【建国記念の日】初代天皇ってどこから来てどういう経緯で天皇になったんだよ🤔? [929293504]
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出雲風土記は朝廷に対する忠誠というものがほとんどなくて
独自のスタイルを維持してる
本来であれば朝廷が受け入れることも出来ないような内容だけど
受け入れざるを得なかった時点で、出雲の力の強さがわかる
それは朝廷に従う代わりに朝廷が信奉していた神よりも高い場所に出雲の神を祀る神社を作らせたってのでもわかる
朝廷は当時としても絶対的な権力を有してはいなかったようだ
三種の神器も本当に有るんだか
検証を拒む時点でおとぎ話と同種の与太話よ
>>343
それは面白い説だが、どの学者が言ってるんだろう
大量の出土品(特に銅製品))や古墳群などから、出雲というのは島根県に属するものだという解釈が一般的だが 大陸や半島の人たちが日本を侵略して王朝を築いたあたりまでがぎりぎりわかる範囲
>>520
それは壇ノ浦で水遊びした馬鹿に言ってやれ。 太平洋で船で遭難すると
日本の伊勢か出雲に流れ着くのよ。
日本から先はベーリング海だからみんな死ぬ。
一部が生き残ってエスキモーやアメリカ先住民の先祖に。
https://islands4kids.org/image/asianmap-mp4-1.jpg >>290
天皇家より先に日本に来ていた同族はいる
それが東征を導いた八咫烏な 一番調子に乗った勢力が突然日本と名乗りだしたのが始まり
なにその国って中国が驚くレベルで
>>521
小椋一葉あたりかな
荒神谷の銅剣の多くにX印が付いてることから出雲に閉じ込めた抗う神々の怨霊封じという解釈をしてたかな
出雲臣は大和→京→杵築と移動した(させられた)が元々製鉄技術を持っていたので杵築の地でも文明が発達したのかもしれないね 島根の神庭地方では紀元前後に勢力の交代が起きている
四隅突出墳丘墓を作った勢力に置き換わっていく
繁栄を極めた神庭地方の集落は紀元前後に営みを終焉し加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が畿内各地で見つかっている
神庭地方から近畿に逃れた人々がいたということ
同じような変化が丹後半島でも起きている
丹後半島は弥生時代中期までは鉄工房が盛んであった
弥生時代後期になると中心集落の位置が変わり、【朝鮮半島に類似した墓】、【朝鮮半島製と思われる鉄刀】が出土するようになる
丹後半島と入れ替わるように淡路島や池上曽根遺跡、少し遅れて伊吹山など畿内周辺で鉄工房が営まれるようになる
紀元前後丹後半島で鉄工房を営んでいた勢力が畿内に逃れてきたと思われる
ヤマタノオロチ一族だろう
その後畿内の勢力の協力を得て淡路島や伊吹山に拠点を構えたんじゃないか?
伊吹山はヤマタノオロチの神霊が眠ると言われている
日本書紀にある荒ぶる神だろうね
伊吹山は和歌では一途な想いの代名詞
息長川も一途な想いを表す
畿内に受け入れてもらった恩を持ち続けていたのかもね
風の神
級長津彦命、級長戸辺命
シナは息が長いという意味
吹子、金属加工の神さんかもな
天智天皇が都を置いた琵琶湖
琵琶湖の別名は、にほの海
滋賀は息長氏の地で
にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも
という万葉集の歌も残っている
>>529
学者じゃないのか、知らんかったはずだ
とは言え、物語としてはドラマティックで面白そうだなw
俺が言ってるのは天孫前の話だから、お前さんの話とは時代が違うかな 中国に対して日本の正当性と成り立ちをうまく説明できてなかったことが
まさか記録に残っちゃうとは思わなかっただろう
>>530
昭和の時代まで野鍛治が被差別民として
扱われていたのもなにか関係があるかもね。 ヤマト政権よりはるか前、倭国大乱より2世紀近く前に日本海側では勢力の交代が起きている
弥生の神殺しみたいなものがあったんだろう
畿内に逃れてきた神庭の出雲の人々、丹庭のヤマタノオロチ、そして在地の人々が1世紀後半国作りをしたんだろうね
1世紀後半〜2世紀中頃、畿内からは環濠が無くなり守山の伊勢遺跡が作られる
政治の中枢の誕生を示す遺跡だろう
国作りが進み平和で豊かな時代が到来したんだろうね
同じような変化が尾張の朝日遺跡でも起きている
朝日遺跡は元々畿内と同じ木棺、銅鐸、勾玉の集落だった
紀元前後勢力の交代があったのか、銅鐸は埋葬され甕棺に墓制が変わり、日本海側と共通点の多い集落に変わってしまう
>>521
現奈良の大神辺りには「出雲」の地名が残っていて、石上神宮の摂社には出雲健が祀られてるし
京都の鴨川沿いには出雲郷があり、下鴨神社には境内末社として出雲井於神社があるし
崇神の御代に天照大神と日本大國魂神を「畏れ多い」を理由に朝廷から他所にお遷り願った(排除した)が、その落ち着き先が丹波の出雲大神宮と言われてるしね >>531
所謂考古学側からではなく民族学側からのアプローチだからね
まぁ、実証は考古学側からの物証が無いとなかなか難しいけど、故に想像は膨らむから古代史は面白いw >>536
なるほど
今のところ異説の域を出なさそうだな
ただ面白い考え方であるのは事実
ドラマティックだしな
作家としては、そっちのほうが魅力的な物語を書けるだろう >>537
古代に限らず戦国時代なんかも、やはり想像が膨らんだほうが面白い
読む側、見る側も
革命なんてその最たる例で
「一気にドラスティックに変化した 「一気にドラスティックに変化した」と言えば面白いけど
実は革命に至るまでに漸進的な改革が幾つも続いてて〜〜なんて話をすると
まぁ地味になるったらないw
>>503
天降り(あもり)した
つまりニニギノミコトは天から降りてこられたのだろう >>539
そうなんだよね
現代で歴史を学ぶと時間軸の感覚を無視しがちだから
小さな変化の積み重ねの結果、最終的にひっくり返った一部分だけを見ると「ドラスティックや!」ってことになっちゃうからねw この前NHKラジオで古事記の解説放送してたんだけど
ゲストの小芝風花ちゃんがイザナギとイザナミがセックスする話に興味津々で興奮した
>>546
南国系の若者には当たり前のデートコース。
大陸人を基準に見るから異様に見える。 邪馬台国が畿内にあった場合
殺戮して大和朝廷になった可能性ある
それじゃ問題あるんで実在してない可能性ある天皇でっち上げ
で朝鮮半島大好きマンがいるけど
遣唐使遣隋使の頃でさえ
朝鮮半島から日本へは直接渡れなくて
中国の山東省あたりまで徒歩で移動して
そこから船に乗っていたんだからな。
東アジアの造船技師が発達して
山東省から日本列島に渡ってこれるようになったのが
西暦500年ごろ。
朝鮮半島から直に日本に渡れるようになったのは
西暦1000年ごろ。
東南アジアは紀元前から帆船の扱い方を知っていた。
で南太平洋から日本に渡るには
帆どころかオールすらいらない。舵もいらない。
丸太かイカダでOK。
ただ食料と水の問題があるから漁船が
流されたと見るのが自然。
>>555
緊急時なら仕方がないが日本に100%
辿り着ける保証はない。
能登半島の先端部や樺太なんかにも
半島人の子孫が住んでるよ。 対馬海流から飛び降りるのに失敗すると
そのままシベリアまで流されちゃうのよ。
だから大事な旅の時は
中国の南東部まで陸路で旅をして
かつて東南アジア人が日本に漂流するのに使った
同じ海流に飛び乗る航路を使う。
そうすれば勝手の東南アジア人のように
安定して日本列島に上陸できる。
北朝鮮からよく不審船がやってくるけど
エンジンをとてつもなく強化した
モンスターマシーンを使う。
下関と釜山を結ぶフェリーもエンジンだけは立派。
>>471
日本は法学部は最初からあった
なぜかというと多くの私学は法律学校だったから 謎のサカイ
ギリシャ語でサカの人という意味らしい
アサカは聖なる人という意味がありサカ族の国家名、民族名そのものらしい
サカ族のとんがり帽子は烏帽子そっくり
堺には浅香アサカがある
偶然の一致にしろ興味深い
サカ族は中国では塞
日本の塞の神はクナトの神
延喜式祝詞
道饗祭には、八衢彦、八衢姫、クナトが登場する
出雲地方の伝承によるとサルタヒコは出雲の姫神である姫神の幸神と東から来て文物をもたらしたクナトの神の子
サルタヒコが発見されたのは天の八衢
八衢は道が幾つにも分かれるところ、【方違】
堺に方違神社があって、方違幸大神が祀られている
伊勢でサルタヒコに関係するのが
阿射加神社、大阿坂、小阿坂
上町台地〜泉北丘陵
大阪オオサカ、浅香アサカ、小阪コサカが並んでいる
オスのニワトリの頭にある赤いやつ、元はサカと呼ばれていた
今でもトサカのことを烏帽子と呼ぶ地方もある
サカ族、塞、クナト、八衢、アサカ、烏帽子、全部繋がるのだ
偶然にしろ興味深い
紀元前のインドにはギリシャ人やイラン人など多様な人々が訪れていた
日印協会での講演会の抜粋
サーンチー大塔の北門の西柱に、完成した塔と上空を飛ぶ半鳥半神、その前で祝賀する一群の人物の彫刻があります。
13人の群像の一人はとんがり帽子とワンピース風の服にベルト、すねに紐でまきつけた布という典型的な中央アジア騎馬民族で、一つの吹き口に二本のたて笛がつく逆V字型の笛を吹いているのが特徴的です。
その顔はなぜかしわが深く、目が落ちくぼんでいる点が他の人物とまったくちがっている不思議な存在です。
‥
とんがり帽子の騎馬民族は、前 5 世紀のペルシア碑文やギリシア歴史書に出てくる、戦闘と交易に長けた中央アジアの移動民で、
前 2 世紀ごろからインドに進入、インダス水系のガンダーラ、ガンジス水系のマトゥラー、西海岸地帯などに政権を持ったサカ族で、イラン系の民族と思われています。
彼らが紀元前から仏教を信奉したことを物語る碑文や彫刻など、いくつかの痕跡がインド各地に遺されています。
日本書紀に書かれてる神武天皇の治めた範囲は東京世田谷区より狭い
部族長程度だぞ
内部紛争を繰り返して勢力取り込んでの繰り返しでそのトップが天皇
全部作り話だぞ
日本書紀の構造みればわかる
音韻学を使った研究によると書紀はα群とβ群に分けられる
α群は元嘉暦(編纂時から見て古い暦)を使用し、β群は儀鳳暦(当時唐で使われていた、つまり編纂時の暦)を使用してるという違いがある
また、β群は、正格漢文には見られない、日本語の発想に基づく漢文の誤用や奇用の倭習(なんちゃって漢文)を多用している
神話部分から雄略の前まではこのなんちゃって漢文で書かれている
その他にも推古・舒明紀もこのなんちゃって漢文が使用されている
>>159
長期に渡り一定の勢力を維持していた根拠にはならないでしょう
一時的に進出した可能性は認めるけど 広開土王碑の倭と古代の日本列島との関連性はないだろう 普通に
記紀信奉してるのなら無関係を主張すべきだろw
山形明郷 曰く
中国の学者楊守啓氏がいうには、「朝鮮側の史料『東鑑( 東国通鑑) 』では詳らかではないが、
日本の史書から判断すると、高句麗広開土王即位の年は西暦3 9 1 年であり、日本では仁徳天皇の治世時に当たる。
しかし、この間、両国には抗争の事実はみられず、又、中間の履中・允恭両天皇の時代にも、高句麗・新羅と闘争の事実はない。
又、三宅米吉氏も『高麗碑考』の中で同様のことを語っている。即ち、「倭・倭人と高麗との抗争記述も、
『日本書紀』など日本側の記述に対応すべきものがなければ、強いて附会する必要はなかろう。
碑文中に現れる倭が、大和朝廷で在ることを明証した論考は現れていないのである」との見解を述べている。
倭や邪馬台が何処であろうと、我が国の古代史に繋がることではないので、
目角を立て附会曲解をする必要ないこと、論ずるまでもない。
「倭」そのものゝ総体的な輪郭が把握できず、「邪馬台」が「大和朝廷」の前身などという固定観念で、
これら倭人に関する伝記などを捏ねくり返してみたところで、
先人の糟粕を舐め啜るのが落ちであろう。
日本は古代ユダヤ人の血統が入ってるのは言語ではっきりしているよ
>>574
ユダヤ人が動画で普通に否定してたな
妄想は大概にしとけとのこと
https://youtu.be/MN6py8l7U2Q 王族ではないだろうね。
自国で食えないから、未開地に行かなければならなかった、
下層民だろうね。
五木寛之「日ノ影村の一族」
この中に「天照亡ず」という語がでてくる
ただの豪族だろ
一番支配的で暴力的だったんじゃね
それ以外に考えられるか?
WHOとかIOCとか金を積んだもの勝ちなのがはっきりしたからな
ノーベル賞とか日本遺産とか世界遺産とか審査員の恣意的な判断によるものの権威は地に落ちた
普通に考えたら
大陸(中国)や半島(朝鮮)でなんか犯罪やらかした罪人が
流刑(島流し)で日本に辿り着いて
原住民を殺して支配したと考えるのが
丘に登って山山の峰をみわたして
「ねっ!あれ、あれさ、トンボがヤッてるとこみたいじゃね」
「はぁ…」
「ちょまじでヤバイでしょ!興奮してきたわ。これトンボセックス国ってどう?」
「あ、はぁそれはようございますが、秋津国くらいにしておいた方が」
これ発達障害だろ神武ってやつ。
>>585
人口動態で朝鮮半島から渡ってきてるのは間違いないが(金井東裏遺跡)
どうやら半島での勢力争いに負けた劣勢側が少数で渡来してきてるため
日本列島の文化を受容していってるぽいな
朝鮮半島からの文物が少ない >>285
南北朝はグダグダだし
あなたが書いている通り嘘だらけなのに
間違いないと言える根拠は何?
明治以降即位したことになった天皇何人いるか知ってる? 海の向こうから逃れてきて、未開の地を発展させてやると決心した瞬間に神になったんだよ
古代天皇没年齢(日本書紀/古事記)
初代:神武天皇 127歳/137歳
2代:綏靖天皇 84歳/45歳
3代:安寧天皇 67歳/49歳
4代:懿徳天皇 77歳/45歳
5代:孝昭天皇 114歳/93歳
6代:孝安天皇 137歳/123歳
7代:孝霊天皇 128歳/106歳
8代:孝元天皇 116歳/57歳
9代:開化天皇 111歳/63歳
10代:崇神天皇 119歳/168歳
11代:垂仁天皇 139歳/153歳
12代:景行天皇 147歳/137歳
13代:成務天皇 107歳/95歳
14代:仲哀天皇 53歳/52歳
15代:応神天皇 111歳/130歳
16代:仁徳天皇 143歳/83歳
17代:履中天皇 70歳/64歳
|
21代:雄略天皇 62歳/124歳
頭長幅指数
84.10信州飯田
82.76奈良大和
82.61兵庫播磨
82.55信州伊那
82.21岡山備中
81.85信州安曇
80.92飛騨
80.51山形村山
79.98宮崎日向
79.36能登南部
76.59アイヌ
頭長巾指数%(短頭型)
78.50%信州飯田
71.34%信州伊那
71.19%千葉中部
65.55%兵庫播磨
61.74%埼玉東部
61.06%岡山備中
55.76%信州安曇
51.55%山形庄内
46.57%飛騨
42.13%加賀山地
Genome-wide SNP data of Izumo and Makurazaki populations support inner-dual structure model for origin of Yamato people 2021
https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs10038-020-00898-3/MediaObjects/10038_2020_898_Fig5_HTML.png
アイヌ-沖縄-薩摩-出雲-東北-九州-関東-北海道-中部-近畿-韓国 >>593
日本書紀と古事記でこれだけ違うんだなあ >>323
聖書とかでも140歳だとか600歳だとか出て来たような気がする
なんだわざわざトンデモな年齢にするんだか… >>596
古墳の変動からみて
中央集権の強化とそのやや揺り戻りの時期のあったことが検出されるから、
中央集権の強化された時期がおそらく雄略天皇(ワカタケル)の時代、
揺り戻しのあったのが継体天皇(ヲホド)期と比定できそうではある >>342
なんで水戸で右翼思想が持て囃されたんだろう… オウム真理教が革命に成功してたら、2500年後には麻原が神武天皇みたいなあつかいになってたのか?
ちょっと力の強い豪族がどこかの時点で初代天皇という架空の存在をでっち上げただけでしょ
劉備が漢の末裔を名乗っていたのと大して変わらんのでは?
>>378
日本国記≒日本ウィキペディア記
古事記≒世界の神話の寄せ集め記 >>397
山上降臨型の神話は、古代朝鮮半島など北方系の建国神話にひろく見られるらしいぞ 中国で争いに負けた人達
日本は流刑地みたいなもんだな
島国だもん
宮崎にカルト宗教の集団がいた
当時の九州は朝鮮半島や大陸との交易で日本にはない最先端の技術が入ってきており、九州は日本の中心であった
また移民も多く入ってきており、九州の力は強まっていった
独占的な交易で力をつけ鉄器などの武器を手に入れ九州を統一した宮崎出身の宗教集団がまだ鉄器が入ってきていない東へと制服を始めた
宗教で人心をまとめ、倭の国王として認証された権威を振りかざし、新技術によって機内まで攻めあがると、その地で王朝を開いた
それが天皇
>>330
インターネットがある現代ですらありのままの情報が伝わることは難しいのに無理だろそれは 宮崎県西都原
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/jaja/08_yamato.html
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000055388.jpg
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000055390.jpg
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000055392.jpg
西都原の代表的な遺品のひとつに、男狭穂塚・女狭穂塚の※1陪塚である170号墳から出土した舟形はにわがある。丸木舟の両舷に波よけと思われる板を立てた準構造船で、船首と船尾が大きく反り上がっている形から、外洋を航海する舟であったことが推測されている。
西都原の人々が、主に南方との交流のある海の民でもあったらしいことは、権力を示す貴重な装飾品であった貝輪の出土からも示唆される。
素材となるゴホウラ、イモガイ、スイジガイといった貝は、奄美大島以南から赤道付近に分布するもので、この交易が本土最南端に位置する日向=南九州を拠点に行われたと考えるのは自然だろう。逆に九州の土器が沖縄でも発見されている。
また、南方文化は、神話にも反映されている。天孫降臨や山岳信仰のように、神は天上界におわし、天により近い山の頂きに宿るという思想は、東北アジアを源流にするといわれる。
一方、南方の島々では、ニライカナイ伝説のように、神は海の向こうからやってくる。日向神話にある海幸彦・山幸彦の物語は、後者の色彩が強い。西都原は、その意味でも二つの文化の接点だったのだろう。
前述の日高正晴氏は、海幸彦・山幸彦と同様の伝承が、セレベス、パラオなど東南アジアから太平洋の島々に広く伝わっていること、西都原独自の出土品である子持ち家形はにわの母屋部分が、ニューギニアの祖先をまつる祠(ほこら)に類似していることを指摘している。 >>330
蘇我入鹿と一緒に国の図書館が燃やされたんだよ
それで口伝を書物に集めた
まぁそれがなくてもファンタジーだけどな
燃える前は当時は天皇の正当性に批判的な書物もあったとされる >>596
なんで3代のだけミコトてふりがなないの >>602
水戸学で調べてみ
御三家という形だが、15代までずっとはぶられてきた
将軍ではなく、天皇に仕えているという形でプライド保ってきた
それが幕末で王政復古で注目されて、倒幕の思想的拠り所になった 朝鮮の歴史を知ればもっとわかるんだろうけど
正直どうでも良いよね
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