虚数が要請されたのは、論理的な要請です。
二乗してマイナスになる数なんて、二次方程式までは「解無し」でもよかった。
しかし四次方程式(三次?いや五次だったかな?w)の実数解を導出する途中で虚数が現れるので
虚数は「有る」ことになった。
ニュートンが慣性系を定立できたのは恐らく論理的要請です。観察とか実験に依るものじゃない。
現代物理なんかも、認識レベルを超えて、論理的整合性を追うわけです。

論理を越えることはできない。思考の最上位に論理が君臨しているんです。
しかし果たしてそんなことを無制限に許してよいのか。
なんて思っても、それを考えるのも論理なんです。もうどうしようもないw

ところがですね、ある理論の全体の構造を見る場合なんかに、一次的な要素、
二次的な要素(んー微妙)ってのが感性によって理解できたりする気もするわけです。。
例えば私にとっては、エネルギーなんかは二次的なものです。ツールなんです。
これがツールであることは論理的な帰結じゃない。私の感性なんです。

「構成的内在」・・それはどんな内容なんでしょう?聞きたいですね。