シッカリと蒸らされたコーヒードームに湯を刺して
その湯が横に流れるようではまだまだ素人と言わざるを得ない
真の達人になればドームの頂点に湯を置く、さすれば七色に輝き吸い込まれる
とかく下手くそは蒸らしがなどと時間軸で物を語る癖があるが滑稽の一言
珈琲は悟りである求道である達観した者のみが得られる恍惚の時間それが珈琲
つまり豆と湯と器との三位一体の対話こそが蒸らしといえよう、わかるか?
その上で一言だけ、乾き気味は単なる蒸らしすぎだアホ。