【速報】赤木さん「夫に指示した人は黒塗りです🥺」ジャ…【国技】 [769937205]
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0841番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ガラプー KK06-7R59)
2021/06/22(火) 14:17:41.58ID:MYRnjg34K『当然、血染めの5点の衣類についての供述は一切なく』、袴田は「捏造された証拠だ」と主張。
しかし、事件と袴田を結びつける有力な物的証拠として、5点の血染めの衣類は袴田のものと認定された。
■(1年後)1968/09/11、主任裁判官(≠裁判長)だった熊本典道(当時29)は反対したが、合議の末、先輩の裁判官から死刑判決を書くよう言われ、
一審の静岡地裁は死刑判決。熊本は罪の意識から、その7ヵ月後に退官。
因みに、1968年は、東大紛争や三億円事件があった年。
1980年、最高裁で死刑確定。『死刑確定から34年、これほど長い間、刑が執行されていない死刑囚はいない』。
■装着実験
1971年、東京高裁で、血染めのズボンを袴田本人が履く、装着実験を実施(下半身はブリーフ一丁)。
3回の装着実験では、いずれも履くことはできなかった。「ズボンの胴回りは78cm」と小さ過ぎて、太ももあたりでつかえて、無理矢理引っ張たら破けた。
袴田は「これで無罪確定だ」と信じた。
検察は「味噌に漬かって縮んだ」と主張。
■しかし確定判決では…
履けなかった理由は、「拘留中に袴田が太ったため →犯行当時は履けた」とした。
東京高裁は、ズボンの寸法札(タグ)にあった「B」の文字を根拠に、
「袴田にも履けたはず」「1年以上も水分・味噌成分を吸い込んだあと、長期間保管されている間に、自然乾燥して収縮した」と認定し、死刑判決。
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