ほぼありえない話だけど、
仮に神武天皇は南九州から来た説が本当だとしても、現在でもまるで農業生産力がない西臼杵郡高千穂町ってのは考えにくいよなあ
火山地帯とはいえ田んぼが作れる都城盆地とそれになりには田んぼが作れる宮崎平野と勢力を伸ばした豪族がいて、その子がなんかの具合で物部氏の誰かに入婿になって、その入婿になった先がなにかの具合で権力闘争に勝って…みたいのがぎりぎり考えられる最低限の気がするけど、それにしたってちょっと考えにくい
鹿児島説にしても、当時のコメ生産を考えたら宮崎説より難しそうだし
なんでこんな無理のある説が支配的だったんだろう