ダキニ天の真言を唱える
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0093【害毒】真言宗は大邪宗
2010/11/06(土) 22:52:44ID:TrxuaW7F真言密教は、中国(唐の時代)に、善無畏(ぜんむい)が、天台宗の僧「一行阿闍梨」を巧言をもってそそのかし、
大日経にはない法華経の教理を取り入れた『大日経疏(だいにちきょうしょ)』 を著させた。
これによって善無畏は、「大日経は法華経よりも高い教えである」と説き大日経を弘めた。
これが真言系の起源だ。
中国には、すでに「天台大師」による円満無欠の『法華経』が弘まっていたが、天台大師の入滅後に、
善無畏によって伝来したため、天台大師の破折を、まぬかれているのだ。
そのことが、後の世の人々が、真言に籠絡されていく落とし穴となってしまった。
善無畏らは、一切経はすべて『大日経』の中に摂め入れられていると、法華経の開権真実・開三顕一等
の天台宗の教義を盗み取り、自宗の極理と称した巧みな誑惑により、密教は最勝の法であるかのごとく
中国に広く根をおろしていった。
日本においては、弘法大師「空海」(774年〜835年)が、804年に遣唐使に加わって渡唐し、
不空の弟子・恵果に師事して法を付され、真言宗を立宗したのが始まりである。
空海は、『十住心論』の中で、「法華経は大日経より見れば三重の劣であり第三戯論である」や、
「釈尊は無明の辺域(仏界から遠く離れた迷いの境涯)にして明の分位(明らかな悟りの位)にあらず」
との邪義を述べている。
『大日経』等を密教とし『法華経』を顕教とすることは、いずれの経にも文証のない空海の己義である。
『大日経』は、一代聖教中、声聞・縁覚を対機として説かれた方等部に属することが明らかで、
四十余年未顕真実の方便経たることは疑いないのである。
ゆえに、『法華経』と『大日経』とは理においても雲泥の差があるばかりか、二乗作仏・久遠実成の
現証が『法華経』にのみ説かれることにより、事においても『大日経』は遠く『法華経』に及ばない。
いかに『大日経』に印・真言が説かれると力んでみたところで、手に印を結び真言を唱えても、
大謗法となり、生命は濁り、災いの根源となるのである。
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