まだ  やってんの

明治維新の立役者は、薩摩・長州を中心とした倒幕派と江戸幕府との武士階級の争いごとであったのは
史実のとうりである。
ここで、大政奉還・明治維新で、何とかしなければ封建制度の頂点であった武士階級に民衆の反撃が始まる。それは士農工商という身分制度であり、
このままで行くと、民衆をコントールし、百姓から過酷な年貢取り立ててた武士は、不利な立場となる。
そこで、百姓らを苦行の目にあわせてたのは、エタとの図式が完成する。そして、武士は華族としてまんまと生き残る。
(一説には、庄屋も同罪で、この図式を完成させ、大多数を占める小作人対策をしともいえる)
そして、片方では武士も下野し平等の社会が来たと、自らの身の保身を図ったといえる。