バセットは1992年にヒムス市で生まれたごく普通の青年だった。地元のサッカー・チーム「カラーマ・クラブ」に在籍し、ゴールキーパーを務め、
その腕前はシリアのユース・サッカー代表メンバーに選ばれるほどだった。だが、2011年春にシリアに「アラブの春」が波及し、
「革命の首都」と称されたヒムス市など各地で抗議デモが発生すると、これに参加し、注目を浴びるようになった。

シリア軍・治安部隊とデモ参加者や自由シリア軍を名乗る活動家の武力衝突が激しさを増すようになった2011年後半、
バセットは、ヒムス市内で武装闘争に身を投じ、バイヤーダ殉教者旅団を結成し、同組織はその後ヒムス軍団の傘下に身を置いた。

筆者は2011年9月にシリアの首都ダマスカス、ダマスカス郊外県各所、ダルアー県各所を「観光」で訪問した。
当時、ジャズィーラ・チャンネルやアラビーヤ・チャンネルがシリア各地で抗議デモが発生していると報じていたにもかかわらず、筆者が訪問先でニュースと同じ光景を目にすることはなかった。
宿泊先のダマスカスのホテルでこれらのテレビ局が報じたデモの現場に足を運んでも、そこでは何も起きていなかった。

だが、現地の人々が近づかないよう忠告した場所が一つだけあった。ヒムス市だ。
当時もっとも激しい戦闘が行われていたヒムス市でバセットが銃を持つようになったのは、今思えば自然の成り行きだったのかもしれない。
バセットは、シリア軍との戦闘で度々負傷、共に戦っていた父、4人の兄弟、親戚をシリア軍の暗殺作戦や攻撃で失っている。

バセットは、ドキュメンタリー映画『それでも僕は帰る:シリア、若者たちが求め続けたふるさと』(タラール・ディルキー監督、2013年)に出演したことで、欧米諸国や日本で広く知られるようになった。
抗議デモの指導者から「革命家」となった彼の軌跡を追ったこの映画は、2014年にサンダンス映画祭のワールド・シネマドキュメンタリー部門でグランプリを受賞した。
バセットはまた、ドキュメンタリー映画『シリアの悲痛な叫び』(エフゲニー・アフィネフスキー監督、2017年)にも出演した。

ユーチューブやSNSでは、「革命」を賞賛・鼓舞し、仲間の戦闘員らを激励する歌を歌う画像がたびたび公開され、
その美しい歌声から「革命のサヨナキドリ」、あるいは「革命の守護者(ゴールキーパー)」として知られるようになった。

https://youtu.be/qs_V3uDNbQw

https://news.yahoo.co.jp/byline/aoyamahiroyuki/20200219-00163571/