>>555
>他の批判者の話をして、『それがどうした?』

他の批判者にはそれぞれそれぞれ立場があるだろうしそれぞれの立場から
批判するのは当然。それに批判者が賛同することもあるし、
必ずしもそうでないこともあるだろう。たとえば本尊論などにはあまり興味が無いね。
↓こういうのは興味あるけどね。

359 :神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 16:37:21 ID:VjVCYlGd
過去ログ漁ってたら出てきたけど、この設問の顕徹の確信犯的な曲解、情報操作はスゴいな。 
財宝ってフレーズが入ってたんで、こりゃイイ!って目が輝いたんだろうなw
しかも真宗聖典にはない持名鈔まで持ち出して・・・

教学聖典5  問34
「後生の一大事は、どんな犠牲を払っても解決せねばならぬものである」と教えられた、
存覚上人のお言葉と、その根拠を示せ。

答え :仏法の為には、身命をも捨て、財宝をも惜しむべからず (持名鈔)

持名鈔 http://www.terakoya.com/seiten/seiten.cgi?c0997
原典から引用:

これによりて善導和尚の解釈(観念法門・意 六三七)をうかがふに、「身を粉にし骨を砕きても、仏法の恩をば報ずべし」とみえたり。
これすなはち、仏法のためには身命をもすて財宝をも惜しむべからざる こころなり。 このゆゑに『摩訶止観』(意)のなかには、
「一日にみたび恒沙の身命を捨つとも、なほ一句の力を報ずることあたはじ。いはんや両肩に荷負して百千万劫すとも、むしろ仏法の恩を報ぜんや」といへり。
恒沙の身命を捨てても、なほ一句の法門をきける報ひにはおよばず。まして順次往生の教をうけて、このたび生死をはなるべき身となりなば、
一世の身命を捨てんはものの数なるべきにあらず。身命なほ惜しむべからず。いはんや財宝をや。
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(参考:釈迦弥陀の慈悲よりぞ願作仏心はえしめたる信心の智慧にいりてこそ仏恩報ずる身とはなれ.)