>>371
>空華学派では、若不生者を「信楽に生まれる」と説いているのでしょうか?
>正確には「正定聚に生まれる」だと思います。
>行信教校発行の書籍で見ましたが、今手元にありませんので分かりましたらお知らせします。
>また、大谷派では曽我量深氏も同じ解釈をしていたと思います。それはおそらく師の講義集にあったと思います。
>参考まで。
>投稿 とんぼ | 2008年1月17日 (木) 01時05分

>>372
>即得往生は「至心信楽」であることが明示されていますので、
>「即得往生は後念即生なり」の記述の通り、これは至心信楽(欲生我国)に当たります。
>ここ、伝統的宗学では『成就文の「即得往生」が因願の「若不生者」に対応』します。

親鸞会が今後「伝統的宗学」を根拠に出すのであれば、少し疑問を感じます。
1)真宗が衰退したと親鸞会が考える時期と理由
2)真宗が衰退した要因に伝統的宗学が含まれるのか
3)親鸞会が真宗衰退の張本人として非難する本願寺では伝統的宗学を受け継いでいないのか
4)明治以降真宗改革に名乗りを上げた人と伝統的宗学を受け継いだ人との違いは
5)行信教校や曽我量深氏を親鸞会が根拠にあげる理由は
6)親鸞会に於いて行信教校や曽我量深氏は真宗衰退を作り出した組織・人ではないのか
7)親鸞会が伝統的宗学を根拠に出すようになったとき会員に伝統的宗学を学ぶ許可を与えるのか
 ※今でも会員が伝統的宗学を学ぶことを禁止していない?推奨している?
親鸞会での「伝統的宗学」の位置付を示さないと、説得力に欠けると懸念いたします。

あくまで個人的な疑問ですが、
『親鸞聖人が、「若不生者」の「生」は「信楽をえる」ことだと言われた』 とすれば、
成就文が、『【信楽】を得て、かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち【信楽】を得』と聞こえてしまうので、
『親鸞聖人が、「若不生者」の「生」は「信楽をえる」ことだと言われた』 文章を示していただきたいと思うのです。

あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。
かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち【信楽/往生】を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹謗正法とをば除く