【速報】報道ステーション、完全に安倍晋三を仕留めにかかる [776133792]
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2018/03/16(金) 22:30:36.40ID:V5Y/C4Mf0・ http://globe.asahi.com/feature/side/2017090400001.html・
公文書管理法の制定に取り組んだ福田康夫元首相に、その背景と現在の日本の状況をどうとらえているかを聞いた。
――公文書に関心を持ったきっかけは
直接的なきっかけは、米国に国立公文書館(NARA)という大変立派なものがあるのを知ったことです。
1980年代半ば、国会議員になる前、父(赳夫元首相)の秘書をしていた時だ。
地元である群馬県の前橋市の学校が、終戦直後の航空写真が欲しいということで探していたが、なかなか見つからなかった。
知り合いの新聞記者に頼んでNARAで調べてもらったら、「あるよ」と。
それで米国に行ったときにNARAに寄って検索用カードで「MAEBASHI」を調べたら、数十枚の写真がすぐ出てきた。
ワシントンDCに、日本の地方都市の、しかも戦争で焼かれた写真があるということにびっくりした。
しかも、よく整理されていて誰もがアクセスできる。「あぁなるほど、さすがだな」と感心した。
正しい情報を入手することができるのは、民主主義の原点。入手できないと、国民は正しい判断ができない。
結果、悪い判断によって悪い政治家が誕生してしまうことがある。
日本では、NARAのように集中的に記録が保存されているところはどこになるかと考えたときに、あるにはあったけれど、とても小さくて大したことがなかった。
それが、関心を持った一番最初だ。
その後、国会議員になり、官房長官になったときに研究会を作り、公文書管理制度の改善について研究を始めた。
調べるほどに、日本の公文書館の施設がみすぼらしいだけでなく、体制、制度も整っていないことが分かってきた。
その後、2007年に首相になったときに公文書管理法の法制化の作業をした。実際に法律が通ったのは、次の麻生内閣のときだ。
――管理法ができる前はどういう状況だったか
公文書の保存と管理についてルールがなかった。90年代後半の薬害エイズ問題では、当初廃棄したとされていた資料が次々と見つかった。
なんと、職員のロッカーにあった。2000年代後半の年金記録問題もとんでもない話だった。
政府だからと国民が安心して預けている、そのお金についての書類がないなどというのは話にならない。
http://globe.asahi.com/S2101/upload/2017090400001_2.jpg
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