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会長への礼状に「自力一杯求めさせて頂きます」と書くのが望ましい、と、会長からのメッセージと
して光晴講師より伝えられたことがあった。
信心偽装や盗作疑惑はさておいて、会長自身が信心を得る道として選択してるに過ぎない。
それが結果として教団拡大に適している教釈であったといえる。
聖道を排斥しつつも親鸞会に都合のよいことばかりを自力として求めさせる。
自分を犠牲にし、さらに社会と対立し、しかも常に人柱のごとくその矢面に立たされる。
それなら真っ当な聖道仏教を求めた方が、冷静に自己を見つめることも出来てよほど健全だと思う
が。
善の方法と考え方は違えども、宿善〜救いのシステムについては清森氏の解釈も結局は親鸞会とほ
とんど大差なし。
ひとつの道として否定はしないが、清森氏には浄土仏教が易行門とされる所以をもっと違う角度か
ら捉えて欲しいと願っている。