穢多は、公役として牢番役、刑吏役といった役人を務めた。
特に関東では、自らを長吏(役人)と呼んだ。
別に自称役人だった訳ではない。公認された役人だった。武士でないから、あくまでも下級役人であるが。

非人は、補助的なものであり、役人として公認される事がなかった。
非人は乞食身分であり、残念ながら身分内賤民であった。つまり帯刀など認められる訳もなかった。

穢多と非人は、刑務関係の公役業務として交わる。ただ格があまりにも違いすぎる。
穢多(下級役人)が、非人(身分内賤民)を公的に労使した、という関係だった。