衛として勝頼の腹心がいいのか。
まあ、領地としては真田のほうがはるかに大きいだろうけど。
0462人間七七四年
2007/04/12(木) 20:25:33ID:3H2iB1Yl織田を潰して西に広げたのか、睨みあったまま上杉か北条にでも
食い込んだのか、によって全然違う。どっちにしても、武田が滅び
ても生き延びてんだから、武田が大きくなってもそのままでいんじゃ
ないの。
0463人間七七四年
2007/04/12(木) 20:34:41ID:ER5MaCQJあくまで真田本家があっての武藤喜兵衛だからなぁ。
武田信勝の腹心が、二男の信繁になるだけの話じゃね?
0464人間七七四年
2007/04/13(金) 01:10:38ID:0CCkUKV2と思うが、織田でも豊臣でも、古くは頼朝でも尊氏でも、中心に躍り出る
といつか斜陽となる。そのとき内部にいると共倒れの危険が増す。
織田に対する徳川的な位置につけて、別にいるほうがリスクが低い。
あくまで生き残るためってことだけどね。
0465人間七七四年
2007/04/13(金) 10:00:25ID:qYs7TyC+中央政界で絶大な権力を誇るものの、所領はせいぜい20万石。
0466人間七七四年
2007/04/14(土) 19:39:20ID:FYksbxhM↑買おうか迷ってるんだが、中身って洋泉社から出た「真説 智謀の一族真田三代」と一緒?
ぐぐったり新人物往来社も見てみたが中身に全く言及していないんで判らないんだ・・・。
0467人間七七四年
2007/04/15(日) 11:34:15ID:lyxAlr9Q全然違う。いろんな作家や研究者が書いてる、よくあるタイプの本。
0469人間七七四年
2007/04/15(日) 23:52:14ID:5MQVdR7I秀吉のところに人質に行ったのっていつ頃だっけ?
0470人間七七四年
2007/04/17(火) 15:03:40ID:GwsT33O/0471人間七七四年
2007/04/17(火) 19:13:01ID:7PaeBmA4ぶっちゃけ真田昌幸兄弟だってたぶんすげぇじゃん。でも単なる
武田配下で、上の二人は長篠に巻き込まれて死んでるし。
0472人間七七四年
2007/04/17(火) 19:17:05ID:ukGFlY5I向こうに回してあれだけしといて家を保った点が評価高いんだしなぁ。
0473人間七七四年
2007/04/20(金) 01:53:36ID:4Tu3yZMB0474人間七七四年
2007/04/20(金) 03:13:56ID:TvcxJfal0475人間七七四年
2007/04/23(月) 00:17:31ID:t2w5GCst0476人間七七四年
2007/05/10(木) 04:38:54ID:0FbEA1Y00477人間七七四年
2007/05/19(土) 19:46:50ID:v0BHbAEyやっぱタブーだったんかな?
0478人間七七四年
2007/05/19(土) 22:14:04ID:Dq6Ndo9Z大阪城の近く
0480人間七七四年
2007/05/20(日) 20:35:21ID:2IXgVbWJ石田三成・・・太閤秀吉の忠臣として徳川光圀から評価を受けた名将
真田信繁・・・後藤基次や大野治長同様、権現様である徳川家康公に逆らう無謀な狂人として触れることすらタブー
0482人間七七四年
2007/05/21(月) 23:28:28ID:PS925Ymj0483sage
2007/05/25(金) 22:28:56ID:P1wWe03yの名もお忘れなく・・・・・彼ら諜報役を担っていた忍びの存在あっての真田党。
0484人間七七四年
2007/05/25(金) 22:41:54ID:0e9xNj3o0485人間七七四年
2007/05/31(木) 18:58:34ID:khcnVTa90487人間七七四年
2007/06/14(木) 15:30:26ID:YNwDfIGCその時歴史が動いたアンコール
「我が手に郷土を〜真田昌幸・信州上田の市民戦争」
0488人間七七四年
2007/06/16(土) 10:32:43ID:LJo20IbZ0489人間七七四年
2007/06/17(日) 08:44:17ID:YLCD/vxYでもゲリラ戦の天才。挑発も天才的w
秀吉大好き家康大嫌い。行動原理は理も利も情も渾然一体。
他の作家の小説では「義の人」として描かれてるけど、どうなんでしょうね・・・
俺は俗っ気たっぷりでもお茶目で憎めない司馬遼太郎版が好きだ。
0490人間七七四年
2007/06/17(日) 17:14:02ID:Nx3dVTGQまぁ凄いことは認めるけど
島津みたいに一家ほとんど凄いからさらに凄く感じるわけで幸村だって昌幸のおかげであれだけ誇張されたと思うよ
0491人間七七四年
2007/06/17(日) 19:11:30ID:Orijvwn80492人間七七四年
2007/06/17(日) 19:35:12ID:CXezSLTg昔のごたごたより今の利益、こればかりは戦国時代から変わらん世の習いさ。
0493人間七七四年
2007/06/18(月) 14:17:07ID:szXJbyQ4江戸時代中期における改革者として代表的な4人の一人なのに
0494人間七七四年
2007/06/18(月) 18:42:10ID:EUIkC/Df0495人間七七四年
2007/06/18(月) 19:30:04ID:OhF4JCfk0496人間七七四年
2007/06/19(火) 02:13:12ID:8fI+ILGN信之は子孫には恵まれなかったとマヂで思う。
0497人間七七四年
2007/06/19(火) 03:35:25ID:78BW8UpU0498人間七七四年
2007/06/19(火) 06:28:27ID:fpcWDb/Y0499人間七七四年
2007/06/19(火) 10:08:27ID:UfbHKiZT大坂の陣の時信繁の娘を匿ってるよね。
0500人間七七四年
2007/06/19(火) 10:20:53ID:+HaCy9Qrつーか、むしろ信之の子孫より保護された血脈の方が優秀だったんではないだろうか、とも思う。
0501人間七七四年
2007/06/19(火) 10:25:12ID:njlt+9MP0502人間七七四年
2007/06/19(火) 12:12:33ID:uTwAHRpx娘たちも片倉や岩城なんかの嫁になってる。
結構みんな恵まれてるのね。
0503人間七七四年
2007/06/20(水) 18:15:08ID:S34IqBZLやりまくりだったんだね。
0504人間七七四年
2007/06/20(水) 18:18:13ID:BnMIrGPShttp://video.google.com/videoplay?docid=-5531771243763964471&hl=en
0505人間七七四年
2007/06/20(水) 18:54:40ID:qGmY5HIBこれまでずっと戦とかしてたわけだし。
0506人間七七四年
2007/06/21(木) 04:13:27ID:Xpxmgukcだよな。現体制である幕府から見りゃ、極悪謀反人だからなw
日本的風土からすると、睨まれたらヤダナとなりそうなのにね。
0507人間七七四年
2007/06/21(木) 07:36:10ID:ijKxmJVCこれは来るべき日の為綿密な子作り計画を練っていたのかもしれんな
その割に女ばかり続いてしまってるが
0508人間七七四年
2007/06/21(木) 19:35:33ID:c1bsdyNc九度山での蟄居も無駄ではなかったな。
0509人間七七四年
2007/06/21(木) 20:35:56ID:BXYu4Rqs0511人間七七四年
2007/06/23(土) 03:44:40ID:QNEhMMpo0512人間七七四年
2007/06/23(土) 12:35:48ID:Phb3bDy00513人間七七四年
2007/06/24(日) 01:17:56ID:mOYEjMue0514人間七七四年
2007/06/24(日) 13:41:58ID:U96YTsrK薩摩落ちの真偽があいまいなうえ、後からいくらでも捏造できる家系図じゃな。
よほどの名家による裏づけが無い限り、信用できるものではない。
0515人間七七四年
2007/06/24(日) 21:44:55ID:BL7O+DK9特集「真田幸隆の鬼謀」
〜昌幸、幸村が継承した不敗の兵法〜
0516人間七七四年
2007/06/24(日) 22:00:56ID:8WxgN0s00519人間七七四年
2007/06/25(月) 20:12:14ID:xXOWwRmm真田昌幸
0520人間七七四年
2007/06/25(月) 20:26:47ID:p9pS44Kk0522人間七七四年
2007/06/27(水) 03:37:39ID:IkoPv/IO鹿児島なの?w ナントナク噂として知っておったが野球詳しくないから
出身地までは知らなんだ。すげー怪しいじゃんそれw
0523人間七七四年
2007/06/27(水) 05:54:09ID:XaerOK6e信濃一国を与えるとまで言ったのは本当なの?
0525人間七七四年
2007/06/27(水) 23:00:05ID:OuDEoTmrいずれにしても、たぬきおやじの言うことは。。。。
だけど
0526人間七七四年
2007/06/28(木) 00:29:52ID:dbzALr5b>そろそろ信之公をフューチャーして
0527人間七七四年
2007/06/28(木) 01:24:05ID:0l4GLbh/片倉家の養子になったとかいう
0528人間七七四年
2007/06/28(木) 09:39:20ID:CYK6WxFlありえない。大阪の陣の時点時点で信繁の評価は昌幸の子というだけで
本人の評価は高くなく細川興秋や仙石秀範と大して変わらない。
大阪の陣の奮戦にしても後世長宗我部や毛利らの活躍分が
信繁の手柄にされただけで家康がそこまで高く評価するほどの働きはしていない。
信濃一国ってのは所詮講談話。
0529人間七七四年
2007/06/28(木) 11:52:49ID:TkdpOCOfそれは本当。いわゆる仙台真田家。
大八の墓は白石に、孫以降の墓は仙台市内にあるはず。
仙台真田家の現当主は真田まつりに出たりしてる。
0530人間七七四年
2007/06/28(木) 19:28:07ID:uPSd3XGl家康が昌幸と間違えて震えたのはガチだろう。
もし昌幸が大阪城に入ってたら、実績から言って中心を担ったのは間違いないし、
相当の軍勢が大阪城に集結してたし、まし昌幸に緒戦で叩かれてたら政権自体揺らいだかもしれん。
と考えると、信濃一国くらいで済めば安いもんだっただろう。
豊臣が崩壊した後ならどうとでもなっただろう。
もちろん幸村は昌幸ではないが、昌幸と共に九度山に流された子供だし、信之からも
どういう人物かは聞いていただろうしな。
0531人間七七四年
2007/06/28(木) 19:53:42ID:zVdKM8qV真田入城の報を聞いた家康は震えた。
しかし入城したには次男の信繁。
だが真田丸で散々に蹴散らされた徳川勢前田軍。
大阪夏の陣でも何度も家康の本陣に強襲を仕掛け何度も陣を突き崩した。
本陣を突き崩したのは三方ヶ原の戦いの山県昌景以来。
0532人間七七四年
2007/06/28(木) 19:56:41ID:AQ+mduKv片倉景綱の息子の重長の後室。
阿梅を大坂の陣の折保護した重長
5年後に自分の側室にした。
阿梅は美人だったらしいw。
阿梅と共に保護されたのが大八。
0533人間七七四年
2007/06/28(木) 20:26:05ID:R5vYROSy正室死んだあと、重長の側室じゃなくて正室になったんじゃなかったっけ
0534人間七七四年
2007/06/28(木) 21:16:18ID:3gkI5QzA他の正規大河だと何らかの権利問題でも生ずるのでしょうか?
0535人間七七四年
2007/06/28(木) 22:03:46ID:AQ+mduKvそうだよ。
重長と阿梅はすごくラブラブだったらしいw。
0536人間七七四年
2007/06/29(金) 12:38:41ID:1Ea4/IQD0537人間七七四年
2007/06/29(金) 13:14:57ID:WOyzj5MV0538人間七七四年
2007/06/29(金) 19:33:36ID:6N3EnOaj自分の局が作ったドラマが誇りでしょうがないんだろ。
0539人間七七四年
2007/06/30(土) 01:34:46ID:YuSsKPK9武田信玄亡き後、武田を背負った勝頼に仕える昌幸。
1575年、織田徳川連合軍に敗れた兄たち。真田家の運命がここから大きく揺れ動くことになる。
昌幸、信繁、幸昌の戦いに明け暮れた生涯を送る。
0540人間七七四年
2007/06/30(土) 01:51:27ID:YuSsKPK9第二部「豊家臣下」(天正壬午の乱〜秀吉天下統一)
第三部「故郷上田」(秀吉晩年〜九度山蟄居)
第四部「日本一兵」(九度山脱出〜幸昌死去)
0541人間七七四年
2007/06/30(土) 13:45:27ID:HDFhkeEqけど、大前提として妙なスタッフ・キャストでやるくらいならやらんでいいッスわ。
個人的には丹波氏亡き今誰が昌幸公をやりゃいんだい!…ってのもありますし。
0543人間七七四年
2007/06/30(土) 22:21:24ID:WKAjVhcVすげえドラマチックだたな。
これなら本当に大河にしてもよさそうだな
少なくとも話の数は持ちそう。
0544人間七七四年
2007/06/30(土) 22:27:04ID:vBpl408u仙台真田家は信繁から男系でずっと現在まで続いているの?
0546人間七七四年
2007/07/02(月) 00:57:24ID:VFScve5/大阪城防衛の大綱は、昌幸から授かっていたとはいえ、
真田丸の配置やら、また徳川方を数部隊も全滅させた斉射、
家康本陣を後退させた突撃など、戦術的にみて普通に優れている。
人間的にもなんとなく誠実さがうかがえる。
ただ、祖父と父が桁外れの鬼才だったためなんとなく凡庸にみえてしまうし、
昌幸のように、戦術面での勝利を戦略的勝利にもつなげるという計算ができなかった。
幸村の戦術は局地的な勝利にとどまり、それが大局に影響を及ぼすことがなかった。
それが昌幸との大きな違いで、評価が低くなってしまう原因。
0547人間七七四年
2007/07/02(月) 02:05:26ID:sS84e9G8生前の昌幸の入れ知恵という説もあるからなぁ。
0548人間七七四年
2007/07/02(月) 07:46:13ID:qlb+P11Z言葉だけのことを実際に行うことが、如何に難しいことか。
あくまで、信繁が真田丸の意味を理解して、それを生かす戦術が取れてこそなわけだし。
0549人間七七四年
2007/07/02(月) 19:30:46ID:+u4PK1z5全国の大名と戦った信繁とはスケールがちがうよ
0550人間七七四年
2007/07/02(月) 20:11:16ID:IFWep+3D◎◎◎
◎◎◎
0551人間七七四年
2007/07/03(火) 02:01:11ID:rI5zIQyU0552人間七七四年
2007/07/03(火) 22:24:16ID:mCE+KEmS0553人間七七四年
2007/07/05(木) 02:38:10ID:FPjWUZfq真田山公園…なんでこんな都会の中にコブみたいな山が?って感じだね。
大きくないけど、ちょっと静けさがあって歴史を感じる。夜は怖い。
三光神社だったかな?神社や戦没者墓地もあったかな。
大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造」(たまつくり)
または、JR環状線「玉造」駅下車近く。
0554人間七七四年
2007/07/07(土) 18:01:11ID:6yVZ2Cuz役者とか原作・脚本には文句つけるとこないけど、準大河だけあって
ほとんどスタジオ撮りってのがしょぼかったと思う。
まあ仕方ないけど、そこだけ不満
0555人間七七四年
2007/07/08(日) 21:16:25ID:xyxrmWhp砥石城 や 沼田城 岩櫃城
って字幕でると、ジオラマ合成門番2人でどこも同じだしな
0556人間七七四年
2007/07/09(月) 00:11:07ID:92kOXV6e蟄居させたのだろう。
忠勝・信之の助命嘆願で死罪は免れたけど、
いずれは豊臣家と一緒に滅ぼすつもりだった?
0558人間七七四年
2007/07/09(月) 01:59:35ID:GWEuy2zP真田のような小大名を高禄抱える宇喜多秀家のように島流しにしたら、「なんだ家康は真田に二度も負けてるからびびってんのか」と思われるが嫌だったんじゃない?
本心はびびってたかもしれんが、表向きは「真田ごとき大坂に味方したければするがよい」という大きな構えを天下に示したかったのかも。
0559人間七七四年
2007/07/09(月) 02:25:35ID:97vzl6QS信之小松夫妻に援助のみならず、借金までしてたって本当?
0560人間七七四年
2007/07/09(月) 07:32:13ID:bFi//50Mしないだろw そんな贅沢せんでも金足りないんじゃね? 大坂前
は戦準備もあるしな。
0561人間七七四年
2007/07/09(月) 08:16:18ID:DtQDk4iQ焼酎きぼんぬ!とか書状やってたんじゃなかったっけ。
ただ、酒が欲しいって頼むくらいのレベルの生活しか、逆にしてないともいえる。
>>560
バイトで真田紐作ってただろ。
0562人間七七四年
2007/07/09(月) 08:36:44ID:CYS32KBy家族みんなでバイトですよ。でもそんなん現代だって苦しくなっちゃうだろ?
0563人間七七四年
2007/07/09(月) 10:29:40ID:fC/y27/W史実と全く異なっているよ(笑
0564人間七七四年
2007/07/09(月) 10:36:52ID:Ey29PjIB独自でやっていった方が覇権争いに食い込めそうなのにね
0565人間七七四年
2007/07/09(月) 14:15:44ID:tkOxf+9h昌幸は信之宛に家康公に早く許してもらえるよう
お前からも頼んでくれみたいなことも書いてるな
>>564
覇権争いてw
0566人間七七四年
2007/07/09(月) 17:03:37ID:SUv8OYtM信玄に与しなかったら一生上野で浪人やってた可能性が高いんですが。
ついでにたかが数万石(武田時代の加増を考えないとして)で覇権争い
なんて織田信長、豊臣秀吉、徳川家康でも無理ですが。
0567人間七七四年
2007/07/09(月) 22:03:50ID:3W9E4Dgr0568人間七七四年
2007/07/10(火) 00:16:50ID:Q1xJ9bR1ボケちゃった舅の介護をしたりするドラマですか?
0569人間七七四年
2007/07/10(火) 10:25:00ID:ymDEZXD1それを言ったら秀吉だって百姓じゃん
主君が武田だったから下手に裏切れず
独自路線に持って行くのが遅れた山内上杉とかだったらよかったんじゃない?
0570人間七七四年
2007/07/10(火) 11:13:06ID:9JlxrAi4覇権?w を争う基礎さえないわけさ。基礎を作るには晴信に付くしか
なく、あとはどこで裏切るかだがタイミングは難しいぞ。長尾(上杉)・
北条、時が下れば織田の動向を見極めなければならない。非現実的な
ギャンブルなんだよ。誰も武田が全く無くなるなんてそうそう予想できん。
0571人間七七四年
2007/07/10(火) 13:02:07ID:2jFKYOcuそうですね、秀吉は後ろ盾がなかったから織田に与してw地位と実力を
築き上げましたね。で、どの辺が「それを言ったら」にかかるのか教えて
くださいますかね?
主君がどこであろうと下手に裏切れませんし、山内上杉についたところで
武田時代以上の地位を手にできるかといわれればノーですね。信濃攻略に
おける重要なファクターだから優遇されたわけですし。
0572人間七七四年
2007/07/10(火) 14:43:55ID:XxPO+QZz第一次上田合戦の上州において、北条の大軍を撃退とか。
彼我の戦力差・後詰めの有無・戦法など、不明点は多いが、
実力は昌幸に劣るものではない。
0573人間七七四年
2007/07/10(火) 21:14:19ID:f71xPfbx渋かったッス。
某は単なる“真田太平記(TV版)”厨…御不興の折はお捨ておき下さいませ。
0574人間七七四年
2007/07/11(水) 04:04:41ID:okrIrXIl何曜日の何時の番組だったの?
0575人間七七四年
2007/07/11(水) 06:45:42ID:rgmoN+oz宮本武蔵とナンか。三年間ということか。
0576人間七七四年
2007/07/11(水) 06:47:28ID:jX4AtU/e0577人間七七四年
2007/07/11(水) 10:07:28ID:Vi242BRJ0578人間七七四年
2007/07/11(水) 11:54:04ID:sk+jGpbhもうひとつは“壬生の恋歌”かな?
大河が暫く目先変えて明治以後を舞台にした話だったんで、其の替わりとしての枠。
けど、大河じゃないから逆にいいキャスティングが出来たシリーズだと思っとります。
中村梅之助・梅雀親子の家康・秀忠や役所さんの武蔵など自分的にはでふぉると設定。
0579人間七七四年
2007/07/11(水) 12:15:12ID:UusqLOyzあのドラマって確か真田はほとんどスルーされてるんだよな・・・
0581人間七七四年
2007/07/11(水) 16:11:49ID:LnVwaPW6おんな風林火山は奥向きの話だから、まぁ真田が出ないのは仕方ないかも。
それより、大河の武田信玄で昌幸がスルーされたのが納得いかない。
今回は昌幸の二人の兄も子役で登場済みだから、昌幸登場は期待できそう。
0582人間七七四年
2007/07/11(水) 16:47:56ID:LkxznVjb0583人間七七四年
2007/07/11(水) 17:25:42ID:ikSJqsapあと常田隆永が出てくる。
今年の大河ははなかなか芸が細かいっす
0584人間七七四年
2007/07/11(水) 18:52:19ID:Uy9b46e8ちびっ子の昌幸もちょっとだけ登場予定。
0585人間七七四年
2007/07/12(木) 00:54:18ID:kN7ZUcy80588人間七七四年
2007/07/15(日) 12:01:53ID:l/A/AHk8おお!d 吉さま主演故正規と記憶変換しておりました。
>>586
是非とも。
“風林火山”はダーク方向強めで疲れるから真田家を一服の清涼剤にしていただいて。
0589人間七七四年
2007/07/15(日) 14:01:01ID:lUKtdY5A子を産ませて自分を討つため決起しかねないって思わなかったのかな。、
宇喜多のように遠い離島に流せばまず心配ないけど、大坂に近い九度山でしょ。
実際大助が生まれてそうなった。
信之や北政所、母方の実家とかに引き取られなかったのかね。
0590人間七七四年
2007/07/15(日) 14:31:19ID:BkF0WjlX嫁さん同行とかって時々あったみたいな。
たしか、加藤忠広が改易された際に、清浄院は実家(水野勝成)に
引き取られたらしいが、正応院は配流先へ同行したみたいだし
忠広生母はたしか清浄院だったと思ったが、どっちが正室だったか
わかる?
0591人間七七四年
2007/07/15(日) 19:43:00ID:D0fihtXoいや隆清院は祖母が健在だが
0592人間七七四年
2007/07/16(月) 15:48:22ID:ocJsZe3W昌幸の正室は今出川家となってるけど
今出川家は清華家ですごい貴族なのに
田舎のそれも陪臣の家に嫁に出すなんていくら落ちぶれててもあったんだろうか
0593人間七七四年
2007/07/16(月) 16:15:18ID:C2pXRs2s0594人間七七四年
2007/07/16(月) 16:36:10ID:Ffkkgwnd大方幸村を持ち上げるための作り話。
0595人間七七四年
2007/07/16(月) 18:04:54ID:/wVoqTXn0597人間七七四年
2007/07/16(月) 20:06:22ID:ftu8LhSB0598人間七七四年
2007/07/17(火) 00:42:23ID:9cpJl9/oただ今出川(=菊亭)晴季に晴信の妹が嫁いでいるので、
ツテはなくもない
0599人間七七四年
2007/07/17(火) 00:59:33ID:MQRUJy4k0601人間七七四年
2007/07/17(火) 09:04:44ID:8t/mYWB50602人間七七四年
2007/07/17(火) 17:19:46ID:Fr6iip+a0603人間七七四年
2007/07/17(火) 22:06:45ID:MQRUJy4k信繁の母は山手殿が定説。ただし異説もある。
0604人間七七四年
2007/07/17(火) 23:18:00ID:Fr6iip+a>>603
実子である方が定説なのは勉強になりました。
此れからも史実について本スレにて勉強させて頂きまする。
0605人間七七四年
2007/07/20(金) 17:36:24ID:KdiwdrcM0607人間七七四年
2007/07/20(金) 20:42:24ID:jgqjYrdn真田太平記ではそうなっているけど、根拠はわからない。
「○○の史料に書かれていた」という記述は、一度も読んだことがないし。
単なる俗説か、誰かの創作じゃないのかな。
0608人間七七四年
2007/07/21(土) 04:25:16ID:ppGEM9QH真田十勇士が忍者衆だからマジカッコイイ
0609人間七七四年
2007/07/21(土) 10:40:07ID:w8ujknWfちと違う気が。あくまで嘘なんだが、リアルっぽさが基本でしょう。
0610人間七七四年
2007/07/21(土) 21:43:13ID:a5bpvumc0611人間七七四年
2007/07/22(日) 11:22:04ID:kOFoQEJe0612人間七七四年
2007/07/22(日) 19:14:53ID:2uqhlfFO信綱を主君として
昌輝を猛将に
武藤喜兵衛(昌幸だがあえてこうかく)を軍師にして
を三本の矢の如く真田家を盛り立てていこうと
ビジョンがあったんだろうな。
昌幸の知略を見抜いたからこそ、武田家に人質としてわたし、
そこで親友の山本勘助に軍略を学んだと思われ。
真田太平記に信之が父・昌幸を語ってるが
”父は戦場を読む事に関しては(忍びを使って)抜群だが、
ゆえに時勢の流れを読むのが疎い”と称してた。
幸隆も昌幸は政治家ではなく軍師としてのビジョンしか
なかったからそれもやむえないが。
0613人間七七四年
2007/07/22(日) 19:21:14ID:2uqhlfFO(勝頼も主君としての評価はイマイチだが、猛将としての
評価が個人的には強いし)猛将への憧れが強く
息子に信玄の亡き弟の名をつけて、信之を主君として
信繁は猛将として育て感がある。
で信繁自信も山県昌景に憧れの念を抱いて赤備えにしたし
0614人間七七四年
2007/07/22(日) 19:49:35ID:XR99JKDa勘助の存在さえ怪しいのに、断言するのは如何なモノ? すごく主観
入ってるし。
0615人間七七四年
2007/07/22(日) 20:30:45ID:HYZ5WFmp勘助は存在する、架空の人物ではない。
昌幸の軍略は信玄の眼とまでいわれるくらいだしな。
幸隆に調略は素晴らしいがそこまでの軍略はない。
0616人間七七四年
2007/07/22(日) 21:40:06ID:Q9VTT21A0617人間七七四年
2007/07/23(月) 01:53:41ID:vY0kl1ZKああ、いつもそこ訂正メンドクサイんだよな。いるのはいたよ。
だから大河で扱われてるような、そんな重要なポジションだったかは
疑問、というのは常識。
0618人間七七四年
2007/07/23(月) 03:55:21ID:JsrjMgOI武田への思い入れはあったんだろうけどな。
0619人間七七四年
2007/07/23(月) 18:04:32ID:7TFotPXHんで、武田の代表的な謀臣ポジションが欲しかった後世の史家や小説家が
「軍師」や「忍者」の勘助を作ったと。
0620人間七七四年
2007/07/23(月) 22:38:11ID:Lehk2iqG武田軍は無謀にも特攻、全部鉄砲で死亡。
はたまた酷いのになると1万5千で上洛とかあって)
情報がいろいろ錯綜してるけど
昌輝が織田の柵を1つ突破したが、銃などで討死に
で、撤退命令により、信長軍の執拗な追撃にあい、勝頼をかばって信綱討死に
昌幸は説1・軍師のような立場なので勝頼の側にいたから助かった。
説2・病気ということで長篠には参戦してない。
説3・説2の追加だが、武藤家からは誰もでないのは申し訳ないから
9歳の信幸が代わりに参戦。(当然、後方待機で助かった)
ようは足利高氏が新田の鎌倉攻めのさいに息子を形だけでも
(新田だけに手柄を独占させないため)参戦させたような感じで。
で、いいのかな?俺の読んでる資料のほとんどが
武田騎馬隊が無謀な・・・とか3段討ちで壊滅とか・・・ばっかだから。
0621人間七七四年
2007/07/24(火) 06:33:35ID:nF8YM31a現在、歴史マニア(まぁ、戦国ヲタとは言わない)の間ではどう云う展開が一番有力なんですかね?
0622人間七七四年
2007/07/24(火) 12:03:41ID:uL1tussM普通に考えれば真田と無関係に勝頼の傍にいた、だろう。
その立場が軍師だったのか単に馬廻みたいなものだったのかはともかく。
0623人間七七四年
2007/07/24(火) 22:39:52ID:2a3bmHWB0624人間七七四年
2007/07/25(水) 17:09:07ID:VpIbsZlM0625人間七七四年
2007/07/25(水) 17:50:04ID:0cLEGpok0627人間七七四年
2007/07/25(水) 20:20:18ID:9DtsMwIB信綱の子が信興、昌輝の子が信正だっけ。
信正は越前松平家に仕えたらしいが信興の家系はその後どうなったのか史料はないのかな?
0628人間七七四年
2007/07/25(水) 23:31:10ID:OQC5TcScそう
信綱の子の信興、信光に関しては検索しても引っかからない
生没年は出てくるけど事実なら二人共大阪夏の陣の後も10年以上生きてる
昌幸の弟二人も徳川旗本、帰農と去就がはっきり出てくるのにね
0629人間七七四年
2007/07/26(木) 17:30:37ID:RaL+ypea“渡鬼”か!!!
0630名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 18:05:15ID:wbN7XNkz初めて“真・大”見た時は村松様などと云う姉君がいたなんて全くわからなかったし。
0631人間七七四年
2007/08/01(水) 00:06:20ID:Q0cMP+AK第二次は昌幸が凄いってよりも秀忠がアホなだけな気がする。
第一次は徳川軍を撃退したけど、更なる援軍等がくる可能性があったからね。
(家康が病に倒れて、何とか和睦に持ち込めたが)
第二次の昌幸の目的は時間稼ぎで、秀忠としても上田城を落す
必要性はないし(前回、失敗したことを考えれば)5000程度の押さえを置いて
素通りすればいいのに。なんでなんだろうね?
(しかも第二次の方が評価されてるのが気に食わない)
0632人間七七四年
2007/08/01(水) 00:53:04ID:NfdDHKqx2次で無理に攻め続けた理由は、色々いわれてるけどなぁ。
軽く捻り潰せると手を出して、そのまま負けっ放しでは、引くに引けなくなっちゃったんじゃないの。
0633人間七七四年
2007/08/01(水) 00:56:06ID:/bgMCi7V第二次上田合戦での失敗の原因となった牧野康成だが、家康の死後に破格の栄転をしてる。
ウィキペディアで「牧野康成」を検索してみてね。
第二次が評価されるのは、第一次みたいに上杉の後詰が無かったからかな?
あと兵力の差?
0634人間七七四年
2007/08/01(水) 00:58:17ID:73Biwdgn真田を潰していれば遅参しても言い訳にはなるからな
0635人間七七四年
2007/08/01(水) 01:02:19ID:HjMvRhHXお父さんの軍隊が酷い目にあってるし、
(信幸がどうこういえないのは仕方ないとしても)
本多正信や榊原康政のような立派な家臣がいたんだし。
(そもそも第一の優先事項は家康との合流なわけで)
第一次はもしもあのまま続いてたら真田は間違いなく負けてた。
(家康の病もだけど)上田城ができてまもなくて城の装備も二次の
頃と比べてしょぼかった。(実際にみたけど、上田城は平城ながら
小城だしな)
0636人間七七四年
2007/08/01(水) 01:04:36ID:1Nhnwa9M天下分け目の決戦で、結果3万8千もの大軍を関ヶ原に集結させなかったん
だから凄いのは凄いでしょ。秀忠がアホだとしても。
2・3千の領主相手に3万8千の大軍が取り巻いたら、普通しょんべんちびりまっせ。
0637人間七七四年
2007/08/01(水) 01:09:11ID:HjMvRhHXでも伊勢の諸大名や京極高次もそうやって西軍に抵抗して
(関ケ原への着陣に)影響を及ぼしたわけだが。
(特に京極高次に関しては、真田親子並に役割を果たしたわけだが)
第一次・・・負けたら真田は一貫の終わり
第二次・・・負けても信幸がいるし、何より負けてなんぼ遅延させてもうけもん。
この差は大きい。
0638人間七七四年
2007/08/01(水) 01:15:44ID:1Nhnwa9M第二次上田が評価に値しない、ただ秀忠がアホなだけって言い方は違うんじゃないか。
もちろん信之がいてもね。
0639人間七七四年
2007/08/01(水) 01:28:43ID:ZAaxTWNd第二次のが評価されるのは当然でしょ。結果的に、史上最大規模の
戦に、多くの徳川勢を間に合わせなくしたんだから。歴史に与えた
影響も込の話。
0640人間七七四年
2007/08/01(水) 01:31:35ID:HjMvRhHX兵が2・3千くらいしかいないんだから1万残しておいて先行しても
なんら問題ない。
少なくとも上記の二人は上田攻めには反対してたし、(目標はあくまで
東軍の豊臣隊と徳川本体との合流)
それに最初の”出て行く準備をするから三日猶予くれ”で騙された
時点で(というかその時点で1万残して残りは西へ行けばいいわけだし)
彼らの目的は明らかでそこで怒ってること自体が問題かと。
昌幸のモチベーションも1次は”まけるだろうなー”で
2次は”真田の軍略を見せてやる”と勝機は明らかに二次の方が高かったようだし。
0641人間七七四年
2007/08/01(水) 01:41:13ID:1Nhnwa9Mそんな評価できないかな。
当たり前のことができない秀忠=アホってな論調なんだろうけど、
当たり前のことをさせなかった、その結果天下分け目の戦に4万近い軍を
合流させなかった。 ってのは評価に値しないか?
言いたいことは分かるけどね。 あれでしょそんな感じだと幸村とかも
評価に値しないでしょ?
0642人間七七四年
2007/08/01(水) 02:47:35ID:NfdDHKqx兵力温存のため〜という説はあるけど、実益が少ないんだよな。
そもそも、小早川が寝返らなければ危なかった情勢で、そんな余裕はないし。
双方、兵力削ったところで、本隊投入を狙ってたってわけにもいかない。その前に家康が討死の可能性がある。
結局、勝ちはしたものの、活躍した外様連中に領土を分配しなくてはならなかったわけだし。
0643人間七七四年
2007/08/01(水) 09:51:35ID:Wh/z/DVHまぁ、天下分け目の大戦絡みなんだから当然ですな。
“その時、歴史〜”クオリティではありますが、秀忠遅参の影響は結局幕末に於いて徳川を滅ぼした…ってのは面白かったッス
0644人間七七四年
2007/08/01(水) 12:03:58ID:wmsSPDEQ0645人間七七四年
2007/08/01(水) 12:27:19ID:qkgwPTvq0646人間七七四年
2007/08/01(水) 12:47:36ID:BOGwSwN3その方針変更の伝令が天候不順で遅れた
あと秀秋は当日じゃなくてもっと前から東軍として動いてるんだから
家康は関が原に行ったんだし
0647人間七七四年
2007/08/01(水) 14:07:14ID:qkgwPTvq本来の目的、は(それが何にしろ)別にあったと思っても不自然じゃなかろう。
0648人間七七四年
2007/08/01(水) 14:41:14ID:BOGwSwN3先発の家康隊ものらりくらりと行軍してたし
この役は大垣やもっと大きな城かで時間のかかるものになる可能性だったあったけど
突発的な始まり方で、しかも半日で東軍が圧勝するという結果と
その方針変更を伝える伝令が悪天候で遅れたことが重なったのとが秀忠遅参には大きいってこと
小牧の役や、大阪の役からしたら数日の遅れなんて罰は受けるだろうがたいしたこと無いし
そもそも史実の秀忠遅参も不自然に罰が軽い
0649人間七七四年
2007/08/01(水) 21:29:43ID:dG+BO+8i第一次は一万足らずだけど。
でもよく見たらだいぶ違う。第一次のメンツは徳川の精鋭だし
(これが敗れても家康が病気をしなければ2万くらいの兵を
率いて上田に攻め込んだのは間違いない。それに沼田には
北条軍数万いたし)
でも第二次は3万いたけど、メンツがいわゆる2世武将が目立ったし。
あと上田城は平城だから攻め込む場合は3万いっぺんに入るのは
不可能だし。(街もそんな地形だし)せいぜい数千が攻め込んでなんぼ。
で先駆けがやられれば大軍なので後方の兵は浮き足立って混乱する
だろうな。で第一次はそれこそいくさ場を経験してきた生っ粋の徳川軍
だけど、第二次は豊臣の大平を経験して(人によってはいくさ知らずも)
統率もそんなにいいとはいえないし。
0650人間七七四年
2007/08/01(水) 21:36:29ID:LcLj51+c0651人間七七四年
2007/08/02(木) 02:41:36ID:NXYiydLn三成の腹痛も治まってたろうしw
0652人間七七四年
2007/08/03(金) 00:26:32ID:c91WNXvlだし。手柄配分で家康はラクになったろうけど。
0653人間七七四年
2007/08/06(月) 00:50:53ID:Ho28vmLa0654人間七七四年
2007/08/06(月) 15:06:38ID:n0+J3h/j西南戦争で官軍の会津抜刀隊の活躍にも因がある。
ちょっと違うかw
0655人間七七四年
2007/08/06(月) 21:37:51ID:wlBs8UJP0656人間七七四年
2007/08/07(火) 15:10:31ID:awA05W3Uhttp://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/070719_20th/index.html
まったく、スレ違いになって恐縮だけど、
こういったことも時代を越えて考えさせられる。
誰が正義で誰が悪か? 複眼で見ないと、イメージだけでは判断を誤る。
0657人間七七四年
2007/08/07(火) 15:20:47ID:jjtlvawt0658人間七七四年
2007/08/09(木) 10:35:41ID:nhqsvTyo0659人間七七四年
2007/08/09(木) 21:51:51ID:6Z2mutpIその実家にある変なタブー。
「あんこ餅を作ってはいけない」
なんでも先祖の幸村はあんこ餅をつくっている最中に殺された
という言い伝えがあるからだそうです・・・・
聞いたときは吹いたよw
0660人間七七四年
2007/08/09(木) 21:52:33ID:v78Ygz1O0661人間七七四年
2007/08/09(木) 22:14:25ID:CEz7cW4B0662人間七七四年
2007/08/09(木) 22:17:23ID:v78Ygz1O1、落ち武者狩りから逃れるためになんたらかんたら
2、落とし種だからなんたらかんたら
3、お家騒動がなんたらかんたら
0663人間七七四年
2007/08/10(金) 13:25:11ID:14rSRdBUなんだったんだろうな
もっとも、大阪夏の陣の状況からの大逆転は無理か
0664人間七七四年
2007/08/10(金) 15:00:47ID:bPK1xJNyhttp://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/trial/jiji-09X789.html
0665人間七七四年
2007/08/10(金) 19:16:12ID:hsxJAQgi0666人間七七四年
2007/08/11(土) 04:24:06ID:zyLj90+1しかも、お互い様だろ
0667人間七七四年
2007/08/11(土) 08:42:59ID:fGO8Rr8z彼は真田家の重臣でしょ?
上田にも矢沢城址が残ってるしね。
0668人間七七四年
2007/08/11(土) 10:38:30ID:rI9n6R7y0669こんな名無しでは、どうしようもないよ。
2007/08/11(土) 11:09:39ID:fGO8Rr8z0670人間七七四年
2007/08/11(土) 12:11:02ID:Y0vk7gPv無理だな。関が原で西軍が勝つ、しかなかった。あそこが真田に
とっても分け目の戦い。信繁の武勇はあっぱれだけど、もう
体制挽回とかじゃなくて、名誉だけじゃね?
0671人間七七四年
2007/08/12(日) 00:51:39ID:wn7MutNK秀忠軍撃破後、甲斐・信濃に一気に侵攻。周辺勢力も従えて関ヶ原で疲弊した東軍を
西軍と挟撃撃破。 といった黒田官兵衛方式では。 官兵衛は単独撃破か。
0672人間七七四年
2007/08/12(日) 00:55:50ID:q/S/xsnd黒田如水の方策は関ヶ原が一日以上続いた場合の成功したかもしれない。
だけど信濃から関ヶ原なんてすぐだから無理。
0673人間七七四年
2007/08/12(日) 00:58:31ID:wn7MutNK0674人間七七四年
2007/08/12(日) 01:17:44ID:hexkf+jm0675人間七七四年
2007/08/12(日) 01:23:54ID:QHJK4t2kガチで3万は別に真田じゃなくても無理だわ
幸村みたいにバンザイアタックで”惜しかった”って評価がせいぜい
0676人間七七四年
2007/08/12(日) 01:31:49ID:wn7MutNK長篠で確立された、鉄砲の戦術的優位性をも覆すほど意義深いものらしい。
0677人間七七四年
2007/08/12(日) 04:34:52ID:bfC9uJFQありえないんだから戦術的に意義深いとは言いがたいと思う。
後世にそれを常態的に利用・応用しうる環境が整えられないのなら、
「地震のときに思わず巨大な箪笥を抱えて走り出した」というような、
火事場の糞力的な事例の域を出ない。
0678人間七七四年
2007/08/12(日) 21:37:47ID:Bg4+Qgdv0679人間七七四年
2007/08/13(月) 06:42:47ID:xMOTvK2sいや、天王寺だけでなくその他の合戦での鉄砲装備率も徳川方は高い。
伊達政宗は3,500丁装備してるが、騎馬鉄砲の存在はともかくとして、槍ブスマなんて
古典的な技で撃退してるとこは注目に値する。
0680人間七七四年
2007/08/13(月) 09:01:09ID:kqg7k6FPまだこんなこと信じてるヤツがいるのかよ
0681人間七七四年
2007/08/13(月) 11:34:36ID:wk87HKrS確かに鉄砲なんてたいして役に立たないよな。
幸村の鬼神の働きみればな。
0682人間七七四年
2007/08/13(月) 11:47:20ID:Zb3mV8gA0683こんな名無しでは、どうしようもないよ。
2007/08/14(火) 22:16:14ID:uOJwUte8大河ドラマのように全体の流れはともかく、詳細の部分に至ってはどこまでが事実かなんて
誰もわかりはしない。
もちろん残された資料や発掘調査などから精度は高くはなっているものの、それでもやはり
想像の域を出ないことには間違いないだろう。
例えばテレビ・ラジオ・ネットなど、情報収集の手段は今までにないほど充実した現代でさえ
我々は自身が生きている現在の世の中で起きている出来事をどれだけ正確に把握できてるだろうか?
それを考えると、信憑性の高い資料が皆無に近い歴史は想像の産物と言っても過言ではないだろう。
それゆえ、誰がどのような見解をしてもまた許されるともいえる。
0684人間七七四年
2007/08/15(水) 04:15:50ID:0N8GUSjN0686人間七七四年
2007/08/16(木) 09:01:10ID:LXw5gUCk家残したから上だってよ。
家なんて残したやつは、それこそ星の数ほどいるってのによまったく。
武名を高める、名を残すことの難しさがどれほどか分かってねー奴たまんねーよな
ほんとに。 昌幸・幸村がいるから信之なんてマイナーが取り上げられてる
現実に気づけよ自称玄人が!””
0687マンキョ
2007/08/16(木) 10:15:51ID:Df0ukaVUそろそろ現実と向き合おう
0688人間七七四年
2007/08/16(木) 14:01:10ID:e1B7P4Bw>>683
自分もそんな風に考えております。
0689人間七七四年
2007/08/16(木) 19:38:57ID:SZJpx5EQその部分は、昌幸のどちらが勝っても家を残すための手法なわけで。
とはいえ、その後の外様大名にもかかわらず、存続させたのは信之の評価点。
0691人間七七四年
2007/08/16(木) 21:33:01ID:oq1axwlQある本に書いてあったが、そこを治めてた
生駒家も奇しくも関ヶ原で親が西軍、
嫡男が東軍と分かれてたんだよな。
何か関係あるのかな
0692人間七七四年
2007/08/16(木) 22:04:26ID:SZJpx5EQ0693人間七七四年
2007/08/16(木) 23:18:42ID:oq1axwlQ木下藤吉郎(豊臣秀吉)に従い各地を転戦する。
天正15年 讃岐国17万石の領主となる。
天正16年 高松城を築城。城下町を建設し、高松と命名する。
寺社に多くの寄進をし、寺社の保護を図る。
豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役)に従軍、波引車を家紋とする故事が伝えられる。
関ヶ原の戦いでは西軍に属する。
戦後罪を謝し高野山にのぼる。
高松にて死去。
昌幸と同じような立場だけど高松に帰れたんだね。
高野山管轄の九度山の真田家と何か交流が
あったかも知れない。高野山の開祖の空海が
香川出身なのでそっちの線かもしれない。
大阪城から薩摩に逃げるより香川に逃げる方
が格段に簡単だろう。
0694人間七七四年
2007/08/17(金) 11:28:46ID:VhjHd5so0695人間七七四年
2007/08/18(土) 22:22:28ID:RhiEe3Fb0696人間七七四年
2007/08/19(日) 09:14:33ID:wohvKOgyというよりも知らんよ
どんな香具師?
0697人間七七四年
2007/08/19(日) 09:56:03ID:k/BEnRqk0698人間七七四年
2007/08/19(日) 09:59:32ID:UvUOlxypそれは島津も認めてる。
真田家こそが戦国のブランド。
0699人間七七四年
2007/08/19(日) 10:34:57ID:fMVytZlN0700人間七七四年
2007/08/19(日) 17:04:18ID:d0Wc/UK9家康から、信濃10万石の誘いを
蹴ってるし、夏の陣では、真赤な装束で
挑み、徳川本陣突入。
壮絶な戦いの果て、討ち死。
家康もこの時ばかりは、覚悟を決めたほどに。
2回だけの合戦は、勿体無い…。
0701人間七七四年
2007/08/19(日) 17:21:44ID:bh7vfIdV0702人間七七四年
2007/08/19(日) 21:07:09ID:wohvKOgy誰?
0703人間七七四年
2007/08/19(日) 21:47:06ID:purNZzkd家康が大坂方に真田裏切りの疑念を生ませるために、信繁に信州一国を与えると発した。
それを信繁に伝えた徳川方の使者である親戚のおっさん。
信繁は「それでは兄の石高を上回るではないか。いへやす(笑)アワレwwww」と家康の計略を見破った。
0704人間七七四年
2007/08/19(日) 21:49:51ID:purNZzkd0705人間七七四年
2007/08/19(日) 22:50:10ID:MvxETzlrしびれたな、その逸話。信繁・基次が断ろうが応じようが敵の内部
抗争を煽れるからね。
0706人間七七四年
2007/08/19(日) 23:08:45ID:Wq/MVY7Kしがない“真大”厨の某としては是非、信綱・昌輝様の事も折りにつけ勉強させて頂きたいものです。
>>700
余りうるさ方の居るスレで言わんで下さい…。
どうも、真田好きは見下されがちで…。
>>705
如何様
0708人間七七四年
2007/08/20(月) 10:49:47ID:BMWbZtq3その武田信玄が唯一負けた武将が村上義清
真田三代とも合わせて恐るべし信濃武士
0709人間七七四年
2007/08/20(月) 10:52:55ID:YVCMDYSL0710人間七七四年
2007/08/20(月) 12:06:06ID:2MOdUnX5その真田紐に似ているからその名がついたサナダムシ。
0711人間七七四年
2007/08/20(月) 12:26:43ID:hL7t0T4qだから武藤家を継いでいた昌幸が急遽真田家を継いだんだよ。
>>701
真田太平記だとちょっと活躍するよね。
>>710
紀州九度山蟄居中に作ったんだよね。
0712人間七七四年
2007/08/20(月) 13:36:17ID:F9RDlS4p俺は徳川を散々苦しめた真田の名前を、体内に寄生して人間を苦しめるサナダムシに付けたと聞いた。
どっちが正しいんだろ?
0713人間七七四年
2007/08/20(月) 17:04:55ID:zjtC4h7D村上義清も真田も、上田の辺りを拠点にしてたよね。
考古学の観点からは、この地方は積石塚古墳の国内最大密集地で、朝鮮から
の渡来人の墓であると言われている。
日本には馬がいなかったので、その渡来人が馬を生産し朝廷に納めていた。
真田や村上がこうした地方を拠点にしてたのも興味深い。
あと、武田が戦国最強と言われるようになったのは、いつからなんだろ
甲陽軍鑑が原因?
0714人間七七四年
2007/08/20(月) 18:07:07ID:Ubmf79z9そ。神君家康公を破ったヲレたち(の先祖)って最強じゃね? ってことで、
武田系の貧乏御家人が甲州軍学を興した。
0715人間七七四年
2007/08/20(月) 18:52:37ID:pGQNCq5cなるからそれはそれでいっか、どうせさっさと滅びてるし、という感じなんだろう。
0716人間七七四年
2007/08/20(月) 20:46:20ID:Ve9PMVO5高家なんて取るに足らない小大名だし、真田家も10万石の大きくはない
大名だからねぇ。
上杉クラスの30万石の外様大名として武田家が存続していたら、
ここまで持ち上げられなかったかも。
0717人間七七四年
2007/08/20(月) 21:16:30ID:xl/ZBlal10万石以上の大名家がどうだけあると思ってんの?
あと、高家は大名じゃない。旗本だな。
0718人間七七四年
2007/08/20(月) 21:33:18ID:Dc1GxH230719人間七七四年
2007/08/20(月) 23:52:13ID:D3rl/t5M幸村(信繁)は戦場で餡子餅作ってたのかw
安居神社で殺されたから安居を音読みしてアンコ?
0720人間七七四年
2007/08/21(火) 01:18:21ID:r8Rt7UJY真田紐に由来する…と云う説しか聞いたこと無いなぁ…。
因みに某学研の本のコラムに、家康・秀忠親子の死因には関節的にサナダムシが関わってたと書いてありました。
0721人間七七四年
2007/08/21(火) 01:21:02ID:r8Rt7UJY0722人間七七四年
2007/08/21(火) 04:15:51ID:R1LdPbaY大名でも、土屋、保科、真田など武田に旧縁のある連中が多いし、
井伊の家臣団ももとは武田組、そのた旗本など、旧武田系が幕臣に
多かったからじゃないか?
0723人間七七四年
2007/08/21(火) 13:10:29ID:T0O90lvJっていうか大阪人は信繁=幸村が好きって聞いたけど本当?
だとしたら人気度的にどのくらいの位置にいるんだろ
0724人間七七四年
2007/08/21(火) 14:09:40ID:bHf2yFpz大坂駅前に真田幸村の銅像もあるしね人気もあると思うよ。
ちなみに真田人気は信州上田市あたりが最高だよ。
0725人間七七四年
2007/08/21(火) 14:55:49ID:tn5Afw/40726人間七七四年
2007/08/21(火) 15:42:56ID:yis7mqKOいや、だから豊臣家への忠心から大坂の陣で大活躍したわけだろ。
大阪には信繁ゆかりの名所旧跡が点在してるし、
普通に馴染みの名将なんだと思うが。
この夏休み大阪城行ったけど、真田太平記館展やってた事もあって
すごく「真田幸村」色濃かったw
0727人間七七四年
2007/08/21(火) 22:03:09ID:r8Rt7UJY> この夏休み大阪城行ったけど、真田太平記館展やってた事もあって
なんと!其の様な物が!?
いつまでやってそうでした?
0728人間七七四年
2007/08/21(火) 22:26:32ID:njCrlU1G0729人間七七四年
2007/08/22(水) 01:28:23ID:3njIdsWI名古屋の人だと思っている
0731人間七七四年
2007/08/23(木) 06:39:40ID:1xGDO1ea長野県には「信濃の国」という県の歌があって、小学生から音楽の授業で習う。
長野県の地形・風土・偉人等を歌うものだが、何故か幸村や村上義清が出てこない。
また、自分は長野県南部の人間だが、京都で学生してた時、酒の席でそれぞれの地元の戦国武将を
挙げる事があったが、すぐに思いつかなかった。逆に大阪出身の先輩が幸村の名前を出してくれて
幸村を手放しで誉めてた。
自分の勉強不足もあるが長野県全体では、一般的に幸村は英雄視されてないのかもしれない。
0732人間七七四年
2007/08/23(木) 11:12:36ID:BDr0ybBK>>727
僕はこの夏上田市にある真田太平記館のほうに行ってきたよ。
大阪城のは出張サービスらしい。
0733長野移民系埼玉人
2007/08/23(木) 12:38:40ID:rT4ce05e長野県は広い。
南信と北信では別の県と云っても良いくらいですから。
中央本線ラインと旧信越本線ラインとでは帰属意識が全然違いますからな。
0734人間七七四年
2007/08/23(木) 16:27:41ID:Qh7r6vly幸村は東信地方ではかなりのもの
信濃の国なんか関係ないでしょ
0735人間七七四年
2007/08/23(木) 17:56:03ID:BDr0ybBK僕なんて南から北までほとんど長野を廻ったぞ。
>>734
村上義清は郷土防衛できなかったら嫌われてるらしいよ。
上田市はいった瞬間真田幸村公とか真田十勇士の旗ばっかりたってるぞ。
御当地の観光スポット風林火山を忘れるくらい。
0736人間七七四年
2007/08/23(木) 18:09:13ID:PrpDu4xi0737人間七七四年
2007/08/23(木) 22:56:54ID:BDr0ybBK0738人間七七四年
2007/08/24(金) 12:42:18ID:qb2uYGTy忠誠心・・・?
最後に一華咲かせたかっただけだろww
確かに正室は大谷吉継の娘、側室に秀次の娘、若い頃大坂に出仕、羽柴姓ゲットと豊臣ベタベタだが。
0740人間七七四年
2007/08/24(金) 15:44:34ID:QlSFw+Yi悪くてもお家存続はできた?
0741人間七七四年
2007/08/24(金) 19:29:13ID:c6Qrh92cたしか、「信濃の国」では仁科五郎が歌われていたはずだけど、
知名度的にはどうなの?しかも、歌詞の中で’信盛’と諱が間違ってるし
0742人間七七四年
2007/08/24(金) 20:07:01ID:TT3keynZあれ幸村って豊臣性許されてなかったけ?
0743人間七七四年
2007/08/24(金) 22:23:21ID:V4BI20f2大阪の秀吉人気は安土桃山時代から変わらないよ。
今でも太閤さんの愛称で親しまれてる。
大阪の子供は大阪城は遠足で絶対に行くし。
>>740
豊臣が徳川の言いなりなら生き残ることはできたんじゃない。
千姫も嫁がせてるわけだしね。
0745人間七七四年
2007/08/25(土) 00:07:50ID:JztexT4O村上は嫌いというより、弱虫という風に捉えられてると思う。
震源に追われて、上杉に泣いて頼ったってイメージ。
長野県人でも震源好きは結構多いよ。
>>741
仁科五郎って誰って感じ。マジで初めて聞いた名前ですね。
ちなみに松代高校は数年前まで、高校野球のユニフォームの袖に六文銭の刺繍がついてた。
その後、甲子園に出場したときには、そのマークは残念ながら取れていた。
高野連かどっかの「ふさわしくない」というお決まりの文句で、はずすことを余儀なくされたようだ
全国に六文銭をはためかす事はできなかった。
ちなみに上田高校は甲子園に二回出場してるけど、ユニフォームに六文銭の刺繍などはない。
他の部のジャージなどにはついてるけどね。
0746人間七七四年
2007/08/25(土) 01:14:41ID:oMXd4qIfもしかして勝頼の方が持ち上げられてる?生母も信濃の出だし。
0748人間七七四年
2007/08/25(土) 09:25:12ID:vuBJJQ+U他県の人からすればありそうに思うかもしれないけど
0749人間七七四年
2007/08/25(土) 10:59:41ID:xrPMgFdp高遠城跡に行くと仁科盛信のことは紹介してあるけど。
勇将って書いてあったよ。
0750人間七七四年
2007/08/25(土) 15:09:42ID:L9vKQuFd……何故か、心が浮き立たない〜!
0751人間七七四年
2007/08/25(土) 17:27:23ID:xrPMgFdp0752人間七七四年
2007/08/25(土) 23:46:06ID:lO31cnPv旧城下町だったことを売りにしようとはしているけど、あくまで松代藩が売りで
あって、あまり真田を売りにはしていない感じ。ちょっと前までだと松代といえば
佐久間象山だったわけだしね。
0753人間七七四年
2007/08/26(日) 01:03:47ID:6TYTsjtZ0754人間七七四年
2007/08/26(日) 02:07:43ID:a22eX1yA海津城はしょぼかったし・・・・大本営の洞穴が松代では一番の見所だったと思う。
0755人間七七四年
2007/08/26(日) 12:49:04ID:5e/0by5h0756人間七七四年
2007/08/27(月) 00:44:30ID:H1O9rgZ+町を挙げてアピールしてるから。
0757人間七七四年
2007/08/27(月) 08:04:39ID:X/fUMqkZ完璧に真田馬鹿にされてるわ
0758人間七七四年
2007/08/27(月) 09:39:01ID:o9iSyyb30759人間七七四年
2007/08/27(月) 18:48:14ID:bh5yimI5去年に比べりゃ大した事無い。
0760人間七七四年
2007/08/27(月) 21:19:35ID:Dv6uQ36Y原作にはほとんで出ないらしいし。
0761人間七七四年
2007/08/27(月) 22:08:57ID:wYXrelLUとこって殆ど原作にない、なんだよねw もう原作決める必要が
あるのかとw
0764人間七七四年
2007/08/29(水) 21:29:44ID:rSK1Zyz1期待して見ていただけに、あの時は頭にきた。
0765人間七七四年
2007/08/29(水) 21:39:02ID:7onsBchP…なんて言ってた俺を罵ってくれてよい!
我が身に降りかかって初めてわかる事なんだねぇ…。
0766人間七七四年
2007/08/30(木) 19:37:44ID:IrQsZJ2Q0767人間七七四年
2007/08/30(木) 21:13:08ID:5OpH6YYS場面により、もしくはこれから先の事態によりましては史実と異なる場合がございますのでご注意下さい。
もう最低でもこれくらいはほしいよ。
0768人間七七四年
2007/08/30(木) 22:54:49ID:GCKPuahT0769人間七七四年
2007/08/31(金) 23:30:44ID:pafRFw8N各々方、臆してはなりませぬぞ!
0770人間七七四年
2007/09/04(火) 18:01:08ID:lpQJ38iy09'大河の幸村様。
0771人間七七四年
2007/09/04(火) 18:30:37ID:TRpmvIptどうせ内容も期待できないし
0772人間七七四年
2007/09/05(水) 20:08:31ID:0p6YC02Dあの人のネックの身長もかえって幸村らしい
0773人間七七四年
2007/09/05(水) 20:09:39ID:0p6YC02D0774人間七七四年
2007/09/06(木) 02:21:00ID:yqOpn/pcまぁ“宇宙からメッセージ”の頃のなら広之っちでも良いが…w
0775人間七七四年
2007/09/12(水) 05:41:01ID:YlfBEecU0776人間七七四年
2007/09/14(金) 00:32:56ID:i+uPNpVp八幡原戦で信綱が信玄本陣を決して離れなかったって言う説あるけど
信綱は別働隊のはずだから昌輝か昌幸か信昌のことかな
あの状況だと百足衆はあっちこっち行ってるだろうから昌輝も違うか
0777人間七七四年
2007/09/14(金) 00:40:13ID:QcVyRV9o0778人間七七四年
2007/09/17(月) 04:26:42ID:hMc31BOx0779人間七七四年
2007/09/17(月) 19:27:03ID:uR0U6n8Z信繁の直系は絶えてるの?
0780人間七七四年
2007/09/17(月) 19:47:11ID:wOkVm8tl0782人間七七四年
2007/09/18(火) 20:02:24ID:KtNTaKXsやっぱ母親の身分が低かったとかなのかね。
0783人間七七四年
2007/09/18(火) 21:18:33ID:CPq4eoKM松代藩は養子が入ってる。
信繁の直系は、伊達藩関係に男系も女系も混じってるから、かなり残ってそう。
>>782
最も武田クラスですら、沢山いる信玄の兄弟で知られてるのは信繁とせいぜい信廉くらいだし…
兄弟全員知名度あるって方が珍しいと思う。
0784人間七七四年
2007/09/18(火) 21:28:24ID:NemjL+pl従弟も旗本で同名(政信とも言うが)だからややこしい
昌親は信之の家老で池田長門と一緒に沼田へ帰ったんだよな
息子の養子が三代幸道の養嗣子となって四代の蔵人信弘になるんだっけか
0785人間七七四年
2007/09/21(金) 03:47:46ID:3MqYeTk7総大将は真田ではなく石田だが。
0786人間七七四年
2007/09/21(金) 04:33:13ID:xZ8OXgaEましてや真田が落とせなかった城なんていう表現は、ありえねーよ
0787人間七七四年
2007/09/21(金) 16:30:55ID:c1bTdmxYですなぁ。
真大厨の私くしなんぞはつい二人兄弟と考えて仕舞いがちですからな〜。
一族郎党ことごとくをフォローしたドラマ……は無理ですねw
0788人間七七四年
2007/09/21(金) 20:06:58ID:0IE1JJzk0789人間七七四年
2007/09/22(土) 06:57:24ID:5BhDOA//0790人間七七四年
2007/09/22(土) 18:35:58ID:rdLQ4nddいや、ごめん、昌輝の影の薄さは異常
0791人間七七四年
2007/09/27(木) 10:40:04ID:Lk1ezAR90792人間七七四年
2007/10/06(土) 10:40:16ID:VmPVvyGC0793人間七七四年
2007/10/12(金) 21:44:01ID:b0Y290Tn0794人間七七四年
2007/10/13(土) 02:31:17ID:pBOSASPC0795人間七七四年
2007/10/13(土) 12:28:57ID:IgzZlojy0796人間七七四年
2007/10/13(土) 13:35:20ID:CMLLJRA10797人間七七四年
2007/10/13(土) 13:45:55ID:uqEG4CmL0798人間七七四年
2007/10/13(土) 13:53:12ID:uqEG4CmL風貌に限ってははかなーり冴えないものしか知らない
異説があれば知りたいが
そこで最近もしもそれに忠実にキャスティングしたら誰だろう
と考えたら、特に大坂の時期なら温水洋一あたりが適役かなと思ったりしたが
どうよこれ
まさか過去ログ・他スレでガイスツ?
0799人間七七四年
2007/10/13(土) 14:01:42ID:35adFz33若い奴が演じて、そのまま老けメイクさせるだろ、常考。
0800人間七七四年
2007/10/13(土) 14:06:16ID:uqEG4CmL0801人間七七四年
2007/10/13(土) 14:13:20ID:35adFz33兄貴の発言から柔和であった事、
姉貴への手紙から歯が抜けていて髭が白かった事だろ?
必ずしも「冴えない」訳じゃなかろう。
0802人間七七四年
2007/10/13(土) 15:24:28ID:OfgtIZgO0803人間七七四年
2007/10/13(土) 20:36:42ID:4zDNINrVあくまで創作なのだから、山県昌景が長身の美男子だろうが徳川家康がやせ細っていようが
演技がうまく、筋に破綻がなく、物語が面白ければそれでいい
確かにドキュメンタリーでの脚色は眉を顰めざるを得ないが
0804人間七七四年
2007/10/13(土) 23:08:05ID:o4PGmpds0805人間七七四年
2007/10/13(土) 23:22:28ID:sy6EqN1B0808人間七七四年
2007/10/14(日) 09:05:52ID:ckR3rtCkイケメンと言われてる信長や長政、利家ですら肖像画では不細工
0809人間七七四年
2007/10/14(日) 09:43:31ID:Yj0REOWN0810人間七七四年
2007/10/14(日) 14:32:41ID:N2v/gUOe信綱系 福井県を中心に約700人
昌輝系 福井県を中心に約530人
信之系 宮城県を中心に約3170人
信繁系 宮城県を中心に約2240人
0811人間七七四年
2007/10/14(日) 18:11:14ID:DnirU/KG0812人間七七四年
2007/10/14(日) 22:03:54ID:kHKpp3qM去就のはっきりしている昌輝-信正系ならともかく
0813人間七七四年
2007/10/16(火) 16:30:05ID:VcWcyDq10814人間七七四年
2007/10/16(火) 18:18:10ID:vGZup+yXそいつのせいで掲示板を閉鎖したHPがいくつかある
0815人間七七四年
2007/10/17(水) 02:05:22ID:IGN2iAuK関わりたくねぇ…
0816人間七七四年
2007/10/17(水) 02:14:47ID:iZYkfczN0819人間七七四年
2007/10/18(木) 20:11:50ID:WJ05RD2b特に大坂の時期なら温水洋一あたりが適役かなと思ったりしたが
いいな、其れ…。
世間の幸村様像がどうなるか…w
しかし、名優ぬっくんではあるが、果たして大音声で号令をかけたりする様な抽斗があるかな?
あくまで、最終的には…「かっこいい〜!!」…って思われる様で無いとね。
0820人間七七四年
2007/10/18(木) 21:06:53ID:PcwHPZw7少なくとも風貌は九度山から変わっちゃったみたいだし
でもそのギャップがいいとは思うね
確か信長だってフロイス?によると声は高かったというから
アメザリの片方とかねwww
逆に秀吉は見かけは猿っぽくなかったとかいうし
そもそも猿とは呼ばれてなかったんでしょ
だから役に入れ込んじゃえばあの貧相な感じが逆に真田の悲壮感が漂っていいかもよ
0821人間七七四年
2007/10/19(金) 10:22:32ID:14aTIvjZ信繁は物静かで温厚な普段あんまり目立たない人でガチなのでは
0822人間七七四年
2007/10/20(土) 00:55:25ID:cz7j0+b1その近所には今も真田さんが住んでる。そこの当主は高知で医者をやってるらしいが。
0823人間七七四年
2007/10/20(土) 18:16:12ID:nEWsjUyk誰の墓?
0824人間七七四年
2007/10/20(土) 19:04:33ID:mTOKmt67そうすると「おおーっ!」となって、後の話がしやすくなる。
就職の面接のときもこれで乗り切りました。
0825人間七七四年
2007/10/20(土) 19:15:26ID:kT+ViHdQそれ何てペパーダイン?
0826人間七七四年
2007/10/20(土) 22:55:33ID:KT9jlTwS0828人間七七四年
2007/10/21(日) 01:23:14ID:mJBbolZ9“戦国武将”シリーズ「幸村」
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/1019/skytec.htm
0829人間七七四年
2007/10/21(日) 01:25:39ID:LNGg5+hJ0830人間七七四年
2007/10/21(日) 01:33:25ID:uxuQVaY5考えて見ると信之公の子孫と言うより幸村様の子孫と言った方が洒落になるのかw
此れからは子孫はヤマトの技術班長です…も加えて下さい(名前ウラヤマシス)。
0831人間七七四年
2007/10/21(日) 08:13:53ID:sj8XkPqEそりゃそうだ
年齢的には加藤清正とか伊達政宗とかあの辺の世代なんだけど
親が良くも悪くも凄かったからな
0832人間七七四年
2007/10/21(日) 11:21:23ID:StoFoFbZ0833人間七七四年
2007/10/21(日) 17:30:10ID:lefXtO+Z真田家は
0834人間七七四年
2007/10/21(日) 19:35:38ID:WotDrvl1信繁を知っていて、信之を知らない人は腐るほどいるけど、
信之を知っていて、信繁を知らない人はまずいないだろう。
0837人間七七四年
2007/10/21(日) 21:00:15ID:RZwVDhhW0838人間七七四年
2007/10/21(日) 21:32:03ID:sj8XkPqEていうか11人もいたのか、息子?
0839人間七七四年
2007/10/22(月) 00:25:36ID:lagrv42qそう、4男。俺がボケてた。
讃岐に信繁共々落ち延びてきて在地の武将んとこに数年寄食してたってさ。
信繁の件はまずありえないが、息子がこんなとこに来るんかねぇ。
でも>>691以降のレスは初めて聞いた見解だから新鮮だった
0840人間七七四年
2007/10/23(火) 16:59:34ID:5wFK0nlHどこまでが創作か分からないけど、いつもは日陰者のお兄ちゃんが
かっこよく描かれてて、よかったとおもいます まる
0841人間七七四年
2007/10/23(火) 20:20:16ID:3DMo7+ch犬伏の別れにしたって、家を残すための昌幸による功績になってるけど
むしろ評価されるべきは信之だろうに・・・
関ヶ原後の助命嘆願にしたって信之が徳川譜代からの評価が高かったから成功したってのに・・・
不憫だ・・・
0842人間七七四年
2007/10/23(火) 22:35:29ID:GC8Wezr+他にありますか?
0843人間七七四年
2007/10/24(水) 01:23:05ID:3lmynLLl生前から幸村って呼ばれた訳じゃないよね
0844人間七七四年
2007/10/24(水) 01:46:03ID:ecenHLqj「幸村」という名前が使われた当時の史料が残っていないというだけで、
必ずしも間違いであるとは限らない。
自分こそが真田家の真の後継者だとして、
大阪の陣あたりで「幸」の字を使っていたっていう可能性もあるしね。
幸村の由来に関しては真田家の通字である幸の字に
お姉さんの村の字を足して出来たという説がある。
0845人間七七四年
2007/10/24(水) 01:48:46ID:rqNdHxoV江戸時代に徳川を相手に戦った、「真田信繁」の武勇伝を語るのは不味いってことで、通称っぽいけど、
なぜ「幸村」かは、不明では。
個人的には、父の昌幸の「幸」と、徳川家に妖刀として恐れられた「村正」をかけて、「幸村」かなぁと思っている。
0846人間七七四年
2007/10/24(水) 01:58:05ID:oKk/FIlI>自分こそが真田家の真の後継者だとして、
大坂の陣じゃ、兄を憚って「六文銭」を使わなかったと聞いたことがあるので、
それはない。
0847人間七七四年
2007/10/24(水) 02:21:28ID:HOmyshPi0848人間七七四年
2007/10/24(水) 02:28:00ID:ecenHLqj実際に図屏風に旗指物が描かれてるから
六連銭が使われなかった事は確かだろうし、
それは信之の立場を考えての事と見るのが自然だろう。
ただ、豊臣方内部でどう名乗ったかという事とは別。
豊臣家中では真田をアピールする必要があっただろうしね。
まぁ、何の根拠も無いし、あくまで可能性の話だけど。
0849人間七七四年
2007/10/24(水) 02:40:22ID:nkpyNI+k信之、信尹等、親族が軒並み徳川方に属していた中で。
内通を余計に疑われることになったろう。
0850人間七七四年
2007/10/24(水) 02:54:12ID:ecenHLqj真田が徳川譜代の家臣なら問題だけど
問題なのは親族が敵方に属しているという事だろう。
「真田」を強調する事に何の不都合も無いと思うが。
兄貴は「幸」の字を捨てたわけだし。
それよりも父親と違って戦歴も知名度も乏しかったであろう
彼の発言力を高めるには有効な手段かなと思ったんだがね。
0851人間七七四年
2007/10/24(水) 03:01:54ID:nkpyNI+kさっきは「真の真田の後継者として」幸の字使ったっていうが、
その時点で信之が「幸」の字を捨ててる時点で、対抗になってないし。
大体、>>846の言うとおり、兄に憚って旗印まで意識してるのに、
内部だけでこそこそ別の名前を名乗るなんて、まずあり得ないだろ。
そもそも
>「幸村」という名前が使われた当時の史料が残っていないというだけで、
>必ずしも間違いであるとは限らない。
なんて言いだしたら、どんな名前でも間違いとは限らないって言えちゃうじゃん。
あんた適当すぎ。
0852人間七七四年
2007/10/24(水) 03:11:30ID:rqNdHxoV立証不可能な時点では、ただの妄想でしかない。
それに、内外で別の名前を名乗るなんて、流石に無理があるような。
内部の人間で生き残ってる人間も少なくないし、息子や娘も生き残っている。
こういうケースにも関わらず、全く資料に残っていない時点で・・・・
大体、別の家名を継いでいて、「真田」性に復すことはあっても、
真田という冠が元々あるのに、「幸」の字を付けることで、発言力が高まるなんてことはない。真田家中ならともかく。
0854人間七七四年
2007/10/24(水) 03:35:02ID:nkpyNI+k幸綱(幸隆)の後継が真田信綱である時点で。
真田家にも多い「信」があくまで武田のものと考えると、「綱」だったんだろうな。
武田滅亡後も「信」が多いところを見ると、当初から「信」だったかもしれない。
どちらにせよ、大坂の陣の時代では、「幸」が真田の通字なんていう認識は周りになかったはず。
信之が「幸」の字を改めたのは、あくまで父親の「昌幸」の「幸」の字であって、真田の通字としてではないのでは。
0855人間七七四年
2007/10/24(水) 03:38:58ID:rqNdHxoV自分の方が真田家の本筋と主張するためにも、「幸」が真田家の通字だったとしたら、
真田の本流を担う信之が捨てるわけがない。
0856人間七七四年
2007/10/24(水) 03:42:06ID:ecenHLqj言ってる意味が通じてないな。
> さっきは「真の真田の後継者として」幸の字使ったっていうが、
> その時点で信之が「幸」の字を捨ててる時点で、対抗になってないし。
信之が「幸」の字を捨てる事で徳川に敵対した真田家との関係性を否定したように、
信繁が「幸」の字を使う事で逆に徳川に敵対した真田家との関係性を強調できる。
実績のある父親の威を借りる事も出来る。
> 内部だけでこそこそ別の名前を名乗るなんて、まずあり得ないだろ。
こそこそも何も信繁が公に諱を用いる事なんて無いだろ。
> なんて言いだしたら、どんな名前でも間違いとは限らないって言えちゃうじゃん。
江戸時代から伝えられている物であり、荒唐無稽の物ではない。、
一次史料に残っていないというだけで完全な否定は出来ないんだって事だ。
「幸村」を100%間違いだと言い切る方が適当すぎると思うがね。
0857人間七七四年
2007/10/24(水) 04:04:53ID:rqNdHxoVだから、その時代の真田の通字が「幸」なんて、そもそも立証されてないだろ。
立証すらされていないことを前提として、さらに仮説を加えるなんて適当すぎだっての。
>信繁が「幸」の字を使う事で逆に徳川に敵対した真田家との関係性を強調できる。
意味不明。信繁そのもの(というかだけ)が敵対してる真田家なのに、関係性を強調も糞もない。
>江戸時代から伝えられている物であり、荒唐無稽の物ではない。、
>一次史料に残っていないというだけで完全な否定は出来ないんだって事だ。
>「幸村」を100%間違いだと言い切る方が適当すぎると思うがね。
悪魔の証明って知ってる?
0858人間七七四年
2007/10/24(水) 04:16:07ID:nkpyNI+kそれすら死後50年以上経ってる上に、フィクションでしか出自が確認できない…
それを昔からあるから、荒唐無稽の物ではないなんて言われても…
ただの迷信を、昔から伝わってるから荒唐無稽じゃないって言ってるのと同じレベル
0859人間七七四年
2007/10/24(水) 04:30:32ID:ecenHLqj> 意味不明。信繁そのもの(というかだけ)が敵対してる真田家なのに、関係性を強調も糞もない。
関係を強調したいのは徳川家と敵対した昌幸の真田家だという事だ。
っていうか、そんな事>>856見りゃ分かるだろ。
昌幸が父親から貰った幸の字を自分も使えば、それに意味はあるだろ。
> 悪魔の証明って知ってる?
こういう場合に使う言葉じゃない。
0860人間七七四年
2007/10/24(水) 04:33:37ID:rqNdHxoV「真田信繁は真田幸村とは名乗っていなかったことを証明せよ」
この答えが「史料として残っていない」ことが理由にならないんだったら、証明しようがない。
密かに名乗っていた、史料として残っていないだけなんていう主張が通るんだったら、悪魔の証明そのもの。
もろにこういう場面で使うべき言葉ですが?
江戸時代から伝わってたら事実かもしれないなら、源義経がチンギスハンだったってのも否定できないんだな。
真田信繁も豊臣秀頼を守って、九州に落ち延びたんだろうさ。
0861人間七七四年
2007/10/24(水) 04:37:57ID:nkpyNI+k「真田幸村は史実ではないと証明しろ!」と求めている図なんだから、悪魔の証明そのものですね
あることを立証できていないのに、ないことを立証することを求めているんだから
0862人間七七四年
2007/10/24(水) 04:45:39ID:nkpyNI+k「幸繁」や「幸信」等ならば、まだ納得がいく。秀頼からも1字いただいて、「頼幸」とかな。
幸はまだしも、「村」が根拠なさすぎなんだよ。姉から採ったなんて、史実としては絶対に考えられない。
幸を加えたいなら1文字改めるのが普通で、いきなり2文字代えて、「村」が出てくる意味が不明。
姉の名前だ、村正だの、創作としか思えん。
0863人間七七四年
2007/10/24(水) 05:02:39ID:ecenHLqjだからね、証明がどうこう言う問題じゃないって言ってんの。
>>844見れば分かると思うが、
「幸村という諱が必ずしも間違っているとは限らない」って言ってる訳で、
「幸村と名乗っていなかった事を証明せよ」だなんて言ってないの。
飽く迄、可能性の話をしてるわけ。
分かる?
> 江戸時代から伝わってたら事実かもしれないなら、源義経がチンギスハンだったってのも否定できないんだな。
> 真田信繁も豊臣秀頼を守って、九州に落ち延びたんだろうさ。
一応松代藩でも使っていた諱とこんな事を一緒くたにするかね。
>>862
そもそも諱なんてまるっきり変える事はいくらでもあるんだが。
0864人間七七四年
2007/10/24(水) 05:12:34ID:rqNdHxoV貴方は違うと思いたいようだが、「こんな事」と同レベルの主張だよ、あなたの。
ちなみに、信繁九州説は、過去帳や古文書に残ってるのも知らないの?
出自がフィクション以外に確認できないものより、ある意味、信憑性あるんじゃない?
0865人間七七四年
2007/10/24(水) 05:43:29ID:nkpyNI+kあくまで可能性なんじゃないのかな〜?
それとも、信繁が九州に100%行っていないって証明でもしてくれますか?
0866人間七七四年
2007/10/24(水) 05:51:07ID:ecenHLqj証明しようの無い事を証明しろと言ってるわけじゃなく、
証明しようの無い事を完全に否定する事も肯定する事も本来は正しくないって事だ。
そこで、仮に「幸村」を名乗っていたとしたら〜かもね、という話をしただけ。
> 貴方は違うと思いたいようだが、「こんな事」と同レベルの主張だよ、あなたの。
当時複数の諱を使用する事は珍しい事じゃない。
当然、一次史料に残っていない諱もあっただろう。
信繁が複数の諱を使用していた可能性や、
その中に「幸村」という物が含まれていた程度の可能性と
歴史的事実に大きく関わるような事が同じレベルの事だと言うなら話にならない。
0867人間七七四年
2007/10/24(水) 05:55:30ID:rqNdHxoVこっちからしたら、優良文献に全く残っていないうえに、
初出典としてフィクション文献が上がっているという状況証拠まで揃っているにも関わらず、
「可能性」の一点張りにしてる方が、話にならないよ。
0868人間七七四年
2007/10/24(水) 06:37:02ID:ecenHLqj> 自分の主張が通らないと、可能性で逃げるのに、他の可能性は、話にならないで逃げるのな。
何言ってんの?
話にならないってのは、比べる物の対象を同列に語る事に対してであって
九州生存説自体について言っているんでは無いんだけど。
正確にその可能性を論ずる事がほぼ不可能であるような事と
前後の状況によってその可能性の高低を論ずる事が十分に可能な事を比べる事な。
> 初出典としてフィクション文献が上がっているという状況証拠まで揃っているにも関わらず、
> 「可能性」の一点張りにしてる方が、話にならないよ。
普通はそれまで通説とされていた軍記物に書かれている事と
より信頼性の高い史料との食い違いにより、軍記物が否定されると思うんだが。
初出が軍記物だって事自体が否定する状況証拠になるのか。凄いな。
0869人間七七四年
2007/10/24(水) 06:40:20ID:nkpyNI+kこちらも言い過ぎたとは思いますがね。確かに一次史料に残っていない諱もあったでしょう
けれど、松代藩でも沼田藩でも仙台藩でも全く見られなかった、全くの無名が突然にフィクション小説に登場した…
「実名」で書くのなら、その時点で知名度のある「真田信繁」を用いたでしょうし、唐突に「幸村」を用いた理由がわかりません
徳川家への配慮が理由と考えても、知名度が低いものであっても実際の諱を使ったら信繁の名を伏せた意味がないと思うのです
信繁縁の家々にも伝わっていなかった諱を、死後60年近くも経って、どうやって筆者が知ったのかも疑問が残ります
可能性がゼロでないことは確かですが、現状では「幸村」を名乗っていた全く証拠がないことが事実だということも認めて下さいな
0870人間七七四年
2007/10/24(水) 06:46:07ID:rqNdHxoV「九州に逃げ延びたかどうか」ってことと同レベルで、
「全く信頼性の高い史料残ってないけれど、名乗っていたかもしれない」っていうのは、
可能性を論ずることが不可能である事ですよ?
あなたの言うように「一次史料に残っていない諱もあった」なんて言いだしたら、全ての名を否定できなくるもの。
信頼性の高い史料の数々で「幸村」の名は存在しない。軍記物で初お目見え。
軍記物だから否定ではなく、軍記物より以前に全く記録がないこと、これが史実でないとの食い違いですが、何か?
0871人間七七四年
2007/10/24(水) 07:06:31ID:ecenHLqjだから、そもそも俺が「幸村」という諱が実際に使われていただなんて主張はしてないんだよ。
ただ単に実際に使われていた可能性も完全には否定できないって話をしただけだ。
まぁ、大坂城から上田に出された書状でも「信繁」になってるから
幸村と名乗っていた可能性は低いと思うがね。
飽く迄可能性について言っているだけの事を躍起になって否定する事の意味が分からない。
>>870
「可能性を論ずる事が不可能」っていうのは諱に掛かってるんだけど・・・。
もうちょっと理解してからレスしてくれよ。
軍記物より以前に全く記録がないこと=初出が軍記物
同じ事言ってるだけなんだけど、何が言いたいの?
0872人間七七四年
2007/10/24(水) 07:15:40ID:rqNdHxoVご自由に幸村、幸村言ってれば。
0874人間七七四年
2007/10/24(水) 07:38:09ID:rqNdHxoV日本語を理解してくれ、もうちょっとでいいから。
人がいってることを全く理解できてないのは自分だという自覚すらできないとは・・・
0876人間七七四年
2007/10/24(水) 07:41:58ID:rqNdHxoV↑そのものではなく、「幸村」の名前が松代藩の記録にしろ、追従する形でしか存在しない。
松代藩が急に幸村を用いた理由に、書状が見つかった、用いていた事実が確認された等がない以上、
軍記物から世間で一般化されたものから用いたと見るのが普通で、それは状況証拠になりうる。
少なくとも、時系列を辿っていけば、頭に軍記物が来てしまうことは事実。
いちいち、理解が足りない奴、理解しようとしない奴に書きつづってられませんわ。
偉そうに語るなら、もう少し勉強してから出直してこい。
0877人間七七四年
2007/10/24(水) 07:44:03ID:ecenHLqj今度は鸚鵡返しか?
>>871の内容には結局何も触れず、
> だから、そもそも俺が「幸村」という諱が実際に使われていただなんて主張はしてないんだよ。
こう言っているにも拘わらず、
> ご自由に幸村、幸村言ってれば。
って言ってる人間が日本語を理解しろとはどういう事か。
0878人間七七四年
2007/10/24(水) 08:19:22ID:ecenHLqjだからね、何度も言うようだけどあんた言い様だと「難波戦記」に書かれた「幸村」という諱が
万年や二階堂が創作した物だという事が前提になってるだろ。
ただ、これが創作であったのかそうでないのかを証明するのは非常に困難だ。
歴史的事象なら兎も角、世間一般に伝わり難い諱なら尚更。
だからこそ、「必ずしも間違いであるとは限らない。」と言っただけの事。
> いちいち、理解が足りない奴、理解しようとしない奴に書きつづってられませんわ。
もうこれ、そのまんま返すわ。
0879人間七七四年
2007/10/24(水) 08:29:50ID:rqNdHxoVといいながら、「幸村」が史実かなんて、全く確かな物証が残っていないものよりも、
よほど資料や伝承が残っていて、史壇にまで挙げられた信繁生存説を「まがい物」だと一蹴してるんだよな。
あなたは、単に自分主張していることだけ、「悪魔の証明」で立証できないことをいいことに、
「間違いとは限らない」と言いながら、一方で「事実とはいっていない」と逃げ、
さらに、信繁生存説については、証言から書かれたという書物、松代藩、薩摩藩を初めとした数多くの伝承があり、
「必ずしも間違いであるとは限らない」にも関わらず、ネタ呼ばわり。
ダブルスタンダードも大概にしろ。
0880人間七七四年
2007/10/24(水) 08:51:53ID:H7Km6Zt1>万年や二階堂が創作した物だという事が前提になってるだろ。
>ただ、これが創作であったのかそうでないのかを証明するのは非常に困難だ。
>歴史的事象なら兎も角、世間一般に伝わり難い諱なら尚更。
>だからこそ、「必ずしも間違いであるとは限らない。」と言っただけの事。
間違いであるとは限らない=正しい可能性がある
という事は、正当化するだけの、可能性を証明するだけの史料的裏付けを提示しなければ話にならないと思うが・・・
「可能性を否定出来ない」なんて言葉は、その「可能性」を少しでも出すだけの根拠無きゃだめだよ
0881人間七七四年
2007/10/24(水) 08:57:44ID:rqNdHxoV初代の信之の書状など数多くに残り、最も一般的だったであろう名は「信繁」であったことは確か
もちろん、松代藩では、当然ながら信繁の名が用いられていた
にも関わらず、なぜ唐突に幸村を用いたか? それは、軍記物によって一般的に広まった結果であることは明白
仮に軍記物が発行されなかったり、軍記物で「信繁」であったりすれば、信繁のままだった事は疑いない
最初の2行の通り、仮に「幸村」の名が事実存在したとしても、普通に使われていたのは信繁だったにも関わらず
松代藩が、途中から史料に残る信繁ではなく、一切史料にない幸村の名を採ったのは、「一般的に広まった」以外に考えづらい
上記の理由から、幸村の名が事実としても、当初、松代藩が用いるほどに使われていた名前でないことは疑いない
松代藩に幸村の名が残ったのは、間違いなく軍記物の影響、世間に広まった結果といえる
「幸村」の真偽を問わず、採用理由に上記の理由が含まれる以上、用いられたこと自体にさした史実的影響力は持ち得ない
軍記物で一般的に広まった以外に、数多く史料に残る信繁の名を変えてまで、「幸村」を用いた理由があるならば、
確たる史料なり文献が残っていなければ不自然であり、「全く」残っていない現状は理解しがたい
0882人間七七四年
2007/10/24(水) 08:58:18ID:H7Km6Zt1>幸村の由来に関しては真田家の通字である幸の字にお姉さんの村の字を足して出来たという説がある。
説もあるというなら、その説を唱えてる人の名前、紹介してる著書ぐらい書こうね
学説ならいいんだけどね
0883人間七七四年
2007/10/24(水) 09:04:40ID:nkpyNI+k史実扱いで、あの時代に姉から貰った、刀の名前から採ったなんて、説にすらならないでしょw
史実として唱えてる書があるなら、知りたいから教えて欲しいな
0884人間七七四年
2007/10/24(水) 09:11:20ID:H7Km6Zt1でも幸村ってのはないよな〜
そういえば寛永譜で幸村とあったっけ?
「寛永譜」は信繁で、天保十四年完成の「真田家御事蹟稿」で幸村だったと思う
0885人間七七四年
2007/10/24(水) 09:51:30ID:ecenHLqj九州生存説に一次史料が残ってるのか?
初出は 「胆大小心録」だと思ったが。
古文書は「薩摩風土記」の事か?
それがお前の言う優良な史料なのか?
そもそもネタ扱いで出してきたのはお前だろ?
それとも何か?義経生存説にも優良な史料があるのか?
歴史的事象について否定する論拠は幾らでも見つけられるだろう。
だが、諱が使われていたかどうかを確かめる事はほぼ不可能だ。
そういった性質の異なる両者を同列に語る事自体がおかしいと言ってるんだ。
> 「間違いとは限らない」と言いながら、一方で「事実とはいっていない」と逃げ、
何言ってんの?
必ずしも間違いとは限らないっていうのは間違いか間違っていないか分からないって事だぞ?
事実とは言っていないという事とどこに不合理性があるんだ?
>>881
それまで言っていた事と何ら変わってないじゃないか。
>>883
あのな、それは>>843の「何故幸村と呼ばれるようになったか」という質問に対するレスであって
実際に幸村という諱が使われていたかどうかとは全く関係無い話なんだが。
頭大丈夫?
0886人間七七四年
2007/10/24(水) 10:53:12ID:znneri2C限りなく疑わしい信繁生存説よりも、幸村名は資料として残ってないって言われてることにも気付けないのか
0887人間七七四年
2007/10/24(水) 10:56:05ID:znneri2C幸村と呼ばれる理由はこうだから、松代藩が使ってる=幸村の信憑性にはならないって言われてるんだよ
いちいち、他者にまで解説して貰わないと理解できないなら、いい加減に議論やめたらどうよ
マジでお前、まったく人が書いてくれてること理解できてないぜ
0888人間七七四年
2007/10/24(水) 10:59:00ID:znneri2C>>880に書いてくれてることをちゃんと嫁。答えてみろ。
そして、松代藩が使ってるからどうのってのは、>>881に書かれているように根拠にはならん。
0889人間七七四年
2007/10/24(水) 11:18:00ID:znneri2Cそれにしても、議論するなら単発単発で答えるんじゃなく流れで、ちゃんと自分が何を主張したのかくらい把握してくれよ
ID:ecenHLqj は、誰も同調してくれてない時点で、自分の主張に脈絡がないことに気づいてくれ
自分の主張ばかり肯定して、人の指摘はめちゃくちゃ言って否定って、ただの荒らしになってるぞ
0890人間七七四年
2007/10/24(水) 14:56:34ID:ZqVj7KuN0891人間七七四年
2007/10/24(水) 16:18:25ID:a0zGb/w7なんかレス進んでると思ったら。。
いろいろ書いてあって読むの面倒だな
0892人間七七四年
2007/10/24(水) 17:44:09ID:VQSCnaTC0893人間七七四年
2007/10/24(水) 19:57:37ID:xlxTZwre生きてる間に「幸村」は使われてたかどうかを知りたいのだが
ところで
九度山から真田出撃
の報を聞いたときの信之の心情は伝えられてる?
がっかりしただろうなあ
0894人間七七四年
2007/10/24(水) 20:02:49ID:VZwBG9A2史料にはない
使われてなかった証明は誰にも出来ないので信じたければご随意に
0895人間七七四年
2007/10/24(水) 20:15:07ID:xQwlbqik鉄砲が槍に負けるって西洋の戦いでも普通にある話だが
射撃時間と歩兵が突入する時間考えれば
お互いの欠点補完しあうためには諸兵科連合なわけだが…
0896人間七七四年
2007/10/24(水) 20:16:39ID:xQwlbqikもう幸村で広まってるからそれでいいんじゃないか?
0897人間七七四年
2007/10/24(水) 20:25:51ID:2gbrKgn50898人間七七四年
2007/10/24(水) 20:30:16ID:xQwlbqik講壇の影響かなあ
幸村ってなんでだろ
まあ、広まってるしいいんじゃね
真田丸は武田流築城術の産物って日本史板にあったがそうなの?
戦術家としては優秀だと思うんだが
戦略家としてはどうかわからん資料ないし・・・
0899人間七七四年
2007/10/24(水) 20:34:04ID:VZwBG9A2読者(聞き手)受けがよいと思ったんじゃないの
0900人間七七四年
2007/10/24(水) 20:37:44ID:xlxTZwre個人的には史料に無ければそれは現実にも無いと考えるタイプ
0902人間七七四年
2007/10/24(水) 22:16:41ID:4z2NCGnw分からないものは分からないままでいいんだよ
0903人間七七四年
2007/10/24(水) 22:35:05ID:NFVeMWP0多少の表現の違いやら揚げ足取りやらで揉めてる馬鹿が複数名いたって事でおk?
0904人間七七四年
2007/10/24(水) 23:06:32ID:znneri2C0906人間七七四年
2007/10/24(水) 23:52:50ID:H7Km6Zt1幸村の初見などを調べて見りゃわかる
0907人間七七四年
2007/10/25(木) 18:55:25ID:M814STF4押し付けだしたらアレだけど
俺は幸村使用は無かったと思ってるだけ
0908人間七七四年
2007/10/25(木) 19:09:17ID:V/yoNthFただ史料にはないけどオレはそう信じていると言われても他人とディスカッションにはならんわな
はぁそうですかで終了
議論になることとならないことくらいわかってもらえないと苦しい
0909人間七七四年
2007/10/25(木) 19:36:23ID:Eh0rD9xy過去に真実を求める方があほらしいのに、こういう時だけ悪魔の証明持ち出されても
ところで武田崩壊時に氏邦に昌幸が送った書状ってどんな内容なんだ?
氏邦と内通してたから岩櫃にいっても勝頼の最期は同じだったって話を聞くんだが
0910人間七七四年
2007/10/25(木) 19:36:27ID:pgdrip2c実際に使われていたかもとしれないと思っているとか言っておけばいいものを。
可能性ってニュアンスではないとしかならないわけで。
0911人間七七四年
2007/10/25(木) 23:22:49ID:Z7K30XXh馬鹿杉
0912人間七七四年
2007/10/25(木) 23:26:23ID:Kg5uMlxD0913人間七七四年
2007/10/26(金) 00:01:31ID:jaxKSotw0914人間七七四年
2007/10/26(金) 00:04:45ID:OW1YA9wkもういいから一々暴れんなよw
0915人間七七四年
2007/10/26(金) 00:06:44ID:C308aTq1あ、御本人でしたかw
0916人間七七四年
2007/10/26(金) 00:09:16ID:OW1YA9wkすげー思考w
0917人間七七四年
2007/10/26(金) 00:14:40ID:jaxKSotw他人の話は全否定の馬鹿一匹だったのにねw
んで終わった後に、蒸し返し必死に暴れんなと言い出してる単発IDが続き、今でも必死w
サーセンwwww
0918人間七七四年
2007/10/26(金) 00:18:15ID:OW1YA9wk0919人間七七四年
2007/10/26(金) 00:22:00ID:jaxKSotw必死すぐるwwwwwwww
0920人間七七四年
2007/10/26(金) 00:27:10ID:OW1YA9wk面白れーwwww
0921人間七七四年
2007/10/26(金) 00:29:38ID:jaxKSotw「俺は遊びでやってんだよ、釣られんなw」レスwwwwww
負け犬の後釣り宣言乙w
0922人間七七四年
2007/10/26(金) 00:30:23ID:OW1YA9wk0923人間七七四年
2007/10/26(金) 00:31:44ID:jaxKSotw0924人間七七四年
2007/10/26(金) 00:32:38ID:OW1YA9wk0925人間七七四年
2007/10/26(金) 00:35:41ID:jaxKSotwID:OW1YA9wk= ID:Z7K30XXh=ID:ecenHLqjの間抜けぶりを
0926人間七七四年
2007/10/26(金) 00:36:54ID:OW1YA9wk0927人間七七四年
2007/10/26(金) 00:39:20ID:jaxKSotwわかったわかった。
もういいから一々暴れんなよw
918 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:18:15 ID:OW1YA9wk
必死杉www
920 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:27:10 ID:OW1YA9wk
必ず返事くれるんだな、この人。
面白れーwwww
922 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:30:23 ID:OW1YA9wk
また来たw
924 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:32:38 ID:OW1YA9wk
期待を裏切らないな、本当に。
↑自己レスwwwwwww
んじゃお休みニートw
0928人間七七四年
2007/10/26(金) 00:39:36ID:bCaE9k3k一晩寝て頭冷やせ
0929人間七七四年
2007/10/26(金) 00:39:59ID:OW1YA9wk0930人間七七四年
2007/10/26(金) 08:00:37ID:nlwGjJ6o昌輝が岩尾城で生まれていることを考えたら身重な夫人を歩かせたにしても
遅くとも天文十二年には武田に仕えてるはずだと思うんだけどどうなんだろう
0934930
2007/10/28(日) 08:14:05ID:ZD/ITKJ3ん?どういうこと?
仕官して安定してから、ってことは、昌輝の岩尾城出生説が間違ってるってことかな?
それなら>>930で言った時期より遅くて別に問題なくなっちゃうな
0935人間七七四年
2007/11/08(木) 09:59:56ID:LGXs0I1c下巻はまだ入荷してない。多少余剰分があるみたいだから興味アル人
は今のうちにどうぞ。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30464229
0936人間七七四年
2007/11/09(金) 19:11:44ID:cCM5mNoQamazonで検索したらマーケットプレイスで上巻は1円から。。。
下巻は685円からで新品は取り扱ってないのかな。
0937人間七七四年
2007/11/09(金) 20:17:57ID:ND1NkRfiなんだかんだ良く言われても
昌幸・信繁父子は結局最後に時勢を読み切れなかったということは
うーん、なんていうか・・・ねえ
0938人間七七四年
2007/11/09(金) 20:37:51ID:5kXvuTOjなかったのでは? あのままでは昌幸同様に九度山で朽ち果てていくだけだもの。
0939人間七七四年
2007/11/09(金) 21:01:19ID:2RwIrmwT最も大局的だったという見方もできようさ。
0940人間七七四年
2007/11/10(土) 00:09:21ID:ZLNAs9Ip0941人間七七四年
2007/11/10(土) 02:28:23ID:xfEy247L0942人間七七四年
2007/11/10(土) 07:46:11ID:HD6OSGBO伊豆守はデフォで従六位下だが信之は従五位下伊豆守
で、松代移封時に従四位下に昇格している
徳川寄騎大名の嫡男と
秀吉の手元に置かれた大谷の娘婿なら
多少は後者が上に来ることがあっても仕方がない
そういや秀吉の命令とはいえ徳川の寄騎大名なんだから
関ヶ原時に沼田は信之となってた時点で真田って譜代大名の資格あるんだな
0943人間七七四年
2007/11/10(土) 09:39:24ID:assEjqLFなので譜代扱いだよ。帝鑑間詰で幕末には真田幸貫が老中になっているわけだし。
いくら松平定信の息子とはいえ、外様だったら絶対にそんなことはありえない。
0945人間七七四年
2007/11/10(土) 10:32:50ID:ghAzmab20946人間七七四年
2007/11/10(土) 15:53:40ID:ZLNAs9Ip結果的にどちらが勝っても存続する形になったこと、別れた時点でそれが頭にあったことは確かだろw
逸話はともかく、そういう状態になったことに伝説も糞もない。
0947人間七七四年
2007/11/10(土) 16:03:32ID:6ky14P+60948人間七七四年
2007/11/10(土) 17:16:18ID:ghAzmab2昌幸に関してはへそ曲がりで頑固なところがあったから
喧嘩できそうな相手→あの時点では徳川に楯突こうと考えたんじゃないかな
だってべつに信之についてもよかったはずだし
ただ、現実問題、秀忠が真田スルーだったらその真田はどうなってたのかなと興味はある
一説には秀忠は真田攻撃が目的だったみたいな話もあるけど、
それだけであんな大軍を当てないと思う
0949人間七七四年
2007/11/10(土) 18:04:18ID:ZLNAs9Ipバカはお前。
昌幸は中立を守る、灰色の立場をとるという手段もあったが、
信幸が徳川方に付いたから、旗色を鮮明にしたと考えてもおかしくはない
0950人間七七四年
2007/11/11(日) 02:06:17ID:8aJic9Ze0951人間七七四年
2007/11/11(日) 04:18:41ID:mIpIgA8Hどうみても偽者なんだが・・・w
これが本物だったら“幸村説”が本当に(ry
0952人間七七四年
2007/11/11(日) 16:55:07ID:XD4NvYWR0953人間七七四年
2007/11/11(日) 17:38:22ID:m7AJi1+30954人間七七四年
2007/11/11(日) 19:46:45ID:RyF805uh0955人間七七四年
2007/11/12(月) 20:01:08ID:2pCPYWL5真田男爵家・・・松平(久松)
信之以外の家系ならけっこう男系で繋がっているが。
0956人間七七四年
2007/11/13(火) 17:37:42ID:1MDkJll8今だから言えるんだろう。信繁はもう読む読まないじゃないが、昌幸
の関が原は難しいど〜w 家康やや有利と読めたとしても、ややだからw
領地配分の面では西のがいいし、確率は決して低くないし、上田に
孤立しながら現実的に負けず西軍のために仕事してるし。
0957人間七七四年
2007/11/14(水) 00:45:32ID:s/UrX5nU0958人間七七四年
2007/11/15(木) 21:46:37ID:32dLmiqj0959人間七七四年
2007/11/16(金) 04:36:38ID:/kjYZw4r聞けよ、丹波って感じだったよな。いくら渡弟に詰め寄られて切迫
してても、情報を聞いてから判断しろよとw
0960人間七七四年
2007/11/18(日) 02:01:39ID:t95rWv5u0961人間七七四年
2007/12/02(日) 02:44:58ID:bGVqejBIその前に信之様が出たのは見逃したけど…まぁ、無いだろうな…orz
0962人間七七四年
2007/12/19(水) 15:42:04ID:CsX6lEel0963人間七七四年
2007/12/19(水) 16:33:24ID:UcHXoLNK0964人間七七四年
2007/12/19(水) 21:01:21ID:EsPttY6nこの皇子が関東に下り滋野の姓を名乗ったんだって。
その滋野氏の子孫が海野、祢津、望月。
ちなみに木曽義仲に仕えてた海野幸親は幸隆の父の先祖。
幸隆は最初海野幸隆という名だったが、武田信虎と村上に真田郷を追われ、
再起を願い武田晴信に仕えることを決めた時
故郷の真田の姓に変えた。
でも何の文献か忘れたけど、それよりもっと以前の文献に、
「実田」の名があり、それが実田=真田ではないかとも言われてる。
0965人間七七四年
2007/12/19(水) 23:34:05ID:IYIKggse幼少の頃、家光に謁見した際に粗相を働いて家光が激怒し「信就の真田家相続はまかりならん」と言われてしまって廃嫡。
成人してからも部屋に閉じこもって、詩や歌を作っていたらしい。
紀州藩初代の頼宣は信之を尊敬していて、よく信之を紀州邸に招いていたそうだ。
で、信之が格上の頼宣を訪ねる場合は、門の前で輿を降りるのが礼儀だったが
高齢の信之に配慮し、頼宣は玄関先まで輿で入るのを許していたそうだ。
頼宣の嫡男で2代藩主となる光貞に初めて甲冑を着させる儀式の際、兜の緒を締めたのも信之。
こういう縁もあり、頼宣の二男で西条藩初代の松平頼純の娘は、松代藩4代藩主真田信弘の正室となっている。
つまり、8代将軍の吉宗と信弘の正室は従兄弟同士。また、松代藩8代藩主真田幸貫は吉宗の曾孫。
0966人間七七四年
2007/12/20(木) 08:49:49ID:wQeL8dkz0967人間七七四年
2007/12/21(金) 19:51:59ID:pBvavR1tその説は昔の通説じゃね?
今は幸綱は海野氏説、矢沢氏説、元々真田氏説とか色々あってよくわかってないはず
0968人間七七四年
2007/12/22(土) 19:58:45ID:IYVyAKlR海野氏の通字である「幸」の字を使わなかったのか?
0969人間七七四年
2007/12/22(土) 20:23:05ID:YLRHCBde幸だけにこだわることはないのでは?
0970人間七七四年
2007/12/22(土) 22:56:38ID:DcKwxAbD0971人間七七四年
2007/12/23(日) 11:43:38ID:yGvEKxtB0972人間七七四年
2007/12/23(日) 19:53:36ID:EM1zMsxv信綱初陣が早い説でも砥石城だからそう考えるのが妥当だとは思うが
そうと断ずることのできる確たる史料はないだろうなあ
0973人間七七四年
2007/12/23(日) 20:01:37ID:dyKf8umJ「綱」は棟綱の「綱」、
で、嫡男に与えるとしたら普通は「幸」?「綱」?
信綱の「信」は晴信からの偏諱だと思うけど。
0974人間七七四年
2007/12/24(月) 21:04:22ID:0HqH+QRX0975人間七七四年
2007/12/25(火) 02:28:24ID:dFcDp5HC0979人間七七四年
2007/12/28(金) 12:35:56ID:B5FJ+CUB幸隆が棟綱の長男で真田郷に移り住んで真田を名乗った
というのは、日向畑遺跡や真田屋敷跡が幸隆以前の物で
ある可能性が高い事から、考え難い。
「幸綱」という諱は如何にも海野氏嫡流という感じもするけど、
子で「幸」が付くのは何故か三男の昌幸だけ。
「小県郡海野白鳥系系図」などにあるように、棟綱の娘が
真田氏に嫁ぎ、その子が幸隆であるというように元々は
海野氏の傍流であって、1541年の幸義戦死を受けて
昌輝誕生から昌幸誕生の間に海野氏嫡流をアピール
するようになったというのはどうだろう?
0980人間七七四年
2007/12/29(土) 00:28:03ID:k+iZcmeD0981人間七七四年
2007/12/29(土) 12:33:27ID:ZiZTsyv7上田城?大阪城?どちらにあるかご存知ですか?
連休を使って幸村の記念館や資料館に行ってみたいのですが無知なもので・・・
0982人間七七四年
2007/12/29(土) 13:54:18ID:tAkKiYbf松代に行っても何もない。
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