東大時代に女子扱いされたなかったことにルサンチマンを持ってる

http://www.mayuyamaguchi.com/archives/1062777079.html

 私が東大と慶応に合格したとき、東大に進学すると母に言ったら、「もしかしたら慶応のほうがいいかもよ?」とちょっと不安げだった。
その不安は、決して家賃を理由としたものではなかった。けれど、私はそんな母の憂慮なんて気にも留めずに、東大の門をくぐった。

1. 東大女子は、東大男子と他大女子の中間

 私がはじめて母が何を心配していたか思い当たったのは、新入生歓迎のイベントでのことだ。
つまり、東大に入ってすぐに母の憂慮がなんとなく現実のものとなってしまう。

 「東大男子3,000円、東大女子2,000円、他大女子1,000円」と料金を要求されたときに、
私は「男子」にも「女子」にも属さない特殊な分類の中に、自分が置かれてしまったことに気づいた。この料金設定って、東大女子の立ち位置をよく表している。
「東大女子」は、将来を嘱望された男子学生たちと若く美しい女子大生たちの、ちょうど中間くらい、「男子」なんだか「女子」なんだかよく分からないところに、
位置付けられる。

 東大のテニスサークルは全部で100を超えるくらいバラエティに富んでいるのに、東大女子が入ることができるものは3つしかなかった。
「テニスサークルというのは、東大男子と他大女子との出会いの場で、東大女子がいると雰囲気が悪くなる」と言われていたのだ。

 慶応に進んだ女の子たちは、こういう屈辱を受けることはなかったらしく、私はいまだになぜか、早稲田の女の子たち、
通称、「早稲女」に親近感を持っている(笑)。