【建国記念の日】初代天皇ってどこから来てどういう経緯で天皇になったんだよ🤔? [929293504]
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>>539
そうなんだよね
現代で歴史を学ぶと時間軸の感覚を無視しがちだから
小さな変化の積み重ねの結果、最終的にひっくり返った一部分だけを見ると「ドラスティックや!」ってことになっちゃうからねw この前NHKラジオで古事記の解説放送してたんだけど
ゲストの小芝風花ちゃんがイザナギとイザナミがセックスする話に興味津々で興奮した
>>546
南国系の若者には当たり前のデートコース。
大陸人を基準に見るから異様に見える。 邪馬台国が畿内にあった場合
殺戮して大和朝廷になった可能性ある
それじゃ問題あるんで実在してない可能性ある天皇でっち上げ
で朝鮮半島大好きマンがいるけど
遣唐使遣隋使の頃でさえ
朝鮮半島から日本へは直接渡れなくて
中国の山東省あたりまで徒歩で移動して
そこから船に乗っていたんだからな。
東アジアの造船技師が発達して
山東省から日本列島に渡ってこれるようになったのが
西暦500年ごろ。
朝鮮半島から直に日本に渡れるようになったのは
西暦1000年ごろ。
東南アジアは紀元前から帆船の扱い方を知っていた。
で南太平洋から日本に渡るには
帆どころかオールすらいらない。舵もいらない。
丸太かイカダでOK。
ただ食料と水の問題があるから漁船が
流されたと見るのが自然。
>>555
緊急時なら仕方がないが日本に100%
辿り着ける保証はない。
能登半島の先端部や樺太なんかにも
半島人の子孫が住んでるよ。 対馬海流から飛び降りるのに失敗すると
そのままシベリアまで流されちゃうのよ。
だから大事な旅の時は
中国の南東部まで陸路で旅をして
かつて東南アジア人が日本に漂流するのに使った
同じ海流に飛び乗る航路を使う。
そうすれば勝手の東南アジア人のように
安定して日本列島に上陸できる。
北朝鮮からよく不審船がやってくるけど
エンジンをとてつもなく強化した
モンスターマシーンを使う。
下関と釜山を結ぶフェリーもエンジンだけは立派。
>>471
日本は法学部は最初からあった
なぜかというと多くの私学は法律学校だったから 謎のサカイ
ギリシャ語でサカの人という意味らしい
アサカは聖なる人という意味がありサカ族の国家名、民族名そのものらしい
サカ族のとんがり帽子は烏帽子そっくり
堺には浅香アサカがある
偶然の一致にしろ興味深い
サカ族は中国では塞
日本の塞の神はクナトの神
延喜式祝詞
道饗祭には、八衢彦、八衢姫、クナトが登場する
出雲地方の伝承によるとサルタヒコは出雲の姫神である姫神の幸神と東から来て文物をもたらしたクナトの神の子
サルタヒコが発見されたのは天の八衢
八衢は道が幾つにも分かれるところ、【方違】
堺に方違神社があって、方違幸大神が祀られている
伊勢でサルタヒコに関係するのが
阿射加神社、大阿坂、小阿坂
上町台地〜泉北丘陵
大阪オオサカ、浅香アサカ、小阪コサカが並んでいる
オスのニワトリの頭にある赤いやつ、元はサカと呼ばれていた
今でもトサカのことを烏帽子と呼ぶ地方もある
サカ族、塞、クナト、八衢、アサカ、烏帽子、全部繋がるのだ
偶然にしろ興味深い
紀元前のインドにはギリシャ人やイラン人など多様な人々が訪れていた
日印協会での講演会の抜粋
サーンチー大塔の北門の西柱に、完成した塔と上空を飛ぶ半鳥半神、その前で祝賀する一群の人物の彫刻があります。
13人の群像の一人はとんがり帽子とワンピース風の服にベルト、すねに紐でまきつけた布という典型的な中央アジア騎馬民族で、一つの吹き口に二本のたて笛がつく逆V字型の笛を吹いているのが特徴的です。
その顔はなぜかしわが深く、目が落ちくぼんでいる点が他の人物とまったくちがっている不思議な存在です。
‥
とんがり帽子の騎馬民族は、前 5 世紀のペルシア碑文やギリシア歴史書に出てくる、戦闘と交易に長けた中央アジアの移動民で、
前 2 世紀ごろからインドに進入、インダス水系のガンダーラ、ガンジス水系のマトゥラー、西海岸地帯などに政権を持ったサカ族で、イラン系の民族と思われています。
彼らが紀元前から仏教を信奉したことを物語る碑文や彫刻など、いくつかの痕跡がインド各地に遺されています。
日本書紀に書かれてる神武天皇の治めた範囲は東京世田谷区より狭い
部族長程度だぞ
内部紛争を繰り返して勢力取り込んでの繰り返しでそのトップが天皇
全部作り話だぞ
日本書紀の構造みればわかる
音韻学を使った研究によると書紀はα群とβ群に分けられる
α群は元嘉暦(編纂時から見て古い暦)を使用し、β群は儀鳳暦(当時唐で使われていた、つまり編纂時の暦)を使用してるという違いがある
また、β群は、正格漢文には見られない、日本語の発想に基づく漢文の誤用や奇用の倭習(なんちゃって漢文)を多用している
神話部分から雄略の前まではこのなんちゃって漢文で書かれている
その他にも推古・舒明紀もこのなんちゃって漢文が使用されている
>>159
長期に渡り一定の勢力を維持していた根拠にはならないでしょう
一時的に進出した可能性は認めるけど 広開土王碑の倭と古代の日本列島との関連性はないだろう 普通に
記紀信奉してるのなら無関係を主張すべきだろw
山形明郷 曰く
中国の学者楊守啓氏がいうには、「朝鮮側の史料『東鑑( 東国通鑑) 』では詳らかではないが、
日本の史書から判断すると、高句麗広開土王即位の年は西暦3 9 1 年であり、日本では仁徳天皇の治世時に当たる。
しかし、この間、両国には抗争の事実はみられず、又、中間の履中・允恭両天皇の時代にも、高句麗・新羅と闘争の事実はない。
又、三宅米吉氏も『高麗碑考』の中で同様のことを語っている。即ち、「倭・倭人と高麗との抗争記述も、
『日本書紀』など日本側の記述に対応すべきものがなければ、強いて附会する必要はなかろう。
碑文中に現れる倭が、大和朝廷で在ることを明証した論考は現れていないのである」との見解を述べている。
倭や邪馬台が何処であろうと、我が国の古代史に繋がることではないので、
目角を立て附会曲解をする必要ないこと、論ずるまでもない。
「倭」そのものゝ総体的な輪郭が把握できず、「邪馬台」が「大和朝廷」の前身などという固定観念で、
これら倭人に関する伝記などを捏ねくり返してみたところで、
先人の糟粕を舐め啜るのが落ちであろう。
日本は古代ユダヤ人の血統が入ってるのは言語ではっきりしているよ
>>574
ユダヤ人が動画で普通に否定してたな
妄想は大概にしとけとのこと
https://youtu.be/MN6py8l7U2Q 王族ではないだろうね。
自国で食えないから、未開地に行かなければならなかった、
下層民だろうね。
五木寛之「日ノ影村の一族」
この中に「天照亡ず」という語がでてくる
ただの豪族だろ
一番支配的で暴力的だったんじゃね
それ以外に考えられるか?
WHOとかIOCとか金を積んだもの勝ちなのがはっきりしたからな
ノーベル賞とか日本遺産とか世界遺産とか審査員の恣意的な判断によるものの権威は地に落ちた
普通に考えたら
大陸(中国)や半島(朝鮮)でなんか犯罪やらかした罪人が
流刑(島流し)で日本に辿り着いて
原住民を殺して支配したと考えるのが
丘に登って山山の峰をみわたして
「ねっ!あれ、あれさ、トンボがヤッてるとこみたいじゃね」
「はぁ…」
「ちょまじでヤバイでしょ!興奮してきたわ。これトンボセックス国ってどう?」
「あ、はぁそれはようございますが、秋津国くらいにしておいた方が」
これ発達障害だろ神武ってやつ。
>>585
人口動態で朝鮮半島から渡ってきてるのは間違いないが(金井東裏遺跡)
どうやら半島での勢力争いに負けた劣勢側が少数で渡来してきてるため
日本列島の文化を受容していってるぽいな
朝鮮半島からの文物が少ない >>285
南北朝はグダグダだし
あなたが書いている通り嘘だらけなのに
間違いないと言える根拠は何?
明治以降即位したことになった天皇何人いるか知ってる? 海の向こうから逃れてきて、未開の地を発展させてやると決心した瞬間に神になったんだよ
古代天皇没年齢(日本書紀/古事記)
初代:神武天皇 127歳/137歳
2代:綏靖天皇 84歳/45歳
3代:安寧天皇 67歳/49歳
4代:懿徳天皇 77歳/45歳
5代:孝昭天皇 114歳/93歳
6代:孝安天皇 137歳/123歳
7代:孝霊天皇 128歳/106歳
8代:孝元天皇 116歳/57歳
9代:開化天皇 111歳/63歳
10代:崇神天皇 119歳/168歳
11代:垂仁天皇 139歳/153歳
12代:景行天皇 147歳/137歳
13代:成務天皇 107歳/95歳
14代:仲哀天皇 53歳/52歳
15代:応神天皇 111歳/130歳
16代:仁徳天皇 143歳/83歳
17代:履中天皇 70歳/64歳
|
21代:雄略天皇 62歳/124歳
頭長幅指数
84.10信州飯田
82.76奈良大和
82.61兵庫播磨
82.55信州伊那
82.21岡山備中
81.85信州安曇
80.92飛騨
80.51山形村山
79.98宮崎日向
79.36能登南部
76.59アイヌ
頭長巾指数%(短頭型)
78.50%信州飯田
71.34%信州伊那
71.19%千葉中部
65.55%兵庫播磨
61.74%埼玉東部
61.06%岡山備中
55.76%信州安曇
51.55%山形庄内
46.57%飛騨
42.13%加賀山地
Genome-wide SNP data of Izumo and Makurazaki populations support inner-dual structure model for origin of Yamato people 2021
https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs10038-020-00898-3/MediaObjects/10038_2020_898_Fig5_HTML.png
アイヌ-沖縄-薩摩-出雲-東北-九州-関東-北海道-中部-近畿-韓国 >>593
日本書紀と古事記でこれだけ違うんだなあ >>323
聖書とかでも140歳だとか600歳だとか出て来たような気がする
なんだわざわざトンデモな年齢にするんだか… >>596
古墳の変動からみて
中央集権の強化とそのやや揺り戻りの時期のあったことが検出されるから、
中央集権の強化された時期がおそらく雄略天皇(ワカタケル)の時代、
揺り戻しのあったのが継体天皇(ヲホド)期と比定できそうではある >>342
なんで水戸で右翼思想が持て囃されたんだろう… オウム真理教が革命に成功してたら、2500年後には麻原が神武天皇みたいなあつかいになってたのか?
ちょっと力の強い豪族がどこかの時点で初代天皇という架空の存在をでっち上げただけでしょ
劉備が漢の末裔を名乗っていたのと大して変わらんのでは?
>>378
日本国記≒日本ウィキペディア記
古事記≒世界の神話の寄せ集め記 >>397
山上降臨型の神話は、古代朝鮮半島など北方系の建国神話にひろく見られるらしいぞ 中国で争いに負けた人達
日本は流刑地みたいなもんだな
島国だもん
宮崎にカルト宗教の集団がいた
当時の九州は朝鮮半島や大陸との交易で日本にはない最先端の技術が入ってきており、九州は日本の中心であった
また移民も多く入ってきており、九州の力は強まっていった
独占的な交易で力をつけ鉄器などの武器を手に入れ九州を統一した宮崎出身の宗教集団がまだ鉄器が入ってきていない東へと制服を始めた
宗教で人心をまとめ、倭の国王として認証された権威を振りかざし、新技術によって機内まで攻めあがると、その地で王朝を開いた
それが天皇
>>330
インターネットがある現代ですらありのままの情報が伝わることは難しいのに無理だろそれは 宮崎県西都原
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/jaja/08_yamato.html
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000055388.jpg
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000055390.jpg
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000055392.jpg
西都原の代表的な遺品のひとつに、男狭穂塚・女狭穂塚の※1陪塚である170号墳から出土した舟形はにわがある。丸木舟の両舷に波よけと思われる板を立てた準構造船で、船首と船尾が大きく反り上がっている形から、外洋を航海する舟であったことが推測されている。
西都原の人々が、主に南方との交流のある海の民でもあったらしいことは、権力を示す貴重な装飾品であった貝輪の出土からも示唆される。
素材となるゴホウラ、イモガイ、スイジガイといった貝は、奄美大島以南から赤道付近に分布するもので、この交易が本土最南端に位置する日向=南九州を拠点に行われたと考えるのは自然だろう。逆に九州の土器が沖縄でも発見されている。
また、南方文化は、神話にも反映されている。天孫降臨や山岳信仰のように、神は天上界におわし、天により近い山の頂きに宿るという思想は、東北アジアを源流にするといわれる。
一方、南方の島々では、ニライカナイ伝説のように、神は海の向こうからやってくる。日向神話にある海幸彦・山幸彦の物語は、後者の色彩が強い。西都原は、その意味でも二つの文化の接点だったのだろう。
前述の日高正晴氏は、海幸彦・山幸彦と同様の伝承が、セレベス、パラオなど東南アジアから太平洋の島々に広く伝わっていること、西都原独自の出土品である子持ち家形はにわの母屋部分が、ニューギニアの祖先をまつる祠(ほこら)に類似していることを指摘している。 >>330
蘇我入鹿と一緒に国の図書館が燃やされたんだよ
それで口伝を書物に集めた
まぁそれがなくてもファンタジーだけどな
燃える前は当時は天皇の正当性に批判的な書物もあったとされる >>596
なんで3代のだけミコトてふりがなないの >>602
水戸学で調べてみ
御三家という形だが、15代までずっとはぶられてきた
将軍ではなく、天皇に仕えているという形でプライド保ってきた
それが幕末で王政復古で注目されて、倒幕の思想的拠り所になった 朝鮮の歴史を知ればもっとわかるんだろうけど
正直どうでも良いよね
>>596
大体からして古墳時代のなかで飛鳥文化ってかなり異質なんだよ
書紀が如何にデタラメを書いてあるか考えたらわかるだろ? トータルウォーで作って欲しいよな
勢力
大和、出雲、熊襲 がメイン
奈良時代に天智王朝という正統王朝に戻そうという復興運動が起きてるから
天智自体は実在の人物だと見て間違いない
天智から簒奪した天武が自身王朝の正当性を訴えるために記紀の編纂を命じたと見て取れる
因みに推古と一緒に埋葬されたというその息子で竹田皇子の遺骸は
墓とされるところから見つかってない
空っぽのお墓だったことが明らかになっている
これまで実在性が全く示されてない
>>622
太平洋上の小島がスタート地点な。
船の開発からスタート。 日本人のルーツはチョンではないだろうが
天皇のルーツはチョン
認めろネトウヨ
>>626
天皇の歴史ってのは縄文系の
将軍や総理大臣が俺は天皇に任命されたんだって
好き放題暴れるための概念みたいな存在なんだけど
そんなののルーツでいいの?
将軍や総理大臣はいつでも天皇を根絶やしにできる
体制を作った上で、自分の都合のいい言葉を
吐かせるわけよ。
そして将軍や総理大臣は、これは天皇のお言葉だぞって
また好き放題やる。
お前ら朝鮮人は日本で生活してないから
ここらの空気感を知らない。 縄文系 笑
日本人が縄文人からDNAを受け継いでるという妄想かw
そういえば日本人の多数はを占める父系遺伝子(Dなんたらかんたらという枝)が縄文人から全然見つからないんだが?
ナショナリズムでだいぶ古代史観歪んでないか?笑
いわゆる縄文型の核DNAを受け継いでるという話は、縄文人と類縁の別の古代人からのものだろ おそらくw
じゃないと青谷上寺地遺跡の遺伝子が現代日本人と変わらなかった説明がつかないw
DNA分析では弥生よりもそのあとの時代の方が大陸の血が濃く入り込んでいるらしい
弥生までは言うほどではないみたい
>>159
裏付けられていないぞアフィブログのカモにされる低学歴無職貧困ジジイバカウヨw
梁職貢図は当時の倭人が靴も履いてない後進地域の住人であること表現しているだけだぞw 奈良の半狩猟民が
肥沃な大阪の農耕民を征服したのが始まり
初代天皇は中大兄皇子こと天智天皇で
彼自身および
それ以前に100年あまりかけて大和朝廷の覇権を獲得した先祖大王の
権威付けを一つの目的に
さらに近代化(大唐化)の必要から国史編纂それじたいをもう一つの目的として
各氏族の神話や家史を整理・編集した結果
初代神武天皇をふくむ記紀神話が成立した
天皇は当時流行っていた道教の用語で、中国皇帝を意識して対抗概念として採用された
以上が初代天皇(神話上:神武、歴史上:天武)と、どういう経緯でそうなったか
天智なのか天武なのか持統なのか
初代天皇の見解も割れるよね
“国史跡・青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)で発掘された弥生時代後期とみられる人骨について、県が国立科学博物館や国立歴史民俗博物館と進めるDNA分析の経過報告が2日、鳥取市であった「とっとり弥生の王国シンポジウム」で発表された。昨年実施した母から引き継ぐミトコンドリアDNAの分析ではほぼ全員渡来人系だったが、父から引き継ぐY染色体からは縄文人系の配列がみられた。”
>>608
宮崎と天皇を結びつけるだけで物知らずだと思われるぞ
>>610
男狭穂塚・女狭穂塚なんてもう大和朝廷の支配下にある時期だよ
君の主張には新しすぎるね
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷(改)
日向国風土記逸文(713、引用は釋日本紀1275-1301、萬葉集註釋1269)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。
本当に原本にあったか?というか500年以上たって元ネタはなんだ)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) キリスト教の様に細かく設定されたらそれで納得するのかよ
>>623
基本的な知識が抜け落ちてる
もともと中大兄皇子と大海人皇子なんて額田王が歌で戯れに玩弄する程度の気さくな間柄だった
さもなければ当時大王権力を凌ぐ勢いを示した大敵蘇我氏本宗に対して乙巳の変をあのような形(強力とはいえない中臣氏と謀る形)で中大兄皇子は起こさないし起こせないだろう
おまけに弘文天皇こと大友皇子の后は大海人皇子と額田王の娘である 十市皇女 。その突然の死にまつわる混乱の記述もある(すなわち、その中身は作為が少ないとみられる)。死を悼んだ哀歌も複数記述されている
また、当時の大王継承では近親の比較的年長の有力者が臣下らの同意を経て位に即く慣習だった。ほかならぬ天智天皇がそうだったように「大兄」の存在がそのなによりの証拠なのな
むしろ壬申の乱より前の記述に大海人皇子の影が薄すぎるほうにこそ、作為を感じるわ >>638
設定なんかはどう変えても納得しないよ
絶滅したら納得する 初期の前方後円墳みると西日本とくに
吉備の影響強いわけでね ヤマト王権は外部からの刺激で成立したといいたくなる ちなみに欠史8代の天皇陵に
ろくな古墳があてられてないのは面白いとこだ
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